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ベルリン。東西ドイツ統一で、この20年間で最も劇的変化のあった都市のひとつとして挙げられる。<br />今でもあちこちで何らかの建物が建設中でなんか落ち着かないが、第二次世界大戦時や冷戦時代の面影を今でも見ることのできる唯一の都市と言っても過言ではない。この都市の真ん中に壁が存在していたなんて、今では信じられないくらい。<br /><br />この旅行記は3日目。この日も暑い。イーストギャラリーの落書き、失敬、アートを中心に。<br /><br />---------------------<br />1日目<br />国会議事堂(Reichstagsgebäude)<br />ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)<br />虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)<br />総統地下壕跡(Führerbunker) <br />ポツダム広場(Potsdamer Platz)<br />絵画館(Gemäldegalerie) ※展示物は別の旅行記で紹介予定<br />戦勝記念塔(Siegessäule)<br />※Curry 36 (Bahnhof Zoo)<br />カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtnis-Kirche)<br /><br />2日目<br />ゲーデンスケッテ・ベルリナー・マウアー(Gedenkstätte Berliner Mauer)<br />Dokumentationszentrum Berliner Mauer<br />ベルリンテレビ塔(Berliner Fernsehturm)<br />聖マリア教会(St. Marienkirche) ※閉館。外からのみ。<br />ベルリン大聖堂(Berliner Dom)<br />旧国立美術館(Alte Nationalgalerie) ※展示物は別の旅行記で紹介予定<br />ボーデ博物館(Bode-Museum)<br />ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)<br />チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)<br />テロのトポグラフィー(Topographie des Terrors)<br />壁監視塔(Alter Mauerturm)<br />ポツダム広場(Potsdamer Platz)<br /><br />3日目<br />イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)<br />ペルガモン博物館(Pergamonmuseum)<br />新博物館(Neues Museum)<br />---------------------

ベルリン(Berlin) 3日目(イースト サイド ギャラリー、ペルガモン博物館)

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2018/05/21 - 2018/05/21

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ベルリン。東西ドイツ統一で、この20年間で最も劇的変化のあった都市のひとつとして挙げられる。
今でもあちこちで何らかの建物が建設中でなんか落ち着かないが、第二次世界大戦時や冷戦時代の面影を今でも見ることのできる唯一の都市と言っても過言ではない。この都市の真ん中に壁が存在していたなんて、今では信じられないくらい。

この旅行記は3日目。この日も暑い。イーストギャラリーの落書き、失敬、アートを中心に。

---------------------
1日目
国会議事堂(Reichstagsgebäude)
ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)
虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑(Denkmal für die ermordeten Juden Europas)
総統地下壕跡(Führerbunker) 
ポツダム広場(Potsdamer Platz)
絵画館(Gemäldegalerie) ※展示物は別の旅行記で紹介予定
戦勝記念塔(Siegessäule)
※Curry 36 (Bahnhof Zoo)
カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtnis-Kirche)

2日目
ゲーデンスケッテ・ベルリナー・マウアー(Gedenkstätte Berliner Mauer)
Dokumentationszentrum Berliner Mauer
ベルリンテレビ塔(Berliner Fernsehturm)
聖マリア教会(St. Marienkirche) ※閉館。外からのみ。
ベルリン大聖堂(Berliner Dom)
旧国立美術館(Alte Nationalgalerie) ※展示物は別の旅行記で紹介予定
ボーデ博物館(Bode-Museum)
ジャンダルメンマルクト(Gendarmenmarkt)
チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)
テロのトポグラフィー(Topographie des Terrors)
壁監視塔(Alter Mauerturm)
ポツダム広場(Potsdamer Platz)

3日目
イースト サイド ギャラリー(East Side Gallery)
ペルガモン博物館(Pergamonmuseum)
新博物館(Neues Museum)
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旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • ベルリン中央駅<br />Berlin Hauptbahnhof<br /><br />SバーンでBerlin Ostbahnhofまで。Ostはドイツ語で東。つまりベルリン東駅。<br />ちなみに昨日行った駅は、Nord-(北)でベルリン北駅でした。

    ベルリン中央駅
    Berlin Hauptbahnhof

    SバーンでBerlin Ostbahnhofまで。Ostはドイツ語で東。つまりベルリン東駅。
    ちなみに昨日行った駅は、Nord-(北)でベルリン北駅でした。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Berlin Ostbahnhofについてからシュプレー川沿いまで少し歩きます。ここには約1.3kmに渡って、ベルリンの壁が残されており、壁崩壊後の90年に、「ベルリンの壁建設」にインスピレーションを得た世界各国から集まった、21の国の芸術家118人によって、自分たちが想う東西ドイツの歴史、社会主義の厳しさ、平和、自由の大切さを絵で表現しています。ベルリンの壁そのものに壁画が描かれており、現在ではたくさんのアートを楽しむことが出来ます。

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Berlin Ostbahnhofについてからシュプレー川沿いまで少し歩きます。ここには約1.3kmに渡って、ベルリンの壁が残されており、壁崩壊後の90年に、「ベルリンの壁建設」にインスピレーションを得た世界各国から集まった、21の国の芸術家118人によって、自分たちが想う東西ドイツの歴史、社会主義の厳しさ、平和、自由の大切さを絵で表現しています。ベルリンの壁そのものに壁画が描かれており、現在ではたくさんのアートを楽しむことが出来ます。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />裏側は普通の落書き。表側も一般人による落書きが酷かったのですが、綺麗に書き直されています。ちなみにこちらはシュプレー川沿いであり、昔でいうと東ドイツ側。

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    裏側は普通の落書き。表側も一般人による落書きが酷かったのですが、綺麗に書き直されています。ちなみにこちらはシュプレー川沿いであり、昔でいうと東ドイツ側。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />untitled, Andrej Smolák, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    untitled, Andrej Smolák, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Flora is going, Brigida Böttcher, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Flora is going, Brigida Böttcher, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Curriculum Vitae, Susanne Kunjappu, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Curriculum Vitae, Susanne Kunjappu, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Doin It Cool For The Eastside***, Jim Avignon und Freunde, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Doin It Cool For The Eastside***, Jim Avignon und Freunde, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />It´s Happened In November, Kani Alavi, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    It´s Happened In November, Kani Alavi, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Test The Best (Test The Rest), Birgit Kinder, 1990<br /><br />東ドイツの国産車、トラバントが壁を突き抜けて飛び込んでくる。<br />

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Test The Best (Test The Rest), Birgit Kinder, 1990

    東ドイツの国産車、トラバントが壁を突き抜けて飛び込んでくる。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Justice*, Klaus Niethardt, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Justice*, Klaus Niethardt, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Wall Jumper, Gabriel Heimler, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Wall Jumper, Gabriel Heimler, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Spirit Travel, Andy Weiss, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Spirit Travel, Andy Weiss, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />The Persistence Of Ignorance, Karsten Wenzel, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    The Persistence Of Ignorance, Karsten Wenzel, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Detour To The Japanese Sector, Thomas Klingenstein, 1990<br /><br />日本地区への迂回路と描かれたアート。日本人アートによる作品と思ったら、旧東ドイツのアーティストで、反政府、反社会的なアートを描いて東ドイツの秘密警察シュタージュにも逮捕されたことのある。まだ、東ドイツ時代にミュンヘン、スペイン、サンフランシスコに住んでおり、そして日本にも長期に滞在しており、極東文化を独学で研究していたとのこと。<br /><br />東ドイツ出身のアーティストと知ると、俄然、興味が湧いてきた。どういう意味を込めているのだろう。開いた壁の向こうに日本がある。壁の向こうの日本に興味が持ち続け、西ドイツではなく日本に行きたいと思っていたのだろうか。<br /><br />Thomas Klingenstein<br />Born in 1961 in Berlin (East). 1979 high school diploma. Involved in the oppositional art- and cultural scene in Berlin and Dresden. In 1980 arrested by the Stasi. Published book of poems Der Tag will immer Morgen bleiben (Piper, Munich) under the name Thomas Erwin. In 1981 deportation to the Federal Republic of Germany, work scholarship awarded by the Cultural Senate of Berlin followed by move to Paris. After short periods of fashion- and textile drawing, autodidactic studies in Far-Eastern culture. Since 1985 concentration on painting as main artistic form of expression. In connection with this, adoption of name Klingenstein in 1986 (mother´s birth name). Has lived and worked in Munich, Spain and San Francisco, and frequently for longer periods in Japan from 1884 into the 90s. Based in Berlin since 1995.

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Detour To The Japanese Sector, Thomas Klingenstein, 1990

    日本地区への迂回路と描かれたアート。日本人アートによる作品と思ったら、旧東ドイツのアーティストで、反政府、反社会的なアートを描いて東ドイツの秘密警察シュタージュにも逮捕されたことのある。まだ、東ドイツ時代にミュンヘン、スペイン、サンフランシスコに住んでおり、そして日本にも長期に滞在しており、極東文化を独学で研究していたとのこと。

    東ドイツ出身のアーティストと知ると、俄然、興味が湧いてきた。どういう意味を込めているのだろう。開いた壁の向こうに日本がある。壁の向こうの日本に興味が持ち続け、西ドイツではなく日本に行きたいと思っていたのだろうか。

    Thomas Klingenstein
    Born in 1961 in Berlin (East). 1979 high school diploma. Involved in the oppositional art- and cultural scene in Berlin and Dresden. In 1980 arrested by the Stasi. Published book of poems Der Tag will immer Morgen bleiben (Piper, Munich) under the name Thomas Erwin. In 1981 deportation to the Federal Republic of Germany, work scholarship awarded by the Cultural Senate of Berlin followed by move to Paris. After short periods of fashion- and textile drawing, autodidactic studies in Far-Eastern culture. Since 1985 concentration on painting as main artistic form of expression. In connection with this, adoption of name Klingenstein in 1986 (mother´s birth name). Has lived and worked in Munich, Spain and San Francisco, and frequently for longer periods in Japan from 1884 into the 90s. Based in Berlin since 1995.

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Amour, Paix, Hervé Morlay (VR), Andreas Paulun, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Amour, Paix, Hervé Morlay (VR), Andreas Paulun, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Worlds People, Schamil Gimajew, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Worlds People, Schamil Gimajew, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Worlds People, Schamil Gimajew, 1990<br /><br />ここには扉が付けられています。

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Worlds People, Schamil Gimajew, 1990

    ここには扉が付けられています。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Thank You Andrej Sacharow, Dimitrij Vrubel, 1990<br />独「Danke, Andrej Sacharow」<br /><br />後で紹介するあの有名な兄弟のキスを描いたドミトリー・ヴルーベリ(Dmitri Vrúbel)の作品で、こちらは「ソ連水爆の父」と呼ばれたこともあるサハロフ博士。<br /><br />アンドレイ・ドミートリエヴィチ・サハロフ(露: Андре?й Дми?триевич Са?харов、1921年5月21日 - 1989年12月14日) は、ソビエト連邦の理論物理学者・政治家。物理学博士。<br />宇宙論や素粒子論において国際的な業績をあげた物理学者だが、ソ連において水素爆弾開発に携わり、「ソ連水爆の父」と呼ばれた。一方で、後に自らの良心に基づいて反体制運動家、人権活動家として、人権、市民的自由、そしてソ連の改革を主張するなど、後半生は政治的な言動が常に注目され続けた。1980年ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議したため、1月22日当局に連行され、レオニード・ブレジネフ最高会議幹部会議長命令によって一切の栄誉を剥奪され、ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)市に流刑された。流刑の身となったサハロフであったが、1986年ミハイル・ゴルバチョフからの電話によって流刑が解除され、モスクワに戻る。ソ連の改革を主張し、「ペレストロイカの父」とも呼ばれる。<br />(Wikiより)

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Thank You Andrej Sacharow, Dimitrij Vrubel, 1990
    独「Danke, Andrej Sacharow」

    後で紹介するあの有名な兄弟のキスを描いたドミトリー・ヴルーベリ(Dmitri Vrúbel)の作品で、こちらは「ソ連水爆の父」と呼ばれたこともあるサハロフ博士。

    アンドレイ・ドミートリエヴィチ・サハロフ(露: Андре?й Дми?триевич Са?харов、1921年5月21日 - 1989年12月14日) は、ソビエト連邦の理論物理学者・政治家。物理学博士。
    宇宙論や素粒子論において国際的な業績をあげた物理学者だが、ソ連において水素爆弾開発に携わり、「ソ連水爆の父」と呼ばれた。一方で、後に自らの良心に基づいて反体制運動家、人権活動家として、人権、市民的自由、そしてソ連の改革を主張するなど、後半生は政治的な言動が常に注目され続けた。1980年ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議したため、1月22日当局に連行され、レオニード・ブレジネフ最高会議幹部会議長命令によって一切の栄誉を剥奪され、ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)市に流刑された。流刑の身となったサハロフであったが、1986年ミハイル・ゴルバチョフからの電話によって流刑が解除され、モスクワに戻る。ソ連の改革を主張し、「ペレストロイカの父」とも呼ばれる。
    (Wikiより)

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Berlyn, Gerhard Lahr, 1990<br /><br />ニューヨーク、ベルリン、東京のYが繋がっている。ベルリンのスペルってyだっけ。

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Berlyn, Gerhard Lahr, 1990

    ニューヨーク、ベルリン、東京のYが繋がっている。ベルリンのスペルってyだっけ。

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Lets Growing, Rosemarie Schinzler, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Lets Growing, Rosemarie Schinzler, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Anything Open, Rosemarie Schinzler, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Anything Open, Rosemarie Schinzler, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Lord Help Me To Survive This Deadly Love, Dimitrij Vrubel, 1990<br /><br />一番、有名な絵にたどり着いた。<br />「神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え」<br />ロシア語: ?Господи! Помоги мне выжить среди этой смертной любви?; ドイツ語: Mein Gott, hilf mir, diese tödliche Liebe zu überleben)はドミトリー・ヴルーベリの作品で、ベルリンの壁に描かれたなかではおそらく最も有名なグラフィティ・アートである。兄弟のキス(ドイツ語: Bruderkuss)と呼ばれることもある。1990年の作品で、1979年に東ドイツ建国30周年記念を祝う記念式典の際に、東ドイツ首相ホーネッカーとソビエト連邦最高指導者ブレジネフが、挨拶した場面を撮影した写真をそのまま模写したもの。社会主義国の首脳による歓待の挨拶として男性同士の抱擁とキスは一般的であった。(wikiより)<br /><br />男同志のキスって!?

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Lord Help Me To Survive This Deadly Love, Dimitrij Vrubel, 1990

    一番、有名な絵にたどり着いた。
    「神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え」
    ロシア語: ?Господи! Помоги мне выжить среди этой смертной любви?; ドイツ語: Mein Gott, hilf mir, diese tödliche Liebe zu überleben)はドミトリー・ヴルーベリの作品で、ベルリンの壁に描かれたなかではおそらく最も有名なグラフィティ・アートである。兄弟のキス(ドイツ語: Bruderkuss)と呼ばれることもある。1990年の作品で、1979年に東ドイツ建国30周年記念を祝う記念式典の際に、東ドイツ首相ホーネッカーとソビエト連邦最高指導者ブレジネフが、挨拶した場面を撮影した写真をそのまま模写したもの。社会主義国の首脳による歓待の挨拶として男性同士の抱擁とキスは一般的であった。(wikiより)

    男同志のキスって!?

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Europes Spring, Catrin Resch, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Europes Spring, Catrin Resch, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Europes Spring, Catrin Resch, 1990<br />

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Europes Spring, Catrin Resch, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Europes Spring, Catrin Resch, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Europes Spring, Catrin Resch, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />You have learned, what means Freedom, André Sécrit, Karsten Thoms, 1990<br />

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    You have learned, what means Freedom, André Sécrit, Karsten Thoms, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />stencil art of boy and girl kissing under an umbrella<br /><br />さて、こちらのアートに込められたメッセージは何でしょう。傘の下でキスをするカップルに目が行きますが、その足元には苦しみに満ちた人々が。愛は人を盲目にし、人知れず誰かを傷つけている。幸せは不幸の上に成り立っている。ベルリンの壁とはあまり関係がない?<br /><br />

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    stencil art of boy and girl kissing under an umbrella

    さて、こちらのアートに込められたメッセージは何でしょう。傘の下でキスをするカップルに目が行きますが、その足元には苦しみに満ちた人々が。愛は人を盲目にし、人知れず誰かを傷つけている。幸せは不幸の上に成り立っている。ベルリンの壁とはあまり関係がない?

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />Pneumohumanoides, Jens-Helge Dahmen, 1990

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    Pneumohumanoides, Jens-Helge Dahmen, 1990

  • イースト サイド ギャラリー<br />East Side Gallery<br /><br />ホテルの壁にも面白いアートが。いや、ただの広告。<br /><br />ちなみにこの辺りに、東西冷戦時代の国境超えの際に押されたスタンプを押してくれる人がいる(有料。結構、高い。)見ていたのだが、実際のパスポートを渡すと、複数のスタンプを説明しながら、押していた。一体、いくつのスタンプを押したのやら。

    イースト サイド ギャラリー
    East Side Gallery

    ホテルの壁にも面白いアートが。いや、ただの広告。

    ちなみにこの辺りに、東西冷戦時代の国境超えの際に押されたスタンプを押してくれる人がいる(有料。結構、高い。)見ていたのだが、実際のパスポートを渡すと、複数のスタンプを説明しながら、押していた。一体、いくつのスタンプを押したのやら。

  • Oberbaum Bridge<br />Oberbaumbrücke

    Oberbaum Bridge
    Oberbaumbrücke

  • Oberbaum Bridge<br />Oberbaumbrücke<br /><br />さて、イーストサイドギャラリーもおしまい。ベルリン=ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(S+U Warschauer Str. (Berlin))へ。Sバーンの駅を1駅分歩いたことになる。ちなみに、S+Uとあるのは、ここにはSバーンとUバーンの両方の駅があることを示す。Sバーンに乗って戻る方向、Hackescher Marktへ。博物館島へ向かいます。

    Oberbaum Bridge
    Oberbaumbrücke

    さて、イーストサイドギャラリーもおしまい。ベルリン=ヴァルシャウアー・シュトラーセ駅(S+U Warschauer Str. (Berlin))へ。Sバーンの駅を1駅分歩いたことになる。ちなみに、S+Uとあるのは、ここにはSバーンとUバーンの両方の駅があることを示す。Sバーンに乗って戻る方向、Hackescher Marktへ。博物館島へ向かいます。

  • 再び、シュプレー川沿い、ベルリン大聖堂の見える場所へ。

    再び、シュプレー川沿い、ベルリン大聖堂の見える場所へ。

  • 旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)の横を通り、ペルガモン博物館<br />(Pergamonmuseum)を目指します。改装工事中で入り口がわかりづらかった。<br />

    旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)の横を通り、ペルガモン博物館
    (Pergamonmuseum)を目指します。改装工事中で入り口がわかりづらかった。

  • ペルガモン博物館<br />Pergamonmuseum<br /><br />バビロニアの「イシュタール門」(紀元前560年頃)バビロニアの古都バビロンの中央北入口の門を飾っていた装飾が博物館内に再構築されている。青い地の彩釉煉瓦でおおわれた壁面には牡牛やシリシュ(獣の体に鳥のような足、蛇のような首をもった、創造上の動物)を表している。(Wikiより)

    ペルガモン博物館
    Pergamonmuseum

    バビロニアの「イシュタール門」(紀元前560年頃)バビロニアの古都バビロンの中央北入口の門を飾っていた装飾が博物館内に再構築されている。青い地の彩釉煉瓦でおおわれた壁面には牡牛やシリシュ(獣の体に鳥のような足、蛇のような首をもった、創造上の動物)を表している。(Wikiより)

    ペルガモン博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ペルガモン博物館<br />Pergamonmuseum<br /><br />エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」

    ペルガモン博物館
    Pergamonmuseum

    エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」

  • ペルガモン博物館<br />Pergamonmuseum<br /><br />エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」

    ペルガモン博物館
    Pergamonmuseum

    エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」

  • ペルガモン博物館<br />Pergamonmuseum<br /><br />エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」<br />ローマ時代のモザイク。

    ペルガモン博物館
    Pergamonmuseum

    エーゲ海の古代都市ミレトゥスにあった「ミレトゥスの市場門」
    ローマ時代のモザイク。

  • ペルガモン博物館<br />Pergamonmuseum<br /><br />ムシャッタ宮殿 (Mshatta facade) は現在のヨルダンに存在したウマイヤ朝時代の宮殿。ウマイヤ朝が滅亡した750年には未完成だったとされ、ウマイヤ朝が滅亡されるとともに建設工事は中断され、宮殿は放棄された。あまりにも壮大で豪華な宮殿であったため、ウマイヤ朝衰退の一因になったと言われる。<br />華麗な宮殿の装飾は剥がされてヨルダン国外に持ち出されており、ベルリンのペルガモン博物館にこの宮殿の入り口部分が再建されている。(Wikiより)

    ペルガモン博物館
    Pergamonmuseum

    ムシャッタ宮殿 (Mshatta facade) は現在のヨルダンに存在したウマイヤ朝時代の宮殿。ウマイヤ朝が滅亡した750年には未完成だったとされ、ウマイヤ朝が滅亡されるとともに建設工事は中断され、宮殿は放棄された。あまりにも壮大で豪華な宮殿であったため、ウマイヤ朝衰退の一因になったと言われる。
    華麗な宮殿の装飾は剥がされてヨルダン国外に持ち出されており、ベルリンのペルガモン博物館にこの宮殿の入り口部分が再建されている。(Wikiより)

  • 実は、博物館の名前にもなっている「ペルガモンの大祭壇」は工事中の為、見ることができず。。。

    実は、博物館の名前にもなっている「ペルガモンの大祭壇」は工事中の為、見ることができず。。。

  • 駅前の店でケバブを注文。<br />大体、こんな感じでバンズに具が納まっていないのを、一回、ぎゅっと押さえて、平べったくしてから、両手で押さえて、頬張ります。食べている途中でバンズから手を放せない。

    駅前の店でケバブを注文。
    大体、こんな感じでバンズに具が納まっていないのを、一回、ぎゅっと押さえて、平べったくしてから、両手で押さえて、頬張ります。食べている途中でバンズから手を放せない。

  • 駅前にいた、すこし、懐かしい感じのするパフォーマー。

    駅前にいた、すこし、懐かしい感じのするパフォーマー。

  • Hackescher Markt<br /><br />少しレトロな感じの駅舎。

    Hackescher Markt

    少しレトロな感じの駅舎。

  • ベルリン中央駅<br />Berlin Hauptbahnhof<br /><br />預けた荷物を取りに戻ります。ここからはテゲル空港まではバスを使います。バス停は駅の北側に。

    ベルリン中央駅
    Berlin Hauptbahnhof

    預けた荷物を取りに戻ります。ここからはテゲル空港まではバスを使います。バス停は駅の北側に。

    ベルリン中央駅

  • ベルリン・テゲル空港<br />Flughafen Berlin-Tegel<br /><br />バスで空港に到着。<br />テゲル空港はベルリンの壁の建設より早く1948年にかけておきた「ベルリン封鎖」、つまり、東ドイツによる西ベルリンの兵糧攻め作戦の際に西側諸国からの援助物資を受け入れるためにわずか49日で滑走路が建設された。テーゲル空港には当時ヨーロッパ最長の2400mの滑走路が建設され、約2年間に27万回の物資空輸が行われた。<br /> この空港が他の空港と異なるところは、(EruowingsやEasyJET専用のサテライトターミナルを除いて)六角形をしており、各ゲートの直前にセキュリティゲートがある。<br /><br />今回の締めのビールは、ミュンヘンのアウグスティーナ・ブロイ (Augustiner Bräu) のへレスHelles。後ろにあるビアバーのメニューの一番上のもの。Helles vom Fass(へレス フォム ファス)。直訳すると「樽から」、つまり、生ビール。瓶ビールは、Flasche(フラッシェ)。<br /><br />この旅行記、ビールの紹介多いなあ。5月なのに晴天で暑かったから。

    ベルリン・テゲル空港
    Flughafen Berlin-Tegel

    バスで空港に到着。
    テゲル空港はベルリンの壁の建設より早く1948年にかけておきた「ベルリン封鎖」、つまり、東ドイツによる西ベルリンの兵糧攻め作戦の際に西側諸国からの援助物資を受け入れるためにわずか49日で滑走路が建設された。テーゲル空港には当時ヨーロッパ最長の2400mの滑走路が建設され、約2年間に27万回の物資空輸が行われた。
     この空港が他の空港と異なるところは、(EruowingsやEasyJET専用のサテライトターミナルを除いて)六角形をしており、各ゲートの直前にセキュリティゲートがある。

    今回の締めのビールは、ミュンヘンのアウグスティーナ・ブロイ (Augustiner Bräu) のへレスHelles。後ろにあるビアバーのメニューの一番上のもの。Helles vom Fass(へレス フォム ファス)。直訳すると「樽から」、つまり、生ビール。瓶ビールは、Flasche(フラッシェ)。

    この旅行記、ビールの紹介多いなあ。5月なのに晴天で暑かったから。

    ベルリン テーゲル国際空港 (TXL) 空港

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