2019/08/23 - 2019/08/23
17位(同エリア42件中)
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Tomさん
2019年8月20日(千歳発)~9月7日(千歳着)の間、スコットランドとイングランドを旅行したときの記録です。
この頁はエジンバラからレンタカーでスコットランドを8日間周遊したときの初日をレポートします。
AirLink 100 のバス停「エジンバラ動物園」前にある Enterprise Rent-A-Car Edinburgh Corstophine で乗用車を借り受けて、スコットランド女王メアリーの生誕地リンリスゴー等を経由してスターリング城とウォレス記念塔を訪問した後、スターリング大学が経営している(と思われる)ホテルまでの行動記録です。
表紙写真はリンリスゴー宮殿です。今は廃墟ですが、スコットランド女王メアリーやその父ジェームズ5世が生まれた場所で、時期によっては訪問者が多く訪れるようです。私たちは自動車で行きましたがエジンバラ駅からリンリスゴー駅まで列車で約1時間、そこから徒歩10分で行けそうです。
PCクラッシュ後の復元画像等を使用しているため、肝心の画像が掲載できなかったり、画質が悪いもの、クリックしても大きく表示されないものがあると思います。
別なところに動画を置いています。 https://drive.google.com/file/d/1tpr9HDKwJ7DHCRRqikSVDlGZghXAUsAG/view?usp=sharing
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月23日の予定ルート。
エジンバラ空港近くから高速道路に乗ったが、案内標識を見逃したりラウンド・アバウトの出口を間違ったりで、要領を掴むのに手間取ってしまった。なので予定では地図上B地点のブラックネス城に先に行く予定がC地点のリンリスゴー宮殿が先になったり、E地点のバンノックバーンに行かなかったりで先が思いやられる出だしとなってしまった。 -
予約しておいたコンパクト・カー。
韓国製のヒュンダイで車名は失念。カーナビは予約せず、日本から持ち込んだタブレットを使用してグーグル地図や地図アプリ MAPS.MEを利用。ただしラウンド・アバウトの出口を音声で指示してくれるが、目的地への案内表示もしっかり見る必要がある。普通道路で間違えてもすぐ進路変更できるが、高速道路で間違えると・・・。ということで助手席に乗っていてもボーッとしていてはいけない(笑)。
因みにレンタカー会社は Enterprise Rent-A-Car で、イギリス各地に営業所がある。ネットでの評判が良く、8月31日ヒースロー空港の営業所からも2日間借りたが、評判通りであった。 -
リンリスゴー宮殿に到着。駐車場は入り口近くにあるが、20台のスペースがあるかどうかといったところ。幸運にも入り口の真ん前に駐車できた。
ヒストリック・スコットランド・エクスプローラー・パスを使っての入場。
案内板で宮殿の外観を把握する。訪問者は南に面した入口から入る。リンリスゴー宮殿 城・宮殿
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中庭に出る。正面に見えているのは北側区画(North Quarter)。
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中庭の中心に位置する噴水。
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チャペルへ(礼拝堂)の控えの間だったらしい。
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同じく控えの間だったと記憶。
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ここがチャペル跡。1500年代初頭にジェームズ4世によって造られた。
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当時のチャペル内の様子。
重要な宗教的行事の際にはスターリング城のチャペルから儀式に使う物品を携えてここに関係者がやってきた。 -
控えの間付近の塔から北側を望む。
正面がマーガレット王妃の東屋(Queen Margaret's Bower)で、そこまで登ることができる。
その手前にあるのが西側区画のロイヤル・アパートメント跡。屋根が残っていない。 -
塔を降りて中庭からロイヤル・アパートメントの一角へ。かつては複層だったが。各階の床や屋根が残っていないので青天井の状態である。
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ここは地上階(ground floor)だが、この上の階でジェームズ5世、スコットランド女王メアリーが生まれた。
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多分、この部屋で女王メアリーがお披露目されたのだろう。誕生後すぐにイングランドからヘンリー8世の息子、エドワード(後のエドワード6世)との縁談が持ち上がったようだ。しかし、それをうやむやにしつつ生後7か月でメアリーはスターリング城へ行くことになる。
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マーガレット王妃の東屋に上る途中にある北側区画の一部。
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同じものを更に上から見た写真。
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そろそろマーガレット王妃の東屋付近に。右下部分がロイヤル・アパートメント。
正面が南側区画のチャペルなどがあった部分。 -
マーガレット王妃の東屋から北東方面を望む。左側にリンリスゴー湖(Linlithgow Loch)が見える。
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東側区画と噴水が見える中庭。下に小さく見える空洞のようなものは昔の正式な入り口。東区画はジェームズ1世(在位 1406-37)が造ったもの。入り口の上階には大ホール跡がある。中庭から大ホールへは木製の階段で入り口左上に見える大きな開口部から入った。
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南側区画。下に小さく中庭への入り口が見える。観光客はここから入るようになっている。2階から上はチャペル及び控えの間跡。中庭側はチャペルと隔てられており、チャペルに沿った廊下のような造りになっている。そこには宮殿に関する各種遺物や資料が展示されている。
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西側区画。マーガレット王妃の東屋から見るロイヤル・アパートメント跡。
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中庭。左上は大ホールの下にあるかつての正式な入り口。その両側には牢獄があった。
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東側区画にある宮廷キッチン(The Court Kitchen)跡。隣の大ホールでの饗宴のための施設。
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大ホール跡。人が見える辺りの下にかつての正式な入り口があった。この大ホールでは饗宴はもちろんのこと、クリスマスやイースターを祝う宴が行われた。正面奥に3連の暖炉が見え、その前には王の食卓等が置かれた。
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同じく大ホール跡。右下に中庭からの入り口跡が口を開いている。
1585年ジェームズ6世(1603年にジームズ1世としてイングランド王に即位する前)がここで、エジンバラで流行したペストを避けてスコットランド議会を開催した。 -
ジェームズ4世及び5世時代の饗宴の様子。タペストリーや歴代王の彫像などで豪華に飾られた様子が描かれている。
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リンリスゴー宮殿遠望。次のブラックネス城からスターリングに向かう途中で撮ったもので撮影順を無視してここに掲載。
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次に向かったのがブラックネス城。
1440年代、スコットランドの氏族間紛争が激しかった頃ジョージ・クライトンによって造られた。1454年にジェームズ2世が没収し、数世紀の間要塞や弾薬庫として、また牢獄として使用された。
海から見ると岩礁に乗り上げた船のように見えることから "The Ship That Never Sailed" と呼ばれている。芝生と海に囲まれた部分(画像の上の方)が城で、他は入場券売り場、そしてお土産屋やトイレ等。 -
入場券売り場を背にして城を撮影。正面に見えるのが船尾(Stern)と呼ばれる部分。船尾の左側の半地下に行くような小さな開口部が入り口になっている。
ここもヒストリック・スコットランド・エクスプローラー・パスを使っての入場。
この周辺に駐車場はあるが、一般車が10台程度のスペースしかない。 -
入り口を入るとこんな表示が。日本の城と同じように敵の侵入を防ぐしかけがある。スコットランドに残っている3つのカポニエ(側方射撃壕)の1つがここにあると書かれている。
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中に入ると中庭のような所に出る。庭といっても土や芝生の庭でなく、このように岩がむき出しになっている。
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この辺りはいくらか平坦な部分である。この塔は海から見ると艦橋やマストに見えるらしい。
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牢獄として使われた塔の構造。囚人の身分(status)によって収監される階が違っている。
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海側への出入口を出て集落方面を撮影。
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外に出て昔の入り口(今はふさがれている)側を撮影。
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ボートクラブ付近の駐車場から城を撮影。駐車場のキャパは20台弱か。
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次の訪問はスターリング城。入場口前にある駐車場に駐車できないかもしれないと思っていたが、運よくスペースを見つけることができた。午後2時頃の到着だったので城を去る車と入れ替えのような格好でラッキーだった。
駐車場からロイヤル・パレスや大ホールの上部が見える。 -
入り口前のロバート・ブルース(ロバート1世、在位 1306-29)の像。スコットランド独立戦争の英雄。議会を最初に創設した人物でもある。
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入ったところにあった案内板。
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大ホール。
ジェームズ4世(在位 1488-1513)によって1503年に完成した。出来上がった当時はスコットランドで最も大きなホールであった。国の行事、宮廷での祝い事等で使われた。スターリング城 城・宮殿
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外庭(Outer Close)。
端には北東に向けられた大砲がみえる。グランド砲台(Grand Battery)とも呼ばれている。 -
これが宮殿部分。ジェームズ5世(在位 1513-42)によって手掛けられたが彼の死後に完成した。イギリスにおける初期ルネサンス建築の傑作と評価されている。
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ライオンの巣(Lion's Den)。
ジェームズ5世が王権の象徴としてここでライオンを飼っていたらしい。 -
王の外ホール(The King's Outer Hall)。
限られた人々しかここに入ることが許されなかった。ここで王の謁見あるいは更に奥の部屋への入室許可を待つ部屋として使われた。 -
王の内ホール(The King's Inner Hall)。暖炉の上にはスコットランド王家の紋章が掲げられている。これら2つのホールにはジェームズ5世の死後家具が置かれていない。
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天井にはスターリング・ヘッド(The Stirling Heads)と呼ばれるレリーフが飾られている。色が鮮やかなのはレプリカだから。1539年にジェームズ5世が作るよう指示したもの。
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スターリング・ヘッドはジェームズ5世が周囲に示したいと思うものをレリーフにしたもの。それは自分を含めた王室の正当性、高位の友人たち、古代の指導者たち、出来事や衣装、ヘラクレス、愛と結婚などを象徴しているとされる。
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別な場所に展示されているオリジナルのスターリング・ヘッド。出来上がった当時の色がなくなっている。1777年に天井の装飾が剥げ落ち始めたので、外して保管してきたもの。
これはジェームズ5世の母であるマーガレット・チュダーのレリーフ。彼女はイングランド王ヘンリー8世の長姉。 -
王の寝室(The King's Bedchambar)。
ここでは、内ホールよりも更に親密で繊細・微妙な話を特別に許された外部からの訪問者たちとした。
王は普段、この部屋の隣にある小さな部屋(Closet)で寝ていた。 -
王の寝室。
暖炉の上にはスコットランドの紋章によく見られるユニコーンが。
暖炉の隣のドアが、王が普段寝る部屋への入り口だと推測(開放されてはいないようだ)。 -
王の寝台。
1542年のジェームズ5世の死を受けて、それ以来寝具が取り外されている。 -
寝室の天井。
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女王の寝台。
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女王の寝台が置かれている女王の寝室。
当時の衣装を着た女性が説明をしていた。
王の寝室とはドアでつながっている。 -
女王の内ホール(The Queen's Inner Hall)。
王の内ホールと同様、ごく限られた人々が入室を許された。
王のそれよりも豪華。 -
女王の外ホール(The Queen's Outer Hall)。
内ホールで女王の謁見に臨むための待合室として機能していた。 -
中庭(The Inner Close)。
古くから城の中心となってきた部分だが、この写真に見えている現存しているものは大ホールとチャペル・ロイヤルのみ。
中庭の宮殿側から撮影。 -
この付近はプリンス・タワー(Prince's Tower)と呼ばれている部分で、王子・王女たちがここで養育され教育された。前方へ進むとプリンス・ウォーク(The Prince's Walk)へと出る。ここで過ごした人物としてはジェームズ6世(イングランド王ジェームズ1世)とその子ヘンリーが有名。
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プリンス・ウォークの壁。
ジェームズ6世は1歳の誕生日を迎える前に母親であるメアリー女王と離れなければならず、1歳1か月の時にスコットランド王に即位した。王として実力を発揮するまではこの辺りに軟禁状態に置かれたのだろう。 -
壁に配置されている彫像は、美の女神ヴィーナス、時間と農業の神サターン、悪魔等とされているが、どれがどれとはじっくり確認できなかった。
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プリンス・ウォークの端の階段を降りると見える The Queen Anne Garden の一部。
1400年頃から造られ、1628年前後にはボーリング場に換えられたこともあった。 -
さて、この庭はイングランドのステュアート王朝最後の君主アン女王(1665-1714)の名を冠している。庭自体は15世紀初頭に造られたが、ジャコバイトの抵抗・反乱やフランス軍の侵攻に備えるため女王はスターリング城の防御強化を命じた。その改修の対象がこの庭の隣の建物等だったため、1700年代初頭に庭に彼女の名前がつけられた。アン女王がこの庭を訪れたことは一度もない。
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庭からスターリング城を見る。
建物の左が The Prince's Tower、その左に The Prince's Walk と彫像が置かれている壁。黄色く見える建物が大ホール。
そして手前が The Queen Anne Garden。 -
さて、次に向かったのがウィリアム・ウォレス記念塔。
この写真は帰る直前にに一方通行の出口側から撮ったもので、乗用車の入り口及び駐車場は左側奥にある。ウォリス モニュメント モニュメント・記念碑
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麓から塔を眺めたところ。
ウィリアム・ウォレスは一連のスコットランド独立戦争で活躍した人物で、ロバート・ブルースよりは4歳年長。しかし出自の違いにより、ロバートらの上級貴族からは軽蔑されており、裏切られることもあった。 -
麓から塔の真下まで無料のシャトルバスが運航されている。
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シャトルバスのルートは赤線のとおり。
還暦をとうに過ぎた身では徒歩が辛いので有難くバスに乗ることに。 -
バスを降りた所から塔を見上げる。
1869年にウォレスを記念して完成したもの。
ウォレスはその当時、国民や国家という意識を持っていなかったスコットランドの人々をイングランドへの対抗勢力として1つにまとめたと評価されている。
しかし、スコットランド上級貴族の裏切りによりイングランドに捕らえられた。そして1305年ロンドンで死刑判決を受け残虐な方法で処刑された。 -
塔の内部の様子。
入場締め切り時間が迫っていたので地階の入場券売り場周辺のお土産小物を見るだけに。 -
バスを降りた辺りからスターリング大学キャンパスがある北を望む。
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南東方向にはスターリング城。
ここウォレス記念塔に車で来る途中、ウォレスがイングランド軍を破った古戦場オールド・スターリング・ブリッジがあるのだが割愛した。 -
本日の宿、スターリング・コート・ホテル。
1泊£80。スターリング コート ホテル ホテル
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枕元のランプの腕がぐらついていたが、ご愛敬。
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バリアフリーの広いバスルーム(バスタブなし)。
大学に敷地内にあって、外部からの高齢の教授等も利用するのでこんな具合になっているのでしょう。
この後はホテル内で夕食を摂って就寝。
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