2020/02/28 - 2020/02/28
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belleduneさん
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筑波山の男体山と女体山を御神体とする筑波山神社へお参りし、建物を見てきました。
創建は不詳ですが、奈良時代の「万葉集」に筑波の歌二十五種が載っていたり、筑波山は常陸国を代表する山であったと思われています。奈良時代末期から平安時代初期頃には、法相宗僧の徳一が筑波山寺、筑波山知足院中禅寺を開きました。以来、神仏習合が進んで、筑波山は修験道の道場になっていきます。この時代には「筑波両大権現」とも言われています。
『常陸国風土記』に、筑波山は、男体山・女体山からなる双耳峰で、西峰(男体山)は険しく、神の峰として登山を禁じられていたと記されています。一方、東峰(女体山)は険しいながら、一年を通して泉が流れ、春秋には男女が集い、歌垣が行われていたそうです。このように、男体山は禁足地、女体山は開放地とされていて、風土記編纂当時には、其々性格が異なっていました。祭祀遺物が女体山付近に7世紀から12世紀にかけて、多数発見されています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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拝殿は明治八年(1875)に中禅寺跡地に造営されてもの。そのため、「元来の「筑波山神社」とは「男体山頂祠・女体山頂祠」のことを指しています。創建時期は不明ですが、つくば市臼井の六所神社跡(現在廢社)が両祠の里宮だったそうです。
中禅寺の本堂(大御堂)があった場所で、拝殿前には礎石が残って下り、中禅寺の寺勢を示すものとなっています。 -
拝殿前に置かれていた「さざれ石」
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拝殿は、入母屋造で、正、背面中央軒唐波風割拝殿形式。間口六間、奥行二間。
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拝殿前左手の狛犬
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寺社建築の細部は同じような写真が続きます。
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ここでも、鈴を鳴らせないように紐が外してありますね。
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軒下の構造
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明治以前には、中禅寺の本堂(大御堂)が建っていましたが、神仏分離で大御堂が配され、後にこの拝殿の南西方に真言宗豊山派大御堂教会の大御堂として再建されました。
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拝殿右手の狛犬
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丸葉楠はクスノキの変種で、葉が著しく丸く、この木を元に、牧野富太郎博士(1862~1957)が命名されました。昭和十五年『実際園芸』26巻11号に発表されました。新種として発表する元になったこの木を「タイブツリー」と呼んでいます。葉の比較(はの幅に対する葉の長さ)は、普通のクスノキは、2~2,5倍であるのに対し、マルバクスは1,3~1,6倍となっています。
世界的植物学者・牧野博士は日本の植物分類学の父と言われ、生涯604種の新種を発見し、自らを「草木の精」と称したそうです。 -
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拝殿の側面屋根部分
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中禅寺の鎮守社として建てらた春日神社・日枝神社・厳島神社が筑波山神社の末社として残っています。江戸時代初期、寛永十年に家光公により、創建されました。御祭神は、日枝神社に大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)、春日神社には、武甕槌神(たけみかずちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)、天兒屋根神(あめのこやねのかみ)、比売神(ひめがみ)が祀られています。
両本殿は、三間社流造、間口二間、奥行二間。割拝殿形。 -
赤宮の拝殿には恵比寿神が祀られています。
向拝中央の蟇股には、春日神社が鹿の彫物、日枝神社が猿の彫物が施されています。その他、彩色模様や木鼻の絵様繰形が見られます。 -
前面の蟇股には、鴛鴦(おしどり)の雄と水葵が施されているのですが、ここからではよく見えませんでした。
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向拝の正面屋根下
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内部は、中央一間通りを板間となっていて、その両側に二本溝の敷居と鴨居がついており、当時は格子戸の引き違い戸になっていたと考えられるそうです。
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赤宮側の大杉
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赤宮側面
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背面に回ります。
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この写真の建物奥に見えるのが、春日神社向拝背面です。
春日・日枝神社の拝殿は、両本殿の中心線の建っているそうです。正、背面中央に軒唐破風が見られます。柱間には全て半蔀となっていて、中央一間は、正、背面に透半蔀となっています。
背面の蟇股には、鴛鴦(おしどり)の雌の彫物が施されていますが、よく見えませんでした。 -
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境内にある末社の厳島神社は、家光公により赤宮と共に創建されました。紫峰御鎮座
御祭神は市杵島姫命。 -
境内から随神門
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随神門は、家光公により寛永十年(1633)に寄進されましたが、宝暦四年(1754)に焼失しています。再建後の明和四年(1767)に再度焼失。現在の楼門は、文化八年(1811)の再建です。神仏習合寺には、「仁王門」として仁王像(金剛力士像)を安置していましたが、神仏分離後に「随神門」となりました。仁王像は、神仏分離後、桜川から筏で、つくば市松塚の東福寺に運ばれたそうです。
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石段下から見上げた拝殿の景色
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随身門は、八脚楼門で、間口五間、奥行三間。
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随神門の右には豊城入彦神の随神像が安置されていましたが、逆光でしたので、写真は撮りませんでした。
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随神門の左には、倭建命の随神像が安置してあります。
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随神門側面
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楼門側に立つ大杉
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隋神門脇の大杉は、周が9,7m、高さ32m、樹齢約800年だそうです。
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御神橋
切妻造杮葺屋根で間口一間、奥行き四間。天正(1590)、徳川家康公が江戸城に入場され、筑波山を仰いで、江戸城鎮座の霊山と崇めたと言われています。寛永十年(1633)3代家光公が寄進、元禄十五年(1702)5代綱吉公が回収し、安土桃山時代の豪壮な遺風が見られます。春秋の御座替祭と年越祭の際に参拝者の渡橋が許されるそうです。 -
側面
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鳥居から見た拝殿方向
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