2020/02/07 - 2020/02/07
20位(同エリア339件中)
ローマ人さん
仕事の用事で霞が関まで行ってきました。
1月25日に、用事のついでに虎の門に立ち寄った際に、30年位前に虎の門で江戸城外堀の遺構をまだ小さかった子供と一緒に見た記憶がよみがえりました。
その時は先を急いでいたので、遺構の場所を探すことはしなかったのですが、
霞が関まで来たついでに行ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
始まりはいつも通りに、東京メトロ霞ヶ関駅A1出口。
裁判所最寄りの出口です。 -
裁判所の生け垣が道路に張り出しているのが気に入らない人がいるようです。
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今日は珍しく裁判所の塀に看板が掛けられていません。
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以前に裁判所の塀の掛けられていた看板は、道路に置かれていました。
塀に掛けることが禁止されたので、こんな状態になったのでしょう。 -
裁判所です。
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裁判所の前からの警視庁の眺め。
写真奥が桜田門方向です。 -
桜田門です。
警視庁の前を通る桜田通通りを警備警備する機動隊員の姿が目立ちました。
こんな厳重警備を目にしたのは初めてです。 -
こちらは裁判所隣の法務省旧本館赤レンガ棟です。
赤レンガ棟の後ろ左の建物が法務省で、右側の高い建物が裁判所が入る建物です。 -
これまで気が付かなかった石碑を見つけました。
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この場所には。かつて米沢藩(山形県)上杉家の江戸藩邸があったのだそうです。
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周囲を散策します。
桜田門の手前で右折して晴海通り沿いに歩いていきます。
法務省、最高検察庁、弁護士会館、裁判所などと同じ区画に建物がありました。
この建物は何でしょうか。 -
法曹会館でした。
法律研究の任意団体の「法曹会」が運営する施設で、宴会場などがあるそうです。 -
晴海通りを日比谷に向かってさらに進みます。
正面に見えてきた白いビル(写真右側)が第一生命日比谷本店です。
この場所にあった旧ビルは、第二次世界大戦後にアメリカ占領軍に接収され、1952年(昭和27年)7月に返還されるまで連合国最高司令官総司令部として使用されていました。
占領軍総司令官のマッカーサーが執務していたということで有名です。
東京の中心で、皇居にも霞が関官庁街にも近い場所ですので、占領軍がここに総司令部を置いたのも頷けます。 -
晴海通り祝田橋交差点の皇居方向です。
写真奥には、丸の内のビル群が見えます。 -
こちらは日比谷公園の祝田門です。
住所は日比谷公園1丁目です。 -
日比谷公園の祝田門の前からの眺め。
法務省旧本館赤レンガ棟の奥に警視庁が見えます。
左側に見える大きな建物には最高検察庁が入居しています。 -
周辺の地図です。
見ずらいかもしれませんが、地図の中央やや左の赤いところが現在位置です。 -
赤レンガ棟に戻ってきました。
何度見ても趣のある建物です。
桜田通を通って虎ノ門に向かいます。 -
裁判所を通り過ごして、進行方向左側に見えてきたのが農林水産省です。
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農林水産物の展示会やプロモーションがされていました。
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外務省(右側)と財務省(左側)に挟まれた道路は、機動隊で厳重に警備されていました。
道路の奥右側に国会議事堂が見えています。 -
警備が厳重なのは、このせいかもしれませんね。
農林水産省横の道路です。
この道路をまっすぐ進むと東京電力の本社があります。 -
農林水産省と道路を挟んで隣にあるのが経済産業省です。
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原子力行政を管轄する経済産業省の前の道路には、脱原発を主張する「テント広場」メンバーがいました。
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掲載産業省と桜田通りを挟んで反対側に財務省があります。
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玄関は、歴史を感じさせられる重厚さがあります。
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霞が関官庁街のマップです。
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進行方向右側に見えてきたのが文部科学省です。
この写真を撮っている辺りに、かつて江戸城の虎御門があり、門から入って真っ直ぐ進むと桜田門に至ったようです。 -
桜田通りを横断してきました。
写真は、財務省の建物です。 -
下から見上げた文部科学省です。
旧ビルと新設された高層ビルがうまく調和しています。 -
文部科学省の前では、朝鮮学校教育費無償化除外に抗議するデモが行われていました。
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文部科学省を通り過ぎた所に江戸城外堀の遺構が保存されています。
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正面の建物が霞が関ビルです。
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この場所はかつては濠の中だったのです。
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石垣のアップ。
見ずらいかもしれませんが、石垣の石には羽根の形をした目印がつけられています。 -
地下からも遺構を見ることが出来ます。
地上から下りる階段が近くにあるのですが、東京メトロからの道順をお伝えします。
東京メトロ虎ノ門駅11出口を目指して進みます。 -
すると左側に階段が見えてきます。
この階段を上がると江戸城外堀遺構の地下展示室です。
階段右のエレベーターで行くこともできます。
エレベーターの右側の階段を上がると、直接地上に出ることもできます。 -
ここが江戸城外堀遺構の地下展示室です。
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仕切りのガラスがない窓から石垣の遺構を見ることが出来るようになっています。
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長さ20m、高さ7.4mが保存されているそうです。
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窓から見ると石垣が間近に迫ってきます。
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右側です。
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黒色をした腰壁の上部が、濠の水面の高さだそうです。
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かつての水面の位置から見上げています。
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説明のボードがあります。
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光って見ずらいですが、「江戸城外堀普請(土木工事)の技術」という表題のパネルです。
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石垣に使用する石材は、伊豆半島から運んできたようです。
地図の緑の部分から石材が採取されたようです。 -
*2019年6月の写真
伊豆急線の伊豆稲取駅前に、江戸城の石垣にするために石材を切り出し・運搬した様子が展示されていました。
江戸城外堀の石垣には、ここから運ばれた石材が使われたのかもしれません。 -
外堀は江戸城の防御のための重要施設だったので、工事には当時の土木工事の先端技術が使われていたそうです。
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「江戸城外堀と現代の東京」のパネルです。
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この図は、江戸城の痕跡や江戸の町割りを現代の街区と重ね合わせたものだそうです。
現在では、外堀の一部が埋め立てられているので、皇居部分がかつての江戸城だったと思いがちですが、築城当時はかなりの大きさがあったのですね。
赤の矢印付近が虎の門です。 -
外堀の明治初期の様子です。
左が「溜池」付近です。
今の首相官邸辺りですが、現在では地名や駅名としては残っているものの、その面影は全くありません。
右が「虎ノ門」付近です。
外堀は埋め立てられて、外堀通りになっています。 -
江戸城は、1604年(慶弔9年)から1636年(寛永13年)にかけて作られた、禁制最大の城郭です。
中でも外堀は築城の採集にあたる大工事で、これによって城下町を取り囲む延長約14㎞の惣構が完成します。
明治維新後は、外堀は防御施設の役割を終えて一部は埋められていきますが、今も道路や鉄道網など都市の骨格として利用されています。 -
「江戸城外堀普請と虎ノ門」のパネルです。
青い部分が、かつての江戸城外堀の濠部分です。
白色と黒色の矢印は後で書き加えたものです。
白の矢印が現在位置です。
黒の矢印は江戸城外堀の石垣の角の部分です。 -
3枚の写真の左端が、上の写真の黒矢印の部分です。
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別の日に撮った写真です。
周囲をコンクリートで固められてはいるものの、外堀通りを挟んで反対側にある「虎の門三井ビルディング」の建物の前にその姿を見ることが出来ます。
ということは、「虎の門三井ビルディング」は、かつての外堀の濠の上に建っているんですね。
石垣が角になっているのがはっきりわかります。 -
江戸城築城は、「御手伝普請」といって大名に材料から労働力までを負担させる工事で、外堀の構築には100家を超える大名が、その石高に応じて工事区域を分担していたそうです。
石の表面に付けられた刻印の違いなどから大名の分担区域が判るのだそうです。 -
外堀の石垣に使用されたものと同じ石材も展示されていました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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