2019/12/28 - 2020/01/04
7位(同エリア8件中)
なかさん
終日、ボーパール郊外の観光。
12月28日(土) 空路でインドのムンバイへ。
12月29日(日) ムンバイ市内観光後、エレファンタ島の石窟群を見学。空路でアウランガーバードへ。
12月30日(月) アウランガーバード郊外の観光後、エローラ石窟寺院群見学。
12月31日(火) 終日、アジャンタ石窟寺院群見学。
1月1日(水) アウランガーバード市内観光後、ブシャワールへ。着後、列車にてボパールへ。
1月2日(木) ボパール郊外、ビーマベトカ(ビンベトカ)の岩壁画、サンチー遺跡の見学。
1月3日(金) 空路でデリーへ。国立博物館見学。
1月4日(土) 空路で帰国の途へ。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ボーパールで泊まったホテル、「ジャハン・ヌマ・パレス」。
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泊まった部屋。
朝、8時半にホテルを出発。今日は、終日、ボーパール郊外の観光。 -
ボーパールも、アウランガーバード同様、一車から二車線工事が多い。
帰国して知ったが、ボーパールは1984年に発生した事故で有名らしい。ユニオンカーバイド・インディア社(UCIL)の化学工場から漏れ出した有毒ガスのために、3万人を超える死者が出たという。近隣にはスラム街があり、また深夜であったため、多くの人々が避難できず、事故の後遺症にかかった人は20万人以上だと言われている。 -
まずは、10時過ぎに「ビーマベトカ(ビンベトカ)の岩窟群」に到着。
手前の踏切横でトイレ休憩。 -
ビーマベトカは、ボパールより45㎞南下した所に位置し、1万年程前の石器時代から紀元後に至るまでの古代壁画が残っている。1957年にワカンカー氏により発見され、2003年、世界遺産登録。
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インドを北と南に分けるヴィンディヤ(Vindhya)山脈と、ラタパニ野生生物保護区(Ratapani Wildlife Sanctuary)の地図。
オレンジ色の地域は、世界遺産等、自然保護地域に設定されている地域区分。中心の濃い色が保護地域(核心地域)、それを囲んでいるのが、外からの影響を緩和するための緩衝地域。
保護地域は5か所あり、ビーマベトカはⅢに属する。 -
この辺りには、750もの岩陰遺跡が特定されており、そのうちビーマベトカには243の岩陰遺跡と133の壁画が残っている。
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まず、第1窟。
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約1万年前の狩猟の絵。
上に2頭の象がおり、左の象には突き棒を持った人が乗っている。下が、左にしっぽがある猪と右に人物。 -
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実際の生活は、4m下とのこと。
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壁画に使われている顔料は天然塗料。白色は、この種類の樹から。ホワイト何とかって言ってたけど、聞き取れず。
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第2窟。
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5千年前。赤い色が特徴。白色の手形が見える。
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第3窟。音楽堂。
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英語ガイドさん。
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7千年前。鹿、クジャク。手形。バイソン(大型の野生牛)。
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左には、リーダーについていく人の絵。
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人骨。
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くぼみがあるが、意味不明とのこと。100万年前のものらしい。
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人類の進化の図。
ネアンデルタール人が7万年前、ホモ・サピエンスが25万年前。数年前に流行った「サピエンス全史」では、サピエンスはネアンデルタール人から直線的に進化したのではなく、枝分かれして進化したという説だったけど。。。 -
菩提樹の樹が右から左へ突き抜けている。
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赤色は、チークという樹の葉から採っている。
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第4窟。一番有名な「ZOO ROCK」。252の動物(16種類)が描かれている。
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右上に、大きい象。左に鹿が5頭。
その下に、猿とバイソン。 -
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バイソンを狩る人。
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亀の形をした岩。人口ではなく、自然にできたもの。
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第8窟。
世界遺産だが、これまで他の観光客は皆無。 -
野生の猿はちらほら。
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上に、7頭の馬。左に、王様と馬。周りに踊っている人がいて儀式のよう。右には、ヘビとクジャク。3,000年前だそう。
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住居跡。
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第9窟。
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花瓶と黄色いマンゴー。
色によって、その絵が描かれた年代がわかるとのこと。白色は1万年前、赤は5,000年前、黄色と緑はもっと新しい。 -
右から、杖と、黄色と緑の花と、はしご。
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第7窟。
飾りを付けた馬に乗る剣士。3千年前~1万年前だそう。 -
第6窟。右がダンスシーン。その下が、いけにえ。左が、バイソン。3千年前。
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インド人の観光客を発見。
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チークの樹。
この後、次の目的地へ移動。 -
車内で、添乗員さんから日本の洞窟壁画について説明有り。北海道余市には、岩壁に刻画を残す遺跡があるとのこと。帰国して調べたら、「フゴッペ洞窟」という所で、小樽市手宮洞窟とともに現在日本国内では二ヶ所しかないよう。
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15時前、ここで遅めの昼食。
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昼食は、チーズとほうれん草カレー、豆カレー等。デザートにアイスとチャイ。
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16時前、「サーンチーの仏教建築物群」に到着。
ボーパールの北東46㎞。紀元前3世紀にアショーカ王が8万4千ものストゥーパを各地に建立し、うち8つがサーンチーに建てられ、現在3つが残っている。 -
右側が、丘の中心にある最大規模の「大ストゥーパ第1塔」。左が、「ストゥーパ第3塔」。
12世紀まで使われていたが、仏教の衰退後、忘れ去られていた。1813年、英国人により発見。1989年、遺跡全体が世界遺産に登録。 -
第1塔、北側。
建立当初は半分程の大きさだったが、紀元前2世紀に石で大幅に拡張され、結果 、高さ約16m、直径約36mになった。トーラナと呼ばれる塔門は、日本の鳥居と似ており、語源も形態も起源と言われている。 -
見所は、その塔門のレリーフ。
北の塔門。右側(西側)の柱、側面。紀元前2世紀。ギリシャ人が中央のストゥーパを崇拝しているんだそう。靴が特徴だとか。 -
その下は「猿王奉蜜」。猿が仏陀にマンゴーの蜜を奉げた話。左上が菩提樹。古代インドでは像を作る習慣がなかったため、菩提樹・法輪・仏足石等で仏陀を表現した。
その下が「カピラ城への帰郷」。悟りの後、ルンビニーに戻って来て父と再会する場面。空中に浮く奇跡を見せた。左に菩提樹、中央に合掌する父王。 -
右側(西側)の柱、正面。「サンカーシャの奇蹟」(三道宝階降下)。
悟りを得た仏陀は、マーヤー夫人に説法をするために天界に上る。説法後、天から3本のハシゴを掛けて、両脇にブラフマー(梵天)とインドラ(帝釈天)を従えて地上に再び降り立った場所がサンカーシャ。上と下の菩提樹が柱で繋がっている。 -
その下は、「四門出遊(しもんしゅつゆう)」。
仏陀がまだ王子の時、王城の東西南北の門から出掛け、それぞれの門の外で老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを知り出家を決意したという話。2階には官女、左上のバルコニーには父王。 -
その下は、仏陀の説法。中央は、菩提樹。周りが弟子たち。
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左側(東側)の柱、側面。
仏陀の全身を表す。頭に傘、最下段は仏足。 -
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北の塔門のレリーフ説明。
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時計回りに周って、東門。
横梁下段の右下、柱頭横はヤクシー女神像 。森林に住む精霊であり、豊饒・多産の神として崇拝された。マンゴーの木につかまっている。 -
横梁中段は、「出家踰城(ゆじょう)」。左に、門から出ていく王子。傘をさしている。右上に仏足石。
横梁下段。アショカ王のブッダ・ガヤ巡行の場面。右端に、象から降りるアショカ王。中央に、菩提樹と建物。 -
右の内側。
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唯一、頭が残っている仏陀像。
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南門。隣に残っているのは、アショカ王柱の基部。全部で14あったが、今は一つしか残っていないそう。
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その向かいには、アシャーカ王柱の折れた支柱が展示されている。
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アシャーカ王柱の柱頭は4頭の獅子像でできており、インド紙幣の図柄に使われていると、ガイドさんから説明。
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元々は、この南門が正面。柱頭は4頭の獅子。
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横梁中段。アショーカ王が8か所に分配された仏舎利を塔から取り出して全国に再分配しようとしたが、ラーマガーマ塔だけは拒否した話。右側はアショーカ王と軍隊。 左側は、塔を守ろうとするナーガ(蛇)族の兵士。
下段は、仏陀の修行の邪魔をするマーラ(怪物)。 -
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南門向かいの、第18寺院跡。
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ブラーフミー文字。アショーカ王の時代に用いられた文字。南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖である。
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回廊を通って周る。
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南門裏面。
横梁中段は 「六牙象本生」。アジャンタ17窟の壁画と同じくジャータカの一つで、仏陀が前世で象王だった時の話。象王が一人の王妃に贈り物をしたのをもう一人の第二王妃が見て嫉妬狂い死する。生まれ変わった第二王妃は猟師に象王の6本の牙を取ってくるよう懇願。象王は自ら牙を抜いて差し出し、布施して死んでしまう。
下段は、クシナガル城での戦いの場面。右は、クシナガラ国へ仏舎利を求めて攻撃を仕掛けに来た王たち。中央は兵士。左は、勝利した王たちが仏舎利を持ち帰る様子。 -
西門。その先は、第51番僧院跡。アショーカの子どもが修行していた僧院だとか。この横の石段を下って行くと、「ストゥーパ第2塔」に着く。
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横梁下段の裏面は、マーラ(悪魔)の軍隊が退散する場面。
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柱頭は、ヤクシャ像。
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ストゥーパの表面(覆鉢)。
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再び、北門。裏面から。
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柱頭の象の横は、衣が特徴的なヤクシー女神像。
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横梁中段は、「降摩成道(ごうまじょうどう)」。マーラの攻撃を退けて勝つ話。中央は、悪魔。左には、菩提樹(仏陀)とお参りする王と家族。左右には、アショーカ王を象徴するクジャクの模様が彫られている。
下段は、「ヴェッサンタラ・ジャータカ(本生図)」。ヴェッサンタラ王子が妻子をバラモン僧に布施する場面等。 -
東門、ヤクシー女神の背面。
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南門。裏面から。
中段は、仏陀の説法を聴聞するためサールナート(鹿野苑)に集まった鹿たち。 -
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西門、正面。
横梁上段は、仏塔と聖樹を礼拝する天人たち。
中段は、サールナートの初転法輪。天人たちが法輪・宝座に礼拝する場面。
下段は菩提樹に蓮華をささげる象たち。中央は菩提樹。 -
横梁を支える柱頭の像は、喜怒哀楽の表情。
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この後、自由時間。
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「ストゥーパ第2塔」。紀元前2世紀頃に建立。直径15m。
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第51僧院跡で。
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「ストゥーパ第3塔」。紀元前2世紀頃、建立。
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直径15m。塔門は南側だけが残っている。
本日の観光は終了。 -
ホテルへの帰路、車窓から。仏教では悪を意味する「マーラ」のイベントとか。
また、添乗員さんからヒンドゥー教の歴史の解説有り。
「紀元5~6世紀、インド仏教は最盛期を迎え、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモンが危機感を抱く。それで、今もヒンドゥー教の聖典である二大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」が形作られる等、再編成を行った。シヴァ、ヴィシュヌ、クリシュナなどの神々が讃えられるようになり、パールヴァティー、ドゥルガー、カーリー等も作られた。民間信仰が結びついた形で、ヒンドゥー教がこの時代に確立され民衆に広まっていった。」
「一方、インド仏教は、10世紀以降、イスラム勢力がインドに入って来たこともあり急速に衰退し、12世紀頃には滅亡したと言われる。」 -
20時にホテルで夕食。
注文に応じて作ってくれる手作りパスタ。キングフィッシャーは、650mlで500ルピー。「ジャハン・ヌマ・パレス」で連泊。
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