2020/01/16 - 2020/01/20
27位(同エリア107件中)
Manaさん
日本へ仏教が伝来したのが6世紀半ばと言われている。紀元前5世紀前後にインドで釈迦によって開かれた仏教が、約1000年の時を経て中国や朝鮮半島から、海を渡って日本へ宗教としてだけでなく、当時の様々な最先端の知見や文化と共に齎された。日本の歴史や文化を知る上で、仏教伝来は重要なファクターである。
その中で、一介の私度僧に過ぎなかった空海が最先端の教えであった密教を長安(現在の西安)より持ち帰り、更に大きく日本仏教の構図を変えることとなる。
2018年に西安を旅し、空海が留学した青龍寺で日本密教のルーツを辿り、昨年モンゴルを訪れた際に土着の信仰と結びついたチベット仏教に触れる機会があった。
チベットに仏教が伝来したのが吐蕃のソンツェンガンポがチベット統一した7世紀前半頃と言われている。日本より遅く伝来した為、インド後期密教を色濃く継承しており、土着のボン教も取込み日本の密教とは違う独自の発展を遂げている。
以前より人生で一度は訪れたいと切望していたポタラ宮。心無しか少しずつ近づいている実感が沸いていた矢先、冬のチベット激安ツアーを発見。これは呼ばれていると勝手に解釈をつけて、いざ拉薩へ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 飛行機
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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約1年ぶりの中国東方航空。前回は上海経由で西安までの便しかなかったが、昨年末から西安直行便が就航し、喜んだのも束の間の地獄の狭さのシートピッチで5時間のフライト。
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確かにポークライスと聞いて、開けた途端カツ丼だ!と思ったが、謎の鮭フライを卵とじにしたカツ丼風の機内食。
10年以上前に乗った中国東方航空よりも格段と機内食の質は上がってる&これでこそ中国と謎のワクワク感が高まる。 -
まさかこんなに直ぐにまた西安に来るとは前回思ってもいなかったが、これも何かのご縁かもしれない。
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西安咸陽国際空港。
いつ見てもこの西安の漢字がかっこいい。 -
旧正月前だから?か以前にも増してライトアップされた城壁。
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この日は夕食が付いてなかったので、ホテル到着後直ぐに近くの牛肉麺のお店へ。
前払いで席に運んできてくれるシステム。お味は蘭州ラーメンのような薄味で日本人の口にも合うし、お値段たったの10元!!(約160円笑) -
朝5時にロビー集合で、拉薩へ出発。
ホテルの朝食BOX。 -
濃霧の為、機内で2時間待機を余儀無くされたが、無事離陸。前日に西安で雪が降ったことで霧が発生したらしい。
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西安-拉薩間の3時間半の国内線でもしっかりとした機内食が提供される。上海焼きそば風にパンに小豆粥的なものとオール炭水化物。
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標高3,570mに位置するラサ・クンガ国際空港。降り立った時点で富士山9合目ぐらい。
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空の玄関出て直ぐに中国共産党のお出迎え。
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空港前のレストランでランチ。至ってオーソドックスで美味しい中華が出てきてツアー客全員が安心する。ここで全員で自己紹介を行うが、私たち以外は既に引退し悠々自適な日々をお過ごしの諸先輩方ばかりの旅がスタート。
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早速バスに乗ると、チベットで歓迎の印であるカタ(白いストール)をガイドさんより掛けてもらう。
ちなみにチベットには事前にパーミット(チベット入境許可証)申請且つ全て政府公認ガイド同伴ではないと行けない為、旅行会社経由ツアーでのみ行ける。 -
トラベル外来でダイアモックスまで入手し、万全を期して臨んだチベットだったが、ホテルに着いた時点で唇にチアノーゼが出だし、頭痛もしてきた為、医者を呼んで点滴と酸素吸入の処置。人生初の高山病の洗礼を受ける。因みに諸先輩方は全く影響なく元気溌剌だったのを見ると、シニア世代が世界中を飛び回って旅行業界の売上を牽引している現状がよく理解できた。
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2時間ほどホテルで安静に過ごした後、チベット料理レストランに移動してディナー。
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奥からチベットの主食となるツァンパ(裸麦を炒って粉状にしたものにバター茶を混ぜて捏ねた麦こがし的なもの)、モモ(チベット風の餃子)、鍋のようなスープのようなもの?は他に野菜や肉が来るのかと思ったら終始スープだけだった。
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朝日を浴びたポタラ宮。
中国はタイムゾーンが1つの為、こんなに西に位置するチベットでも日本とは-1時間差となり、必然的に冬場となると日の出が9時近くになる。 -
雲一つなく突き抜けるような快晴に佇むポタラ宮。
自分も誤解していたが、チベットは日没後は氷点下まで冷え込むが、日中は標高が高く太陽に近い為、平均気温は東京と変わず、寧ろ体感温度は東京よりも暑く感じる。
冬のチベットは極寒と避けられがちだが、農閑期で巡礼者も多い為、観光客まみれではない本来の姿を楽しめ、このように美しい青空とポタラ宮のコントラストを満喫できる穴場のシーズンと言える。 -
マルポリ(紅山)に聳えるポタラ宮は、チベット統一を果たしたソンツェンガンポが創建した宮殿の遺跡をダライ・ラマ5世が造営し、以降歴代ダライ・ラマの居城となる。ダライ・ラマは観音菩薩の化身であり、その観音菩薩が住まう場所である補陀落、サンスクリット語でポータラカに由来している。
標高3,650mの地に、総高117m、全長400m、総面積13,000㎡、13階建になる荘厳たる宮殿の最上部は富士山の山頂とほぼ同じ。息切れするはずである…。 -
約300段あまりと言われる階段は幅も段差もバラバラで、富士山どころか登山もしたことが無いのに、飛行機でひとっ飛びで現地入りを果たし、普段から運動不足で息も絶え絶えな観光客の体力を容赦なく奪う。
自らの足で頂上まで辿り着いた者にのみ、撮影が禁止されているポタラ宮の内部を拝観できるのだ、と自分に言い聞かせ、休憩しながらゆっくりと階段を上り進める。 -
ポタラ宮の入り口を守るのは四天王の1人である広目天。西方を守る守護神である。
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こちらは北方を守る多聞天。毘沙門天とも呼ばれている。
傍らに鼠(チベット仏教ではマングースとも言われている)を抱いているが、この鼠は金銀財宝を吐き出すと言われている。もともと多聞天がインド神話でクーベラという財宝神を取り入れたことに由来している。 -
反対側には東方を守る持国天。四天王は八部鬼衆を従え、須弥山に住まう帝釈天に仕える護法神であり、日本では甲冑を着た猛々しい武将風な姿で表現されるが、こちらの持国天は琵琶を奏でる優雅な姿。
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南方を守る増長天。顔料に宝石が使われており、色褪せることのない極彩色の輝きを放っている。
仏法を護る守護神には、バラモン教やヒンズー教、ゾロアスター教等近隣の土着信仰の神々から取り入れたものも多く、ルーツを遡るのもなかなか面白い。 -
内部の階段を上るとデヤンシャル(広場)に出る。ペットボトルの持ち込みは禁止されているが、ここで購入すれば水分補給可能。割高ではあるが、ラベルのスペシャル感!
因みに、水筒の持ち込みはOK。中国人は日常的に白湯を飲む文化なので、至る所にウォーターサーバーが設置してある。その為、マイボトルを持参している人を多く見掛ける。中国旅行の際、小さめの水筒を持っていこうと毎回思うもののスーツケースの余白が無く、未だ実現ならず…。 -
広場横にある最後のトイレ休憩場所。改修前に使用されていたトイレが展示されている。
典型的な你好トイレと言われる壁も仕切りもない状態だが、他と一味違うのはここの落差であろう。ガラスがはめ込まれているので、覗き込むことは可能。世界一の落差を誇るトイレを実際に経験することが出来きなかったのが心残りである。 -
現在は綺麗な水洗トイレへと変貌しているのでご安心を。
ポタラ宮の階段を上る前にもトイレがあるが、こちらの方が断然綺麗なので、デヤンシャルまで我慢できる方は是非お試しあれ! -
遂に辿り着いたポタラ宮の本丸!!
目の前に見える白宮は、歴代ダライ・ラマが居住し、政務を執り行ってきた場所であり、宗教儀礼を行う聖域でもある紅宮と同様に全て撮影禁止である。
遥々飛行機を乗り継ぎ、酸欠になりながらも訪れる価値がある!とだけ断言しておこう。それ以上を望む方は是非現地を訪れてみてほしい。 -
ポタラ宮の周りを囲むマニ車。
円柱のマニ車には真言が書かれおり、回したら回すだけ真言を唱えたことと同様の功徳を積めると信じられている為、設置してあるマニ車を回したり、自分用の小型マニ車を回しながらコルラ(聖地の周りを右回りに巡礼すること)する巡礼者を多く見掛ける。その中で最上級の巡礼スタイルが五体投地で少しずつ前に進みながら聖地を目指す方法である。 -
セラ寺の門前の出店に混ざっていたので、売り物かと思いきや本物のワンちゃんたちが日向ぼっこ中。気持ち良さそうな寝顔に癒される。
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あまり猫を見掛けないなと思っていたら子猫発見。
撫でている女の子の鼻筋が黒いのは、子供の健康祈願や安産祈願のご本尊である馬頭観音参拝の際に魔除けとして墨が塗られるからである。その為、馬頭観音参拝順路は子連れで大行列となっており、ツアーでは絶対不可能なので別順路を進むことになる。 -
こちらも本物?!と思いきや売り物。
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セラ寺の入口。以前は仏教大学として、チベット仏教の最高学府でもあった。
旅行前に読んだ西蔵旅行記の著者である日本人で初めてチベットに入境した河口慧海や多田等観、2名の僧侶が修行した場所としても有名である。 -
澄み切った青空に棚引くタルチョ(祈願旗)。
奥に見える裏山には、現在も使用されている鳥葬場があるとのこと。子供の頃に初めて鳥葬を知った時は、御伽話のように遠い現実味のないものに思えたが、大人になって鳥葬の実態を知り、現場近くに来ただけで気持ちが律する気がした。(鳥葬の詳細を知りたい方は河口慧海の『西蔵旅行記』に記載有)
同じツアーで唯一ご夫婦で参加されていたご主人が、ガイドさんにお金を積むので鳥葬を見てみたいと何度も懇願していたが、現代でもチベット仏教を信仰する方々にとって神聖な場所へ我々のような無宗教で信仰心の欠片も無い者が興味本位で近づいてはならぬ場所もある。中国政府が禁止しているので、お金でどうにかなる問題でも無いのは勿論だが、それ以前に海外旅行をする際に他国の文化への尊重と敬意を忘れることがあってはならない。 -
セラ寺名物の問答修行。
大きく振りかぶって手を打ち鳴らして質問する側と、それに答弁する側とで熱い討論が繰り広げられる。作麼生・説破!の声が聞こえてきそうな迫力。真剣な問答が続く中で、笑顔がこぼれるシーンもあったり、和やかなムードもある。 -
五体投地で参拝する人々。
ポタラ宮や寺院での灯明として、参拝者が奉納するヤクバターが使用されているので、独特の香りに包まれている。 -
ジョカン(大昭寺)の周りを取り囲む商店街であるバルコル(八角街)へ向かう道中。細路地を抜けて、バルコルへの入口へ着くと荷物検査の為の行列が待ち構える。全く列が進まないが、その謎が直ぐに解ける。行列の先頭への割り込みが横行していたからである。驚くぐらい当たり前のように素知らぬ顔で横入りしてくるので、ぼんやりしている私たちの代わりに中国人のガイドさんが激怒して毎回撃退してくれた。
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バルコル内をコルラしていると左手に見えてくる黄色の可愛い建物がダライ・ラマ6世が女性と逢瀬を重ねたと言われるMakye Ame Restaurantである。
輪廻転生が信じられているチベット仏教では歴代のダライ・ラマは世襲ではなく、転生制度で後継者を選ぶ為、先代が亡くなると高僧が各地へ赴き、生まれ変わり(化身)を探す。その選出方法は先代の遺言や託宣、聖なる湖であるラモイ・ラツォ湖の観察等を経て、候補者に先代の遺品を選ばせ決める。
歴代ダライ・ラマの中でも異色と言われる6世は、偉大とされた5世の逝去をしばらく秘匿した為、15歳で即位したこともあり、なかなか生活に馴染めず還俗することになるが、市井の人々とも気さくに交流し、恋に生き数々の詩を残した人間臭さが庶民からも愛されたと言われる。そんな彼の恋の舞台を間近に見る。 -
ジョカン(大昭寺)正面入口。
ソンツェンガンポに降嫁した2人の妃、ネパールのティツン王女からインド仏教を、唐の太宗の娘である文成公主からは中国仏教がチベットに齎された。
その文成公主が唐から持参したとされる釈迦牟尼像が本尊として祀られている。 -
観光客向けにチベット民族衣装の写真館が乱立しており、バルコルでも撮影用に五体投地していたり、ポーズをとっている子を多く見掛ける。
写真館で撮影時間を聞いたところ、メイク・ヘアセット込みカメラマンによる屋外撮影2時間で400元とのことだった。ツアーの私たちに与えられた自由時間は1時間、既にバルコルを1周し30分しか猶予が無かったので、中国語が話せる先輩が交渉してくれた結果、衣装チェンジ+個人で自由撮影なら30分で100元になったので記念撮影。 -
写真館の周辺で急ぎ数ショット撮影。
衣装は勝手に決められ、為すがまま着替えさせられたが、実際に巡礼に来た方々で民族衣装にテンガロンハットを被っていたのが可愛くて、写真館のお兄さんにジェスチャーで帽子を貸してもらうことに成功!! -
この日のディナーはネパール料理。本格的なカレーやナンと一緒にヤク(長毛で覆われた牛)を炒めたものが出てくる。ヤクはもっと野性味溢れるものかと思っていたが、固めの牛肉といった感じで臭みもなく、食べやすかった。チベットでは大体このヤクか羊肉がメイン。
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ライトアップが水面に反映し、逆さ富士状態になったポタラ宮。
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ポタラ宮広場に記されている拉薩の海抜。3,646.31m。改めて標高の高さと、そこに私たちと何ら変わらない日常があること、どんな環境でも順応していく人間のタフさを感じる。
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今回お世話になった拉薩新鼎大酒店(シンディンホテル)。部屋の窓から真正面にポタラ宮を臨むことができる。
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歴代ダライ・ラマの夏の離宮として使用されたノルブリンカ。宝(ノルブ)の庭(リンカ)の意。
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チベットでずっと出会いたかったチベタン・マスティフ。
ノルブリンカの番犬として飼われているようで、屋根の上から顔だけ覗かせていたが、遠目でもかなり大型犬だったのが分かった。
以前、ネットニュースで中国の富裕層の人気が高騰し、世界一高価な犬として1200元(約2億円)の値がついたこともあるほどの希少犬種。 -
こちらは1959年にインドへ亡命した現ダライ・ラマ14世の離宮であるタクテンポタン。
『Seven Years in Tibet』でも描かれていたが、映画や音楽、西洋や世界中に好奇心旺盛だった様子が、西洋式の噴水やバス・トイレ、ラジオやレコードプレイヤー等から伺える。
中国の侵攻に蜂起したチベット民族がダライ・ラマ14世を守る為に、ここを包囲し人民解放軍と衝突したことが亡命のきっかけとされる。長らく全チベット民族にとって政教一致の指導者だったダライ・ラマへの人々の尊敬の念は今も深い。 -
チベットでの最後の食事。
空港へ向かう途中、ランチで入ったレストランで出てきたヤクで出汁をとった春雨スープと、西安でよく見かけた肉挟膜(西安式ハンバーガー?)に似たもの。
満場一致で今回の旅行中1番美味しい食事だったのは間違いない。かといって他の食事が受け付けなかった訳でもなく、全般的に全て美味しく頂けた。 -
拉薩-西安間の機内食。ランチを食べたばかりだったので、メインだけ少し食べたがピリ辛で美味しかった。
個人モニターがない旅にも慣れてきたものだ。 -
西安に到着し、空港近くのレストランで最後のディナー。
ここでも気をてらわない中華のオンパレードと、無事全員拉薩を満喫して戻ってこれた安堵感に包まれる。 -
帰りは直行ではなく、西安から上海経由。
炒飯というよりピラフっぽかったが、脂っこくもなく味はまぁまぁ。 -
最後の上海-成田での機内食。移動時間の長さに成田到着後は朦朧としながら家路へ。
初の高山病でどうなるかと思ったが、念願叶った旅が無事終わる。この後、まさか2週間も経った後に会社から中国で発生した謎のウィルス(後のコロナ)により出社停止&在宅勤務を余儀無くされるとはこの時の私は知る由もなかったのであった。
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