2020/01/07 - 2020/01/07
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ペコちゃんさん
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山仲間と歩く七福神めぐり・・・2020年は「青梅七福神」を8名で歩きました。
青梅市の人口は約13万3千人で面積は奥多摩町・八王子市・檜原村に次いで四番目・・・青梅街道の宿場町として発達し、古くから綿織物が盛んでした。
そんな歴史がある青梅市には、御岳山の武蔵御嶽神社やツツジが有名な塩船観音など100以上の寺社がありますが、その中から1日で歩いて回れる古刹を選んで昭和55年から始まったのが「青梅七福神めぐり」です。
写真は延命寺の五重塔。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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9時半にJR青梅駅に到着。
青梅の街は1994年から町興しの一環として、JR青梅駅近くの旧青梅街道沿いの住江町商店街に映画看板が飾られ、「昭和の街」として多くの観光客が訪れました。 -
青梅駅の地下道には、青梅で生まれ育った看板絵師・久保板観さんが製作した往年の名作映画の看板がズラ~リ。
しかし、24年にわたり市内に飾られていた大型看板は、歩道への落下などの懸念も出てきたため、2018年の台風の後、残念ながら撤去されました。 -
地下道から改札口に行く途中、赤塚不二夫の作品がお出迎え・・・「赤塚不二夫会館」が青梅の街にあるからですね。
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改札口を出ると、「バカボンのパパ」もお出迎え。
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青梅駅舎は大正時代のモダン建築・・・明治27年に開通した青梅鐵道の創業時の駅舎は小規模な平屋造りでしたが、創業30年目の大正13年に、青梅鐵道の本社ビルとして現在の3階建ての現駅舎が建てられました。
当時の駅舎は2階が社長室や事務室、3階は講堂で、地下1階には特産物を販売する店や食堂などの名店街まであったそうです。 -
今回は 延命寺 ⇒ 宗建寺 ⇒ 玉泉寺 ⇒ 清宝院 と回り、昼食の後は 明白院 ⇒ 地蔵院 と歩いて、余力があれば聞修院へ向かう、ということでスタート。
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①延命寺(大黒天)
臨済宗建長寺派の延命寺は、1369年の創建以来、一度も焼失したことがなく、650年の歴史が伝わるお寺です。 -
境内に入って右側にある、高さ5mほどの精巧な木造の五重塔。
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愛児を亡くした親が供養のため、昭和9年に建立したものです。
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本堂にお詣り。
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天井画が見事な本堂。
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天井画は大正年間の本堂改修の際に、地元の日本画家・前田杉谷(さんこく)など43名の日本画家によって、格天井に花鳥風月や三十六歌仙など269枚が描かれました。
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本堂に祀られた大黒天。
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境内の左側にある「呑龍堂」。
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呑龍上人を祀った呑龍堂は、安産子育ての「呑龍さま」として親しまれ、毎月八日の縁日には近郷近在の参詣人で賑わいます。
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境内の南側にある山門。
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境内に置かれた「福槌」(大:20kg、小:10kg)・・・ ” いたずらや、ふざけてやると、悪いことが振り出されます ”
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②宗建寺(毘沙門天)
延命寺の坂道を下りた所にある宗建寺は、延命寺と同じく臨済宗建長寺派で、1400年代前半に創建されたと伝わっています。
山門の扁額には「仙桃山(せんとうざん)」・・・1736年に書かれたものです。 -
山門を入った所にある鐘楼。
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境内の中央にある「羅漢槙」の大木は、樹齢400~500年と言われています。
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この本堂など現在の堂字は、明和年間(1764~71)に再建されたものです。
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本堂内陣には、木彫りの像や絵、文字など、様々な毘沙門天様が祀られています。
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綺麗に手入れされた境内庭園の左奥に「妙音堂」があります。
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妙音堂には弁財天が祀られ、沢山の「三味線のバチ」が納められています。
弁財天は音楽や芸術の神様・・・江戸時代、青梅の街は文化芸術が栄え、花街も多くあったので、芸妓さん達が技の向上を願い、宗建寺の妙音堂に三味線のバチや弦を納めたと言われています。 -
妙音堂の石段下にある1812年建立の「庚申塔」は、全国的に見ても珍しい円形の石塔。
庚申塔は石柱や角柱状の石塔が一般的ですが、この石塔は円形石碑の中に「青面金剛」が彫られ、石台には三申(さる)が烏帽子やチャンチャンコを纏い、舞いながら扇で目口耳を押さえています。 -
本堂の右には「むかえる(六蛙)」・・・お参りの皆様を迎える蛙。
” 若返る 栄える 甦る 福に変える 無事帰る 良く考える ”
六蛙なので背中に五匹の蛙を背負っていました。 -
このお寺にも小さな三重塔が奉納されていました。
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青梅を流れる多摩川には、いくつかの橋が架かっています。
昔から織物が盛んだったこの地域は、明治22年に織物に因んで調布村となり、下流の「千ヶ瀬の渡し」で多摩川を往来していました。
その後、大正11年に吊り橋を架け、昭和10年に二代目に架替えられ、平成6年にこの三代目「調布橋」が完成しました。 -
橋のたもとには、2002年に建てられた「雪おんな縁の地」の碑。
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“ 雪女 ” の伝説は日本各地にありますが、小泉八雲の著書『怪談』で語られる「雪おんな」は、その舞台が青梅。
『怪談』の序文には ” 武蔵の国、西多摩郡、調布村の百姓が語ってくれた古い言い伝え ” と書かれていますが、「調布村」は現在の青梅市中部の多摩川河畔の地域に当ります。 -
英国人の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/1850~1904)は1890年に来日し、翌年、松江の士族の娘・小泉セツと結婚して、松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育に尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺しました。
16歳の時に怪我で左眼を失明して隻眼となったため、写真を撮られる時には顔の右側をカメラに向けるポーズをとっています。 -
調布橋の下流にある「下奥多摩橋」を渡って、玉泉寺に向かいます。
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橋の途中から多摩川の上流を見ると、奥多摩の大岳山がよく見えます。
下流の流れは、少し乳白色に濁っています。 -
③玉泉寺(弁財天)
臨済宗建長寺派の玉泉寺は文保年間(1317~1318)の創建。 -
山門の右側に祀られた六地蔵。
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境内の右側にある鐘楼。
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地蔵堂。
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大正2年に諸堂を焼失しましたが、2年後に再建。
現在の本堂は平成6年に改築されたもの。 -
薬師堂。
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奥に弁天様が鎮座しています。
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④清宝院(恵比寿天)
真言宗の清宝院の開創は、宇多天皇の御代(在位:887~897年)と伝えられます。 -
長い階段を登って山門へ。
この山門は、江戸末期に埼玉県入間市の「光円寺」より移築したもので、18世紀末頃の建築と考えられています。 -
本堂の扁額は「成田山」。
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本堂の左側に恵比寿様が祀られています。
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左手に鯛を抱え、右手に釣り竿を持った恵比寿様・・・この恵比寿尊は、江戸時代より深川木場関係者に信仰されていたもので、明治初年に奉納されました。
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手入れが行き届いた境内の庭園。
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六地蔵も祀られています。
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4箇所回ったところで、昼食を予約していた「繭蔵」へ・・・ここは “ 心とからだにやさしい ” がテーマの創作和食カフェです。
石造りの堂々とした佇まいは、大正初期に建てられた大谷石造の「青梅織物工業協同組合」の繭蔵を改装した歴史ある建物で、庭先にはお洒落なテラス席もあります。 -
いい感じのエントランス・・・中に入るのが楽しみ!
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壁に飾られているのは、かつて青梅の特産品だった綿織物に因んだ「綿」のオブジェ・・・20年前に開店した時から飾っているそうです。
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広々とした店内・・・落ち着いた感じで、ゆったりと食事を楽しめます。
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入口の一角には、添加物なしの梅干しや天然生ハチミツなど、周辺の特産物も販売しています。
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今回のランチは「繭膳」(1800円)。
シャキシャキ蓮根の鶏つくね・春菊とお餅のかき揚げ・人参とツナのサラダ・焼き長ねぎのおひたし・豚肩ロースと大根の梅干し煮・南瓜とナッツのサラダ・細ネギと油揚げ・大根の味噌汁に、ご飯は雑穀米・玄米・根菜ごはんからチョイス。
栄養バランスを考えて丁寧に調理された、野菜中心の料理を堪能しました。 -
デザートは柚子羊羹と黒豆茶。
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2階はギャラリーになっていて、いろんなジャンルの作品を展示したり、音楽ライブやワークショップなども行われます。
展示がない時はハンモックが吊るされ、食後にマッタリ出来ます。 -
「繭蔵」の向かいにあるのは、昭和初期に建てられた木造の「旧都立繊維試験場」・・・現在は「BOX KI・O・KU」という名前でイベント会場やロケ撮影などに利用されています。
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昼食後は青梅駅まで歩いて戻り、電車で一駅先の宮ノ平駅に行って5番目の明白院へ向かいます。
これは多摩川につながる下水道のマンホール蓋。 -
「赤塚不二夫会館」の広告看板。
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旧青梅街道沿いの住江町商店街からは大型の映画看板が消えましたが、バス停にあるマリリン・モンローの「バス停留所」の看板が名残を留めています。
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2003年にオープンした左側の「赤塚不二夫会館」は外科医院だった建物で、右側の「昭和レトロ商品博物館」は元家具屋さん。
「昭和レトロ商品博物館」(入館料:300円)に入ってみました。
この博物館は、 “ 昭和B級文化研究家 ” の串間努さんの収集品を軸に、昭和の生活を彩った様々な商品のパッケージを収集展示したもので、1999年に開館し、串間さんが名誉館長を務めています。 -
昔懐かしい駄菓子屋さんに紙芝居屋さん・・・館内は、こんな感じです。
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展示商品は昭和30~40年の頃の日用雑貨・菓子・清涼飲料・薬・文具などなど・・・かつて生活の場にあり、やがて知らぬ間に姿を消していった商品たちを見ながら、過ぎた時代への郷愁に浸りました。
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街中から撤去された久保板観さん製作の映画看板も、ここで間近に見れます。
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2階は「雪おんなの部屋」・・・怖いもの見たさで上がってみると、おどろおどろしい雪女の看板。
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雪おんなの本や資料などが展示されていました。
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街道沿いの看板には「青梅赤塚不二夫シネマチックロード」・・・平成15年に命名された旧青梅街道のことです。
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思わずほっこりとしてしまう「猫と共に去りぬ」や「OLDAYS 三丁目のタマ」の看板・・・撤去された大型看板に代わって、現在は映画と猫のパロディ看板がいろんなところにあります。
かつて養蚕が盛んだった青梅では、養蚕の繁栄と鼠除けのために、猫を大切にしてきました。 -
⑥明白院(福禄寿)
天正年間(1573~1592)に創立された曹洞宗の明白院(めいばくいん)。
1744年に堂宇を再建し、大正年間(1912~1926)には増改築が行われ、境内も整備されました。 -
木造茅葺の「山門」は安土桃山時代の形式の四脚門で、明白院建立の際に近隣にあった門(楯の城跡にあった宇太夫屋敷の表門)を移築したと伝えられています。
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山門を入って左手にある「米俵をかついだ狸の石像」。
その昔、庫裡の天井裏で狸の屍が見つかり、その周囲には沢山のお米と小さな福禄寿の御像が三躰あったので、当時の和尚さんがこの三躰(現在は一躰のみ)を祀り、米俵をかついだ狸の石像を建立して供養した、と言われています。 -
綺麗に手入れされた境内。
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本堂。
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本尊は勝軍地蔵菩薩。
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福禄寿が祀られている「獅子窟」。
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多摩川を見ながら和田橋を渡ります。
明白院から次の地蔵院は直線距離だと450m程ですが、和田橋から大回りしなければ行けません。 -
⑥地蔵院(布袋尊)
臨済宗建長寺派の地蔵院は1504年の創建で、1649年には江戸幕府より寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。 -
17世紀前期に建てられた「山門」・・・切妻造、鉄板葺(当初茅葺)の四脚門で、市の有形文化財に指定されています。
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地中に埋めた瓶に水滴を垂らし、その音の共鳴を楽しむ「水琴窟」。
竹筒から優雅で涼しげな音が聞こえてきました。 -
手水舎。
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「布袋堂」に安置された布袋尊。
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本堂手前の寺務所の屋根をよく見ると、ここにも布袋尊が・・・屋根からも見守ってくれているのですね!
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現在の本堂は安永年間(1772~1780)に建立され、上棟の日に5羽の鶴が舞ったとの伝説があるので「五鶴堂」の別名があります。
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手入れが行き届いた境内。
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境内には多くの梅の木がありますが、中でも「宝珠梅」は樹齢300年の古木といわれ、市の天然記念物に指定されています。
支柱に身を托す老木は今にも倒れそうですが、毎年美しい花が開くそうで、「心齢に非ず」とうそぶく禅僧の姿を感じます。 -
これで6箇所を回りましたが、もう15時前なので、青梅の街から離れた所にある聞修院(寿老人)は別の機会に訪れることにしました。
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地蔵院から万年橋を渡って青梅駅に向かいます。
ここには木橋が明治30年に架けられ、明治40年には多摩川渓谷で最初の鉄橋として架け替えられ、昭和18年にコンクリートアーチ橋になった後、平成14年から現在の四代目「万年橋」となりました。 -
万年橋を渡る手前に展示されている「万年橋の碑」。
石碑の文字は判読できませんが、下の写真は明治40年~平成13年までの95年間、万年橋を支え続けてきた橋の支承の部材です。 -
青梅駅のホームは待合室もレトロですね。
昭和時代にタイムスリップしたような青梅の街歩きと、七福神めぐりを楽しんだ新春の一日でした。
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