2020/01/06 - 2020/01/06
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ペコちゃんさん
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〇〇会の新春恒例行事・七福神めぐり・・・2020年は北千住の「千寿七福神めぐり」に仲間10名と出かけました。
北に荒川、南に隅田川が流れ、かつては湿地帯だった千住の街は、河川が運んできた土砂の堆積により形成された沖積低地ですが、1594年に徳川家康が墨田川最初の橋・千住大橋を架けてから江戸の北の入り口として重要視され、日光街道・奥州街道の宿場として発展しました。
そんな旧千住宿の面影が残る北千住の街並みを楽しみながら散策できる千寿七福神めぐりは、千住の町を活性化する目的で平成5年から神社3箇所、寺院4箇所で始まりました。
平成20年から7箇所すべてが神社となり、その内3箇所が氷川神社という特徴があります。
また北千住は ” 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也 ” という序文で始まる松尾芭蕉の『奥の細道』のスタート地点で、街中には芭蕉像や記念碑など、ゆかりの見どころもあります。
写真は、千住本氷川神社の社殿と「茅の輪」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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10時に北千住駅へ到着。
JR常磐線や東京メトロ千代田線・日比谷線、東武伊勢崎線、京成本線、つくばエクスプレスが乗り入れている北千住駅は、平成4年から始めた大規模な改良工事もやっと終わり、綺麗な駅に生まれ変わりました。 -
改札口から西口デッキに出ると、右側に「丸井北千住店」があり、その前にモニュメント「乾杯」が飾られています。(2004年・宮田亮平作)
” 乾杯 ” のグラスをイメージしたモニュメントには、15匹のイルカ達。
「15」という数は、十五夜等 ” 時満つる ” という意味があり、縁起の良い数だそうです。 -
階段を下りて振り返ると、駅ビルの「ルミネ北千住店」。
千住の地名由来は諸説ありますが、1327年に漁師が隅田川に船を浮かべて投網をしていたところ、魚と共に千手観音を引き上げ、「勝専寺」(通称:赤門寺)に祀ったことから「せんじゅ」と呼ぶようになった、とも伝わります。 -
かつて本陣があった「千住宿本陣跡」の標石・・・361坪の屋敷に120坪の建物があったそうです。
千住宿には、本陣・脇本陣・平旅小屋(ひらはたごや)・食売旅籠屋(めしうりはたごや)等の宿泊施設がありましたが、最も格式が高い本陣は、主に一万石以上の大名・公卿・高僧等、身分の高い人が宿泊しました。 -
この「宿場町通り」周辺は日光街道・千住宿のあったところで、幕末には1万人が住む江戸近郊の最大の宿場でした。
まずは『千住 街の駅』へ寄ってパンフレットを貰いました。
この建物は、大正12年創業の魚屋さんだったそうです。 -
千住本氷川神社(大黒天)⇒ 大川町氷川神社(布袋尊)⇒ 元宿神社(寿老神)⇒ 千住神社(恵比寿天)⇒ 八幡神社(毘沙門天)⇒ 河原町稲荷神社(福禄寿)⇒ 仲町氷川神社(弁財天)
と、時計と逆回りで歩きます。 -
①千住本氷川神社(大黒天)
当社は、1307年に千住曙町に創建された氷川神社から1691年に当地に分社して建立された神社です。 -
可愛い獅子の手水舎は、1860年に造られたもの。
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社殿は昭和45年に鉄筋コンクリート・銅板葺きで新築されました。
今日はまだ1月6日なので、多くの参拝者がいます。 -
拝殿前の獅子(阿形)と狛犬(吽形)。
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「茅の輪」は、これをくぐることで心身を清めて災厄を祓い、無病息災を祈願するというもの・・・唱え詞を唱えながら、左から8の字に3度くぐり抜けます。
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境内末社の久須志神社に祀られた大黒天。
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境内にある「ラジオ体操発祥之地」の石碑・・・現在でも毎日の様にラジオ体操を行っているそうです。
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②大川町氷川神社(布袋尊)
当社は1294年に当地鎮護のために創建され、大正4年に荒川放水路造成のため当地へ遷座しました。 -
表参道の左側には、昭和51年に架け替えられた旧千住新橋の親柱が記念碑として保存されています。
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鳥居をくぐると、右側に手水舎と布袋尊像があります。
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戦後造替された神明造の社殿。
当社のご祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、厄除・除災招福・商売繁盛・五穀豊穣などのご利益があります。 -
手水舎の脇に鎮座する布袋尊像。
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勇ましい阿吽像。
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社殿左手の富士塚は1824年の築造で、都内に現存する富士塚としては9番目に古いもの。
当初は町の西北・川田耕地に築かれましたが、荒川放水路開削工事に伴って大正5年に今よりやや西側の土地に移築され、その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年に現在地へ再度移築されました。
高さ約3mの富士塚は、富士山の溶岩を積み上げて築造されたもので、頂上には、浅間神社を祀っています。 -
境内にある「紙すき碑」・・・1843年に幕府の命により、地すき紙を献上した際の記念碑で、かつてこの地域は紙すき業が盛んだったことを物語っています。
石碑に刻まれた『すきかえし せさするわさは 田をつくる ひなの賎らに あにしかめやも』・・・紙すきが稲作にも劣らない仕事である、という自讃の歌で、台座石に21軒の問屋名が記されています。 -
次の本宿神社に向かう途中、「千住公園」で小休止・・・左側にトイレがあります。
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北千住には、昔から愛されている銭湯が沢山あります。
ここは、昭和2年創業の「タカラ湯」・・・昭和13年に現在の場所に移りましたが、建物の外観は当時のままで、堂々たる佇まいに風格を感じます。 -
営業時間は、15時から深夜23時30分までで、大人料金は470円。
少し開いたシャッターから中をパチリ。 -
「キングオブ縁側」「キングオブ庭園」と呼ばれるタカラ湯の自慢は日本庭園・・・ツツジ・アジサイ・紅葉や錦鯉が泳ぐ池を眺めながら縁側で飲む湯上りのビールは格別でしょう。(写真はHPより)
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③元宿神社(寿老神)
この周辺は鎌倉時代には既に集落が出来ていた古い土地で、奥州路もここを通っていたと言われ、江戸時代初期の日光道中開設で生まれた「千住宿」に対して「元宿」と呼ばれていました。 -
元宿神社は、1574年に当地を開拓した鈴木左衛門尉信義が、八幡神を祀ったことに始まります。
明治末年、千住四丁目の氷川神社に合祀されますが、昭和5年に稲荷神を合祀して村社となり、再び元宿の鎮守となりました。 -
拝殿の造営時期は不明ですが、昭和5年頃と推定され、昭和54年に改修されています。
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拝殿前の狛犬は、昭和10年に奉納されたもの。
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境内に祀られた寿老神の像。
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大正5年に造立された「感旧碑」の石碑。
この碑には、荒川放水路工事のため、祖先伝来の土地を離れざるを得なくなった思いが記されています。 -
折角なので、近くを流れる荒川に行ってみました。
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西新井と千住を繋ぐ「西新井橋」。
大正11年に木造の足脚で造られましたが、老朽化により昭和36年に現在の橋となりました。
444.6mの橋をジョギングする人や・・・ -
サイクリングロードで荒川のサイクリングを楽しむ人もいます。
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荒川の土手からは、スカイツリーもよく見えます。
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こちらは、隅田川に架かる「尾竹橋」。
かつて、ここは千住や西新井大師への渡船場として栄え、橋のたもとにあった茶屋に「おたけさん」という女性がいたことから橋の名前がついたそうです。
最初の橋は昭和9年に架けられ、 平成4年に現在の橋になりました。(橋の長さ:130.3m) -
ここからは、スカイツリーも更に大きく見えます。
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尾竹橋から隅田川の堤防沿いに進み、帝京科学大学・千住キャンパスの方へ・・・ここには「お化け煙突モニュメント」があります。
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「お化け煙突」の正式名称は、東京電力千住火力発電所。
大正15年に、この地に造られた83.8mの巨大な4本の煙突がある火力発電所は、規模・発電量とも日本最大でした。
4本の煙突は菱形に配置され、見る角度により4本・3本・2本・1本に見え、「お化け煙突」として下町の住民に親しまれましたが、昭和39年に解体されました。 -
その後、発電所の跡地には「元宿小学校」が開設され、お化け煙突の一部は校庭の滑り台となりましたが、小学校が廃校となった後、2010年に帝京科学大学・千住キャン パスが開設され、滑り台は「お化け煙突モニュメ ント」として再生されました。
モニュメントの上半分が煙突の実物・・・当時の煙突の外径は、頂部が4.81m、底部が6.40mでした。 -
これは「お化け煙突」の1/20のモデル・・・見る角度によって、1~4本に見えるように並んでいます。
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④千住神社(恵比寿天)
千住神社は、926年に千崎稲荷として祀られたのが始まりで、その後、1279年には氷川神社を勧請して両社合祀となり、「二ッ森」と通称され、明治6年に稲荷・氷川の両社を合併し、「西森神社」と改称しました。
千住神社と呼ばれるようになったのは大正4年からです。
参道入口の右側にあるのは「八幡太郎源義家陣営の地」の石碑・・・源義家は1051年の奥州征伐の際、現在の千住大橋付近を渡ってこの地に陣営し、神前に戦勝祈願したと伝えられます。 -
ここにも「茅の輪」・・・左・右・左と3度くぐって疫病や罪・穢れを祓いましょう。
「茅の輪」の先にある「一之鳥居」は、1866年の建立。 -
長い参道には「二之鳥居」(建立:1926年)「三之鳥居」(建立:1923年)とともに奉納された灯籠が数多く立ち並び、篤い崇敬を受けてきたことが窺えます。
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空襲で神社と共に燃えながらも、焦げ跡から蘇り今も生き続ける「不屈のイチョウ」の木。
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参道の左手にある「手水舎」・・・龍の吐水口から出る水で身を清めましょう。
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高さ約4mの「千住宮元富士」は1923年に築造されましたが、関東大震災で崩壊したため、1936年に再築されました。
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富士塚の前に咲く、美しい冬桜。
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参道の途中にある一対の神狐像は、昭和3年の御大典(昭和天皇の即位礼)を記念して造立されたもの。
当社は稲荷様と氷川様が合祀された神社なので、稲荷信仰の神使である狐も参道を護っています。 -
1830年に奉納された社殿前の狛犬・・・阿吽ともに ” 子を抱える ” ” 子を護る ” という珍しい姿です。
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千住神社は昭和20年の戦災により全ての建物を焼失しましたが、昭和27年に神楽殿、昭和30年に神輿庫が再建された後、昭和33年にこの社殿(本殿・幣殿・拝殿)が造営されました。
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拝殿の中では、お祓いが執り行われていました。
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社殿の横で記念写真。
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神輿庫には、1863年に作られた「一宮神輿」( 右側)と1885年に作られた「二宮神輿」(左側)が納められています。
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七福神の恵比寿像は、台座から回転させて願掛けができる仕組みになっているため「廻転恵比寿像」とも呼ばれています。
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参道の左手にある「神楽殿」は、昭和27年の再建。
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⑤八幡神社(毘沙門天)
当社は日光街道沿いに鎮座する小さな神社で、正式名称は白幡八幡宮。
創建時期は不詳ですが、社伝によれば、源義家が奥州征討に向かう途中、渡裸〔とら〕川の渡し場(現在の千住大橋のやや上流)に白幡を立て戦勝を祈願しし、その白幡が白幡八幡として祀られたとのこと。
明治41年にこの地に社殿が建立されましたが、昭和20年の戦災で焼失し、昭和34年に再建されました。
鳥居は明治41年の建立時のものです。 -
こじんまりとした境内。
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扁額には「白幡八幡宮」の文字。
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右手にある手水舎・・・水盤も鳥居と同じく当地へ遷座した時のもの。
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境内に立つ毘沙門天像。
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⑥稲荷神社(福禄寿)
千住には〇〇稲荷神社が数社あり、当社の正式名称は「稲荷神社」ですが、通称は「河原稲荷神社」。
河原稲荷神社は河原町の鎮守だけでなく、かつて神田・駒込とともに江戸三大市場に数えられた千住青物市場(やっちゃ場)の守護神でもありました。 -
空襲により史料を焼失したため創建時期は不詳ですが、やっちゃ場が創設された1576年の頃と考えられます。
昭和22年にトタン葺の木造社殿で復興し、昭和41年に現社殿が造営されました。 -
拝殿の左右にある石灯籠と天水槽。
1850年鋳造の天水槽には、寄進した青物問屋の名前が刻まれています。
因みに「やっちゃ場」の「やっちゃ」とは、セリ市で ” やっちゃ、やっちゃ ” の掛け声でセリをすることから、青物市場のことを指します。 -
社殿脇に祀られた福禄寿。
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やっちゃ場の旦那衆が奉納した狛犬。
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神輿庫には、1870年に製作された金銅装神輿が収められています。
千貫神輿と呼ばれますが、実際には450貫ほど(約1.7t)だとか。 -
稲荷神社から京成千住大橋駅のガード下を進み、隅田川に架かる「千住大橋」へ。
1590年に江戸に入った徳川家康は、1594年に隅田川最初の橋・千住大橋を現在より200mほど上流の所に架けました。 -
これは、歌川広重の『名所江戸百景』より「千住の大はし」・・・千住宿は隅田川の水運を利用した木材の集積地でもあり、交通の要衝でもあったので、千住大橋を中心に南北に分かれ千住宿は発展しました。
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千住大橋のそばにある大橋公園に建てられた「奥の細道 矢立初めの地」の標柱・・・ここは、松尾芭蕉「奥の細道」600里の旅の始まりの句を詠んだといわれる場所です。
(矢立:筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具) -
標柱の裏側には「第十九回 奥の細道芭蕉サミット開催記念」・・・奥の細道ゆかりの地が連携し、芭蕉の業績を顕彰し、併せて地域の活性化に結びつける取り組みだそうで、2006年に開催された足立サミットを記念する碑です。
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芭蕉は46歳の時(1689年)に弟子の曾良を伴って、深川から船で遡上して千住に降り立ち、奥州~北陸道を約150日間で巡って江戸に戻りました。
芭蕉の俳文紀行『奥の細道』には、「千じゆと云所にて船をあがれば 前途三千里のおもひ胸にふさがりて 幻のちまたに別離の泪をそゝく」「行春や鳥啼魚の目は泪」と、旅立ちの地である千住の情景が記されています。 -
公園にある「おくのほそ道行程図」・・・元禄2年3月27日に江戸を出発し、下野⇒陸奥⇒出羽⇒越後⇒越中⇒加賀⇒越前⇒近江と歩き、9月6日に美濃・大垣から伊勢に向けて出発するまでするまでを纏めた書が『奥の細道』です。
今、私が回ったら、何日かかるでしょうか、いや、歩けるでしょうか? -
昔、「やっちゃ場」と呼ばれた「足立市場」の入り口にある「千住宿 奥の細道 プチテラス」。
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プチテラスに設置された「芭蕉石像」・・・芭蕉生誕360年にあたる2004年に建立されました。
像の敷石は「やっちゃ場」のセリ場に敷かれていた御影石であり、芭蕉の旅立ちを見送っていたものかもしれません。 -
芭蕉像の左側には、日光街道に因んで参勤交代の姿がパネルに描かれており、往時が偲ばれます。
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⑦仲町氷川神社(弁財天)
当社は延喜年間(901~23)牛田寄の元宮に勧請されたと伝えられ、1616年に当地に遷座し、改めて大宮の氷川神社より御分霊を勧請し、千住掃部宿の鎮守とされました。
鳥居は日露戦争の戦勝記念として、明治39年に建てられたもの。 -
「茅の輪」と拝殿。
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拝殿の壁には大黒様とお多福さんのお面が掲げられています。
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右手に剣を握り、左手に宝珠を持つ七福神の弁財天・・・下部に「三猿」が刻まれたこの弁天像は、供養庚申塔として1689年に造塔されたもの。
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狛犬は昭和41年に作られたもの。
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七福神めぐりを終えて北千住駅に向かう途中にあったのは、東京芸大・千住キャンパス・・・2006年に音楽関係の学科が開設されました。
芸大は上野だと思っていましたが、取手と横浜にもキャンパスがあります。 -
北千住は魅力的な街づくりのために大学を積極的に誘致し、芸大の外に放送大学(1993年)東京未来大学(2007年)帝京科学大学(2010年)東京電機大学(2012年)などのキャンパスが次々に開校・・・今や5つの大学を有する学生の街となった北千住には多くの若者が来るようになり、街の雰囲気も変わり始めています。
この写真は、高架化が進んだ北千住駅の近く。 -
でも、かつての北千住のイメージと言えば「飲み屋横丁」・・・戦後のバラックから始まり、昭和の香りを残すディープな飲み屋が多い通りです。
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昔からガラの悪いイメージが強かった北千住は、明るいうちから営業している居酒屋も多く、昼間から酔っぱらいが街をウロウロしていることもありましたが、現在はどうでしょう?
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飲み屋街の誘惑を振り切って(?)北千住駅西口に戻ってきました。
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13時から「丸井北千住店」9階にある「うまや」で遅めの昼食。
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いくつかのランチメニューの中から、名物の「三代目 市川猿之助の楽屋めし」をチョイス。
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さすが、市川猿之助監修の楽屋めし・・・新春七福神めぐりに相応しいランチとビールで、仲間の皆さんも大満足でした。
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