上郡・佐用旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 新幹線で新横浜から広島へ向かう途中,寄り道して兵庫県佐用町の平福を散策してきました。ここは江戸時代初期には利神城の城下町として、その後は因幡街道の宿場町、商業の町として繁栄したと言われています。 宿場の面影を伝える旧街道の町並みや、水運で賑わった佐用川沿いの石垣、川座敷・土蔵群の景観がよく保存されています。また、山上に利神城の天守跡が見えます。石垣などの崩壊の危険があるため、現在そこへ登ることはできませんが、麓の平福駅近くにも城の石塁の一部が残されています。<br /> <br /> 旅程<br /> 新横浜6:00,新幹線ひかり493号,姫路8:56<br /> 姫路9:11,山陽線,相生9:30<br /> 相生9:32,山陽線,上郡9:44<br /> 上郡10:27,智頭急行,平福10:53 <br /> 平福15:31,智頭急行,上郡15:55<br /> 上郡16:09,山陽線,岡山17:02<br /> 岡山17:15,新幹線のぞみ113号,広島17:50<br /> 広島17:54,山陽線,西条18:32<br /><br /> 写真は必ずしも撮影順ではありません。同じ場所でも,午前の曇りや雨のときの写真と午後になって晴れてきたときの写真が混在しています。また,ほとんど思いつきの旅行であったため、下調べも不十分で、見残し・撮り残しがたくさんありました。

佐用町平福を歩く(旧街道宿場の町並み・川面に映る町屋・利神城の石垣)

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2019/12/20 - 2019/12/20

10位(同エリア175件中)

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よっち

よっちさん

 新幹線で新横浜から広島へ向かう途中,寄り道して兵庫県佐用町の平福を散策してきました。ここは江戸時代初期には利神城の城下町として、その後は因幡街道の宿場町、商業の町として繁栄したと言われています。 宿場の面影を伝える旧街道の町並みや、水運で賑わった佐用川沿いの石垣、川座敷・土蔵群の景観がよく保存されています。また、山上に利神城の天守跡が見えます。石垣などの崩壊の危険があるため、現在そこへ登ることはできませんが、麓の平福駅近くにも城の石塁の一部が残されています。
 
 旅程
 新横浜6:00,新幹線ひかり493号,姫路8:56
 姫路9:11,山陽線,相生9:30
 相生9:32,山陽線,上郡9:44
 上郡10:27,智頭急行,平福10:53
 平福15:31,智頭急行,上郡15:55
 上郡16:09,山陽線,岡山17:02
 岡山17:15,新幹線のぞみ113号,広島17:50
 広島17:54,山陽線,西条18:32

 写真は必ずしも撮影順ではありません。同じ場所でも,午前の曇りや雨のときの写真と午後になって晴れてきたときの写真が混在しています。また,ほとんど思いつきの旅行であったため、下調べも不十分で、見残し・撮り残しがたくさんありました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 姫路からJR山陽線で上郡駅に来ました。智頭急行に接続する駅で、JRの特急「スーパーはくと」と「スーパーいなば」がここで智頭急行に入ります。ただし、私は平福駅に停車する普通列車を使うため乗り換えです。<br />写真は山陽線2・3番線のホーム、この先(岡山側)で智頭急行のホームにつながっています。

    姫路からJR山陽線で上郡駅に来ました。智頭急行に接続する駅で、JRの特急「スーパーはくと」と「スーパーいなば」がここで智頭急行に入ります。ただし、私は平福駅に停車する普通列車を使うため乗り換えです。
    写真は山陽線2・3番線のホーム、この先(岡山側)で智頭急行のホームにつながっています。

    上郡駅

  • こちらは智頭急行の上郡駅ホーム。智頭急行は1994年に開業した第三セクターの鉄道です。

    こちらは智頭急行の上郡駅ホーム。智頭急行は1994年に開業した第三セクターの鉄道です。

    上郡駅

  • この列車に乗りました。10時27分発の智頭行き。これは列車の後ろ側(前はひどい逆光)。

    この列車に乗りました。10時27分発の智頭行き。これは列車の後ろ側(前はひどい逆光)。

    上郡駅

  • HOT3500形気動車、1両のワンマンです。 JRから乗り入れる特急には乗客が多いようですが、普通列車はやはり閑散としていました。

    HOT3500形気動車、1両のワンマンです。 JRから乗り入れる特急には乗客が多いようですが、普通列車はやはり閑散としていました。

    上郡駅

  • 智頭行き普通列車の車内。前方左が運転席、右が出口です。平福駅はここから五つ目です。

    智頭行き普通列車の車内。前方左が運転席、右が出口です。平福駅はここから五つ目です。

    上郡駅

  • 苔縄、河野町円心、久崎、佐用(さよ)、途中の4駅です。<br />河野原円心は、南北朝時代に赤松則村の居城であった白旗城の最寄り駅、「円心」は彼の法名だそうです。佐用は智頭急行とJR姫新線の乗り換え駅、この3か月前には姫新線に乗ってここを通りました。「姫新線4駅」の旅行記にあります。

    苔縄、河野町円心、久崎、佐用(さよ)、途中の4駅です。
    河野原円心は、南北朝時代に赤松則村の居城であった白旗城の最寄り駅、「円心」は彼の法名だそうです。佐用は智頭急行とJR姫新線の乗り換え駅、この3か月前には姫新線に乗ってここを通りました。「姫新線4駅」の旅行記にあります。

    佐用駅

  • 平福駅に到着。上郡から30分ほどです。オフシーズンの平日であったためか、降りたのは私を含めて二人だけ。列車は交換(行き違い)などのため、ここで15分ほど停車したのち、県境を越えて鳥取県の智頭へ向かいます。

    平福駅に到着。上郡から30分ほどです。オフシーズンの平日であったためか、降りたのは私を含めて二人だけ。列車は交換(行き違い)などのため、ここで15分ほど停車したのち、県境を越えて鳥取県の智頭へ向かいます。

    平福駅

  • 平福駅、兵庫県佐用(さよう)町平福。

    平福駅、兵庫県佐用(さよう)町平福。

    平福駅

  • 平福駅。無人駅ですが新しい立派な駅舎です。駅のすぐ東側山上にある利神城跡が国の史跡に指定されたことを祝う横断幕がありました。

    平福駅。無人駅ですが新しい立派な駅舎です。駅のすぐ東側山上にある利神城跡が国の史跡に指定されたことを祝う横断幕がありました。

    平福駅

  • 平福駅。「近畿の駅百選」に選ばれているそうです。

    平福駅。「近畿の駅百選」に選ばれているそうです。

    平福駅

  • 平福の観光案内マップ「いらっしゃい宿場町平福へ」、駅に置いてありました。駅前や旧街道などの案内板にも同じ地図があります。

    平福の観光案内マップ「いらっしゃい宿場町平福へ」、駅に置いてありました。駅前や旧街道などの案内板にも同じ地図があります。

  • 平福駅前から西に真っすぐ歩き、佐用(さよ)川を渡ると、すぐ旧因幡街道に出ます。駅から約3分、この辺りが平福宿の中心だったところです。<br />これは平福本陣跡。鳥取池田藩の本陣だった場所です。ただし、当時の建物は残っておらず、この門は新もしいもの。

    平福駅前から西に真っすぐ歩き、佐用(さよ)川を渡ると、すぐ旧因幡街道に出ます。駅から約3分、この辺りが平福宿の中心だったところです。
    これは平福本陣跡。鳥取池田藩の本陣だった場所です。ただし、当時の建物は残っておらず、この門は新もしいもの。

    平福 名所・史跡

  • 旧因幡街道平福宿。しばらく町並みを行ったり来たりしました。

    旧因幡街道平福宿。しばらく町並みを行ったり来たりしました。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。平福は江戸時代初期の30年間だけ利神城の城下町でした。その後、陣屋や本陣が置かれ、因幡街道最大の宿場町となり、また高瀬舟が佐用川を遡って海産物などを運び込んだこともあって、商業の町としても発展しました。

    平福の町並み。平福は江戸時代初期の30年間だけ利神城の城下町でした。その後、陣屋や本陣が置かれ、因幡街道最大の宿場町となり、また高瀬舟が佐用川を遡って海産物などを運び込んだこともあって、商業の町としても発展しました。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。南北におよそ1.2kmに、白漆喰の壁、千本格子戸、連子窓、虫籠窓などのある町屋が並び、往時の宿場町・商業の町の面影を伝えています。

    平福の町並み。南北におよそ1.2kmに、白漆喰の壁、千本格子戸、連子窓、虫籠窓などのある町屋が並び、往時の宿場町・商業の町の面影を伝えています。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。平福は1930年代までは佐用の中心でしたが、姫新線が開通して佐用駅ができると、町の中心はそちらに移り、さびれてしまったそうです。(智頭急行が開通し平福駅ができたのは、ずっと後の1994年)。

    平福の町並み。平福は1930年代までは佐用の中心でしたが、姫新線が開通して佐用駅ができると、町の中心はそちらに移り、さびれてしまったそうです。(智頭急行が開通し平福駅ができたのは、ずっと後の1994年)。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。この建物は前川家住宅です。漆喰と焼板張りの壁、千本格子、虫籠窓など、江戸時代の町屋の特徴を残しています。

    平福の町並み。この建物は前川家住宅です。漆喰と焼板張りの壁、千本格子、虫籠窓など、江戸時代の町屋の特徴を残しています。

    平福 名所・史跡

  • 前川家住宅、兵庫県の「景観形成重要建造物等」に指定されています。

    前川家住宅、兵庫県の「景観形成重要建造物等」に指定されています。

    平福 名所・史跡

  • 前川家住宅

    前川家住宅

    平福 名所・史跡

  • 吹屋小路。旧因幡街道と佐用川を結ぶ路地の一つです。右側は前川家住宅、左側ほ瓜生原家住宅、前方に佐用川が見えます(後ほど佐用川の川岸を歩きます)。

    吹屋小路。旧因幡街道と佐用川を結ぶ路地の一つです。右側は前川家住宅、左側ほ瓜生原家住宅、前方に佐用川が見えます(後ほど佐用川の川岸を歩きます)。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。

    平福の町並み。

    平福 名所・史跡

  • 瓜生原家住宅。築200年の古民家で、やはり県の「景観形成重要建造物等」に指定されています。千本格子戸のほか、越屋根(煙出し)、潜り戸、出棺口(葬式の際の出棺にだけ使う出口)など、町屋の特色を備えているそうです。

    瓜生原家住宅。築200年の古民家で、やはり県の「景観形成重要建造物等」に指定されています。千本格子戸のほか、越屋根(煙出し)、潜り戸、出棺口(葬式の際の出棺にだけ使う出口)など、町屋の特色を備えているそうです。

    平福 名所・史跡

  • 瓜生原家住宅。瓜生原家は江戸時代中頃から昭和のはじめまで続いた鋳物の商家です。「吹屋」という屋号があり、先ほどの「吹屋小路」の名もここから来ているそうです。

    瓜生原家住宅。瓜生原家は江戸時代中頃から昭和のはじめまで続いた鋳物の商家です。「吹屋」という屋号があり、先ほどの「吹屋小路」の名もここから来ているそうです。

    平福 名所・史跡

  • 瓜生原家住宅。現在、建物の一部は「お休み処 瓜生原」という喫茶・そばのお店になっています(中には入りませんでしたが)。古民具の展示などのイベントも、ときどき行われているようです。

    瓜生原家住宅。現在、建物の一部は「お休み処 瓜生原」という喫茶・そばのお店になっています(中には入りませんでしたが)。古民具の展示などのイベントも、ときどき行われているようです。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。こちらは旅館です。

    平福の町並み。こちらは旅館です。

    平福 名所・史跡

  • 旧田住邸。田住家は、江戸時代を通じて大庄屋を勤めた豪家で、宮本武蔵の母が再婚して田住家に入ったことから、幼少期の武蔵がここで養育されていたとも伝えられています。この邸宅の年代はわかりませんが、付随する庭園は江戸時代初期のものとされています。現在、建物の一部が農村カフェ「記憶」として保全活用されています。<br />実は旧田住邸や庭園のことはまったく知りませんでした。何枚もの町並みの写真のなかに、たまたまこの中途半端な一枚がありました。やはり、旅行前の下調べは大切です。

    旧田住邸。田住家は、江戸時代を通じて大庄屋を勤めた豪家で、宮本武蔵の母が再婚して田住家に入ったことから、幼少期の武蔵がここで養育されていたとも伝えられています。この邸宅の年代はわかりませんが、付随する庭園は江戸時代初期のものとされています。現在、建物の一部が農村カフェ「記憶」として保全活用されています。
    実は旧田住邸や庭園のことはまったく知りませんでした。何枚もの町並みの写真のなかに、たまたまこの中途半端な一枚がありました。やはり、旅行前の下調べは大切です。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み。この建物は「たつ乃屋醤油」本店、江戸時代初期の創業と言われています。

    平福の町並み。この建物は「たつ乃屋醤油」本店、江戸時代初期の創業と言われています。

    平福 名所・史跡

  • たつ乃屋醤油

    たつ乃屋醤油

    平福 名所・史跡

  • たつ乃屋醤油の横の路地。

    たつ乃屋醤油の横の路地。

    平福 名所・史跡

  • 平福の町並み

    平福の町並み

    平福 名所・史跡

  • 平福郷土館。江戸時代の町屋の建築様式を再現した資料館です。館内には、宿場を支えてきた商家の商い道具や民具類、利神城ゆかりの品々が展示されています。ただし、開館日は土曜日・日曜日・祝日(12月28日から1月3日の間除く) のみ。この日は金曜日で閉館でした。

    平福郷土館。江戸時代の町屋の建築様式を再現した資料館です。館内には、宿場を支えてきた商家の商い道具や民具類、利神城ゆかりの品々が展示されています。ただし、開館日は土曜日・日曜日・祝日(12月28日から1月3日の間除く) のみ。この日は金曜日で閉館でした。

    平福郷土館 美術館・博物館

  • 平福宿のシンボルにもなっている大きな提灯。左は平福本陣跡付近、右は平福郷土館付近。いずれも観光用の新しいものです。

    平福宿のシンボルにもなっている大きな提灯。左は平福本陣跡付近、右は平福郷土館付近。いずれも観光用の新しいものです。

  • 平福の川端風景「川面に映る町屋群」。前川家住宅や瓜生原家住宅など、旧因幡街道の東側に並ぶ町屋の裏側は佐用川に面しています。どの住宅にも石垣があり、その上に土蔵や川座敷があります。<br />建物の高さはまちまちでも、石垣の高さは統一され、美しい景観をつくっています。さらに、佐用川の川面にさざ波がなく静かなとき、これら町屋群は水面にきれいに映ります。

    平福の川端風景「川面に映る町屋群」。前川家住宅や瓜生原家住宅など、旧因幡街道の東側に並ぶ町屋の裏側は佐用川に面しています。どの住宅にも石垣があり、その上に土蔵や川座敷があります。
    建物の高さはまちまちでも、石垣の高さは統一され、美しい景観をつくっています。さらに、佐用川の川面にさざ波がなく静かなとき、これら町屋群は水面にきれいに映ります。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景「川面に映る町屋群」。石垣の下には、川面よりわずかに高い位置に川岸の道が通っています。各町屋には川岸側に川門(川戸)と呼ばれ小さな出入口があります。

    平福の川端風景「川面に映る町屋群」。石垣の下には、川面よりわずかに高い位置に川岸の道が通っています。各町屋には川岸側に川門(川戸)と呼ばれ小さな出入口があります。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景「川面に映る町屋群」。街道側の白漆喰・焼板張りの壁、格子戸、虫籠窓の景観と、佐用川沿の茶色の土蔵の景観は、実に対照的です。

    平福の川端風景「川面に映る町屋群」。街道側の白漆喰・焼板張りの壁、格子戸、虫籠窓の景観と、佐用川沿の茶色の土蔵の景観は、実に対照的です。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景「川面に映る町屋群」。瓜生原家の土蔵です。所どころ石垣が切れているところが川門です。この日の午前中は曇っていましたが、ほぼ無風で、佐用川の水面は至って静かでした。

    平福の川端風景「川面に映る町屋群」。瓜生原家の土蔵です。所どころ石垣が切れているところが川門です。この日の午前中は曇っていましたが、ほぼ無風で、佐用川の水面は至って静かでした。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景「川面に映る町屋群」。先ほど旧街道の方から見た「吹屋小路」の川端側が中央に見えています。その右側は瓜生原家住宅、左側が前川家住宅です。高さのそろった石垣、その手前の川岸の道。瓜生原家の川門も見えます。

    平福の川端風景「川面に映る町屋群」。先ほど旧街道の方から見た「吹屋小路」の川端側が中央に見えています。その右側は瓜生原家住宅、左側が前川家住宅です。高さのそろった石垣、その手前の川岸の道。瓜生原家の川門も見えます。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景、前の写真を少し望遠で。中央やや左が吹屋小路、そのすぐ右側が瓜生原家の川座敷、さらに蔵と川門、その向こう(街道側)の大屋根には越屋根が付いています。吹屋小路の左が前川家の蔵、さらに川座敷。小路手前の河岸に舟を付けて、荷の積み下ろしをしていたのでしょう。

    平福の川端風景、前の写真を少し望遠で。中央やや左が吹屋小路、そのすぐ右側が瓜生原家の川座敷、さらに蔵と川門、その向こう(街道側)の大屋根には越屋根が付いています。吹屋小路の左が前川家の蔵、さらに川座敷。小路手前の河岸に舟を付けて、荷の積み下ろしをしていたのでしょう。

    平福 名所・史跡

  • 「川面に映る町屋群」の案内板にある解説。

    「川面に映る町屋群」の案内板にある解説。

    平福 名所・史跡

  • 平福の川端風景。昼を過ぎた頃には風が出て、水面にさざ波が立ち、蔵も川座敷も石垣も川門も、もはやきれいには映らなくなってしまいました。

    平福の川端風景。昼を過ぎた頃には風が出て、水面にさざ波が立ち、蔵も川座敷も石垣も川門も、もはやきれいには映らなくなってしまいました。

    平福 名所・史跡

  • 川岸の道を歩いてみました。これは前川家の石垣、川座敷、蔵です。写真右側は吹屋小路。

    川岸の道を歩いてみました。これは前川家の石垣、川座敷、蔵です。写真右側は吹屋小路。

    平福 名所・史跡

  • 吹屋小路が川岸の道に出るところです。

    吹屋小路が川岸の道に出るところです。

    平福 名所・史跡

  • 瓜生原家住宅の川門の一つです。「お休み処 瓜生原」の裏口でもあるようです。

    瓜生原家住宅の川門の一つです。「お休み処 瓜生原」の裏口でもあるようです。

    平福 名所・史跡

  • 川岸の道から見た瓜生原家の土蔵と石垣。

    川岸の道から見た瓜生原家の土蔵と石垣。

    平福 名所・史跡

  • 瓜生原家の土蔵、石垣と川門。

    瓜生原家の土蔵、石垣と川門。

    平福 名所・史跡

  • 川岸の道から見た前川家の建物。石垣の上、手前がの土蔵、その先が川座敷です。右側は佐用川。

    川岸の道から見た前川家の建物。石垣の上、手前がの土蔵、その先が川座敷です。右側は佐用川。

    平福 名所・史跡

  • こちらは瓜生原家の建物。石垣の上、手前がの川座敷、その先が土蔵です。右側は佐用川、向こうに天神橋が見えます。

    こちらは瓜生原家の建物。石垣の上、手前がの川座敷、その先が土蔵です。右側は佐用川、向こうに天神橋が見えます。

    平福 名所・史跡

  • 川端風景「川面に映る町屋群」の見られる場所の少し川下で、佐用川の流れは堰き止められています。このために川上の町屋付近では流れが緩やかになり、建物が川面に映るようになっているのです。

    川端風景「川面に映る町屋群」の見られる場所の少し川下で、佐用川の流れは堰き止められています。このために川上の町屋付近では流れが緩やかになり、建物が川面に映るようになっているのです。

    平福 名所・史跡

  • 宮本武蔵決闘の場、金倉橋のたもとに碑があります。武蔵13歳のとき初めて剣の試合をした場所と伝えられています。新当流の有馬喜兵衛に勝ったそうです。

    宮本武蔵決闘の場、金倉橋のたもとに碑があります。武蔵13歳のとき初めて剣の試合をした場所と伝えられています。新当流の有馬喜兵衛に勝ったそうです。

    平福 名所・史跡

  • 金倉の六地蔵。「決闘の場」は刑場でもあったそうで、供養のために六体の地蔵が祀られています。

    金倉の六地蔵。「決闘の場」は刑場でもあったそうで、供養のために六体の地蔵が祀られています。

    平福 名所・史跡

  • 道の駅「宿場町ひらふく」。旧街道と平行して走る国道373号線沿いにあります。

    道の駅「宿場町ひらふく」。旧街道と平行して走る国道373号線沿いにあります。

    道の駅 宿場町ひらふく 道の駅

  • 道の駅「宿場町ひらふく」。これは地元農家が生産した野菜。

    道の駅「宿場町ひらふく」。これは地元農家が生産した野菜。

    道の駅 宿場町ひらふく 道の駅

  • 平福陣屋門、江戸時代末期に代官の佐々木平八郎が建築したと言われています。この中が代官所跡。道の駅「宿場町ひらふく」の隣です。

    平福陣屋門、江戸時代末期に代官の佐々木平八郎が建築したと言われています。この中が代官所跡。道の駅「宿場町ひらふく」の隣です。

  • 道の駅「宿場町ひらふく」に隣接する展望台「利神城ビューポイント」から見た利神城天守跡。写真中央の山頂にあります。手前は平福の町並み、右の山の下に平福駅が見えます。

    道の駅「宿場町ひらふく」に隣接する展望台「利神城ビューポイント」から見た利神城天守跡。写真中央の山頂にあります。手前は平福の町並み、右の山の下に平福駅が見えます。

    道の駅 宿場町ひらふく 道の駅

  • 同じく展望台から見た利神城天守跡。望遠にすると城郭の石垣が見えます。<br />関ヶ原の戦い(1600年)のあと、池田出羽守由之が平福の領主となり、利神山に5年をかけて城を築き、城下町を整備したと言われています。

    同じく展望台から見た利神城天守跡。望遠にすると城郭の石垣が見えます。
    関ヶ原の戦い(1600年)のあと、池田出羽守由之が平福の領主となり、利神山に5年をかけて城を築き、城下町を整備したと言われています。

    道の駅 宿場町ひらふく 道の駅

  • 少し角度を変えて、旧街道の町並みのやや北側から見た利神城天守跡。<br />平福が城下町として繁栄したのは、池田氏が支配したその後の25年間のみで、領主が代わると因幡街道の宿場町へと移行していった言います。

    少し角度を変えて、旧街道の町並みのやや北側から見た利神城天守跡。
    平福が城下町として繁栄したのは、池田氏が支配したその後の25年間のみで、領主が代わると因幡街道の宿場町へと移行していった言います。

    平福 名所・史跡

  • 平福駅のすぐ南、智頭急行の殿町トンネルの上に、利神城跡へ上がる登山道があります。ただし、石垣など城郭の一部が崩壊して危険なため、現在通行が禁止されています。

    平福駅のすぐ南、智頭急行の殿町トンネルの上に、利神城跡へ上がる登山道があります。ただし、石垣など城郭の一部が崩壊して危険なため、現在通行が禁止されています。

    平福 名所・史跡

  • 前の写真の少し左の方、線路下の登山道入口には、町によって立ち入り禁止の看板が設置されています。

    前の写真の少し左の方、線路下の登山道入口には、町によって立ち入り禁止の看板が設置されています。

    平福 名所・史跡

  • 利神城南石塁。山上の城跡(天守・本丸・二ノ丸などの跡)へ行くことはできませんが、山麓の平福駅北側一帯にも利神城の多くの石垣が残っています。

    利神城南石塁。山上の城跡(天守・本丸・二ノ丸などの跡)へ行くことはできませんが、山麓の平福駅北側一帯にも利神城の多くの石垣が残っています。

    平福 名所・史跡

  • 利神城南石塁。手前の枯れ草の部分には堀があったと言われています。

    利神城南石塁。手前の枯れ草の部分には堀があったと言われています。

    平福 名所・史跡

  • 利神城南石塁の石垣

    利神城南石塁の石垣

    平福 名所・史跡

  • 南石塁の山側(城側)の一部は、智頭急行の建設のさいにやむなく撤去されました。智頭行き普通列車が石塁を横切って通過して行きました。

    南石塁の山側(城側)の一部は、智頭急行の建設のさいにやむなく撤去されました。智頭行き普通列車が石塁を横切って通過して行きました。

    平福 名所・史跡

  • 南石塁と特急「スーパーはくと」

    南石塁と特急「スーパーはくと」

    平福 名所・史跡

  • 利神城「うわがみ門」付近の石垣。うわがみ門は登城道につながる門で、この北側と南側にそれぞれ北石塁と南石塁が配置され、佐用川が堀の役目をはたしていたそうです。

    利神城「うわがみ門」付近の石垣。うわがみ門は登城道につながる門で、この北側と南側にそれぞれ北石塁と南石塁が配置され、佐用川が堀の役目をはたしていたそうです。

    平福 名所・史跡

  • 利神城「うわがみ門」付近の石垣。

    利神城「うわがみ門」付近の石垣。

    平福 名所・史跡

  • 利神城「うわがみ門」付近の石垣。このすぐ裏は智頭急行が線路です。その向こう側は御殿屋敷跡(藩主屋敷地)とのことですが。そのことを知らずに引き返してしまいました。

    利神城「うわがみ門」付近の石垣。このすぐ裏は智頭急行が線路です。その向こう側は御殿屋敷跡(藩主屋敷地)とのことですが。そのことを知らずに引き返してしまいました。

    平福 名所・史跡

  • 「利神城・平福御殿屋敷跡 縄張り配置図」、道の駅にある案内板。山上の天守・本丸・二ノ丸など「利神城跡」、山麓のうわがみ門、その南北にある石塁、御殿屋敷跡など、城の構造物の配置が描かれています。

    「利神城・平福御殿屋敷跡 縄張り配置図」、道の駅にある案内板。山上の天守・本丸・二ノ丸など「利神城跡」、山麓のうわがみ門、その南北にある石塁、御殿屋敷跡など、城の構造物の配置が描かれています。

  • 南石塁とうわがみ門跡の間の農地。この辺りは家臣たちの屋敷地だったようです。

    南石塁とうわがみ門跡の間の農地。この辺りは家臣たちの屋敷地だったようです。

    平福 名所・史跡

  • 約4時間散策して平福駅に戻ってきました。

    約4時間散策して平福駅に戻ってきました。

    平福駅

  • 平福駅。2012年の佐用川改修にともなう発掘調査で見つかった利神城石垣の石。駅前広場横に展示してあります。石を割るときに使った楔の跡(矢穴)が残っています。

    平福駅。2012年の佐用川改修にともなう発掘調査で見つかった利神城石垣の石。駅前広場横に展示してあります。石を割るときに使った楔の跡(矢穴)が残っています。

    平福駅

  • 平福駅、構内踏切。

    平福駅、構内踏切。

    平福駅

  • 15時31分発、上郡行き普通列車に乗りました。

    15時31分発、上郡行き普通列車に乗りました。

  • 佐用駅。向こう側のホームに昨年10月に利用したJR姫新線の普通列車<br />が停まっていました。

    佐用駅。向こう側のホームに昨年10月に利用したJR姫新線の普通列車
    が停まっていました。

    佐用駅

  • 西日が当たり、東側に高架と列車の影が見えました。

    西日が当たり、東側に高架と列車の影が見えました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • mom Kさん 2020/04/14 20:46:26
    インプット平福
    よっちさん、こんばんは。わが旅行記に共感くださってありがとうございます。
    本旅行記の表紙に釘付け。日本に?!これは見たいなあ。ここに立ってみたいなあと
    思いました。松江にいたこともあり、なんとなく山陽山陰の主なところは知っているつもりが不覚。昔々吹屋には訪れているのに。日本も広い、深いですね。土壁の色に窓のデザイン、ほかには見たことがありません。教えてくださってありがとうございます。
  • salsaladyさん 2020/03/13 11:03:58
    ローカル線の旅~日本人でも読めない駅が-智頭(chizu)?
    ☆日本中が閉塞感を感じている時は、4tra.にて他人様と共に歩いた気になるのが良いかもしれない。

    ☆私も、千葉に住み着いて30数年にも為るのに、この際日帰りできる場所を探しつ津、日々宝探しの感覚です。

    ☆地図でなくて智頭!先日「さわら」へ行く途中でも普通の読み方とは違う地名が続出で如何に地域のことを知らないかを実感しました。

    例)匝瑳ー多古ー生尾ー山武ー海辺里ー神崎~私のブログに答えがあるよ !

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