2019/11/04 - 2019/11/04
63位(同エリア112件中)
naoさん
古来、京都と大坂を結ぶ交通手段は淀川を船で往来するのが主で、陸路の場合は、八幡から東高野街道を通るか、樟葉から枚方に出て飯盛山の西麓から大坂へ入るかのいずれかであり、相当な距離と時間を要していました。
このため、文禄3年(1594年)に伏見城の築城に着手した豊臣秀吉は、文禄5年(1596年)に毛利輝元や小早川隆景などに命じて京都と大坂を最短距離で結ぶ「文禄堤」を淀川左岸に築かせ、この堤防上に京街道を整備して大坂の防衛力強化を図りました。
大阪府守口市は、大阪市の北東部に隣接するまちで、江戸時代の元和2年(1616年)に京街道に沿って守口宿が形成されました。
守口宿には脇本陣は置かれませんでしたが、本陣1軒、問屋2軒、問屋場1軒が設けられ、旅籠屋は27軒を数える宿場町でした。
本来、東海道は江戸の日本橋から京都の三条大橋までですが、徳川幕府が諸国の大名が京都で朝廷や公家と接触するのを禁止したため、参勤交代の大名行列は京都を通らずに大坂へ向かわざるを得なかったことから、東海道五十三次の大津宿の先の山科追分で分岐した後、伏見、枚方などを経て大坂の高麗橋に至る京街道が整備され、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられました。
ちなみに、宝永年間(1704年~1710年)には、これら4つの宿場を加えて「東海道五十七次」と呼ぶこともあったようです。
豊臣秀吉が毛利輝元や小早川隆景などに命じて築かせた「文禄堤」は、淀川の改修工事などで大半が姿を消してしまいましたが、守口市内にはその一部が現存しており、守口宿の名残を留める一里塚跡や本陣跡などとともに、宿場町時代の面影をしのぶことが出来ます。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大阪メトロ谷町線の守口駅に着きました。
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ここから守口の町歩きを始めます。
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これは守口宿の北の見附にあたる一里塚跡に立てられている記念碑です。
江戸時代の旅人は、街道筋に設けられた一里塚を目印として歩いていたんですね。 -
こちらの町家は車庫として使われているんでしょうね。
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京街道の町並みです。
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厨子2階建ての町家です。
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こちらの町家は、外格子をめぐらせておられます。
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国道1号線を南に渡った先の町並みです。
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かつてこの辺りに架けられていた「瓶橋」の欄干の親柱が、町家の前庭に残っています。
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こちらがもう一方の親柱で、一対で残っています。
元々土橋だった「瓶橋」を、嘉永元年(1848年)に村人が、私財を出し合って石橋にたんだそうです。 -
防火のための袖壁を出した町家です。
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かつての木造建物と旨く融合するように増築された町家には、風格のある門構えが残されています。
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浄土真宗大谷派の盛泉寺の門前に、内侍所奉安所阯(ないしどころほうあんしょあと)の石碑が立てられています。
慶応4年(1868年)に明治天皇が大阪に行幸された際、本堂の前に賢所として仮宮殿が設けられました。 -
背の高い土塀をめぐらせた町家です。
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京街道の町並みです。
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道路をはさんだ難宗寺の向かいに立つ道標です。
読みづらいですが、「東海道守口宿 右大坂」と書かれているようです。 -
難宗寺の角に立つ石標群。
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もちろん、京街道だったころの古い道標も立っています。
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「大塩平八郎ゆかりの書院跡」と刻まれた石碑が立てられています。
説明書によれば、白井家は天保8年(1837年)に「大塩の乱」を起こした大坂東町奉行所の与力大塩平八郎が、守口近郷の農民たちに陽明学を教えていた私塾「洗心洞」の有力な門人だったようで、経済的にも支援していたそうです。 -
現在は自転車置場になっていますが、こちらが守口宿の本陣跡です。
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京街道の町並みです。
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風情ある町家の下屋の上では、二体の鍾馗様が睨みを利かせています。
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守口市には、文禄5年(1596年)に豊臣秀吉が命じて築かせた「文禄堤」の一部が現存しています。
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「文禄堤」の堤防上を京街道が通っていたことを示す説明書と略図が掲げられています。
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京街道から一段低くなっている部分の、現在の町並みです。
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ここは淀川の「五ヶ荘用水路跡」で、淀川から取り込んだ水を田畑などに引いていました。
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樋門の一部を構成していたと考えられる石材が残っています。
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京街道の町並みです。
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町家を改装したヘアースタジオは・・・
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外格子の奥に出入口が設けられています。
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この町家の横にも下りの石段が延びています。
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この古びた石畳の坂道は「来迎坂」と言って、清滝を越えて木津から奈良へ向かう旧奈良街道へと通じています。
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京街道との分岐点には、「右 なら のさき みち」と刻まれた道標が立っています。
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「来迎坂」の下から見上げた光景です。
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では、京街道へ戻ります。
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京街道の町並みです。
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漆喰塗籠めの虫籠窓や格子などをしつらえた伝統的な町家のあるお屋敷です。
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名栗加工の出格子もめぐらされています。
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京街道の町並みを見返した光景です。
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漆喰塗籠めの瓜型の虫籠窓をしつらえた町家は・・・
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写真館を営んでおられます。
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町並みの景観を損なわないようにデザインされた新しい町家です。
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京街道の町並みです。
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こちらは町家を活用したティールームで、世界中の茶葉が楽しめるそうです。
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道路に埋め込まれた京街道の標示板。
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再現された高札場。
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下を通る道路と本町橋で立体交差するこの道路も・・・
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守口市内にわずかに残された「文禄堤」の一部で、今も現役で使われています。
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この「文禄堤」は京阪本線守口市駅の北西側を通っていて、橋の上からはその駅舎が望めます。
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では、京街道を先に進みます。
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これは現代版の道標ですね。
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京街道の町並みです。
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2階に木製の手すりをしつらえた町家です。
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土塀の上に、ひょろっと背の高い見越しの松が立っています。
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この見越しの松、周りから仲間外れにされているようで、何かさみしそうです・・・。
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玄関上に破風の付いた屋根を架けた町家です。
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京街道の町並みです。
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軒先に緑青の吹いた銅板を張った町家です。
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この守居橋が架かっているのも「文禄堤」の一部になります。
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さて、この辺りが守口宿の南の見附になります。
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では、このあたりで東海道五十七次の守口宿を後にします。
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