2019/11/20 - 2019/11/20
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belleduneさん
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笠間の日動美術館分館となっている「春風萬里荘」へ行ってきました。
昭和40年に北鎌倉から移築されたものです。茅葺入りもや造りの江戸中期の民家は、厚木近郊の高座郡御所見村の豪族だったもので、大庄屋であった伊東家の母屋を昭和初期に北大路魯山人が、北鎌倉山崎に開いた星岡窯の母屋として、もう一軒の慶雲閣と共に移築して、住居としたもの。
- 旅行の満足度
- 4.5
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昭和39年に洋画家の朝井閑右衛門と小説家田村康次郎が長谷川仁日動画廊社長と共に笠間を訪れた時、笠間にアトリエを作りたいという作家たちの要望で、「芸術の森」の計画が起こりました。
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昭和40年に北大路魯山人が住んでいた300平方mの民家を鎌倉からここに移築し、「春風萬里荘」と名付けられました。
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「唐詩選」の中にある李白の詩に「黄鶴西楼月 長江萬里情 春風三十度 空憶武昌城」から来ているのだそうです。春風とは1年を指し、三十度ということで、30年も経ってしまったということ。
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当館創設者の長谷川仁ご夫妻の像
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庭園を見ながら、先に長屋門へ行って見ます。
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長屋門
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長屋門前に立つ竹道次作の「鳥と少女」の像 (1994)ちょっと寒そうな...
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長屋門から見た庭園の景色。現在改修工事で残念ですが。枝垂桜が春になると綺麗でしょうね。
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木内克作の「たまゆら」(1975)
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母屋横の洋間辺りの庭園
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この洋間は、元は馬屋だったものを北大路魯山人が独自の感覚で改造したそうです。中央の馬を繋いだ柱を残して、ケヤキなどの芯木を土間に打ち込み、「木レンガ」という床にしました。象首の棚受けも彼の作。
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時計は北大路魯山人が以前から使っていたもの。
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天井部分
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朝倉文夫作のブロンズ「猫」
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自然石の暖炉
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このテーブルは、洋画家・金山平三(1883~1964)が愛用していたものだそうです。金山と親交のあった当館創設者の長谷川仁氏が譲り受けたもの。金山は、下落合に2階建の住居を新築し、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館の壁画制作をしていました。この辺りの地勢がスポエインの古都アヴィラとそっくりだったため、金山はアヴィラ村と命名しました。高台であったので、眺望に恵まれ、当時、アヴィラ村は芸術家憧憬の地となり、多くの芸術家、文化人が移り住みました。彼の死後、2012年に解体されてしまいました。
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当時のアヴィラ村の住居
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手斧で削って作った長椅子
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素晴らしい!
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桟越しに入る陽が影を映して良いですね。
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長椅子の上部分。中央の細長くなっているところは以前、照明があったらしい。
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木レンガの床も見事です。
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ステンドグラスは当初はすべてのガラス窓にあったという。現在、扉の奥は外になっています。左手には自作の「アサガオ」があります。
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右手の丸太を削った目隠し
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お風呂場を庭から見たところ
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母屋の手前に、洋間の暖炉の煙突が見えます。
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洗面所から見た庭園の景色
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お風呂場は脱衣場を含めると10畳ほどあり、長州風呂と上がり湯、洗い場があります。
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壁には、魯山人作の青竹を模した半円形の筒型の織部陶板が張りめぐらされ、棕櫚縄で閉められた絵付けもなされていました。
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この風呂場には窓を多く、冬期には寒いだろうな、と思いました。
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窓下の陶板は、上がり湯、長州風呂側とは異なる陶板でした。
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風呂場からの眺めも素晴らしい。
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こちらは現在のトイレなので、新しく建てられたものでした。
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母屋へ上がります。
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まず、廊下を進むと、昔の歪みのあるガラスの入ったものでした。廊下上部の桟も嬉しい仕上げです。
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縁から見た庭園の景色。
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廊下角の天井部分。
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仏壇は東大寺本堂の屋根組などを模し、上部垂木にあたる部分が三柏の家紋を打ち込んだ金具が嵌め込まれています。地味ですが、透し彫りの技巧を駆使している優れものだそうです。
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欄間
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欄間の模様
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庭園前の廊下から縁側
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竜安寺を思わせる庭園
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丁度紅葉の時期だったので、良い景色ですね。
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人が少ないので、とても静かに過ごすことができました。
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隣がお茶室ですが、窓の上についているライトはどんな時に付けるのでしょう。
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縁側の上部
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染付向つけ、奥が於り遍鉢。
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備前四方長皿
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織部風マス鉢
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左が黄瀬戸盃、赤呉須さけのみ。
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染付方鉢 満地清風
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お茶室から母屋への庭園
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木戸辺り
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木戸
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お茶室へ向かいます。
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茶室「無境庵」へ入る手前の小窓から見た庭
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千宗旦によって通られた裏千家の名茶室「又隠」(ゆういん)を手本として、魯山人が設計したものだそうです。四畳半の茶室、三畳の控えの間、洞庫口水屋からなっています。
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茶室の床
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床柱は黒柿、無目の南天の樹が使われているそうです。
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躙り口際の塗る壁になっている部分には貴人口が設けられています。北鎌倉に会った時には、母屋から離れた茅葺入母屋造りの独立した茶室で、魯山人が安息所として使って痛そうです。
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茶室天井部分
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お茶室から見たお庭
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3畳の控えの間から見たところ
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水屋
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母屋へ行く途中にある縁辺り
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縁の下
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縁の上部
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母屋に掛かっている高橋是清の「和風喜氣相随」の額。
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江戸時代後期の岡本秋暉作の「花鳥杉戸絵」。滝、桜の老樹、牡丹、キジ、空にツバメ、岩の上に双鶴が描かれているので、これが双鶴かな。裏には漢詩と山水画があるそうです。
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魯山人愛用の衣桁
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下部分の彫刻が面白い
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衣桁の裏面
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主屋横の洋間(馬屋だったところ)の入り口
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