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■スタッフの旅行報告記<br /><br /> シベリア出兵による住民虐殺事件で犠牲になったロシア人とシベリア抑留中に彼の地で亡くなった日本人をともに慰霊する「慰霊と交流の旅」を、今年も「ロシアとの友好・親善をすすめる会」(理事長;横山周導氏・岐阜県揖斐郡 勝善寺住職)が8月に行いました。以下は、このツアーを毎年手配してきて、今回一緒に参加したジェーアイシー旅行センター大阪支店のスタッフの同行レポートです。<br /><br /><br />■<br /><br /> 8月20日から8日間の日程で「イワノフカ村・アムール州・ハバロフスク慰霊と交流の旅」に参加してきました。これは100年前のシベリア出兵で日本軍に虐殺されたイワノフカ村の犠牲者を弔い、同時に、第二次大戦戦後ソ連に抑留され日本に帰国できずに亡くなった方々のお墓にお参りして、墓地の管理をしていただいている現地の方々と交流を重ねる旅です。この「慰霊と交流の旅」を毎年続けているのは、JICインフォメーション193号でも活動を紹介した「ロシアとの友好・親善をすすめる会」の理事長であり勝善寺の住職・横山周導さんです。昨年はシベリア出兵(イワノフカ村事件)100周年という節目の年で、30人以上が参加しましたが、今年は13名+添乗員というメンバーで、94歳の横山先生を筆頭に80代から70代が大半をしめるグループでした(ちなみに私は参加者中で2番目の若さ)。<br /><br /> この墓参と交流の旅が、厚生労働省や他の抑留者団体の主催する墓参の旅と違う点としては、メンバーの中に横山先生をはじめとする僧侶が参加し、各慰霊碑や日本人墓地でお経をあげ焼香しロシアで亡くなった抑留者の方々を手厚く弔うこと、またそれだけでなく、日本人墓地を守り整備していただいている現地の村の代表の方々と歓談したり、地域の学校を訪問して交流をするプログラムがあることです。

イワノフカ村・アムール州・ハバロフスク慰霊と交流の旅

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2019/08/20 - 2019/08/27

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■スタッフの旅行報告記

 シベリア出兵による住民虐殺事件で犠牲になったロシア人とシベリア抑留中に彼の地で亡くなった日本人をともに慰霊する「慰霊と交流の旅」を、今年も「ロシアとの友好・親善をすすめる会」(理事長;横山周導氏・岐阜県揖斐郡 勝善寺住職)が8月に行いました。以下は、このツアーを毎年手配してきて、今回一緒に参加したジェーアイシー旅行センター大阪支店のスタッフの同行レポートです。




 8月20日から8日間の日程で「イワノフカ村・アムール州・ハバロフスク慰霊と交流の旅」に参加してきました。これは100年前のシベリア出兵で日本軍に虐殺されたイワノフカ村の犠牲者を弔い、同時に、第二次大戦戦後ソ連に抑留され日本に帰国できずに亡くなった方々のお墓にお参りして、墓地の管理をしていただいている現地の方々と交流を重ねる旅です。この「慰霊と交流の旅」を毎年続けているのは、JICインフォメーション193号でも活動を紹介した「ロシアとの友好・親善をすすめる会」の理事長であり勝善寺の住職・横山周導さんです。昨年はシベリア出兵(イワノフカ村事件)100周年という節目の年で、30人以上が参加しましたが、今年は13名+添乗員というメンバーで、94歳の横山先生を筆頭に80代から70代が大半をしめるグループでした(ちなみに私は参加者中で2番目の若さ)。

 この墓参と交流の旅が、厚生労働省や他の抑留者団体の主催する墓参の旅と違う点としては、メンバーの中に横山先生をはじめとする僧侶が参加し、各慰霊碑や日本人墓地でお経をあげ焼香しロシアで亡くなった抑留者の方々を手厚く弔うこと、またそれだけでなく、日本人墓地を守り整備していただいている現地の村の代表の方々と歓談したり、地域の学校を訪問して交流をするプログラムがあることです。

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  • ■広大な農村地帯<br /><br /> グループは成田からハバロフスクへ飛び、夜行列車で一晩移動してアムール州の州都ブラゴヴェシェンスクに到着しました。アムール州内のイワノフカ村、タンボフ地区、スバヴォードヌイ市、ベラゴルスク市などで墓参と慰霊を重ね、ハバロフスク経由で帰国しました。<br /><br /> ブラゴヴェシェンスクはアムール川(中国名:黒竜江)の左岸に広がるロシア極東の内陸都市です。ロシアと中国との国境を流れるアムール川の対岸には中国側の黒河という町が見えます。川幅はわずか数百メートル。中ロの国境貿易で栄える町でもあり、1日何便もフェリーが行き交っています。現在、ブラゴベシチェンスクと黒河を結ぶ道路橋の建設が進んでおり、2020年春に完成する予定です。<br /><br /> ホテルからバスに乗って20分も走ると、バスの両方の窓にはただ広い緑の地平線と空と雲以外なにもない風景が現れました。広い畑で栽培されているのはジャガイモであったり大豆であったりですが、作物が地平線の彼方まで広がっている様子は、日本とはあまりにスケールが違いすぎて気が遠くなるような気がします。はるか遠くにある雲の流れを眺めていると、遠くで雨が降っていて、その雨がこちらに近づいてくる様子も手に取るようにわかるのです。<br /><br /><br />■地元の人たちが墓地の手入れ<br /><br /> 日本人墓地は、村や町のはずれの雑木林の中に隠れるように佇んでいました。ロシア人墓地と隣接している墓地もありますが、ほとんどはちょっと眺めただけではどこにあるか分からないような雑木林や草原の中にありました。墓地の手入れしてくれている地元の人たちの手で草が刈り取られ、歩きやすくなった道を先導されて進むと、開けた場所に白く塗られた石で囲まれたお墓が現れます。<br /><br />今回参加したメンバーのうち4名の方が僧侶でした。僧侶の方々が袈裟に着替えて草履をはき読経の準備をする間に、他の参加者は簡易祭壇を組み立て、ろうそくを立て、焼香の準備をします。日本から持ちこんだお供えのお菓子をならべ、写経を持参した方は近くに埋設するなど、思い思いにお供えをします。<br /><br /><br />■蚊に襲われながらも読経と焼香<br /><br /> その間ずっと大きな蚊の大群が、久しぶりの人の気配を感じて集まり、顔や首筋、腕や足を服の上からも容赦なく襲ってきます。昨年の参加者から聞いて、私は顔と首をすっぽり覆う防虫ネットを持ってきましたが、それなしではお経をあげている間じっとしていることが難しいぐらいでした。僧侶の皆さんはもちろんネットも帽子もかぶらず、頭の上から蚊よけスプレーをたっぷりかけてから読経をします。参加者も焼香をする際はかぶり物を脱いで前に進み、蚊に襲われながらお焼香します。<br /> <br /> イワノフカ村では日本人墓地だけでなく、シベリア出兵で日本軍に殺された地元のロシア人犠牲者を偲ぶ慰霊碑にも参拝しましたが、その時には案内してくれた村の方々や通りがかりの村人も日本人と一緒に見よう見まねで焼香をしてくれました。<br /><br /> 読経と全員の焼香が終わると、参加者全員で声をそろえて日本の童謡「夕焼け小焼け」を歌い、しばし黙祷をして一連の参拝は終了します。

    ■広大な農村地帯

     グループは成田からハバロフスクへ飛び、夜行列車で一晩移動してアムール州の州都ブラゴヴェシェンスクに到着しました。アムール州内のイワノフカ村、タンボフ地区、スバヴォードヌイ市、ベラゴルスク市などで墓参と慰霊を重ね、ハバロフスク経由で帰国しました。

     ブラゴヴェシェンスクはアムール川(中国名:黒竜江)の左岸に広がるロシア極東の内陸都市です。ロシアと中国との国境を流れるアムール川の対岸には中国側の黒河という町が見えます。川幅はわずか数百メートル。中ロの国境貿易で栄える町でもあり、1日何便もフェリーが行き交っています。現在、ブラゴベシチェンスクと黒河を結ぶ道路橋の建設が進んでおり、2020年春に完成する予定です。

     ホテルからバスに乗って20分も走ると、バスの両方の窓にはただ広い緑の地平線と空と雲以外なにもない風景が現れました。広い畑で栽培されているのはジャガイモであったり大豆であったりですが、作物が地平線の彼方まで広がっている様子は、日本とはあまりにスケールが違いすぎて気が遠くなるような気がします。はるか遠くにある雲の流れを眺めていると、遠くで雨が降っていて、その雨がこちらに近づいてくる様子も手に取るようにわかるのです。


    ■地元の人たちが墓地の手入れ

     日本人墓地は、村や町のはずれの雑木林の中に隠れるように佇んでいました。ロシア人墓地と隣接している墓地もありますが、ほとんどはちょっと眺めただけではどこにあるか分からないような雑木林や草原の中にありました。墓地の手入れしてくれている地元の人たちの手で草が刈り取られ、歩きやすくなった道を先導されて進むと、開けた場所に白く塗られた石で囲まれたお墓が現れます。

    今回参加したメンバーのうち4名の方が僧侶でした。僧侶の方々が袈裟に着替えて草履をはき読経の準備をする間に、他の参加者は簡易祭壇を組み立て、ろうそくを立て、焼香の準備をします。日本から持ちこんだお供えのお菓子をならべ、写経を持参した方は近くに埋設するなど、思い思いにお供えをします。


    ■蚊に襲われながらも読経と焼香

     その間ずっと大きな蚊の大群が、久しぶりの人の気配を感じて集まり、顔や首筋、腕や足を服の上からも容赦なく襲ってきます。昨年の参加者から聞いて、私は顔と首をすっぽり覆う防虫ネットを持ってきましたが、それなしではお経をあげている間じっとしていることが難しいぐらいでした。僧侶の皆さんはもちろんネットも帽子もかぶらず、頭の上から蚊よけスプレーをたっぷりかけてから読経をします。参加者も焼香をする際はかぶり物を脱いで前に進み、蚊に襲われながらお焼香します。

     イワノフカ村では日本人墓地だけでなく、シベリア出兵で日本軍に殺された地元のロシア人犠牲者を偲ぶ慰霊碑にも参拝しましたが、その時には案内してくれた村の方々や通りがかりの村人も日本人と一緒に見よう見まねで焼香をしてくれました。

     読経と全員の焼香が終わると、参加者全員で声をそろえて日本の童謡「夕焼け小焼け」を歌い、しばし黙祷をして一連の参拝は終了します。

  • ■村々での交流会<br /><br /> 今回訪問したアムール州のイワノフカ村もノヴォアレクサンドロフカ村やタンボフカ村、ラズドリノエ村もそうでしたが、広い平野で大豆やジャガイモを栽培する豊かな農村地帯であり、どの村の人々もわが村に誇りを持ち、私たちを村の博物館や学校、教会などに案内してくれました。<br /><br /> 私自身はこれまでウラジオストクやモスクワなど都市にしか滞在したことがなかったので、窓にレースのカーテンがかかり鉢植えの花が飾られているかわいい平屋(2階建の家もあるが)が建ち並ぶ村の様子は、初めて見るロシアの風景と言ってもよく、平屋といえばあばら家で貧しいイメージしか持っていなかった私にとっては、よい意味でロシアの田舎のイメージを裏切るものでした。<br /><br /> 村のみなさんは毎年このグループが来るのを楽しみにしているようで、子供たちの歌や踊りがあり、テーブルにはちみつやヨーグルト、手作りパイやピロシキを広げ、大歓迎のおもてなしをしてくれました。日本側は墓参のお供えのお菓子の残りや、折り紙、竹トンボなどの玩具をロシアの子供たちにプレゼントして応えました。<br /> <br /> その後は、村のコルホーズ(集団農場)で採れた新鮮な野菜や肉を使ったレストランにも負けないぐらい美味しいロシア料理と定番のウオッカでの昼食が始まります。日本人・ロシア人が交互に乾杯の言葉を交換し、歓談し、ロシア民謡を歌う人もいます。イワノフカ村の元村長ウスさんや、日本人墓地の管理をしていただいている各村の代表の皆さんの乾杯の挨拶を聞くと、これまで横山周導さんと「友好・親善をすすめる会」の皆さんが重ねてこられた交流の歴史と心のつながりの深さを感じずにはいられませんでした。<br /><br /><br /> *           *           *<br /><br /><br /> この「慰霊と交流の旅」は、毎年、計画段階からかかわって通訳兼添乗員をやってくださっている方の力を抜きに話すことができません。現地の方々と連絡を取り、その年の段取りを決めて準備を依頼し、旅行中は横山先生と現地ロシア側の代表をつなぐ通訳を引き受け、併せて添乗員もこなしておられます。おかげで村の代表者の皆さんとのコミュニケーションがとれ、言葉の壁を越えた交流が作り出されています。<br /><br /> ロシアへの墓参の旅は、日本人抑留者の遺骨収集が本格化した1980年代から綿々と続いていますが、もはや抑留経験者のほとんどが鬼籍に入られ、最近では慰霊に出かける抑留者の子供の世代も高齢となり、存続が難しくなってきています。「ロシアとの友好・親善を進める会」も例外ではなく、慰霊と交流の旅で積み重ねられてきた貴重な草の根交流を、今後どのような形で継承、発展させていくのかを考えるべき時期にきているようです。<br /><br /> いろいろな困難がある中でも墓参と交流を続けていくために何ができるのか、知恵を出し合って、このような草の根交流の旅が続いていくことを願います。

    ■村々での交流会

     今回訪問したアムール州のイワノフカ村もノヴォアレクサンドロフカ村やタンボフカ村、ラズドリノエ村もそうでしたが、広い平野で大豆やジャガイモを栽培する豊かな農村地帯であり、どの村の人々もわが村に誇りを持ち、私たちを村の博物館や学校、教会などに案内してくれました。

     私自身はこれまでウラジオストクやモスクワなど都市にしか滞在したことがなかったので、窓にレースのカーテンがかかり鉢植えの花が飾られているかわいい平屋(2階建の家もあるが)が建ち並ぶ村の様子は、初めて見るロシアの風景と言ってもよく、平屋といえばあばら家で貧しいイメージしか持っていなかった私にとっては、よい意味でロシアの田舎のイメージを裏切るものでした。

     村のみなさんは毎年このグループが来るのを楽しみにしているようで、子供たちの歌や踊りがあり、テーブルにはちみつやヨーグルト、手作りパイやピロシキを広げ、大歓迎のおもてなしをしてくれました。日本側は墓参のお供えのお菓子の残りや、折り紙、竹トンボなどの玩具をロシアの子供たちにプレゼントして応えました。

     その後は、村のコルホーズ(集団農場)で採れた新鮮な野菜や肉を使ったレストランにも負けないぐらい美味しいロシア料理と定番のウオッカでの昼食が始まります。日本人・ロシア人が交互に乾杯の言葉を交換し、歓談し、ロシア民謡を歌う人もいます。イワノフカ村の元村長ウスさんや、日本人墓地の管理をしていただいている各村の代表の皆さんの乾杯の挨拶を聞くと、これまで横山周導さんと「友好・親善をすすめる会」の皆さんが重ねてこられた交流の歴史と心のつながりの深さを感じずにはいられませんでした。


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     この「慰霊と交流の旅」は、毎年、計画段階からかかわって通訳兼添乗員をやってくださっている方の力を抜きに話すことができません。現地の方々と連絡を取り、その年の段取りを決めて準備を依頼し、旅行中は横山先生と現地ロシア側の代表をつなぐ通訳を引き受け、併せて添乗員もこなしておられます。おかげで村の代表者の皆さんとのコミュニケーションがとれ、言葉の壁を越えた交流が作り出されています。

     ロシアへの墓参の旅は、日本人抑留者の遺骨収集が本格化した1980年代から綿々と続いていますが、もはや抑留経験者のほとんどが鬼籍に入られ、最近では慰霊に出かける抑留者の子供の世代も高齢となり、存続が難しくなってきています。「ロシアとの友好・親善を進める会」も例外ではなく、慰霊と交流の旅で積み重ねられてきた貴重な草の根交流を、今後どのような形で継承、発展させていくのかを考えるべき時期にきているようです。

     いろいろな困難がある中でも墓参と交流を続けていくために何ができるのか、知恵を出し合って、このような草の根交流の旅が続いていくことを願います。

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