2019/10/16 - 2019/10/16
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ムツゴロウさん
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まずは今回の台風19号で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。北海道から何もできない自分がもどかしいですが、一刻も早い復旧をお祈りいたします。
さて、今回のムツゴロウの旅はとても地味です。グルメも何もありません。以前から記録に残したかったので勝手にアップしました。どこの地域にも文学碑的なものはあるかと思いますが、旭川にもけっこうあります。ただし、全国的にはあまりメジャーではない方もいるので、その人「だれ?」という文人が出てきますがご容赦ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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表紙の写真は旭川市内中心部にある常盤公園です。
最初の文学碑は、常盤公園の旧青少年科学館の裏手にある今野大力の詩碑です。この人はほとんど知っている人はいないかもしれません。戦前のプロレタリア文学系の詩人です。生まれは宮城県ですが、幼いころに旭川に移住してきたようです。 -
同じく常盤公園内にある小熊秀雄の詩碑です。
小樽に生まれ、旭川で新聞記者をやっているころに詩を作り始めたそうです。全国的には公募による詩集に贈られる「小熊秀雄賞」で有名?なのですがあんまり知られていないよね! -
ちょっと見えにくいのですが「蘆花寄生木ゆかりの地」と彫られています。「蘆花」とは明治の作家「徳富蘆花」のことで、旭川にあった陸軍第七師団に配属になった兵卒が主人公になっています。
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これから何回もでてきますが、現在の陸上自衛隊旭川駐屯地内にある「北鎮記念館」にある、小説「寄生木」の解説です。
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知里幸恵さんはご存知でしょうか。ここは旭川市北西部の中学校です。かつでこの場所に登別から叔母の金成マツの養子となって移り住んだキリスト教の伝導所がありました。
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ここは、今は中学校ですが、以前は「豊栄小学校」という、アイヌの子どもたちを対象にした学校でした。
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知里幸恵さんは、アイヌ語を研究していた金田一京助氏に見いだされ、「アイヌ神謡集」という一冊の本を残して、19歳でこの世を去りました。
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次はメジャーな方です。宮沢賢治も旭川に来ていました。
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1923年、岩手県花巻農業の教師時代、教え子の就職斡旋のために旭川を経由して稚内~樺太に向かうための数時間の滞在だったようです。
この碑は、旭川東高校にあります。 -
石川啄木も旭川にきていました。
ここは旭川駅の中です。
旭川駅から見て右手に西武デパートがありましたが、かつてそこに「宮越屋」という旅館があり、釧路に向かう途中で一泊したようです。 -
調べれば調べるほど、石川啄木はクズ男に近いような気がしますが、旭川から釧路に行っても借金を重ねて面白おかしく生活していたみたいですね。
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次は旭川生まれの作家、井上靖です。
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市内中心部の旭川信金本店前に文学碑があります。
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井上靖は、父親が軍医として旭川の第七師団にいたときに生まれました。旧陸軍の社交場だった偕行社(現旭川彫刻美術館)の隣に「井上靖記念館」があり、井上靖と旭川のかかわりが展示されています。
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1歳ごろには、静岡に移ったようですが、旭川は自分の生誕地として、いろいろな文章に残しています。
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これは、ノーベル文学賞候補ともいわれた安部公房の文学碑です。
旭川市東鷹栖地区の小学校にあります。 -
現在の旭川市東鷹栖は、安部公房の祖父母が入植したところで、軍医だった父親の留学中、小学1年から3年ぐらいまで、祖父母宅に住んでいたみたいです。
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近くの公民館に若干の資料がありました。
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最後は、三浦綾子記念文学館です。
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ここを訪れるとほんとうに心が休まります。
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若いころ、三浦さんご夫妻とお話しする機会がありました。
とても素敵なご夫婦でした。 -
三浦文学は「氷点」や「塩苅峠」をはじめ、常に人間とは?生きるとは?原罪とは?を問い、心に刺さっています。
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晩年、病気のためペンを持てなくなり、夫婦が向かい合わせで口述筆記していた書斎をディスプレイしているようです。
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二人で一人、ずっとこんな夫婦でありたいものです。
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ここに来ると、ムツゴロウはいつも反省しています。
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この文学館には思い出ノートという自由帳がおいてあります。訪問者による自由なコメントです。
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全国から訪れた方々のコメントがあります。
三浦夫妻は敬虔なクリスチャンなので、そこにつながるコメントが多いのですが、読ませていただくと、おっさんのムツゴロウがウルウルしてしまいます。ムツゴロウは宗教には縁もゆかりもない、ガサツな男であり、旅と酒と料理と競馬が大好きな人間ですが、心が洗われるような気がします。
実は、心が疲れたなぁと感じるとき、数年に1回だけど、ここに来ています。 -
最後じゃなかった。もうちょいありました。
斎藤史さんです。非常にマイナーだと思いますが、父親は斎藤劉少将。
軍人でありながら斎藤少将も著名な歌人であり、父親を訪ねてきた若山牧水に見いだされます。 -
斎藤少将は第7師団長だった渡辺錠太郎大将の盟友であり、226事件で渡辺大将は死亡、斎藤少将は禁固刑となります。
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その後、渡辺大将の娘である渡辺和子さんともども、斎藤史さんも数奇な人生を歩みます。
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これらの資料は、陸上自衛隊旭川駐屯地内にある北鎮記念館内にあります。
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おまけ。
明治の文豪、森鴎外も旭川に来ていました。
ただし、文学とは関係ありません。 -
これは北鎮記念館に展示されている当時の第七師団周辺のジオラマです。今の旭川医療センターのあるところが当時の陸軍病院だったようです。
森鴎外は陸軍軍医総監(多分、軍医さんの中で、一番エライ人)だったので、全国の陸軍病院の視察と指導の折に旭川を訪れたのでしょう。
というわけで、地味ですいませんでした。
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