2019/08/25 - 2019/08/27
11位(同エリア11件中)
たまおさん
ベナン滞在最終日であり、この旅最後の丸一日。
本日はウィダーへ。ウィダーは、「行った方がいいところは?」と石田さんに聞いたら出てきた地名であり、実は、この旅の出発前に、横浜で開催されていた「アフリカヘリテイジフェスティバル」に行ったとき、知り合ったベナン人にも勧められた。
ウィダーは奴隷貿易が盛んに行われていた場所。私は、奴隷狩りをしていたのはヨーロッパ人だと思っていたら、それは違っていた。実は、アフリカ人がアフリカ人を売りに出していたのである。主に売買の主導権を握っていたのは、国の王や首長や商人であった。
15世紀ごろに現在のウィダー周辺で強大な勢力を持ったのがダホメー王国。この王国は優れた行政組織を持ち、外国貿易によって外貨を稼ぎ、それを軍事に転換する能力を持っていた。そして、ダホメーの王が「これはカネになる」と目を付けたのが奴隷貿易。アフリカ人を奴隷として売りに出し、その頃、アフリカ内で起きていた部族間抗争に使う武器をヨーロッパの商人から買っていたのである。
さて、そのウィダーは、コトヌーから西へ車で1時間の距離(トーゴ国境から来るときに、実はウィダーを通っている)。コトヌーの中心部からゼミジャンで30分ぐらいのGodomey地区から乗りタクが出ている。
その乗りタクだが、今回はひどかった!通常、助手席には2人乗り、後部座席には5~6人詰めるだけ詰める。私は助手席に座ったのだが、あとから太り過ぎの女性が座り込んできて、私のお尻は完全にサイドギアの上で、足は座席の下という、体が斜めの体勢で1時間のドライブだった。私のお尻が邪魔で、ドライバーもギアチェンジがスムーズにいかない。本来なら、運転に支障をきたすから「座らないように」なんて注意されそうなのを、ここでは当たり前すぎて、何も言われない。最悪なのは、私の足で、太り過ぎの女性に足を圧迫されて、だんだん痺れてきて、感覚がなくなりそうになっていた。(このままじゃ、車を降りた瞬間にその場に崩れ落ちる…!)と危機を感じ、自分の太ももをさすり始めた。これにドライバーが気づいて、太り過ぎの女性を後部座席に追いやって(この頃には乗客も下りて、後部座席には余裕があった)なんとか助かった!!
助手席の内側は絶対に避けた方がいい!でも、あとから乗る時でも、女性って内側にされちゃうのよね…(先に乗っていた人が男性だったら)。いやいや、とんだ災難だった!!
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物売りの若い女性からパンを買った。(食べかけの写真でゴメンナサイ)
まるで、女神のように現れた。
Godomeyでゼミジャンを降りて、客引きの男たちに取り囲まれ、何が何だか分からないでいると、私の腕をつかんで「どこへ行くの?」と聞いて引っ張り出してくれた。「Ouidah」というと、乗りタクのところまで連れて行ってくれた。私が車に乗り込むと、すぐに頭の上に乗せた大きなタッパーを降ろして開けて、パンを売ってきた。まぁ、案内したんだからパンを買え!ってことなんだろうけどね。私もちょうど、代わり映えのしない宿の朝食に飽きていたから、他の種類のパンが食べたかったからよかった。(お釣りがないといわれて2つ購入)
この女性は綺麗な英語を話した。私の勝手な物売りに対するイメージは、物売り→貧しい→十分に教育を受けていない→英語が話せない、だったから、内心(おぉ!)と思った。石田さんの話じゃないけど、アフリカの人の底力、もしかしたらこの女性はすごい能力を秘めているかも!と勝手に思った。 -
幹線道路で降りて、ゼミジャンでウィダーの中心部(と思われる)、PLACE CHACHA(チャチャ広場)へやってきた。ここに、まるで私が来るのが分かっていたかのように、公認ガイドがいた。ウィダーの見どころといえば、「奴隷街道」(かつて奴隷たちが大西洋岸の船着場まで歩かされた道)、そのそばに点在する奴隷貿易に関する史跡や石碑、そして最後に奴隷街道の終点である「帰らずの門」。それらをバイクで巡って、往復で10,000セーファ。私は「奴隷街道」をどうしても自分の足で歩きたかったので、行きだけ案内してもらい、帰りは自分の足で帰る、で半額にできるか交渉したがだめだった。
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チャチャ広場は、奴隷市場の跡で、奴隷たちが欧州の品物と交換された。
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チャチャ広場に立っている像。
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最初に訪れたのは、「忘却の木」L'Abre de l'Oubli。
木の周りを、男は9回、女と子供は7回回ると、過去のすべての記憶を忘れることができると言われていた。 -
そのそばにある石碑。
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それはこの奴隷街道沿いにある。この道をまっすぐ進むと大西洋に突き当たり、「帰らずの門」がある。
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次は「ゾマイ」Zomai。ここは、窓がない暗闇の部屋に、奴隷たちが閉じ込められていた建物があった場所。ここから夜に、奴隷たちが奴隷街道を歩かされ、大西洋まで連行された。1852年に倒壊するまで200年間存在したそうだ。
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真ん中にある石碑。
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跡地の周りの壁画。壁画には奴隷たちがたどった歴史が描かれている。
アフリカから連行される奴隷たち。 -
過去の記憶を忘れるため木の周りをまわって…
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奴隷商人たちに虐げられて…
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魂はベナンの地にたどり着くことができるとと信じて…
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大西洋岸から船に乗せられた。
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何ヵ月もの航海の間、船の上でも手首、足首に鎖が繋がれた。不潔な船内は病気が蔓延し、死んでしまった奴隷は船から海に捨てられた。しかも、重病人も他の奴隷に病気が移らないように、生きたまま海に捨てられた。心の健康も問題で、多くの自殺者も出た。
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そして、奴隷たちは鉄砲や鉄、様々なものと交換された。
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こちらの人たちは…??
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次にやってきたのは、「ズンボチ記念碑」Memorial de Zoungbodji。
暗闇のゾマイで長く閉じ込められ、死亡したり病気になったりした奴隷たちをここに埋めた。元気だった者だけが、次の場所へ移動していった。 -
次は、「帰郷の木」L'Arbre du Retour。
木の周りを3回まわれば、アメリカ大陸に行く船に乗っても、魂はベナンの地にたどり着くことができると信じられていた。 -
そして奴隷街道の終着点である「帰らずの門」Porte de Non-Retour。
1995年に建てられたもので、ガーナのケープ・コースト城のように、実際に使われたものではないが、でも、なんだか私はこちらの方が感慨深かった。 -
近づいて。
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そしてくぐった。
同じ景色を当時の奴隷たちも見たのだろうか。海の景色はそう変わらないから…。なんだかそう考えたら悲しくなった。ヨーロッパの列強国はなんて非人道的なことを行ったのか。このことに対して列強国は謝罪をしたのか(謝罪をしても償われることはないけれど)、そして、その国の教科書ではどう扱っているのか気になった。(自国に不利なことはあまり扱わないんだろうな) -
門の横にあるモニュメント。
"No more Slaves "の意味が込められているらしい。 -
門の上のレリーフ。
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反対側
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しばしそのまま感慨にふける。
この海から船に乗ってしまったら、もう二度と戻ってくることはできない。待っているのは地獄。せめて、魂だけでも戻ることができたと願いたい。 -
少し海岸沿いを西に進むと、記念碑がある。
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もう少し近づいて。
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周辺の景色
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ガイドとはさよならして、あとは一人で奴隷街道を歩く。どうしても奴隷たちが歩かされた道を自分の足で歩きたかった。当時と同じ赤土。
奴隷街道は約4km。私の足であれば40分ぐらいか…。いや、未舗装路だから1時間ぐらい必要か…。 -
振り返って。
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そしてまた前に進む。
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また振り返る。ここを歩いているときに、1台のヨーロッパからの観光客を乗せた車が私の横を通り過ぎた。
(お前ら、自分の足で歩けよ…)
と思った…。どこの国だか分からないけれど。 -
歩いていたら、にぎやかな音楽が聞こえてきてやってきた。
何かのイベントが行われていた。
音楽が聞こえたからやってきたのではなく、本当はトイレを借りるため。イベントが開催されているってことは、トイレがあるはずだと思って。トイレを案内してくれた女性に後で聞くと、このイベントは家族の祝い事なんだとか。 -
もし、奴隷街道を歩いているときに、トイレに行きたくなったらここ!
この景色を覚えておきましょう。この道の先が先ほどの写真のイベント会場。
この旅で、宿以外のトイレで初めて、「ドア」があって、そのドアを「閉めて」、便座に「座って」用を足すことができました(笑) すっごく清潔!! -
再び歩き出し、途中こちらのレストランで、
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ビール休憩(トイレに入ったばかりなのに!)
大瓶が運ばれてきた。(やった) -
たったビール一本注文しただけなのに、領収書までくれた。(いらないよ~)
でも、すごいしっかりした字! -
だって、この少年が書いたのだもの。
君、すごいしっかりした字書くね! -
振り向いてくれた。
「家のお手伝いしっかりやって偉いね!」 -
一緒に写真を撮ってもらった。
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彼は3人兄弟のようで、次男と三男もやってきた。
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いたずらっ子なのは、キャンディをなめているこの次男坊。
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この後、なめていたキャンディを私の飲んでいたビールに入れやがった!
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もちろん、もうそのビール飲めません。残りちょっとしか入ってなかったからよかったけど。
キャッキャ笑いやがって~!もー! -
もうすぐチャチャ広場かな。
私の読み通り、「雨模様」=曇り、だった。炎天下の中、奴隷街道は歩きたくないよね…。 -
着いたー!
もうガイドはおらず。どこに行っちゃったんだ??
ビール休憩の時間を抜かして1時間ぐらいだった。 -
しばらくチャチャ広場でボケーっと突っ立って、奴隷街道へ続く道を眺めてた。
(さて、次はどこへ行こうか…)
この村の中までゼミジャンは走っておらず、だれか乗せてくれる人を待たなければならなかった。 -
で、やってきたのが「聖なる森」Forest de Sacret。
入場料(ガイド付き)と別途写真撮影代が必要。入場料は3000で、写真撮影が2000だったかな…(よく覚えていない)。あまり客が来ないのか、ガイドは横になって寝ていました…。(起こしちゃってごめんね!)
ここは、石田さんに、「不思議なところだから行ってみて~」と言われていたところ。 -
ウィダーは、ブードゥー教の発祥の地で、ここはブードゥー教の神々が祀られている森だそうなのだが…。
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並べられている物体がどうも子供だましに見えて…。
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あまり好きにはなれなかった。
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第一印象でそう感じてしまったので、ガイドの話が全く入ってこず…
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これもさっぱりなんだかわかりません。
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この木も何なのかな…。すべて忘れてしまった!
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これも神、
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これも神。
どうみても子供だましだよね!好きになれんわ~。 -
最後に森の入口で写真を。(ガイドに言われて…)
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出入口でも。(ガイドに言われて…)
確かに摩訶不思議な森だった。でも、来なくてもよかったなー! -
もっと、現実の、実際のものが見たいと思って、この後、ブードゥーマーケットにやってきたのだけど、全くの期待外れだった。低い塀に囲われた、食料や日用品などが売られているマーケットの外のスペースに、2mほどの台を置いてその上に動物の死骸を並べただけだった。このお粗末な(失礼)ブードゥーマーケットを記念に写真に収めようと思ったら、撮影代いくらいくら~と言われて、じゃぁ、いらない。ブードゥー発祥の地だから、もっと大きなところを想像していたから残念。トーゴでブードゥーマーケットに行っておいてよかった。
それで、あたりをぶらぶらしていたら、子供たちがいたので、ここからは自撮り作戦で。これなら親も怒らないよね。みんな、私のカメラを不思議そうに覗き込んでる…(笑) -
「笑ってよ~!」
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そろそろ帰ろう。
バイクで、幹線道路まで送ってもらった。
これは幹線道路沿いにある、ウィダーの街の入口のサイン。
この後、なかなかコトヌー行きがつかまらず、ずーっと手でサインを出して半ばヒッチハイク。バイクのお兄さんも一緒だったからよかったけど、ひとりだったら不安だったな。3台止まってくれたがダメで、4台目でようやくコトヌーへ。 -
これは宿の前の道。閑静な住宅街です。
ここまで乗せてもらったゼミジャンが最後になった。正直、ホッとした。毎日、凄惨な事故が起きていると言われていた(滞在中、事故現場は目撃しなかったけど)から、ここまで事故に会わなかったのは運がよかった。 -
シャワーを浴びて、夕食へ出かけた。
今日は最後の夜。まだ訪れてなかった宿近くのアフリカンレストランへ。
19時過ぎだったのだけど、開店前(19時半開店)にもかかわらず入れてくれた。
メニューはなく、チキンかフィッシュかを選ぶ。チキンにした(足の形がリアル…!)。焼き加減がよくて美味しかった!これで$7。 -
こちらのレストランです。
内装も高級レストランだけど、宿近くで食べたレストランの中では、一番リーズナブル!
この後、夕食のライスの付け合わせが辛くて、無性に甘いものを口に入れたくなったので、イタリアンレストランへ向かった(ここではアイスクリームやケーキがあるので)。 -
数日前に私をサーブしてくれた彼と会って、「イェーイ!」とハイタッチ。「また来たよー!」
英語がほとんど喋れない彼だけど、笑顔で一生懸命サーブしてくれたんだよね。
再会記念に一緒に写真を。
私が、「今日はね、アイスだけを食べに来たんだよね」と言うと、ショーケースの後ろの店員さんに代わって、私のためにscoopしてくれました。
最後に電話番号の交換。でもゴメンナサイ、私が教えたのはベナンの電話番号。
明日には使えなくなります…。 -
やっぱ、食後は甘いものだよね!おいしい。
ゆーっくりと味わって最後の夜を過ごす。 -
翌日。空港へ。
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とても小さな空港です。
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シャトルで飛行機へ。
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帰りもエチオピア航空で、一路アディスアベバへ飛びます。
8/26 ET916 COO13:45 - ADD21:25
ET672 ADD23:25 - ICN16:45+1
ET672便は、1時間ぐらい遅れた。 -
ソウルへ着いた。8ヵ月前と同じ搭乗口。
ここに着いたらもう日本。旅も終わり。
8/27 ET672 ICN17:45 - NRT20:25
もともとの672便が遅れていたので、ここも当然遅れ、成田到着がスカイライナー終電ギリギリになってしまった。
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旅人の間でも、ハードルが高いと言われる西アフリカ。
でも、ガーナは英語圏(普段は現地語を話すけど)だから、そこまで不自由はしない。少なくともコミュニケーションの上では困ることはない。トーゴやベナンに入ると、コミュニケーションはフランス語ができない私にとっては大変だが、人々の優しさ、笑顔に癒され、必ず助けてくれる人がいるので大丈夫。そして、なんといっても治安がいい。現地在住の外国人(日本人も含む)が口をそろえて言うのは、「治安はとにかくいい」、(だけど「バイタクにだけは気を付けて」)だった。観光資源にはそれほど恵まれていないけれど、でもその分、観光地化されていない、真のその国を感じることができる。ぜひとも、皆さまに訪れてほしい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
~おわり~
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