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8月終わりの土曜日のポートランド(Portland)観光、最後はポートアントニオ(Port Antonio)へ。フォーリー岬(Folly Point)観光を終えて、まだ朝の11時15分頃。昼食をポートアントニオ勤務の地方隊員お二人とご一緒する予定だが、まだ少し早いのでいったん連絡取って、先に回れるところを先に回ることにする。<br /><br />ポートアントニオは、ポートランド(Portland)パリッシュ(Parish)の州都。愛称はポーティー(Portie)。人口は約13000人。ジャマイカで3番目の大きな港を持ち、かつてはバナナとココナツの輸出港として栄えた。治安がよく、ジャマイカの大きな町で一番安全とも云われる。<br /><br />町の歴史は古く、ジャマイカでスペイン統治時代に入って最初に拓かれた集落だった。初期のスペイン提督がティッチフィールド半島(Titchfield Peninsula)を挟んで2つの港を造り、自分の息子にちなんで、プエルトアントン(Puerto de Anton)とプエルトフランシスコ(Puerto de Francisco)と名付けた(プエルトは港の意味)。1723年にポートランドが正式にパリッシュとなった時、町の名前はプエルトアントンを英語化したポートアントニオとなった。現在2つの港は単にウエストハーバー(West Harvour)、イーストハーバー(East Harvour)と呼ばれる。<br /><br />その後、1880年代に入って、バナナ貿易が開始され、裕福なアメリカ人の旅行先としてプロモーションされるまでは静かな町だった。しかし、このプロモの成功でポーティー旅行はブームになる。当時は大英帝国全盛期のイギリスのリバプール(Liverpool)よりも船の発着が多かったとも云われる。世界の金持ちや有名人の憧れのスポットとなり、多くの人が町中に避寒地としての別荘を建てた。バナナ貿易は20世紀に入り数十年で衰退したが、1940年代から50年代には多くのハリウッドスターを魅力した。1942年に、ヨット、ザカ号(Zaca)でガラパゴス諸島(Galapagos Islands)に向けてセーリング中に、悪天候でこの町に漂着したハリウッドアクションスターのエロール・フリン(Errol Flynn)もその一人。<br /><br />現在も多くの映画スターがお忍びで訪れているこの町は、豊かな自然に囲まれ、また町の中心部には歴史を伝える建物が並び、経済的にも文化的にもその位置づけを高めている。<br /><br />午前中、最初に訪れたのは、ウエストハーバーとイーストハーバーを分けるティッチフィールド半島の先端にあるティッチフィールド高校(Titchfield High School)。ティッチフィールドの名前は1723年に当時のジャマイカ提督であった初代ポートランド公爵(1st Duke of Portland)の従属称号であるティッチフィールド侯爵(Marquis of Titchfield)にちなんで付けられた。ここの前に行ったトライデント城(Trident Castle)のオーナーでもあるNational Commercial Bank of Jamaica(NCB)会長、億万長者になったマイケル・リー・チン(Michael Lee Chin)氏の母校。<br /><br />この場所は1729年に海からのスペイン軍の攻撃と山岳地帯に住むマルーン(Maroon=逃亡奴隷)の反乱に備えて造られたジョージ砦(Fort George)があったところで、1786年にジャマイカで5番目の高校として開校したが、海側に砦の壁や大砲、中庭にはかつての弾薬庫(Powder House)が残されている。大砲は22門設置されたそうだが、今残っているのは2門。管理棟として使っているのは元々は兵舎で、1743年に建てられたもの。<br /><br />学校なので中は見られないかと思ったら、守衛さんとかはおらず自由に入れた。まだ夏休みだったから? 構内に入り、一番先の海側まで行くと砦跡が残り、1門の大砲が設置されている。向かいにはイーストハーバーを形成するフォーリー岬(Folly Point)がすぐにあり、フォーリー灯台(Folly Point Lighthouse)がよく見える。確かにこの位置はイーストハーバーを守るには最適。そこから校舎で囲まれた中庭へ入ると弾薬庫だったと思われる石造りの建物。今は何も使われてないようだが、これも内部には落書き。文化財保護はジャマイカでは本当に難しい。入口から校舎への通路の端に半分埋もれた大砲の筒があったが(下の写真1)、これが2門残っていると云ううちの1門だろうか・・・<br /><br />町の中心部からティッチフィールド高校へ続くジョージ砦通り(Fort George Street)、この辺りはかつては一番の金持ちが住む地域であった。その途中にあるのが、赤レンガに白く塗られた鉄細工のベランダがとても美しいデモンテビンロッジ(DeMontevin Lodge)。1881年に建てられたもので、ビクトリア朝建築様式(Victorian style)と安ピカ装飾が組み合わされている。装飾品はスコットランドで作られたもの(アメリカと云う説もあり)。ゲストハウスとして使われおり、近年全面改装され、国家遺産(National Heritage)に指定されている。<br /><br />イングランド王室、バミューダ政府、ジャマイカの国民的英雄、ジャマイカ元首相などにも利用されており、1923年には後のエリザベス王太后(HM Queen Elizabeth The Queen Mother)が結婚直前に滞在し、53年と66年にはその娘のエリザベス2世(HM Queen Elizabeth II)も訪れている。53年以降、女王が泊まられた部屋は女王の部屋(Queen&#39;s room)と呼ばれているそうだ。<br /><br />確かにこれは可愛い。ロンドンを感じさせる。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3160585414011461&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />ここで、若者と合流するが続く。

ポートランド ポートアントニオ ティッチフィールド(Titchfield, Port Antonio, Portland)

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2019/08/31 - 2019/08/31

6位(同エリア8件中)

旅行記グループ ポートランド

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ちふゆ

ちふゆさん

8月終わりの土曜日のポートランド(Portland)観光、最後はポートアントニオ(Port Antonio)へ。フォーリー岬(Folly Point)観光を終えて、まだ朝の11時15分頃。昼食をポートアントニオ勤務の地方隊員お二人とご一緒する予定だが、まだ少し早いのでいったん連絡取って、先に回れるところを先に回ることにする。

ポートアントニオは、ポートランド(Portland)パリッシュ(Parish)の州都。愛称はポーティー(Portie)。人口は約13000人。ジャマイカで3番目の大きな港を持ち、かつてはバナナとココナツの輸出港として栄えた。治安がよく、ジャマイカの大きな町で一番安全とも云われる。

町の歴史は古く、ジャマイカでスペイン統治時代に入って最初に拓かれた集落だった。初期のスペイン提督がティッチフィールド半島(Titchfield Peninsula)を挟んで2つの港を造り、自分の息子にちなんで、プエルトアントン(Puerto de Anton)とプエルトフランシスコ(Puerto de Francisco)と名付けた(プエルトは港の意味)。1723年にポートランドが正式にパリッシュとなった時、町の名前はプエルトアントンを英語化したポートアントニオとなった。現在2つの港は単にウエストハーバー(West Harvour)、イーストハーバー(East Harvour)と呼ばれる。

その後、1880年代に入って、バナナ貿易が開始され、裕福なアメリカ人の旅行先としてプロモーションされるまでは静かな町だった。しかし、このプロモの成功でポーティー旅行はブームになる。当時は大英帝国全盛期のイギリスのリバプール(Liverpool)よりも船の発着が多かったとも云われる。世界の金持ちや有名人の憧れのスポットとなり、多くの人が町中に避寒地としての別荘を建てた。バナナ貿易は20世紀に入り数十年で衰退したが、1940年代から50年代には多くのハリウッドスターを魅力した。1942年に、ヨット、ザカ号(Zaca)でガラパゴス諸島(Galapagos Islands)に向けてセーリング中に、悪天候でこの町に漂着したハリウッドアクションスターのエロール・フリン(Errol Flynn)もその一人。

現在も多くの映画スターがお忍びで訪れているこの町は、豊かな自然に囲まれ、また町の中心部には歴史を伝える建物が並び、経済的にも文化的にもその位置づけを高めている。

午前中、最初に訪れたのは、ウエストハーバーとイーストハーバーを分けるティッチフィールド半島の先端にあるティッチフィールド高校(Titchfield High School)。ティッチフィールドの名前は1723年に当時のジャマイカ提督であった初代ポートランド公爵(1st Duke of Portland)の従属称号であるティッチフィールド侯爵(Marquis of Titchfield)にちなんで付けられた。ここの前に行ったトライデント城(Trident Castle)のオーナーでもあるNational Commercial Bank of Jamaica(NCB)会長、億万長者になったマイケル・リー・チン(Michael Lee Chin)氏の母校。

この場所は1729年に海からのスペイン軍の攻撃と山岳地帯に住むマルーン(Maroon=逃亡奴隷)の反乱に備えて造られたジョージ砦(Fort George)があったところで、1786年にジャマイカで5番目の高校として開校したが、海側に砦の壁や大砲、中庭にはかつての弾薬庫(Powder House)が残されている。大砲は22門設置されたそうだが、今残っているのは2門。管理棟として使っているのは元々は兵舎で、1743年に建てられたもの。

学校なので中は見られないかと思ったら、守衛さんとかはおらず自由に入れた。まだ夏休みだったから? 構内に入り、一番先の海側まで行くと砦跡が残り、1門の大砲が設置されている。向かいにはイーストハーバーを形成するフォーリー岬(Folly Point)がすぐにあり、フォーリー灯台(Folly Point Lighthouse)がよく見える。確かにこの位置はイーストハーバーを守るには最適。そこから校舎で囲まれた中庭へ入ると弾薬庫だったと思われる石造りの建物。今は何も使われてないようだが、これも内部には落書き。文化財保護はジャマイカでは本当に難しい。入口から校舎への通路の端に半分埋もれた大砲の筒があったが(下の写真1)、これが2門残っていると云ううちの1門だろうか・・・

町の中心部からティッチフィールド高校へ続くジョージ砦通り(Fort George Street)、この辺りはかつては一番の金持ちが住む地域であった。その途中にあるのが、赤レンガに白く塗られた鉄細工のベランダがとても美しいデモンテビンロッジ(DeMontevin Lodge)。1881年に建てられたもので、ビクトリア朝建築様式(Victorian style)と安ピカ装飾が組み合わされている。装飾品はスコットランドで作られたもの(アメリカと云う説もあり)。ゲストハウスとして使われおり、近年全面改装され、国家遺産(National Heritage)に指定されている。

イングランド王室、バミューダ政府、ジャマイカの国民的英雄、ジャマイカ元首相などにも利用されており、1923年には後のエリザベス王太后(HM Queen Elizabeth The Queen Mother)が結婚直前に滞在し、53年と66年にはその娘のエリザベス2世(HM Queen Elizabeth II)も訪れている。53年以降、女王が泊まられた部屋は女王の部屋(Queen's room)と呼ばれているそうだ。

確かにこれは可愛い。ロンドンを感じさせる。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.3160585414011461&type=1&l=8a89379cb0


ここで、若者と合流するが続く。

  • 大砲の筒

    大砲の筒

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