2017/05/28 - 2017/05/28
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車で、チェコのプラハ、チェスキー・クルムロフ以外のマイナーな世界遺産を巡る旅。総走行距離1823.9km。
本旅行記は最後(その⑧)、ホラショヴィツェ歴史地区(Holašovice)を訪問しています。
<大日程>
5/25 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ①前編
クトナー・ホラ泊
5/26 クトナー・ホラ(Kutná Hora) ②後編
ゼレナー・ホラ(Zelené hoře) ③
テルチ(Telč) ④
オロモウツ(Olomouc) 泊
5/27 オロモウツ(Olomouc) ⑤
クロムニェジーシュ(Kroměříž) ⑥
チェスケー・ブジェヨビツェ(České Budějovice) 泊⑦
5/28 フルボカー・ナド・ヴルタヴォウ城(Státní zámek Hluboká) ⑦
ホラショヴィツェ(Holašovice) ⑧
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チェコの世界遺産(Wikiより) 2019年現在。
プラハ歴史地区 - (1992年)
チェスキー・クルムロフ歴史地区 - (1992年)
テルチ歴史地区 - (1992年)
ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 - (1994年)
クトナー・ホラの聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂 - (1995年)
レドニツェとヴァルティツェの文化的景観 - (1996年)
クロムニェジーシュの庭園と城 - (1998年)
ホラショヴィツェ歴史地区 - (1998年)
リトミシュル城 - (1999年)
オロモウツの聖三位一体柱 - (2000年)
ブルノのトゥーゲントハット邸 - (2001年)
トシェビーチのユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ - (2003年)
エルツ山地(クルスナホリ)鉱業地域 -(2019年 / ドイツと共有)
クラドルビ・ナト・ラベム(英語版)の儀礼用馬車馬の繁殖・訓練の景観 -(2019年)
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
何もないローカルな道を通り、カーナビが目的地に近いことを示す。今回の目的地は何の変哲もない小さいな村。ホラショヴィツェの歴史地区 旧市街・古い町並み
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ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
村の中央の広場にある教会。村人が集まって晴天の下、ミサを行っていた。。。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
ホラショヴィツェ (チェコ語:Holašovice、ドイツ語:Holaschowitz)は、チェコ南部の村。チェスケー・ブジェヨヴィツェ市から15キロ西にある。南方には景観保護区域であるブランスキーの森がある。村は第二次世界大戦中にも中世の村落構造や南部ボヘミアの民俗的・農村的なバロック様式建造物群が無傷で済んだものの、戦後に放棄された。1990年から修復されて再び人が住むようになり、1998年にUNESCO世界遺産に登録された。
ホラショヴィツェが最初に歴史に登場したのは1263年である。1292年、ボヘミア王ヴァーツラフ2世が村とそれに付随する物をシトー会派ヴィシー・ブロト修道院に寄進した。1848年まで村は修道院の資産の一部であった。
1520年から1525年、ホラショヴィツェはペストの大流行に見舞われ、生き残った住民はわずかに2人だった。村の北端にあるペスト死者墓地に立つ円柱は、この出来事を記念する物である。修道院は次第にバイエルンやオーストリアからの移民を迎えて人口を増やした。1530年、修道院の記録によれば、村の人口は17人になり、チェコ語地域の中のドイツ語圏の飛び地となっていった。1895年、ドイツ系住民157人、チェコ人住民19人となっていた。
第二次世界大戦後のドイツ人追放により、村の多くの農地は放棄され元通りにされなかった。ホラショヴィツェは冷戦時代のチェコスロバキアで荒れ果てなすがままにされていた。1990年より、村は華美に修復され、定住者がいるようになった。現在の人口は140人ほどである。
ホラショヴィツェはボヘミアの典型的な村落である。23の煉瓦造りの農場中庭からなり、そこに120軒の建物が建っている。どれも村の共有緑地に面した切妻壁がある。共有緑地は、村落の中心にある広々としたもので、魚のいる池と礼拝堂がある。建物は18世紀から20世紀にかけて建てられたもので、ほとんどが19世紀後半のものである。他所から花嫁を呼び込む為に可愛らしい外見になった、と言われている。建築様式は南ボヘミア地方特有のバロック様式である。集落の中心部にあるネポムクの聖ヨハネ礼拝堂は、1755年に建てられたものである。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
バロック様式といっても、宮廷や貴族の館で見られるような華やかなものではなく、庶民の間で流行った素朴なものばかりで、南ボヘミア風バロック様式と呼ばれています。田園風景と調和させた、この地方独自のスタイルです。農村の集落がこれほどまとまって完全な形で残っているのはめずらしく、1998年に世界遺産に登録されました。
この家は1863年建築と書かれている。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
テントがあるのが、唯一のレストランか。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
それぞれの家には区別の為、異なるマークが付けられている。
観光案内所、兼、雑貨、土産物屋さんが1件、レストランが1件あるぐらい? -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
15分もあれば一周できてしまう広さ。
この家は1853年製。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
他に観光客もおらず、、、よそ者ひとり、しかも日本人がカメラ片手にぶらぶらしている。地元の人は何を思うのだろう。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
今まで行った世界遺産に登録された場所で最も素朴な場所と言っても過言ではない。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
すぐ近くにケルト人が残したストーンヘンジがあるとのこと。後から知りました。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
黄色の家。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
左は1861年製。右の肌色の家は、1871年製。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
1855年製。NO.8の家。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice -
ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
1849年の黄色の家。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
なんか、のどか。。。 -
ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
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ホラショヴィツェ歴史地区
Holašovice
車がないとここまで来るのは厳しいかな。さてドイツに戻りますか。国境超えるまでの大自然満喫のドライブコースもなかなか楽しめます。すれ違うのがやっとの山道でスピードは出せません。 -
丘陵に広がる菜の花畑もチェコならではの景色。
終わり。
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