2018/04/08 - 2018/04/08
7116位(同エリア8856件中)
su3さん
鹿島神宮に行き、那珂湊で回転ずしを食べた後は、水戸で観光。茨城の観光スポット巡りまくりの旅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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高速で休憩しつつ、鹿島神宮到着。周りが平地なのが新鮮な感じ。
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ドラマ「塚原卜伝」の顔はめパネル。
鹿島立ちとは旅立ちや門出のことで、防人が、任地へ出発する前に鹿島神宮の前立ちの神たる阿須波神に道中の無事を祈願したことに端を発しているそうです。 -
参道を歩いていくと見えてきました、鹿島神宮の大鳥居。元は御影石の鳥居だったそうですが、東日本大震災により倒壊。平成26年に境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が再建されてたそうです。
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境内はこうなってるんだね。
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大鳥居を抜けて歩くと
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朱色の楼門。日本三大楼門の一つで国の重要文化財なんだそうです。
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まずは手水舎で手を洗い清めましょう。
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楼門内両端には、随身像が各一体安置され、
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裏側には何やら模様の書き込まれた切り株が安置されていました。境内に生えていた杉の御神木の倒木を利用して2012年に設置されたオブジェで、雷をイメージしているそうです。赤い丸は太陽=天照大神、金色の丸は月=月読尊。
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まずは本殿でお参り。職員の方々が社を清められていました。
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武甕槌大神はこちらの社から白鹿に乗って春日大社にいらっしゃったんですよね。
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奥院までの道すがら鹿園がありました。武甕槌命に天照大神のからの使者としてやってきていた天迦久神は、鹿の神霊。故に、こちらには昔から鹿がたくさんいたようです。ただ、元々いた神鹿は江戸時代にいなくなってしまったので、その後、奈良や東京から来た鹿たちがここにいるとか。
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奥院に到着。武甕槌大神の寝所といったことろでしょうか。こちらに近づくにつれてより厳かな空気を感じます。
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さらに奥に向かいます。
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武甕槌大神でしょうかね。
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要石のある場所に着きました。
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要石の近くには、芭蕉の句がありました。
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こちらが要石の祀ってある場所です。
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要石自体は小さい…んですが、この下に計り知れない大きさの石があるとか。地震抑えの伝説との繋がりもちらほら。
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宝物殿に寄ったところ、入り口近くに神棚についての看板が。神饌の置き方とか札の置き方とか、よく分からなかったので有難い。
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楼門までもどり、鹿島神宮を後にします。
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那珂湊で昼食を取ってから、満腹のおなかを抱えて偕楽園へ。梅桜橋を通って太郎杉前の庭園で休憩。
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太郎杉から続く手入れの域届いた竹林を通って
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坂道を上がると表門が見えてきました。
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表門を抜けると広場になっていました。門から竹林を見ると何とも素敵な雰囲気。
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表門から好文亭に向かう途中で見事な梅が咲いていました。
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芝前門をくぐり抜け
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進んだ先には
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好文亭。
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好文亭の玄関には羽衣の松がありました。羽衣の松は天翔の松と共に偕楽園の銘木です。
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シンプルながらバランスの良い部屋に菊の間の襖絵が美しい。
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桃の間の屏風には桃と一緒に松も描かれていました。
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紅葉の間のゴージャスさよ。
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にょきにょき孟宗竹林。
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流石の梅の間の襖絵。偕楽園といえば梅ですしね。
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庭もなかなかのものです。
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萩の咲き乱れる様が、部屋を華やかにしていますよね。
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梅もあるんだから桜もありますよー。
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好文亭と奥御殿とを結ぶ太鼓橋廊下。外からは窓であることが分からないような作りになっています。
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華燈口の襖には古今集の和歌が書かれた色紙短冊が装飾されていました。当時は華やかな襖だったんでしょうね。
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二階からの眺め。千波湖がよく見えます
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二階にお膳を運ぶための装置もありました。見晴らしもよく、作りも素晴らしい好文亭の二階でお膳をいただくなんて贅沢ですよね。
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左近の桜。三代目の桜で、大きくて立派な樹木に春にはいっぱいの桜をつけて華やかな姿を見せてくれていましたが、2019年の台風15号で倒壊してしまい、もう再生できない状態になってしまいました。
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芝生が広がる見晴広場では、野点が行われていました。
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東門を出て、常磐神社境内にでます。梅まつりの頃はこの参道に屋台がいっぱい出るんですよね。
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常磐神社で軽くお参りした後、車に乗って弘道館へ。
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弘道館に到着後、通用門を通って中へ。こちらは正門。本瓦葺きの四脚門で、藩主が来館する際など正式の場合のみ開門したそうです。現在の来館者は通用門から入ります。
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水戸藩の藩校として開かれた弘道館は、当時の藩校としては最大規模で、「一張一弛」の一張思想の分野として、学問・武芸から医学・薬学・天文学などまで幅広い分野の武士教育を行っていました。
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左近の桜がここにもある。結婚を祝う記念樹ですが、尊皇攘夷を掲げた水戸藩の弘道館に、京都御所左近の桜を植えるということは意味がありますよね。
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正庁玄関。現在は正庁の玄関横に入館口があります。
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玄関先には鳥瞰図がありました。
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現在はは入り口が違うのでそうでもないですが、正庁の玄関から建物の中に入って一番最初に目に飛び込んでくるのは、水戸藩の藩医が書いた尊攘の文字。やはり御三家・水戸藩の藩校ですね。
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廊下に畳が敷いてある。
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正庁正席の間は、藩主が臨席をして、正席の間や二の間で行われた学問の試験や対試場で行われた武術の試験を見たところです。
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こちらに藩士がずらっと並んで講義を受けていたんでしょうね。
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梅の季節も桜の季節も庭からの景色が素晴らしいでしょうね。縁側の雰囲気も素敵です。
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細かな彫り物があるゴージャスなデザインですね。
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こちらも中々。
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とても広い部屋で日当たりもよく、書物がよく見えそうです。
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徳川慶喜の長持ちが展示されていました。慶喜も斉昭の息子で水戸藩の出ですから所縁は深いです。
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奥の部屋は至善堂。こちらは、徳川慶喜が大政奉還後の明治元年に4ヶ月間の謹慎生活を送っていたところです。
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資料館を見学した後は、外に出てぐるりと建物周りを散策。様々な種類の梅、桜が植えられていました。
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対試場から見た正庁。対試場では武術の試験などが行なわれ、藩主が正庁正席の間から見ていました。試験をする方としては二重の意味でドキドキだったことでしょう。
この後、通用門をくぐって旅は終了。
車に乗ってのんびり帰路につきました。
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