2018/05/29 - 2018/05/29
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frau.himmelさん
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ネットでプラハ旅行のことを調べているときに「ハイドリヒを撃て」という映画のことを知りました。冷酷で非情で、「金髪の野獣」といわれるナチスのNo.3の、あのラインハルト・ハイドリヒのことだとすぐにピンときました。
早速ツタヤに行きDVDをレンタルして見ました。
一見アクションものかと思える内容でしたが、チェコの最高責任者であるハイドリヒの暗殺を、史実を忠実に描かれた興味深い映画でした。
そしてハイドリヒ暗殺の影には凄まじいナチの狂気が隠れていました。
ハイドリヒを暗殺したチェコ亡命政府の諜報部員たちの隠れ家が、プラハ市内にあるそうです。
それがプラハ旅行記中に何度も伏線のように見え隠れしていた聖キリルとメトディウス教会なのです。
*この旅行記は「エンスラポイド作戦」(ウィキペディア)を参考にしました。
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プラハ城を見学した後に、聖キリルとメトディウス教会に向かう予定でした。
I女史、「私、なんだか疲れちゃった。ホテルで休んでいるから二人で行ってきて」と。
I女史もお元気とは言え、齢80過ぎですから無理もありません。
それにあの教会は観光と言うにはあまりにもマイナーなところ、私には興味津々でもI女史にとっては退屈以外の何物でもない。
時々、お二人に私のマイナーな趣味を押し付けるようで、申し訳ないと思う時があります。
実は、私は今回のプラハ観光では、ここを一番楽しみにしていました。
歴史にご興味がおありのK氏と二人で行くことにします。 -
I女史をホテルに送るためにトラムに乗りました。
トラムの車窓から見える銅像は、台座に「ヨハネス・ケプラー」と「ティコ・ブラーエ」の名前が。
ヨハネス・ケプラーは「ケプラーの法則」の天文学者ですね。ティコ・ブラーエも同じく天文学者であり、錬金術師だそうです。
ルドルフ2世にプラハに招聘され、皇帝付き天文学者として天体観測や実験などやっていたそうです。 -
I女史を無事ホテルに送り届け、今夜のコンサートに間に合うように時間の打ち合わせをして、再びトラムに乗りました。
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カレル公園の傍でトラムを降りました。
公園の中には、カロリナ・スヴェトラーの像。チェコの女性作家だそうです。 -
聖キリルとメトディウス教会。
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意外と小さな教会です。
カレル橋や聖ヴィート教会のミュシャのステンドグラスで、大きく取り上げられていた聖人たちですから、もっと豪華な教会を想像していました。 -
中に入ります。
ここも普通の教会、むしろ小さい感じ。 -
ハイドリヒを暗殺した諜報部員が隠れていたのは地下室でした。
入り口が別になっています。
そして中に入ると資料や年代ごとの出来事がずらりと掲示してあります。
「小さな教会の大きな事件」
この小さな教会でどんな大きな事件が起きたのか、ご一緒に見てまいりましょう。 -
1938年9月、ミュンヘンで英仏独伊の首脳が会談し(ミュンヘン会談)、
軍事力で圧倒的に優位にたつヒトラーのナチスドイツに、チェコスロヴァキアのズデーデン地方を割譲することが決定しました。
その後もヒトラーはチェコとスロヴァキアを分離させ、チェコをドイツに編入し保護領区にしました。 -
戦わずしてチェコを傘下に入れ、意気揚々とプラハに凱旋するヒトラー。(資料より)
チェコのズデーデン地方はチェコ有数の工業地帯、ナチス・ドイツにとっては、戦車や武器などの軍需物資生産にはなくてはならない土地となりました。
しかし、ストライキや抵抗運動が多発し、生産性が大幅に落ちていきました。 -
そこで、業を煮やしたヒトラーは、彼の片腕とされるラインハルト・ハイドリヒを責任者としてチェコに送りこみます。
ハイドリヒは、ユダヤ人の大量虐殺の立案者でもあり、冷徹で残忍な性格は「金髪の野獣」「絞首刑人」などと呼ばれ恐れられていました。 -
2010年にヴァンゼー会議場で撮った写真。
ラインハルト・ハイトリッヒ(治安警察・親衛隊本部長官・親衛隊長・ベーメン・メーレン保護領副総督)。
1942年1月20日ヴェンゼーでドイツ第三帝国の代表者たち15名が集まり、「ユダヤ人問題の最終解決」という議題で話し合われました。
ハイドリヒはこの会議のリーダーでした。
その数か月後に彼はプラハで暗殺されました。 -
プラハに着任早々のハイドリヒは、反体制派やレジスタンスを逮捕し次々と処刑しました。
チェコ首相も犠牲者でした。 -
それに危惧を抱いたのが、イギリスに亡命していたチェコの亡命政府です。
そしてひそかにスパイ部隊を育成していました。
またチェコ国内にも、地下組織・抵抗運動の活動家を潜り込ませていました。 -
ここから映画「ハイドリヒを撃て」は始まります。
在英チェコ亡命政府は7人の特攻兵を3つのパラシュート部隊としてプラハに送りこみます。
1941年12月1日、この映画の主人公とも言うべきヨゼフ・ガブチークとヤン・クビシュはハイドリヒの暗殺の命を受け先に飛び立ちます。
また1941年12月28日にはチェコの抵抗運動組織と接触し、ロンドンとの連絡を確立するとの命を受け3名が、送信機を携行した2名は通信連絡の任務を受けて、2班に別れてパラシュートでプラハに着陸しました。 -
プラハ市内のレジスンタンスの家に身を隠したガブチークとクビシュは、暗殺の機会を覗います。
最初、プラハ市内に潜入しているレジスタンスグループと会った2人は、ハイドリヒ暗殺のことを明かすと、グループから大反対にあいます。
ハイドリヒを暗殺すれば、残忍なヒトラーのこと、その何百倍、何千倍のプラハの市民が報復のために虐殺されることを恐れているからです。
写真はSSのどくろの制帽やSSの肩章 -
数か月、2人は情報収集しながら具体的な実行計画を練っていました。
そして、その日はやってきました。
1942年5月27日。いつものようにオープンカーで、自宅から、プラハ城の執務室に向かうハイドリヒに向かって爆弾を投げつけました。 -
ハイドリヒの車は破壊され、彼は重傷を負いました。
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そしてその傷が原因の敗血症で、ハイドリヒは8日後の6月4日に死亡しました。
ハイドリヒはナチの重要人物、彼の葬儀はプラハとベルリンで盛大な国葬が執り行われました。
プラハでは数千人の親衛隊員が松明をもってプラハ城まで並んだそうです。
下の写真はベルリンでの国葬の模様。(2013年撮影のテロのトポグラフィーより。) -
片腕ともいえるハイドリヒを暗殺されたヒトラーは、すぐさま報復を実行します。
実行犯のみならず、レジスタンスを草の根を分けても探し出し処刑することをゲシュタポとSSに命じました。
それだけでは気が済まないヒトラーは、根拠もないのに襲撃事件の犯人を匿ったとして、チェコ近郊のリディツェ村とレジャーキ村を撤退的に破壊するのです。
最も酷かったリディツェ村。
6月10日、大勢の親衛隊がやってきて、500人の村人は一堂に集められます。
そして16歳以上の男性約200名は10名ずつ並ばされて、一人残らず銃殺されました。女性(約180名)と子供(約100名)は引き裂かれて別々の強制収容所に送られました。
そして村は跡形もなく焼き払われました。 -
この事件は連合国でも大きく取り扱われ、激怒した英国首相ウィンストンチャーチルは、ナチスが破壊した村1つにつき、ドイツの村3つを破壊せよ!とまで言ったそうです。
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現在のリディツェ村には、追悼のモニュメントや追悼の碑が建てられ、多くの観光客が訪れています。
また「リディツェ」の名を風化させてはならないと、外国にもリディツェの名を冠する町や、通り、病院などができました。
写真は不安な表情をしたリディツェ村の子どもたちのモニュメント。
ネットより拝借しました。 -
ナチスの報復によって破壊された村リディツェ。
最上段の米国の大臣がつぶやいている言葉に、深く考えさせられました。
「When our children ask us why we weged this war, we will tell them the story of Lidice.」。
なぜこの戦争をやったのかと子供たちに問われたら、リディツェの話をするでしょう。 -
さて、ハイドリヒ暗殺に成功し、無事逃げおおせたカプチークとクビシュ、そしてその他5人の亡命政府の落下傘部隊は、聖キリルとメトディウス教会の隠れ家にたどり着きました。
しかしここに裏切者がいたのです。8人目の男とも言うべき、少し遅れて別の落下傘でプラハ入りをしていたカレル・チェルダです。多額の賞金に目がくらみ、彼らの隠れ家を密告してしまうのです。 -
1942年6月18日のことでした。
700人もの親衛隊に教会を取り囲まれ、銃撃戦が始まりました。
7人の隊員のうちクビシュを含む3名は教会内で銃撃戦で殺されました。
未だに銃の痕が生々しく残る壁には花輪が供えてあります。 -
残る4人は地下室に逃げ込みます。
1か所しかない出口にバリケードを積み応戦します。
4:700の戦い。 -
ナチス親衛隊は灯り取り窓から放水し、水攻めにします。
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あの穴から放水されたのですね。
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絶対絶命の諜報隊員たち。
下水道に逃げ込もうとして穴を掘り始めました。しかし刻一刻と水かさを増してくる地下室の中。 -
生きて捕らえられることを潔しとしない特攻隊員たちは、ピストルで自害しました。
7時間にも及ぶ長い長い戦いでした。 -
壁には、当時の地下室の様子や、親衛隊との銃撃戦後の写真などが掲示してありました。
その横には7人の特攻隊員の一人ひとりの最後の写真がありました。
(この写真、見たくない方はスルーしてください) -
狭い地下室には今日も多くの人々が訪れています。
この地下室には7人の勇気ある特攻隊員たちを讃えて胸像が飾ってあります。
ガブチークとクビシュの像の前はいつも大勢の人々。 -
左:ヨーゼフ・ガブチーク軍曹
右:ヤン・グビシュ軍曹
ネットよりお借りしました。 -
アドルフ・オパルカ少尉
ヨーゼフ・ヴァルティク軍曹
ヤロウラフ・シュヴァルツ通信士
ヨーゼフ・ブブリク通信士
ヤン・ハルビー通信士 -
匿った教会関係者は後日銃殺されました。
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ナチスの残虐な報復を知り、英首相チャーチルはミュンヘン協定の無効を宣言。
そして自由のために戦ったチェコを重要な同盟国と認めました。 -
この事件のことは、「死刑執行人にもまた死す」(1943年)、「暗殺」(1964年)、「暁の7人」(1975年)、「ハイドリヒを撃て」(2016年、「ナチス第三の男」(2017年)などで映画化されています。
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教会の狭い庭には石碑が・・・。
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ハイドリヒ暗殺の報復として、ナチスに殺された、1万3000人の名前がびっしり彫ってあります。
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狂っているとしか言えない出来事でした。
ハイドリヒ1人の暗殺に、こんなにも大勢の犠牲者が。 -
教会の壁には無数の銃弾の痕が・・・、ナチスの報復の激しさを物語っています。
親衛隊はこの窓から地下室に放水しました。 -
その上には勇敢なる7人の諜報隊員たちの追悼の碑があります。
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7人の名前が刻んであります。
本来なら8人目に並ぶはずだった裏切者のカレル・チェルダは1947年、ナチスの協力者として処刑されました。
あれから77年経ったのですね。 -
次に移動するトラムの車窓から、奇妙な形をしたダンシングビルを見つけました。
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この旅行記へのコメント (6)
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- utamiumiuさん 2020/03/03 16:39:47
- もう一度プラハへ行かなきゃ
- こんにちは
この旅行記を読んでもう一度プラハへ行かなきゃと思いました。
実際の場所があったとは知らなかったです。
実は映画を先に見ていたのです。
「ハイドリッヒを撃て」と「ナチス第三の男」両方を同時にツタヤディスカス宅配DVDで。
史実に元づいているとは思いましたがもう、そのまんまですね。
映画の世界と思っていましたので旅行記の写真を見て衝撃でした。
事実をなぞる一人旅しなきゃ。
ありがとうございました。
70歳まであと4年のuta
- frau.himmelさん からの返信 2020/03/04 11:32:12
- RE: もう一度プラハへ行かなきゃ
- スーパーウーマンのutaさん。
大変お忙しくしていらっしゃるのに、コメントをありがとうございます。
時々utaさんのお部屋を覗いては新しい旅行記まだかな〜〜、と。
そして、お忙しいのね・・、と。
「ハイドリヒを撃て」のDVD、私は逆でした。
プラハの旅程を組んでいるときにそういう教会があると知り、ツタヤでDVDを借りてみました。
utaさんはあの時代の映画をよく見ていらっしゃいますね。たしかスパイ交換のグリーニッカー橋の時も、関連の映画をみていらっしゃいましたね。
utaさんの好奇心に敬服です。
まだまだお若いutaさん、お一人何役とこなしていらっしゃってお忙しいことでしょうが、お身体にはお気を付けください。
大変な感染症も流行っていますから。
himmel
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- salsaladyさん 2019/09/13 09:27:20
- 「ハイドリヒを撃て」!。。。
- ☆frau.himmelの名が物語るドイツの歴史~よくぞ事前にこれだけ調べて~
☆中欧の旅へ行く!となると風光明媚な地方やチョコレートの美味しいチェコデモツアルトに出会う旅・などとお気楽が多い中、ここまでリアルにドイツの諜報活動家ハイドリヒを追いかけて。。。事実を知っておかなければと思いつつ、過去を曖昧に『許そうしかし忘れまい』などと美辞麗句?で記憶の彼方にやってしまう日本人気質が韓国=朝鮮からいまだに"恨み”をもたらされる現実なんですね。
☆それにしてもチェコとスロバキアを分断したのがヒットラー自身の仕業だったことを今更ながら知って恥じ入ります。~aufwedersehen~
- frau.himmelさん からの返信 2019/09/13 20:34:22
- RE: 「ハイドリヒを撃て」!。。。
- salsaladyさん、こんばんは。
何時もコメントありがとうございます。
いえいえ、ハイドリヒは付けたし、私たちの目的もやっぱり美しい都、それにプラハの春音楽祭がメインなのです。
>☆それにしてもチェコとスロバキアを分断したのがヒットラー自身の仕業だったことを・・・
ヒトラーの都合のいいように分離しましたが、ナチ敗戦後はまたくっつき、そしてやっぱりあなたとは一緒にやっていけないわ〜と25年ほど前に分断したのでしたね。
まだチェコスロヴァキアという国名だと思っている人も多いようで、
日本憎しで明け暮れている隣国の文大統領でさえ、昨年でしたか、国名を「チェコスロヴァキア」と言って顰蹙を買ったそうです。
分離して25年も経つのに国名を昔の名前で呼んだり、75年前のことを謝れ〜謝れ〜っていつまでも言い続けたり、不思議な人です。
salsaladyさんのご家族との和気藹々のご旅行記、また音楽仲間との交流、楽しませていただいております。何たって場所が私の近くなのが、とても親近感を覚えます。
himmel
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- ねもさん 2019/09/05 15:41:47
- プラハ満喫
- frau.himmelさん
チェコ(+スロバキア)国民の苦難は、プラハの春の挫折だけではなかったことは承知しているつもりでしたが、こんな辛い残虐な事件があったとは…… 勉強になります。
frau.himmelさんの解説が、よくありがちな、どこかから切って貼るのではなく、ご自分の言葉で咀嚼されているので、分かりやすいです。
プラハ城の旅行記に書かれていますが、アメリカもイギリスもどうなるのでしょうね!? 日韓の小競り合いなど小事に思えます。
まさか再選されないと私が信ずるあの方は、オバマ前大統領の理想主義が大嫌いのようですが、政治家が理想を語らなかったらおしまいでしょう。
- frau.himmelさん からの返信 2019/09/06 11:00:16
- RE: プラハ満喫
- ねもさん、おはようございます。
いつもコメントありがとうございます。
>・・・、どこかから切って貼るのではなく、ご自分の言葉で咀嚼されているので、分かりやすいです。
ねもさんにそう言っていただけるととても嬉しいです。
旅行記を投稿する際はいろいろ調べていますが、歴史的背景、政情的なものなど、自分で納得しないと気が済まない性分で、挙句拙い表現ばかりで恥ずかしいです。
昔はもっと文章もすらすら出てきたのに・・・(笑)、これも加齢のなせる業だと諦めています。
本当に独裁者(?)のあの方は、オバマ前大統領に悉く反対するご主義のようで、一体世界はこれからどちらに向かって進むのか、心配になりますね。
なんだか平和ボケの日本にも火の粉が降りかかったようで、お隣の国との軋轢も気になります。
昨日まで、ねもさんがよくトレッキングしていらっしゃる地方に行ってまいりました。もちろん車でです。
お天気がイマイチで2日間とも富士山が臨めなかったのが残念でした。約半年ぶりだったのに・・・。
また今日より残暑がぶり返して参りました。
どうか御身大切に。
himmel
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