マカオ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
マカオ旅行の2日目。マカオの世界遺産(構成遺産)の散策。

マカオ旅行記(2日目)

6いいね!

2009/09/26 - 2009/09/28

3065位(同エリア4767件中)

0

75

パンダ番長

パンダ番長さん

マカオ旅行の2日目。マカオの世界遺産(構成遺産)の散策。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
同行者
友人
一人あたり費用
10万円 - 15万円

PR

  • <本番の澳門世界遺産観光の朝><br />昨日は疲れているのでぐっすりと眠れると思っていたが、眠りが浅い感じで目覚める。疲れすぎているのか? 5時過ぎには目が覚めていたが、そのままうとうととベットの中で時間を過ごす。<br />6時に持ってきた目覚し時計が鳴る。冨田君がその目覚し時計の音で起きたのを感じていたが、まだうとうととしていたので寝ていた。次に目が覚めたのが時計を見ると6時20分、もう起きなければいけない。<br />起きて顔を洗い、歯を磨き、出発の準備をする。準備をしながら冨田君と出る時間などを話す。<br />取り敢えず、7時にここを出る事にした。余計なものは持っていかない様に荷物を吟味し、カメラなどを確かめる。昨日はあまり写真を撮らなかったので、電池の消耗も然程ない。準備は万端である。強いて言えば、持って行く飲み物がミネラル水少ししかない事である。どこかで補充が必要である。昨晩もかなり遅くまで歩き廻ったが夜中でもかなり暑く、あまり日中と気温が変わらない。<br />日中はそれに増して湿度が高くなる。<br />結局、7時過ぎに部屋を出る事になった。ホテルの横から裏の蘇亞利斯博士大馬路を渡り、ホテル・シントラの前を通り、殷皇子大馬路に出る。ここから北西に向かい、セナド広場方面に進む。<br />まだ、朝も早く、殆どの店が開いていない。朝食をどこで食べるかを話ながら歩き、当初の計画通りに8時に開く、聖ポール天主堂跡の近くにある宋記豆腐麺店で摂る事にした。それまで時間はまだたっぷりとある。ゆっくりと殷皇子大馬路を進む。途中にあるタイルの通り案内板などをカメラに収めながらで歩いていたが、直ぐに昨日の大堂街の通りの入口に到着する。<br />そこを入り、階段を昇り、石畳の路を進む。既に階段を昇り切ったところで、前方に大堂(カテドラル)が見えている。まだ、時刻は7時20分過ぎである。大堂(カテドラル)が開くのは7時30分からである。ゆっくりと歩くが、直ぐに大堂前に広場に到着した。<br />

    <本番の澳門世界遺産観光の朝>
    昨日は疲れているのでぐっすりと眠れると思っていたが、眠りが浅い感じで目覚める。疲れすぎているのか? 5時過ぎには目が覚めていたが、そのままうとうととベットの中で時間を過ごす。
    6時に持ってきた目覚し時計が鳴る。冨田君がその目覚し時計の音で起きたのを感じていたが、まだうとうととしていたので寝ていた。次に目が覚めたのが時計を見ると6時20分、もう起きなければいけない。
    起きて顔を洗い、歯を磨き、出発の準備をする。準備をしながら冨田君と出る時間などを話す。
    取り敢えず、7時にここを出る事にした。余計なものは持っていかない様に荷物を吟味し、カメラなどを確かめる。昨日はあまり写真を撮らなかったので、電池の消耗も然程ない。準備は万端である。強いて言えば、持って行く飲み物がミネラル水少ししかない事である。どこかで補充が必要である。昨晩もかなり遅くまで歩き廻ったが夜中でもかなり暑く、あまり日中と気温が変わらない。
    日中はそれに増して湿度が高くなる。
    結局、7時過ぎに部屋を出る事になった。ホテルの横から裏の蘇亞利斯博士大馬路を渡り、ホテル・シントラの前を通り、殷皇子大馬路に出る。ここから北西に向かい、セナド広場方面に進む。
    まだ、朝も早く、殆どの店が開いていない。朝食をどこで食べるかを話ながら歩き、当初の計画通りに8時に開く、聖ポール天主堂跡の近くにある宋記豆腐麺店で摂る事にした。それまで時間はまだたっぷりとある。ゆっくりと殷皇子大馬路を進む。途中にあるタイルの通り案内板などをカメラに収めながらで歩いていたが、直ぐに昨日の大堂街の通りの入口に到着する。
    そこを入り、階段を昇り、石畳の路を進む。既に階段を昇り切ったところで、前方に大堂(カテドラル)が見えている。まだ、時刻は7時20分過ぎである。大堂(カテドラル)が開くのは7時30分からである。ゆっくりと歩くが、直ぐに大堂前に広場に到着した。

  • (1).大堂(カテドラル)<br />イエスの弟子の聖ラザロ(St.Lazarus)を祀る教会として1622年に創建された。創建当初は、土と藁で出来た“タイパ”というレンガで造られていた。創建当初は日本を含むアジア地区の主教管区であったと言われている。澳門のカトリック派の中心的な役割を司り、祭壇の下には16~17世紀の司教などの遺骨が納められている。災害などの後、再建を繰り返し、1937年に現在の建物になる。<br />昨晩も訪れたが、ライトアップされた大堂(カテドラル)と昼間(朝)見るものとはまた趣が違う。<br />外観は、グレーの簡素なもので非常に地味である。正面に回ると入口上に配されたステンドグラスの窓が色鮮やかで綺麗である。正面の入口は7時30分前であるが、既に開いている。次々に人が入っている。入口には人がいる。入ろうとすると何かを言われた。入ってはいけないのか?<br />しかし、遮られる事はないので、教会内を覗くと、朝のお祈りの時間である様だ。<br />どうも私を観光客であると思い、今の時間帯は遠慮する様に促したのであろう。その事を冨田君に言い、今は中に入るのは止める事にした。

    (1).大堂(カテドラル)
    イエスの弟子の聖ラザロ(St.Lazarus)を祀る教会として1622年に創建された。創建当初は、土と藁で出来た“タイパ”というレンガで造られていた。創建当初は日本を含むアジア地区の主教管区であったと言われている。澳門のカトリック派の中心的な役割を司り、祭壇の下には16~17世紀の司教などの遺骨が納められている。災害などの後、再建を繰り返し、1937年に現在の建物になる。
    昨晩も訪れたが、ライトアップされた大堂(カテドラル)と昼間(朝)見るものとはまた趣が違う。
    外観は、グレーの簡素なもので非常に地味である。正面に回ると入口上に配されたステンドグラスの窓が色鮮やかで綺麗である。正面の入口は7時30分前であるが、既に開いている。次々に人が入っている。入口には人がいる。入ろうとすると何かを言われた。入ってはいけないのか?
    しかし、遮られる事はないので、教会内を覗くと、朝のお祈りの時間である様だ。
    どうも私を観光客であると思い、今の時間帯は遠慮する様に促したのであろう。その事を冨田君に言い、今は中に入るのは止める事にした。

  • (2).大堂広場<br />大堂前にあるタイル張りの広場である。広場の中央付近に噴水と十字架のモニュメントがある。<br />また、広場を囲む塀も全てタイル張りである。その塀に幾つかのベンチもある。朝の時間も早いので、あまり人も多くないが、澳門の人達の憩いの場になっている。また、昨晩は判らなかったが、ここから大堂巷へ下ると、この広場を囲む塀の外には、白と青のタイルのレリーフが張られている。このような絵が描かれたタイルを”アズレージョ”という。特に塀の北隅の水飲み場のレリーフが綺麗である。これを含め、北西面の塀に5枚のレリーフが張られている。5枚で何かの物語になっているのであろうか?<br />    <br />その後、この大堂巷沿いにある。慮家屋敷に向かう。この時間帯ではまだ開いていないが、場所の確認を行う為に向かう。直ぐにその家が判る。大きな壁の中央に入口のある家であった。その家に前に看板も出ている。<br />

    (2).大堂広場
    大堂前にあるタイル張りの広場である。広場の中央付近に噴水と十字架のモニュメントがある。
    また、広場を囲む塀も全てタイル張りである。その塀に幾つかのベンチもある。朝の時間も早いので、あまり人も多くないが、澳門の人達の憩いの場になっている。また、昨晩は判らなかったが、ここから大堂巷へ下ると、この広場を囲む塀の外には、白と青のタイルのレリーフが張られている。このような絵が描かれたタイルを”アズレージョ”という。特に塀の北隅の水飲み場のレリーフが綺麗である。これを含め、北西面の塀に5枚のレリーフが張られている。5枚で何かの物語になっているのであろうか?
     
    その後、この大堂巷沿いにある。慮家屋敷に向かう。この時間帯ではまだ開いていないが、場所の確認を行う為に向かう。直ぐにその家が判る。大きな壁の中央に入口のある家であった。その家に前に看板も出ている。

  • その後、昨晩も通った賣草地街を通る。まだ、朝も早く、人通りは少ない。日曜日である事も関係しているかも知れない。また、店屋も殆ど開いていない。ここで、昨晩は判らなかったが、ホテルの部屋で地図を見ていて気が付いた女&#23207;廟を見つける。<br />  <br />女&#23207;や&#21738;咤などは中国の“封神演義”という物語などに出てくる人物(神?)で、殷王朝から周王朝への移行期の物語である。日本の書物で言うと日本書紀に似たものである。現在は発掘調査も進み、その王朝存在も確認されているが、昔は神話のような物語であった中の人物である。<br />神話の中の女&#23207;は、万物創世の女神で、伏義との婚姻で現在の人間が生み出されたとされる。日本書紀の中のイザナミである。一体何の神様として祀っているのであろうか?<br />その前を過ぎ、更に賣草地街を奥に坂を上ると、聖ポール天主堂跡が見えてくる。<br />

    その後、昨晩も通った賣草地街を通る。まだ、朝も早く、人通りは少ない。日曜日である事も関係しているかも知れない。また、店屋も殆ど開いていない。ここで、昨晩は判らなかったが、ホテルの部屋で地図を見ていて気が付いた女媧廟を見つける。
     
    女媧や哪咤などは中国の“封神演義”という物語などに出てくる人物(神?)で、殷王朝から周王朝への移行期の物語である。日本の書物で言うと日本書紀に似たものである。現在は発掘調査も進み、その王朝存在も確認されているが、昔は神話のような物語であった中の人物である。
    神話の中の女媧は、万物創世の女神で、伏義との婚姻で現在の人間が生み出されたとされる。日本書紀の中のイザナミである。一体何の神様として祀っているのであろうか?
    その前を過ぎ、更に賣草地街を奥に坂を上ると、聖ポール天主堂跡が見えてくる。

  • 聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)を背にした記念撮影場所のメッカで、多くの観光客で賑わう場所であるが、今は朝も早く、殆ど人も居ないので、絶好の記念撮影の機会である。<br />冨田君と互いのカメラで記念撮影を行った。昨晩のライトアップされたファサードも綺麗であったが、今日の朝日に映えたファサードも綺麗である。<br />

    聖ポール天主堂跡のファサード(正面壁)を背にした記念撮影場所のメッカで、多くの観光客で賑わう場所であるが、今は朝も早く、殆ど人も居ないので、絶好の記念撮影の機会である。
    冨田君と互いのカメラで記念撮影を行った。昨晩のライトアップされたファサードも綺麗であったが、今日の朝日に映えたファサードも綺麗である。

  • ファサードへの石段を昇り、ファサードの下に行くもまだ時間が早くファサードの門は開いていない。仕方なく、この聖ポール天主堂跡の北に建つ&#21738;咤廟へ向かう。<br />しかし、ここも時間が早く開いていない。時刻は7時50分を過ぎている。もう少しで開く時間(8時に開く予定)であるが、お腹も空いて来たので、今日の朝食場所として決めている宋記豆腐麺店に向かう事にした。<br />&#21738;咤廟前の急な坂を下り、大三巴街に出る。そこから少し北西に進み、更に大三巴街の道から階段を下りて細い路地を通り、関前後街の通りに抜ける。<br />  <br />この抜けた角に目的の宋記豆腐麺店があった。<br />

    ファサードへの石段を昇り、ファサードの下に行くもまだ時間が早くファサードの門は開いていない。仕方なく、この聖ポール天主堂跡の北に建つ哪咤廟へ向かう。
    しかし、ここも時間が早く開いていない。時刻は7時50分を過ぎている。もう少しで開く時間(8時に開く予定)であるが、お腹も空いて来たので、今日の朝食場所として決めている宋記豆腐麺店に向かう事にした。
    哪咤廟前の急な坂を下り、大三巴街に出る。そこから少し北西に進み、更に大三巴街の道から階段を下りて細い路地を通り、関前後街の通りに抜ける。
     
    この抜けた角に目的の宋記豆腐麺店があった。

  • しかし、もう8時を回っているというのに開いていない。店の横の窓から中を覗くと湯気などが立っているのが確認出来るので、準備をしている事は間違いない。しかし、何時開くのかが判らない上、開くのを待つ人もいないので、冨田君と相談し、今日の朝食をここで取る事を諦め、もうひとつの候補店であった三元粥品専家に向かう事にした。この店は粥の店である。<br />宋記豆腐麺店前から更に迷路の様な小路を新馬路方面に抜ける。昨晩の反省もあり、念入りに地図を確かめながら移動をしているので、今日は間違う事なく、新馬路に抜けられる。<br />この通りを渡り、この通りと平行しているもう1本奥の路地に入る。この通り沿いに目的の三元粥品専家があるはずである。まだ、朝が早く人もいないが、娼婦風の女性が街角に立っている。<br />それを脇目に見ながら、地図で目的地の店を確認する。地図ではこの辺りではあるが、それらしき店が見えない。もう少し南に進む。地図を見ながら進んでいたら、その店の前を通り過ぎるところであった。開いている小さな店が三元粥品専家であった。<br />

    しかし、もう8時を回っているというのに開いていない。店の横の窓から中を覗くと湯気などが立っているのが確認出来るので、準備をしている事は間違いない。しかし、何時開くのかが判らない上、開くのを待つ人もいないので、冨田君と相談し、今日の朝食をここで取る事を諦め、もうひとつの候補店であった三元粥品専家に向かう事にした。この店は粥の店である。
    宋記豆腐麺店前から更に迷路の様な小路を新馬路方面に抜ける。昨晩の反省もあり、念入りに地図を確かめながら移動をしているので、今日は間違う事なく、新馬路に抜けられる。
    この通りを渡り、この通りと平行しているもう1本奥の路地に入る。この通り沿いに目的の三元粥品専家があるはずである。まだ、朝が早く人もいないが、娼婦風の女性が街角に立っている。
    それを脇目に見ながら、地図で目的地の店を確認する。地図ではこの辺りではあるが、それらしき店が見えない。もう少し南に進む。地図を見ながら進んでいたら、その店の前を通り過ぎるところであった。開いている小さな店が三元粥品専家であった。

  • <朝食の粥:三元粥品専家><br />店に入ると数名の人が食事を既にしている。店のテーブルに着き、メニューを見る。<br />冨田君の持つガイドブックに載っているこの店の名物粥を頼む事にした。メニューの最初に載っている。しかし、価格が2つ書いてある。その違いが最初判らなかったが、価格が高い方が生卵入りである。この生卵入りを注文する。店には、料理を作る人、ここの主人の男性と他にお婆さんが店の入口に座っている。それとここの主人の奥さんか?おばさんの3人家族で店を営んでいる様だ。<br />程なく、粥が出てくる。頼んだものは、豚の肉団子入りの粥である。卵は丼の底に入っているのか見えない。テーブルに置いてあるレンゲで粥を下から混ぜ返す。<br />  <br />すると徐々に粥が黄色味を帯びてくる。充分にかき混ぜた後、一口食べる。薄い塩味ではあるが、非常に美味しい。続いて肉団子を食べる。これも少し塩味が強いが非常に美味しく、粥をいっしょに食べるのに丁度良い。一気に完食した。<br />食べ終わり、会計を行う。ひとりが19HK$(約230円)である。<br />店を出て、また来た路を戻る。

    <朝食の粥:三元粥品専家>
    店に入ると数名の人が食事を既にしている。店のテーブルに着き、メニューを見る。
    冨田君の持つガイドブックに載っているこの店の名物粥を頼む事にした。メニューの最初に載っている。しかし、価格が2つ書いてある。その違いが最初判らなかったが、価格が高い方が生卵入りである。この生卵入りを注文する。店には、料理を作る人、ここの主人の男性と他にお婆さんが店の入口に座っている。それとここの主人の奥さんか?おばさんの3人家族で店を営んでいる様だ。
    程なく、粥が出てくる。頼んだものは、豚の肉団子入りの粥である。卵は丼の底に入っているのか見えない。テーブルに置いてあるレンゲで粥を下から混ぜ返す。
     
    すると徐々に粥が黄色味を帯びてくる。充分にかき混ぜた後、一口食べる。薄い塩味ではあるが、非常に美味しい。続いて肉団子を食べる。これも少し塩味が強いが非常に美味しく、粥をいっしょに食べるのに丁度良い。一気に完食した。
    食べ終わり、会計を行う。ひとりが19HK$(約230円)である。
    店を出て、また来た路を戻る。

  • 途中に先程は開いていなかった宋記豆腐麺店が今は開いている<br />店を覗くと人は殆どいない。そこから再び、来た路を戻り、&#21738;咤廟に向かう。最後の急な坂を上り切ると&#21738;咤廟の前である。

    途中に先程は開いていなかった宋記豆腐麺店が今は開いている
    店を覗くと人は殆どいない。そこから再び、来た路を戻り、哪咤廟に向かう。最後の急な坂を上り切ると哪咤廟の前である。

  • (4).&#21738;咤廟<br />中国民間信仰の神である&#21738;咤は非常に腕白で、孫悟空を相手にも大暴れする様が「西遊記」などにも登場する。言い伝えによると今から300年前に腹掛けをした子供が拾われたが、翌日に&#21738;咤となって風火輪(封神演義などに出てくる&#21738;咤の足に着けられた空を飛ぶ靴)に乗り飛び去ったという。澳門には、この&#21738;咤廟ともうひとつ柿山の下にも&#21738;咤廟がある。もともとはこの柿山の&#21738;咤廟がもとである。1888年に聖ポール天主堂跡一帯に伝染病が流行し、住民から悪疫退散のために柿山から&#21738;咤廟を移転してほしいとの要請があったが柿山周辺住民がこれを断った為にやむなく新しく廟を造ったのがこの&#21738;咤廟である。<br />      <br />時刻は8時40分過ぎで、既に&#21738;咤廟が開いている。中を覗くと入口におじいさんが座り、線香などを売っている。中央に派手な腹巻を着けた&#21738;咤が祀られている。<br />

    (4).哪咤廟
    中国民間信仰の神である哪咤は非常に腕白で、孫悟空を相手にも大暴れする様が「西遊記」などにも登場する。言い伝えによると今から300年前に腹掛けをした子供が拾われたが、翌日に哪咤となって風火輪(封神演義などに出てくる哪咤の足に着けられた空を飛ぶ靴)に乗り飛び去ったという。澳門には、この哪咤廟ともうひとつ柿山の下にも哪咤廟がある。もともとはこの柿山の哪咤廟がもとである。1888年に聖ポール天主堂跡一帯に伝染病が流行し、住民から悪疫退散のために柿山から哪咤廟を移転してほしいとの要請があったが柿山周辺住民がこれを断った為にやむなく新しく廟を造ったのがこの哪咤廟である。
     
    時刻は8時40分過ぎで、既に哪咤廟が開いている。中を覗くと入口におじいさんが座り、線香などを売っている。中央に派手な腹巻を着けた哪咤が祀られている。

  • (5).旧城壁<br />&#21738;咤廟の隣に残る古びた壁が旧城壁である。1569年にポルトガル人により築かれたものである。<br />丁度、&#21738;咤廟の横にアーチ型の門がある。この中には民家が続いている。澳門の西部の港の部分を除き、北、南、東部を城壁で囲み、それぞれに砲台が設置されていたという。<br />この部分が一番旧城壁として残る部分で保存が良いのであろう。他にも残っているとは思われるが、観光案内でもここが紹介されている。<br /><br />このアーチ型の門を潜り、民家を通り抜け、急な階段を下ると、高園街の通りに出る。更に迷路のような小路に入り、行き止まりかと思われたが、アパートの中を抜ける階段を下りると新勝街の通りに抜けられた。この通りを北西に進むと次の目的地であるカモンエス広場である。<br />

    (5).旧城壁
    哪咤廟の隣に残る古びた壁が旧城壁である。1569年にポルトガル人により築かれたものである。
    丁度、哪咤廟の横にアーチ型の門がある。この中には民家が続いている。澳門の西部の港の部分を除き、北、南、東部を城壁で囲み、それぞれに砲台が設置されていたという。
    この部分が一番旧城壁として残る部分で保存が良いのであろう。他にも残っているとは思われるが、観光案内でもここが紹介されている。

    このアーチ型の門を潜り、民家を通り抜け、急な階段を下ると、高園街の通りに出る。更に迷路のような小路に入り、行き止まりかと思われたが、アパートの中を抜ける階段を下りると新勝街の通りに抜けられた。この通りを北西に進むと次の目的地であるカモンエス広場である。

  • (6).カモンエス広場<br />道路沿いに木々が生い茂る広場が見えて来る。ここが、カモンエス広場である。<br />この奥にルイス・カモンエス公園がある。広場は極普通の広場である。特に変わった広場ではない。<br />ここがどうして世界遺産に登録されているのか判らない。むしろ、この奥の公園の方が非常に綺麗だ。<br />    <br />ルイス・カモンエス公園の入口を入ると両脇に大きな菩提樹の木が生い茂る。ベンガル菩提樹というらしい。その奥の広場にはモニュメントが立ち、タイルで造られた絵が幾つも並ぶ。<br />また、奥の階段中央にもタイルで造られた絵がある。<br />    <br />この公園には多くの老人が集い、のんびりと椅子で休息や雑談を楽しんでいる。あるいは太極拳や体操器具で運動をする人達も多い。公園内はこの様な人達が一杯である。<br />このルイス・カモンエス公園は階段の奥に、まだまだ続くみたいである。この高台には、この公園の名前の由来となっているルイス・カモンエスの像があるそうだ。かなりの高台であるので、上がる事を止めて、次に向かう。<br />

    (6).カモンエス広場
    道路沿いに木々が生い茂る広場が見えて来る。ここが、カモンエス広場である。
    この奥にルイス・カモンエス公園がある。広場は極普通の広場である。特に変わった広場ではない。
    ここがどうして世界遺産に登録されているのか判らない。むしろ、この奥の公園の方が非常に綺麗だ。
     
    ルイス・カモンエス公園の入口を入ると両脇に大きな菩提樹の木が生い茂る。ベンガル菩提樹というらしい。その奥の広場にはモニュメントが立ち、タイルで造られた絵が幾つも並ぶ。
    また、奥の階段中央にもタイルで造られた絵がある。
     
    この公園には多くの老人が集い、のんびりと椅子で休息や雑談を楽しんでいる。あるいは太極拳や体操器具で運動をする人達も多い。公園内はこの様な人達が一杯である。
    このルイス・カモンエス公園は階段の奥に、まだまだ続くみたいである。この高台には、この公園の名前の由来となっているルイス・カモンエスの像があるそうだ。かなりの高台であるので、上がる事を止めて、次に向かう。

  • (7).プロテスタント墓地<br />イギリス人やアメリカ人の宣教師や貿易商人など約150人が眠る墓地である。澳門を愛した芸術家である画家のジョージ・シナリーなどもここに眠る。<br />  <br />この墓地の入口には、英中辞典を編纂し、聖書の中国語訳を行った伝道師ロバート・モリソンを記念した教会が建っている。<br />  <br />世界遺産と言ってもやはり墓地である。あまりうろちょろするのはどうも気が引ける。奥まで入る事なく、手前で写真を撮るだけで早々に引き上げる。<br />

    (7).プロテスタント墓地
    イギリス人やアメリカ人の宣教師や貿易商人など約150人が眠る墓地である。澳門を愛した芸術家である画家のジョージ・シナリーなどもここに眠る。
     
    この墓地の入口には、英中辞典を編纂し、聖書の中国語訳を行った伝道師ロバート・モリソンを記念した教会が建っている。
     
    世界遺産と言ってもやはり墓地である。あまりうろちょろするのはどうも気が引ける。奥まで入る事なく、手前で写真を撮るだけで早々に引き上げる。

  • (8).カーサ庭園<br />ルイス・カモンエス公園の隣にある洋館が1770年に建てられた東方基金会の建物である。<br />  <br />当時はポルトガル商人マヌエル・ペレイラの邸宅であった。ルイス・カモンエス公園もかつてはこの家の庭園であった。その後、洋館と庭園は政府が所有していたが、1989年に英国東インド会社が買い上げ、現在の東方基金会の事務所となった。この事務所の前の庭園がカーサ庭園と呼ばれ、世界遺産に指定されている。<br />しかし、残念な事に今日はこの門が開いていない。日曜日は開いていないのかも知れない。仕方なく、門の前で中の写真を撮るだけで、次に行く事にした。<br />

    (8).カーサ庭園
    ルイス・カモンエス公園の隣にある洋館が1770年に建てられた東方基金会の建物である。
     
    当時はポルトガル商人マヌエル・ペレイラの邸宅であった。ルイス・カモンエス公園もかつてはこの家の庭園であった。その後、洋館と庭園は政府が所有していたが、1989年に英国東インド会社が買い上げ、現在の東方基金会の事務所となった。この事務所の前の庭園がカーサ庭園と呼ばれ、世界遺産に指定されている。
    しかし、残念な事に今日はこの門が開いていない。日曜日は開いていないのかも知れない。仕方なく、門の前で中の写真を撮るだけで、次に行く事にした。

  • (9).聖アントニオ教会<br />カモンエス広場の前に建つのが聖アントニオ教会である。この聖アントニオ教会はイエズス会が初期の本部を設置した場所で、1565年に澳門で最初に建てられた礼拝堂の跡地に建てられた。<br />ポルトガル軍の大尉で軍神として親しまれた聖アントニオを祀る教会である。<br />1638年に建てられて以来3度の火災に遭い、現在の教会は1930年に完成した。入口付近にある十字架のモニュメントのみが1638年のものである。<br />

    (9).聖アントニオ教会
    カモンエス広場の前に建つのが聖アントニオ教会である。この聖アントニオ教会はイエズス会が初期の本部を設置した場所で、1565年に澳門で最初に建てられた礼拝堂の跡地に建てられた。
    ポルトガル軍の大尉で軍神として親しまれた聖アントニオを祀る教会である。
    1638年に建てられて以来3度の火災に遭い、現在の教会は1930年に完成した。入口付近にある十字架のモニュメントのみが1638年のものである。

  • この教会も朝早くから開いているので、朝のお祈りは既に済んでいると思っていた。時刻は、9時を回っている。今の時間帯なら中に入っても問題ないと思っていたが、ここも朝のお祈り時間である。教会内の後ろで見学するしかない。<br />祈りの中に入り、中を見学する。クリーム色を基調とした壁で、中央に十字架に磔にされたキリスト像が祀られている。全体的な雰囲気だけを味わって、仕方なく、早々に退散する。<br /><br />花王堂街を通り、再度、大三巴街に戻る。そこから&#21738;咤廟に上がる坂を上り、聖ポール天主堂跡横に出る。もう聖ポール天主堂跡のファサードの門が開いている。<br />

    この教会も朝早くから開いているので、朝のお祈りは既に済んでいると思っていた。時刻は、9時を回っている。今の時間帯なら中に入っても問題ないと思っていたが、ここも朝のお祈り時間である。教会内の後ろで見学するしかない。
    祈りの中に入り、中を見学する。クリーム色を基調とした壁で、中央に十字架に磔にされたキリスト像が祀られている。全体的な雰囲気だけを味わって、仕方なく、早々に退散する。

    花王堂街を通り、再度、大三巴街に戻る。そこから哪咤廟に上がる坂を上り、聖ポール天主堂跡横に出る。もう聖ポール天主堂跡のファサードの門が開いている。

  • (10).聖ポール天主堂跡<br />ファサード前に移動すると中央門が開いている。そこから中に入る。<br />聖ポール天主堂跡は、もとは聖アントニオ教会の礼拝堂であったが、1582年に現在のところに移された。その後何度かの火災に遭い、再建されたが1835年の火災でファサード(正面壁)と階段だけが残る現在の姿となった。二度目の建築の際には、長崎を追われた日本人キリシタンも加わったと言われている。特にファサードの彫刻は、1620~27年にかけてイタリア人イエズス会士、カルロス・スピノラの指揮のもと、地元の職人と日本人により施工されたと言われている。ファサードの彫刻には、聖母マリアや聖フランシスコ・ザビエル、聖イグナチオ・ロヨラなどが刻まれている。<br />ファサードの中央門からファサードの裏手に回る。ファサードの中は、広場になっており、その奥に小さな建物が見える。広場には、天主堂の支柱跡が見える様に床部分の一部がガラス張りになっている。<br /> <br />

    (10).聖ポール天主堂跡
    ファサード前に移動すると中央門が開いている。そこから中に入る。
    聖ポール天主堂跡は、もとは聖アントニオ教会の礼拝堂であったが、1582年に現在のところに移された。その後何度かの火災に遭い、再建されたが1835年の火災でファサード(正面壁)と階段だけが残る現在の姿となった。二度目の建築の際には、長崎を追われた日本人キリシタンも加わったと言われている。特にファサードの彫刻は、1620~27年にかけてイタリア人イエズス会士、カルロス・スピノラの指揮のもと、地元の職人と日本人により施工されたと言われている。ファサードの彫刻には、聖母マリアや聖フランシスコ・ザビエル、聖イグナチオ・ロヨラなどが刻まれている。
    ファサードの中央門からファサードの裏手に回る。ファサードの中は、広場になっており、その奥に小さな建物が見える。広場には、天主堂の支柱跡が見える様に床部分の一部がガラス張りになっている。
     

  • ここには、また天主堂芸術博物館と地下納骨堂があるという。奥の建物がそれであろう。<br />冨田君はファサード裏に設置された階段を昇り、上から見たいという。私は高所恐怖症でもあり遠慮し、左手奥を行く。そこには、井戸跡があり、その横には再建時の写真が飾れている。<br />冨田君が戻り、一緒に奥の建物に向かう。その建物の1階部分の左手の扉を入ると通路になっており、下に納骨堂が見える。納骨堂はそれ自体が教会の様になっており、左手前に十字架が置かれている。その前には机も置かれている。<br />  <br />この通路を右手に出る。出た所に階段があり、地下に入る事が出来る。天主堂芸術博物館がどこにあるか判らない。この地下に入る階段を下りて中に入るが、先程上から見た納骨堂があるだけだ。結局は、天主堂芸術博物館は見つけられなかった。<br />

    ここには、また天主堂芸術博物館と地下納骨堂があるという。奥の建物がそれであろう。
    冨田君はファサード裏に設置された階段を昇り、上から見たいという。私は高所恐怖症でもあり遠慮し、左手奥を行く。そこには、井戸跡があり、その横には再建時の写真が飾れている。
    冨田君が戻り、一緒に奥の建物に向かう。その建物の1階部分の左手の扉を入ると通路になっており、下に納骨堂が見える。納骨堂はそれ自体が教会の様になっており、左手前に十字架が置かれている。その前には机も置かれている。
     
    この通路を右手に出る。出た所に階段があり、地下に入る事が出来る。天主堂芸術博物館がどこにあるか判らない。この地下に入る階段を下りて中に入るが、先程上から見た納骨堂があるだけだ。結局は、天主堂芸術博物館は見つけられなかった。

  • 再度、ファサード前に出て、このファサードに施された彫刻類を観賞する。この彫刻などを、ガイドブックを基に観賞する。どれも興味深い彫刻ばかりである。<br />また、この彫刻の記念写真を何枚か撮影する。<br />  <br />そうしていると中国人の女の子達の集団が写真を撮って欲しいとカメラを渡される。OKするとその集団に3台もカメラを預けられて、次々に撮って渡す事となった。<br />その後、この聖ポール天主堂跡の東の丘にあるモンテの砦に向かう。<br />

    再度、ファサード前に出て、このファサードに施された彫刻類を観賞する。この彫刻などを、ガイドブックを基に観賞する。どれも興味深い彫刻ばかりである。
    また、この彫刻の記念写真を何枚か撮影する。
     
    そうしていると中国人の女の子達の集団が写真を撮って欲しいとカメラを渡される。OKするとその集団に3台もカメラを預けられて、次々に撮って渡す事となった。
    その後、この聖ポール天主堂跡の東の丘にあるモンテの砦に向かう。

  • (11).モンテの砦<br />聖ポール天主堂跡のファサードの東には公園があり、その公園内の道を通り、丘を登る。<br />途中道が分かれ、砦の城壁に造られた階段を昇るか、坂道を昇るかどちらかである。<br />近道が出来ると思い、階段の道を取る。階段は急で昇るのも一苦労である。その後、少し坂道を上がると砦に入る入口が現れる。そこから砦の頂上に向かう。途中に売店がある。ミネラル水は既になく、喉が渇いているので飲み物を買いたいが、もう少し我慢する事にし、頂上を目指す。<br />砦の頂上に到達するとそこは広い展望台公園となっている。<br />モンテの砦は、1617~26年にイエズス会士によって、聖ポール天主堂とともに造られた。<br />外部の攻撃から街を守るための砦で、22門の大砲が海を睨んでいる。1622年にオランダ艦隊が攻め込もうとした際に大砲が活躍し、見事撃退をした。<br />

    (11).モンテの砦
    聖ポール天主堂跡のファサードの東には公園があり、その公園内の道を通り、丘を登る。
    途中道が分かれ、砦の城壁に造られた階段を昇るか、坂道を昇るかどちらかである。
    近道が出来ると思い、階段の道を取る。階段は急で昇るのも一苦労である。その後、少し坂道を上がると砦に入る入口が現れる。そこから砦の頂上に向かう。途中に売店がある。ミネラル水は既になく、喉が渇いているので飲み物を買いたいが、もう少し我慢する事にし、頂上を目指す。
    砦の頂上に到達するとそこは広い展望台公園となっている。
    モンテの砦は、1617~26年にイエズス会士によって、聖ポール天主堂とともに造られた。
    外部の攻撃から街を守るための砦で、22門の大砲が海を睨んでいる。1622年にオランダ艦隊が攻め込もうとした際に大砲が活躍し、見事撃退をした。

  • 大砲は海向きの3方向に向き、中国本土側にはない。これは中国と戦う意思がない事を表している。<br />大砲が設置されている場所に行くと確かに海に向かい、大砲が向いている。しかし、現在の澳門では大きなホテルのビルに向いて大砲が向けられている様に見える。<br />特に一際目立つグランド・リスボアに大砲が向けられている様に見える。また、ここから海までは意外に遠い。本当にオランダ艦隊をここからの砲撃で撃破したのか疑問である。<br />また、この砦の頂上には澳門博物館が建っている。この砦自体が博物館となっている。<br />ここで少し休憩をし、この砦を降りる。

    大砲は海向きの3方向に向き、中国本土側にはない。これは中国と戦う意思がない事を表している。
    大砲が設置されている場所に行くと確かに海に向かい、大砲が向いている。しかし、現在の澳門では大きなホテルのビルに向いて大砲が向けられている様に見える。
    特に一際目立つグランド・リスボアに大砲が向けられている様に見える。また、ここから海までは意外に遠い。本当にオランダ艦隊をここからの砲撃で撃破したのか疑問である。
    また、この砦の頂上には澳門博物館が建っている。この砦自体が博物館となっている。
    ここで少し休憩をし、この砦を降りる。

  • モンテの砦を登って来た側とはほぼ反対側に下りる。次の目的地である聖ドミニコ教会の方向を考え、そちらに下りる事にした。しかし、少し方角を間違え、大砲台斜巷の急な坂道に出てしまう。<br />仕方なく、この坂道を下る。途中に柿山の&#21738;咤廟への道(階段)が現れる。この階段のした辺りに&#21738;咤廟がある様だ。この坂道を下り切ったところに大きな建物がある。<br />これが現在のポルトガル領事館である。<br />  <br />ここから比較的洒落た店の並ぶ通りを西に向かう。途中に中学校くらいの女の子が募金箱のようなものを持ち、何人も一定間隔で立っている。何の募金をしているのか不明であるが、募金をした人の胸にシールを貼っている。募金をするか迷ったが止めにした。<br />

    モンテの砦を登って来た側とはほぼ反対側に下りる。次の目的地である聖ドミニコ教会の方向を考え、そちらに下りる事にした。しかし、少し方角を間違え、大砲台斜巷の急な坂道に出てしまう。
    仕方なく、この坂道を下る。途中に柿山の哪咤廟への道(階段)が現れる。この階段のした辺りに哪咤廟がある様だ。この坂道を下り切ったところに大きな建物がある。
    これが現在のポルトガル領事館である。
     
    ここから比較的洒落た店の並ぶ通りを西に向かう。途中に中学校くらいの女の子が募金箱のようなものを持ち、何人も一定間隔で立っている。何の募金をしているのか不明であるが、募金をした人の胸にシールを貼っている。募金をするか迷ったが止めにした。

  • また、街を回っている際に気になっていたが、家々の入口に何かを祀っている小さな祠がある。<br />その祠には、“門口土地財神”と書かれている。<br />後で知ったが、これは自分の土地に邪気が入らない様に神様を祀っているもので、土地が狭い香港や澳門などのアパートやマンションを中心に置かれているものであるらしい。お線香などが供えられている。<br />この通りを真直ぐ進み、少し歩くと大堂巷を交差するところに出た。<br />ここに出てきたので、先に早朝で開いていなかった慮家屋敷に向かう事にした。<br />

    また、街を回っている際に気になっていたが、家々の入口に何かを祀っている小さな祠がある。
    その祠には、“門口土地財神”と書かれている。
    後で知ったが、これは自分の土地に邪気が入らない様に神様を祀っているもので、土地が狭い香港や澳門などのアパートやマンションを中心に置かれているものであるらしい。お線香などが供えられている。
    この通りを真直ぐ進み、少し歩くと大堂巷を交差するところに出た。
    ここに出てきたので、先に早朝で開いていなかった慮家屋敷に向かう事にした。

  • (12).慮盧家屋敷<br />時刻は10時前である。ここまでは、非常に順調に廻れている。<br />盧家屋敷は19世紀後半から20世紀初頭に両替商などで莫大な富を築いた中国人実業家である“盧華紹(盧九)が建てた邸宅のひとつである。<br />1889年に建てられ、1910年まで住んでいた建物を修復して公開している。灰色のレンガ造りの2階建ての屋敷は、清朝後期の西関(広州)建築様式をベースにポルトガル風の装飾を施し、更に風水を取り入れた設計になっている。<br />

    (12).慮盧家屋敷
    時刻は10時前である。ここまでは、非常に順調に廻れている。
    盧家屋敷は19世紀後半から20世紀初頭に両替商などで莫大な富を築いた中国人実業家である“盧華紹(盧九)が建てた邸宅のひとつである。
    1889年に建てられ、1910年まで住んでいた建物を修復して公開している。灰色のレンガ造りの2階建ての屋敷は、清朝後期の西関(広州)建築様式をベースにポルトガル風の装飾を施し、更に風水を取り入れた設計になっている。

  • 中に入ると清朝風の屋敷の造りで、また入口には風水の水場が存在する。<br />また、各部屋には、ポルトガル風のステンドグラスが装飾として取り入れられている。至るところに彫刻や幾何学模様の木枠などが施されていて非常に凝った造りとなっている。2階には上がれない。また、公開されている一つの部屋はお土産ものを売る部屋になっている。ここにはあまり観光客は来ない様である。<br /><br />慮家屋敷を出て、喉が渇いてしようがない。慮家屋敷の直ぐ近くにあるパンやスイーツを売る店で飲み物を購入する事にした。店に入り、飲み物を探す。お茶などはなく、ジュース類ばかりである。<br />漢字ばかりで絵がなく、何のジュースか判らない。仕方なく、500mlのペットボトルを適当に選び、レジに。価格は7.5HK$(約90円)である。店を出て、直ぐに買ったジュースを飲む。<br />ジュースはライチジュースである。喉が渇いていたので、いっきに飲み干してしまった。ここで少し休憩をし、次の聖ドミニコ教会に向かう。<br />

    中に入ると清朝風の屋敷の造りで、また入口には風水の水場が存在する。
    また、各部屋には、ポルトガル風のステンドグラスが装飾として取り入れられている。至るところに彫刻や幾何学模様の木枠などが施されていて非常に凝った造りとなっている。2階には上がれない。また、公開されている一つの部屋はお土産ものを売る部屋になっている。ここにはあまり観光客は来ない様である。

    慮家屋敷を出て、喉が渇いてしようがない。慮家屋敷の直ぐ近くにあるパンやスイーツを売る店で飲み物を購入する事にした。店に入り、飲み物を探す。お茶などはなく、ジュース類ばかりである。
    漢字ばかりで絵がなく、何のジュースか判らない。仕方なく、500mlのペットボトルを適当に選び、レジに。価格は7.5HK$(約90円)である。店を出て、直ぐに買ったジュースを飲む。
    ジュースはライチジュースである。喉が渇いていたので、いっきに飲み干してしまった。ここで少し休憩をし、次の聖ドミニコ教会に向かう。

  • (13).聖ドミニコ教会<br />大堂巷から板樟堂街を通り、聖ドミニコ教会前に至る。<br />聖ドミニコ教会は、メキシコのアカプルコから遣って来たドミニコ修道会のスペイン人修道士により1587年に最初の教会が建てられ、その後17世紀に改修された。聖ポール天主堂によく似たバロック様式のファサードで、クリーム色の壁と白い化粧漆喰に、深緑のドアのコントラストが何とも美しい。1997年に大掛かりな修復を経て再開された。<br />

    (13).聖ドミニコ教会
    大堂巷から板樟堂街を通り、聖ドミニコ教会前に至る。
    聖ドミニコ教会は、メキシコのアカプルコから遣って来たドミニコ修道会のスペイン人修道士により1587年に最初の教会が建てられ、その後17世紀に改修された。聖ポール天主堂によく似たバロック様式のファサードで、クリーム色の壁と白い化粧漆喰に、深緑のドアのコントラストが何とも美しい。1997年に大掛かりな修復を経て再開された。

  • 礼拝堂の中に入ると外観と同じく、クリーム色を基調とした壁と縁取りに白い化粧漆喰が用いられている。正面の祭壇には、聖母マリアの像が祀られている。<br />天井には、アベ・マリア(A・M)の文字をモチーフにした美しいエンブレムが描かれているのが見える。しかし、言われないとそれが何をモチーフにした図柄なのかはやはり判らない。<br />澳門に中心地にあるセナド広場に一番近い教会でもあり、見物の人も非常に多い。<br />また、教会を出た前の広場も世界遺産である。<br /><br />(14).聖ドミニコ広場<br />聖ドミニコ教会前の広場で、タイルの敷き詰めた道が綺麗である。<br />ただ、この辺りが一番人が集まる場所であるのか、多くの人で広場は一杯である。この広場の周りには、マクドナルドやスターバックスなどお馴染みに店が多い。<br /><br />ここから次は関帝古廟に向かう。セナド広場方面に向かい、新馬路の手前の路地を入る。<br />小路の両脇には屋台の店が多く出ている。昨晩はこんなにも店が出ていなかったので、路を間違えたのではないかと思っていたら、1本手前の路地に入っていた。この小路は非常に屋台の店などを含め、食材関連の店が多く並ぶ。そこで、途中で新馬路方面に折れる。すると正面に関帝古廟が見えて来た。<br /><br />

    礼拝堂の中に入ると外観と同じく、クリーム色を基調とした壁と縁取りに白い化粧漆喰が用いられている。正面の祭壇には、聖母マリアの像が祀られている。
    天井には、アベ・マリア(A・M)の文字をモチーフにした美しいエンブレムが描かれているのが見える。しかし、言われないとそれが何をモチーフにした図柄なのかはやはり判らない。
    澳門に中心地にあるセナド広場に一番近い教会でもあり、見物の人も非常に多い。
    また、教会を出た前の広場も世界遺産である。

    (14).聖ドミニコ広場
    聖ドミニコ教会前の広場で、タイルの敷き詰めた道が綺麗である。
    ただ、この辺りが一番人が集まる場所であるのか、多くの人で広場は一杯である。この広場の周りには、マクドナルドやスターバックスなどお馴染みに店が多い。

    ここから次は関帝古廟に向かう。セナド広場方面に向かい、新馬路の手前の路地を入る。
    小路の両脇には屋台の店が多く出ている。昨晩はこんなにも店が出ていなかったので、路を間違えたのではないかと思っていたら、1本手前の路地に入っていた。この小路は非常に屋台の店などを含め、食材関連の店が多く並ぶ。そこで、途中で新馬路方面に折れる。すると正面に関帝古廟が見えて来た。

  • (15).関帝古廟<br />詳しい年代は不詳だが20世紀初頭の清朝時代に営地大街、関前街、草堆街の3つの大通りの店舗の交流施設として栄えた。のちに澳門市部の商工会議所や公民館の役割を果たしていたが、1920年代にその機能を失い、併設されていた関帝廟のみが残り、今に至っている。<br />  <br />廟の周りは西洋様式の建物が多く、東西文化の共生を物語っている。近くにはかつての中国市場が現在、聖ドミニコ市場として機能している。先程、抜けて来た市場街が聖ドミニコ市場である。<br />関帝古廟は、三国志の英雄で、豪傑である関羽雲長を祀ったものである。いつの頃からか商売の神様と親しまれ、中国国内には多く存在する廟のひとつである。<br />外観は慮家屋敷と同様に灰色のレンガ造りで、入口の木戸には、大きな絵が描かれている。描かれているのは、誰かは判らない。<br />

    (15).関帝古廟
    詳しい年代は不詳だが20世紀初頭の清朝時代に営地大街、関前街、草堆街の3つの大通りの店舗の交流施設として栄えた。のちに澳門市部の商工会議所や公民館の役割を果たしていたが、1920年代にその機能を失い、併設されていた関帝廟のみが残り、今に至っている。
     
    廟の周りは西洋様式の建物が多く、東西文化の共生を物語っている。近くにはかつての中国市場が現在、聖ドミニコ市場として機能している。先程、抜けて来た市場街が聖ドミニコ市場である。
    関帝古廟は、三国志の英雄で、豪傑である関羽雲長を祀ったものである。いつの頃からか商売の神様と親しまれ、中国国内には多く存在する廟のひとつである。
    外観は慮家屋敷と同様に灰色のレンガ造りで、入口の木戸には、大きな絵が描かれている。描かれているのは、誰かは判らない。

  • 中に入ると正面には、勿論、関帝(関聖帝君)が祀られている。その脇座を固めるのは、右手が関羽の息子である関平、左手が関羽を崇拝した武将の周倉である。関聖帝君は、中国五財神のひとりで“義財神”と呼ばれている。古代中国の経営方針は、「信用」が第一で、仁、義、忠、信、智、勇が重んじられた。物も値段も正しく、老人子供も騙すような事はしないという事の証明のために関羽(忠義に厚い勇将であった)を手本としたのが関羽を祀る始まりとされている。<br />  <br />この関聖帝君を中心に、右手奥には、大成星君(偏財神:地域の人々の財産利益及び幸福を祈る)を、左手奥には、財帛星君(正財神:無心で偏見を持たない人間に成れる事を祈る)が祀られている。大成星君も財帛星君も共に、関聖帝君と同じく中国五財神のひとりである。<br />中は薄暗く、これら三神が非常に窮屈に祀られている。また、廟の壁際には、祭りの際に使用されるのであろう様々な器財が置かれている。これがまた余計に廟を狭く見せている。廟内の柱や天井には細かなところまで彩色が施されている。また、大きな渦巻き線香が上からぶら下がっている。<br />関帝古廟を出て、セナド広場に戻る事にした。時刻は10時30分前である。<br />ここで冨田君と相談し、おやつとしてセナド広場にあるガイドブックにも載る有名店に入る事にした。そこは、義順牛&#22902;公司である。プリンが名物である。<br />

    中に入ると正面には、勿論、関帝(関聖帝君)が祀られている。その脇座を固めるのは、右手が関羽の息子である関平、左手が関羽を崇拝した武将の周倉である。関聖帝君は、中国五財神のひとりで“義財神”と呼ばれている。古代中国の経営方針は、「信用」が第一で、仁、義、忠、信、智、勇が重んじられた。物も値段も正しく、老人子供も騙すような事はしないという事の証明のために関羽(忠義に厚い勇将であった)を手本としたのが関羽を祀る始まりとされている。
     
    この関聖帝君を中心に、右手奥には、大成星君(偏財神:地域の人々の財産利益及び幸福を祈る)を、左手奥には、財帛星君(正財神:無心で偏見を持たない人間に成れる事を祈る)が祀られている。大成星君も財帛星君も共に、関聖帝君と同じく中国五財神のひとりである。
    中は薄暗く、これら三神が非常に窮屈に祀られている。また、廟の壁際には、祭りの際に使用されるのであろう様々な器財が置かれている。これがまた余計に廟を狭く見せている。廟内の柱や天井には細かなところまで彩色が施されている。また、大きな渦巻き線香が上からぶら下がっている。
    関帝古廟を出て、セナド広場に戻る事にした。時刻は10時30分前である。
    ここで冨田君と相談し、おやつとしてセナド広場にあるガイドブックにも載る有名店に入る事にした。そこは、義順牛奶公司である。プリンが名物である。

  • <おやつのプリン:義順牛&#22902;公司><br />店に入ると店内は客で満席の状態である。<br />運が良い事に丁度、入口付近の席が開いた。そこに座る様に店の人に促される。席に着き、メニューを見るが、細かな文字でいっぱい書かれているので何がなんだか判らない。<br />またまた、ここで冨田君の持っているガイドの登場である。この店もそのガイドに詳しく紹介されている。そのページを見て、同じ名前のものを探すがよく判らない。<br />結局は、その本を指差して店の人に注文をする事になった。<br />冨田君は、この店の一番の人気メニューである牛乳プリンを、私は卵プリンとパパイヤミルクを注文する。程なく、注文したものが運ばれて来た。注文した後で、各々のプリンには温かいものと冷たいものがある事を店のメニューで知って、それを言わなかったので、どちらが出てくるか不安であった。勿論、食べたいのは冷たいものである。しかし、心配する事は無かった様だ。運ばれて来たものは、ちゃんと両方とも冷たいプリンである。<br />  <br />丁度、お茶碗くらいの容器に並々と入っている。それをレンゲで食べる。<br />私の卵プリンは少し濃厚な砂糖入りの茶碗蒸しのようなプリンである。パパイヤミルクはほんのりとパパイヤの味を感じる牛乳である。これがまた量が多く、錫製の麦酒ジョッキのような容器に並々と入っている。冨田君に牛乳プリンの感想を聞くと、牛乳そのものとの答えが返ってきた。期待程美味しいものでは無かった様だ。ゆっくりと休憩しながらそれらを食べる。<br />食べ終えて、これからの見学順路などを相談していると偶然、店に初日に澳門港に迎えに来てくれたガイドのMAYUMIさんが店に入ってきた。どうも日本人の観光客を連れている様である。<br />店内を見渡して席を確認している。我々が声を掛けると、驚かれ、我々が食事を終えている事を確認し、席を空けてくれないかと頼まれる。もう食事は済んでいるのでOKし、席を立つ事にした。ここで、冨田君が丁度、MAYUMIさんに質問があった様で、時間を貰う事に、席をすべて確保出来た事を確認し、MAYUMIさんが我々の相手をしてくれる。<br />冨田君の質問は、初日に渡されたクーポン券の事とそこに載っていた土産品の事であった。<br />冨田君が聞きたい事を聞き終え、会計を済ませ、店を出る。料金は私が卵プリンとパパイヤミルクで合計、30HK$(約370円)。冨田君が牛乳プリンで16HK$(約200円)である。<br />店を出てセナド広場に出る。<br />

    <おやつのプリン:義順牛奶公司>
    店に入ると店内は客で満席の状態である。
    運が良い事に丁度、入口付近の席が開いた。そこに座る様に店の人に促される。席に着き、メニューを見るが、細かな文字でいっぱい書かれているので何がなんだか判らない。
    またまた、ここで冨田君の持っているガイドの登場である。この店もそのガイドに詳しく紹介されている。そのページを見て、同じ名前のものを探すがよく判らない。
    結局は、その本を指差して店の人に注文をする事になった。
    冨田君は、この店の一番の人気メニューである牛乳プリンを、私は卵プリンとパパイヤミルクを注文する。程なく、注文したものが運ばれて来た。注文した後で、各々のプリンには温かいものと冷たいものがある事を店のメニューで知って、それを言わなかったので、どちらが出てくるか不安であった。勿論、食べたいのは冷たいものである。しかし、心配する事は無かった様だ。運ばれて来たものは、ちゃんと両方とも冷たいプリンである。
     
    丁度、お茶碗くらいの容器に並々と入っている。それをレンゲで食べる。
    私の卵プリンは少し濃厚な砂糖入りの茶碗蒸しのようなプリンである。パパイヤミルクはほんのりとパパイヤの味を感じる牛乳である。これがまた量が多く、錫製の麦酒ジョッキのような容器に並々と入っている。冨田君に牛乳プリンの感想を聞くと、牛乳そのものとの答えが返ってきた。期待程美味しいものでは無かった様だ。ゆっくりと休憩しながらそれらを食べる。
    食べ終えて、これからの見学順路などを相談していると偶然、店に初日に澳門港に迎えに来てくれたガイドのMAYUMIさんが店に入ってきた。どうも日本人の観光客を連れている様である。
    店内を見渡して席を確認している。我々が声を掛けると、驚かれ、我々が食事を終えている事を確認し、席を空けてくれないかと頼まれる。もう食事は済んでいるのでOKし、席を立つ事にした。ここで、冨田君が丁度、MAYUMIさんに質問があった様で、時間を貰う事に、席をすべて確保出来た事を確認し、MAYUMIさんが我々の相手をしてくれる。
    冨田君の質問は、初日に渡されたクーポン券の事とそこに載っていた土産品の事であった。
    冨田君が聞きたい事を聞き終え、会計を済ませ、店を出る。料金は私が卵プリンとパパイヤミルクで合計、30HK$(約370円)。冨田君が牛乳プリンで16HK$(約200円)である。
    店を出てセナド広場に出る。

  • (16).セナド広場<br />周囲をパステルカラーのコロニアルな建物に囲まれた波形模様のタイルの石畳が特徴の広場である。<br />澳門の街の中心となる広場で、中央に噴水がある。周辺の建物とこの石畳のコントラストが異国情緒を醸し出している。ここの石畳はポルトガルの熟練工の手によるものである。地元澳門の人達には、セナド広場ではなく、「噴水池」と呼ばれている。<br />  <br />ここは、澳門観光のスタート地点と考えられており、多くの観光客でいつの時間帯も賑わっている。<br />日曜日のお昼前でもあり、地元の人も含め、多くの人で広場が埋め尽くされている。<br />また、国慶節が近いために、広場入口には何かのイベントのためのステージが組まれ、広場の奥には、昨晩は綺麗に輝いていた門型の大灯籠が置かれている。その為に余計に広場が狭く感じられる。<br />澳門で迷ったら、まずここへ立ち戻るのが基本である。<br />次のこの広場に面した仁慈堂に向かう。<br />

    (16).セナド広場
    周囲をパステルカラーのコロニアルな建物に囲まれた波形模様のタイルの石畳が特徴の広場である。
    澳門の街の中心となる広場で、中央に噴水がある。周辺の建物とこの石畳のコントラストが異国情緒を醸し出している。ここの石畳はポルトガルの熟練工の手によるものである。地元澳門の人達には、セナド広場ではなく、「噴水池」と呼ばれている。
     
    ここは、澳門観光のスタート地点と考えられており、多くの観光客でいつの時間帯も賑わっている。
    日曜日のお昼前でもあり、地元の人も含め、多くの人で広場が埋め尽くされている。
    また、国慶節が近いために、広場入口には何かのイベントのためのステージが組まれ、広場の奥には、昨晩は綺麗に輝いていた門型の大灯籠が置かれている。その為に余計に広場が狭く感じられる。
    澳門で迷ったら、まずここへ立ち戻るのが基本である。
    次のこの広場に面した仁慈堂に向かう。

  • (17).仁慈堂<br />日本と中国の初代司教のD.ベルキオール・カーネイロが1569年にアジアで最初の慈善福祉活動施設として開設したのが、この仁慈堂である。ネオクラシック(18世紀に興った建築様式で、ローマ・ギリシャ時代への回帰を目指したもの)にマヌエル様式(船のロープや海草など、海にまつわる装飾を多用するポルトガル独自の様式)が加わった独自の建築様式が特徴的である。<br />この仁慈堂は澳門の病院や孤児院建築など歴史に大きく貢献した。堂内には、博物館もある。<br />しかし、残念な事に今日は開いていない。日曜日で休館日なのか?ここも諦めざるを得ない。<br />この仁慈堂の左手の路地の突き当たりにD.ベルキオール・カーネイロの胸像が立っている。<br />  <br />ここから、次の民政総署に向かう。民政総署はセナド広場の新馬路を挟んだ向こう側である。<br />セナド広場前の横断歩道を渡り、民政総署の前に辿り着く。<br />

    (17).仁慈堂
    日本と中国の初代司教のD.ベルキオール・カーネイロが1569年にアジアで最初の慈善福祉活動施設として開設したのが、この仁慈堂である。ネオクラシック(18世紀に興った建築様式で、ローマ・ギリシャ時代への回帰を目指したもの)にマヌエル様式(船のロープや海草など、海にまつわる装飾を多用するポルトガル独自の様式)が加わった独自の建築様式が特徴的である。
    この仁慈堂は澳門の病院や孤児院建築など歴史に大きく貢献した。堂内には、博物館もある。
    しかし、残念な事に今日は開いていない。日曜日で休館日なのか?ここも諦めざるを得ない。
    この仁慈堂の左手の路地の突き当たりにD.ベルキオール・カーネイロの胸像が立っている。
     
    ここから、次の民政総署に向かう。民政総署はセナド広場の新馬路を挟んだ向こう側である。
    セナド広場前の横断歩道を渡り、民政総署の前に辿り着く。

  • (18).民政総署<br />1784年に建てられたポルトガル植民地統治の中枢「澳門市政庁」として機能してきた。<br />数回の改築を重ね、1940年に現在の形となり、地方自治局として使用されている。白い壁が綺麗である。昨日は、建物の外側には工事の足場が組まれていたが、今日はその足場も外されて、全容が確認出来る。中に入ると残念な事に中は1階部分の入口フロアのみが見学出来るだけで、まだ修復工事中である。ここの中2階の中庭には、ポルトガルの有名詩人のルイス・カモンエスと作家のジョアン・デ・デウスの胸像が建っているが、今日はその中庭にも入る事が出来ない。

    (18).民政総署
    1784年に建てられたポルトガル植民地統治の中枢「澳門市政庁」として機能してきた。
    数回の改築を重ね、1940年に現在の形となり、地方自治局として使用されている。白い壁が綺麗である。昨日は、建物の外側には工事の足場が組まれていたが、今日はその足場も外されて、全容が確認出来る。中に入ると残念な事に中は1階部分の入口フロアのみが見学出来るだけで、まだ修復工事中である。ここの中2階の中庭には、ポルトガルの有名詩人のルイス・カモンエスと作家のジョアン・デ・デウスの胸像が建っているが、今日はその中庭にも入る事が出来ない。

  • 1階の壁の絵タイル(アズレージョと呼ばれる)が綺麗である。2階には図書館もあるそうだ。ここも工事中であまり見る場所がないので、早々に切り上げる。

    1階の壁の絵タイル(アズレージョと呼ばれる)が綺麗である。2階には図書館もあるそうだ。ここも工事中であまり見る場所がないので、早々に切り上げる。

  • ここからは民政総署の横の東方斜巷の急斜面の坂を行き、次の聖オーガスチン教会を目指す。<br />ここからは先程までのセナド広場の周辺の景色と趣が変わり、路を挟む建物はマンションなどが多くなる。店も極端に減り、簡素な感じである。<br />人通りも極端に減った。前を歩くのは、地元の若い女の子の3人連れだけである。その女の子達を抜いて、我々は黙々と坂を上る。<br />丁度、この坂道を上り切る手前の交差点の中央にタイル張りでモザイク模様が描かれている。<br />  <br />そして、坂を上り切るとそこが広場となっている。ここが聖オーガスチン広場である。<br />

    ここからは民政総署の横の東方斜巷の急斜面の坂を行き、次の聖オーガスチン教会を目指す。
    ここからは先程までのセナド広場の周辺の景色と趣が変わり、路を挟む建物はマンションなどが多くなる。店も極端に減り、簡素な感じである。
    人通りも極端に減った。前を歩くのは、地元の若い女の子の3人連れだけである。その女の子達を抜いて、我々は黙々と坂を上る。
    丁度、この坂道を上り切る手前の交差点の中央にタイル張りでモザイク模様が描かれている。
     
    そして、坂を上り切るとそこが広場となっている。ここが聖オーガスチン広場である。

  • (19).聖オーガスチン広場<br />先程の交差点に描かれているタイル張りのモザイク模様の辺りからこの聖オーガスチン広場になっているようだ。教会横の広場も波模様のタイル張りで非常に綺麗である。また、椅子が多く置いてあり、ここで休憩を取る人も多い。広場内には、売店もある。売店横には、大きな菩提樹の木がこの広場に木陰を作っている。<br />

    (19).聖オーガスチン広場
    先程の交差点に描かれているタイル張りのモザイク模様の辺りからこの聖オーガスチン広場になっているようだ。教会横の広場も波模様のタイル張りで非常に綺麗である。また、椅子が多く置いてあり、ここで休憩を取る人も多い。広場内には、売店もある。売店横には、大きな菩提樹の木がこの広場に木陰を作っている。

  • (20).聖オーガスチン教会<br />1586年に木造の神学校として創建されたものを1591年にスペインのアスグスチノ修道会の修道士らによってこの場所に移築された。それをポルトガル人イエズス会に継承された。<br />現在の建物は1874年に再建されたものである。教会内部はクリーム色の壁に白い化粧漆喰で縁取られた柱が並ぶ。中央祭壇には、どっしりとした柱列が並び、大理石の祭壇は重厚感に溢れる。<br />その中に十字架を背負ったキリスト像が祀られている。<br />

    (20).聖オーガスチン教会
    1586年に木造の神学校として創建されたものを1591年にスペインのアスグスチノ修道会の修道士らによってこの場所に移築された。それをポルトガル人イエズス会に継承された。
    現在の建物は1874年に再建されたものである。教会内部はクリーム色の壁に白い化粧漆喰で縁取られた柱が並ぶ。中央祭壇には、どっしりとした柱列が並び、大理石の祭壇は重厚感に溢れる。
    その中に十字架を背負ったキリスト像が祀られている。

  • 時刻は11時前であるが、ここもお祈りの時間であり、多くの信者で席は満席で、後ろに立っている人もいる。仕方なく、後程再度訪れて、中の見学を行う事にした。<br />この教会の前に建つのが、ドン・ペドロ5世劇場である。<br />

    時刻は11時前であるが、ここもお祈りの時間であり、多くの信者で席は満席で、後ろに立っている人もいる。仕方なく、後程再度訪れて、中の見学を行う事にした。
    この教会の前に建つのが、ドン・ペドロ5世劇場である。

  • (21).ドン・ペドロ5世劇場<br />1860年にポルトガル国王のドン・ペドロ5世を記念して、澳門在住のポルトガル人の共同出資で建てられた。当初はヨーロッパ式ゲーム場として使用されていたが、その後オペラ劇場として使用されており、澳門在住のポルトガル人や澳門の華僑などの社交場となっている。<br />新古典様式の建築で、淡いグリーンと白のコントラストが美しい。正面の壁は、イオニア式の円柱がペディメント(西洋建築における切妻屋根。日本の寺院などの破風にあたる)を支えている。<br />  <br />ここも普段は開いていないので、中は見る事が出来ない。<br />このドン・ペドロ5世劇場の横にあるのが、ロバート・ホー・トン図書館である。<br />

    (21).ドン・ペドロ5世劇場
    1860年にポルトガル国王のドン・ペドロ5世を記念して、澳門在住のポルトガル人の共同出資で建てられた。当初はヨーロッパ式ゲーム場として使用されていたが、その後オペラ劇場として使用されており、澳門在住のポルトガル人や澳門の華僑などの社交場となっている。
    新古典様式の建築で、淡いグリーンと白のコントラストが美しい。正面の壁は、イオニア式の円柱がペディメント(西洋建築における切妻屋根。日本の寺院などの破風にあたる)を支えている。
     
    ここも普段は開いていないので、中は見る事が出来ない。
    このドン・ペドロ5世劇場の横にあるのが、ロバート・ホー・トン図書館である。

  • (22).ロバート・ホー・トン図書館<br />1840年代に香港で実業家として成功を収めた、澳門や香港の歴史・文化に多大な影響を与えた何東(ロバート・ホー・トン卿)を記念した公共の図書館である。19世紀後半の清朝時代に建てられたポルトガル人の邸宅を1918年に何東が別荘として購入し、彼の死後、遺言により澳門政府に寄贈され、公共図書館となった。中国古典や澳門、キリスト教関連の貴重な文献を所蔵し、澳門最大の図書館として1958年から公開されている。<br />この図書館の塀はクリーム色の鮮やかなアーチ型の門を幾つも配した造りとなっている。<br />  <br />その門を潜り、中に入る図書館の入口までに木々の生い茂る庭があり、その場所にも本を持ち出して読める様にテーブルが置かれている。図書館本館の正面もアーチ形状をふんだんに用いた造りとなっている。入口に入ると、警備員がいる。ここで体温測定を行っている。新型インフルエンザ対策であろう。今まで、どこもこの様な検査は無かった。非接触型体温計でひとりひとり測定され、それをパスすると中に入れて貰える。<br />入口付近に右手に部屋があり、その部屋に入る。日本の図書館と造りは殆ど同じである。<br />

    (22).ロバート・ホー・トン図書館
    1840年代に香港で実業家として成功を収めた、澳門や香港の歴史・文化に多大な影響を与えた何東(ロバート・ホー・トン卿)を記念した公共の図書館である。19世紀後半の清朝時代に建てられたポルトガル人の邸宅を1918年に何東が別荘として購入し、彼の死後、遺言により澳門政府に寄贈され、公共図書館となった。中国古典や澳門、キリスト教関連の貴重な文献を所蔵し、澳門最大の図書館として1958年から公開されている。
    この図書館の塀はクリーム色の鮮やかなアーチ型の門を幾つも配した造りとなっている。
     
    その門を潜り、中に入る図書館の入口までに木々の生い茂る庭があり、その場所にも本を持ち出して読める様にテーブルが置かれている。図書館本館の正面もアーチ形状をふんだんに用いた造りとなっている。入口に入ると、警備員がいる。ここで体温測定を行っている。新型インフルエンザ対策であろう。今まで、どこもこの様な検査は無かった。非接触型体温計でひとりひとり測定され、それをパスすると中に入れて貰える。
    入口付近に右手に部屋があり、その部屋に入る。日本の図書館と造りは殆ど同じである。

  • ここで少し休憩をしてから、図書館の奥に行く。図書館は本館と新館に分かれており、その間に吹き抜けの空間が造られている。新館は非常にゆとりのある空間使用である。半天候型とでも表現したら良いか、1階がカフェとなっており、学生が本を読みながら、飲み物を飲んでいる。<br />2階以上は図書閲覧スペースである。吹き抜けの庭から階段が階上に繋がっている。古い図書館の本館と新しい図書館の新館とが一体化した素晴らしい図書館である。時間があれば、ここでゆっくりと読書をしたいところである。<br />    <br />ここで、トイレ休憩を取り、その後入ってきた入口から図書館を出る。<br />ここから東方斜路を少し戻り、そこから北に下る路を進む。かなり傾斜のきつい坂を下り切る途中で左に折れ、三巴仔横街に入り、南西方向にまた坂を歩く。ここからまた上り坂である。<br />左右には上から迫る様にマンションが建っている。この路を数分歩き、坂を上り切る手前に門のようなものが左手に見えて来た。この門の奥が聖ヨセフ聖堂である。門を潜り、中に入ると正面には階段があり、その上に聖ヨセフ聖堂が建っている。ここで、またまた偶然にMAYUMIさんに遭遇する。連れている観光客は今聖ヨセフ聖堂を見学中との事で時間がある様である。<br />それで、冨田君がここでクーポンに載っていた土産物を注文する。<br />注文した土産物は我々が帰るまでに部屋に届けておくという。<br />

    ここで少し休憩をしてから、図書館の奥に行く。図書館は本館と新館に分かれており、その間に吹き抜けの空間が造られている。新館は非常にゆとりのある空間使用である。半天候型とでも表現したら良いか、1階がカフェとなっており、学生が本を読みながら、飲み物を飲んでいる。
    2階以上は図書閲覧スペースである。吹き抜けの庭から階段が階上に繋がっている。古い図書館の本館と新しい図書館の新館とが一体化した素晴らしい図書館である。時間があれば、ここでゆっくりと読書をしたいところである。
     
    ここで、トイレ休憩を取り、その後入ってきた入口から図書館を出る。
    ここから東方斜路を少し戻り、そこから北に下る路を進む。かなり傾斜のきつい坂を下り切る途中で左に折れ、三巴仔横街に入り、南西方向にまた坂を歩く。ここからまた上り坂である。
    左右には上から迫る様にマンションが建っている。この路を数分歩き、坂を上り切る手前に門のようなものが左手に見えて来た。この門の奥が聖ヨセフ聖堂である。門を潜り、中に入ると正面には階段があり、その上に聖ヨセフ聖堂が建っている。ここで、またまた偶然にMAYUMIさんに遭遇する。連れている観光客は今聖ヨセフ聖堂を見学中との事で時間がある様である。
    それで、冨田君がここでクーポンに載っていた土産物を注文する。
    注文した土産物は我々が帰るまでに部屋に届けておくという。

  • それが終わり、今度はMAYUMIさんが我々に質問をする。これからの目的地を聞かれる。<br />これから、この聖ヨセフ聖堂を見た後に、聖ローレンス教会に向かう予定だと告げると、是非、政府総部に時間があれば行く様に言われる。何でも、今日は年に2度しかない公開日で、中に入れると言う。それは是非立ち寄らなければならない。<br />その後、MAYUMIさんが率いる観光客が聖ヨセフ聖堂から降りて来たので、ここで別れ、我々は階段を上り、聖ヨセフ聖堂に向かう。<br /><br />(23).聖ヨセフ聖堂および修道院<br />1728年にイエズス会の宣教師育成を目的としてヨセフ修道院が建てられ、その後1758年に修道院に隣接して教会が建設された。この教会の建築様式はバロック様式(16世紀末~18世紀初頭にかけヨーロッパを席巻した芸術様式で、うねった造型と強烈な光の対比などの動的で量感あふれる装飾が特徴である)で、内部のドーム型の天井が特徴的である。澳門ではこのドーム型天井を持つ教会は大変珍しいという。その中央付近に刻まれたイエズス会の紋章も素晴らしい。<br />

    それが終わり、今度はMAYUMIさんが我々に質問をする。これからの目的地を聞かれる。
    これから、この聖ヨセフ聖堂を見た後に、聖ローレンス教会に向かう予定だと告げると、是非、政府総部に時間があれば行く様に言われる。何でも、今日は年に2度しかない公開日で、中に入れると言う。それは是非立ち寄らなければならない。
    その後、MAYUMIさんが率いる観光客が聖ヨセフ聖堂から降りて来たので、ここで別れ、我々は階段を上り、聖ヨセフ聖堂に向かう。

    (23).聖ヨセフ聖堂および修道院
    1728年にイエズス会の宣教師育成を目的としてヨセフ修道院が建てられ、その後1758年に修道院に隣接して教会が建設された。この教会の建築様式はバロック様式(16世紀末~18世紀初頭にかけヨーロッパを席巻した芸術様式で、うねった造型と強烈な光の対比などの動的で量感あふれる装飾が特徴である)で、内部のドーム型の天井が特徴的である。澳門ではこのドーム型天井を持つ教会は大変珍しいという。その中央付近に刻まれたイエズス会の紋章も素晴らしい。

  •  天窓から外光が差し込み、非常に内部は明るく、温かみを感じる。中央の祭壇には、十字架を背にキリスト像が立っている。その下には、左右に2人の宣教師像が見える。ここの内部もクリーム色を基調として、白い化粧漆喰で柱が縁取られている。天窓からの光と非常にマッチしている。<br />    <br />暫く、この癒しの空間で過ごした後に、修道院へ向かう。<br /><br />しかし、修道院への行き方がどうも判らない。丁度、この教会の裏手にあたる。それらしき道がなく、どのみち修道院内には入れないとガイドブックにも書いてあるので、諦めて次の聖ローレンス教会へ向かう。<br />先程の坂道を更に上り、道なりに左手に曲がり、ヨセフ修道院のある方向に進むも修道院も見えず、またそこに入れる道もない。<br />仕方なく、坂道を西南に少し上がったところに教会の門らしきものが見えている。<br />ここが、聖ローレンス教会なのか?判らないまま中に入ると、この門は教会の裏門である。教会は間違いなく、聖ローレンス教会である。教会横の庭を通り抜け、教会の正面に向かう。<br />

    天窓から外光が差し込み、非常に内部は明るく、温かみを感じる。中央の祭壇には、十字架を背にキリスト像が立っている。その下には、左右に2人の宣教師像が見える。ここの内部もクリーム色を基調として、白い化粧漆喰で柱が縁取られている。天窓からの光と非常にマッチしている。
     
    暫く、この癒しの空間で過ごした後に、修道院へ向かう。

    しかし、修道院への行き方がどうも判らない。丁度、この教会の裏手にあたる。それらしき道がなく、どのみち修道院内には入れないとガイドブックにも書いてあるので、諦めて次の聖ローレンス教会へ向かう。
    先程の坂道を更に上り、道なりに左手に曲がり、ヨセフ修道院のある方向に進むも修道院も見えず、またそこに入れる道もない。
    仕方なく、坂道を西南に少し上がったところに教会の門らしきものが見えている。
    ここが、聖ローレンス教会なのか?判らないまま中に入ると、この門は教会の裏門である。教会は間違いなく、聖ローレンス教会である。教会横の庭を通り抜け、教会の正面に向かう。

  • (24).聖ローレンス教会<br />1560年代に創建され、一時期タイパ島に移設されたが、1803年にこの地に再建された。その後、何度か改修を重ねながら現在に至る。クリーム色を基調に、白い化粧漆喰で彩られた優雅な外観は見る人を引き付ける。<br />また、左右に塔を持ち、向かって右に鐘が、左には時計が見える。<br />教会内は、壁のクリーム色と対象的なスカイブルーの天井が印象的である。左右の窓はキリストの生涯を表したステンドグラスで飾られ、それらの一枚一枚が非常に美しい。<br />      <br />正面の祭壇には、豪華な法衣をまとった聖ローレンス像が祀られている。また、この聖ローレンス像の上のステンドグラスの絵がまた非常に綺麗だ。<br />外の庭には、ヤシの木などが生い茂り、南国の教会を感じさせる。今まで見てきた教会の中で最も美しさを感じる教会である。特に教会内のステンドグラスからの光の取り入れ方が抜群で、その美しさを倍増している。特に中央祭壇上のステンドグラスは外光のマジックである。その美しさは実際に見ないと判らない。<br /><br />この聖ローレンス教会を出て、教会下の道でこれからどこへ向かうかを相談していると、ピンクの塀が聖ローレンス教会前の道から下る坂の途中に見えている。<br />地図で何の建物の塀であるかを確認すると、そこが先程MAYUMIさんに紹介された政府総部の塀の様だ。塀が見えているので、そこに先に向かう事にした。<br />

    (24).聖ローレンス教会
    1560年代に創建され、一時期タイパ島に移設されたが、1803年にこの地に再建された。その後、何度か改修を重ねながら現在に至る。クリーム色を基調に、白い化粧漆喰で彩られた優雅な外観は見る人を引き付ける。
    また、左右に塔を持ち、向かって右に鐘が、左には時計が見える。
    教会内は、壁のクリーム色と対象的なスカイブルーの天井が印象的である。左右の窓はキリストの生涯を表したステンドグラスで飾られ、それらの一枚一枚が非常に美しい。
       
    正面の祭壇には、豪華な法衣をまとった聖ローレンス像が祀られている。また、この聖ローレンス像の上のステンドグラスの絵がまた非常に綺麗だ。
    外の庭には、ヤシの木などが生い茂り、南国の教会を感じさせる。今まで見てきた教会の中で最も美しさを感じる教会である。特に教会内のステンドグラスからの光の取り入れ方が抜群で、その美しさを倍増している。特に中央祭壇上のステンドグラスは外光のマジックである。その美しさは実際に見ないと判らない。

    この聖ローレンス教会を出て、教会下の道でこれからどこへ向かうかを相談していると、ピンクの塀が聖ローレンス教会前の道から下る坂の途中に見えている。
    地図で何の建物の塀であるかを確認すると、そこが先程MAYUMIさんに紹介された政府総部の塀の様だ。塀が見えているので、そこに先に向かう事にした。

  • 聖ローレンス教会前の坂を東南方向に下る。ピンクの塀のところまで来たが、この道沿いには入口がない。塀沿いに進み、南灣湖沿いの大通りに出る。その通りに面して政府総部の正面門がある。<br />多くの人がその門の前で記念撮影を次から次へと行なっている。<br />ここが入口と思っていたら、そこは出口である。入口は、正面右手の路地奥にある様で、正面門脇に案内係の人が看板を持って、矢印で示している。右手路地に入ると、入口への列が縄で仕切られている。その列に並び、政府総部へ建物の横の入口から入る。<br /><br /><1年で2日しか公開されない政府総部(総督府)><br />政府総部は、1849年に創建されたコロニアルな建物である。<br />

    聖ローレンス教会前の坂を東南方向に下る。ピンクの塀のところまで来たが、この道沿いには入口がない。塀沿いに進み、南灣湖沿いの大通りに出る。その通りに面して政府総部の正面門がある。
    多くの人がその門の前で記念撮影を次から次へと行なっている。
    ここが入口と思っていたら、そこは出口である。入口は、正面右手の路地奥にある様で、正面門脇に案内係の人が看板を持って、矢印で示している。右手路地に入ると、入口への列が縄で仕切られている。その列に並び、政府総部へ建物の横の入口から入る。

    <1年で2日しか公開されない政府総部(総督府)>
    政府総部は、1849年に創建されたコロニアルな建物である。

  • ここでも新型インフルエンザ対策の為に体温を測定している。ここは、廊下の左右に機械が設置され、所定の場所に立つ様に検査官に促される。その前に立ち、検温が終わると、その奥に立っている人達が記念の品を配っている。何をくれたのかと確かめるとエコバックである。図柄はアズレージョに描かれている絵である。色合いも青を基調としたものである。<br />最初の部屋は、この政府総部のブラウジング室である。<br />  <br />パソコンやテレビ、応接セットなどが置かれている。また、壁には絵画が飾られている。<br />その部屋を抜け、廊下の突き当たりにガラスで仕切られた中庭が造られている。その中庭沿いに廊下を進み、この建物の玄関ホールに出る。この建物のすべての部屋を公開されているわけではなく、ごく一部である。1階は先程の部屋と玄関脇の部屋がひとつ公開されているが部屋の中には入れない。戸際から中を見るかたちである。<br />

    ここでも新型インフルエンザ対策の為に体温を測定している。ここは、廊下の左右に機械が設置され、所定の場所に立つ様に検査官に促される。その前に立ち、検温が終わると、その奥に立っている人達が記念の品を配っている。何をくれたのかと確かめるとエコバックである。図柄はアズレージョに描かれている絵である。色合いも青を基調としたものである。
    最初の部屋は、この政府総部のブラウジング室である。
     
    パソコンやテレビ、応接セットなどが置かれている。また、壁には絵画が飾られている。
    その部屋を抜け、廊下の突き当たりにガラスで仕切られた中庭が造られている。その中庭沿いに廊下を進み、この建物の玄関ホールに出る。この建物のすべての部屋を公開されているわけではなく、ごく一部である。1階は先程の部屋と玄関脇の部屋がひとつ公開されているが部屋の中には入れない。戸際から中を見るかたちである。

  • そこから2階に上がる。階段が玄関ホールから続いている。階段には日本の国会議事堂でよく見る赤絨毯が敷かれている。その赤絨毯に沿い、階段を上る。2階の踊り場ホールにも壷や装飾を施された高価そうな椅子が置かれている。2階は右手の部屋が公開されている。<br />2階は貴賓の応接室などが多い様だ。踊り場脇の部屋もそうである。豪華なソファが置かれている。<br />  <br />廊下を2階奥に行くと、広い部屋が開放されている。しかし、テーブルなどの手前で仕切りが設けられている。この部屋は晩餐の為の部屋の様である。さすがにどの部屋も豪華に造られている。<br />

    そこから2階に上がる。階段が玄関ホールから続いている。階段には日本の国会議事堂でよく見る赤絨毯が敷かれている。その赤絨毯に沿い、階段を上る。2階の踊り場ホールにも壷や装飾を施された高価そうな椅子が置かれている。2階は右手の部屋が公開されている。
    2階は貴賓の応接室などが多い様だ。踊り場脇の部屋もそうである。豪華なソファが置かれている。
     
    廊下を2階奥に行くと、広い部屋が開放されている。しかし、テーブルなどの手前で仕切りが設けられている。この部屋は晩餐の為の部屋の様である。さすがにどの部屋も豪華に造られている。

  • この部屋を見学後、裏のテラスから裏庭に降りる。この庭がまた綺麗である。<br />庭の中央には池が設けられており、そこには紫色の花をつけた蓮が浮かんでいる。また、塀際には、一面に花の咲いた様々な植物が植えられている。<br /><br />

    この部屋を見学後、裏のテラスから裏庭に降りる。この庭がまた綺麗である。
    庭の中央には池が設けられており、そこには紫色の花をつけた蓮が浮かんでいる。また、塀際には、一面に花の咲いた様々な植物が植えられている。

  • ここで、見た事もない扇風機を発見!風と共に水蒸気もいっしょに出てくる。よく見ると羽の回る下部に水蒸気発生装置が付いていて、そこから水蒸気が吹き出ている。何のために出ているのか不明である。水蒸気なので、その前に立っても涼しくもない。蒸し蒸しするだけである。この扇風機がこの裏庭に3台置かれている。ここから建物の横に広がる庭を見学しながら、正面に向かう。<br />    <br />ここの庭はさすがに政府の建物だけあってどの部分も整備が行き届いている。花々が非常に綺麗に手入れをされている。これらを見終え、正面に戻り、門を出た。<br />この政府総部前の歩道もタイルが敷き詰められていて綺麗である。<br />ここからまた、先程の聖ローレンス教会前の道まで戻る。坂を上り、聖ローレンス教会前に辿り着く。ここから、更に風順堂街を西に進む。<br />両サイドはこの辺りもマンション(アパート?)が道に迫り出す様に建っている。<br />この道を暫く進む。途中で喉が渇き、中国のコンビニ店である便利店(コンビニというよりも今は殆どなくなってしまった昭和時代の駄菓子屋の様な店)に立寄る。ここの便利店は、珍しく非常に冷えた飲物を置いてある。<br />その中でも特に冷えたものを選ぶ。選んだ時は何か判らなかったがどうもスポーツドリンクのようだ。飲むとやはりスポーツドリンクである。水分を補充するには丁度良かった。<br />これを飲みながら、この路地道ひたすら歩く。道は風順堂街から高樓街に入り、上り下りが多くなる。その内に左手に公園が見えてきた。ここがリラウ広場である。<br />

    ここで、見た事もない扇風機を発見!風と共に水蒸気もいっしょに出てくる。よく見ると羽の回る下部に水蒸気発生装置が付いていて、そこから水蒸気が吹き出ている。何のために出ているのか不明である。水蒸気なので、その前に立っても涼しくもない。蒸し蒸しするだけである。この扇風機がこの裏庭に3台置かれている。ここから建物の横に広がる庭を見学しながら、正面に向かう。
     
    ここの庭はさすがに政府の建物だけあってどの部分も整備が行き届いている。花々が非常に綺麗に手入れをされている。これらを見終え、正面に戻り、門を出た。
    この政府総部前の歩道もタイルが敷き詰められていて綺麗である。
    ここからまた、先程の聖ローレンス教会前の道まで戻る。坂を上り、聖ローレンス教会前に辿り着く。ここから、更に風順堂街を西に進む。
    両サイドはこの辺りもマンション(アパート?)が道に迫り出す様に建っている。
    この道を暫く進む。途中で喉が渇き、中国のコンビニ店である便利店(コンビニというよりも今は殆どなくなってしまった昭和時代の駄菓子屋の様な店)に立寄る。ここの便利店は、珍しく非常に冷えた飲物を置いてある。
    その中でも特に冷えたものを選ぶ。選んだ時は何か判らなかったがどうもスポーツドリンクのようだ。飲むとやはりスポーツドリンクである。水分を補充するには丁度良かった。
    これを飲みながら、この路地道ひたすら歩く。道は風順堂街から高樓街に入り、上り下りが多くなる。その内に左手に公園が見えてきた。ここがリラウ広場である。

  • (25).リラウ広場<br />ポルトガル語でリラウとは山の湧き水のことである。ここは、昔の澳門の主要な水源のひとつで、内港にも近くポルトガル人が最も早くから居住した場所である。<br />広場の中央にガジュマルの大きな木があり、この広場を覆い尽くしている。この木の木陰で修復作業を行っている人達が気持ち良さそうに昼寝をしている。本当に、この木の木陰に入ると心安らかな感じがする。<br />しかし現在、広場は修復中で、至るところが工事中である。<br />また、この広場には、湧水場があるはずであったが、ここも本来の湧水場から位置を変える工事の最中で、本来の湧水出口が剥き出しになっているが、水は止められている。新たな湧水場がこの広場角に造られている途中であった。<br />この湧き水は、飲めば澳門が忘れられなくなると民謡で歌われたほどである。それくらい美味しい水という事らしいが、現在は飲用には適さないとされ、出ていても飲む事は出来ない。<br />    <br />このリラウ広場とは道の反対側にある路地を少し入ると、路の左手に駄菓子屋の様な便利店があり、その向かいに大きな屋敷の門がある。ここが鄭家屋敷である。<br />

    (25).リラウ広場
    ポルトガル語でリラウとは山の湧き水のことである。ここは、昔の澳門の主要な水源のひとつで、内港にも近くポルトガル人が最も早くから居住した場所である。
    広場の中央にガジュマルの大きな木があり、この広場を覆い尽くしている。この木の木陰で修復作業を行っている人達が気持ち良さそうに昼寝をしている。本当に、この木の木陰に入ると心安らかな感じがする。
    しかし現在、広場は修復中で、至るところが工事中である。
    また、この広場には、湧水場があるはずであったが、ここも本来の湧水場から位置を変える工事の最中で、本来の湧水出口が剥き出しになっているが、水は止められている。新たな湧水場がこの広場角に造られている途中であった。
    この湧き水は、飲めば澳門が忘れられなくなると民謡で歌われたほどである。それくらい美味しい水という事らしいが、現在は飲用には適さないとされ、出ていても飲む事は出来ない。
     
    このリラウ広場とは道の反対側にある路地を少し入ると、路の左手に駄菓子屋の様な便利店があり、その向かいに大きな屋敷の門がある。ここが鄭家屋敷である。

  • (26).鄭家屋敷<br />1881年に建てられた中国近代の著名な思想家の鄭觀應の屋敷跡である。<br />屋根、梁、窓などは基本的には中国様式であるが、ところどころに西洋様式のデザインが取り入れられている。<br />  <br />残念な事にここも現在は修復中なのか、門は閉まり、中に入る事が出来ず、門の外から中を伺うしか出来ない。ガイドブックを見ると、修復工事は既に済んでいるが、公開はされていないと書いてある。仕方なく、この門の前を離れ、再度リラウ広場の前の道まで戻り、更に西に進む。<br />すると少し西に行くと、この鄭家屋敷が道沿いに続いているのが見える。中は判らないが建物の全景などはこちらの方が良く見える。ここで写真などを撮り、更に西に進む。<br /><br />ここから路地道は蛇の様にうねりながら上り下りを繰り返している。少し、きつい上りに差し掛かり、そこを上り切ったところで、左手に周りのマンション(アパート)群とは異質な建物が現れる。<br />ここが、港務局大樓である。<br />時刻は既に12時30分である。昼食の時刻ではあるが、あまりお腹が空いていない。<br />冨田君と相談し、食事は適当な店があれば入るが、無ければ特に食べなくても良いという事になった。<br />

    (26).鄭家屋敷
    1881年に建てられた中国近代の著名な思想家の鄭觀應の屋敷跡である。
    屋根、梁、窓などは基本的には中国様式であるが、ところどころに西洋様式のデザインが取り入れられている。
     
    残念な事にここも現在は修復中なのか、門は閉まり、中に入る事が出来ず、門の外から中を伺うしか出来ない。ガイドブックを見ると、修復工事は既に済んでいるが、公開はされていないと書いてある。仕方なく、この門の前を離れ、再度リラウ広場の前の道まで戻り、更に西に進む。
    すると少し西に行くと、この鄭家屋敷が道沿いに続いているのが見える。中は判らないが建物の全景などはこちらの方が良く見える。ここで写真などを撮り、更に西に進む。

    ここから路地道は蛇の様にうねりながら上り下りを繰り返している。少し、きつい上りに差し掛かり、そこを上り切ったところで、左手に周りのマンション(アパート)群とは異質な建物が現れる。
    ここが、港務局大樓である。
    時刻は既に12時30分である。昼食の時刻ではあるが、あまりお腹が空いていない。
    冨田君と相談し、食事は適当な店があれば入るが、無ければ特に食べなくても良いという事になった。

  • (27).港務局大樓<br />1874年にイタリア人建築家のカッスートの設計で建造された。もとは澳門の治安を守る為にインドのゴアから連れられて来たムーア人の宿舎で、後に政府の港務局のイミグレーション部門の事務所となり、現在に至る。<br />建物手前の上り坂には、囲われた芝地があり、その中央に大きな碇が横たわっている。<br />

    (27).港務局大樓
    1874年にイタリア人建築家のカッスートの設計で建造された。もとは澳門の治安を守る為にインドのゴアから連れられて来たムーア人の宿舎で、後に政府の港務局のイミグレーション部門の事務所となり、現在に至る。
    建物手前の上り坂には、囲われた芝地があり、その中央に大きな碇が横たわっている。

  • その坂を上ると港務局の入口がある。ここは現在も使用されている施設である為、中の見学は出来ない。<br />    <br />入り口からこの建物を取り巻く様に造られた回廊までは入る事が出来るので、その回廊を歩く。<br />イスラム風の模様が今までの建物とまた異質な感じを与える。回廊は意外と長く、30m近くあるか?ここを歩き、反対側を下りるつもりであったが、反対側に階段はあるが、途中に門があり、その門が閉まっている。ここからは出る事が出来ない。仕方なく、また回廊を戻る事になる。回廊を戻り、坂道を下り、もとの道に戻る。<br /><br />港務局を左手に見ながら、更に西に進む。この港務局辺りがこの辺で最も高い場所なのか、ここから急な下り坂が続く。この辺りの道も依然と蛇行している。歩いている方向が掴みにくい。<br />周りには少しずつではあるが、店も増え出している。繁華街に近づいているのか?<br />そう思いながらこの坂道を下り切った三叉路で、左手の道の奥に広場が見えて来る。<br />その手前の路地には、路地の両サイドに多くの店が並んでいる。見えている広場にも多くの人がいる。見えている広場がバラ広場である。手前の路地には、お土産物屋が集中している。<br />多くの人達が群がっている店は、日本の横浜中華街で売っている月餅(げっぺい)に似た饅頭を売っている。<br />また、その反対側には観光地の小物を扱う店がある。店内に冷房を効かせているのか、入口には、ビニールカーテンが下がっている。そのカーテンを分けて中に入り、土産物を物色する。<br />澳門の世界遺産をモチーフにしたものがあれば欲しいと冨田君と共に思っていたが、適当なものはマグネット(聖ポール天主堂跡のファサードを描いたものなど)くらいか。<br />このような店があるのなら、他にもあると思い、ここでは見るだけで出る事になった。<br />この路地の突き当たりがバラ広場である。<br />

    その坂を上ると港務局の入口がある。ここは現在も使用されている施設である為、中の見学は出来ない。
     
    入り口からこの建物を取り巻く様に造られた回廊までは入る事が出来るので、その回廊を歩く。
    イスラム風の模様が今までの建物とまた異質な感じを与える。回廊は意外と長く、30m近くあるか?ここを歩き、反対側を下りるつもりであったが、反対側に階段はあるが、途中に門があり、その門が閉まっている。ここからは出る事が出来ない。仕方なく、また回廊を戻る事になる。回廊を戻り、坂道を下り、もとの道に戻る。

    港務局を左手に見ながら、更に西に進む。この港務局辺りがこの辺で最も高い場所なのか、ここから急な下り坂が続く。この辺りの道も依然と蛇行している。歩いている方向が掴みにくい。
    周りには少しずつではあるが、店も増え出している。繁華街に近づいているのか?
    そう思いながらこの坂道を下り切った三叉路で、左手の道の奥に広場が見えて来る。
    その手前の路地には、路地の両サイドに多くの店が並んでいる。見えている広場にも多くの人がいる。見えている広場がバラ広場である。手前の路地には、お土産物屋が集中している。
    多くの人達が群がっている店は、日本の横浜中華街で売っている月餅(げっぺい)に似た饅頭を売っている。
    また、その反対側には観光地の小物を扱う店がある。店内に冷房を効かせているのか、入口には、ビニールカーテンが下がっている。そのカーテンを分けて中に入り、土産物を物色する。
    澳門の世界遺産をモチーフにしたものがあれば欲しいと冨田君と共に思っていたが、適当なものはマグネット(聖ポール天主堂跡のファサードを描いたものなど)くらいか。
    このような店があるのなら、他にもあると思い、ここでは見るだけで出る事になった。
    この路地の突き当たりがバラ広場である。

  • (28).バラ広場<br />この広場がバラ広場と呼ばれるのは、この澳門半島の南端地区は、澳門の歴史発祥の地で、最も古い居住区があり、バラ地区と呼ばれていた。<br />その中心的な場所にある広場である為、バラ広場と呼ばれている。<br />非常に広い広場で、波模様のタイル張りの地面が綺麗である。海沿いの道路に面したところに門が見える。また、ここにも国慶節の飾り灯篭が置かれている。何かの物語の一場面を表現したものである。<br />  <br />この広場には、多くの人達がいるが、この広場目的というよりも、この広場に接して建つ媽閣廟にお参りに来ている人である。<br />また、道路に面した辺りに、澳門海事博物館が建っている。この博物館は、中国とポルトガルの海洋貿易を中心に、歴史や外国との関わりなどの資料が展示されている。また、広場脇には、数件の屋台店が出ており、アイスクリームや飲物を売っている。<br />ひとつだけ広場の媽閣廟前に売店が建っており、土産物が並んでいる。<br />

    (28).バラ広場
    この広場がバラ広場と呼ばれるのは、この澳門半島の南端地区は、澳門の歴史発祥の地で、最も古い居住区があり、バラ地区と呼ばれていた。
    その中心的な場所にある広場である為、バラ広場と呼ばれている。
    非常に広い広場で、波模様のタイル張りの地面が綺麗である。海沿いの道路に面したところに門が見える。また、ここにも国慶節の飾り灯篭が置かれている。何かの物語の一場面を表現したものである。
     
    この広場には、多くの人達がいるが、この広場目的というよりも、この広場に接して建つ媽閣廟にお参りに来ている人である。
    また、道路に面した辺りに、澳門海事博物館が建っている。この博物館は、中国とポルトガルの海洋貿易を中心に、歴史や外国との関わりなどの資料が展示されている。また、広場脇には、数件の屋台店が出ており、アイスクリームや飲物を売っている。
    ひとつだけ広場の媽閣廟前に売店が建っており、土産物が並んでいる。

  • (29).媽閣廟<br />澳門最古の中国寺院で、明朝初期に福建省から来た漁民によって建てられたと言われている。<br />寺院内にある4つの廟のうち3つは、船員や漁師の守り神である阿媽を祀ってあり、阿媽閣(A-ma-kok)とも呼ばれ、この呼び名が“マカオ”の地名の由来となったとされている。<br />廟の入口の鳥居を潜り、中に入る。直ぐ前に大きな廟が建ち、多くの参拝客で混雑している。<br />また、備えられた大線香の煙で近づくと目が痛い。ここの線香は中国寺院でよく見かける太く長い大線香で、それ以外にも関帝古廟でも見かけたが、渦巻き型の大線香もある。<br />その煙を避ける様に右横の広場に出る。<br />

    (29).媽閣廟
    澳門最古の中国寺院で、明朝初期に福建省から来た漁民によって建てられたと言われている。
    寺院内にある4つの廟のうち3つは、船員や漁師の守り神である阿媽を祀ってあり、阿媽閣(A-ma-kok)とも呼ばれ、この呼び名が“マカオ”の地名の由来となったとされている。
    廟の入口の鳥居を潜り、中に入る。直ぐ前に大きな廟が建ち、多くの参拝客で混雑している。
    また、備えられた大線香の煙で近づくと目が痛い。ここの線香は中国寺院でよく見かける太く長い大線香で、それ以外にも関帝古廟でも見かけたが、渦巻き型の大線香もある。
    その煙を避ける様に右横の広場に出る。

  • 大岩が横たわっており、そこには極彩色のジャンク船が描かれている。<br />そこから、上の廟への階段が続いているので、そこを上る。途中には、厦門の南普陀寺などにも多く見られた、岩肌に文字が彫られたり、書かれたりしているものが、階段脇にある。<br />    <br />そこを上り切ると、廟がある。ここまで上るとかなり高く、廟前の舞台から眺めは非常に良い。<br />

    大岩が横たわっており、そこには極彩色のジャンク船が描かれている。
    そこから、上の廟への階段が続いているので、そこを上る。途中には、厦門の南普陀寺などにも多く見られた、岩肌に文字が彫られたり、書かれたりしているものが、階段脇にある。
     
    そこを上り切ると、廟がある。ここまで上るとかなり高く、廟前の舞台から眺めは非常に良い。

  • 前のバラ広場が一望出来る。また、この廟の舞台まで迫り出した屋根には、多くの渦巻き型大線香が所狭しと、ぶら下っている。その前で拝み、その廟の右横で一時休憩を取る。<br />廟の監視と線香の販売の為にひとりの男の人が廟の右手に座っている。その人はこの媽閣廟のオリジナルTシャツを着ている。冨田君はそれがほしい様で、それがどこかに売っていないか、後で下の売店などを探すつもりの様だ。<br />ここからまだ上に道が続いており、観音廟があるが、我々はここから上ってきた方向とは逆の方向から階段を下りる。下りる途中にも文字を刻まれた大岩が幾つも見える。<br />

    前のバラ広場が一望出来る。また、この廟の舞台まで迫り出した屋根には、多くの渦巻き型大線香が所狭しと、ぶら下っている。その前で拝み、その廟の右横で一時休憩を取る。
    廟の監視と線香の販売の為にひとりの男の人が廟の右手に座っている。その人はこの媽閣廟のオリジナルTシャツを着ている。冨田君はそれがほしい様で、それがどこかに売っていないか、後で下の売店などを探すつもりの様だ。
    ここからまだ上に道が続いており、観音廟があるが、我々はここから上ってきた方向とは逆の方向から階段を下りる。下りる途中にも文字を刻まれた大岩が幾つも見える。

  • 下り終えたところに違う廟(この廟にも阿媽が祀られている)が建っているが、そこには寄らず、その横に併設している売店前に移動する。<br />売店で先程のTシャツなどの土産物を探すが、さすがに先程のTシャツはない。お寺らしい小物などが売られているのみで、この媽閣廟を連想させる様な土産物もない。<br />これらを見終え、廟の階段を下り、バラ広場に出る。<br />バラ広場からもう一度媽閣廟を見ると、廟の後の小山全体が寺院の様で、頂上までの所々に寺院の建物の屋根が見える。観音廟の屋根であろうか?<br />

    下り終えたところに違う廟(この廟にも阿媽が祀られている)が建っているが、そこには寄らず、その横に併設している売店前に移動する。
    売店で先程のTシャツなどの土産物を探すが、さすがに先程のTシャツはない。お寺らしい小物などが売られているのみで、この媽閣廟を連想させる様な土産物もない。
    これらを見終え、廟の階段を下り、バラ広場に出る。
    バラ広場からもう一度媽閣廟を見ると、廟の後の小山全体が寺院の様で、頂上までの所々に寺院の建物の屋根が見える。観音廟の屋根であろうか?

  • その後、このバラ広場の隅の椅子で休憩を取り、次へ移動をする事にした。<br />冨田君は私が椅子で休んでいる間に、バラ広場に建つ売店で土産物を物色したいというので、ここで待つ事にした。冨田君が戻ってきて、購入した土産物を見せてくれる。<br />買ってきたのはキーホルダーである。澳門の世界遺産をモチーフにしたものである。<br />ここで、2人で少し休憩を取ったのち、次のギア要塞にタクシーで向かう事にした。タクシーを拾うために海沿いの道路に向かう。丁度運良く、道路に達する手前で、我々の前でタクシーが泊まり、人が降りようとしている。2人でそのタクシーに駆け寄り、お客が降りた後に乗り込む。<br />旅行前に私がまとめた世界遺産リストのギア要塞の中国語名のところを指して、運転手に示す。<br />判ってくれた様で、タクシーが動き出す。海沿いの西灣湖景大馬路を進み、途中マカオタワーの下を通り、孫逸仙大馬路に入り、城市日大馬路に曲がり、澳門の中心街へ。<br />丁度、リスボアホテルの前辺りで、Uターンをし、リスボアホテル横を通り、ギア要塞のある小高い丘に続く加思欄馬路を上る。これはタクシーに乗って正解であった。とても歩いて上れる丘ではなかった。急勾配の坂をタクシーが苦しそうに上がる。<br />途中、このギア要塞の駐車場があったが、タクシーは更に上まで上って行く。殆ど、頂上に近い場所まで来てタクシーが止まる。タクシーが入れるのもここまでの様である。料金は意外と安く、17HK$(約210円)。チップも含め、20HK$を渡し、降りる。<br />

    その後、このバラ広場の隅の椅子で休憩を取り、次へ移動をする事にした。
    冨田君は私が椅子で休んでいる間に、バラ広場に建つ売店で土産物を物色したいというので、ここで待つ事にした。冨田君が戻ってきて、購入した土産物を見せてくれる。
    買ってきたのはキーホルダーである。澳門の世界遺産をモチーフにしたものである。
    ここで、2人で少し休憩を取ったのち、次のギア要塞にタクシーで向かう事にした。タクシーを拾うために海沿いの道路に向かう。丁度運良く、道路に達する手前で、我々の前でタクシーが泊まり、人が降りようとしている。2人でそのタクシーに駆け寄り、お客が降りた後に乗り込む。
    旅行前に私がまとめた世界遺産リストのギア要塞の中国語名のところを指して、運転手に示す。
    判ってくれた様で、タクシーが動き出す。海沿いの西灣湖景大馬路を進み、途中マカオタワーの下を通り、孫逸仙大馬路に入り、城市日大馬路に曲がり、澳門の中心街へ。
    丁度、リスボアホテルの前辺りで、Uターンをし、リスボアホテル横を通り、ギア要塞のある小高い丘に続く加思欄馬路を上る。これはタクシーに乗って正解であった。とても歩いて上れる丘ではなかった。急勾配の坂をタクシーが苦しそうに上がる。
    途中、このギア要塞の駐車場があったが、タクシーは更に上まで上って行く。殆ど、頂上に近い場所まで来てタクシーが止まる。タクシーが入れるのもここまでの様である。料金は意外と安く、17HK$(約210円)。チップも含め、20HK$を渡し、降りる。

  • (30).ギア要塞および灯台、教会<br />1637~38年にかけて建造された澳門で最も高い所にある砦(標高92m)である。当初は外敵の防衛のために造られたが、1865年にここに灯台が造られた。灯台は現役である。灯台の隣には、1622年に建てられた小さな教会がある。<br />タクシーを降りた場所から少し上ると頂上近くの広場に出る。ここは松山市政公園内である。<br />広場奥には、大砲が置かれている。その大砲の横辺りに防空壕の様なものの入口が見えている。<br />

    (30).ギア要塞および灯台、教会
    1637~38年にかけて建造された澳門で最も高い所にある砦(標高92m)である。当初は外敵の防衛のために造られたが、1865年にここに灯台が造られた。灯台は現役である。灯台の隣には、1622年に建てられた小さな教会がある。
    タクシーを降りた場所から少し上ると頂上近くの広場に出る。ここは松山市政公園内である。
    広場奥には、大砲が置かれている。その大砲の横辺りに防空壕の様なものの入口が見えている。

  • その前まで行き、説明板を読む。この防空壕の様なものは、松山防空洞と言い、1930年代にポルトガル軍が使用していたものである。この防空洞を利用して、中が展示廊になっている。<br />人ひとりが丁度通れるくらいの幅で、高さは180cm程度で、背の高い人は屈まないと通れない。<br />この松山には、このような防空洞が迷路のように張り巡らされているという。その一部がこの様な展示廊に使用されている。防空洞を入ると、奥に行くと少し幅が広くなり、壁にはこの防空洞を使用していた頃の写真などが展示されている。<br />また、防空洞の中央付近には部屋が2つあり、ひとつには当時の防空洞内での生活の様子が人形で再現されており、もうひとつの部屋には大きな発電機が置いてある。発電機の煙突がちゃんと防空洞外に繋がっている。更に続く通路を進む。そこにも写真などが数多く展示されている。<br />

    その前まで行き、説明板を読む。この防空壕の様なものは、松山防空洞と言い、1930年代にポルトガル軍が使用していたものである。この防空洞を利用して、中が展示廊になっている。
    人ひとりが丁度通れるくらいの幅で、高さは180cm程度で、背の高い人は屈まないと通れない。
    この松山には、このような防空洞が迷路のように張り巡らされているという。その一部がこの様な展示廊に使用されている。防空洞を入ると、奥に行くと少し幅が広くなり、壁にはこの防空洞を使用していた頃の写真などが展示されている。
    また、防空洞の中央付近には部屋が2つあり、ひとつには当時の防空洞内での生活の様子が人形で再現されており、もうひとつの部屋には大きな発電機が置いてある。発電機の煙突がちゃんと防空洞外に繋がっている。更に続く通路を進む。そこにも写真などが数多く展示されている。

  • そして、入口とほぼ反対側に抜け出た。出たところから更に要塞への道が続いており、その道に沿って、更に上に上がる。<br />左手が崖になったところを通り、丁度、砦の塀を一周する様に道が続く。<br />  <br />ほぼ3/4周くらいしたところで、上への階段が現れ、その奥の望楼のような建物の中を通る。<br />

    そして、入口とほぼ反対側に抜け出た。出たところから更に要塞への道が続いており、その道に沿って、更に上に上がる。
    左手が崖になったところを通り、丁度、砦の塀を一周する様に道が続く。
     
    ほぼ3/4周くらいしたところで、上への階段が現れ、その奥の望楼のような建物の中を通る。

  • その中には、見慣れない黒の大きな、形状の違う金網のようなものがぶら下っている。何かと思っているとガイドブックを見た冨田君が、灯台のライトの覆いであるという。これで光の調整を行い、気象情報などを伝えていたらしい。<br />  <br />その望楼のような建物を抜け、さらにスロープを上がる。上がった踊り場正面には、塀の隙間に碇が置かれ、左右に階段がある。左手は先程通り抜けた望楼の上に上る階段で、右手はギア要塞の頂上への上る階段である。頂上には建物が見えている。<br />

    その中には、見慣れない黒の大きな、形状の違う金網のようなものがぶら下っている。何かと思っているとガイドブックを見た冨田君が、灯台のライトの覆いであるという。これで光の調整を行い、気象情報などを伝えていたらしい。
     
    その望楼のような建物を抜け、さらにスロープを上がる。上がった踊り場正面には、塀の隙間に碇が置かれ、左右に階段がある。左手は先程通り抜けた望楼の上に上る階段で、右手はギア要塞の頂上への上る階段である。頂上には建物が見えている。

  • 頂上へ上る階段を上がり、正面に見えている建物に入る。この建物がこの頂上に造られた教会である。入口には石版が埋められている。<br />ここの中は寒いくらいに冷房が効いている。今まで暑い中を歩いて来たので、心地良いが体調を崩しそうな涼しさである。この教会内に入ると、正面にマリア像が見える。<br />また、壁や天井にフレスコ画が描かれているが、色褪せており、かすかに確認出来るものばかりである。しかし、中には赤や緑の色鮮やかな色が残るものもある。入った部屋の奥の左手に小さな部屋がひとつあり、ここも同じくフレスコ画が壁に描かれている。この部屋の絵は多少保存状態がよく、何を描いたものかは確認が出来る。

    頂上へ上る階段を上がり、正面に見えている建物に入る。この建物がこの頂上に造られた教会である。入口には石版が埋められている。
    ここの中は寒いくらいに冷房が効いている。今まで暑い中を歩いて来たので、心地良いが体調を崩しそうな涼しさである。この教会内に入ると、正面にマリア像が見える。
    また、壁や天井にフレスコ画が描かれているが、色褪せており、かすかに確認出来るものばかりである。しかし、中には赤や緑の色鮮やかな色が残るものもある。入った部屋の奥の左手に小さな部屋がひとつあり、ここも同じくフレスコ画が壁に描かれている。この部屋の絵は多少保存状態がよく、何を描いたものかは確認が出来る。

  • これらを見終え、この教会を出て、この教会横に建つ灯台に向かう。<br />灯台は然程大きなものではなく、その前には古ぼけた大砲が置かれている。この灯台の前で記念撮影を行い、少し互いに自由行動を取る。<br />      <br />私は、先程の教会に再び入り、涼むながらフレスコ画を細部まで観賞する。<br />冨田君は望楼の上に上り、そこからの眺めを写真などに収めている。<br /><br />再び合流し、2人で要塞を下り始める。下りる道は上って来た道とほぼ反対側にあり、つづら折れの坂を下りる。5分くらい歩くと、大きな道に出た。そこは、行きに通り過ぎた駐車場の前である。<br />この辺りに車は多いが、タクシーなどはいない。<br />仕方なく、更に急な坂道を下りる。下りたところでタクシーを見つけるも、同様にタクシーを待っていた先客にそのタクシーを取られる。<br />冨田君とここでタクシーを待つか、更にホテル方面に丘を下るか思案していると、運良く1台のタクシーが我々の前に上がってきた。そのタクシーを捕まえ、乗り込む。朝から殆ど歩き詰めであるので、もう足が棒の様になっている。<br />一旦ホテルに戻り、少し休憩を取ることにした。<br />タクシーは、このギア要塞の丘を北側に下り、グランド・リスボアの横を通り、グランド・エンペラーホテルに向かう。10分程でホテルに到着した。時刻は14時前である。<br />私は、喉が渇いていた事もあり、飲物などを購入に近くのコンビニに行く事にした。<br />ホテル前で冨田君と別れ、ホテル裏の蘇亞利斯博士大馬路に。この通り沿いに一件セブンイレブンの看板のコンビニがある。そこに入り、飲物を物色する。<br />500mlのペットボトルを2本(お茶とミネラル水)とアイスクリーム(マンゴーアイス)を購入した。料金は、15.9HK$(約195円)である。<br />ホテルの部屋に戻り、ラフな服装に着替え、リラックスする。ふくらはぎがパンパンに張っている。<br />自分で少しマッサージを行い、張りを取る。ここまでで既に万歩計は23000歩を越えている。<br />冨田君とこれからの予定を話し合い、昼食を食べていないので、3時(15時)のおやつも兼ねて、まず澳門名物のエッグタルトを食べに行き、その後、今日朝に廻った教会で、朝のお祈りなどで中の様子が見られなかった教会を再度廻る事にした。<br />取り敢えず、当面は休憩である。<br />買って来たアイスクリームを食べながら、足のマッサージを続ける。<br />一時間近く休憩すると大分楽になり、また出かける元気が出てきた。<br /><br />

    これらを見終え、この教会を出て、この教会横に建つ灯台に向かう。
    灯台は然程大きなものではなく、その前には古ぼけた大砲が置かれている。この灯台の前で記念撮影を行い、少し互いに自由行動を取る。
       
    私は、先程の教会に再び入り、涼むながらフレスコ画を細部まで観賞する。
    冨田君は望楼の上に上り、そこからの眺めを写真などに収めている。

    再び合流し、2人で要塞を下り始める。下りる道は上って来た道とほぼ反対側にあり、つづら折れの坂を下りる。5分くらい歩くと、大きな道に出た。そこは、行きに通り過ぎた駐車場の前である。
    この辺りに車は多いが、タクシーなどはいない。
    仕方なく、更に急な坂道を下りる。下りたところでタクシーを見つけるも、同様にタクシーを待っていた先客にそのタクシーを取られる。
    冨田君とここでタクシーを待つか、更にホテル方面に丘を下るか思案していると、運良く1台のタクシーが我々の前に上がってきた。そのタクシーを捕まえ、乗り込む。朝から殆ど歩き詰めであるので、もう足が棒の様になっている。
    一旦ホテルに戻り、少し休憩を取ることにした。
    タクシーは、このギア要塞の丘を北側に下り、グランド・リスボアの横を通り、グランド・エンペラーホテルに向かう。10分程でホテルに到着した。時刻は14時前である。
    私は、喉が渇いていた事もあり、飲物などを購入に近くのコンビニに行く事にした。
    ホテル前で冨田君と別れ、ホテル裏の蘇亞利斯博士大馬路に。この通り沿いに一件セブンイレブンの看板のコンビニがある。そこに入り、飲物を物色する。
    500mlのペットボトルを2本(お茶とミネラル水)とアイスクリーム(マンゴーアイス)を購入した。料金は、15.9HK$(約195円)である。
    ホテルの部屋に戻り、ラフな服装に着替え、リラックスする。ふくらはぎがパンパンに張っている。
    自分で少しマッサージを行い、張りを取る。ここまでで既に万歩計は23000歩を越えている。
    冨田君とこれからの予定を話し合い、昼食を食べていないので、3時(15時)のおやつも兼ねて、まず澳門名物のエッグタルトを食べに行き、その後、今日朝に廻った教会で、朝のお祈りなどで中の様子が見られなかった教会を再度廻る事にした。
    取り敢えず、当面は休憩である。
    買って来たアイスクリームを食べながら、足のマッサージを続ける。
    一時間近く休憩すると大分楽になり、また出かける元気が出てきた。

  • <澳門名物のカスタードタルト:マーガレット・カフェ・ナタ><br />もう少し休憩をするつもりであったが、何もする事もないので、そうそうにまた出かける事にした。<br />15時過ぎに部屋を出る。目的地は、冨田君がガイドブックから選定していたカスタードタルトの店である。冨田君が店の場所はガイドブックで、確認済でホテルから然程遠くないという。<br />蘇亞利斯博士大馬路を渡り、ホテル・シントラの前を抜け、殷皇子大馬路に至る。更にこの通りを渡り、東に少し行き、1本目の路地を左に入る。<br />人通りの少ない路地を少し行くと人集りの店がぽつんと現れる。ここが、澳門で有名なカスタードタルトの店で、地元の人達にも人気のあるマーガレット・カフェ・ナタである。<br />

    <澳門名物のカスタードタルト:マーガレット・カフェ・ナタ>
    もう少し休憩をするつもりであったが、何もする事もないので、そうそうにまた出かける事にした。
    15時過ぎに部屋を出る。目的地は、冨田君がガイドブックから選定していたカスタードタルトの店である。冨田君が店の場所はガイドブックで、確認済でホテルから然程遠くないという。
    蘇亞利斯博士大馬路を渡り、ホテル・シントラの前を抜け、殷皇子大馬路に至る。更にこの通りを渡り、東に少し行き、1本目の路地を左に入る。
    人通りの少ない路地を少し行くと人集りの店がぽつんと現れる。ここが、澳門で有名なカスタードタルトの店で、地元の人達にも人気のあるマーガレット・カフェ・ナタである。

  • 店の前には、路地に出張って、テーブルがいくつも並べられているが、どのテーブルも満席の状態である。店内も人で満員である。<br />購入の仕方が判らず、かってに冷蔵庫から好きな飲物を取り出すと、店の人に怒られた。<br />先にレジにて注文をし、料金を払い、レシートを受取る、これが整理券(商品引換券)になっている様だ。店員にその整理券を見せる。すると飲物などは同料金のものが多くあり、どれが欲しいかを冷蔵庫の中のものを指差し取り出して貰う。飲物はスイカジュースを貰う。<br />それと焼き立てのカスタードタルトである。合わせて料金は、23HK$(約280円)である。因みに内訳は、スイカジュースが16HK$、カスタードタルトが7HK$である。<br />  <br />それらを受取り、店外に出て、席の空いているテーブルを探すが見当たらない。少しの時間、席が開くのを待っていたが、テーブルが空く様子がない。<br />見ると店際に店に向かってカウンターが造られており、そこが丁度2席空いている。<br />満席のテーブルの間を通り抜け、その席に座る。やっと落ち着いて食べる事が出来る。<br />スイカジュースはそのままスイカで、混ぜ物はない。しかし、期待していた程甘くない。カスタードタルトは焼き立てであり、非常に熱い。<br />特に中央部分のカスタードが熱く、口の中を火傷しそうだ。火傷しない様にちびちびとかじる。<br />カスタードは甘さを抑えた非常に上品な味で、これなら幾つでも好きな人は食べられるのではないかと思う。ここで、これだけ食べれば夕食までは持つだろう。<br />2人とも食べ終わると、次の目的地の朝に訪れた時に教会内を見られなかった大堂(カテドラル)である。<br />

    店の前には、路地に出張って、テーブルがいくつも並べられているが、どのテーブルも満席の状態である。店内も人で満員である。
    購入の仕方が判らず、かってに冷蔵庫から好きな飲物を取り出すと、店の人に怒られた。
    先にレジにて注文をし、料金を払い、レシートを受取る、これが整理券(商品引換券)になっている様だ。店員にその整理券を見せる。すると飲物などは同料金のものが多くあり、どれが欲しいかを冷蔵庫の中のものを指差し取り出して貰う。飲物はスイカジュースを貰う。
    それと焼き立てのカスタードタルトである。合わせて料金は、23HK$(約280円)である。因みに内訳は、スイカジュースが16HK$、カスタードタルトが7HK$である。
     
    それらを受取り、店外に出て、席の空いているテーブルを探すが見当たらない。少しの時間、席が開くのを待っていたが、テーブルが空く様子がない。
    見ると店際に店に向かってカウンターが造られており、そこが丁度2席空いている。
    満席のテーブルの間を通り抜け、その席に座る。やっと落ち着いて食べる事が出来る。
    スイカジュースはそのままスイカで、混ぜ物はない。しかし、期待していた程甘くない。カスタードタルトは焼き立てであり、非常に熱い。
    特に中央部分のカスタードが熱く、口の中を火傷しそうだ。火傷しない様にちびちびとかじる。
    カスタードは甘さを抑えた非常に上品な味で、これなら幾つでも好きな人は食べられるのではないかと思う。ここで、これだけ食べれば夕食までは持つだろう。
    2人とも食べ終わると、次の目的地の朝に訪れた時に教会内を見られなかった大堂(カテドラル)である。

  • <再度、大堂(カテドラル)と聖オーガスチン教会の見学へ><br />ここからまた、殷皇子大馬路の通りに戻り、この通りを北西に進む。<br />大堂街に入り、大堂を目指す。時刻は、15時30分頃である。<br />朝は入口に人が居たが、今は誰もいない。そのまま中に入る。<br />  <br />教会内には、既に多くの観光客がいる。教会内の壁は淡いグリーン色を基調として、ここも白い化粧漆喰で出来た柱が綺麗である。正面の祭壇には、十字架に磔にされたキリスト像が見える。<br />また、その後ろのステンドグラスも鮮やかである。左右の側面の壁にもステンドグラスを用いた窓が幾つも見える。左手の奥まった場所に別途祭壇が設けられ、ここに祀られているには、ステンドグラスのキリスト像で、このキリスト像も色鮮やかで、その美しさに目を奪われる。<br />  <br />これらを堪能し、この大堂を出る。<br />続いて、聖オーガスチン教会に向かう。大堂街を戻り、再び新馬路に出る。<br />そこからセナド広場に進む。セナド広場前に横断歩道を渡り、民政総署前に、そこから少し新馬路を戻り、龍嵩正街に続く坂道を上る。<br />

    <再度、大堂(カテドラル)と聖オーガスチン教会の見学へ>
    ここからまた、殷皇子大馬路の通りに戻り、この通りを北西に進む。
    大堂街に入り、大堂を目指す。時刻は、15時30分頃である。
    朝は入口に人が居たが、今は誰もいない。そのまま中に入る。
     
    教会内には、既に多くの観光客がいる。教会内の壁は淡いグリーン色を基調として、ここも白い化粧漆喰で出来た柱が綺麗である。正面の祭壇には、十字架に磔にされたキリスト像が見える。
    また、その後ろのステンドグラスも鮮やかである。左右の側面の壁にもステンドグラスを用いた窓が幾つも見える。左手の奥まった場所に別途祭壇が設けられ、ここに祀られているには、ステンドグラスのキリスト像で、このキリスト像も色鮮やかで、その美しさに目を奪われる。
     
    これらを堪能し、この大堂を出る。
    続いて、聖オーガスチン教会に向かう。大堂街を戻り、再び新馬路に出る。
    そこからセナド広場に進む。セナド広場前に横断歩道を渡り、民政総署前に、そこから少し新馬路を戻り、龍嵩正街に続く坂道を上る。

  • 坂を上り切ったところが、聖オーガスチン教会の下に行き着いた。<br />そこから更に教会への坂道を上る。この聖オーガスチン教会も、もう中を見学出来る。中にはいると、この教会内もクリーム色が基調に白い化粧漆喰で縁取りされており、非常に綺麗な壁である。<br />中央祭壇には、十字架を背負ったキリスト像が祀られている。また、祭壇に登る事が出来る。<br />  <br />その手前に法話の為の席が設けられている。側面にも多くの小祭壇があり、そこには磔のキリスト像や磔から降ろされたキリストを抱きかかえるマリア像も祀られている。<br />ここで、暫しの間、この綺麗な教会の中で休憩をする。時刻は、16時前である。<br />教会を出て、ここから時間もあるので、澳門の名所のひとつであるマカオタワーに行く事にした。<br />教会前の道で、タクシーを拾えるか不安であったが、ここでも運よく、この教会前で客を降ろすタクシーが現れた。客が降りたタクシーに乗り込み、マカオタワーへ。<br />タクシーは、新馬路に出て、その後、南灣大馬路に入り、何鴻楽博士大馬路を通り、西灣湖広場のロータリーを周り、マカオタワー入口に着く。<br />タクシー代は、16HK$(約195円)で、ここでも20HK$を出し、お釣はチップとした。<br />

    坂を上り切ったところが、聖オーガスチン教会の下に行き着いた。
    そこから更に教会への坂道を上る。この聖オーガスチン教会も、もう中を見学出来る。中にはいると、この教会内もクリーム色が基調に白い化粧漆喰で縁取りされており、非常に綺麗な壁である。
    中央祭壇には、十字架を背負ったキリスト像が祀られている。また、祭壇に登る事が出来る。
     
    その手前に法話の為の席が設けられている。側面にも多くの小祭壇があり、そこには磔のキリスト像や磔から降ろされたキリストを抱きかかえるマリア像も祀られている。
    ここで、暫しの間、この綺麗な教会の中で休憩をする。時刻は、16時前である。
    教会を出て、ここから時間もあるので、澳門の名所のひとつであるマカオタワーに行く事にした。
    教会前の道で、タクシーを拾えるか不安であったが、ここでも運よく、この教会前で客を降ろすタクシーが現れた。客が降りたタクシーに乗り込み、マカオタワーへ。
    タクシーは、新馬路に出て、その後、南灣大馬路に入り、何鴻楽博士大馬路を通り、西灣湖広場のロータリーを周り、マカオタワー入口に着く。
    タクシー代は、16HK$(約195円)で、ここでも20HK$を出し、お釣はチップとした。

  • <澳門のシンボル:マカオタワー><br />マカオタワーは、南灣湖の埋立地に立つ高さ338mの展望タワーである。<br />東京タワー(333m)よりも5m高い。タワーの中に入ると、このタワーには映画館などや展示ホールなどがある。ここの展望スペースはすべて有料で、58Fのメイン展望エリアに上るのには、90HK$(約1,100円)、更に上の59Fのレストランや60Fのカフェラウンジに入るには、もっと必要になる。<br />      <br />取り敢えず、入口正面のカウンターで展 望台行きの切符を購入する。<br />そして、地下2階の展望エレベーターに向かう。まずは入口横のエスカレーターで地下1階へ下りる。地下1階には、カフェや土産物屋などの店が並ぶ。<br />その奥に更に下へのエスカレーターがあり、それで地下2階へ進む。<br />地下2階は展示ホールとなっている。現在は写真展が催されている。それらを見ながら、展望エレベーター入口に向かう。<br />途中で、入口に向かう通路のところに大きなマカオタワーの絵が置かれ、その前で記念撮影を写真屋が撮ってくれるという。しかし、後で引き延ばしたものを売りつけられる可能性があると思い、2人とも断り、入口に進む。入口で切符を出し、エレベーターに案内される。<br />そして、エレベーターで58Fへ。さすがにこのエレベーターは速い。あっという間に58Fに到着した。エレベーターを出るとそこは、シースルーの窓で囲まれている。京都タワーに造りが似ているが、規模は比べ物にならない。<br />

    <澳門のシンボル:マカオタワー>
    マカオタワーは、南灣湖の埋立地に立つ高さ338mの展望タワーである。
    東京タワー(333m)よりも5m高い。タワーの中に入ると、このタワーには映画館などや展示ホールなどがある。ここの展望スペースはすべて有料で、58Fのメイン展望エリアに上るのには、90HK$(約1,100円)、更に上の59Fのレストランや60Fのカフェラウンジに入るには、もっと必要になる。
       
    取り敢えず、入口正面のカウンターで展 望台行きの切符を購入する。
    そして、地下2階の展望エレベーターに向かう。まずは入口横のエスカレーターで地下1階へ下りる。地下1階には、カフェや土産物屋などの店が並ぶ。
    その奥に更に下へのエスカレーターがあり、それで地下2階へ進む。
    地下2階は展示ホールとなっている。現在は写真展が催されている。それらを見ながら、展望エレベーター入口に向かう。
    途中で、入口に向かう通路のところに大きなマカオタワーの絵が置かれ、その前で記念撮影を写真屋が撮ってくれるという。しかし、後で引き延ばしたものを売りつけられる可能性があると思い、2人とも断り、入口に進む。入口で切符を出し、エレベーターに案内される。
    そして、エレベーターで58Fへ。さすがにこのエレベーターは速い。あっという間に58Fに到着した。エレベーターを出るとそこは、シースルーの窓で囲まれている。京都タワーに造りが似ているが、規模は比べ物にならない。

  • 窓際に進むとそこは床が一段低くなっており、座って外が眺められる様に椅子が設けてある。<br />その椅子に座り、そこからの景色を堪能する。非常に高い、澳門半島からその先の中国本土や珠江河岸一帯が一望である。更に見る方角を変えようと、展望階を回る。<br />

    窓際に進むとそこは床が一段低くなっており、座って外が眺められる様に椅子が設けてある。
    その椅子に座り、そこからの景色を堪能する。非常に高い、澳門半島からその先の中国本土や珠江河岸一帯が一望である。更に見る方角を変えようと、展望階を回る。

  • すると、一部床がシースルーになっているところがある。高所恐怖症の私にとっては、そこに行く事は出来なかった。他の中国人観光客の若者などは、そのシースルーの床の上で記念撮影なども行っている。冨田君も平気な様で、その床の上でそこからの景色を写真に撮っている。<br />私は結局、怖くて、その場所からの景色を冨田君に私のカメラで撮って貰う事となった。<br />  <br />更に展望階を回ると上からロープが垂れている一角が見える。<br />このマカオタワーではバンジージャンプが出来、これがそのロープである。冨田君が窓際に行き、上を見上げている。聞くと、丁度バンジージャンプを飛ぶ準備をしているという。<br />何時飛ぶのか判らないが、その瞬間をその場で待っている。相変わらず、冨田君は上を見上げている。するといきなり、上から人が降って来た。ほんの一瞬で目の前を通り過ぎた。<br />今度は、冨田君が熱心に下を見ている。あとで聞くと、バンジージャンプを終えた人は徐々に地上まで降ろされたという。<br />このバンジージャンプは、世界最高点からのジャンプとしてギネスブックにも登録されているという。また、冨田君がすぐ下にも人が立っていたという。これは、このタワーのもうひとつのアトラクションのスカイウォークXであろう。このスカイウォークXも地上223mのタワー外縁を1周するものである。もしかすると、バンジージャンプよりもこちらの方が怖いかも知れない。<br />更に展望階を回る。丁度、エレベーターと真反対側辺りで、タイパ島が一望できる。<br />タイパ島も最近になり、開発が進み、大きなビル群が聳え立っている。<br />また、眼下には、澳門半島からタイパ島に繋がる海上を走る2本の橋が見えている。マカオ・タイパ大橋と西灣大橋である。少し離れたところに、かすかにもう1本の橋が見えている。これが、最も東に架かる友誼大橋である。<br />この辺りにソファが置いてあり、そこで寛ぐ。冨田君は盛んに写真を撮っている。<br />  <br />そこで少し休憩を取った後、1周し、乗ってきたエレベーターで地下2階に戻る。<br />地下2階でエレベーターを出て、入口と反対側に設けられた出口を出る。その出口にやはり、先程の写真屋の写真が置かれている。しかし、普通サイズの写真はサービスの様で中国人の観光客は、各々自分の写っている写真をかってに取って帰っている。それなら撮って貰えば良かった、残念である。しかし、A5版の大きさのものは、紙の額に入り、220HK$(約2,680円)もする。澳門のものにしては非常に高い。<br />もと来た経路で、地下1階まで戻り、そこの土産物屋に入るも、土産物といっても中国オリジナルのキャラクターものなどが売られているだけで、マカオタワーに関するものではなかった。<br />諦めて1階に戻る。1階の入口付近に先程のバンジージャンプを行った有名人の写真と認定書が展示されている。日本人もNEWSの錦戸亮や俳優の松山ケンイチの名前が見える。また、中国のオリンピック選手などの写真もある。<br />入口横にはトイザラスがあり、レゴブロックで作ったマカオタワーが展示されている。この様なものを見ながら、1階を散策していると、ワゴンの土産物屋を発見した。<br />キーホルダーなどの小物を売っている。そこで冨田君が、キーホルダーになった漢字1字の印章を見つける。小指の先程の小さな石に1文字だけ漢字が彫られている。これを自分の土産にと購入する事にした。冨田君は名前の“克”の字のものを、私も名前の“和”の字のものを店のおばさんに探して貰い、購入した。価格は、20HK$(約245円)である。<br />これでマカオタワーを出る事にした。正面より出て、その前のタクシー乗り場に行く。<br />丁度、このマカオタワーに来た時は大勢の人達がタクシーを待っていたが、今はタクシーを待つ人もいない。直ぐに待機していたタクシーが我々の前に来る。このタクシーに乗り込み、ホテルに戻る。タクシーは、行きの何鴻楽博士大馬路を戻り、南灣大馬路に入り、殷皇子大馬路を通り、帰りは5分程度で、ホテルに到着した。<br />

    すると、一部床がシースルーになっているところがある。高所恐怖症の私にとっては、そこに行く事は出来なかった。他の中国人観光客の若者などは、そのシースルーの床の上で記念撮影なども行っている。冨田君も平気な様で、その床の上でそこからの景色を写真に撮っている。
    私は結局、怖くて、その場所からの景色を冨田君に私のカメラで撮って貰う事となった。
     
    更に展望階を回ると上からロープが垂れている一角が見える。
    このマカオタワーではバンジージャンプが出来、これがそのロープである。冨田君が窓際に行き、上を見上げている。聞くと、丁度バンジージャンプを飛ぶ準備をしているという。
    何時飛ぶのか判らないが、その瞬間をその場で待っている。相変わらず、冨田君は上を見上げている。するといきなり、上から人が降って来た。ほんの一瞬で目の前を通り過ぎた。
    今度は、冨田君が熱心に下を見ている。あとで聞くと、バンジージャンプを終えた人は徐々に地上まで降ろされたという。
    このバンジージャンプは、世界最高点からのジャンプとしてギネスブックにも登録されているという。また、冨田君がすぐ下にも人が立っていたという。これは、このタワーのもうひとつのアトラクションのスカイウォークXであろう。このスカイウォークXも地上223mのタワー外縁を1周するものである。もしかすると、バンジージャンプよりもこちらの方が怖いかも知れない。
    更に展望階を回る。丁度、エレベーターと真反対側辺りで、タイパ島が一望できる。
    タイパ島も最近になり、開発が進み、大きなビル群が聳え立っている。
    また、眼下には、澳門半島からタイパ島に繋がる海上を走る2本の橋が見えている。マカオ・タイパ大橋と西灣大橋である。少し離れたところに、かすかにもう1本の橋が見えている。これが、最も東に架かる友誼大橋である。
    この辺りにソファが置いてあり、そこで寛ぐ。冨田君は盛んに写真を撮っている。
     
    そこで少し休憩を取った後、1周し、乗ってきたエレベーターで地下2階に戻る。
    地下2階でエレベーターを出て、入口と反対側に設けられた出口を出る。その出口にやはり、先程の写真屋の写真が置かれている。しかし、普通サイズの写真はサービスの様で中国人の観光客は、各々自分の写っている写真をかってに取って帰っている。それなら撮って貰えば良かった、残念である。しかし、A5版の大きさのものは、紙の額に入り、220HK$(約2,680円)もする。澳門のものにしては非常に高い。
    もと来た経路で、地下1階まで戻り、そこの土産物屋に入るも、土産物といっても中国オリジナルのキャラクターものなどが売られているだけで、マカオタワーに関するものではなかった。
    諦めて1階に戻る。1階の入口付近に先程のバンジージャンプを行った有名人の写真と認定書が展示されている。日本人もNEWSの錦戸亮や俳優の松山ケンイチの名前が見える。また、中国のオリンピック選手などの写真もある。
    入口横にはトイザラスがあり、レゴブロックで作ったマカオタワーが展示されている。この様なものを見ながら、1階を散策していると、ワゴンの土産物屋を発見した。
    キーホルダーなどの小物を売っている。そこで冨田君が、キーホルダーになった漢字1字の印章を見つける。小指の先程の小さな石に1文字だけ漢字が彫られている。これを自分の土産にと購入する事にした。冨田君は名前の“克”の字のものを、私も名前の“和”の字のものを店のおばさんに探して貰い、購入した。価格は、20HK$(約245円)である。
    これでマカオタワーを出る事にした。正面より出て、その前のタクシー乗り場に行く。
    丁度、このマカオタワーに来た時は大勢の人達がタクシーを待っていたが、今はタクシーを待つ人もいない。直ぐに待機していたタクシーが我々の前に来る。このタクシーに乗り込み、ホテルに戻る。タクシーは、行きの何鴻楽博士大馬路を戻り、南灣大馬路に入り、殷皇子大馬路を通り、帰りは5分程度で、ホテルに到着した。

  • <ホテルでの休憩と土産物><br />時刻は、17時過ぎである。ホテル前には衛兵が立っている。<br />この衛兵は、このホテルに到着する宿泊客に大人気で、特に中国人の宿泊客はその隣で何枚も記念写真を撮っている。その様な中国人の合間に2人の衛兵を写真に収める。<br />部屋に戻り、また休憩である。冨田君が観光の途中でMAYUMIさんにお願いしていた土産物が既に部屋に届いている。万歩計を見ると、既に29,000歩近くになっている。<br />冨田君が届いた土産物を確かめている。見せて貰うとなかなか良い物である。<br />冨田君と今日の夕食の相談をする。15時頃にカスタードタルトを食べたので、あまりお腹も空いていない。それでも食べには行く事にした。<br />しかし、疲れているので、夕食はホテル内のレストランで済ます事にした。冨田君がこのホテル内のタイ式マッサージに行きたいという。丁度、初日にMAYUMIさんから貰ったクーポンに、ここのホテルのタイ式スパのものがあったので、これが予約出来れば行きたいという。<br />その為、再度MAYUMIさんに電話をするという。それなら、私も冨田君の土産物がほしくなり、もし電話するなら、今からでも土産物が購入可能か聞いて欲しいと頼む。<br />早々に、冨田君がその電話をかける。電話で冨田君がスパの予約が可能か聞く。これは店に予約を聞いて見なければ判らないらしく、折り返し電話をするという。<br />そこで、電話を変わって貰い、土産物の話を行う。問題なく用意可能との事で、冨田君がスパの予約が出来れば、その際に料金を支払う事で了解を得た。土産物は今晩届けられるという。<br />一旦、電話を切り、冨田君が電話を待つ。直ぐに電話があり、21時に予約が取れたと冨田君に伝えられる。<br />結局、今日の観光で、さしたる土産が買えなかったので、これで少しは土産物が出来た。<br />21時からの冨田君の予定も決まったので、再度夕食の話を始める。どこに食べに行くかを相談していたが、結局、このホテルの9Fにある潮州料理の“皇廷閣”に行く事にした。<br />19時頃に皇廷閣に行く事にし、それまでは休憩し、今日のお金の精算や荷物のまとめを行う。<br />その後、テレビなどを見て、時間を過ごしていたが、19時には少し早いが18時45分頃に部屋を出て、9Fに向かう。<br />

    <ホテルでの休憩と土産物>
    時刻は、17時過ぎである。ホテル前には衛兵が立っている。
    この衛兵は、このホテルに到着する宿泊客に大人気で、特に中国人の宿泊客はその隣で何枚も記念写真を撮っている。その様な中国人の合間に2人の衛兵を写真に収める。
    部屋に戻り、また休憩である。冨田君が観光の途中でMAYUMIさんにお願いしていた土産物が既に部屋に届いている。万歩計を見ると、既に29,000歩近くになっている。
    冨田君が届いた土産物を確かめている。見せて貰うとなかなか良い物である。
    冨田君と今日の夕食の相談をする。15時頃にカスタードタルトを食べたので、あまりお腹も空いていない。それでも食べには行く事にした。
    しかし、疲れているので、夕食はホテル内のレストランで済ます事にした。冨田君がこのホテル内のタイ式マッサージに行きたいという。丁度、初日にMAYUMIさんから貰ったクーポンに、ここのホテルのタイ式スパのものがあったので、これが予約出来れば行きたいという。
    その為、再度MAYUMIさんに電話をするという。それなら、私も冨田君の土産物がほしくなり、もし電話するなら、今からでも土産物が購入可能か聞いて欲しいと頼む。
    早々に、冨田君がその電話をかける。電話で冨田君がスパの予約が可能か聞く。これは店に予約を聞いて見なければ判らないらしく、折り返し電話をするという。
    そこで、電話を変わって貰い、土産物の話を行う。問題なく用意可能との事で、冨田君がスパの予約が出来れば、その際に料金を支払う事で了解を得た。土産物は今晩届けられるという。
    一旦、電話を切り、冨田君が電話を待つ。直ぐに電話があり、21時に予約が取れたと冨田君に伝えられる。
    結局、今日の観光で、さしたる土産が買えなかったので、これで少しは土産物が出来た。
    21時からの冨田君の予定も決まったので、再度夕食の話を始める。どこに食べに行くかを相談していたが、結局、このホテルの9Fにある潮州料理の“皇廷閣”に行く事にした。
    19時頃に皇廷閣に行く事にし、それまでは休憩し、今日のお金の精算や荷物のまとめを行う。
    その後、テレビなどを見て、時間を過ごしていたが、19時には少し早いが18時45分頃に部屋を出て、9Fに向かう。

  • <潮州料理の夕食:皇廷閣><br />まだ、夕食には時刻も早いせいか、客が疎らである。<br />我々は、半個室風の席に通され、メニューを出される。まず、ボーイが飲物を聞いてきたので、冨田君はいつもの麦酒(地麦酒の澳門麦酒)で、私はお茶を注文すると、烏龍茶かジャスミン茶かを聞かれ、烏龍茶を注文する。<br />そこからが大変であった。メニューが中国語と英語で、中国語ではさっぱり判らない。<br />また、英語もあまりにも簡単に書かれているので、どの様な素材で調理方法なのかが判るものが少ない。苦戦した挙句、英語から料理が想像出来るものだけを選び、注文する事にした。<br />注文したのは、以下の料理である。<br /> ①蟹肉入り小龍包(蟹肉小龍包)<br /> ②香草ソースかけ焼豚(隷泥白肉)<br /> ③海鮮スーラータンスープ(位酸辣海鮮洋羮)<br /> ④パリパリチキン(例化皮乳猪件)<br />まず、出てきたのは蟹肉入り小龍包。小龍包の下には薄くスライスされた人参が敷かれている。<br />    <br />  <br />その人参ごと、小龍包を取り、レンゲに乗せ様としたが、失敗、皮を破り、肉汁が皿の上に。<br />仕方なく、肉汁の少なくなった小龍包を食べる。これでも充分に皮に肉汁が染込んで美味しい。<br />2つ目は1つ目の様に失敗しない様に慎重に箸で小龍包を掴み、レンゲに持ってゆく。<br />今度は成功し、そのまま口に。口の中一杯に肉汁が広がる。やはりこれでないと小龍包は美味しくない。蟹肉入りとのメニューであったが、やはり蟹の味より肉汁の方が勝っている。<br />その後に焼豚が出てきた。メニューからのイメージと少し違ったが、なかなか美味しい。<br />焼豚の下に敷いてあるものが、何かが非常に気になった。蒟蒻をきしめん状にした様な食感のものである。これに似たものは良く中華料理で出るが、これ程平たいものは珍しい。<br />丁度、焼豚といっしょに食べると食感も含め楽しめる。それから、スーラータンスープとパリパリチキンが一緒に出てきた。<br />スーラータンスープは、私は飲み慣れていたので、非常に美味しく感じられたが、冨田君はこのスープが始めてと言うので、注文の際に酸っぱいスープであるが、大丈夫かを尋ね、大丈夫だという事なので注文したが、どうも予想以上に酸っぱく辛かった様で、閉口していた。<br />それなら無理に食べなくても良いと言ったが、何か意地になり、このスープを飲んでいた様に思える。私もこれも予想以上に辛かったので、少々残した。<br />パリパリチキンは、北京ダック風で、皮だけでなく、その下の肉の程よい味付けで非常に美味しい。<br />2人共にあまりお腹が空いていなかった事もあり、これだけで充分であった。<br />料理を食べ終わり、お茶を飲みながら、料理の寸評をし、またこの後の予定を相談する。<br />次の予定もほぼ決まり、会計をし、店を出る事にした。会計の為に店員を呼ぶ、会計だというと店員が訝しげな顔をする。あまりにも食べる量が少な過ぎるのか?それでも会計を行なって貰う。<br />料金は、2人で、317.9HK$(約3,880円)である。350HK$でおつりを貰い、チップとして40HK$を添えて返す。店を出て、15Fの部屋に戻る。<br />時刻は20時前である。冨田君は、21時からタイ式マッサージである。<br />私は、その間にこのホテルのカジノを覗く事にした。それまでの間、互いに明日の帰りの為に、荷物の整理と今日の出来事などを簡単にメモに記す。<br />冨田君はMAYUMIさんから受取った土産を開けて見ている。先に土産のひとつのランチョンマットを見せて貰ったが、それ以外のものもなかなか良いものである。<br />テレビを点けるも判る番組がある訳でもなく、BGM代わりである。<br />私は、今日廻った世界遺産などの順番などをまとめにかかる。あまりにも盛り沢山で、忘れてしまいそうだ。そうこうしていると20時45頃に部屋に電話が入る。MAYUMIさんからの電話で、今下のロビーに着いたという。富田君と一緒に1階のロビーに下りる。<br />フロント前でMAYUMIさんが待っていた。私が注文した土産物を持っている。まず冨田君がマッサージのクーポン券を受取る。そして、料金を支払う。そして、私も土産物を受取り、料金を支払う。土産物代は、370HK$(約4,500円)である。これを渡し、品物を受取る。<br />冨田君がマッサージについて話を聞いている。どうもサウナもこのクーポン券は使用が可能な様だ。<br />冨田君は更に詳細に内容を聞いている。2人で部屋に戻ったが、冨田君が少し早いが、マッサージに行くという。私はもう少し部屋にいる事にして、冨田君を見送る。<br />今日のまとめを21時過ぎ頃まで行い、私もこのホテルのカジノに行く事にした。<br />

    <潮州料理の夕食:皇廷閣>
    まだ、夕食には時刻も早いせいか、客が疎らである。
    我々は、半個室風の席に通され、メニューを出される。まず、ボーイが飲物を聞いてきたので、冨田君はいつもの麦酒(地麦酒の澳門麦酒)で、私はお茶を注文すると、烏龍茶かジャスミン茶かを聞かれ、烏龍茶を注文する。
    そこからが大変であった。メニューが中国語と英語で、中国語ではさっぱり判らない。
    また、英語もあまりにも簡単に書かれているので、どの様な素材で調理方法なのかが判るものが少ない。苦戦した挙句、英語から料理が想像出来るものだけを選び、注文する事にした。
    注文したのは、以下の料理である。
     ①蟹肉入り小龍包(蟹肉小龍包)
     ②香草ソースかけ焼豚(隷泥白肉)
     ③海鮮スーラータンスープ(位酸辣海鮮洋羮)
     ④パリパリチキン(例化皮乳猪件)
    まず、出てきたのは蟹肉入り小龍包。小龍包の下には薄くスライスされた人参が敷かれている。
     
     
    その人参ごと、小龍包を取り、レンゲに乗せ様としたが、失敗、皮を破り、肉汁が皿の上に。
    仕方なく、肉汁の少なくなった小龍包を食べる。これでも充分に皮に肉汁が染込んで美味しい。
    2つ目は1つ目の様に失敗しない様に慎重に箸で小龍包を掴み、レンゲに持ってゆく。
    今度は成功し、そのまま口に。口の中一杯に肉汁が広がる。やはりこれでないと小龍包は美味しくない。蟹肉入りとのメニューであったが、やはり蟹の味より肉汁の方が勝っている。
    その後に焼豚が出てきた。メニューからのイメージと少し違ったが、なかなか美味しい。
    焼豚の下に敷いてあるものが、何かが非常に気になった。蒟蒻をきしめん状にした様な食感のものである。これに似たものは良く中華料理で出るが、これ程平たいものは珍しい。
    丁度、焼豚といっしょに食べると食感も含め楽しめる。それから、スーラータンスープとパリパリチキンが一緒に出てきた。
    スーラータンスープは、私は飲み慣れていたので、非常に美味しく感じられたが、冨田君はこのスープが始めてと言うので、注文の際に酸っぱいスープであるが、大丈夫かを尋ね、大丈夫だという事なので注文したが、どうも予想以上に酸っぱく辛かった様で、閉口していた。
    それなら無理に食べなくても良いと言ったが、何か意地になり、このスープを飲んでいた様に思える。私もこれも予想以上に辛かったので、少々残した。
    パリパリチキンは、北京ダック風で、皮だけでなく、その下の肉の程よい味付けで非常に美味しい。
    2人共にあまりお腹が空いていなかった事もあり、これだけで充分であった。
    料理を食べ終わり、お茶を飲みながら、料理の寸評をし、またこの後の予定を相談する。
    次の予定もほぼ決まり、会計をし、店を出る事にした。会計の為に店員を呼ぶ、会計だというと店員が訝しげな顔をする。あまりにも食べる量が少な過ぎるのか?それでも会計を行なって貰う。
    料金は、2人で、317.9HK$(約3,880円)である。350HK$でおつりを貰い、チップとして40HK$を添えて返す。店を出て、15Fの部屋に戻る。
    時刻は20時前である。冨田君は、21時からタイ式マッサージである。
    私は、その間にこのホテルのカジノを覗く事にした。それまでの間、互いに明日の帰りの為に、荷物の整理と今日の出来事などを簡単にメモに記す。
    冨田君はMAYUMIさんから受取った土産を開けて見ている。先に土産のひとつのランチョンマットを見せて貰ったが、それ以外のものもなかなか良いものである。
    テレビを点けるも判る番組がある訳でもなく、BGM代わりである。
    私は、今日廻った世界遺産などの順番などをまとめにかかる。あまりにも盛り沢山で、忘れてしまいそうだ。そうこうしていると20時45頃に部屋に電話が入る。MAYUMIさんからの電話で、今下のロビーに着いたという。富田君と一緒に1階のロビーに下りる。
    フロント前でMAYUMIさんが待っていた。私が注文した土産物を持っている。まず冨田君がマッサージのクーポン券を受取る。そして、料金を支払う。そして、私も土産物を受取り、料金を支払う。土産物代は、370HK$(約4,500円)である。これを渡し、品物を受取る。
    冨田君がマッサージについて話を聞いている。どうもサウナもこのクーポン券は使用が可能な様だ。
    冨田君は更に詳細に内容を聞いている。2人で部屋に戻ったが、冨田君が少し早いが、マッサージに行くという。私はもう少し部屋にいる事にして、冨田君を見送る。
    今日のまとめを21時過ぎ頃まで行い、私もこのホテルのカジノに行く事にした。

  • <再度、リベンジのカジノ(ホテル内)><br />部屋を出て、エレベーターで1階に下りる。1階のロビー脇からエスカレーターで2階のカジノに。<br />  <br />昨日訪れたグランド・リスボアのカジノとは比べものにならないくらい小さなカジノである。<br />しかし、奥には、多くのスロットマシンが並ぶ。ここのカジノはどちらかというとスロットマシンがメインの様である。この階は、カードやダイスのテーブルがなく、すべてマシンものである。<br />3階がテーブルゲームのメイン階の様だ。3階へのエスカレーターの前には、体格の良いホテルマンが入口に立っている。<br />空港での金属探知機の様なゲートを潜り、エスカレーターで3階に行く。<br />やはり、この階がこのカジノのメインフロアである。しかし、人は疎らである。この時間にこの程度では然程流行ってはいないのか?<br />テーブルで行なわれているゲームはグランド・リスボアと同じである、当然か。<br />再度、2階に戻り、先日と同様にマシン相手に500HK$を元手に運試しを行なう。<br />今日は、ルーレットにする。昨日は大小で呆気なく負けたので、今日はこれに賭ける。<br />このマシンには、私を含め、3人が座っている。1人は日本人らしき人。もう1人は、中国人か?最初は順調に勝ちが上回り、徐々に元手が増える。開始から20分程度が経過した頃から、今度は徐々に負けが込み出し、元手が減り始める。この様なゲームは負けが込み出すと速く、あっと言う間に200HK$を切るまで元手がなくなる。ここまでで始めて30分しか経たない。<br />ここから粘り込み、勝ったり、負けたりを繰り返し、1時間が経過する。一時は元手を500HK$近くまで戻したが、一瞬であった。結局は、1時間半程で、すべて磨ってしまった。<br />昨夜と続き連敗である。難しくはないが、やはり運である。時刻はもう11時前である。<br /><br />仕方なく、部屋に戻る。部屋に戻ると既に冨田君はシャワーまで浴び終えている。<br />聞くと、サウナには結局入れなかったという。最初は、サウナに入れる様にバスローブやタオルなどを受取ったが、マッサージを行う段階で、回収され、結局マッサージのみで、要領が判らず、終わってしまったそうだ。その為、10時過ぎには部屋に戻ったらしい。<br />私もカジノでまた負けたが、結構遊べた事を話す。もう時間も遅いので、私も簡単にシャワーを浴び、明日の帰り支度にかかる。<br />明日はロビーの集合時間が9時半であるので、朝には殆ど何も出来ないと考えておいた方が良い。<br />荷物などの整理をしながら、明日の朝食をどうするかを話合うも、互いに良い案が出ない。<br />今日の行けなかった宋記豆腐麺店に行こうかと話合ったが、今日の様に時間が読めないとまずいので、諦める事にした。<br />良い案がないまま、明日の朝に行き当たりばったりになるかも知れないが7時過ぎ頃から出てみて、空いている店を探す事にし、寝る事にした。<br />私は、カジノへ行く前に行なっていた今日の世界遺産の訪問順などのまとめを引き続き行なう為に、もう少し起きている事にした。結局、床についたのは0時半過ぎとなった。<br /><br />今回はここまで! 明日は帰国。

    <再度、リベンジのカジノ(ホテル内)>
    部屋を出て、エレベーターで1階に下りる。1階のロビー脇からエスカレーターで2階のカジノに。
     
    昨日訪れたグランド・リスボアのカジノとは比べものにならないくらい小さなカジノである。
    しかし、奥には、多くのスロットマシンが並ぶ。ここのカジノはどちらかというとスロットマシンがメインの様である。この階は、カードやダイスのテーブルがなく、すべてマシンものである。
    3階がテーブルゲームのメイン階の様だ。3階へのエスカレーターの前には、体格の良いホテルマンが入口に立っている。
    空港での金属探知機の様なゲートを潜り、エスカレーターで3階に行く。
    やはり、この階がこのカジノのメインフロアである。しかし、人は疎らである。この時間にこの程度では然程流行ってはいないのか?
    テーブルで行なわれているゲームはグランド・リスボアと同じである、当然か。
    再度、2階に戻り、先日と同様にマシン相手に500HK$を元手に運試しを行なう。
    今日は、ルーレットにする。昨日は大小で呆気なく負けたので、今日はこれに賭ける。
    このマシンには、私を含め、3人が座っている。1人は日本人らしき人。もう1人は、中国人か?最初は順調に勝ちが上回り、徐々に元手が増える。開始から20分程度が経過した頃から、今度は徐々に負けが込み出し、元手が減り始める。この様なゲームは負けが込み出すと速く、あっと言う間に200HK$を切るまで元手がなくなる。ここまでで始めて30分しか経たない。
    ここから粘り込み、勝ったり、負けたりを繰り返し、1時間が経過する。一時は元手を500HK$近くまで戻したが、一瞬であった。結局は、1時間半程で、すべて磨ってしまった。
    昨夜と続き連敗である。難しくはないが、やはり運である。時刻はもう11時前である。

    仕方なく、部屋に戻る。部屋に戻ると既に冨田君はシャワーまで浴び終えている。
    聞くと、サウナには結局入れなかったという。最初は、サウナに入れる様にバスローブやタオルなどを受取ったが、マッサージを行う段階で、回収され、結局マッサージのみで、要領が判らず、終わってしまったそうだ。その為、10時過ぎには部屋に戻ったらしい。
    私もカジノでまた負けたが、結構遊べた事を話す。もう時間も遅いので、私も簡単にシャワーを浴び、明日の帰り支度にかかる。
    明日はロビーの集合時間が9時半であるので、朝には殆ど何も出来ないと考えておいた方が良い。
    荷物などの整理をしながら、明日の朝食をどうするかを話合うも、互いに良い案が出ない。
    今日の行けなかった宋記豆腐麺店に行こうかと話合ったが、今日の様に時間が読めないとまずいので、諦める事にした。
    良い案がないまま、明日の朝に行き当たりばったりになるかも知れないが7時過ぎ頃から出てみて、空いている店を探す事にし、寝る事にした。
    私は、カジノへ行く前に行なっていた今日の世界遺産の訪問順などのまとめを引き続き行なう為に、もう少し起きている事にした。結局、床についたのは0時半過ぎとなった。

    今回はここまで! 明日は帰国。

6いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

マカオで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
マカオ最安 135円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

マカオの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP