2019/03/23 - 2019/04/04
148位(同エリア200件中)
urufeeさん
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2019年春の18切符は、羽田から北九州空港へマイル特典で飛んで小倉からスタートしました。北九州のナイトクルーズと、四日市のナイトクルーズをメインにしましたが、どちらも毎日運航しているわけではなく、だいぶ悩んだ末に下記にて行ってきました。
3月23日 羽田10:15発で北九州へ。夕方、北九州ナイトクルーズへ。
3月24日 通常切符でスペースワールド駅へ行き、環境ミュージアム等を見学。
3月25日 午前中宗像大社を見学後、防府へ移動。
3月26日 ホテルの無料貸自転車で防府市内見学。
3月27日 防府→倉敷へ移動。倉敷到着後ホテルチェックインして、しげい病院内の昆虫博物館へ。
3月28日 通常切符で総社駅へ移動し、レンタサイクル借りて鬼ノ城、国分寺を見学。
3月29日 倉敷美観地区などを徒歩観光。
3月30日 倉敷→四日市へ移動。四日市ナイトクルーズへ。
3月31日 環境未来館など徒歩観光。
4月 1日 四日市→村井。いつもの健康ランドでノンビリと。
4月 4日 村井→帰宅。
写真は防府天満宮です。ここが日本で最初に創建された天満宮とのことです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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北九州空港へは12時到着なので、小倉のホテルに荷物だけ預かって貰い森鴎外旧居へ。
ここは鴎外が明治32年に軍医部長として赴任した時、一年半を過ごした場所です。 -
そしてホテルに戻ってシャワーを済ませ、北九州ナイトクルーズ乗船に門司港駅へ移動してきました。
前回来た時は改装工事中だった門司港駅もスッカリ綺麗になってました。 -
遠くに関門海峡大橋も見えます。できればこの橋歩いて渡りたいのですが、現在徒歩だと眺望全く無しの海底トンネルだけで残念。
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ナイトクルーズ船です。上に出れますが、3月下旬だとまだ少し寒い感じでした。
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下関側の海峡ゆめタワーを見ながらクルーズスタート。
北九州側の夜景も何枚か撮影したのですが、ほとんどピンボケ。残念。 -
3月24日は通常切符で、スペースワールド駅へ来ました。
駅前に有ったスペースシャトルも完全に撤去され、スペースワールド自体も閉園していますが、駅名だけはそのままです。 -
まずは”いのちのたび博物館”から見学。
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恐竜の骨格模型や化石などが展示されてます。
”命の旅”との関係はよく分かりませんが、アポロ12号が持ち帰った月の石も展示されてます。 -
北九州といえば深刻な公害が起きた都市ですから、隣に建つ”環境ミュージアム”で公害の勉強。
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死の海と化した1960年代の洞海湾の写真。凄い色です。
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海水汚染だけではなく、大気汚染も深刻だったんですね。名前だけは夢の有るような”七色の煙”です。
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都市開発に伴う緑の減少として、クアラルンプールの航空写真が展示されてました。2005年では我が家は未だ建築前ですが、場所的には含まれています。
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環境ミュージアムを出て、北九州イノベーションギャラリーを目指します。
奥に見えているのは東田第一高炉。 -
環境ミュージアムの前から”46億年地球の道”というのが、東田第一高炉まで繋がっています。
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ここら辺が巨大隕石が衝突した40億年前頃の地球ということみたいです。
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そして歩道橋を渡って、東田第一高炉へ。現在は公園として無料公開されています。
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歩道橋を渡っても46億年地球への道が続いています。8億年前は全球凍結したみたいです。
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東田第一高炉では、人形も使って高炉から銑鉄が出てくる様子も。
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現在の高炉は更に大型なのでしょうが、まじかで見るとその巨大なシステムに驚きました。
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これは第一高炉で実際に使われていた熱風管。高温の熱風が通るので内側は耐火煉瓦の壁になってます。
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写真暗くて分からないでしょうが、”明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業”として世界遺産登録になった一つに、”官営八幡製鐵所旧本事務所”が有ります。現在も日本製鉄の私有地で近くまでは行けません。展望台に有る撮影場所からの写真がこれです。
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3月25日は小倉から防府へ移動する日ですが、午前中に宗像大社へ寄ってみました。
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本殿の周りには22の社殿に121の末社が祀られいます。
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これが本殿。1557年の焼失後、1578年に宗像氏貞が再建したのだそうです。
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こちらが沖の島と並び最も神聖な場所とされる祭場。
勿論、柵で囲われこれより内部に入ることはできません。 -
宗像神社は天照大神から生まれた3女神が祀られていて、沖ノ島は長女神。大島が次女神。で、右側に長女二の宮、左側が次女三の宮が祀られているとの事。という事で、末娘の三女が一の宮という事かもしれませんが、正直言って頭混乱してよく分かりません。
それより不思議だったのは、女神をまつる神社ですが沖ノ島は女人禁制なんです。一般男性も入島できませんが、3女神もたまには同性を交えて井戸端会議で楽しく語らいたかったのではと思うのは私だけ?
宗像神社を後にして、ホテルで荷物受け取ってから防府へ移動しました。防府到着は18時近くでした。 -
3月26日は、ホテルに無料貸自転車が置いて有ったので、早速自転車借りて防府天満宮へ来ました。
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防府天満宮。ナカナカ立派です。
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こちらが本殿。
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こちらは境内にある春風楼。
萩藩主10代の毛利斎熙が五重の塔の建築を始めましたが、諸事情で途中断念。
でも、 -
その五重塔の一層部分の軒下をそのまま転用したとかで、床下にこのような立派な建造物として残っています。
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そして舞台上の欄干には、こんな立派な彫刻も残されています。
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防府は左遷された菅原道真が九州へ向かう途中立ち寄られた場所。道真の死後の翌年に全国で初めて創建された天満宮です。
この碑の”扶桑”は日本のこと。”菅廟”が道真のご神霊を祀る御社という事で、「日本で最初に創建された天満宮」との意味です。 -
防府天満宮を出て、防府国分寺へやってきました。
この仁王門は、1417年に焼失したのを、毛利輝元が1596年に再建。その後、1767年に毛利重就が大改築、1956年には解体修理が行われたらしいですが、ナカナカ立派な山門でした。 -
奈良時代の創建当初の場所に、毛利重就により1779年に再建された金堂です。
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防府国分寺の格式の証明となる筋塀。
皇室に由来する格式を3,4,5本線で表すらしいのですが、この5本線が最高格式との事です。 -
明治維新後に毛利家の本邸として建てられた毛利邸。現在は毛利博物館として公開されています。
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内部の様子。
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大正天皇、昭和天皇が泊まられた部屋。
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広い庭園から毛利邸を眺めました。
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毛利博物館から三田尻御舟倉跡へ向かう途中に有る、菅原道真上陸の地。
現在はかなり内陸部になっていますが、当時はこの辺が海岸線だったんですね。 -
そして三田尻御舟倉跡に到着。
ここも海岸線から遠く離れてしまいましたが、昔はここから参勤交代で海路大阪へ移動したみたいです。 -
三田尻御茶屋旧構・英雲荘。
参勤交代の時萩を出発した後の宿泊や、迎賓館として使われました。
ここでは無料ガイドの説明を聞くことができました。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」が決定した時、当然ロケ地になると予想して、かなり手入れをしたのだそうです。でも結局ロケは行われなかったとガイドの方はガッカリされてました。
この後ホテルへ戻り、翌日は倉敷へ移動します。倉敷から先は別の旅行記にまとめましたので、宜しければそちらもご覧ください。
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