2021/10/13 - 2021/10/13
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mom Kさん
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葉室麟氏を思いながら小倉市内を歩いていたら、「長崎街道」に出会った。
そこはお城周りの大通りから1本入った小路で、短い通りだった。
・・・長崎街道かあ。
駅のインフォメーション棚で発見!
レトロパンフレットもよくできています。
翌朝出かけてみました。
しっくい壁にこの床面。気分は、早や宿場。
自動改札機の無粋さが目立つ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
-
このパンフレットに出会えたから。
―木屋瀬には、江戸時代の町屋を残す
市内で最も古い町並みがあります。
かつて、ここは長崎と上方を結ぶ
往還の途中にある宿場町でした。ー -
今回の旅では、JR九州の列車内に感動することしきり。
まず、床も木製の車両が多いこと。
1時間に2本程度の各駅停車の支線であっても、この座席。
なんだか異国の雰囲気は、歴史的なことも
反映されてるのかな。 -
にわか仕込みの情報頼りに着いてみれば、立派な駅舎だが、無人。
最寄りJR駅名を何度も確かめたが、・・・。
「木屋瀬宿」の看板もない。タクシーもない。お店もない。駅前感ゼロ。
降りたのは私だけ。 -
歩いて20分とだけはわかっていた。夏の終わりの日差し。てくてく。
道路工事の人たちに見つめられている感。
大きな遠賀川を越えていると街並みが近づいてきた。堤が高い。
渡り終えると下り。
ここでした。ほっ。 -
「船庄屋」初めて知る言葉
-
普通にお暮しのおうち。今はお商売をされていなくても
お玄関を開け放し、千客万来の心意気。
郵便受けも年季の入った木製。 -
棟続きの正門は、とじられたまま。
今は何人お住まいなのだろうか。
(あとで80代ご夫婦お二人だけと知る) -
ここは拝見できそうです。
-
引き戸でなく、外す玄関戸。
木製シャッターのような形状。柱も外せます。
間口を広く、荷物の出入りをしやすい工夫。 -
市のボランティア女性が、一枚ずつ抜いて実演してくださいます。
-
当主が東京に住まいを替えてから、何家族もの貸家として使用されていたそうで。
-
玄関を入ったところの天井は、高く、2階の半分か。
洪水でよく水が着いた土地柄。 -
このひもで天窓開閉明かり取り。
鞆の浦の商家と屋内の位置も形状も全く同じ。 -
裏庭から二階の船底天井を見上げられる。
ここから川までがかつての敷地で
自前の荷揚げ港を所有。
現在は、道路とよその所有地。 -
大店とはいえ、全体から質素につつましく暮らしていた雰囲気がうかがえる。
富を誇る感じがないところが、逆に余裕のある暮らしを感じさせる。
(ボ女性)「坂本竜馬もこの木屋瀬に泊まったと言い伝えがあるんですが、
どこかがわからなくて・・。」と心底残念そう。
彼はここでも人気ですか。 -
「こちらをぜひ見てください。」と、
私の時間があるかとたずね、導いてくださったのは、これ。 -
角に来ると、雨戸がからくりのように、移動。
-
次のコーナーでもくるり。
(左下の上に出ている金具がポイント) -
するすると八枚が戸袋に。
写真を撮る間もなくの手際と説明。
もう一度再現お願いしてみました。 -
全ての畳にヘリがないので、それで質素に見えたのかなあと思っていた。
ボ女性「畳のヘリもないでしょ。商人ですから、質素に見えるようにしたのです。
ここから『へりくだる』という言い方が生まれたそうですよ。」
存じませんでした。はあ。 -
特産物のない土地であり、物資の流通のみで成り立っていた宿場町。
道幅の広さが、往時の物と人の行き来の多さを彷彿。
ボ女性「長崎から上洛する象も通ったんですよ。」
1頭は、死に、ここは1頭だけの通過と付け加えもお忘れなく、
見たように話されるのは、時間の長さを持つ歴史に培われた町びとならでは。 -
宿場記念館の前でL字に街道は曲がる。小倉市中に残っていた長崎街道の道幅は、
この半分ほどでした。
現役のおうちが多く、映画村まがいにはなっていない。
正午現在、郵便屋さんが通ったきり。 -
鐡道建設の際、宿場内を通すのに船頭さんたちの反対にあい、
現在のJR「筑前植木」駅に。
そこから歩いてきたと言うと、「帰りは、筑豊電鉄で黒崎に出なさい。」と
教えてくれました。
終点「黒崎」。小倉へ帰途、何の趣もない暑い道をJR駅まで戻ることなく、おかげさまで六宿の起点も訪れることができました。
伊馬春部生家案内ボランティアさん、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2021/10/18 06:17:33
- 木屋瀬宿
- mom Kazukoさん おはようございます。
出だしから、なんか期待が持てそうな予感、どんなところを案内してくれるのかな?
> かつて、ここは長崎と上方を結ぶ
往還の途中にある宿場町でした。ー
往還、家の前の道を子供の私たちも「おうかん」と呼んでいました、
歴史的な呼称を使っていた最後の子供です。
電車の座席のデザイン、他に類をみません、外国でも。筑前植木駅、駅舎も趣がありますね。
木屋瀬宿 歩いて20分、歩くしか方法がないのも期待感が高まります。
現に人が住んでいる家、歴史的建造物、観光用ではない家々、本物ですねー。
独特の工夫を凝らした作りの民家、どれも素晴らしい、街全体の写真、ゾクゾクするような感動。
ヘリのある畳は備後表などと呼んでいたイグサ製、ヘリのないのは琉球表と呼んでいた
丈夫で庶民の家の畳、柔道場などでは丈夫な琉球表をつかっていました。昔は紋べりなどお寺にしか使われてませんでしたね。・・・・見て来たような・・・
そう、子供のころから見ていました、実家が畳屋なので・・・
へりくだるの語源、ほんとかなぁー。
pedaru
- mom Kさん からの返信 2021/10/18 07:12:04
- 本人以上に
- pedaruさん、今回の旅、写真なしとあきらめていたのですが、ここだけはとスマホで。だから不手際撮影ばかりで自分では不作日記と。なのにこのように見てくださる方がいたのですね。しかもそれを伝えてくださってありがたいです。うれしいです。
ご実家が畳屋さん!!!!!子供のころ2軒先が畳屋さん。毎日学校から帰っては、行き、眺め続けていました。念願かなって、隠居部屋を琉球表に別注したのが、7年前。「へりくだる」は、そのとき私もほんの少し?と思いました、なぜか。
不便もいいものです。この旅は、これも現地情報で長府にも行きました。最寄りJR「長府」に降り立ったものの、何の標識もない、のっぺらぼうな駅前。駅舎も?の上、どの方向に歩いていいやらもわかりませんでした。しかし、たどり着いた長府毛利氏最後の藩主屋敷は、なかなか見ごたえありました。これも豪華という意味でなく、彼の考えや生き方が見えるしつらえで、自分の居室より「奥様の部屋」の方が広く、景色がよいだけでなく、ほかにも彼自身に興味を覚える建築でした。終わって、お抹茶をお願いしました。もちろん、私一人の見学者。「奥方」気分に浸れたのは、受付の30代?女性に、お点前の心得のある接待をしていただいたから。帰りは、町のお餅屋さんで芋羊羹を買い、駅までのバス停を教えてもらい、スムーズにもどれました。来年は、山口、毛利氏で攻めてみようと決心しました。
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