2015/11/16 - 2015/11/16
349位(同エリア2862件中)
ottoさん
この旅行記のスケジュール
2015/11/16
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淀屋橋経由、京阪3条で降りてランチ
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徒歩での移動
川沿いに徒歩で京都国立近代美術館へ
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京都国立近代美術館にてホイッスラー展を鑑賞
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美術館のカフェで一服する。
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平安神宮参拝
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電車での移動
バスでJR京都駅に出てJR新大阪に戻る
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この旅行記スケジュールを元に
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)は、アメリカのボストン近郊ローウェルに生まれ。
パリの印象派の画家たちと交流をもちつつロンドンを拠点に活躍しました、19世紀後半を代表する画家・版画家です。
1858年、ホイッスラーの良き友人となったアンリ・ファンタン=ラトゥールやアルフォンス・ルグロと「三人会」を結成するほか、この頃の写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベとの親交や、ルーヴル美術館でおこなったディエゴ・ベラスケスの模写は、画家の絵画様式の形成に多大な影響を与えた
1860年ロンドンにアトリエを構え、その後、同地とパリの往来を重ねながら精力的に活動をおこなうものの、ホイッスラー特有の小粋で洗練された感性はしばしば批評家らの標的となり、批評家ラスキンとの訴訟沙汰を始めとした新聞・出版社らとの悶着も多かったと伝えられます。
またホイッスラーはラファエル前派や万博を契機として欧米にブームを巻き起こした日本の美術・工芸品(特に広重や北斎などの)浮世絵版画から大きなインスピレーションを得、中国の陶磁器などの東洋趣味に強い興味を示し、自身の絵画のモティーフにもそれらが取り入れられているほか独自の画風を確立したことで、ジャポニスムの先駆的芸術家としても世界的に知られています。
当時は批評家らからしばしば辛辣な批評を受けたものの、現在ではアメリカ出身の画家の中で最も高く評価される孤高の画家のひとりとして広く認知されています。
1886年、英国美術家協会会長に任命され同国の画壇の中心的な存在となり、イギリスの絵画芸術に多大な影響を与えたが、ホイッスラーの活躍が英国内における印象派の受け入れが遅れた要因のひとつであるとの指摘もあります。。なお1870年にロンドンを訪れたクロード・モネはホイッスラーの作品に強い感銘を受けていました。1903年、ロンドンで死去。享年69歳。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10時ごろ家を出たので新大阪経由、淀屋橋から京阪3条に出て
「あしかり」でランチを楽しみました。 -
天ざるうどんを頂きました。
からりと揚がって中々のお味でしたよ。 -
地下鉄東山駅から七条橋を渡り 川沿いに三条まで歩くことにしました
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木々は晩秋の気配を纏い
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川の流れに影を落としていました。
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古美術の店やレトロな街並みが魅了的です。
在日外国人の母娘が細い道を自転車ですれ違いました。 -
京都国際近代美術館は市立美術館と向かい合う形で岡崎公園にあります。
平安神宮の大鳥居が目印で京都駅から市バスでも来られますしアクセスは多様です。
会期
2014年9月13日(土)~ 11月16日(日)
開館時間
午前9時30分 ~ 午後5時(入館は午後4時30分まで)
※9月20日(土)・21日(日)は午後8時まで開館
(入館はいずれも午後7時30分まで) -
ツワブキが花を散らしています。
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チラシをゲットしました。 本展覧会ではまず、パリ時代にギュスターヴ・クールベの作品と出会うことでレアリスム(写実主義)から出発したホイッスラーが、唯美主義の画家として独自のスタイルを確立していくさまを、彼が主に手がけた二つのモティーフ、第一章の人物画と第二章の風景画でご紹介します。そして最後に、彼の画風展開における最も重要な契機であるジャポニスムが、どのような輝かしい成果へと結実したかを第三章でご覧いただきます。
「本展は、印象主義時代に活躍したアメリカ出身の画家のアメリカ・イギリス・フランスから、ホイッスラーの油彩画・水彩画そして版画の代表作約130点を集めて開催される、国内では約30年ぶりとなる大回顧展です。ホイッスラーに影響を与えた浮世絵などの参考作品・資料をも含む本展で、19世紀後半の欧米画壇を席巻した巨匠の輝きを、是非ご覧下さい。」とあります。 -
ホイッスラーの自画像
右手に細い絵筆を握っています。
■ ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラー
ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーは1834年、マサチューセッツ州ローウェルに鉄道技師の資格を持つ(芸術の愛好者でもある)軍人の父と敬虔なクリスチャンであった母との間に生まれ、裕福な家庭のもとで音楽・絵画など芸術に触れながら青年時代を過ごす。その後、父の仕事の都合でロシアのサンクト・ペテルブルグに住み、1851年からウェスト・ポイント陸軍士官学校に籍を置くも3年後には退学、1855年からは渡仏し帝立デザイン学校で本格的に絵画を学び、さらに翌年シャルル・グレールの画塾に入る
主にロンドンで活動し、調和を重んじる同系色による色彩表現や、幾度も試行錯誤を繰り返し完成させる洗練された妥協なき画面構成による肖像画や風景画で、時代を先行していた印象主義とは一線を画す独自の絵画表現を確立。当時は批評家らからしばしば辛辣な批評を受けたものの、現在ではアメリカ出身の画家の中で最も高く評価される孤高の画家のひとりとして広く認知されている。」と紹介されています。 -
ホイッスラーは、当時主流であった歴史や教訓を伝達するメディアとしての絵画を否定し、絵画そのものの表現力、つまり絵画における純粋な視覚的効果を追求しました。
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上の少女とは描き方に違いがありますね。
眼差しの強さに特徴があります。
幾度も試行錯誤を繰り返し完成させる洗練された妥協なき画面構成による肖像画や風景画で、時代を先行していた印象主義とは一線を画す独自の絵画表現を確立。 -
着物や衝立など、ジャポニズムの影響をうかがわせます。
黄色を多用してインパクトを出しています。
かかきき
■ ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラー
「ホイッスラーはラファエル前派や日本の(特に広重や北斎などの)浮世絵版画、中国の陶磁器などの東洋趣味に強い興味を示し、自身の絵画のモティーフにもそれらが取り入れられているほか、作品の題名に抽象的な名称や、「シンフォニー」、「アレンジメント」、「ハーモニー」、「ノクターン」など音楽用語を多用しているのも大きな特徴である。1886年、英国美術家協会会長に任命され同国の画壇の中心的な存在となり、イギリスの絵画芸術に多大な影響を与えたが、ホイッスラーの活躍が英国内における印象派の受け入れが遅れた要因のひとつであるとの指摘もある。なお1870年にロンドンを訪れたクロード・モネはホイッスラーの作品に強い感銘を受けている。1903年、ロンドンで死去。享年69歳。 」 -
この絵も着物、背景などに東洋趣味が見られます。
紫とバラ色:6つのマークのランゲ・ライゼン》は、画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラーによって制作された作品。制作年は1864年から1864年で、フィラデルフィア美術館に所蔵されている。
中国の陶磁器店をイメージして描いた作品であり、ホイッスラーの東洋美術への関心が良く表れています。はランゲ・ライゼンはオランダ語で「長い女性」を意味し、中国の磁器で細身の女性が描かれているものをこう呼びました。絵の中で女性が膝の上に置いている壺がそれです。「6つのマーク」は壺の底にあるマークを指しています。ここに描かれているアジアの調度品の多くはホイッスラーが自ら所有していたものです。 -
彼は「芸術のための芸術」を目指す、いわば唯美主義の主導者として、彼は画面における色や形の調和に主眼をおいた作品を産み出し、同時代の芸術家たちに広く影響を与えました。
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調和を重んじる同系色による色彩表現で
少女の無垢の美しさがよく出ていると思います。 -
手に持っている団扇、足元の花の枝、棚の花瓶が和風です。
優しい女性の立ち姿にアクセントとなっています。 -
白レースで統一されている衣装とヘヤースタイルがいい雰囲気。
足元の熊の毛皮がスマートな女性の立ち姿を際立たせているようです。 -
肖像画の椅子に腰掛けた横向きのポーズが 特徴的。
幾度も試行錯誤を繰り返し完成させる洗練された妥協なき画面構成による肖像画や風景画で、時代を先行していた印象主義とは一線を画す独自の絵画表現を確立しました。 -
《灰色と黒のアレンジメント No. 2:
トーマス・カーライルの肖像》
1872-73年 グラスゴー美術館 -
《ノクターン:青と金色―
オールド・バターシー・ブリッジ》
1872-75年 テート美術館
©Tate, London
作品の題名に抽象的な名称や、「シンフォニー」、「アレンジメント」、「ハーモニー」、「ノクターン」など音楽用語を多用しているのも大きな特徴です。 -
青と銀のノクターン:ヴェネツィアの潟》は、画家のジェームズ・マクニール・ホイッスラーによって制作された作品。制作年は1879年から1880年で、ボストン美術館に所画家人物像
James Abbott McNeill Whistler
1834-1903 | アメリカ | 印象派・耽美主義
画業後年での半濃淡の色彩を用いた静謐で神秘的な風景表現は後の象徴主義者らから高い評価を得ました。ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラーは1834年、マサチューセッツ州ローウェルに鉄道技師の資格を持つ(芸術の愛好者でもある)軍人の父と敬虔なクリスチャンであった母との間に生まれ、裕福な家庭のもとで音楽・絵画など芸術に触れながら青年時代を過ごす。その後、父の仕事の都合でロシアのサンクト・ペテルブルグに住み、1851年からウェスト・ポイント陸軍士官学校に籍を置くも3年後には退学、1855年からは渡仏し帝立デザイン学校で本格的に絵画を学び、さらに翌年シャルル・グレールの画塾に入る。 -
灰色と銀のノクターン
いわば唯美主義の主導者として、彼は画面における色かいや形の調和に主眼をおいた作品を産み出し、同時代の芸術家たちに広く影響を与えました。そして作品制作における自らの信念を、彼は、作品タイトルに「シンフォニー」や「アレンジメント」といった音楽用語を付すことで明らかにしようとしました。 -
■ ジェームズ=アボット=マクニール・ホイッスラー
James Abbott McNeill Whistler
1834-1903 | アメリカ | 印象派・耽美主義
白っぽい色調が港の朝の風景を柔らかくしています。
1858年、ホイッスラーの良き友人となったアンリ・ファンタン=ラトゥールやアルフォンス・ルグロと「三人会」を結成するほか、この頃の写実主義の巨匠ギュスターヴ・クールベとの親交や、ルーヴル美術館でおこなったディエゴ・ベラスケスの模写は、画家の絵画様式の形成に多大な影響を与えました。1860年ロンドンにアトリエを構え、その後、同地とパリの往来を重ねながら精力的に活動をおこなうものの、ホイッスラー特有の小粋で洗練された感性はしばしば批評家らの標的となり、批評家ラスキンとの訴訟沙汰を始めとした新聞・出版社らとの悶着も多かったようです。また画業後年での半濃淡の色彩を用いた静謐で神秘的な風景表現は後の象徴主義者らから高い評価を得ました。 -
感情を終え美術館のカフェテラスの席に着きました。
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秋の風情とアイスクリームを楽しみました。
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川はよく手入れされていて情緒あり静かです。
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向こうは東山方面ですね。
三条通から北へと続く、平安神宮の表参道にあたる道が「神宮通」。
この通りが琵琶湖疏水と交差する慶流橋(けいりゅうばし)を渡れば、目の前には
応天門は平安京朝堂院の應天門(おうてんもん)を模した二層の楼門で、丹塗り(にぬり、丹=赤や朱に塗られたもの)が華麗に映える京都市指定の建造物。 -
平安神宮の慶流橋を渡り切ります。
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朱色も鮮やかな大鳥居(おおとりい)がそびえ立ちます。
日本最大級、24.2mもの高さを誇るこの鳥居越しには、平安神宮正面の門である応天門 (おうてんもん)までを一直線に見渡せます。
大門を路線バスが潜っていきます。
これに乗ってJR京都駅まで帰ります。 -
桜の季節がいいようですが、立派な門構えです。
門の上方には「應天門」と書かれた額が掛けられています。 -
かつて平安京の應天門に掲げられていた額は弘法大師の手によるものといわれていますが、弘法大師は額が掲げられてから「應」の字の点を一つ書き忘れたことに気づき、筆を投げて点を書き加えたと伝えられています。
諺の「弘法も筆のあやまり」は、この言い伝えに基づくとされています。
古都の秋を満喫した一日でした。
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