2016/05/15 - 2016/05/15
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう3年以上(書き始めは2年だった!)経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火) マドリッド(セゴビア)
5月11日(水) マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金) マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ★ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル)
1700発のビルバオ行きのバスに乗り込み、さらに北を目指します。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ブルゴスからビルバオに向かうバスの車窓で有名な看板「みっけ!」
アンダルシアだけかと思ったら、北部にもあったんですねえ。タイミングが合わず、変な角度になってしまいましたが、とりあえず間に合ったと自己満足。1988年以来、法令により広告が規制され、今は社名を表示することはできないのだそうですよ。それでも広告を出す、広告料を払う価値がありますよね。この牛! -
ブルゴスから1時間45分。最後はちょっと渋滞にはまったけれど、無事にビルバオ到着です。バスターミナルの辺り、人が大勢いて、町全体が盛り上がっているように見えましたが、今日は土曜日、写真中央にでーんと建つサッカースタジアムサン・マメスで試合がある日だったんです。
バスターミナルからホテルに向かう道路はものすごい混雑。歩いてもそう遠くはない距離だったのですが、途中で右往左往していた私をホテルイルニオンまで導いて下さったビルバオ在住の女性の方 その節はありがとうございました。スタジアム周辺は、試合前の異様な興奮状態で、大勢のサポーターたちに取り囲まれた状態だったので、彼女なしではどうしてよいか分からなかったと思います。 -
ようやくたどり着いたホテルイルニオン。サンマメス・スタジアムから普通だったら5分位ですが、この日は30分近くかかったような気がします。でもここまでくれば平穏な世界でした。
寝心地良さそうなベッドと・・・ -
PCが置ける広いテーブルが気に入りました。ここに4泊して、バスクを徘徊します。
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嬉しいことにバスタブ付き。今日はゆっくり温まるとしましょう。ビルバオの町は熱気ムンムンだったけれど、気温は低いままでしたからね。
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と言うわけで、極楽極楽で目覚めたあくる日は日曜日。相変わらず曇天ですが、昨日のブルゴスよりは少し暖かい気がします。日程的にビルバオを見れるのは今日しかありません。
スペインに来てから(実質的には)最初の安息日だけれど、まっいいか! 早速出かけちゃいましょう! おとなしくなんて柄に合わないことは止めい!
写真はサビーノアラナ通りの先にある「キリストの聖心広場」にあるキリスト像です。高さが40mもあるので目立ちますね。 -
今日はまずこのサン・マメス駅から地下鉄に乗ってお出かけ。ホテルからこの駅までは2,3分しかかからないのでとても便利でした。
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ビルバオの地下鉄は現在建築中のものを合わせると5路線ありますが、2016年当時開通していた路線は途中まで一緒に走って、サン・マメスの先でネルビオン川の右岸と左岸に分かれる、丁度Yの字のような形の、ライン1と2です。今回私が目指すのはライン1のAreetaという駅です。
駅の入口で1日券を購入するのに手間取り、またまた傍にいた女性に助けてもらいました。毎日毎日厄介をおかけして済みませんね!
日曜日のせいか、電車の本数は少なく、15分位待ったように思います。 -
地下鉄は1995年に開通したそうですが、車両は新しいステンレス製でピッカピカでした。
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15分程でAreeta駅到着。さてはて、これからどういったらよいのかしら?
バスクではバスク語とスペイン語の二つの言葉が並んで表示されています。スペインから別の国に来たみたいです。バスク語はWikipediaによると、「現存するどの言語とも系統関係が立証されていない孤立した言語」だそうで、文法上もラテン語との類似点は見当たりません。
単語にT、K、Xが大変多く含まれるバスク語はまるで分らないので、まだわかる方の言葉を探します。
Puente Bizkaia ビスカヤ橋は←の方向ですって! -
駅から橋までの道順はかなり複雑と聞いていましたが、何のことはない1直線。でも看板や方向指示板は、上の写真のもの以外、ほとんど見当たりませんでした。まあ、それで十分でしたけれどね。
帰り道が分からなくなると困ると思って、道の向こうに見えた教会Parroquia Nuestra Señora de las Mercedesの鐘楼を撮った1枚です。 -
駅から歩いて10分程であっけないほど簡単に着いちゃいました。ビスカヤ橋。作られたのは1894年と言いますから、もう120歳を過ぎた世界で最もお年寄りの運搬橋です。
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橋の反対側ポルトゥガレテ地区に行くための橋なので、ポルトゥガレテ橋とよばれることもあるそうです。
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左端に白いゴンドラの姿が見えています。この人と車を同時に運べるゴンドラを吊り下げるというアイディアは、一体どこから生まれたのでしょう?
かつて鉄鋼業で栄えていたビルバオにとっては、ネルビオン川を行きかう運搬船の航行を妨げることのなく、手前のヘトクソ地区とポルトゥガレテ地区を結ぶ橋を作る必要がありました。船が十分に通れる高さの橋にすると、その上を車が通行するためには両側に長いスロープのある道が必須ですが、ここでは橋脚部分の周りに十分な土地が確保できませんでした。
そこで考え出されたのが、人300人と車6台を一時に運べるゴンドラを吊り下げた画期的な橋です。
ビスカヤ橋は、産業革命期の顕著な建築学上の鉄構造物とみなされ(Wikipediaによる)、2006年に世界遺産になっています。 -
川幅は160m、橋の高さは45mだそうですよ。橋の真下に立って見ていたら、ゴンドラが動き出したので、いつもの下手な動画を撮りました。よろしければご覧ください。
https://youtu.be/QSzVfUeaQ_Q -
今は大型船舶の航行もなく、この日は日曜日だったせいか、ボートの練習に励む人達が多く見られました。風が渡る川の上 気持ち良さそう~♪
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さて、私も乗ろうっと! 片道0.4ユーロでした。安!
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ビスカヤ橋120周年 遺産と進歩 と書かれていました。2013年に120周年を迎えたんですね。
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人が乗る部分は左右両側にあるこちらのスペース。300人運べると書かれていたので、ここに混雑時なら150人まで乗れるんですね。
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中央の部分には、ご覧の通り車が続々と入ってきます。
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自転車やバイクのお兄さんも車と車の間に止まります。人は自動販売機で切符を買いますが、車やバイクはイエローベストのおじさんが回って料金徴収中。
動き出して1分もしないうちに着いちゃいました。160mですからね。 -
ポルトゥガレテ地区の橋の真向かいにある広場はその名も吊り橋広場 プラサ・コルガンテ。
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反対側の景色も楽しんじゃいます。先ほど写真に撮った教会の鐘楼がにょきっと顔を出していますね。この先後1kmも行けば海に出るようです。
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では少しポルトゥガレテ地区を散策しましょうか。ご覧のように、すぐに坂道が始まります。Portugaleteと言う単語がポルトガル Portugalに似ているので、何か関係があるのかなと思ったのですが、Ugaleteという地名に港を表わすPortoがついただけなんですって。な~んだぁ・・・
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色々な建築様式が混在するこちらの建物にはペンション サンタマリアと書いてありました。ポルトゥガレテ地区は川岸から直ぐに旧市街が始まっていました。
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坂道を上って行った先にあったのは、Andra Maria basilika サンタ・マリア大聖堂です。ゴシックとローカルの折衷様式で、この地を治めていたビスカヤ伯マリア・ディアス・イ・デ・アロの命により、1322年に建造されました。
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鐘楼がそのままファサードになっている面白い造りですねえ。その後ろに続く教会の本体は分厚いバットレスで補強されていました。
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教会前にあったのは、1476年にこの地で亡くなった歴史家のロペ・ガルシア・デ・サラザールの像です。この地を治めたビスカヤ家の年代記など、多数の著作を残しています。彼と彼の家族の墓は、大聖堂の中にあったようですが、どうやら撮るの忘れたみたい。
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日曜日だけれど、中に入れるかしら? 折角なので覗いて行こうっと。
鐘楼は1691年から1750年の間にバロック様式で建てられましたが、19世紀に起こったスペインの王位継承権をめぐる,教会,貴族の絶対主義的反動派のカルリスタス (フェルナンド7世亡き後のイサベルとその弟カルロスの間に起こった王位継承に伴う内乱。バスク地方を中心にカルロス主義=カルロス支持派による反乱が続いた ) と,地主、ブルジョアの自由主義的勢力との間の内乱、いわゆるカルリスタ戦争で破壊され、1887年にリメイクされたものだそうです。 -
今まで見たことのない造りに少し興奮。鐘楼の奥にこんな入口がありましたよ。扉の上のニッチェには、中世の雰囲気漂う聖母子の姿が!
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カウンターファサードから主祭壇を眺めます。ミサはもう終わったのか、それともこれからなのか、聖堂内に殆ど人がいなかったので拍子抜け。
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聖アントニオ礼拝堂には、イスパノ・フランドル風のキリスト像がありました。1490年~1500年頃の作とされています。実はこちら、スペイン内戦 (1936年~39年)の際に奇跡的に焼失を免れた像だそうですよ。
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木の質感がとても良い、無原罪の御宿りの礼拝堂にあった祭壇は古そうに見えましたが、なんと20世紀に入ってからネオゴシック様式で作られたものだそうです。
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主祭壇は、フランスロレーヌ地方出身のファン・ボーグラン(右側)、ファン・デ・アヤラ(中央と左側)らの合作で、高さのある重厚な仕上がりでした。16世紀中ごろの制作です。
ニッチェの中に、先ほど入口の扉上で見たのと同じ聖母子像が鎮座していました。この14世紀の聖母子に捧げられたバシリカなのですね。ここだけがゴシック期製で動きに乏しく、その上にある躍動感あふれるルネサンス期の受胎告知、聖母被昇天とは好対照でした。 -
主祭壇傍にあった、こちらの赤いオブジェは何でしょう? 蜜蜂の巣のような、連続した六角体の中で光がうごめいていました。
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東方三博士の礼拝堂の祭壇(右)は、主祭壇をこしらえたファンとその兄弟ギオ・ボーグランの制作。主祭壇と同じ16世紀中ごろのルネサンス様式です。
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こちらが最後の写真、カウンターファサードを撮った1枚です。美しいオルガンはフランス製で、1903年の作。
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北側にもう一つあった福音の扉は閉じられていました。まぐさにはsacrosancta basílica paroecialis と書かれていました。これはバスク語でもスペイン語でもないですねえ。ラテン語で「聖なる教区教会」と言う意味でした。
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小高い大聖堂前の広場からもう一度ビスカヤ橋を眺めましょう。ちょい遠いかなあ・・・
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イチオシ
望遠でズームして・・・
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白いゴンドラが川面に黒い影を落としながら進む様がたまりませんね。このゴンドラ24時間営業ですって。エレベータで橋げたのあるところまで上って、高さ45mの空中散歩をすることも可能で、こちらは10:00~20:00までやっていますよ。
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そろそろ戻りましょう っと前を見たら、いらっしゃいましたよ。バスクのベレー帽被った方が!
テレビ番組でバスクの町によって形も色も被り方も異なると言っているのを聞いたことがあるのだけれど、ビルバオは、いやポルトゥガレテは黒なのかしら? -
その後もベレー帽被っている人何回か見かけましたが、やはり年配の方が断然多かった気がします。季節にもよるのでしょうが、日本で着物着て歩いている人を見かけるのと同じ位、少なかったです。
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なだらかな坂道を下りたところでパン屋さん発見! 日曜日なのに営業しているのはありがたい限り と言うわけで早速いくつか購入しました。Alaiaren Ogiaと言う名のこのパン屋さん、安くて美味しかった!
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あっという間に橋のたもとに戻って来てしまいました。
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ほら! 橋げたに上がるエレベータです。何人か乗っていますね。
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でも私は迷わず、これで帰る選択をしましたよ。高所恐怖症ではありませんが、この時は歩いてみたいという気持ちには全くなれませんでした。
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あの真ん中を歩いて160m渡るのはやはり私には無理無理!
しかしながら鉄の造形は大層美しい。落ち着いた色合いが青空に映えます。ビスカヤ橋しかり、エッフェル塔しかり、町の景観を損ないません。今のスカイツリーはオフホワイトのシックなイメージだけれど、昔、東京タワーの色って何とかならないのかしら? っていつも思っていました。 -
ヘトクソの町のまさに橋のたもとにあるプエンテ・コルガンテ広場には、ゴンドラを吊るすためのドライビングホイールが展示されていました。
毎日24時間営業なんですけれど、ホイールやワイヤーの点検いつやるのかしら? -
広場から、来るときから気になっていたParroquia Nuestra Señora de las Mercedes ラス・メルセデスの聖母教会に立ち寄ってみました。
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扉をそぉっと開くと、聞こえてきたのは神父さんの声・・・
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果たして、日曜日のミサの真っ最中でした。1864年に建てられた比較的新しい教会で、スペイン内戦の時に焼失し、戦後に建て直されたものです。
いきなり主祭壇の壁画に圧倒されました! 一体何人の人が描かれているのかしら?
中央付近にいらっしゃるのがラス・メルセデスの聖母子でしょうね。キュビスムの絵のようにも見える、モダンで印象深い主祭壇を忘れないために、1枚だけ写真を撮らせてもらいました。ごめんなさいね。 -
1947年に再建された教会は、内部だけでなく、外観もなかなかのものでしたよ。16世紀から17世紀にかけてのマニエリスムの影響を感じさせるクラシカルな雰囲気とアラブ風な幾何学模様、そしてこのファサードとはそぐわないように見える中央ドームと高くそびえる鐘楼。
ワクワク感一杯の建造物ですねえ・・・♪ -
ヘトクソの町でもう一つ気になった素敵な建物がこちら。
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アンドレス・イサシ公立音楽学校です。ネオバロック様式とでも呼ぶのかしら? 塔のように見せかけた左右の部分の屋上の装飾、中央部分の壁のスグラッフィート、暗くて分かりにくいですが、左サイドに続く瀟洒な出窓。地味ながら精一杯自己主張をしているように思いましたよ。
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さあてと、アレータの駅まで無事戻ってきたので、お次はビルバオの旧市街へとまいりましょう。メトロの駅で言うと、Casco Viejo カスコ・ヴィエホ駅が旧市街のど真ん中だと聞いていたので、この時は楽勝だと思っていたのですが・・・
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20分程メトロに乗って、Casco Viejo駅から出てきたのがこんな階段のある狭い広場。今日も人が一杯! のビルバオです。
ええっ~! ここってどこだぁ? -
地図を見ても、ここがどこなのか分かりません。広場中を歩いても広場の名前が書いてありません。頼りになるスマホはこの時持っていませんでした。
手掛かりになりそうなのは階段の途中に建つ、ARKEOLOGI MUSEOA? どうやらこれは考古学博物館と読めそうな建物。でも、私の持っているビルバオの地図にはこの建物載っていないんです。おやまあ!! -
ここはどこ? わたしはだ~れ? と誰かに尋ねる方法もあったのですが、まあ、何とかなるさ! と直ぐ居直る自分に逆らわず、階段を上ってみます。
メトロに乗ればホテルのあるサン・マムスにだってすぐに帰れるんだから。別に迷ってもいいじゃない。旧市街は迷うところヨ!
何故? 階段を上る?
それは、丘の上に行けば、ええと、その、自分のいるところが分かるだろうと思ったから。 -
立派な階段沿いの住宅は、錬鉄製の出窓があるのが特徴。バスクの旗に使われている色である赤、緑が多いのは気のせいかしら?
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わぉ~ この階段どこまで続くんだろう・・・
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突如として現れたこのトスカーナ風の門は「マローナの凱旋門」。1828年~30年にかけて、マローナ墓地の玄関として造られました。墓地は1902年に別の場所に移ったため、現在は公園となっています。
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階段がしんどくなったので、その横のスロープを歩きます。まだまだ道は上に伸びていますよ。見下ろそうにも周りの景色がこれじゃ全く見えませんね。上に行けば何とかなるって、そりゃあ甘かったねえ。
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マローナ墓地ではなかったような記憶ですが、少しだけ墓地が残っていましたよ。
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ちょっと寂しい・・・
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打ちひしがれる美女あり・・・
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で、ようやく何か見えてきました。流石にこちらの建物は地図に載っていました。
ベゴニャ聖母聖堂。またまた一風変わった建物ですよ。ビスカヤ地方の守護聖人であるベゴニャの聖母に捧げられたバシリカで、ゴシックを礎として様々な様式が合わさったように見えます。古い簡素な教会の上に1511年に建築を開始しましたが、完成までに1世紀を費やしています。
木が邪魔して全容が伺えません。もう少し近づいてみようかな。 -
あらら、近づいたら、かえって全貌が見えなくなってしまいました。
場所変えても無理そうなので諦めて、この写真で説明しちゃいましょう。とても目立つ時計塔は過去に二度、崩壊しています。先ほど訪れたヘトクソの教会でも大きな被害の出たカルリスタ戦争は、イザベラ2世とその弟ドン・カルロスの間の王位継承権を巡る争いなのですが、1833年~1876年まで長々と続き、この間にビルバオの主だった建造物はことごとく破壊されてしまうのです。
現在の時計塔は、建築家ホセ・マリア・バステラによる20世紀になってからの建造で、中には全部で24もの鐘が収められています。 -
入り口部分は、ポルトゥガレテのサンタ・マリア大聖堂に似ています。いずれも丸いアーチで、左右に二本ずつの円柱が立ち、中央に聖母像という配置もそっくりです。この部分だけはゴシックではないことが明らかですね。
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中に入ってみたら、まだミサの最中でした。と言うわけで一旦退散。
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お腹が空いたので、教会前のお店に入って一休み。ここで初めて、ピンチョスにありついたのでした。
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こちらはスペイン全土で見かけるBocadillos de tortilla フランスパンに分厚いポテト入りオムレツが挟んであります。
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まずはこちらのピンチョスを頬張ります。酒のつまみにも良いけれど、ランチにももってこいです。2つ・・・いや3つくらいは行けちゃいますよ。
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で、改めて向かったベゴニャ教会。先ほど人で溢れかえっていた堂内は、しーんとしていました。教会内部は三廊式。後陣は多角形をしています。身廊と側廊の間には太い円柱が10本。リブヴォールトで覆われた円天井は17世紀のオリジナルだそうです。
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余りに静まり返っていたので、今日は、入ってすぐに主祭壇まで一直線で歩いてしまいました。
こちらがベゴニャの聖母、正確には聖母子です。1903年に教皇ピウス10世により、正式にビスカヤの守護聖人と宣言されました。毎年10月11日が彼女の祝日。沢山の衣装をお持ちのようで、ネットで調べたら、この衣装ではありませんでした。
彼女は海の守り神でもあり、航海から帰って来る船乗りは、ビルバオを流れるネルビオン川をさかのぼり町に近づく際に最初にベゴニャ教会が見える場所で、航海の無事を感謝して一斉に敬礼をするのだそうです。その場所はLa Salveラ・サルべ(敬礼)と呼ばれているんですって。 -
意外にも礼拝堂らしきものは見当たりませんでした。
壁にはあまり有名な画家の物はありませんが、たくさんの聖母に纏わる絵が飾られていました。こちらは聖家族かな。
右側の絵では、ヨセフ(キリストの養父)の大工仕事ぶりを見ることが出来ます。 -
リブヴォールトが装飾として見ても美しいですね。
絵は羊飼いの礼拝。解説が下にあったことをたった今発見! -
左側は「ヨセフのうたた寝」。眠っている間に天使がやって来て、ヘロデ王が幼子キリストを殺そうと乳幼児を虐殺していると警告し、エジプトに逃げるように命じます。
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マリアとヨセフの子育て奮闘記は珍しいかもしれませんね。お手伝いに天使達が沢山いるのは楽ちんだね!
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ベゴニャの聖母の戴冠式を執り行った儀式(1900年9月8日)の進行状況がよくわかる絵がありました。バスク人画家Jose de Echenagusiaの作品。
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礼拝堂がない珍しい聖堂と言うのが一番の感想。しかしミサの様子を垣間見て、今でも人々に愛されていることが実感できました。今では船乗りも鉄鋼業に携わる人も少なくなったでしょうが、聖母を愛する気持ちは不滅のようです。ベゴニャの聖母は、ビルバオだけでなく、スペイン各地、ベネズエラなどでも守護聖人になっています。
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どこかの家の紋章? けもの2頭に城? 手前は流れる川と橋でしょうか?
調べてみたらこれはビルバオ市の紋章だそうです。サン・アントン教会と、ネルビオン川に架かるビルバオの古い最初の橋(20世紀の初めに新しい橋に置き換えられました)を表しているんですって。 橋を渡る2人のオオカミは、ビルバオの創設者であるドン・ディエゴ・ロペス・デ・アロを表しています。ロペスという姓はラテン語の「ループス」(オオカミ)に由来するんだそうですよ。 -
ベゴニャ聖母聖堂からの帰り道、マローラ公園の小さなサッカー場越しにビルバオの町が見えるところがありました。
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で、見つけちゃいました。エレベータ。帰りは下り道だから楽なんでしょうけれど、私の場合は足に問題があって下りの方が苦手。
早速乗り込みますよ。どこに着くのかも知らずにね・・・ -
白い葉っぱが綺麗!
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イチオシ
ズームすると花びらのようにも見える柔らかで丸い葉の近くに地味な花が咲いているのが見えました。かすかな光に映えて、風にそよぐと本当に美しい!
なぜこんなところにいるのかですって? 実は先ほどのエレベータ、メトロに直結していて、列車に乗る以外に選択の余地ががなかったんです。1日券を購入しているので、まあ仕方がない、一駅乗って歩いてまた旧市街に戻ろうとしている最中。トホホ 良い寄り道が出来ましたよ な~んちゃって!
今度は地図をしっかり見て、どこを歩いているのかを確認しながら歩きましょう。 -
一駅戻ったAbando駅はrenfeのビルバオ駅に接続していて、駅前通りを東に進むとすぐにこのネルビオン川を渡ります。旧市街はネルビオン川の東岸に位置しています。今度は迷わないぞ!
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見えてきたのは、アリアガ劇場。ネオクラシック様式で作られたオペラハウスで1890年の開場。
惜しいなあ・・・ファサードの部分が今修復中のようです。この劇場が旧市街Casco Viejoの入口に当たります。 -
そして、こちらがサン・ニコラス教会。同名の広場に面していて、アリアガ劇場とは向き合うように建っていました。
元々は郊外の漁師町にあった教会がこちらに移ってバロック様式で再建されたのが1756年のこと。建物はやや歪な長方形をしていて、中央に八角形のドームを抱き、ファサードは時計台と左右の二本の塔で構成されています。 -
この教会、前述の三度起こったカルリスタ戦争の際には軍事倉庫として使用され、教会としての機能していなかったとのこと。
表の扉は閉まっていたので、脇に廻ってみましょう。 -
両サイドはポルティコ付きの側廊になっていました。興味深い建築ですね。バスクに入ってからというもの教会のスタイルが今までとは異なっていて、見飽きることがありません。
中に入りたかったのですが、どうやら入口はファサードにあるものだけのようでした。がっくし・・・内部はバロックとロココと聞いたので、見ないで正解だったかもしれませんけれどね。 -
出窓が見事に並んだ旧市街独特の狭い道を進んで、多分どこかでアーチをくぐったのだろうと思いますが、記憶がありません・・・
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突然、こんな開けた空間に出ました。
Plaza Berria 新広場と言う名前で、スペインらしい趣に満ちた広場でした。1821年に作られた広場で、四方を取り囲む建物には、1890年に新しい建物に移るまではビスケー州政府が入っていました。現在はバスクの王立アカデミーの建物となっています。 -
アーチのある回廊部分には、沢山のレストランやバルが軒を連ねていました。
毎週日曜日、中央の広場には、古書、コイン、切手、鳥や花などの市が立つそうですよ。 -
次にやってきたのはJoan Santuen eliza 聖人教会です。17世紀の創建。典型的なバロック様式で、本場イタリアでもよく見られるタイプですね。
イエスズ会の教会でしたが、1767年のイエスズ会追放後は、ビルバオ市議会が建物を買いあげ、サン・アンドレス学校を設立、公庫用の教会となりました。回廊はオスピタルとして使用され、歴史的建造物として市の指定を受けています。 -
でも閉まっていたので素通り。
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ここから先は出窓オンパレード。オリジナルではなくて、リフォームで出窓にした感がありますね。いつ頃流行したのか、調べてみたいと思いつつ、実行できていません。
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おお~ ようやく見つけましたよ。ビルバオ大聖堂の個性的な後陣!
出っ張った後陣の外側に、更に小屋がへばりついていますよ。右側の落書きだらけのシャッターの上には時計屋。左の空色の店には「アイスクリーム」と書かれています。今日は日曜日で休みなので、現在も営業している店かどうか分からないけれど、こんなのは初めて見ましたよ。 -
さて、入口はどちら周りが近いだろうか? 右に行くか左に行くか・・・これがかなりの確率で外れるんです。この時もそうでした。実はアイスクリームやさん側に入口があったのですが、逆方向に行ってしまいました。
でもそのおかげで、こんなに美しい扉を見ることが出来ましたよ。わお~! -
回廊に繋がっている「天使の扉」です。回廊には大天使サン・ミゲル(ミカエル)の祭壇があるので、この名がつきました。
作られたのは16世紀の最初の年で、20世紀末に完全に復元されています。ティンパヌムのレリーフの模様が変わっていますね。バスク十字と訳されている「ラウブル」に触発されたものと言われていますが、とても心惹かれました。
よくよく見ると、アーチボルトの上に小さなホタテガイが見えています。そのため、この扉「巡礼者の扉」と呼ばれることもあるんですって。 -
ぐるりと回って、ようやくビルバオ大聖堂のファサードに到着しました。大聖堂は14世紀の最後の四半世紀から16世紀にかけてゴシックで建造されたものですが、ファサードと今見える塔については19世紀にネオゴシック様式で再建されています。
この大聖堂は使徒のサンティアゴ 聖ヤコブに捧げられています。また、ブルゴスを通る巡礼道とは異なる、海岸沿いの巡礼道「北の道」沿いにあるので、巡礼者も大勢やってきます。 -
ファサード前広場の噴水は 、1785年に、地方行政官(コレヒドール)のホセ・コロン・デ・ラレアテギが作らせたもの。1915年に復元されましたが、今は水も出ておらず、放置されているのか、石にかなりの傷みがあるのが見て取れます。
-
こちらが正面。以前のファサードはバロック様式だったようですが、内部に合わせて、ネオゴシックが採用されました。
正面の扉も美しいですね。もう少し近寄ってみましょう。 -
イチオシ
唐草模様を挟んだ4本の細身のアーチヴォルトがすっきりとした外観を形成しています。尖った先に装飾があるのはバスク風?? 左右に立っているのはペドロ(ピエトロ)とパブロ(パオロ)のお二人。とても静かで控えめな感じです。
でもでも、まさか大聖堂、閉まっているの? 日曜日と祝日は10:00から13:30までですって! が~ん! -
結局大聖堂の周りを一周して、南側にある三角形をしたポルティコの中にもう一つ扉を見つけましたが、やはり閉まっていました。がっくし _| ̄|○・・・
暫し茫然・・・ しかし、よくよく見るとこの扉もとても美しいわ。アーチヴォルトが独特の形をしています。しかも尖っていない! そして一番外側には天蓋の下に座る預言者、王、司教らの姿が16人もいらっしゃいましたよ。
3つの素晴らしい扉が見れただけでも良しとすべきか・・・と直ぐに気を取り直したところに、他の観光客から耳よりの情報を入手!。今日は夕方18:00から大聖堂でミサがあるんですって! ということは、入れるのね! やったぁ・・・ -
現在時刻は15時を回ったところ。一回ホテルに戻って少し休もうかしら? スペインやイタリアにはシエスタで、教会が長い昼休みを取るところが多いため、市内に宿を取っていると、こういう時は便利なのよね。
でもその前に、先ほどベゴニャ聖母聖堂で見たビルバオの紋章に描かれていたサン・アントン教会に行ってみましょう。ネルビオン川河岸にあるんだから、こちらで良いかな。
早速見えましたよ! 教会の手前にあるモダンな建物が、リベラ市場。ヨーロッパで最大面積を誇る屋根のある市場なんですって! -
通りの反対側、今私がいる側には、ご覧のようなポルティコが伸びています。そしてポルティコとは直角に大聖堂の方に伸びている小道が7本あって、それらをまとめて「ビルバオの旧市街或いは7つの道」と呼んでいるそうです。町の最も古いエリアということですね。
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ポルティコの天井画が面白かったですよ。
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長すぎて2枚になってしまった!
ここはアルコス・デ・リベラと呼ばれている17世紀から存在する古いアーケードでしたが、5人のバスク・アーティストが天井をすっかり異空間に変えてしまいました。こちらは、Roberto Zalbideaの「Kixmiの伝説」。 -
そして「昨日と今日のビルバオフィルハーモニー管弦楽団」を描いたのはÁngelCañadaです。
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こちらがサン・アントン教会。またまた、ファサード付近が変わっていますよ! 建物本体から斜めに突き出しているように見えます。今気が付きましたが、右奥に、紋章にもえがかれていた同名の橋が見えています。この辺りがLa salveですね。
いやな予感が的中して、ここも閉まっているのが遠くからでもわかりました。ビルバオでは日曜日の午後は教会巡りには適さないようです。 -
元々はここには商品倉庫、または魚市場が建っていましたが、1433年にサン・アントン(大アントニウス)に捧げられた教会が創建されました。16世紀には主要な柱廊がルネサンス様式で作られ、その後もバロック、ネオゴシックで礼拝堂、補助柱廊、聖具室等が追加されました。川の畔にあることから、洪水の被害にもたびたび会っています。
ビルバオは1983年に壊滅的な洪水が起こり、アリアガ劇場、大聖堂などに大きな被害が出ましたが、最も深刻な被害を被ったのはこのサン・アントン教会だと言われています。この時内部の調度品の多くが流され、ドアや扉は引き裂かれました。 -
斜めに突き出しているファサードのポルティコは、ゴシックでもルネサンスでもない、典型的なロマネスクのアーチとなっていましたが、その中にあるメイン扉のアーチは、カーブが緩やかな別の種類のアーチとなっている所に注目してしまいました。これは15世紀末の建造だそうです。アーチには、プット達(小さな天使)の頭のレリーフが沢山並んでいて、これについてはルネサンス風に見えますね。
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扉の左右には、手の込んだレリーフのあるコリント式の2本の柱の間のニッチェに、かなり傷んだ彫像が立っていました。多分聖ペドロと聖パウロ。右側のパウロの像は多分洪水で頭部が壊れたのでしょう。二人の上にはホタテガイがあって、その上にはさらに天使達がリースを携えていて、真ん中にはメダリオンがありました。
ルネサンス期の特徴的なキャラクターである天使、ホタテガイ、リース、メダリオンが揃っていますね。 -
教会の壁には、記念的建造物のプレートの他、こんなプレートが掲げられていました。「1634年に起きた塩税の反乱」。右側にはビルバオの紋章が見えますね。
この反乱はフィリペ4世の課税政策に反対する一連の暴力事件から成り、急速に経済的不平等に対する広い意味での社会的抗議へと進化。結果、6人のバスク指導者たちが処刑されて終焉を迎えた事件で、6人の記憶を留めるために設置されたものです。 -
教会に入れないので、せめてと思い、横から鐘楼を見上げてみました。四角体にドームが載った鐘楼は、ガブリエル・デ・カペラステギによって、1775年頃再建されました。ドームの上に載っているのは風見鶏ならぬ風見人間ですって!
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今日は穏やかに流れるネルビオン川が教会のすぐ背後にありました。肝心の橋を撮るのを忘れていますねえ・・・
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ビルバオではよく見かけたbbkはBilbao Bizkaia Kutxaと言う銀行です。建物に向かって左側の狭い道も、ビルバオ旧市街発祥の7つの道の一つ。
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リベラ市場の方に少し戻って、そこから旧市街発祥の道の一つを北に向かって歩いて行ったら、ありましたよ。最初にメトロから降りて出てきた広場が! ミゲル・ウナムロ広場だそうですよ。ここからメトロに乗れるので、一旦ホテルに戻って少し休憩して参りましょう。
長くなりましたので、この辺りで旅行記も一旦休憩。この続きはな~んちゃって、コンポステーラへの道 その13ビルバオ(2)でね!
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