厦門旅行記(ブログ) 一覧に戻る
厦門観光を終え、いよいよ今回の本番の客家土楼の内の華安・土楼群の観光に出発。

厦門旅行記(2日目)

5いいね!

2009/07/11 - 2009/07/13

444位(同エリア694件中)

0

47

パンダ番長

パンダ番長さん

厦門観光を終え、いよいよ今回の本番の客家土楼の内の華安・土楼群の観光に出発。

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
同行者
友人
一人あたり費用
5万円 - 10万円
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)

PR

  • <2日目の朝><br />疲れていたのか、目覚ましの鳴る音で目が覚める。<br />既に目覚ましが何回か鳴ったのか6:10分を指している。<br />冨田君は既に起きて、身支度をしている。私も起き、身支度を始める。6:30分に朝食を食べにレストランに行く予定をしている為である。顔を洗い、服を着替え、身支度をする。<br />  <br />6:30分に2人で部屋を出て、1階のレストランに向かう。いつも使う反対側のレストランに近いエレベーターで1階に降りる。レストランの受付で、冨田君が部屋のキーカードを渡し、チェックを受け、席に案内される。<br />まだ、時間が早かったせいか、客は1、2組である。ウェイトレスが席に来て、コーヒーか紅茶かを聞く。<br />コーヒーを入れて貰い、各々席を立ち、思い思いの料理を見る。在り来たりの西欧風のバイキングであるので、お決まりの野菜やソーセージ、ハムなどを取り、ジュースを入れ、食パン風のパンを取り席に着く。<br />  <br />中国でのソーセージやハムはあまり美味しいものが少なかったが、ここのソーセージやハムはなかなか美味しい。一通りを食べ終わり、更に点心関連を取りに行く。餃子や饅頭を取って食べる。饅頭は、肉饅と思いきや、中国で言う花巻(肉饅の皮の部分だけで中に何も入っていない)であった。それらを食べ終わった後デザートとしてフルーツ類を食べ、満足した。<br />冨田君も粥などを食べ終わり、フルーツを食べ、満足したのか食事を終えている。ゆっくりと1時間近くをかけて食べた。2人でレストランを出て、中庭を通り、乗ってきたエレベーターと反対側のエレベーターで10階に戻る。部屋に戻り、互いに今日の準備をする。

    <2日目の朝>
    疲れていたのか、目覚ましの鳴る音で目が覚める。
    既に目覚ましが何回か鳴ったのか6:10分を指している。
    冨田君は既に起きて、身支度をしている。私も起き、身支度を始める。6:30分に朝食を食べにレストランに行く予定をしている為である。顔を洗い、服を着替え、身支度をする。
     
    6:30分に2人で部屋を出て、1階のレストランに向かう。いつも使う反対側のレストランに近いエレベーターで1階に降りる。レストランの受付で、冨田君が部屋のキーカードを渡し、チェックを受け、席に案内される。
    まだ、時間が早かったせいか、客は1、2組である。ウェイトレスが席に来て、コーヒーか紅茶かを聞く。
    コーヒーを入れて貰い、各々席を立ち、思い思いの料理を見る。在り来たりの西欧風のバイキングであるので、お決まりの野菜やソーセージ、ハムなどを取り、ジュースを入れ、食パン風のパンを取り席に着く。
     
    中国でのソーセージやハムはあまり美味しいものが少なかったが、ここのソーセージやハムはなかなか美味しい。一通りを食べ終わり、更に点心関連を取りに行く。餃子や饅頭を取って食べる。饅頭は、肉饅と思いきや、中国で言う花巻(肉饅の皮の部分だけで中に何も入っていない)であった。それらを食べ終わった後デザートとしてフルーツ類を食べ、満足した。
    冨田君も粥などを食べ終わり、フルーツを食べ、満足したのか食事を終えている。ゆっくりと1時間近くをかけて食べた。2人でレストランを出て、中庭を通り、乗ってきたエレベーターと反対側のエレベーターで10階に戻る。部屋に戻り、互いに今日の準備をする。

  • 時間がまだあるので、ホテルの全景を記念に撮っておこうと思い、再度1階におり、正面玄関からホテルを撮影するもあまりに大きく、カメラに全景は収められなかった。一通り撮り終えて部屋に戻る。<br />  <br />今日は、一日観光である。カメラなどの充電を確認し、また飲物を腰に下げ、準備万端の状態で時間を待つ。<br />大分早いが、8:30分過ぎに2人で部屋を出て、1階のフロント前に向かう。<br />フロント前のソファに座り、みんなが集まるのを待つ。15分程前にまず王さんが現れる。朝の挨拶を行い、「早いですね!」と言われた。すぐに、おやじ3人組と3人家族も集まり、集合時間よりも早くにみんなが集合、そのままバスに向かう。<br />

    時間がまだあるので、ホテルの全景を記念に撮っておこうと思い、再度1階におり、正面玄関からホテルを撮影するもあまりに大きく、カメラに全景は収められなかった。一通り撮り終えて部屋に戻る。
     
    今日は、一日観光である。カメラなどの充電を確認し、また飲物を腰に下げ、準備万端の状態で時間を待つ。
    大分早いが、8:30分過ぎに2人で部屋を出て、1階のフロント前に向かう。
    フロント前のソファに座り、みんなが集まるのを待つ。15分程前にまず王さんが現れる。朝の挨拶を行い、「早いですね!」と言われた。すぐに、おやじ3人組と3人家族も集まり、集合時間よりも早くにみんなが集合、そのままバスに向かう。

  • <&#28467;州へ向かうバスの中で><br />バスに乗ると王さんが今日の予定を説明し出す。<br />今日は、まず&#28467;州という街に行き、その街の古い街並みを見学後、華安市桃都県の土楼へ行き、まず昼食後、土楼の見学をし、見学終了後に厦門に戻るという日程である。<br />バスは一旦市内中心部に向かい走ったが、これは本土に繋がる橋を渡るためであった。<br />橋に繋がる高架道路にバスが入り、橋に差し掛かる。この橋は海滄大橋と言い、アモイ島と本土を結ぶ大きな橋のひとつである。全長は、島部と本土部に架かる道路も含め、5.5kmで、明石海峡大橋に似たつり橋型の橋である。最初の橋脚部分の上部に” 海滄大橋”の大きな文字が見える。<br />王さんの説明では、この文字は先の国家主席である江沢民が書いたものであるという。<br />江沢民はこの橋だけではなく、在任中に新しく大きな橋が出来れば、自分で名前を付け、その文字を書いたと言う。江沢民はもともと大学時代に建築学を学び、主に橋建築を専攻し、勉学していたという。この橋は2001年に完成した。まだ新しい橋である。<br />橋を渡りきると、厦門市の湖里区から海滄区に入る。海滄区に入り、建設中のマンション群が多く見られる。<br />  <br />その内に、景色が変わり、広々とした地区に出る。この海滄区の工業団地である。<br />王さんの説明では、ここの工業団地は日本、米国の企業もあるが、主な企業は台湾企業で8割を占めるとの事。<br />また、車窓から目に付くのは、”水泥”の文字である。これも王さんに聞くと、”水泥”はセメントの事で、セメント会社であるという。この工業団地には、セメント会社が多い。厦門は、花崗岩や良質な土の産地で、セメント業も盛んなのであるという。<br />

    <漳州へ向かうバスの中で>
    バスに乗ると王さんが今日の予定を説明し出す。
    今日は、まず漳州という街に行き、その街の古い街並みを見学後、華安市桃都県の土楼へ行き、まず昼食後、土楼の見学をし、見学終了後に厦門に戻るという日程である。
    バスは一旦市内中心部に向かい走ったが、これは本土に繋がる橋を渡るためであった。
    橋に繋がる高架道路にバスが入り、橋に差し掛かる。この橋は海滄大橋と言い、アモイ島と本土を結ぶ大きな橋のひとつである。全長は、島部と本土部に架かる道路も含め、5.5kmで、明石海峡大橋に似たつり橋型の橋である。最初の橋脚部分の上部に” 海滄大橋”の大きな文字が見える。
    王さんの説明では、この文字は先の国家主席である江沢民が書いたものであるという。
    江沢民はこの橋だけではなく、在任中に新しく大きな橋が出来れば、自分で名前を付け、その文字を書いたと言う。江沢民はもともと大学時代に建築学を学び、主に橋建築を専攻し、勉学していたという。この橋は2001年に完成した。まだ新しい橋である。
    橋を渡りきると、厦門市の湖里区から海滄区に入る。海滄区に入り、建設中のマンション群が多く見られる。
     
    その内に、景色が変わり、広々とした地区に出る。この海滄区の工業団地である。
    王さんの説明では、ここの工業団地は日本、米国の企業もあるが、主な企業は台湾企業で8割を占めるとの事。
    また、車窓から目に付くのは、”水泥”の文字である。これも王さんに聞くと、”水泥”はセメントの事で、セメント会社であるという。この工業団地には、セメント会社が多い。厦門は、花崗岩や良質な土の産地で、セメント業も盛んなのであるという。

  • この工業団地を過ぎると、また畑が続き、大きな看板が出てきた。日月谷温泉の看板である。<br />この辺りが中国でも珍しい温泉の出る日月谷温泉のリゾート施設である。かなり大きなリゾート施設で、道路を挟んだ両脇にホテルと温泉浴場がある。温泉浴場は日本の健康ランドのように様々な温泉施設を配しているという。<br />この厦門旅行のオプショナルツアーで行けるのであれば行きたかった所であるが、時間も掛かり、今回の旅行では無理であった。残念である。しかし、是非次の機会には立寄ってみたい。この日月谷温泉の街を過ぎると、海滄と書かれた高速道路の入口が現れ、その入口から高速に乗るようだ。<br />ここで高速について王さんの説明が入る。これから乗る高速は中国を縦に縦断する高速の一部で、北は瀋陽から南は海南島に達する全長約3000kmの瀋海高速の一部であるという。3000kmというとほぼ日本列島に相当する距離である。さすがに広大な国土を有する中国である日本とはスケールが違う。但し、日本も高速道路網は充実しているので、北海道から九州まででは、全長で3000kmにはなるのではないか?<br />そのような事を考えながら王さんの話を聞いていた。<br />バスは順調に高速を走る。ここで王さんの方言話が始まる。<br />この福建省も独特の方言があると言うが、中国語の方言は有名なものが、上海語、台湾語、広東語(北京語を標準語と考えた時に)であるが、他に代表的な方言が3つに大きく分かれる。それが次の3つである。<br /> ①湘(ショウ)語(主に湖南省の方言)<br /> ②&#38313;南(ビンナン)語(主に福建省、台湾などの方言)<br /> ③客家(ハッカ)語(主に広東省、福建省の山間の方言)<br />福建省の方言は、この&#38313;南語で、この&#38313;南語も福建省の中で更に次の方言に分かれるという。<br /> ①&#38313;南(ビンナン)語(厦門市、&#28467;州市などで使用)<br /> ②&#38313;北(ビンボク)語(福建省北部などで使用)<br /> ③&#38313;東(ビントン)語(主に福州で使用)<br /> ④&#38313;中(ビンチュウ)語(永定市、三明市などで使用)<br />特に&#38313;南語は、六声と言われ、発音も6種類あり。北京語などの四声よりも2つも発音が多く、難しい言葉になっている。このように中国語は細かく分かれている為に外国語を覚えるよりも難しいという。<br />このような話を聞きながら、高速を走っていると車窓に見慣れない建物が至るところに見えてくる。<br />普通の民家とは違う。民家と同じレンガ造りの建物ではあるが、大概の民家は2階までの建物が多い中、3階以上の高さがあり、多くの小さな窓らしきものが壁面に並ぶ建物があちこちに見える。<br />王さんにあの建物は何かと尋ねると、この辺り特有の建物で、椎茸などの栽培や蚕などの飼育の為の建物であるという。民家よりも大きなこの建物が高速道路の両側に多く見られる。<br />また、バナナ畑が多くなってきた。そのような建物を見ている内に高速道路の料金所に差し掛かり、ここで高速は降りるという。料金所には&#28467;州の文字が見える。もう目的地には近いのであろう。<br />ここからまた市外の道に入る。辺りはまだ、田園地帯である。周りはバナナ畑だらけである。<br />&#28467;州は、バナナでも非常に有名なところである。日本でも&#28467;州バナナは有名である。このバナナ畑を見ながらバスが行く。すると不意に周りに大きな建物が増え出した。ここが&#28467;州の街のようだ。<br />それから程なくして、&#28467;州の中山公園前でバスが停車する。この辺りにバスの駐車場がないらしく、ここでバスを降りる。<br />

    この工業団地を過ぎると、また畑が続き、大きな看板が出てきた。日月谷温泉の看板である。
    この辺りが中国でも珍しい温泉の出る日月谷温泉のリゾート施設である。かなり大きなリゾート施設で、道路を挟んだ両脇にホテルと温泉浴場がある。温泉浴場は日本の健康ランドのように様々な温泉施設を配しているという。
    この厦門旅行のオプショナルツアーで行けるのであれば行きたかった所であるが、時間も掛かり、今回の旅行では無理であった。残念である。しかし、是非次の機会には立寄ってみたい。この日月谷温泉の街を過ぎると、海滄と書かれた高速道路の入口が現れ、その入口から高速に乗るようだ。
    ここで高速について王さんの説明が入る。これから乗る高速は中国を縦に縦断する高速の一部で、北は瀋陽から南は海南島に達する全長約3000kmの瀋海高速の一部であるという。3000kmというとほぼ日本列島に相当する距離である。さすがに広大な国土を有する中国である日本とはスケールが違う。但し、日本も高速道路網は充実しているので、北海道から九州まででは、全長で3000kmにはなるのではないか?
    そのような事を考えながら王さんの話を聞いていた。
    バスは順調に高速を走る。ここで王さんの方言話が始まる。
    この福建省も独特の方言があると言うが、中国語の方言は有名なものが、上海語、台湾語、広東語(北京語を標準語と考えた時に)であるが、他に代表的な方言が3つに大きく分かれる。それが次の3つである。
     ①湘(ショウ)語(主に湖南省の方言)
     ②閩南(ビンナン)語(主に福建省、台湾などの方言)
     ③客家(ハッカ)語(主に広東省、福建省の山間の方言)
    福建省の方言は、この閩南語で、この閩南語も福建省の中で更に次の方言に分かれるという。
     ①閩南(ビンナン)語(厦門市、漳州市などで使用)
     ②閩北(ビンボク)語(福建省北部などで使用)
     ③閩東(ビントン)語(主に福州で使用)
     ④閩中(ビンチュウ)語(永定市、三明市などで使用)
    特に閩南語は、六声と言われ、発音も6種類あり。北京語などの四声よりも2つも発音が多く、難しい言葉になっている。このように中国語は細かく分かれている為に外国語を覚えるよりも難しいという。
    このような話を聞きながら、高速を走っていると車窓に見慣れない建物が至るところに見えてくる。
    普通の民家とは違う。民家と同じレンガ造りの建物ではあるが、大概の民家は2階までの建物が多い中、3階以上の高さがあり、多くの小さな窓らしきものが壁面に並ぶ建物があちこちに見える。
    王さんにあの建物は何かと尋ねると、この辺り特有の建物で、椎茸などの栽培や蚕などの飼育の為の建物であるという。民家よりも大きなこの建物が高速道路の両側に多く見られる。
    また、バナナ畑が多くなってきた。そのような建物を見ている内に高速道路の料金所に差し掛かり、ここで高速は降りるという。料金所には漳州の文字が見える。もう目的地には近いのであろう。
    ここからまた市外の道に入る。辺りはまだ、田園地帯である。周りはバナナ畑だらけである。
    漳州は、バナナでも非常に有名なところである。日本でも漳州バナナは有名である。このバナナ畑を見ながらバスが行く。すると不意に周りに大きな建物が増え出した。ここが漳州の街のようだ。
    それから程なくして、漳州の中山公園前でバスが停車する。この辺りにバスの駐車場がないらしく、ここでバスを降りる。

  • <&#28467;州の明清古街散策><br />バスを降りた目の前の中山公園には行かず、その奥に向かい、道を歩く。<br />バスに乗っていて判らなかったが、今日は非常に暑い。少し歩くだけで汗が噴出してきた。飲物を腰にぶら下げていて良かった。<br />ここまでトイレ休憩が無かったので、トイレに行きたい人が有料のトイレに行く。その間、木陰で休みたいが、その木陰がない。日の当たる暑い路地で待つ事になった。<br />トイレ休憩からみんなが戻り、いざ&#28467;州の明清古街に向かう。日よけの無い暑い路地を奥に進む。大きな路地から小さな路地に入る。そこが目的の&#28467;州の明清古街である。<br />

    <漳州の明清古街散策>
    バスを降りた目の前の中山公園には行かず、その奥に向かい、道を歩く。
    バスに乗っていて判らなかったが、今日は非常に暑い。少し歩くだけで汗が噴出してきた。飲物を腰にぶら下げていて良かった。
    ここまでトイレ休憩が無かったので、トイレに行きたい人が有料のトイレに行く。その間、木陰で休みたいが、その木陰がない。日の当たる暑い路地で待つ事になった。
    トイレ休憩からみんなが戻り、いざ漳州の明清古街に向かう。日よけの無い暑い路地を奥に進む。大きな路地から小さな路地に入る。そこが目的の漳州の明清古街である。

  • 小さな路地の両側に様々な店々が並ぶ。主に生活用品や食品などを売る店が殆どである。新鮮な果物や肉類などが売られている。また、生活雑貨の店も多い。気が付いたが、靴を売る店が非常に多い。その他に食器、帽子、鞄などやなかには投網などの漁業の道具なども売られている。<br />    <br />食器などは骨董品なのかどうか判らないくらいに年代を感じさせるものも売っている。<br />また、店屋の看板は古いものが多く、書き方も今とは逆から書いてあり、字も今の中国の略字体ではない。<br />それにしても暑い。汗が止まらない。持ってきたペットボトルのジュースを飲むが、既に冷たくはない。<br />幾度が路地を折れ曲がり、店が続く通りを歩く。区切られた区画なのか、ところどころに石の門らしきものが現れる。<br />

    小さな路地の両側に様々な店々が並ぶ。主に生活用品や食品などを売る店が殆どである。新鮮な果物や肉類などが売られている。また、生活雑貨の店も多い。気が付いたが、靴を売る店が非常に多い。その他に食器、帽子、鞄などやなかには投網などの漁業の道具なども売られている。
       
    食器などは骨董品なのかどうか判らないくらいに年代を感じさせるものも売っている。
    また、店屋の看板は古いものが多く、書き方も今とは逆から書いてあり、字も今の中国の略字体ではない。
    それにしても暑い。汗が止まらない。持ってきたペットボトルのジュースを飲むが、既に冷たくはない。
    幾度が路地を折れ曲がり、店が続く通りを歩く。区切られた区画なのか、ところどころに石の門らしきものが現れる。

  • この老街の端に孔子廟がある。その孔子廟にみんなで入る。入った左手に土楼の模型が置いてある。<br />今日、これから我々が訪れる華安市仙都県のものではなく、同じ華安市でも南翔県の土楼の模型らしい。<br />そこを過ぎ、更に奥に進むと、正面には、立派な孔子像が見える。<br />

    この老街の端に孔子廟がある。その孔子廟にみんなで入る。入った左手に土楼の模型が置いてある。
    今日、これから我々が訪れる華安市仙都県のものではなく、同じ華安市でも南翔県の土楼の模型らしい。
    そこを過ぎ、更に奥に進むと、正面には、立派な孔子像が見える。

  • 王さんの話では、大きな街では大体孔子廟があり、この様な孔子像があると言う。中国では珍しいものではないようだ。その前で記念撮影を行い、少し日陰で休憩をし、再度路地に戻る。<br />  <br />また暑い中、路地をもと来た方に戻る。帰りは行きとは違い、戻るのも速い。途中で、おやじ3人組のひとりが履物を買う為に店に入る。草履を買いたいらしい。今履いているのも草履である。<br />適当な価格のものが無い様であったが、皮製の草履を購入していた。<br />また、もう1人は暑いのか、帽子を他の店で購入していた。そして、最後の方で、3人家族の娘さんが、赤い中国独特の刺繍の入ったハイヒール風の靴を購入していた。この靴でも50元と非常に安価である。<br />我々は特に購入したいものがなく、そのまま通り過ぎる。汗ダクの状態でバスに戻る。<br />バスの中のエアコンが非常に気持ちが良い。予定時間よりも少し過ぎていたのか、バスは直ぐに走り出す。<br />&#28467;州の街の中を進む。暫くすると街は郊外の畑の風景に変わった。ここから華安市を目指す。<br />

    王さんの話では、大きな街では大体孔子廟があり、この様な孔子像があると言う。中国では珍しいものではないようだ。その前で記念撮影を行い、少し日陰で休憩をし、再度路地に戻る。
     
    また暑い中、路地をもと来た方に戻る。帰りは行きとは違い、戻るのも速い。途中で、おやじ3人組のひとりが履物を買う為に店に入る。草履を買いたいらしい。今履いているのも草履である。
    適当な価格のものが無い様であったが、皮製の草履を購入していた。
    また、もう1人は暑いのか、帽子を他の店で購入していた。そして、最後の方で、3人家族の娘さんが、赤い中国独特の刺繍の入ったハイヒール風の靴を購入していた。この靴でも50元と非常に安価である。
    我々は特に購入したいものがなく、そのまま通り過ぎる。汗ダクの状態でバスに戻る。
    バスの中のエアコンが非常に気持ちが良い。予定時間よりも少し過ぎていたのか、バスは直ぐに走り出す。
    漳州の街の中を進む。暫くすると街は郊外の畑の風景に変わった。ここから華安市を目指す。

  • <華安市仙都県への道><br />郊外の畑の風景は、延々と遠くまで続いている。見渡す限りバナナ畑である。<br />行けども行けども道の両サイドに見えるのはこのバナナ畑である。遠くに見える山の斜面にまでバナナ畑が広がるのが見える。このような景色が続く中、バスは山間部の峠に向かい走る。<br />道は綺麗に舗装された道であるが、片側一車線しか無いために追い越しをかけ難い。<br />しかし、前に少しでも遅い車がいるとバスの運転手は追い越そうと対向車線に出る。怖いのは、あまり見通しのきかない所でも追い越そうとするので、対向車が来て、追い越せずにそのまま元の車線に戻る事も度々である。<br />また、同様に対向車線でも追い越しをかける車がいるので、危うく正面衝突する様な場面にも出くわした。<br />峠の道は、比較的大きな川に沿った道で、交通量は然程多くはない。<br />なかなか追い越しをかけられなかった前を走る軽トラックを抜いた後は、順調にバスは走る。<br />しかし、山間部の道は延々と続き、景色が殆ど変わらない。川が右手側から左手側に変わったくらいである。<br />&#28467;州の街を出てから既に1時間近くが経過している。すると、更にまた峠に差し掛かったところで、道路標識で、華安まで11km、仙都まで20kmで、方向が分かれて表示されたものが出てきた。<br />華安へは左で、仙都へは右である。その別れ道で、仙都方面に折れ、更に道が細く、険しい山の中へ入っていった。バスが苦しそうに坂を登る。道も対向車に同様の大きさのバスが来れば、交わせるかどうか微妙な程に細い道である。ここに至り、両側の畑の様子が変わってきた。<br />今までに見えていたのは、バナナ畑が殆どであったが、この辺りは、茶畑ばかりである。<br />そのお茶の木も日本のお茶の木の半分にも満たない小さなものばかりである。<br />王さんに聞くと、これが烏龍茶の鐵観音の木である。山の急な斜面を開墾し、山肌に貼り付くように密集している。見える山々の斜面がかなり高いところまで、この畑で埋め尽くされている。ひとつひとつの畑は大きくはないが、空き地がない程に一面茶畑である。このような景色の山々の間をバスが苦しそうに走る。<br />走る事、更に20分でやっと開けた土地に出た。<br />しかし、周りに見える畑は依然茶畑である。民家も道路脇にぽつぽつと増え、ところどころに村なのか固まる民家が見え出した。<br />すると、王さんが「やっと着きました。」と言う。見ると、前方に門が見えて来た。あそこが今回の観光も目的地の仙都・大地土楼村である。<br />

    <華安市仙都県への道>
    郊外の畑の風景は、延々と遠くまで続いている。見渡す限りバナナ畑である。
    行けども行けども道の両サイドに見えるのはこのバナナ畑である。遠くに見える山の斜面にまでバナナ畑が広がるのが見える。このような景色が続く中、バスは山間部の峠に向かい走る。
    道は綺麗に舗装された道であるが、片側一車線しか無いために追い越しをかけ難い。
    しかし、前に少しでも遅い車がいるとバスの運転手は追い越そうと対向車線に出る。怖いのは、あまり見通しのきかない所でも追い越そうとするので、対向車が来て、追い越せずにそのまま元の車線に戻る事も度々である。
    また、同様に対向車線でも追い越しをかける車がいるので、危うく正面衝突する様な場面にも出くわした。
    峠の道は、比較的大きな川に沿った道で、交通量は然程多くはない。
    なかなか追い越しをかけられなかった前を走る軽トラックを抜いた後は、順調にバスは走る。
    しかし、山間部の道は延々と続き、景色が殆ど変わらない。川が右手側から左手側に変わったくらいである。
    漳州の街を出てから既に1時間近くが経過している。すると、更にまた峠に差し掛かったところで、道路標識で、華安まで11km、仙都まで20kmで、方向が分かれて表示されたものが出てきた。
    華安へは左で、仙都へは右である。その別れ道で、仙都方面に折れ、更に道が細く、険しい山の中へ入っていった。バスが苦しそうに坂を登る。道も対向車に同様の大きさのバスが来れば、交わせるかどうか微妙な程に細い道である。ここに至り、両側の畑の様子が変わってきた。
    今までに見えていたのは、バナナ畑が殆どであったが、この辺りは、茶畑ばかりである。
    そのお茶の木も日本のお茶の木の半分にも満たない小さなものばかりである。
    王さんに聞くと、これが烏龍茶の鐵観音の木である。山の急な斜面を開墾し、山肌に貼り付くように密集している。見える山々の斜面がかなり高いところまで、この畑で埋め尽くされている。ひとつひとつの畑は大きくはないが、空き地がない程に一面茶畑である。このような景色の山々の間をバスが苦しそうに走る。
    走る事、更に20分でやっと開けた土地に出た。
    しかし、周りに見える畑は依然茶畑である。民家も道路脇にぽつぽつと増え、ところどころに村なのか固まる民家が見え出した。
    すると、王さんが「やっと着きました。」と言う。見ると、前方に門が見えて来た。あそこが今回の観光も目的地の仙都・大地土楼村である。

  • <昼食場所の仙都・大地土楼遊客接待中心><br />バスが広い駐車場に入る。その前の建物の前で停車し、我々はここで降りる。<br />  <br />長くバスに乗っていたので少し疲れているが、それ以上に外に出ると暑さに参る。<br />王さんに促されて、前の建屋に入る。ここで昼食を取るらしい。中に入ると奥にホールがある。そこまで行くとそこは土楼の形状をした案内所になっている。今日は誰もいないが、パンフレットなどは置いてある。<br />

    <昼食場所の仙都・大地土楼遊客接待中心>
    バスが広い駐車場に入る。その前の建物の前で停車し、我々はここで降りる。
     
    長くバスに乗っていたので少し疲れているが、それ以上に外に出ると暑さに参る。
    王さんに促されて、前の建屋に入る。ここで昼食を取るらしい。中に入ると奥にホールがある。そこまで行くとそこは土楼の形状をした案内所になっている。今日は誰もいないが、パンフレットなどは置いてある。

  • そのホールから右手に入るとレストランがある。<br />ホール内が静かであったので、人がいないのかと思っていたが、レストランは結構人で埋まっている。<br />丁度、レストランの中央付近のテーブルが空いている。そこにみんなで座る。テーブルの上には、ラップされた食器のセットが置いてある。<br />王さんが、また飲物を注文する為にみんなに聞いて廻る。私はお茶で良い旨を伝えた。富田君はここでも麦酒を飲むみたいだ。<br />

    そのホールから右手に入るとレストランがある。
    ホール内が静かであったので、人がいないのかと思っていたが、レストランは結構人で埋まっている。
    丁度、レストランの中央付近のテーブルが空いている。そこにみんなで座る。テーブルの上には、ラップされた食器のセットが置いてある。
    王さんが、また飲物を注文する為にみんなに聞いて廻る。私はお茶で良い旨を伝えた。富田君はここでも麦酒を飲むみたいだ。

  • 王さんが『時間は十分にありますので、ゆっくりと食事をして下さい。田舎ですが料理は美味しいですよ。』と言う。レストランは若いウェイトレスの女の子が非常に多い。<br />その女の子がお茶と麦酒などの注文した飲物を持って来た。おやじ3人組がちょっかいを出しているが、日本語も英語も判らないらしく、相手にならない模様。すると直ぐに料理が出てきた。<br />ひとつが出てくると次から次へと以下のメニューの料理が出てきた。<br />①地鶏の蒸し鶏(少し辛め)<br /> ②若竹と高菜と豚肉の塩炒め<br /> ③焼飯<br /> ④豚肉といしざくろのスープ<br /> ⑤豚肉の甘辛煮(厚切りチャーシュー風)<br /> ⑥きくらげと豚肉とねぎの唐辛子醤油炒め<br /> ⑦厚揚げ豆腐とねぎのしょうゆ炒め<br /> ⑧青魚(川魚)の醤油蒸し(魚の下に豆腐が敷いてある)<br /> ⑨青菜の塩炒め<br /> ⑩フルーツ(すいか)<br />王さんが言うようにどの料理も非常に美味しい。<br />

    王さんが『時間は十分にありますので、ゆっくりと食事をして下さい。田舎ですが料理は美味しいですよ。』と言う。レストランは若いウェイトレスの女の子が非常に多い。
    その女の子がお茶と麦酒などの注文した飲物を持って来た。おやじ3人組がちょっかいを出しているが、日本語も英語も判らないらしく、相手にならない模様。すると直ぐに料理が出てきた。
    ひとつが出てくると次から次へと以下のメニューの料理が出てきた。
    ①地鶏の蒸し鶏(少し辛め)
     ②若竹と高菜と豚肉の塩炒め
     ③焼飯
     ④豚肉といしざくろのスープ
     ⑤豚肉の甘辛煮(厚切りチャーシュー風)
     ⑥きくらげと豚肉とねぎの唐辛子醤油炒め
     ⑦厚揚げ豆腐とねぎのしょうゆ炒め
     ⑧青魚(川魚)の醤油蒸し(魚の下に豆腐が敷いてある)
     ⑨青菜の塩炒め
     ⑩フルーツ(すいか)
    王さんが言うようにどの料理も非常に美味しい。

  • 特に中国に来て、焼飯が美味しいと感じる事が少ないが、ここの焼飯は日本の味付けに近く、非常に美味しい。チャーシュー風の豚肉の甘辛煮も非常に日本のとろけるチャーシューに近い。青魚の醤油蒸しは、最初雷魚かと思ったが、王さんに聞くと青魚と言うこの地方ではよく食べる川魚らしい。但し、骨が多く、また身もあまり多くないので食べにくい。<br />ここでの料理の量も十分な量で、殆どの料理が残っている。焼飯などは美味しいが、半分近くを残すくらい量が多い。ここで、スープに使用された“いしざくろ”と王さんは言ってたいが、そんな食材を日本では聞いた事がない。その食材が気になり、ソープ碗から取り出して見るも、殆ど乾燥した蔓にしか見えない。これ自体食べるのか?それともこれ自体は香辛料なのか?それ自体判らない。食べても美味しそうには見えないので、スープのみを頂いた。<br />

    特に中国に来て、焼飯が美味しいと感じる事が少ないが、ここの焼飯は日本の味付けに近く、非常に美味しい。チャーシュー風の豚肉の甘辛煮も非常に日本のとろけるチャーシューに近い。青魚の醤油蒸しは、最初雷魚かと思ったが、王さんに聞くと青魚と言うこの地方ではよく食べる川魚らしい。但し、骨が多く、また身もあまり多くないので食べにくい。
    ここでの料理の量も十分な量で、殆どの料理が残っている。焼飯などは美味しいが、半分近くを残すくらい量が多い。ここで、スープに使用された“いしざくろ”と王さんは言ってたいが、そんな食材を日本では聞いた事がない。その食材が気になり、ソープ碗から取り出して見るも、殆ど乾燥した蔓にしか見えない。これ自体食べるのか?それともこれ自体は香辛料なのか?それ自体判らない。食べても美味しそうには見えないので、スープのみを頂いた。

  • みんなが食事を終え、お茶を飲み寛いでいると、これからの土楼観光で電気自動車に乗るかどうかを王さんが聞きに来た。先程、駐車場から見えていた土楼はここからまだかなりの距離がある。<br />みんな、他の人の意見に従う旨の人が多く、電気自動車にここから乗って土楼巡りをする事になった。<br />但し、これには別途5元のお金が必要であった。麦酒などの精算を始めると麦酒が非常に安い。昨晩の夕食時の金額の半額以下である。みんなが安いと思い、ウェイトレスが間違っているのではないかと思っていたが、王さんが金額を聞き、やはりウェイトレスが間違っていたのか、本当の金額を修正に来る。修正された金額でも昨晩に比べればかなり安い値段である。こんな田舎の村での価格を考えると非常に安い。<br />このようなトラブルはあったが、みんなでレストランを出て、入口に向かう。<br />王さんが電気自動車を手配する為にその事務所へ向かう。我々はこの入口付近で待っている。<br />富田君が2階に上がり、先程のホールにある案内所を上から見て土楼の形状をしていると言っていたが、円形状に案内所があるだけである。少し経つと、入口前に電気自動車が到着し、みんなで乗り込む。<br />

    みんなが食事を終え、お茶を飲み寛いでいると、これからの土楼観光で電気自動車に乗るかどうかを王さんが聞きに来た。先程、駐車場から見えていた土楼はここからまだかなりの距離がある。
    みんな、他の人の意見に従う旨の人が多く、電気自動車にここから乗って土楼巡りをする事になった。
    但し、これには別途5元のお金が必要であった。麦酒などの精算を始めると麦酒が非常に安い。昨晩の夕食時の金額の半額以下である。みんなが安いと思い、ウェイトレスが間違っているのではないかと思っていたが、王さんが金額を聞き、やはりウェイトレスが間違っていたのか、本当の金額を修正に来る。修正された金額でも昨晩に比べればかなり安い値段である。こんな田舎の村での価格を考えると非常に安い。
    このようなトラブルはあったが、みんなでレストランを出て、入口に向かう。
    王さんが電気自動車を手配する為にその事務所へ向かう。我々はこの入口付近で待っている。
    富田君が2階に上がり、先程のホールにある案内所を上から見て土楼の形状をしていると言っていたが、円形状に案内所があるだけである。少し経つと、入口前に電気自動車が到着し、みんなで乗り込む。

  • 福建の代表的な土楼:二宜楼><br />電気自動車でこの仙都・大地土楼村の入口の門を潜る。<br />  <br />電気自動車なのでゆっくりと走るのかと思ったが、意外にスピードが出る。<br />この仙都・大地土楼村にはいくつか見学が出来る土楼があるが、まず最初に訪れるのは、今回のメインの土楼の“二宜楼”である。<br />外は午後になり、更に暑さを増している。電気自動車に乗って正解であった。土楼自体が非常に大きな建物である為、食事場所からは判らなかったが、かなりの距離がある。この暑い中を歩くとなると土楼まで歩くだけで疲れてしまう。<br />電気自動車で村の道を走ること、数分で二宜楼の前に到着した。<br />  <br />前まで来るとその大きさが実感出来る。創造以上におおきな建物である。住居というよりは城塞である。<br />電気自動車を降り、この土楼の入口へ石畳を進む。<br />

    福建の代表的な土楼:二宜楼>
    電気自動車でこの仙都・大地土楼村の入口の門を潜る。
     
    電気自動車なのでゆっくりと走るのかと思ったが、意外にスピードが出る。
    この仙都・大地土楼村にはいくつか見学が出来る土楼があるが、まず最初に訪れるのは、今回のメインの土楼の“二宜楼”である。
    外は午後になり、更に暑さを増している。電気自動車に乗って正解であった。土楼自体が非常に大きな建物である為、食事場所からは判らなかったが、かなりの距離がある。この暑い中を歩くとなると土楼まで歩くだけで疲れてしまう。
    電気自動車で村の道を走ること、数分で二宜楼の前に到着した。
     
    前まで来るとその大きさが実感出来る。創造以上におおきな建物である。住居というよりは城塞である。
    電気自動車を降り、この土楼の入口へ石畳を進む。

  • 入口の前まで行ったところで王さんが土楼についての説明を開始する。<br />福建土楼は、中国福建省南西部と広東省北東部の山岳地域にかけて分布する客家(はっか)その他の人々による独特の版築建築による集合家屋である。客家土楼(はっかどろう)ともいう。12世紀から20世紀にかけて建てられたものがほとんどである。土楼は通常、外部の人達の立ち入りを禁止した大きな建物で、長方形か円形をしており、厚い土壁と木の骨格から成り、土壁の厚さは50cm~180cm以上ところもある。高さは3階か5階、大きなものでは80家族以上が生活しているものもある。この土でできた建物は通常1つの入口しか持たず、その入口も、鉄板で頑丈に補強された厚さ十数センチの板戸で守られている。盗賊などの外敵などが来た場合は、この入口を閉め、この土楼内に篭城をした。その為、建物の最上階には、盗賊を防御するための狭間などが空けてある。1980年代、福建土楼は「客家土楼」「土の家」「丸い強い家」、あるいは単に「土楼」等、様々に呼びばれていたが、1990年代からは、中国の建築学者の間で「福建土楼」の語が定着した。すべての居住者が客家民族というわけではなく、南福建省の人々がたくさん土楼に住んでいる。客家土楼は、福建土楼の一部に属する。南福建の土楼のすべてが福建土楼に分類されるが、すべてが客家土楼に属するわけではない。さらに言えば、「福建土楼」は「土楼」と同義ではなく、むしろ「土楼」のうちの1種類を指す語である。福建省には20,000を超える土楼が存在し、そのうち福建の土楼として登録されたのは3,000にすぎない。また、その3,000の福建土楼の中で、更に世界遺産の建物として登録されたものは、46個である。その46個の中で最も優れた土楼建築として名高いのが、この二宜楼である。<br />ここで、2つの耳慣れない用語が出てきた。<br />ひとつは、“版築”という言葉ともうひとつは“客家(はっか)”という言葉である。<br />“版築(はんちく)”は、土壁や建築の基礎部分を堅固に構築するために古代から用いられてきた土木工法である。版築自体はほぼ土のみで出来ているが、築造時には若干の木材を要する版築は非常に頑丈で、城壁や墳墓などの大規模な建造物をはじめ、道路や家屋などにも用いられてきた。中国では古代における大規模な工事での使用例も多く、代表的な建造物があの万里の長城である。<br />“客家(はっか)”は漢民族から分枝した特徴的な民族の一つである。「よそ者」という意味があるとされ、「中華の流浪の民」と言われている。もともと華北の黄河流域、中原と呼ばれる地域に住んでいた後漢時代の漢族の「名門貴族」の子孫とされている。客家(はっか)語は、かって中原地方で話されていたとされる、北方中国語の古語と言われている。そのため、数字の発音などが、現在の日本語の読みに近いなどといったことが言われている。<br />西晋時代から、中原の漢民族は大挙して南に移住し、広東省・江西省・福建省の境界地域に到着し、土着の住民と雑居し、婚姻を交わり、1千年を経て現在のグループになった。その後、梅州を基地として大量に華南各省、さらに世界各地に移住した。梅州、&#36123;州、汀州、恵州は客家四州と言われる。<br />

    入口の前まで行ったところで王さんが土楼についての説明を開始する。
    福建土楼は、中国福建省南西部と広東省北東部の山岳地域にかけて分布する客家(はっか)その他の人々による独特の版築建築による集合家屋である。客家土楼(はっかどろう)ともいう。12世紀から20世紀にかけて建てられたものがほとんどである。土楼は通常、外部の人達の立ち入りを禁止した大きな建物で、長方形か円形をしており、厚い土壁と木の骨格から成り、土壁の厚さは50cm~180cm以上ところもある。高さは3階か5階、大きなものでは80家族以上が生活しているものもある。この土でできた建物は通常1つの入口しか持たず、その入口も、鉄板で頑丈に補強された厚さ十数センチの板戸で守られている。盗賊などの外敵などが来た場合は、この入口を閉め、この土楼内に篭城をした。その為、建物の最上階には、盗賊を防御するための狭間などが空けてある。1980年代、福建土楼は「客家土楼」「土の家」「丸い強い家」、あるいは単に「土楼」等、様々に呼びばれていたが、1990年代からは、中国の建築学者の間で「福建土楼」の語が定着した。すべての居住者が客家民族というわけではなく、南福建省の人々がたくさん土楼に住んでいる。客家土楼は、福建土楼の一部に属する。南福建の土楼のすべてが福建土楼に分類されるが、すべてが客家土楼に属するわけではない。さらに言えば、「福建土楼」は「土楼」と同義ではなく、むしろ「土楼」のうちの1種類を指す語である。福建省には20,000を超える土楼が存在し、そのうち福建の土楼として登録されたのは3,000にすぎない。また、その3,000の福建土楼の中で、更に世界遺産の建物として登録されたものは、46個である。その46個の中で最も優れた土楼建築として名高いのが、この二宜楼である。
    ここで、2つの耳慣れない用語が出てきた。
    ひとつは、“版築”という言葉ともうひとつは“客家(はっか)”という言葉である。
    “版築(はんちく)”は、土壁や建築の基礎部分を堅固に構築するために古代から用いられてきた土木工法である。版築自体はほぼ土のみで出来ているが、築造時には若干の木材を要する版築は非常に頑丈で、城壁や墳墓などの大規模な建造物をはじめ、道路や家屋などにも用いられてきた。中国では古代における大規模な工事での使用例も多く、代表的な建造物があの万里の長城である。
    “客家(はっか)”は漢民族から分枝した特徴的な民族の一つである。「よそ者」という意味があるとされ、「中華の流浪の民」と言われている。もともと華北の黄河流域、中原と呼ばれる地域に住んでいた後漢時代の漢族の「名門貴族」の子孫とされている。客家(はっか)語は、かって中原地方で話されていたとされる、北方中国語の古語と言われている。そのため、数字の発音などが、現在の日本語の読みに近いなどといったことが言われている。
    西晋時代から、中原の漢民族は大挙して南に移住し、広東省・江西省・福建省の境界地域に到着し、土着の住民と雑居し、婚姻を交わり、1千年を経て現在のグループになった。その後、梅州を基地として大量に華南各省、さらに世界各地に移住した。梅州、贛州、汀州、恵州は客家四州と言われる。

  • このような説明の後に入口を入ろうとすると、入口の横に丁度石をひとつ外した穴の様な部分がある。<br />

    このような説明の後に入口を入ろうとすると、入口の横に丁度石をひとつ外した穴の様な部分がある。

  • これは何かと王さんに聞くと、夜間になると土楼の入口は閉じられる。その後に土楼に帰ってきた人が土楼内にその事を知らせる為の連絡口、現在で言う玄関のチャイムである。<br />その後、土楼入口を入る。中に入るとひんやりと涼しい。入口に係員の人がいて、入場券を確認する。<br />入口の直ぐ脇に2階への階段が見える。現在は使われていない様だ。<br />また、入口を少し入った天井付近の梁のところに世界遺産の登録のパネルが見える。<br />

    これは何かと王さんに聞くと、夜間になると土楼の入口は閉じられる。その後に土楼に帰ってきた人が土楼内にその事を知らせる為の連絡口、現在で言う玄関のチャイムである。
    その後、土楼入口を入る。中に入るとひんやりと涼しい。入口に係員の人がいて、入場券を確認する。
    入口の直ぐ脇に2階への階段が見える。現在は使われていない様だ。
    また、入口を少し入った天井付近の梁のところに世界遺産の登録のパネルが見える。

  • ここで、面白い灰皿を発展した。入口を入ったところに休憩所が設けられており、木の長椅子が置いてあり、その横に陶器の壷が木枠に納まっている。この陶器の壷が灰皿である。

    ここで、面白い灰皿を発展した。入口を入ったところに休憩所が設けられており、木の長椅子が置いてあり、その横に陶器の壷が木枠に納まっている。この陶器の壷が灰皿である。

  • 入口から中央の広場へ出る途中に、貯水所がある。雨水を貯められる構造に造られている。火事や外敵の火攻めの時にここに貯水している水を用いるそうだ。<br />  <br />そこを過ぎて、中央の広場に出る。出た左手に長椅子と机が置いてあり、そこで老人がお茶を入れている。<br />王さんによると、この土楼の観光に来た人達にお茶を振舞っていると言う。<br />しかし、誰もお茶を貰う様子もなく、老人も強要するでもないので、その前を過ぎる。<br />中央の広場は非常に広い、また回りを見ると土楼建物の内部の全景が見渡せる。<br />ここでまた王さんより、この二宜楼の説明が始まる。<br />

    入口から中央の広場へ出る途中に、貯水所がある。雨水を貯められる構造に造られている。火事や外敵の火攻めの時にここに貯水している水を用いるそうだ。
     
    そこを過ぎて、中央の広場に出る。出た左手に長椅子と机が置いてあり、そこで老人がお茶を入れている。
    王さんによると、この土楼の観光に来た人達にお茶を振舞っていると言う。
    しかし、誰もお茶を貰う様子もなく、老人も強要するでもないので、その前を過ぎる。
    中央の広場は非常に広い、また回りを見ると土楼建物の内部の全景が見渡せる。
    ここでまた王さんより、この二宜楼の説明が始まる。

  • この大地土楼群の二宜楼は蒋士熊により建築された。1770年の建築で、外側の環状土楼は4階建て、内側は1階建てになっている。<br />外側の土楼は直径71メートル、各階に48部屋を有し、総部屋数は213部屋。敷地面積は、約9,300m2。この土楼は、それぞれの階の前に環状の通路が存在せず、代わりに後ろ側の壁(外壁に面した側)に通路を有する。外側の土楼の部屋は、垂直に分割されて別々の世帯の家となっており、共同階段ではなく個々の区分の中に自分たち専用の階段を持っている。<br />いくつかの区分は正面の部屋3つ分、残りは4つ分の広さを持つ。内側の土楼の区分は、控えの間としての屋根つきベランダを通して外側の土楼の区分とつながっている。<br />内側の1階建ての部分は後から建設された。<br />中央の広場に出る。井戸が広場の中央付近の左右にある。<br />王さんの説明によるとこれは風水から井戸を2つ造っているらしい。大きな円形土楼では、どの土楼にもふたつ井戸が掘られているという。<br />

    この大地土楼群の二宜楼は蒋士熊により建築された。1770年の建築で、外側の環状土楼は4階建て、内側は1階建てになっている。
    外側の土楼は直径71メートル、各階に48部屋を有し、総部屋数は213部屋。敷地面積は、約9,300m2。この土楼は、それぞれの階の前に環状の通路が存在せず、代わりに後ろ側の壁(外壁に面した側)に通路を有する。外側の土楼の部屋は、垂直に分割されて別々の世帯の家となっており、共同階段ではなく個々の区分の中に自分たち専用の階段を持っている。
    いくつかの区分は正面の部屋3つ分、残りは4つ分の広さを持つ。内側の土楼の区分は、控えの間としての屋根つきベランダを通して外側の土楼の区分とつながっている。
    内側の1階建ての部分は後から建設された。
    中央の広場に出る。井戸が広場の中央付近の左右にある。
    王さんの説明によるとこれは風水から井戸を2つ造っているらしい。大きな円形土楼では、どの土楼にもふたつ井戸が掘られているという。

  • ひとつは、深い井戸で水も冷たく、もうひとつは浅い井戸であるそうだ。<br />丁度、ここに住んでいる人が我々が入った入口から見て左手の井戸で洗い物をしている。<br />この井戸は洗い物など用の井戸なのか?覗かせて貰うと水面がすぐ近くに見える。暗くて深さは判らない。<br />水は暑いこともあり、かなり冷たく感じる。<br />

    ひとつは、深い井戸で水も冷たく、もうひとつは浅い井戸であるそうだ。
    丁度、ここに住んでいる人が我々が入った入口から見て左手の井戸で洗い物をしている。
    この井戸は洗い物など用の井戸なのか?覗かせて貰うと水面がすぐ近くに見える。暗くて深さは判らない。
    水は暑いこともあり、かなり冷たく感じる。

  • また、王さんがこの広間はもうひとつ面白い事があると言い、石畳の広間の地面に何かを探している。聞くと、この広場の中心部で声を出すとこの土楼全体に響く(聞こえる)と言う。王さんがどうしても見つけられず、この土楼に住む人に教えて貰う事となった。確かにかすかに石畳の上に赤い円が描かれている。ここがこの広間の中心で、そこに立って声を出すと確かに声が周りの土楼の建物の壁伝いに廻る様に聞こえる。何か全員に伝える時はここで声を発するそうだ。<br />北京の天壇公園や西安の城郭にも同じ様な造りの壁があったのを思い出した。<br />この土楼は4階建てで、四方に共用の階段がある。入口と反対側の階段を上がるという。その入口は低い戸板で仕切られているが、入って良いとの事。その戸板を跨ぎ、中に入る。<br />前には祭壇が設けられているが、階段が見えない。階段はその祭壇に隠される様にその裏にあった。<br />

    また、王さんがこの広間はもうひとつ面白い事があると言い、石畳の広間の地面に何かを探している。聞くと、この広場の中心部で声を出すとこの土楼全体に響く(聞こえる)と言う。王さんがどうしても見つけられず、この土楼に住む人に教えて貰う事となった。確かにかすかに石畳の上に赤い円が描かれている。ここがこの広間の中心で、そこに立って声を出すと確かに声が周りの土楼の建物の壁伝いに廻る様に聞こえる。何か全員に伝える時はここで声を発するそうだ。
    北京の天壇公園や西安の城郭にも同じ様な造りの壁があったのを思い出した。
    この土楼は4階建てで、四方に共用の階段がある。入口と反対側の階段を上がるという。その入口は低い戸板で仕切られているが、入って良いとの事。その戸板を跨ぎ、中に入る。
    前には祭壇が設けられているが、階段が見えない。階段はその祭壇に隠される様にその裏にあった。

  • 急な階段でひとりがやっと昇れる幅である。階段を昇り、2階へ。<br />昇りきった所は広間になっているが然程の広さはない、更に階段を昇り、3階に。ここは2階に比べ、結構広いスペースがある。<br />昔はこの場所で塾が開かれ、この土楼に住む子供たちはここで勉強を行っていたという。土楼での生活は外界とは隔離されている。その為にこのように土楼内で教育を行った。<br />

    急な階段でひとりがやっと昇れる幅である。階段を昇り、2階へ。
    昇りきった所は広間になっているが然程の広さはない、更に階段を昇り、3階に。ここは2階に比べ、結構広いスペースがある。
    昔はこの場所で塾が開かれ、この土楼に住む子供たちはここで勉強を行っていたという。土楼での生活は外界とは隔離されている。その為にこのように土楼内で教育を行った。

  • 更に上に昇る。<br />ここがこの土楼の最上階で、上がった所には暗い廊下が続いている。<br />    <br />その廊下に面して内側に各部屋の扉がほぼ等間隔である。廊下の外側には、小さな窓がこれもほぼ等間隔にあり、光を取り入れている。しかし廊下は全体的には暗く、慣れないと歩くのも大変そうだ。ところどころにこの土楼の修復用の梯子などが設けられている。<br />また、未だにこの土楼は生活に使用されている為、部屋も使用されているところと空室になっているところがある。4階の廊下を1/4周くらいしたところで、観光用に造られた部屋に入る。<br />

    更に上に昇る。
    ここがこの土楼の最上階で、上がった所には暗い廊下が続いている。
       
    その廊下に面して内側に各部屋の扉がほぼ等間隔である。廊下の外側には、小さな窓がこれもほぼ等間隔にあり、光を取り入れている。しかし廊下は全体的には暗く、慣れないと歩くのも大変そうだ。ところどころにこの土楼の修復用の梯子などが設けられている。
    また、未だにこの土楼は生活に使用されている為、部屋も使用されているところと空室になっているところがある。4階の廊下を1/4周くらいしたところで、観光用に造られた部屋に入る。

  • ひとつの部屋は、日本の4畳半から6畳くらいの部屋で、4階部分には、それと同じ様な部屋が2部屋ある。<br />土楼の内側部分にテラスの部分がある。ここに出ると土楼の中央の広間や土楼の内部が上から一望できる。<br />そのテラス部の端にそこに下に続く階段がある。その階段で3階に降りる。3階も同じ様に部屋が2つある。<br />寝室と居間みたいである。更に今度はテラス部のほぼ中央部にある階段で2階に降りる。<br />2階も3階とほぼ同様で、物置なのか?様々なものが煩雑に置かれている。<br />    <br />今度は、4階とは逆のテラス部の端から階段も今までとは逆向きに1階に降りる。<br />1階は台所や食堂などであろうか?水場がある。しかし、今は土産物や飲物を売る売店である。<br />その店の横を通り抜け、また中央の広場に出る。ここで、少し自由行動との事で、記念撮影などを行い、また違う昇り口などを見て回る。暑いので、汗が出て、水分の補給が欠かせない。本当に、ジュースではあるがペットボトルをぶら下げていて良かった。そのジュースを少しずつ飲む。甘いのであまり多く飲むと更に喉が渇くのであまり飲めない。疲れた人は入口の長椅子で休憩をしている。<br />我々も一通り見終え、入口に戻る。王さんがみんな集合した事を確認し、この土楼を出た。<br />携帯電話で王さんが電気自動車を呼んでいる。電気自動車が来るまでに少し時間がかかった。先程降りた場所で再度電気自動車に乗り、今度はこの大地土楼村の残りの2つの世界遺産登録された土楼の東陽楼と南陽楼に向かう。<br />

    ひとつの部屋は、日本の4畳半から6畳くらいの部屋で、4階部分には、それと同じ様な部屋が2部屋ある。
    土楼の内側部分にテラスの部分がある。ここに出ると土楼の中央の広間や土楼の内部が上から一望できる。
    そのテラス部の端にそこに下に続く階段がある。その階段で3階に降りる。3階も同じ様に部屋が2つある。
    寝室と居間みたいである。更に今度はテラス部のほぼ中央部にある階段で2階に降りる。
    2階も3階とほぼ同様で、物置なのか?様々なものが煩雑に置かれている。
       
    今度は、4階とは逆のテラス部の端から階段も今までとは逆向きに1階に降りる。
    1階は台所や食堂などであろうか?水場がある。しかし、今は土産物や飲物を売る売店である。
    その店の横を通り抜け、また中央の広場に出る。ここで、少し自由行動との事で、記念撮影などを行い、また違う昇り口などを見て回る。暑いので、汗が出て、水分の補給が欠かせない。本当に、ジュースではあるがペットボトルをぶら下げていて良かった。そのジュースを少しずつ飲む。甘いのであまり多く飲むと更に喉が渇くのであまり飲めない。疲れた人は入口の長椅子で休憩をしている。
    我々も一通り見終え、入口に戻る。王さんがみんな集合した事を確認し、この土楼を出た。
    携帯電話で王さんが電気自動車を呼んでいる。電気自動車が来るまでに少し時間がかかった。先程降りた場所で再度電気自動車に乗り、今度はこの大地土楼村の残りの2つの世界遺産登録された土楼の東陽楼と南陽楼に向かう。

  • <方形土楼の東陽楼と土楼博物館の南陽楼><br />東陽楼は、1817年の建築で、高さ11m、幅45.81m、奥行き26mの方形土楼で部屋数が36部屋だそうだ。先程訪れた二宜楼よりランクが下がって、華安県の文物保護単位に登録されているが、この土楼も世界遺産登録をされている土楼のひとつである。入口を入った天井近くの梁部分に世界遺産登録のパネルが見える。<br />この建物は、前側が低く、奥側が高くなっていて、住む人の序列によって、部屋が異なっているという。<br />入口を入ると正面に祭壇が広場を挟み見える。この時期になると、防御から住み易さへと、建築上の重点が移ってきたそうです。そのためか、二宜楼よりも生活感が感じられる土楼である。<br />

    <方形土楼の東陽楼と土楼博物館の南陽楼>
    東陽楼は、1817年の建築で、高さ11m、幅45.81m、奥行き26mの方形土楼で部屋数が36部屋だそうだ。先程訪れた二宜楼よりランクが下がって、華安県の文物保護単位に登録されているが、この土楼も世界遺産登録をされている土楼のひとつである。入口を入った天井近くの梁部分に世界遺産登録のパネルが見える。
    この建物は、前側が低く、奥側が高くなっていて、住む人の序列によって、部屋が異なっているという。
    入口を入ると正面に祭壇が広場を挟み見える。この時期になると、防御から住み易さへと、建築上の重点が移ってきたそうです。そのためか、二宜楼よりも生活感が感じられる土楼である。

  • 広場に面したところには、洗濯物が沢山干され、普通の民家に迷い込んだ感がある。<br />この東陽楼は、主楼が2階建てで、その左右に1階建ての部分が引っ付いた様な構造である。<br />保存状態は、先の二宜楼に比べると年代は新しいが良くないように見える。但し、2階部分に上がると廊下などに施された彫刻装飾はなかなか多く、綺麗なものが多い。お金はかかっている様だ。<br />また、先の円形土楼でも同様であるが、この土楼で一番の問題が下水であるという。トイレはなく、各々の部屋にトイレ用の桶を置き、それで用を達していたという。<br />その点では衛生面ではあまり良くなかったみたいだ。<br />この東陽楼は然程大きくなく、一通り見終え出る。<br />

    広場に面したところには、洗濯物が沢山干され、普通の民家に迷い込んだ感がある。
    この東陽楼は、主楼が2階建てで、その左右に1階建ての部分が引っ付いた様な構造である。
    保存状態は、先の二宜楼に比べると年代は新しいが良くないように見える。但し、2階部分に上がると廊下などに施された彫刻装飾はなかなか多く、綺麗なものが多い。お金はかかっている様だ。
    また、先の円形土楼でも同様であるが、この土楼で一番の問題が下水であるという。トイレはなく、各々の部屋にトイレ用の桶を置き、それで用を達していたという。
    その点では衛生面ではあまり良くなかったみたいだ。
    この東陽楼は然程大きくなく、一通り見終え出る。

  • 次の南陽楼は隣であるので、そこから歩いて南陽楼に、周りの田園風景は、殆どが茶畑である。山のなだらかな斜面に茶畑が広がる。

    次の南陽楼は隣であるので、そこから歩いて南陽楼に、周りの田園風景は、殆どが茶畑である。山のなだらかな斜面に茶畑が広がる。

  • 南陽楼は最初の二宜楼と同様に円形土楼で、蒋士熊の孫、蒋経幇が建てたもので、高さ13.25m、直径51.6m、敷地面積は約3100m2である。部屋数は96部屋で国家の重点文物保護単位に指定されている。<br />ここは土楼博物館を兼ねており、人はほとんど住んでいないようである。<br />入口には、土楼博物館のパネルがある。中に入ると二宜楼と構造は近い、また中央広場のところで長椅子と机が置かれ、お茶を入れている。<br />

    南陽楼は最初の二宜楼と同様に円形土楼で、蒋士熊の孫、蒋経幇が建てたもので、高さ13.25m、直径51.6m、敷地面積は約3100m2である。部屋数は96部屋で国家の重点文物保護単位に指定されている。
    ここは土楼博物館を兼ねており、人はほとんど住んでいないようである。
    入口には、土楼博物館のパネルがある。中に入ると二宜楼と構造は近い、また中央広場のところで長椅子と机が置かれ、お茶を入れている。

  • 広場から1階の部屋に入る。そこは生活をしているところとこの土楼博物館の展示が混在している。<br />展示部屋の前で壁掛けの薄型テレビ(こんな田舎にもこの様な最新家電が置いてある)を見ながら、お茶を楽しんでいる人がいる。この土楼に住んでいる人だろう。その横を通り、展示を見る。<br />昔の生活道具などが展示してある。あるものは昔、田舎で見たことのある農具などもある。そこから急な階段で2階部分に、各部屋が展示室になっており、各々当時の生活様式を残している。老人の部屋、新婚の部屋、家主の寝室などが当時の様子を再現されている。<br />

    広場から1階の部屋に入る。そこは生活をしているところとこの土楼博物館の展示が混在している。
    展示部屋の前で壁掛けの薄型テレビ(こんな田舎にもこの様な最新家電が置いてある)を見ながら、お茶を楽しんでいる人がいる。この土楼に住んでいる人だろう。その横を通り、展示を見る。
    昔の生活道具などが展示してある。あるものは昔、田舎で見たことのある農具などもある。そこから急な階段で2階部分に、各部屋が展示室になっており、各々当時の生活様式を残している。老人の部屋、新婚の部屋、家主の寝室などが当時の様子を再現されている。

  • また、この福建省の土楼に関する資料や写真などが展示されている。当時の教育の場である土楼内の塾なども再現されている。<br />廊下などの梁にも様々な装飾彫刻が見える。ここで気が付いたが、この南陽楼は、内側の廊下も繋がっている。各単元が独立している二宜楼などには外壁に沿った隠し通路以外は内側に通路が無かったが、この南陽楼には、2階・3階の中庭に面した部分に走馬楼という廊下がある。<br />博物館としての展示で、土楼の構造などを詳しく解説した図面などもあり面白かった。<br />しかし、写真撮影禁止のものもあり、残念である。3階の外壁の沿った隠し廊下には膝くらいの高さに小さな窓があり、これは篭城の際の鉄砲穴で日本の城の鉄砲狭間である。<br />

    また、この福建省の土楼に関する資料や写真などが展示されている。当時の教育の場である土楼内の塾なども再現されている。
    廊下などの梁にも様々な装飾彫刻が見える。ここで気が付いたが、この南陽楼は、内側の廊下も繋がっている。各単元が独立している二宜楼などには外壁に沿った隠し通路以外は内側に通路が無かったが、この南陽楼には、2階・3階の中庭に面した部分に走馬楼という廊下がある。
    博物館としての展示で、土楼の構造などを詳しく解説した図面などもあり面白かった。
    しかし、写真撮影禁止のものもあり、残念である。3階の外壁の沿った隠し廊下には膝くらいの高さに小さな窓があり、これは篭城の際の鉄砲穴で日本の城の鉄砲狭間である。

  • 少し、3階の広間に椅子が置いてあったので、そこに座り休憩しているとみんなとはぐれてしまった。<br />先にみんなが下に降りた様だ。慌てて降りたと思われる階段を降り、1階まで降りる。すると、みんなが1階の広場で休憩していた。ここでも二宜楼と同様に自由時間が出来、記念撮影などを行い、入口付近で休憩する。ここで、王さんが、『時間がまだ十分あるので、展望台に登りますか?』と問う。<br />冨田君は最初から登りたい旨を王さんに伝えていたらしく、登ると言う。私は膝の不安もあり、この暑さであるのでどうしようかと考えていたが、他にも登りたいと言う人がいたので登る事にした。<br />結局、登るのは、王さんを含め、5人である。<br />

    少し、3階の広間に椅子が置いてあったので、そこに座り休憩しているとみんなとはぐれてしまった。
    先にみんなが下に降りた様だ。慌てて降りたと思われる階段を降り、1階まで降りる。すると、みんなが1階の広場で休憩していた。ここでも二宜楼と同様に自由時間が出来、記念撮影などを行い、入口付近で休憩する。ここで、王さんが、『時間がまだ十分あるので、展望台に登りますか?』と問う。
    冨田君は最初から登りたい旨を王さんに伝えていたらしく、登ると言う。私は膝の不安もあり、この暑さであるのでどうしようかと考えていたが、他にも登りたいと言う人がいたので登る事にした。
    結局、登るのは、王さんを含め、5人である。

  • 南陽楼を出て、また電気自動車を待つ。電気自動車が来て、まずは展望台の登り口に行き、登らない人は昼食場所の遊客接待中心の建物に戻る事となった。<br />電気自動車は、再び二宜楼の前を通り、その他の小さな土楼が並ぶのを横に見ながら、展望台の山の裾野に向かう。王さんが途中の土楼の説明を始める。屋根が5つに見える土楼は“五鳳楼”というらしい。<br />  <br />土楼にはその他に半月楼などがあるそうだ。<br /><br />この五鳳楼が数件並ぶ前を抜け、山へ登る道に差し掛かる小さな小川に架かる橋の手前で電気自動車が停止し、ここまでだと言われる。道はまだあるのに電気自動車はここまでしか行ってくれないらしい。ここからは歩いて山を登る事になる。展望台に行く面々が電気自動車を降りる。

    南陽楼を出て、また電気自動車を待つ。電気自動車が来て、まずは展望台の登り口に行き、登らない人は昼食場所の遊客接待中心の建物に戻る事となった。
    電気自動車は、再び二宜楼の前を通り、その他の小さな土楼が並ぶのを横に見ながら、展望台の山の裾野に向かう。王さんが途中の土楼の説明を始める。屋根が5つに見える土楼は“五鳳楼”というらしい。
     
    土楼にはその他に半月楼などがあるそうだ。

    この五鳳楼が数件並ぶ前を抜け、山へ登る道に差し掛かる小さな小川に架かる橋の手前で電気自動車が停止し、ここまでだと言われる。道はまだあるのに電気自動車はここまでしか行ってくれないらしい。ここからは歩いて山を登る事になる。展望台に行く面々が電気自動車を降りる。

  • <展望台への山登り><br />電気自動車を降り、4人で舗装された道を歩き出す。丁度、坂道で、50m程先にお寺なのか建物が見える。<br />暑い中、汗だくになりながら、まずはそこを目指し、坂を登る。そのお寺みたいな建物は、道教の寺院であると王さんが教えてくれた。そこから先程見てきた二宜楼などの土楼を眺めるがまだ、あまりそれらのところと標高差がなく、見え方は変わらない。<br />

    <展望台への山登り>
    電気自動車を降り、4人で舗装された道を歩き出す。丁度、坂道で、50m程先にお寺なのか建物が見える。
    暑い中、汗だくになりながら、まずはそこを目指し、坂を登る。そのお寺みたいな建物は、道教の寺院であると王さんが教えてくれた。そこから先程見てきた二宜楼などの土楼を眺めるがまだ、あまりそれらのところと標高差がなく、見え方は変わらない。

  • そこから道が折れ曲がり、更に坂が続く。更に50m程歩いたところで、王さんが立止まる。<br />王さんは前に一度、展望台に行った事があるらしく、その際に登った道を思い出している様子だ。<br />少しして王さんが、『こちらの道を行きましょう。』と田んぼと建物の間のあぜ道を指す。<br />建物は小学校らしく、教室には机が並んでいるのが見える。そのあぜ道を進み、少し登ると赤土の舗装されていない道に繋がっていた。<br />王さんが『この道で良いはずです。』とさっさと登り出す。人が2人並んで歩くのがやっとの道を歩く。<br />途中、雨で道が川になったのか、掘れた部分などもあり。歩き安いとは言いがたい。<br />少し、登ると丁度見晴らしの良いところに出たが、見える方向が土楼の方ではなく、この大地土楼村の入口付近が遠くに見える。そこから道は登ろうとする小山の裏側に向かい、ほぼ真っ直ぐに登っている。<br />そこを黙々と登る。<br />汗が滝のように噴出す。みんな喋ることもなく、黙々と登る。丁度、小山の裏に出た。<br />ここからの眺めは、仙都県の村が見渡せる。また、見渡す限り茶畑が広がる。登り道のすぐ脇も茶畑である。そこからまた、道が折れ曲がり、この小山の頂上方向を向いて道が続く。道がアップダウンしているのか、遠くまでは道が見えない。<br />すると、少し登ると少し下りになり、そこから頂上にある展望台がかすかに見えてきた。<br />しかし、道はその展望楼とは少し外れた方向に続いている。道を間違えたのかと思っていたが、展望楼の下を行き過ぎたところでまた道が折れ、展望楼方向に登る道があった。<br />茶畑がこの高さの急な斜面にも広がっている。<br />王さんによるとお茶の収穫期になるとこの斜面に椅子を置き、一日お茶を摘むという。大変な作業である。最後の急な道を登り切ると、展望楼にやっとの事辿り着いた。<br />登り始めてから30分くらい要したか?少し休憩し、そこからの眺めを堪能する。<br />やはり登ったかいがあった。二宜楼の全景が眼下に綺麗に見える。ガイドブックなどに載っている角度での土楼の風景である。思い思いに記念撮影を行なう。<br />ここでは、王さんと一緒に記念撮影を行なった。勿論撮ったのは冨田君である。展望楼から周りの景色を眺め、また下山の為に少し休憩を行なった後、みんなで下山を開始する。<br />展望台には、15分くらい居たか?<br />

    そこから道が折れ曲がり、更に坂が続く。更に50m程歩いたところで、王さんが立止まる。
    王さんは前に一度、展望台に行った事があるらしく、その際に登った道を思い出している様子だ。
    少しして王さんが、『こちらの道を行きましょう。』と田んぼと建物の間のあぜ道を指す。
    建物は小学校らしく、教室には机が並んでいるのが見える。そのあぜ道を進み、少し登ると赤土の舗装されていない道に繋がっていた。
    王さんが『この道で良いはずです。』とさっさと登り出す。人が2人並んで歩くのがやっとの道を歩く。
    途中、雨で道が川になったのか、掘れた部分などもあり。歩き安いとは言いがたい。
    少し、登ると丁度見晴らしの良いところに出たが、見える方向が土楼の方ではなく、この大地土楼村の入口付近が遠くに見える。そこから道は登ろうとする小山の裏側に向かい、ほぼ真っ直ぐに登っている。
    そこを黙々と登る。
    汗が滝のように噴出す。みんな喋ることもなく、黙々と登る。丁度、小山の裏に出た。
    ここからの眺めは、仙都県の村が見渡せる。また、見渡す限り茶畑が広がる。登り道のすぐ脇も茶畑である。そこからまた、道が折れ曲がり、この小山の頂上方向を向いて道が続く。道がアップダウンしているのか、遠くまでは道が見えない。
    すると、少し登ると少し下りになり、そこから頂上にある展望台がかすかに見えてきた。
    しかし、道はその展望楼とは少し外れた方向に続いている。道を間違えたのかと思っていたが、展望楼の下を行き過ぎたところでまた道が折れ、展望楼方向に登る道があった。
    茶畑がこの高さの急な斜面にも広がっている。
    王さんによるとお茶の収穫期になるとこの斜面に椅子を置き、一日お茶を摘むという。大変な作業である。最後の急な道を登り切ると、展望楼にやっとの事辿り着いた。
    登り始めてから30分くらい要したか?少し休憩し、そこからの眺めを堪能する。
    やはり登ったかいがあった。二宜楼の全景が眼下に綺麗に見える。ガイドブックなどに載っている角度での土楼の風景である。思い思いに記念撮影を行なう。
    ここでは、王さんと一緒に記念撮影を行なった。勿論撮ったのは冨田君である。展望楼から周りの景色を眺め、また下山の為に少し休憩を行なった後、みんなで下山を開始する。
    展望台には、15分くらい居たか?

  • 帰りは道も判っているので、比較的スムースに下りる時間も登りの半分くらの時間で下りる。<br />    <br />舗装された道まで出たところで王さんが電気自動車を呼ぶ為に携帯電話で連絡を取る。<br />丁度、電気自動車を降りた辺りまで来た時に電気自動車が来るのが見えた。かなり手前で電気自動車が停止する。王さんがそこまで歩こうとするが、私がUターンしてバックでここまで来てくれるのではないかというと、電気自動車がそのようにバックでこちらに来る。最初に降りた場所まで来て止まり、そこで電気自動車にみんなで乗る。<br />電気自動車は順調に村の入口に向かい進む。<br />途中店らしき何軒かが並ぶところまで来て、王さんに喉が渇いたので売店があれば、寄ってほしいというと直ぐにその事を運転手に伝えてくれた。すると先程の店しか飲物を売っていない様子で、そこまでバックで戻って貰い、店に立寄る。<br />さすがにみんな喉が渇いているのか。飲物を買うなり、ガブ飲みである。<br />私はスポーツドリンク風の500mlペットボトルを2本購入し、1本を電気自動車内で飲み干した。<br />門を抜け、昼食を食べた遊客接待中心の建物の前で電気自動車を降りるとそこで展望楼に行かなかった人達が待っていた。<br />

    帰りは道も判っているので、比較的スムースに下りる時間も登りの半分くらの時間で下りる。
       
    舗装された道まで出たところで王さんが電気自動車を呼ぶ為に携帯電話で連絡を取る。
    丁度、電気自動車を降りた辺りまで来た時に電気自動車が来るのが見えた。かなり手前で電気自動車が停止する。王さんがそこまで歩こうとするが、私がUターンしてバックでここまで来てくれるのではないかというと、電気自動車がそのようにバックでこちらに来る。最初に降りた場所まで来て止まり、そこで電気自動車にみんなで乗る。
    電気自動車は順調に村の入口に向かい進む。
    途中店らしき何軒かが並ぶところまで来て、王さんに喉が渇いたので売店があれば、寄ってほしいというと直ぐにその事を運転手に伝えてくれた。すると先程の店しか飲物を売っていない様子で、そこまでバックで戻って貰い、店に立寄る。
    さすがにみんな喉が渇いているのか。飲物を買うなり、ガブ飲みである。
    私はスポーツドリンク風の500mlペットボトルを2本購入し、1本を電気自動車内で飲み干した。
    門を抜け、昼食を食べた遊客接待中心の建物の前で電気自動車を降りるとそこで展望楼に行かなかった人達が待っていた。

  • <仙都・大地土楼村からの帰り><br />みんなで駐車場からバスが来るのを待つ。<br />展望楼からの眺めは最高であった旨を行かなかった人達に説明する。直ぐにバスが来て、みんなで乗り込む。<br />冷房が効いて気持ちが良い。王さんの説明で、これから来た道を帰り、厦門市に向かう。<br />途中、高速道路のサービスエリアにトイレ休憩を取るが、ほぼ2時間半から3時間かかる予定という。<br />バスの中は冷房が効いて快適であるので、何時間乗っていても別に苦にならない。<br />バスは行きの険しい山間の道に差し掛かっている。景色は、行きと変わらない。<br />その内に先程の山登りで疲れていたのか、うとうとと寝てしまう。次に目が覚めたのは&#28467;州の高速道路の入口であった。1時間半以上寝ていた様だ。周りを見ると同じ様に寝ている人が多い。<br />それを確認し、また寝てしまう。今度は、王さんの『サービスエリアに着きましたよ。』と言う声で起きる。<br />みんながトイレに行くためにバスを降りる。トイレを済ませ、併設するコンビニにみんな立寄っている。<br />私もそこに行き、アイスクリームを5元で買い、バスに戻る。みんなが戻ってバスが再度高速を走り出す。<br />アイスクリームを食べながら外の景色を見ていると、以前は小高い丘陵地帯であったのであろうか、削られた山肌が広がる。水泥(セメント)の原料採掘現場である。延々とそのような光景が高速沿いに続く。<br />程なく、高速の出口である海滄に到達した。そこで高速を下り、行きに通った日月谷温泉村を過ぎ、海滄区の工業団地内を通り、海滄区からアモイ島への海滄大橋を渡り、始める。<br />高速のサービスエリアで購入したアイスクリームは食べごたえがあり、海滄区に入るまで持っていた。<br />海滄大橋を渡る際に前方に塔が見える。王さんに聞くと気象レーダー塔であると言う。<br />アモイ島内の小山の頂上に建っている。バスは橋を渡り切り、アモイ島に入った。<br />ここからもう夕食場所までは、15分程度との事で、意外に早く帰ってきた。<br />丁度、日曜日でもあり、夕方に差し掛かった市内は車で渋滞している。しかし、ほぼ予定通りに今晩の夕食場所のレストランに到着した。<br />

    <仙都・大地土楼村からの帰り>
    みんなで駐車場からバスが来るのを待つ。
    展望楼からの眺めは最高であった旨を行かなかった人達に説明する。直ぐにバスが来て、みんなで乗り込む。
    冷房が効いて気持ちが良い。王さんの説明で、これから来た道を帰り、厦門市に向かう。
    途中、高速道路のサービスエリアにトイレ休憩を取るが、ほぼ2時間半から3時間かかる予定という。
    バスの中は冷房が効いて快適であるので、何時間乗っていても別に苦にならない。
    バスは行きの険しい山間の道に差し掛かっている。景色は、行きと変わらない。
    その内に先程の山登りで疲れていたのか、うとうとと寝てしまう。次に目が覚めたのは漳州の高速道路の入口であった。1時間半以上寝ていた様だ。周りを見ると同じ様に寝ている人が多い。
    それを確認し、また寝てしまう。今度は、王さんの『サービスエリアに着きましたよ。』と言う声で起きる。
    みんながトイレに行くためにバスを降りる。トイレを済ませ、併設するコンビニにみんな立寄っている。
    私もそこに行き、アイスクリームを5元で買い、バスに戻る。みんなが戻ってバスが再度高速を走り出す。
    アイスクリームを食べながら外の景色を見ていると、以前は小高い丘陵地帯であったのであろうか、削られた山肌が広がる。水泥(セメント)の原料採掘現場である。延々とそのような光景が高速沿いに続く。
    程なく、高速の出口である海滄に到達した。そこで高速を下り、行きに通った日月谷温泉村を過ぎ、海滄区の工業団地内を通り、海滄区からアモイ島への海滄大橋を渡り、始める。
    高速のサービスエリアで購入したアイスクリームは食べごたえがあり、海滄区に入るまで持っていた。
    海滄大橋を渡る際に前方に塔が見える。王さんに聞くと気象レーダー塔であると言う。
    アモイ島内の小山の頂上に建っている。バスは橋を渡り切り、アモイ島に入った。
    ここからもう夕食場所までは、15分程度との事で、意外に早く帰ってきた。
    丁度、日曜日でもあり、夕方に差し掛かった市内は車で渋滞している。しかし、ほぼ予定通りに今晩の夕食場所のレストランに到着した。

  • <本格的な海鮮料理の夕食:佳崩海鮮大酒楼><br />バスを降り、前の階段を昇ると入口奥にエレベーターがある。それに乗り、このビルの5階に上がる。<br />エレベーターを降りたところが、既にレストランの入口である。みんなで案内される個室に向かう。<br />丁度、10人程度が入れる個室である。そこに通され、円卓のテーブルに着く。ここでもまず王さんが飲物を聞く。みんな今日は暑い中での観光であったので、麦酒を注文する。私だけがお茶である。<br />最後の晩餐であるので、王さんが皆さんと乾杯をしましょうというのでみんなで乾杯をする。<br />

    <本格的な海鮮料理の夕食:佳崩海鮮大酒楼>
    バスを降り、前の階段を昇ると入口奥にエレベーターがある。それに乗り、このビルの5階に上がる。
    エレベーターを降りたところが、既にレストランの入口である。みんなで案内される個室に向かう。
    丁度、10人程度が入れる個室である。そこに通され、円卓のテーブルに着く。ここでもまず王さんが飲物を聞く。みんな今日は暑い中での観光であったので、麦酒を注文する。私だけがお茶である。
    最後の晩餐であるので、王さんが皆さんと乾杯をしましょうというのでみんなで乾杯をする。

  • そうすると、前菜の冷菜が出てきた。前菜に続き、以下のメニューの料理が出てきた。<br /> ①前菜 (1)蒸し落花生<br />     (2)人参、大根の酢漬け(スティック状)<br />     (3)らっきょの酢漬け<br /> ②蒸し海老<br /> ③ホタテと春雨のにんにく醤油炒め<br /> ④いかの生姜ケチャップソース焼き<br /> ⑤いかとセロリのオイスターソース炒め<br /> ⑥とうふう魚(地魚)の天ぷら(団子状天ぷら)<br /> ⑦魚肉だんごのスープ(椎茸、人参、魚肉だんご)<br /> ⑧渡り蟹の香り蒸し<br /> ⑨いしもち(地魚)の紹興酒蒸し<br /> ⑩チンゲン菜と赤ピーマンの塩炒め<br /> ⑪焼飯<br /> ⑫かきと豆腐のスープ<br /> ⑬豆腐のデザート(ピーナッツソースかけ)<br /> ⑭フルーツ(すいか、うり(メロン?)、ネーブル、すもも)<br />蒸し海老など簡単な料理であるのに非常に美味しい。<br />海鮮料理であるので、全体に日本人の口に合うものが多かったが、昼食で食べた料理の方が美味しかった。<br />但し、渡り蟹や地魚(とうふう魚と言っていたがこれも聞いた事がない魚)などの珍しい料理も食べられたので、満足出来た。<br />たっぷりと1時間程かけて料理を堪能した。ここの量は適量で、殆どの料理が食べ尽くされていた。<br />みんな疲れているのか余り会話がない。<br />王さんが戻り、飲物の会計を行い、食事が終了された方から1階へ下りる様に言われる。エレベーターで1階に降り、階段を降りたところでみんなを待つ。みんなが揃ったところでバスに乗り込む。<br />王さんが自慢げに、『どうでしたか?美味しかったでしょう。』とみんなに聞く。みんなの反応は薄かったが、話を続ける。これからのオプションについてである。<br />

    そうすると、前菜の冷菜が出てきた。前菜に続き、以下のメニューの料理が出てきた。
     ①前菜 (1)蒸し落花生
         (2)人参、大根の酢漬け(スティック状)
         (3)らっきょの酢漬け
     ②蒸し海老
     ③ホタテと春雨のにんにく醤油炒め
     ④いかの生姜ケチャップソース焼き
     ⑤いかとセロリのオイスターソース炒め
     ⑥とうふう魚(地魚)の天ぷら(団子状天ぷら)
     ⑦魚肉だんごのスープ(椎茸、人参、魚肉だんご)
     ⑧渡り蟹の香り蒸し
     ⑨いしもち(地魚)の紹興酒蒸し
     ⑩チンゲン菜と赤ピーマンの塩炒め
     ⑪焼飯
     ⑫かきと豆腐のスープ
     ⑬豆腐のデザート(ピーナッツソースかけ)
     ⑭フルーツ(すいか、うり(メロン?)、ネーブル、すもも)
    蒸し海老など簡単な料理であるのに非常に美味しい。
    海鮮料理であるので、全体に日本人の口に合うものが多かったが、昼食で食べた料理の方が美味しかった。
    但し、渡り蟹や地魚(とうふう魚と言っていたがこれも聞いた事がない魚)などの珍しい料理も食べられたので、満足出来た。
    たっぷりと1時間程かけて料理を堪能した。ここの量は適量で、殆どの料理が食べ尽くされていた。
    みんな疲れているのか余り会話がない。
    王さんが戻り、飲物の会計を行い、食事が終了された方から1階へ下りる様に言われる。エレベーターで1階に降り、階段を降りたところでみんなを待つ。みんなが揃ったところでバスに乗り込む。
    王さんが自慢げに、『どうでしたか?美味しかったでしょう。』とみんなに聞く。みんなの反応は薄かったが、話を続ける。これからのオプションについてである。

  • <オプショナルツアーのナイトクルーズ><br />これからオプションツアーとしてナイトクルーズに行くが、行きたい人はいますか王さんが聞く。<br />ひとり費用は150元である。我々は元から行くつもりであったので、行く旨を伝え、他のメンバーに聞いて回っている。その際に3人家族の娘さんがマッサージに行きたいと言い、王さんを困らせていたが、携帯電話で連絡を取り、何とか昨晩行った病院を交渉が出来たようで、港へ行く途中で先に立寄る事になった。<br />結局、ナイトクルーズは、我々2人と3人家族のお父さんとお母さん、それと意外にもおやじ3人組のひとりが参加するという。合計5人の参加である。<br />バスは、まずマッサージを行なう病院前(昨日の扶元院)で停車し、3人家族の娘さんと王さんが降りて、王さんが1階の受付で、娘さんの手配を行なう。<br />それが済み、王さんがバスに乗り込み。我々のナイトクルーズの為に港に向かう。<br />  <br />ナイトクルーズが8時からであるので、もう然程時間がない。程なくバスは港のメイン通りに出、乗り場の近くにはバスが止められないとの事で、かなり手前でバスが停車し、ここでツアーに参加する人が降りる。<br />あとのメンバーと言ってもおやじ2人であるが、ホテルへ帰る予定である。後で聞いたが結局このおやじ2人もマッサージに行く事にしたらしく、バスは再度病院へ向かったらしい。<br />

    <オプショナルツアーのナイトクルーズ>
    これからオプションツアーとしてナイトクルーズに行くが、行きたい人はいますか王さんが聞く。
    ひとり費用は150元である。我々は元から行くつもりであったので、行く旨を伝え、他のメンバーに聞いて回っている。その際に3人家族の娘さんがマッサージに行きたいと言い、王さんを困らせていたが、携帯電話で連絡を取り、何とか昨晩行った病院を交渉が出来たようで、港へ行く途中で先に立寄る事になった。
    結局、ナイトクルーズは、我々2人と3人家族のお父さんとお母さん、それと意外にもおやじ3人組のひとりが参加するという。合計5人の参加である。
    バスは、まずマッサージを行なう病院前(昨日の扶元院)で停車し、3人家族の娘さんと王さんが降りて、王さんが1階の受付で、娘さんの手配を行なう。
    それが済み、王さんがバスに乗り込み。我々のナイトクルーズの為に港に向かう。
     
    ナイトクルーズが8時からであるので、もう然程時間がない。程なくバスは港のメイン通りに出、乗り場の近くにはバスが止められないとの事で、かなり手前でバスが停車し、ここでツアーに参加する人が降りる。
    あとのメンバーと言ってもおやじ2人であるが、ホテルへ帰る予定である。後で聞いたが結局このおやじ2人もマッサージに行く事にしたらしく、バスは再度病院へ向かったらしい。

  • また、バスの運転手はこのあと別の仕事があり。どのオプショナルツアーも帰りはタクシーである。<br />バスを降りた場所から船着場までは、約5分、港のメイン通り沿いに進む。船着場はネオン煌く入口である。その入口を通り、船に乗り込む。船は3階建てで、我々は3階に席を見つけ、座る。<br />直ぐ近くにコロンス島が見える。明日はコロンス島の観光である。ライトに浮かび上がって米国のワシントンの議事堂に似た天主堂が見える。<br />これらの景色を見ながら、船内で記念撮影をしているとゆっくりと船が北に進む。<br />    <br />風が心地よいが、あまり潮の香りがしない。海岸線のメイン通り沿いのネオンが非常に綺麗だ。ひと際大きな、全体が電飾で飾られているビルがある。王さんに聞くと税関局の建物という。<br />中国では、中国共産党に関する建物(政府の建物)はどれも近代的な建物が多い。また、昼間に見た気象塔がこれまたネオンで、縞模様に電飾されている。縞模様が流れるように瞬き綺麗である。<br />

    また、バスの運転手はこのあと別の仕事があり。どのオプショナルツアーも帰りはタクシーである。
    バスを降りた場所から船着場までは、約5分、港のメイン通り沿いに進む。船着場はネオン煌く入口である。その入口を通り、船に乗り込む。船は3階建てで、我々は3階に席を見つけ、座る。
    直ぐ近くにコロンス島が見える。明日はコロンス島の観光である。ライトに浮かび上がって米国のワシントンの議事堂に似た天主堂が見える。
    これらの景色を見ながら、船内で記念撮影をしているとゆっくりと船が北に進む。
       
    風が心地よいが、あまり潮の香りがしない。海岸線のメイン通り沿いのネオンが非常に綺麗だ。ひと際大きな、全体が電飾で飾られているビルがある。王さんに聞くと税関局の建物という。
    中国では、中国共産党に関する建物(政府の建物)はどれも近代的な建物が多い。また、昼間に見た気象塔がこれまたネオンで、縞模様に電飾されている。縞模様が流れるように瞬き綺麗である。

  • ある大きなビルには、壁面に映像が移し出されており、映像にはミッキーマウスも出てきていた。何のビルかと王さんに聞くと、最近出来た金融機関の入っているビルだそうだ。<br />これらアモイ島の夜景を見ながら、船は海滄大橋の方に向かう。<br />

    ある大きなビルには、壁面に映像が移し出されており、映像にはミッキーマウスも出てきていた。何のビルかと王さんに聞くと、最近出来た金融機関の入っているビルだそうだ。
    これらアモイ島の夜景を見ながら、船は海滄大橋の方に向かう。

  • 海滄大橋の下を潜り、更に北に進み、本土にある大きな造船所の辺りで船がUターンをし、少し速度を上げながら、もと来た海上を戻る。<br />船は、コロンス島を向けて進む。アモイ島とコロンス島の間を、少しスピードを上げて船が南に移動する。コロンス島に建つ鄭成功の像がライトアップされて綺麗に浮かび上がっている。<br />  <br />その前を通り過ぎ、アモイ島にある胡里山砲台の沖を進み、更に南に下る。かすかに小金門島が見える。<br />更に船が南に進み、少しアモイ島から離れた。すると急に風が変わり、潮の香りが漂う。その風の変化を感じていると船は再度Uターンし、戻り始めた。それと同時に船内放送があり、1階で人形劇が始まると言う。<br />

    海滄大橋の下を潜り、更に北に進み、本土にある大きな造船所の辺りで船がUターンをし、少し速度を上げながら、もと来た海上を戻る。
    船は、コロンス島を向けて進む。アモイ島とコロンス島の間を、少しスピードを上げて船が南に移動する。コロンス島に建つ鄭成功の像がライトアップされて綺麗に浮かび上がっている。
     
    その前を通り過ぎ、アモイ島にある胡里山砲台の沖を進み、更に南に下る。かすかに小金門島が見える。
    更に船が南に進み、少しアモイ島から離れた。すると急に風が変わり、潮の香りが漂う。その風の変化を感じていると船は再度Uターンし、戻り始めた。それと同時に船内放送があり、1階で人形劇が始まると言う。

  • 王さんなどと1階に降りる。既に前の席は殆ど埋まっており、私は後ろの席から見る事にした。<br />冨田君は強引に前の空いている席に座りに行った。程なく、銅鑼の音とともに人形劇が始まった。<br />題材などはまったく判らず、人形の動きだけを見る事になったが、手に人形をはめた指人形に近いものだ。<br />  <br />何体かの人形が出てきて、アクロバティックな動きが面白い。棍棒を回したり、皿を回したりのシーンがあり面白い。約20分強の公演である。<br />この1階の船室は風通しが悪く、非常に暑い。<br />最後に人形を操っていた人達が舞台前にひとりひとり出てきて、自分の操っていた人形を示し、再度芸を見せる。比較的、若い女の子が人形を操っている。棍棒回しを再度、舞台前で行なうが日本で一時流行ったペン回しそのものである。競演者は全部で4人、3人が女の子である。<br />

    王さんなどと1階に降りる。既に前の席は殆ど埋まっており、私は後ろの席から見る事にした。
    冨田君は強引に前の空いている席に座りに行った。程なく、銅鑼の音とともに人形劇が始まった。
    題材などはまったく判らず、人形の動きだけを見る事になったが、手に人形をはめた指人形に近いものだ。
     
    何体かの人形が出てきて、アクロバティックな動きが面白い。棍棒を回したり、皿を回したりのシーンがあり面白い。約20分強の公演である。
    この1階の船室は風通しが悪く、非常に暑い。
    最後に人形を操っていた人達が舞台前にひとりひとり出てきて、自分の操っていた人形を示し、再度芸を見せる。比較的、若い女の子が人形を操っている。棍棒回しを再度、舞台前で行なうが日本で一時流行ったペン回しそのものである。競演者は全部で4人、3人が女の子である。

  • この人形劇が終わる頃には、船がすでにアモイ島とコロンス島の間に差し掛かっている。<br />それから5分程で船着場に着いた。全体で約1時間半のクルーズである。<br />船を降り、港のメイン通りに面した広場に出る。<br />そこにある売店で、おもちゃの鉄砲の実演をしている。鉄砲からシャボン玉が出てくるものである。<br />王さんがこれに興味を引かれ、子供に買って帰りたいと言うので、少し待っていた。すると3人家族のお母さんもそれにつられ、同じ様に孫に買って帰りたいというので、王さんが2つ購入する。<br />ひとつは25元であるようだ。簡単なおもちゃであるので、わざわざ中国で買って帰らなくても日本に戻れば購入できると思うのだが。<br />その後、ホテルへ戻るためのタクシーを拾うためにタクシー乗り場に向かった。

    この人形劇が終わる頃には、船がすでにアモイ島とコロンス島の間に差し掛かっている。
    それから5分程で船着場に着いた。全体で約1時間半のクルーズである。
    船を降り、港のメイン通りに面した広場に出る。
    そこにある売店で、おもちゃの鉄砲の実演をしている。鉄砲からシャボン玉が出てくるものである。
    王さんがこれに興味を引かれ、子供に買って帰りたいと言うので、少し待っていた。すると3人家族のお母さんもそれにつられ、同じ様に孫に買って帰りたいというので、王さんが2つ購入する。
    ひとつは25元であるようだ。簡単なおもちゃであるので、わざわざ中国で買って帰らなくても日本に戻れば購入できると思うのだが。
    その後、ホテルへ戻るためのタクシーを拾うためにタクシー乗り場に向かった。

  • <帰りのタクシーでのハプニング><br />港のメイン通りは公園もあり、午後9時を回っているというのに非常に賑わっている。<br />日曜日である事も関係しているのか?<br />メイン通りのタクシー乗り場でタクシーを待つ。何人かのグループがタクシー待ちをしているが並んでいるわけではない。通りを走るタクシーに手を上げて拾う。これは日本と同じである。<br />1台目のタクシーは順調に我々の前に止まってくれた事もあり、捕まえる事が出来た。<br />それにおやじ3人組のひとりと3人家族のお父さんとお母さんに乗って貰い、私と冨田君は後のタクシーで王さんといっしょにホテルに帰る事にした。<br />しかし、これからが大変であった。なかなかタクシーが来ない。<br />また、来てもそこら中で手を上げているので、タクシーも思い思いのところで止まり、客を乗せる。<br />その為、我々だけが孤立した様な状態で残されている。また、次から次へとタクシーを拾う為に人が集まるので限がない。<br />王さんも焦り出し、我々に、『次はがんばりますから』と言う。<br />我々は、『気長に待ちましょうよ!』と言うが、王さんは聞いていない。<br />そうすると1台のタクシーがかなり手前で停車した。王さんが猛然ダッシュし、そのタクシーに向かう。<br />我々も遅れて付いて行く。すると前の席にひとりの男性がさっと乗った。それを見て王さんがその男性にすごい剣幕で怒鳴りつける。その男性も負けじと応じる。うしろの席からは乗っていた人が降り、その男性の奥さんと子供が乗ろうとするが、王さんがうしろのドアを閉めて乗せない。<br />そして、その男性に再度怒鳴りつけるもその男性は応じる事なく平然と助手席に乗ったままで動こうとしない。何度か王さんが怒鳴っていたが、一向にらちがあかない。<br />その内、その男性の奥さんが王さんをなだめ出した。我々も先に乗って貰ったら良いと言い、やっとの事で王さんが諦めた。この間、10分くらいやり取りをしていた。<br />その後、再度王さんのダッシュでやっとの事、1台のタクシーを確保する事に成功したが、タクシーを待ち出して既に30分以上が経過していた。<br />タクシーに乗ってほっとし、また冷房も良く効いていたので、気持ちが良いと言っていると先程のタクシー争奪の話になり、王さんが中国人のマナーの悪さを同じ中国人として恥ずかしいと言う。<br />私も確かに中国人の他国でのマナーの悪さは有名になっている事をいうと王さんは閉口していた。<br />冨田君が日本人もあまり威張れたものではないとフォローしたが、やはり王さんによるとマナーの悪いのは、本当だと言う。王さんも厦門へ来た当初はこのタクシー争奪戦で、連戦連敗で会社に30分以上遅れる事が頻繁にあったという。タクシーは夜間でもあり、郊外に向かう道は空いている。20分足らずでホテルに到着した。ホテルのフロントに戻るとおやじ3人組が王さんに用事があるのか、待っていた。<br />冨田君のマナーの悪い日本人の一部がここにもいると私も感じた。王さんにお礼を言い、明日の集合時間を再度確認し、我々2人は10階の部屋に上がった。<br /><br />今回はここまで!次回は最終日。コロンス島観光。<br />

    <帰りのタクシーでのハプニング>
    港のメイン通りは公園もあり、午後9時を回っているというのに非常に賑わっている。
    日曜日である事も関係しているのか?
    メイン通りのタクシー乗り場でタクシーを待つ。何人かのグループがタクシー待ちをしているが並んでいるわけではない。通りを走るタクシーに手を上げて拾う。これは日本と同じである。
    1台目のタクシーは順調に我々の前に止まってくれた事もあり、捕まえる事が出来た。
    それにおやじ3人組のひとりと3人家族のお父さんとお母さんに乗って貰い、私と冨田君は後のタクシーで王さんといっしょにホテルに帰る事にした。
    しかし、これからが大変であった。なかなかタクシーが来ない。
    また、来てもそこら中で手を上げているので、タクシーも思い思いのところで止まり、客を乗せる。
    その為、我々だけが孤立した様な状態で残されている。また、次から次へとタクシーを拾う為に人が集まるので限がない。
    王さんも焦り出し、我々に、『次はがんばりますから』と言う。
    我々は、『気長に待ちましょうよ!』と言うが、王さんは聞いていない。
    そうすると1台のタクシーがかなり手前で停車した。王さんが猛然ダッシュし、そのタクシーに向かう。
    我々も遅れて付いて行く。すると前の席にひとりの男性がさっと乗った。それを見て王さんがその男性にすごい剣幕で怒鳴りつける。その男性も負けじと応じる。うしろの席からは乗っていた人が降り、その男性の奥さんと子供が乗ろうとするが、王さんがうしろのドアを閉めて乗せない。
    そして、その男性に再度怒鳴りつけるもその男性は応じる事なく平然と助手席に乗ったままで動こうとしない。何度か王さんが怒鳴っていたが、一向にらちがあかない。
    その内、その男性の奥さんが王さんをなだめ出した。我々も先に乗って貰ったら良いと言い、やっとの事で王さんが諦めた。この間、10分くらいやり取りをしていた。
    その後、再度王さんのダッシュでやっとの事、1台のタクシーを確保する事に成功したが、タクシーを待ち出して既に30分以上が経過していた。
    タクシーに乗ってほっとし、また冷房も良く効いていたので、気持ちが良いと言っていると先程のタクシー争奪の話になり、王さんが中国人のマナーの悪さを同じ中国人として恥ずかしいと言う。
    私も確かに中国人の他国でのマナーの悪さは有名になっている事をいうと王さんは閉口していた。
    冨田君が日本人もあまり威張れたものではないとフォローしたが、やはり王さんによるとマナーの悪いのは、本当だと言う。王さんも厦門へ来た当初はこのタクシー争奪戦で、連戦連敗で会社に30分以上遅れる事が頻繁にあったという。タクシーは夜間でもあり、郊外に向かう道は空いている。20分足らずでホテルに到着した。ホテルのフロントに戻るとおやじ3人組が王さんに用事があるのか、待っていた。
    冨田君のマナーの悪い日本人の一部がここにもいると私も感じた。王さんにお礼を言い、明日の集合時間を再度確認し、我々2人は10階の部屋に上がった。

    今回はここまで!次回は最終日。コロンス島観光。

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

中国で使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
中国最安 182円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

中国の料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP