2009/07/11 - 2009/07/13
419位(同エリア703件中)
パンダ番長さん
- パンダ番長さんTOP
- 旅行記55冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,510アクセス
- フォロワー2人
~日本からの旅程と厦門観光の1日目~
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
<全日空(ANA)の厦門行きNH0957便>
搭乗便は、NH0957便で全日空の厦門への直行である。中国国際航空(CA)とのコードシェア便である。やはり、まだ早いのかゲート近くには誰もいない。ゲートに来たのは我々二人のみである。
ゲートをバックに記念撮影などを行い、話をしながら搭乗手続きを待つ。当初の予定搭乗時刻は、10:40分であったが、10:30分を過ぎてやっと係員が現れたので、搭乗時間は遅れるのではないかと話していたが、やはり5分遅れの表示に変わり、更に10分遅れの表示が変わり、結局は10:50分頃の搭乗となった。当初の搭乗予定時間になってもゲート近くの待合場所は疎らである。
旅客が疎らな状態のまま搭乗手続きを迎えた。搭乗券とパスポートを見せ、搭乗を開始する。
途中、搭乗口から機体に向かう通路に、中国検疫の書類とその記載方法の説明用紙が置いてあり、それを取り、機内に入る。
機体はB737-700機で、横一列が6人掛けの機体である。席は、機内の後の方であったが、片側の3人掛けのところに2人で座れた。席は半分くらいが空いている。
席について、先程通路のところで貰った中国検疫書類の記入を始める。今まで中国へ渡航する際に書いた事がないので、要領が良く判らない。記入説明の用紙を参照しながら記載するも機体が動き出すまでに間に合わず、途中で断念する。
機体がターミナルを離れ、滑走路へ向かう。いつもなら寝てしまっているが、今回は中国検疫の書類への書込みもあり、起きた状態で離陸を迎える。滑走路へ出るところでふと気づいたが、離陸の際には、北に向かっていつも飛立っていると思っていたが、今回は南を向いている。
そうこう考えていると離陸の態勢に入り、滑走路を走り出し、無事に離陸した。徐々に高度を上げながら大阪湾上空を旋回する。旋回を終え、西に進路を変え、瀬戸内海上空を更に高度を上げながら進む。
眼下に淡路島が見える。そこそこ高度が上がったと感じたところで、機体が大きく揺れ出す。 -
丁度、瀬戸内海上空に停滞している梅雨前線の雲に突入した。その為、機体が揺れ出したのだ。大きく揺れる事は稀ではあるが、小刻みな揺れが続き、再度中国検疫書類の記入を始めたが、上手く書けない。何とか苦労して検疫書類を書き終え、次に出入国カードの記入に移る。
これも持ってきたガイドブックの”地球の歩き方”に記載例が載っているので、問題なく記入出来る。揺れる中で何とか記入を終えた頃に岡山上空に差し掛かり、やっとシートベルト着用のランプが消える。しかし、機内アナウンスでシートベルト着用ランプが消えたが、安全の為シートベルトの着用を勧めるアナウンスが流れる。 -
確かに揺れは然程治まった感じはない。その内、CAが慌しく動き出した。機内食の準備をしている様だ。
広島上空辺りで、機内食が配られる。韓国料理の様だ。機内食のメニューは以下の通りである。
①若鶏のスタミナビビンバ
CAの説明では、全日空(ANA)の夏の大作戦の特別メニューとの事である。
ナムル類(大根と人参の酢漬け/湯でもやし/白菜キムチ)と鶏肉そぼろの掛かったご飯、温泉たまご
があり、ナムル類を鶏肉そぼろご飯の上に乗せ、更に温泉たまごとコチジャンを加え、混ぜて食べる。
この作り方を書いたマニュアルまで付いていた。
②韓国のり(この食事での使い方が良く判らない)
③カスタードプリン
④おつまみ(おかきとナッツ類の)
⑤飲料
さすがに、夏の大作戦と名を打っているだけの事はあり、非常に美味しかった。また、自分で作る楽しみもあり、子供などに享けるであろう。このメニューは関西空港から北京、上海、厦門などの限定便でのメニューで、北京から関西空港への便ではまた別の夏の大作戦メニューが出るようだ。帰りの便の機内食も楽しみである。
食事を終え、少しすると機体が長崎上空に差し掛かっていた。揺れも殆ど治まっている。少し冨田君と食事について話しをしていたが、その内に眠気が差してきて、眠ってしまった。
どのくらい寝ていたのか、機体が大きく揺れた事で目が覚めた。隣を見ると冨田君が席にいない。トイレにでも行ったのかと考え、機体がどの辺りを飛んでいるのかを機内のモニターで確認するともう既に中国大陸に入り、杭州上空で機体が南に転進した為に機体が大きく揺れた様だ。眼下の雲の切れ間から中国沿岸部の様子が見える。中国大陸をこのようにまじまじと見る機会はない。
沿岸部の複雑な地形の中で、まだまだ湾岸部の開発が行なわれていない部分が意外にも多いことに驚いた。
大きな湾では、湾内に養殖の筏が多く見られる(何を養殖しているのかは判らないが)。また、川などが海(湾)に流れ込む場所は、黄土色に濁っている。黄土が海に流れ込んでいるのであろう。日本の上空を飛んでもこのような光景は見られない。
時々、大きな港のようなところが現れるがそれがどの港なのかは上空からは確認出来ない。
モニターでは既にかなり南に来ている。関西空港から厦門高崎空港までの所要時間は約3時間30分である。
既に3時間近くが経過している。もう直ぐである。冨田君がなかなか席に帰って来ないので心配のなり辺りを見渡すと、何と斜めうしろの空いている席の窓際に座り、外を眺めている。席が空いているので移動した様だ。機内アナウンスであと30分後に到着予定である事と到着後、機内にて検疫が行われるので、機体停止後も席を立たない様に告げられる。
どうも検疫官が機内に乗り込み、乗客の体温を一人一人測定するらしい。
その内、着陸態勢に入るアナウンスが更に流れ、眼下を見下ろすと、進行方向前方に大きな都市が見えて来た。これが厦門である。良く見ると、島の部分が確認出来、幾つかの大きな橋が架かっている。
また、その島の手前部分に空港らしきものが見えてきた。しかし、高度は依然高いままである。そう思っていると機体が旋回を始めながら、高度を徐々に下げていく。雲の高さで気流が乱れ、また大きく機体が揺れる。雲が厚いのか、大分長い時間揺れと高度が下がるのを感じていた。急な降下で耳が痛い。丁度、大きく1回旋回して、見えていた空港に向け、機体が着陸態勢に入る。
空港は海に面しており、海側から滑走路へ進入し、無事に着陸した。 -
<厦門高崎空港で>
機体がターミナルへゆっくりと移動する。機体がターミナルに到着した後、アナウンスで再度機内での検疫がある事を告げ、席で待つ様に言われる。少し、待つと2人の検疫官が機内に現れ、機内最後尾へ移動する。機内の最後尾から順にガン型の検温計で一人一人のおでこで体温を測定し、確認をしている。
10分程で全員の検温が終わり、問題無かったのか、前の方から乗客が機を降り始めた。
我々も、最後の方ではあったが、機を降り、ターミナルへ続く通路を行くも、その通路の途中で外に出る階段を降りる様に係員に誘導される。
結局、そのままターミナル内には入れず、階段を降り、その下で待つシャトルバスにみんなで乗り込む。
みんな乗り込んだところでシャトルバスが発車し、30mも走らないうちに止まり、その場所で降ろされた。
別にわざわざシャトルバスに乗る距離でもなく、歩いても行けるところにターミナルへの入口がある。
その入口から一旦2階部分へ上がり、再度エスカレーターにて検疫所のある1階部分へ降りた。
先程の機内での検疫はあくまで検温のみで、ここで書類による詳細な検疫が成される様だ。
列の最後方に並ぶ。一人一人に非常に時間を掛けて書類を見ている。順番が廻ってきたので、機内で記載した書類をパスポートと合わせ、提出する。書類を読み、検疫官が何か話しかけて来た。
最初、何を言っているのか聞き取れなかったが、英語でどうも記載したホテルが厦門のホテルなのかを聞いている。厦門のホテルである事と告げると、通る様に言われた。
その後、通関は特に問題なく通過し、手荷物受取り所でも、乗客が少なかったせいか、あまり時間を要さず、手荷物をピックアップ出来た。税関申告するものは何もないので、そのまま出口に向かおうとすると富田君が税関申告の方へ行くので、呼び戻し、いっしょに出口を出る。
出たすぐ正面にJTBの看板を見つけ、通路を迂回し、その看板を持つ人のところに行き、JTBツアータグを示す。名前を告げると確認出来たのか、少し通路後方で待つ様に言われ、そこで2人で待つ。
厦門高崎空港は大きな空港ではないが、到着便がある時間は混雑している。10分程待って、最後のツアー客が揃った。全員で8人である。我々2人と、3人のおやじ達、それと3人家族(お父さん、お母さん、娘さん)である。全員揃って、ターミナルの出口を出、バスの待つエリアに移動する。
バスは中型の観光バスで、大きな手荷物は預ける様にガイドさんに言われたが、このまま観光に向かうと思い、カメラを手荷物から取り出したいので私は荷物を席に持ち込んだ。 -
<宿泊する翔鷺国際大酒店(グランドホテル)>
バスが走り出し、まずガイドさんが自己紹介をされる。名前は、”王立新”さん。日本語はまあまあ上手である。その後、本日の予定が説明され、まずホテルに向かい、チェックイン後、1時間程度休憩ののち、本日の観光に向かうとの事であった。続いて中国ではお決まりの注意事項を説明される。先の上海では、10項目を挙げられたが、今回の王さんは、次の5項目のみである。
①時刻:中国と日本の時差は1時間である。
②交通:中国は右側通行である。
③横断歩道:道路や横断歩道では勇気を出してゆっくりと渡る。
④貴重品:パスポートはホテル部屋のセキュリティボックスで管理すること。
⑤両替:ホテルや現地の銀行で両替よりも更に旅行社(王さんが)両替の方がレートも良。
上海での康さんとは、また見方の違いがある。それでも交通、特に道路の横断に対する考え方は、上海も厦門も同じである。
空港からホテルまでは20分程かかるらしい。
ここで、王さんから簡単な厦門の豆知識が伝えられる。
中国では、まず一番大きな区分が省で、厦門は、福建省に属する。
次に大きな区分が市で、厦門は、この市に当たる。また、更に小さな区分には県(日本では、県が大きな区分であるが、中国では逆である)があるが、厦門市では、区制を取っている事から市の下の区分は区である。
厦門市の中心はアモイ島で、島の面積は、133km2、本土部分も合わせた厦門市の人口は約120万人である。中国に来るといつも思うが、中国の高架道路は非常に良い、日本の首都高速や阪神高速の様に市内の主要箇所を繋ぎ、それでいてタダで利用が可能なのだから。その高架道路を通り、アモイ島の北西部に向かっている。
厦門では現在マンションの建設ラッシュか、至る所で新しい高層マンションの建設工事を行っている。
しかし、想像していた以上に近代的な高層建築の多い街である。
このような光景を車窓に見ながら、約15分強で、今回のツアーで宿泊する翔鷺国際ホテルに到着した。
ものすごく大きなホテルである。ホテルの正面玄関ではなく、側面の入口付近にバスが止まり、そこからホテルに入る。まだ、一部工事中なのか、工事機材搬入の為に廊下には、シートが敷かれている。入ってすぐのエリアは、ホテル内のショッピング街である。そのエリアを抜け、ホテルのフロントに移動する。
その途中で、ホテル内の吹き抜けの大きなホールに出る。非常に大きな中庭(ホール)でここがホテルの中である事を忘れてしまいそうだ。
フロント前まで移動し、王さんが各人のパスポートを集め、チェックインの手配をする。
チェックインが終わるまでフロント前のソファでみんな寛いでいる。待っている間に冨田君と夜の時間でオプションがあれば参加するかどうかを話合い、何があるかによるが、基本参加する事に決めた。
王さんのチェックイン手続が終わり、各人にパスポートを返す。また、各部屋のカードキーを各人に1人1枚ずつ渡され、朝食時の注意事項として部屋のカードキーを持っていく事を言われる。
また、今日の観光への出発のための集合時間を1時間後の3:10にフロント前集合と決まり、各部屋へ行き、部屋の空調やお湯などに問題ないかを確かめる様に言われ、もし問題があればフロントに下りて来て報告する様言われた。問題ない事が確認出来たら、休憩後次の観光に向かうという。各自、部屋の10階にエレベーターで上がる。
エレベーターホールから廊下に出るとやはり大きなホテルで、廊下が遠くまで続いている。
部屋は丁度ホテル正面玄関の上に辺りである。カードキーで部屋に入ると、部屋は1部屋ではあるが、ダブルベットが2つ並び、その奥にソファが置いてある。部屋としては申し分ない。後で気づいたが、この10階と11階はエグゼクティブのフロアーである。
部屋の空調、お湯、トイレなどが問題ない事を確認し、少し冨田君と話した後、夜のオプショナルについて王さんに相談するために早目にフロントに降りることにした。
また、ホテルのホールも少し見たいと互いに思っていたので、2:40分頃には部屋を出て、1階のフロントへ向かった。フロント付近で王さんを捕まえ、まず行く前から気になっていた郊外の温泉地である日月谷温泉へのオプショナルツアーがないかを王さんに尋ねる。オプショナルのツアーもなく、また時間も要するために夜での日月谷温泉への移動は時間的な面からも難しいとの事で断念した。
その他のオプショナルツアーでどんなものが考えられるかを王さんに尋ねると、ひとつはマッサージ(全身又は足)、もうひとつはナイトクルーズであるという。その両方とも行く事が可能かも問うと、1晩に1ツアーずつで考えれば可能との事で、今晩は、マッサージに連れて行って貰う事をお願いし、明日にナイトクルーズを考えて貰う事にした。
その話を終え、2人でホテル内の中庭(ホール)へ向かう。非常に広い中庭で、その周りがホテルの建屋である。丁度、長方形の”ロ”の字にホテルが立っている。その”ロ”の中が中庭になっている。屋根があるので屋内の中庭である。中庭内にはヤシの木が何本も立ち、噴水まである。
1階はレストランが2つと、カフェが1つ、それとホテルに入る時に見たショッピング街がある。中庭を通り抜け、再度フロントに戻る。既にみんなが集合している。王さんが全員に部屋が問題なかった事を確認し、観光へ出発する。 -
<厦門市内の様子>
バスに乗り、いざ観光に出発である。
ホテルの裏(裏と言ってもこちらの方が大きな通りに面している)から大通りに出る。バスはアパート群が立ち並ぶ住宅地区を通り、アモイ島の中心部へ向かう。ホテルは厦門市の湖里区にあり、バスは、この区内の高架道路に入る。この高架道路からこの湖里区の工業団地が見えてくる。
この工業団地は1981年に最初に厦門の経済特区に指定された地区で、この経済特区の政策が大成功を収めた事で厦門市全体がこの経済特区に指定されることになる。
その地区を抜け、更にバスは市内の中心部へと向かう。車の数も多くなってきた。そこで王さんから、車の話が出る。車のナンバープレートは各省で決められており、厦門市は福建省に属するので、福建省のナンバープレートが使用されている。また、福建省の車のナンバープレートには、”閩(ビン)”という文字が使われている。”閩”の文字は、門構えの中に虫の字が入った漢字である(日本では使われていない)。
この漢字が使われる様になった謂われは、こうである。福建省は、非常に蛇の多い省で、特に毒蛇が多い事で中国国内では有名であった。元々中国では、蛇は”虫”に区分けされていた為、福建省は” 閩州(閩省)”と呼ばれていた。その” 閩”の文字が現在の車の文字に使用されていると言う。
また、厦門の町の起こりについても説明があった。
厦門の港の起源は、千年程前に遡る宋時代の漁村である。中国朝廷の管理下で文献などに出てくる厦門の起源は、600年程前の明時代で、この時代に”アモイ(XIAMEN)”の名前が起こった。もともとは、”下門”と書かれ、”XIAMEN”と呼ばれていたが、文字の通り、当時の中国での南(下)に位置する事からこう呼ばれた。しかし、”下”の文字は印象が悪いという事で、現在は北京語の発音が同じ”厦門(XIAMEN)”の文字が充てられており、意味も”大きな門”と変わった。
その様な厦門に関する雑学を聞いていると、バスは既に市内の中心部に至り、今回の最初の観光地である華僑博物館に到着した。
<華僑博物館>
大きな通りから車がりっぱな門を潜り、敷地内に入る。敷地内は意外に広い。敷地内の真ん中に、円形の花壇がある。また、奥には何台も観光バスがすでに止まっている。我々の乗ったバスもその一角に停車する。その前が目的地の華僑博物館である。 -
バスを降り、その建物の階段を昇る。この入口で、王さんの入場手続きを待つ。
入口には、華僑華人の文字がある。
華僑は、中国から海外へ移民した人達を指し、華人は、移民し、その現地の国籍を取得した2世、3世以降の人達を指すらしい。その様な説明をまず受け、博物館内に入る。
この華僑博物館は、華僑・華人館、文物館、自然館の3つの展示館からなる。
そのうちの華僑華人館は、世界各国、各地に渡った華僑の足跡、海外での創業の苦しみ、海外に根を下ろす選択、祖国を忘れない熟情などを系統的に紹介している。
まず目に付いたのは、船の模型である。華僑は当然船で海を渡り、海外へ移民した。その多くはこの福建省より船出をした。昔から福建省では造船業が盛んで優れた船が建造された。
この船は、“福船”と呼ばれ、多くの華僑はこの“福船”にて海外へ移民をした。
その福船の模型が展示してある。香港などでよく見るジャンク船に似た形状の船である(判らないが、ジャンク船も元々福船なのかも知れない。
ここで、王さんが、『華僑の皆さんのイメージは成功した人達が非常に多く、海外で裕福な暮らしをしたと思っておられると思いますが、その多くは貧困と重労働に喘ぎ、苦しんでいた』との説明を受ける。
ある国の華僑入国者とその年の死亡者を統計表にしたものが床に刻まれていたが、その死亡率は例年3割に達している。それ程、過酷な労働に従事したり、貧困に喘ぐ人が多かったのである。 -
華僑華人が一番多い国は、現在はインドネシアである。アメリカなども驚いたが、300万人以上いる。
日本では、現在約100万人で、神戸や横浜などの港町には中華街もある。各国では、日本と同様に唐人街やチャイナタウンの名で華僑が住む地域を区分けしている国もある。各国での華僑華人の労働や生活の様子を表現した展示が、1階、2階部分に渡り、展示されている。特に最後の方に展示があったカナダの大陸横断鉄道は、華僑華人の血肉で出来た鉄道を華僑華人の人は思っているとの事であった。
また、日本でも有名な孫文も劇画風のパネルなどで紹介されている。
王さんが“孫中山先生”と呼んでいた事に少し違和感を覚えた。
我々の知る孫文は、清朝末期の中国で、中華民国の初代大総統に就任し、清朝との対話を図る為、当時の清朝の軍事総監の袁世凱に総統の座を譲ったが、袁世凱のやり方に反発し、反袁世凱を掲げたが、敗れ、日本に亡命した事ぐらいである。後で知ったが、孫文は、日本亡命時、孫中山と号していた。後に中国や台湾の地名などに「中山」の文字が付く所はこの孫文の号に由来する。中国および台湾では、近代革命の先人として、「国父」と呼ばれており、中国と台湾の両国で尊敬されている数少ない人物である事が判った。中国の人も非常に尊敬している建国思想の父である。それで王さんが“孫中山先生”と呼んでいたのだ。 -
このような華僑華人の歴史や文物を見学後、時間があるので自然館に立ち寄る。
大きな鯨の骨格標本が展示室中央にあり、その周りに各環境に生息する動物などを紹介した極有り触れた展示であった。その展示室を一周し、みんなが集合し、1階に階段を使い降りる。
ホテルからバスに乗っていたので、そんなに感じなかったが外は非常に気温が上がっている。バスまで少し距離があったのと出てから記念写真を少し、撮る間に汗が噴出してきた。そうそうにバスに乗り込む。みんな乗り込んだところで次の観光地である南普陀寺に向かう。 -
<臨済宗の南普陀寺>
華僑博物館からバスに乗り、5分程で次の観光地である南普陀寺近くに到着した。
この寺院には駐車場がないため、道路脇にバスを降りて、ここから少し歩くらしい。バスを降りると、厦門市の地図を売る人が盛んに売り付けてくる。
ガイドの王さんが、『タダではないですよ!』とみんなに注意をする。
西安や上海でこのような光景は経験しているので、相手をするとしつこく付いてくるので、無視してガイドの王さんに付いて歩く。すると後ろで冨田君が相手をして聞いている。もとから買うつもりはないのであれば、相手をしてはいけない事を言うと止めて歩き出したが、すでに遅く冨田君に付いてくる。
横断歩道のない大通りを車に気をつけながら渡る。その渡った場所に門がある。門というより中国式の鳥居か?その門に向かい多くの人達が入って行く。 -
漸く、冨田君に取り付いていた物売りも諦めたのか、門の中までは付いて来ない。
門の中は木立の間で多少は涼しい。その木立の道を進むと左手に大きな岩に文字の書いてあるのが見える。
その奥には門らしきものも見えるが、その更に奥は塀である。また、右手には、公園とその奥に大きな池があり、池一面に蓮が群生している。
ここで、おやじ3人組と王さんが何か話をしている。先程からおやじ3人組は盛んに携帯電話で仕事の話をしている様子であったので、その事で話をしているのであろうか?その内、王さんのみが戻り、3人組はここで待つ事になったようだ。ここで仕事の終わらせる為、残るという。
王さんを入れて6人で、この木立の道を更に進むと南晋陀寺の入口に達する。前は広場で、また公園も広がっている。多くの人で賑わっている。入場の為の手続をする為に王さんが入場券売場に向かう。その間、前の広場で冨田君と記念撮影を行なう。
王さんが戻り、いざ入場。入口となっている天王殿に入る。 -
まず正面に大きな布袋像が鎮座している。その前で多くの人達がお祈りをしている。手にはみんな長く太い赤い線香を持ち、像の前に跪いて、お辞儀をする際に頭の上に線香を上げる。この動作を3回繰り返し、その後、顔の前に線香を持ってきてお祈りをしている。代わる代わる人々がお祈りをしている。
また、この布袋の左右には、立派な装飾が施された四天王像が見える。左に毘沙門天像と増長天像、右に持国天像と広目天像が安置されており、これらにも人々がお祈りを欠かさない。布袋像も四天王像も写真撮影禁止である。
日本で見る四天王像とは、丸っきり違い、煌びやかで色彩に飛んだ装飾が施されている。日本で見るこれら四天王像は木造や塑像のものが殆どで、装飾も地味な感じのものが多い。
大きな布袋像の横を通り、その像の裏に回るとそこには、金色に輝く、韋駄天菩薩の像がある。 -
ここでも同様にその前で多くの人達がお祈りをしている。その脇で、この寺院の説明が始まる。
南晋陀寺は五老峰のふもと、厦門大学に隣接したところに建てられた全国でも名高い寺院である。仏教四大名山のひとつ、浙江省普陀山の南にあることからこの名がついた。起源は唐代までさかのぼり、天王殿、大雄宝殿、大悲殿、蔵経閣、鐘鼓楼などで構成される建築群は壮観で、仏教の特色と唐代の煌びやかな装飾など大いに醸し出している。このような説明の後に、次の大雄宝殿に向かう。
この建物の3つある入口が大きな柵で仕切られている為に中の全景が良く見えない。本尊である観音菩薩像の上半身が見えるのみである。また、この大雄宝殿の両側には、羅漢堂が建ち、回廊沿いにその羅漢像が拝める様になっている。行きは大雄宝殿の左手の回廊から羅漢像の前を通り、裏に至る。 -
そこは中庭の様になっており、その先に六角形の楼閣状の大悲殿が建つ。その前の石段を登り、大悲殿に達する。ここには、大雄宝殿と同じく、観音菩薩像と千手観音像が安置されている。
ここの観音菩薩像も千手観音像も先の天王殿での韋駄天菩薩像などと同じく、キンキラキンで、日本で見るものとはイメージが違う。もとは、日本の仏像もこの様な装飾がなされていたのかも知れないが、それが残るものは殆どない。 -
この大悲殿には、大きな木々が寄り添うように生えており、建物の全様ははっきりとは見えない。
この大悲殿から更に石段を登ったところに、蔵経閣がある。蔵経閣にはミャンマー玉で作られた玉仏のほか、宋代の古鐘・香炉、明代の八首二十四腕観音などや『明大蔵経』、『日本大蔵経』などの著名な仏教経典が大量に保蔵されている。
ここも大雄宝殿と同様に入口となる場所に大きな柵があり、中の様子が柵の隙間からしか拝めない。
しかし、その隙間からはっきりと白いミャンマー玉で作られた玉仏が見える。どのようにして玉石をあの様な仏像に加工したのであろうか?本当に中国での玉石や翡翠などの石での芸術品にはいつも驚かされる。非常に長い年月をそれも物によっては何世代もかけて完成させたものも多いと聞く。この玉仏もそのような芸術品のひとつである。また、先にも書いたが、この蔵経閣の2階は書蔵になっており、著名な仏教経典が保蔵されている。これについては見ることが出来ない。
その蔵経閣の横と通り、裏の崖に移動する。そこには石刻が多くある。
王さん曰く、『中国人は大きな岩を見れば、文字を書いたり、文字を刻んだりする事が好きなんです。』と言う。確かに大きな一枚岩の岩面に沢山の文字が刻まれている。
漢詩の一文や仏教経典の一文など、様々な文字が刻まれ、白や朱、金色に色づけされている。
また、大きな一枚岩のところには、硬貨が岩の斜面の張り付いている。
王さんに聞くと、下からこの一枚岩の上に硬貨を投げて、岩の表面に張り付く(引っ掛かる)と幸運が訪れると言われており、観光客が挑戦するのであるという。
確かに見ていると何人かの観光客が挑戦しているが、硬貨は虚しく、岩肌を転がり落ち、投げた本人のもどに帰ってくる。岩肌を見ても、本当に数えられるくらいの数の硬貨しか岩肌には張り付いていない。 -
それら中でもひと際大きな石の上に、縦約4,5m、横約3,3mの「佛」の石刻がある。これは国内でも非常に珍しいものであるという。この佛の字も普通に書かれているのではなく、仏教の真髄をこの文字で表しているそうだ。よく見ると全体に一筆一筆がすべて湾曲しているが、最後の縦の一筆のみが真っ直ぐに書かれている。
ここで、自由行動となり、30分後に入る前に集合していた天王殿の前に集合ということで、みんな思い思いに動き出す。
王さんに更に上はどうなっているのかと聞くと、寺の裏の五老峰山の麓には、歴代高僧の墓塔をはじめ、碧泉、般若池、浄業洞、須摩提国などの名所があるが、殆ど観光客は行かないと言う。
取り合えず、富田君と大きな「佛」の文字の岩の前まで行き、そこで記念撮影を行い、そこから冨田君と二人で、入口に向かい、戻りながら見ていないところを見て回る事にした。
丁度、蔵経閣の横から階段状の回廊が続いており、そこを通り、進む。途中、この寺院の歴史などの説明パネルなどもあったが、勿論中国語であるので、内容が判るわけではない。 -
帰りは、大雄宝殿の右手の回廊を進み、行きと反対側の羅漢堂の前を通り、大雄宝殿と天王殿の間に出る。
そこで気が付いたが、天王殿から大雄宝殿に向かい、左手に鐘鼓楼が建っている。
まだ少し時間があるので、この辺りで再度記念撮影を行い、天王殿を出て、集合場所に向かう。
すでに3人家族の方と王さんが待っていた。そこに合流し、南普陀寺を後にする。
帰り道で、天王殿の左手に学校らしき所があるので、王さん聞くと、1925年に設立された仏教学院で、この寺院の弟子を養成しているという。また、寺内にある「素斎館」という所があり、そこで精進料理を楽しむことができるそうだ。ここの精進料理は非常に有名であるらしい。
行きの道を戻ると、おやじ3人組が門の付近で公園で柵の欄干に腰掛て待っていた。
その人達と合流し、バスを降りた場所に戻る。また、横断歩道の無い大通りを車に気をつけながら渡り、物売りの攻勢に耐え、バスに乗り込む。暑い中を歩いたので、冷房の効いた車内は心地よい。
全員が乗り込み、バスが走り出す。今度の目的地はこの厦門の黄暦海岸である。 -
<厦門市民の憩いの場、黄暦海岸>
南普陀寺から厦門大学沿いに南に向かい、バスが進む。先程の南普陀寺から見えていた高い建物は厦門大学の校舎である。大学のグラウンド沿いに南に進み、更に大学沿いに東に進む。厦門大学は非常に大きな大学でどこまで大学の敷地なのかが判らないくらいに広い。学生寮らしき建物が続いた後、マンション群に変わったので、あの学生寮風の建物までが敷地であろうか?
王さん曰く、厦門大学は中国国内でも十指に入る名門大学で、学生数も2万というマンモス大学である。
各省から学生が来ているそうだ。その厦門大学を過ぎると海沿いに道に出る。そこにまた厦門の名物がある。
音符のモニュメントである。道路の中央分離帯に音符のモニュメントが続く、その長さは約150m。音符のモニュメントとしては世界一の長さとの事でギネスブックにも登録されているという。
この楽譜は、”コロンスの春”という曲である。 -
そのモニュメントを過ぎると今回は観光予定の内、故里山砲台跡地が右手の木々に隠れた場所にある。
バスの中からは木々に邪魔されて見えない。更に東にバスは進み、道の両サイドにヤシの木々が植えられた海岸線の道に出る。そこを少し走ったところで、バスが道路脇の側道に入り、停車する。
この辺りが黄暦海岸らしい。みんなでバスを降りる。
バスの前は公園になっており、石のモニュメントがいくつも見える。良く見るとすべてのモニュメントに文字が刻まれている。それも篆刻文字であったり、象形文字であったり、甲骨文字であったりとすべて古代文字である。それらのモニュメントの公園を抜けると砂浜が広がる。
多くの人達が、海水浴や水遊びに訪れている。砂浜は意外にも傾斜が激しく、海に向かいかなり傾斜している。磯の香りがほのかにするが、内海に成っているのか、然程磯の香りが強くない。
遠くに台湾領の小金門島が見える。その奥に大金門島もかすかに見えている。すぐそこが台湾との国境である。その為革命時には、この辺りは戦争の最前線でその為に厦門市内でも空襲が頻繁にあり、防空壕跡が多く残るそうだ。
この黄暦海岸は台湾国境が見える海岸というだけでさして見る場所があるわけでもないので、そうそうにバスに引き上げる。次は、土産物屋の茶工芸館である。 -
<本場の烏龍茶の直売店:茶工芸館>
バスは、海岸線の道から山に向かい、道を折れる。
山に向かい少し走ったところで、道路沿いに建つ建物の駐車場に入る。そこが、茶工芸館である。
バスを降り、入口を入ると中には、女店員が5~6名並び迎えてくれた。
その後、入口付近から狭い廊下を通り、廊下の突き当たり手前の部屋に案内される。
中は十人程度が壁沿いに座れる様に椅子が置いてあり、正面に茶道具が乗った机がある。
3人の女店員がお茶を入れる準備をしている。みんなが部屋に入り、壁沿いに各々座る。最後に王さんが座ると女店員のひとりが流暢な日本語で説明を開始する。
ここは国営の茶工場の直営店で、みなさんがご存知の通り、福建省で有名なお茶である烏龍茶をメインに扱う店である。今日は、その烏龍茶を含め、幾つかのお茶を試飲頂き、気にいったものをお土産に買って帰ってほしいという。
まず、緑茶に近い、緑牡丹(リョクボタン)というお茶を入れて貰う。色は日本の緑茶と同じ、香りは日本茶よりも薄い感じがする。飲むと甘みの強いお茶である。
続いて出されたのが、烏龍茶の鐵観音。その中でも高級茶である銀観音。 -
ここで烏龍茶の入れ方の講座が始まる。烏龍茶は90℃のお湯で入れるのが好ましく、その温度を測るものとして素焼きのアニメのクレヨンしんちゃんの”しんのすけ”小便小僧の様な人形が出て着た。
それをお湯に入れると中に水が溜まっているのか小便をする。小便をすると丁度良い温度になっている事と示している。
また、烏龍茶は一回目のお茶は捨て(一回目のお湯は茶葉を蒸らす意味で入れる)、2回目に入れたものを飲むのである。
お茶を飲むための小さなお茶碗(直径が2cm程度の茶碗)と、香りを嗅ぐお茶碗(直径が1.5cm程度で高さが3cm程度の縦長のお茶碗)を見せられ、それぞれにお茶を入れられる。するとそのお茶碗の表面に描かれていた黒い龍が、温度で赤い龍に色を変える。
銀観音は香りの強い烏龍茶で、味は我々が良く飲む烏龍茶に比べ、まろやかで苦味が少ない。
更に高級なお茶の金観音を入れて貰う。これは先程の銀観音よりも更に苦味が薄く、甘みも強い。さすがに最高級の烏龍茶である。この美味しい烏龍茶を堪能した。
その後、中国では定番の花茶の代表的なお茶のジャスミン茶を頂いた。それと合わせ、きな粉の塊のお茶菓子を頂いたが、それを食べるとお茶を飲まないと口の中が粉だらけのままである。ジャスミン茶でこのきな粉菓子を流し込む。その後、お茶を注がれ、寛いでいるとここからが店の人達の本番である。
先程、試飲させて貰ったお茶類をお土産に進められる。お土産としてお茶を買うともれなく、先の素焼きのしんのすけの小便小僧人形が付いて来る。 -
また、更に300元以上の買い物をすると、龍の色が変化するお茶碗が2個、更に500元以上の買い物をするとその茶碗の10点セットを付けてくれるという。
女店員が進めるのはやはり一番高い、烏龍茶の金観音である。ひと筒で150元。中に小分けされて10袋入っている。それが3筒セットになったものを進められるもそれ程多くは要らない。
銀観音はひと筒で120元、更にジャスミン茶は少し大き目の筒(200gくらい入っているか?)で280元である。各々少しずつほしい為、銀観音、金観音、ジャスミン茶を1筒ずつ、3筒購入し、金額は550元である。これで一通りのおまけはゲットした。
更に金観音を追加購入すると、小さなジャスミン茶の筒をおまけすると言われたが、そこまで要らないと断る。帰るまでかなりしつこく売り込みを掛けられた。みんなが思い思いのお茶を購入し、部屋を出る。
最後にお茶を入れていたテーポットが欲しく、女店員に聞くと50元ということなので、購入した。
日本で買ったら千円以上はするであろう。これは安い買い物をした。お茶も全般的には上海で購入したものよりも価格的には安価である。良い買い物をしたのではないだろうか?
みんなで再度バスに乗り込む。次は待望の夕食である。今日は地元の広東料理である。 -
<夕食の広東料理>
バスはアモイ島の中央部の山間部を抜け、市内の中心部へと向かう。
山間部の峠を過ぎるとマンション群の住宅街となり、更に徐々に繁華街になって行く。
途中、前方に高架道路が見えてきた。王さんの説明でその高架道路が路線バス専用の高架道路であるという。
これは中国ならではである。確かに注意し、見ているとバスしか走っていない。
バスが市内の中心部に来たのか、通りが賑やかになってきた。バス専用の高架道路から然程遠くないところでバスは停車した。今日の夕食場所についた様だ。外見はホテルである。ホテル名は判らない。
1階のロビーもホテルのロビーではあるが、広くはなく大きなホテルではない。奥のエレベーターで3階に上がる。その階にレストランがある。
まだ時間帯が早いのか、誰もレストランにはいない。このレストランの名前もどこにも書いていない。
我々だけが、レストランの入口に近いテーブルでの食事である。
まずお決まりの飲物を聞かれる。冨田君は地麦酒を注文する。他では青島麦酒を注文する人もいる。各々思い思いの飲物を持ち、乾杯をする。料理は程なく前菜の冷菜が出てきた。その後以下の料理が出てきた。
①前菜 (1)くらげと香草の冷菜
(2)かぶの酢醤油漬け
(3)青菜の酢漬け
②インゲン豆と挽肉の胡椒炒め
③かもい豆腐と魚肉の味噌炒め
④かきと葱の卵焼(ちぢみ風)
⑤スズキの紹興酒蒸し
⑥なすと挽肉の味噌炒め -
⑦酢豚
⑧蛤の茶碗蒸し
⑨白菜の塩炒め
⑩きゅうり、セロリ、豚肉のスープ
⑪卵焼飯
⑫フルーツ(すいか)
以上である。
日本人の好みの味付けのものが多く、特筆して美味しかったものはなかったが全般的には美味しかった。
また、量も充分で、殆どの料理は残っている状態であった。
それにしてもデザートのフルーツは中国では決まって”すいか”である。何か理由があるのであろうか?
みんな満足した様子で、お茶を飲みながら寛いだ後、席を立ち、1階のロビーに降りる。ホテルを出て、前にバスが待っていると思いきや、かなり離れた場所にバスが移動しており、そこまで歩いて行く。
みんながバスに乗り込むのを確認し、バスが動き出した。 -
<オプショナルのマッサージ>
食事が終了し、これで今日の予定は終了である。ホテルへ向かう。
このバスの中で、先に我々が提案していたオプショナルツアーについてみんなに聞かれた。
オプショナルツアーとしては、ひとつはナイトクルーズ、もうひとつはマッサージである。
今日はその内のマッサージを考えている旨を王さんが伝え、参加されるかどうかをこれからホテルへ帰るまでの間に考えておいて下さいと謂われた。冨田君と相談し、参加する事とした。
バスは市内の繁華街から郊外に向かう。住宅街のアパート群の間を通り、ホテルに向かう。
中国では電飾が店々に施されているのは当たり前であるが、厦門では住宅にもその電飾が施されている。
一般のアパートやマンションの外壁にも様々な電飾が見られる。その電飾を施されたアパート群を抜け、バスはホテルへ。食事場所から15分程で、ホテルの翔鷺国際大酒店に到着した。
みんな荷物を持ち、バスを降りる。一旦ホテルのフロント前に集合し、先程のオプショナルについて聞かれる。我々2人と、おやじ3人組が参加する事になった。ホテルの中庭ホールは電飾に飾られている。また、昼間と趣きが変わり、きれいである。
一度、部屋に戻り、10分後に再度フロント前に集合する事で、荷物を置きに部屋に戻る。
部屋に戻り、荷物を置いて必要な物のみを持ち、再度1階フロントに降りる。おやじ3人組は部屋に戻らなかったのか既にソファで寛いでいる。
我々2人が集合した事で、王さんが出発しましょうとみんなに声をかける。バスに再度乗り、目的地のマッサージ店に向かう。ホテルからは15分程度で着くらしい。
先程の帰り道で通った電飾を施したアパート街の道を通り、再度市内の繁華街へ。
15分も経たない内にバスが繁華街の一角で停車する。停車した場所の前がマッサージ店のようだ。
1階フロアーには何もなく、道に面したところにピンクのナース服を着た女の子が立っている小さな受付があるだけだ。王さんがその女の子と何か話をし、1階フロアー奥の階段に向かい歩く。
階段に行き着くまでの壁面にこの店の紹介看板がいくつもある。どうも店とは違い、病院のようだ。
階段を昇り、2階に上がる。すると入口にまたピンクのナース服を着た一団が立っている。そこに入ると受付があり、王さんが交渉をしている。その内みんなに全身マッサージか足つぼマッサージかを聞いて回る。
我々は全身マッサージをして貰う事にした。おやじ3人組も2人が全身マッサージで、1人が足つぼマッサージにするようだ。
王さんに案内されて病院の奥に行く。王さんに聞くとこの病院は”扶元堂”と言い、病院部と整体部に分かれているとの事。我々はここの整体部でマッサージを行なって貰うのである。
病院の迷路のような廊下を奥に奥に進む。整体部の病棟に着いたのか、ナース服の女の子が、各部屋を指し示す。手前が足つぼの部屋で、奥が全身マッサージの部屋である。
全身マッサージの4人がひとつの部屋に入る。ベットが5つある。各々1つのベットで、マッサージ用のパンツに履き替える様に言われ、履き替え、靴下などを脱ぎ、ベットで横たわっていると4人の先程のナース服の女の子が入ってきて一人一人に付く。私は眼鏡を掛けた20歳くらいの女の子である。 -
つ伏せに寝ていると上向く様に身振りで示され、上向いて寝る。そこで顔からマッサージを始めた。
最初に頭頂から始め、おでこから目の周りのつぼを押され出すと非常に痛く、必死に痛みを我慢した。
顔面の目の周りが最も痛く、顔面をして貰っていた10分程度が苦痛であった。その後、肩辺りまで行い、今度がうつ伏せなる様に身振りされ、うつ伏せに。首から肩、肩甲骨、腰、足とマッサージをされるが、他部分で顔面ほど痛いところはなく、最後にベットに座った体制で肩を押され、終了である。
1時間たっぷりのマッサージであった。4人全員がほぼ同時に終了し、着替えを始める。
冨田君に顔面のマッサージが非常に痛かったと話すと、冨田君は非常に気持ち良かったと言う。他の人に聞いても、痛くは無かった様で、私のみが痛かった様だ。目が疲れているのか?
着替えを終わり、全員で部屋を出る。足つぼマッサージが多少遅れて始まったのか、まだ終わっていない様子であったが、それも程なく終わり、王さんも含め、全員で病院部へまた戻る。
受付手前のソファで一服する。病院部は来た時には開業していなかったが、夜間の回診が始まったのか、医者や患者がいくつかの診察室に見受けられる。
ソファで寛いでいると王さんが、マッサージ代金の回収に来た。全身マッサージは180元/人である(因みに足つぼマッサージは150元である)。
それを支払、病院を出て、バスに向かう。バスは病院からすぐのところに停車していた。丁度、頭上にこの病院のネオンの看板が見える。みんなバスに乗り込みと思ったら、王さんとおやじ3人組がバスに乗らず、歩道で何やら話をしている。
どうやら、おやじ3人組は更に夜遊びに行きたいみたいで、王さんを困らせている。
結局、王さんが乗り込み、ここで別れて、王さんはおやじ3人組を案内する為残るという。
バスの運転手にホテルまで戻る様に王さんが指示し、我々だけでホテルへ戻る。もときた道を戻る。戻りもほぼ15分程度でホテルに到着した。ホテル周辺にコンビニがないかを予め聞いており、王さんからコンビニはないが、便利店(コンビニの小さい版。特に飲食物をメインで扱う)が数件ホテルの裏通り沿いにあると聞いていた。ホテルに帰ってからそこに行く事にした。
バスはホテルの裏玄関に止まり、我々をそこで降ろす。裏の大通りに面したところに何軒かの店が見える。
そこに行くべく、ホテルの階段を降り、裏通り沿いの歩道に向かう。横断歩道を渡り、ホテルの対面にある店に行く。確かに飲食物を売る店ではあるが、入りにくい雰囲気の店が並ぶ。
もう少し周辺の店を散策しようと2人で、更に足を延ばし、通りを進む。大衆食堂風のレストランなどで地元の人が夕食を取る場所がいくつもあり、通りにテーブルが出て賑わっている。
また、便利店らしき店もいくつもある。更に路地を入ると果物屋や麺屋などがあるが、入ったり、物を買ったりと言う勇気が出ない。ある程度歩き見て、同じようなところが続いたので、引き返すことにした。
結局当初王さんに紹介された便利店で、ペットボトルのジュース2本を6.5元で買い、ホテルへ戻ると何やら中庭が賑やかである。見ると2階部分テラスで結婚式が行われている。それを少し眺めてから部屋に戻る事にした。 -
部屋に戻るとすでに10時前で、互いに風呂に入り、疲れを取り、今日の土産の整理や使用金額の確認などを行い、また明日の朝食へ行く時間を決め、起きる時間をそれに合わせて、6時とした。
また、明日の観光メインの世界遺産の福建土楼の情報を持ってきたガイドブックなどで予習を少ししていたが、見るべきテレビもなく、12時前には就寝した。明日は世界遺産の土楼見学である。
今回はここまで!
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