2019/06/17 - 2019/06/20
4位(同エリア263件中)
SamShinobuさん
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重慶をひとり旅した記録パート2です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- スプリングジャパン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6月19日(水)
張伍面庄
朝7時前に起きてコーヒーだけ飲み、朝食は外で食べることにした。ホテルの並びにあった食堂に入ってみる。 -
壁の写真メニューに辛くなさそうなワンタンがあり、「清湯抄手」と書いてある。はなから清湯というのだから間違いないだろう。2両で12元(220円)。
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テーブルには小さい洗面器のような容器に辣油がたっぷりと置いてある。
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おばちゃんが運んできたワンタンは実に美味しくて、スープもダシが効いている。
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2両でお腹いっぱいになった。
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磁器口古鎮
小什字駅から地下鉄1号線に乗ると、33分で磁器口駅に着く。たったの5元(90円)である。磁器口は嘉陵江沿いにあり、明清の時代を通して水運の要衝として栄えてきた。その名の通り磁器の産地としても有名だったが、現在は明清の古い建物を活かした飲食店や土産物屋が立ち並ぶ観光地だ。 -
これといった名所がない重慶において、ここはまさに集客が見込める人気スポットなので、一応外せない。駅から5分も歩けば一番近い入口に着く。まだ早いので、お店も開いたばかりのようで人も少ない。ゆっくりと古鎮の雰囲気を味わいながらぷらぷらしてみる。
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宝善宮茶文化館
オープンエアの舞台があり、お茶を飲みながら川劇が見られるらしい。何時から始まるのか尋ねると、12時半からだと言う。時計を見るとまだ10時だったので、先に進むことにした。 -
少し先の「转运楼老茶館劇院」という劇場型レストランの前で、顔を塗って衣装をつけた俳優が客引きをしていた。ここでも川劇が観賞出来るようだ。こちらは日に4回興行で一番早い舞台は11時から。役者とツーショット写真も撮ってくれたので、「後で来ます」といって更に奥に進んだ。
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大量のニンニク、唐辛子を刻んでます。
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唐辛子の海。
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嘉陵江に向かって階段をずっと降りて行きます。
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餅をついてます。
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陽気なおじさん。
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このメインの小路は突き当たりの嘉陵江に向かってずっと下っている。帰りが大変だと思いつつ、脇道も入り組んでいて面白いので歩き回った。思わぬところにお店があったりするので、半日いても飽きない。
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宝輪寺
拝観料を徴収するおばさんがいたので、幾らか尋ねると志納だというので、1元払う。 -
参拝客は殆どいなかったので、静寂に包まれた古刹で悠久の時を想い瞑想する。あっという間に時間が過ぎ11時が近づいていたので、慌てて川劇を見に先の店に戻った。
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转运楼老茶館劇院
川劇は四川省を代表する中国八大地方劇のひとつだ。本日の演目は民族楽器の演奏、変面こと變臉(へんれん)、そして「白蛇伝」。11時半から13時までたっぷり見せてくれる。 -
席はA(88元)、B(68元)、C(48元)とあり、僕は一番前のA座にしてもらった。88元を何故か68元(1220円)にディスカウントしてくれた。その理由を中国語で説明されたが、何を言っているか、さっぱりだった。まあ安くなる分には文句はない。
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ここは四川料理のレストランだが、お茶だけでも構わない。
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僕は毛峰茶(緑茶)38元(680円)と、お茶請けに紅糖糍粑28元(500円)を注文。紅糖糍粑は見た目、太いフライドポテトかと思ったが、食べてみると餅を揚げているようだ。これを甘い黒蜜につけて食べる。意外と美味しいが、餅なので結構腹にたまる。
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美女二人による中国古典楽器の琵琶と琴の演奏の後、会場が一番盛り上がる變臉が始まる。變臉も川劇のひとつだ。
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役者は客席におりて、客の目の前で顔を変える。最後は素顔になるが、その後また瞬時に面を被るのには驚いた。そこまで出来るようになるには、相当な鍛練が必要だろう。ほぼ満席の場内は熱気に包まれて、興奮覚めやらぬ内に「白蛇伝」が始まった。
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「白蛇伝」は中国四大民間説話のひとつなので、中国人にとっては馴染み深い演目だろう。日本でも1958年に東映アニメーションが日本初のカラー長編アニメを制作したが、それがこの「白蛇伝」だった。
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タイトルだけは知っていたが、ぼーと見ていたのでストーリーはよく分からなかった。ただ白蛇の精を演じた女優がとても美しかったので、彼女の演技を見ているだけでも至福の時であった。
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重慶モノレール
磁器口駅から大坪駅まで行き、そこで2号線に乗り換える。ここから曾家岩駅に向かうのだが、この2号線はモノレールだった。それも中国初のモノレールで、なんと日本のODAにより日立製作所が建設した。車両は日本から輸入し、長江を使って輸送されたそうだ。日本製のモノレールが長江を運ばれる光景を想像すると、感慨深いものがある。 -
登坂能力が高く小回り半径が小さいモノレールが、重慶の地形に合っていたのだろう。2005年に開通して以来、ビルの谷間を縫って走るモノレールは重慶名物のひとつになっている。その後、3号線も日立製作所の技術によって開通し、現在重慶では2本のモノレールが走っている。運賃は地下鉄と変わらず、大坪駅から曾家岩駅まで4駅で2元(36円)だった。
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周公館(曾家岩50号)
曾家岩駅の通路が工事中で、C出口がなかなか見つからなくて難儀した。駅は地上にあったのに、通路を歩いていたらいつの間にか地下になっていた。ようやくC出口を見つけエレベーターで地上に出ると、その建物が目に入った。
蒋介石率いる国民党は日本軍と戦う為に、毛沢東、周恩来の共産党と休戦し一時的に手を組む。そんな国共合作のもと、周恩来は国民党臨時首都の重慶に派遣され、広報宣伝活動の拠点となる共産党中央南方局に詰めることになる。ここは1939年から1946年まで、中央南方局の事務所兼周恩来の住居として使用された。 -
周恩来と蒋介石の関係はとても興味深い。二人とも日本留学を経験し、1924年に孫文が中国初の軍官学校を作ると蒋介石は校長に就任し、周恩来もそこで働くようになる。しかし1926年に周恩来は上海で共産党の武装暴動に参加して、蒋介石軍に捕まって処刑されそうになっている。
その後、1936年には蒋介石が張学良らに西安で軟禁される。抗日戦争を渋る蒋介石を説得するために西安に派遣された周恩来。そして彼は見事説得に成功している。長年に亘って命懸けで対峙してきた二人の関係は如何なるものだったのか。
いくら一時的に手を組んだからと言って、またいつ敵になるやも知れない蒋介石の掌中で7年も暮らすのはどんな思いだったのだろう。まして度重なる日本軍の空爆もある。そのストレスは計り知れないが、それでも人望の厚い周恩来は国民党員からも信頼されていたそうだ。
入場無料。周恩来は、3階建ての建物の1階部分に住んでいた。正面の庭には周恩来の銅像が建っているが、相変わらずハンサムだ。 -
中山西路
街路樹が見事な中山西路を桂園に向かって歩く。重慶で一番美しい通りと言われているだけあって、自撮り棒を持った女子が自らを撮りながら歩いている。 -
luckin coffee
ここにはアプリでしか買えないことで有名なluckin coffeeがある。現金が使えないのは当然だが、この店はインストールしたアプリでしか注文出来ない。そのため客は事前にアプリで注文し、出来上がりの通知が来たら取りに行くという仕組み。どっちにしても僕はモバイル決済出来ないので入れない。 -
桂園
日中戦争が終結し、それまで暫定的に手を組んでいた国民党と共産党は再び内戦へと突入する。重慶に臨時首都を置いていた蒋介石は、内戦を止めさせたいアメリカの仲介もあり、毛沢東に会談を持ちかける。
そして敵陣に来る訳がないとたかをくくっていた蒋介石のもとに、1945年8月28日、毛沢東はやって来た。有名な「重慶会談(重慶談判)」である。会談は10月10日まで続き、ついに「双十協定」が結ばれ内戦は停戦と思われた。
しかし停戦どころか共産党の反乱は一気に拡大して、再び国共は熾烈な戦闘に突入していく。 -
この部屋で「双十協定」は結ばれた。
毛沢東はこの時本当に内線を終わらせる気があったのだろうか。彼は、日本が侵略戦争を起こさなかったら共産党は強大になれなかったし、蒋介石を打ち破って政権を奪うことも出来なかったと、過去に何度も話している。役者としては、毛沢東の方が一枚上手だったのかも知れない。
毛沢東が完全アウェーな重慶で事務所として使用していたのがこの桂園で、双十協定もここで行われた。緑濃い街の洋館には、毛沢東と周恩来の執務室がそれぞれあった。この二人の関係性も実に面白い。ここも入場無料。 -
OLIVER BROWN奥布朗
喉が渇いたのでビールでも飲もうとお洒落なカフェに入店。もちろん現金が使えるか確認を怠らない。ここは使えるとのこと。よし!
カウンターで注文し、テーブルに運んでもらうシステムらしい。冷たいビールはあるかと聞くと、有りますと言ったが、フルーツビールしか置いていなかった。普通のビールが飲みたいのに!
仕方がないので、スウェーデン生まれのREKORDERLIG CIDERを頼んだ。シードルみたいなやつだ。アルコール度数4.5%。甘いフルーツビールを飲みながら、2階席でしばし寛いだ。 -
夕食
重慶で食べてみたかった鍋がある。板栗鶏と言って、栗の濃厚なスープに鶏が丸ごと一羽入っているらしい。重慶では珍しく全然辛くない料理だというので、ネットで調べておいた「原生地秘制养身板栗鶏(解放碑店)」という店を訪ねる。Googlemapによると大都会広場というデパートの隣りなのだが、いくら探しても見つからない。住所はあっているがそこは安いホテルだった。そこでそのホテルのフロントで聞いてみると、どうも移転したらしい。移転先は分からないという。 -
外婆橋風味食集
仕方なく大都会広場のフードコート的なレストランで適当に料理を選んで食事した。香辛排骨という豚肉の赤唐辛子炒めが美味しかった。この鶏肉版はよく食べたが、豚肉でもOK。やはり辛いのでビールが進む。
最終日の夜なので、解放碑辺りをぶらついてホテルに戻った。 -
BAR美華
今日も一日中飲んでいたが、締めにまたホテルのバーへ。カウンターで飲んでいたら、宿泊客のシンガポール人と知り合う。彼はラッフルズシティの建設の為に、なんとこのホテルに6年も滞在しているという。なるほど長期滞在者用ホテルなのだから、そういう客もいるだろう。それにしても6年は長い。
ラッフルズシティと言うのは、長江と嘉陵江の交わる朝天門に今まさに建設中のビルだ。高さが355mあり、ホテル、ショッピングモール、レジデンス、オフィスに地下鉄の駅まで入っている。ほぼ出来上がっており、今年オープン予定だそう。高層ビルなので、滞在中どこからでも見えた。明日、朝天門に行くので至近距離から眺めてみよう。
さて、カウンターの中の女性は皆さんチャイナドレスを着ており、一人が英語、もう一人が日本語が話せるという。そのためシンガポール人と僕は英語で、彼と女の子は中国語で、僕ともう一人の子は日本語で会話するという、混沌とした多国籍なアジアのバーになっていた。 -
6月20日(木)
朝天門
朝食をホテルのブュッフェで済ませた僕は、ラッフルズシティが見える朝天門に向かった。
小什字駅から解放碑まで延びている目抜き通りの新華路を、反対方向に行けば15分程で着くという。ところがこの新華路、ラッフルズシティの工事によって途中から通行止めになっていた。 -
ラッフルズを正面に見て左側から回り込もうと思ったが、その道も行き止まりになり、泣きたくなった。
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仕方なくかなり戻って、今度は右側からぐるっと迂回するように攻めると、何とか朝天門に続く道路に出ることが出来た。気がつくと朝天門まで1時間近くかかっていた。
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二つの川が合流することで、マンハッタン島そっくりな地形になっている重慶は、そこに高層ビルが林立していることで更にニューヨークを彷彿とさせている。朝天門はその先端にあり、長江と嘉陵江の交わりを眺望できる。
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澄んだ嘉陵江と茶色に濁った長江が混ざる川の色を眺めていると、一昨日食べた二色の火鍋を思い出した。
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来福士広場(ラッフルズシティ)
そのビルは見る者全てを圧倒するかのように、重慶半島の先端にある朝天門に屹立している。その見覚えある異様な意匠に、僕は一瞬シンガポールにいるのかと錯覚したほどだ。そう、近年シンガポールのランドマークはマーライオンでもセントーサ島でもなく、ビルの上に巨大な船を乗せたようなマリーナベイサンズだということは誰も否めないだろう。そのマリーナベイサンズが、重慶に出現したのである。
総工費はなんと4,200億円とのこと。すげえ! -
初めて見た時は、よくぞここまでパクったな!と、呆れるのを通り越して感心してしまった。しかし、よくよく調べてみるとパクリでも何でもなく、このビルはマリーナベイサンズを作ったキャピタランドという会社が建てたものだった。設計者も同じモシェ・サフディという人。それにしても高層ビルの屋上に巨船というデザインがよっぽど気に入ったようだが、あえてここに同じものを作る必要があったのかと首をかしげてしまう。
建設工事は急ピッチに進められており、工事車両が引っ切りなしに出入りしている。昨夜バーで会ったシンガポール人が居たら面白いと思って探したが、再会することはかなわなかった。 -
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三峡ダム
朝天門に停泊している豪華客船は、有名な長江三峡下りのクルーズ船だ。ここから3泊4日で三峡ダムまで行くツアーがメインだが、中には遥か遠く上海まで行く船もある。10日以上かけて長江をのんびりと下っていくのも、優雅でいいかも知れない。 -
三峡ダムは重慶から700km下流の宜昌市にある。1993年に着工し、2009年に完成した。孫文の構想から80年、慢性的な電力不足や洪水の抑制の為に造られた世界最大のダムだ。しかし着工当時から、ダムに沈む町の110万人にも及ぶ立ち退き問題など、様々な物議を醸していた。また利権にまつわる汚職が散々取り沙汰されたが、中国のことだから賄賂で桁外れに儲けた奴がゴロゴロいるに違いない。
それでも三峡ダムは中国全土の電力の1割を担い、観光スポットとしても賑わってきた。しかし、ここへきて新たな問題が浮き上がってきている。なんと三峡ダムの数百mにも及ぶ堤が歪んでいることがgoogle earthから判明し、決壊寸前じゃないかとネット上で騒がれ始めたのだ。そして三峡ダム建設に反対した水利学者の黄万里教授が警告した、三峡ダム10年もたない説が再認識され始めている。今年は建設からちょうど10年目になるからだ。
マジか。もしダムが決壊した時にちょうど三峡クルーズ船に乗っていたら、どうなってしまうのだろう。想像しただけで恐ろしいので、やはり絶対乗らない。 -
上半城と下半城
さて、そろそろホテルに帰ってチェックアウトしよう。来た道を素直に戻れば良かったが、違う道を歩きたいと思ったのがいけなかった。どうも迷ったようで、命綱のGoogle mapを駆使しながら帰路を探す。 -
重慶の中心地は、昔からその地形により大きく分けて2つの街を形成している。山の上に位置する上半城と、麓の長江沿いにある下半城だ。上半城は高級な山の手で、下半城は庶民の生活の場とも言える。
この2つのエリアの高低差は約60mあり、それゆえ重慶の人々はこの60mを行き来しなければならない。 -
この2つのエリアを結ぶのは、当然坂道か石階段だ。それゆえ、重慶には地図に描けないほどの無数の石段がある。一旦迷い込んだら、脱出するまでひたすら体力を消耗する。目標物は見えているのに、坂道は真っ直ぐではなく、なかなか辿りつけない。この独特な地形が織りなす不思議な魅力は、実際に歩いてみないと分からないだろう。街は立体迷路と言ってもいい。街中に張り巡らされた細い階段は、まるでエッシャーのだまし絵のようだ。相当足腰が強くないとこの街は克服出来ない。そういう意味では、平面のgoogle mapには限界がある。
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そんな苛酷な街歩きに僕の体力は限界まできていた。気が遠くなるような長い階段を見つけたので、やけくそで上ってみた。するとようやく人民公園にたどり着き、そこを抜けたら解放碑だった。
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棒棒
前述のような独特の地形から、重慶では重い荷物を人力で運ぶ棒棒(bàngbàng)という仕事がある。竹で出来た天秤棒を担いで、港から荷揚げされた物資を上半城に運んだのが始まりだろう。1990年代には40万人も棒棒がいたというのだから凄い。細い入り組んだ階段は、当然、車もバイクも走れない。人力が一番手っ取り早い運搬手段だった。さすがに全盛期に比べたら数は減ったが、それでも何度も見かけた。彼らは下半城から上半城まで何でも運ぶ。ある時は腹を出し、ある時は上半身裸で、自分より大きな荷物でも黙々と運んでいる。 -
棒棒
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棒棒
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棒棒
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小什字
ホテルをチェックアウトし、小什字駅まで歩いて来ると、丁度お昼時だったので屋台のような店で食事をしている人が多くいた。ちょっとそそられたが、早めに空港に着いた方がいいと思い断念した。 -
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江北国際空港
出発時間の2時間15分前に春秋航空のチェックインカウンター(3B)に並ぶ。すでにかなりの中国人が並んでいる。殆どの人が馬鹿でかいスーツケースを持っているが、爆買いは下火になったんじゃないのか。結局30分待って、出発時間の1時間45分前にカウンターが開いた。 -
ここで昼食
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最後の食事なので辛くてもいいやと、思いきって肥肠面にチャレンジ。ところが空港だからなのか、全然辛くなかった!豚モツの入った麺は目玉焼きも乗っていて、大変美味しかった。
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春秋航空日本
春秋航空日本IJ358の飛行時間は、4時間。15:15の出発時刻から到着時刻までは4時間30分である。時計を1時間進ませるので、20:45成田到着予定だ。
さて、過去2ヶ月の復路の遅延状況を調べると、予定より1時間以上遅れたのは4回あった。その内1回は天候不良で、20:45成田到着のはずが翌朝になってしまった。後の3回は1~2時間の遅れ。14:15に重慶に着いた同じ機材で、15:15に成田に向かって出発するだから、到着から出発までたった1時間しかない。その間に機体チェックから機内清掃までするので、往路便が遅れれば復路便はさらに遅れる可能性が高くなる。まして霧の重慶と呼ばれ、年間120日も霧に包まれる都市である。機材繰りだけでなく、単純に天候不良による遅延だって多いはずだ。それでも2ヶ月で4回なら優秀だと思うが、如何だろう?
当機は15分遅れの15時30分に出発し、15時34分に離陸した。 -
機内は空前絶後の快適さで永遠に乗り続けていたかったが、そんな時に限って飛行機は正確に飛んで、ぴったり予定通りの20時45分に成田空港に到着した。
日本着便は沖止めではなかったので、飛行機を降りたのが20時50分、あっという間に入国審査も済んで、空港第2ビル駅に着いたのが21時05分。間に合わないと諦めていた成田エクスプレス最終電車で帰宅できた。 -
エピローグ~重慶はサイバーパンクシティだった。
重慶市は、北京、上海、天津に続く4番目の直轄市で、中国を代表する商工業都市だ。市といっても北海道くらいの広さがあり、人口も3000万人以上というのだから、さすが中国、スケールが違う。2000万人に満たない北京や上海の人口より多く、東京都の倍以上である。
最初に重慶は何もない街と書いたが、見ると聞くとは大違いであった。中国では沿岸部に比べ中西部の経済発展が遅れ、地域による貧富の格差が広がっていた。しかし重慶市は一帯一路の要所だったので、習近平はあらゆる支援をして、この地域の開発に注力した。その結果、国内で最も急発展した都市となったのだ。近年の経済成長は目を見張るものがあり、サイバーパンク的な近未来都市が見たいなら、もはや上海より重慶をお薦めする。
驚くべきは、この山頂部分の街には高層ビルが林立しており、それはまさに大都会の摩天楼だ。川からそびえ立つ崖の上に、339mの重慶環球金融中心(World Financial Center)が建っている様は、ある種異様な光景とも言える。また、2022年には更に上を行く431mの重慶Towerがすぐ近くに完成予定だそうだ。ちなみに日本一高いビル、あべのハルカスでも300mである。重慶が未来都市を彷彿とさせるのは、山の上に高層ビルがにょきにょき生えている風景によるところも大きい。TikTokは中国で開発されたアプリだが、中国ではインスタ映えならぬTikTok映えと言うそうだ。重慶はまさにTikTok映えする都市だと、ネット民から注目を集めている。数年前までは観光地として見向きもされなかった重慶が、これらのネットにあがった画像から突如バズってると聞いて笑った。
SF映画の様相を呈している上半城に対して、下半城はアジアのカオスそのものだ。一歩陋巷に迷い込むと、そこには無秩序な退廃ムードが漂っている。霧雨に包まれた夜に、掃きだめのような貧民屈からアッパーシティのネオンサインを見上げると、それはどこかで見た風景だ。突然、路地裏からブレードランナーに追い詰められたレプリカントが飛び出してきても、全く違和感はない。そういえば、1982年公開の映画「ブレードランナー」の時代設定は2019年だった。ちょうど今年である。映画の舞台は、高層ビルに「強力わかもと」のネオンサインが怪しい人口過密都市で、主人公のデッカードは酸性雨降りしきる下町の屋台でうどんを食べていた。その過去と未来の入り混じったアンバランスなヴィジュアルこそ、まさに今の重慶ではないだろうか。夜中に重慶小面を外のテーブルですすっている男たちを見ながら、そんなことを思っていた。
トランプ大統領が仕掛けた貿易戦争によって、米中の対立は益々激しくなり、中国の経済は大きな打撃を受けている。ここ重慶でも直近の経済成長率は、かなり鈍化しているようだ。しかし、外から見る限りでは建設中の超高層ビルが雨後の筍のように天空を目指して伸び続け、街の景観は日々変化を止めない。
老朽化した建造物は次々と取り壊されているので、新旧が混迷する街並みを同時に体感出来たのは、今がギリギリのタイミングだったのかもしれない。そう考えると航空券が安いという理由で重慶を選んだが、これ程心惹かれるとは思ってもみなかったので、実に幸運だった。出来ることなら、この街が完全に近代化される前に、是非また訪れたいと思う。
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