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2日目は山口県の元之隅神社、角島大橋を巡り、萩市内を散策し、津和野に行きます。

安芸の宮島・錦帯橋・萩・津和野を巡る2日間の旅(元之隅神社・角島大橋・萩市内)

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2019/06/08 - 2019/06/09

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2日目は山口県の元之隅神社、角島大橋を巡り、萩市内を散策し、津和野に行きます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
観光バス JALグループ ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム

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  • 6月9日(日)<br />朝7時45分に宇部市のホテルを出発し、日本海側にある元之隅神社に行きました。

    6月9日(日)
    朝7時45分に宇部市のホテルを出発し、日本海側にある元之隅神社に行きました。

  • 上から見た赤い鳥居。<br />

    上から見た赤い鳥居。

  • バスの停車場の道路から見た元之隅神社。

    バスの停車場の道路から見た元之隅神社。

  • 下から上に登ってみることにしました。

    下から上に登ってみることにしました。

  • ここの案内板。

    ここの案内板。

  • 神社の下には、龍宮の潮吹きという名所があるそうです。

    神社の下には、龍宮の潮吹きという名所があるそうです。

  • ここは、日本海の荒波で岩が浸食され、海が荒れた時に、波が岩にぶつかって、上空まで上がってくる様子が龍が潮を吹いているように見えることから、その名が付いたそうです。

    ここは、日本海の荒波で岩が浸食され、海が荒れた時に、波が岩にぶつかって、上空まで上がってくる様子が龍が潮を吹いているように見えることから、その名が付いたそうです。

  • ここが龍宮の潮吹きです。<br />今日は、海が荒れていないので、潮吹きは見られません。<br />その代わり、きれいな青い日本海が遠くまで見られました。<br />

    ここが龍宮の潮吹きです。
    今日は、海が荒れていないので、潮吹きは見られません。
    その代わり、きれいな青い日本海が遠くまで見られました。

  • ここが、元之隅神社の下からの入口です。

    ここが、元之隅神社の下からの入口です。

  • 赤い鳥居の中を登って行きます。<br />京都の伏見神社と似ています。

    赤い鳥居の中を登って行きます。
    京都の伏見神社と似ています。

  • 途中、龍宮の潮吹きの岩が見えます。

    途中、龍宮の潮吹きの岩が見えます。

  • 登りきって、下の鳥居を見た所です。

    登りきって、下の鳥居を見た所です。

  • 登りきった所に祭壇があります。

    登りきった所に祭壇があります。

  • この大きい赤い鳥居の上にさい銭箱が取り付けられており、日本一高い所にあるさい銭箱として有名だそうです。<br />「A」と書いてあるところがさい銭箱で、5~6m上にあります。<br />下からお賽銭を投げてもなかなかさい銭箱にはいりません。入ったら願いがかなうそうです。<br />100円玉を5回投げて、やっと入りました。その前に願い事をするのを忘れていました。

    この大きい赤い鳥居の上にさい銭箱が取り付けられており、日本一高い所にあるさい銭箱として有名だそうです。
    「A」と書いてあるところがさい銭箱で、5~6m上にあります。
    下からお賽銭を投げてもなかなかさい銭箱にはいりません。入ったら願いがかなうそうです。
    100円玉を5回投げて、やっと入りました。その前に願い事をするのを忘れていました。

  • 神社の由来が書いてあります。

    神社の由来が書いてあります。

  • この後、角島大橋に行きました。<br />一旦、角島大橋をバスで渡ってから、Uターンして戻り、バスを降りて観光します。<br />

    この後、角島大橋に行きました。
    一旦、角島大橋をバスで渡ってから、Uターンして戻り、バスを降りて観光します。

  • 角島大橋。

    角島大橋。

  • 角島大橋の全体像。

    角島大橋の全体像。

  • 対岸の角島は人口800人だそうです。<br />さすがに、多くの総理大臣を排出している山口県ですから、過疎の島にもこんな大橋を作っちゃうんですね。

    対岸の角島は人口800人だそうです。
    さすがに、多くの総理大臣を排出している山口県ですから、過疎の島にもこんな大橋を作っちゃうんですね。

  • あまり走っている車も内容ですが、島民にとっては、生活道路なんでしょうね。

    あまり走っている車も内容ですが、島民にとっては、生活道路なんでしょうね。

  • 周りは、コバルトブルーのきれいな海でした。

    周りは、コバルトブルーのきれいな海でした。

  • この後、萩市内に向いました。<br /><br /><br /><br /><br />この後、萩に向いました。<br />バスは、萩中央公園にとめ、近くを散策します。<br /><br /><br /><br /><br />

    この後、萩市内に向いました。




    この後、萩に向いました。
    バスは、萩中央公園にとめ、近くを散策します。




  • 周辺の見所が描いてあります。<br />実は、萩・津和野は新婚旅行で来た場所でもあり、懐かしい場所です。<br />今回の旅行は、若い時の思い出の地を巡る旅でもあり、参加しました。

    周辺の見所が描いてあります。
    実は、萩・津和野は新婚旅行で来た場所でもあり、懐かしい場所です。
    今回の旅行は、若い時の思い出の地を巡る旅でもあり、参加しました。

  • 公園内の銅像。<br />誰の銅像だったかは、忘れました。

    公園内の銅像。
    誰の銅像だったかは、忘れました。

  • 萩中央公園近くの萩に関係する人物の家等を観光します。<br />場所は、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁を歩きます。<br /><br />白壁に整理された町並みがとても素敵です。

    萩中央公園近くの萩に関係する人物の家等を観光します。
    場所は、菊屋横丁、伊勢屋横丁、江戸屋横丁を歩きます。

    白壁に整理された町並みがとても素敵です。

  • 野田家の屋敷の生け垣。

    野田家の屋敷の生け垣。

  • 晋作広場の入口。

    晋作広場の入口。

  • 広場内にある高杉晋作の銅像。

    広場内にある高杉晋作の銅像。

  • この広場を抜け、菊屋横丁に出ます。<br />両側に白壁の屋敷が見えます。<br />萩の町であることが感じられます。

    この広場を抜け、菊屋横丁に出ます。
    両側に白壁の屋敷が見えます。
    萩の町であることが感じられます。

  • 高杉晋作の生誕地(実家)の入口。<br />入場料は100円です。<br />良心的ですね。正し、家の中には入れません。

    高杉晋作の生誕地(実家)の入口。
    入場料は100円です。
    良心的ですね。正し、家の中には入れません。

  • 高杉晋作誕生地。

    高杉晋作誕生地。

  • 庭内に入ると、高杉晋作の写真、遺品、手紙、略歴などが展示されています。

    庭内に入ると、高杉晋作の写真、遺品、手紙、略歴などが展示されています。

  • 高杉晋作は、天保10年(1839年)にこの場所で生まれ、19歳の時、吉田松陰の松下村塾に入門し、毛利定弘の小姓となり、上海に斗講師、海外情勢にも通じ、尊王攘夷派として奇兵隊を組織して活躍しました。しかし、29歳の若さで病死しました。

    高杉晋作は、天保10年(1839年)にこの場所で生まれ、19歳の時、吉田松陰の松下村塾に入門し、毛利定弘の小姓となり、上海に斗講師、海外情勢にも通じ、尊王攘夷派として奇兵隊を組織して活躍しました。しかし、29歳の若さで病死しました。

  • 記念碑。

    記念碑。

  • 裏庭の碑。

    裏庭の碑。

  • 裏庭の井戸。

    裏庭の井戸。

  • 萩市内の屋敷には、夏ミカンの木が植えられています。<br />これは、武家の副収入になっていたようです。<br />今でも夏ミカンに関係する、お土産が売られています。

    萩市内の屋敷には、夏ミカンの木が植えられています。
    これは、武家の副収入になっていたようです。
    今でも夏ミカンに関係する、お土産が売られています。

  • 高杉晋作の家の斜め前には、明治時代に陸軍大将、内閣総理大臣になった田中義一の生誕の地があり、これ、その説明の碑です。

    高杉晋作の家の斜め前には、明治時代に陸軍大将、内閣総理大臣になった田中義一の生誕の地があり、これ、その説明の碑です。

  • その隣には、重要文化財の「菊屋家の住宅・庭」があります。<br />立派は白壁の屋敷です。

    その隣には、重要文化財の「菊屋家の住宅・庭」があります。
    立派は白壁の屋敷です。

  • 菊屋家の住宅・庭の説明。

    菊屋家の住宅・庭の説明。

  • 旧・窪田家の入口

    旧・窪田家の入口

  • この周辺の案内板。

    この周辺の案内板。

  • 伊勢屋横丁を飛ばして、江戸屋横丁を歩きます。<br />この横町には、木戸孝允(桂小五郎)の屋敷が残っています。

    伊勢屋横丁を飛ばして、江戸屋横丁を歩きます。
    この横町には、木戸孝允(桂小五郎)の屋敷が残っています。

  • 説明板。<br />この旧宅は、木戸孝允(桂小五郎)の実父、和田昌景の家です。木戸孝允は、天保4年(1833年)にこの家で生まれ、8歳の時に近隣の桂家の養子となり、桂小五郎と名乗りましたが、20までは、この家で過ごしています。彼の京都でのカkつ約や、明治政府での活躍は有名ですね。<br />また、木戸孝允と高杉晋作は、6歳しか違わず、小さい時に繋がりがあったかもしれませんね。

    説明板。
    この旧宅は、木戸孝允(桂小五郎)の実父、和田昌景の家です。木戸孝允は、天保4年(1833年)にこの家で生まれ、8歳の時に近隣の桂家の養子となり、桂小五郎と名乗りましたが、20までは、この家で過ごしています。彼の京都でのカkつ約や、明治政府での活躍は有名ですね。
    また、木戸孝允と高杉晋作は、6歳しか違わず、小さい時に繋がりがあったかもしれませんね。

  • 木戸孝允の屋敷の入口。

    木戸孝允の屋敷の入口。

  • 屋敷内。

    屋敷内。

  • 木戸孝允が子供の頃、書いたとされる書です。

    木戸孝允が子供の頃、書いたとされる書です。

  • 屋敷内の庭です。

    屋敷内の庭です。

  • 床の間の書も木戸孝允が子供の頃、書いたと言われています。

    床の間の書も木戸孝允が子供の頃、書いたと言われています。

  • 屋敷の見取り図です。<br />二階建て瓦葺きの建物で、対象15年に萩市に寄贈され、昭和7年に国の史跡として指定されました。

    屋敷の見取り図です。
    二階建て瓦葺きの建物で、対象15年に萩市に寄贈され、昭和7年に国の史跡として指定されました。

  • 円政寺。

    円政寺。

  • 円政寺の山門。

    円政寺の山門。

  • 江戸屋横丁を振り返る。

    江戸屋横丁を振り返る。

  • 萩と言えば、やはり萩焼ですね。

    萩と言えば、やはり萩焼ですね。

  • 前回は、徳利とおちょこを土産に買いましたが、今回は、素焼きのビールの陶器を買いました。<br /><br />この後、萩市内のかまぼこ店に寄り、かまぼこのお土産を買い、津和野に向いました。

    前回は、徳利とおちょこを土産に買いましたが、今回は、素焼きのビールの陶器を買いました。

    この後、萩市内のかまぼこ店に寄り、かまぼこのお土産を買い、津和野に向いました。

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