2019/04/25 - 2019/04/26
105位(同エリア178件中)
ナオさん
北陸へ旅した時、偶然に雲海に浮かぶ天空の城の写真を目にしてから、一度訪れてみたいと思っていたのが越前大野城だ。
4月に入り、今年の結婚記念日の過ごし方を考えていて、北陸への一泊旅行を思い立ち、前から気になっていた「越前大野城」へと出かけて行った。
標高249mの山の上に立つ大野城へは、雨の中、傘をさして南門から登り始め、最短コースをとって石段を登って行った。雨に濡れた木々の緑がきれいだった。25分かけて頂上に立つ大野城に登り、「登城証明書」をいただいた。
その後、越前大野城下を散策した。大野は落ち着いたいい街だった。
その夜は大野市から少し離れた越前市の「しきぶ温泉 湯楽里」へ一泊、翌日は朝来の立雲峡に立ち寄り、もう一つの天空の城「竹田城跡」も見て来た。
天空の城を訪ねての1泊2日の小旅行は、49年目の結婚記念日に相応しい思い出深い旅となった。
このアルバムはその内の「大野城と大野の街散策」部分をまとめたものである。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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4月25日、自宅を夜中の0時に出発、高速道路乗り継ぎ福井までやってきた。 L158号線で大野市に向かったが、早すぎたので、道の駅「一乗あさくら 水の駅」で休憩。
雨に煙る大野市に入ったが、水の張ってある田の周り一面、シバザクラが満開でピンクに染まり、見事だった。 -
国道158号線沿いの新丁トンネル付近の田んぼの畔一面に、シバザクラが植えられておりピンクのじゅうたんが広がっていた。5月の初めにはシバザクラ祭りも行われるのだそうだ。生憎の雨でゆっくり鑑賞は出来なかったが、それでも鮮やかなシバザクラは十分美しかった。
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越前大野城が建つ亀山は今、亀山公園となっている。
ここは大野城への西登り口だ。ここからの登りは急で長い石段道だが、ここからだと大野城まで10分で登れるそうだ。が、この日は雨だったのと、私たちは70歳を過ぎた老夫婦なので、急で長い石段は避けることにし、登りやすい南口を選ぶ。越前大野城 名所・史跡
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見えているのは越前大野城への西登り口の急で長い石段道だ。
越前大野城 名所・史跡
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西登り口から移動、南登り口にやってきた。新堀川沿いの無料駐車場に車を止め、雨の中、傘をさして南登り口から登り始める。ここからは徒歩20分とのこと。
越前大野城 名所・史跡
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見えているのは百間坂で、江戸時代にはこの道が、本丸へ登る唯一の通り道だっそうだ。
私たちは百間坂は通らず、整備された広い方の道を登って行く。越前大野城 名所・史跡
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南登り口から大野城への道を行くと、途中に石碑が2個あった。一つは桜の花びらの形ををした石碑で「宝くじ桜植栽地」と書かれていた。
もう一つの石碑がこれで、帆船のレリーフがはめ込まれていて、私の興味を引いた。説明によると、この船は「大野丸」といい藩船で、大野藩はこの船で蝦夷地探検や開拓 屯田などもやったのだそうだ。越前大野城 名所・史跡
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南登り口からのよく整備された歩きやすい道を行く。雨に濡れた木々の緑がきれいだった。
越前大野城 名所・史跡
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この像の方こそ、途中に石碑のあった「大野丸」を建造した大野城主7代目の土井利忠公その人。44年の在位中に、幕末の大野藩の財政改革を成し遂げた人だ。大野藩はわずか4万石の小藩ながら実に様々な事業を行っており、その多彩さもさることながら、先見の明には驚かされる。
土井利忠公の行ったこととして書かれていた説明文の丸写しだが、藩校開設、洋学館の開設、西洋医学の採用、病院の開設、種痘の実施、西洋砲術の採用、鉄砲の製作、藩店「大野屋」を全国各地に開店、藩船「大野丸」建造、蝦夷地探検・開拓・屯田など。越前大野城 名所・史跡
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標高249mの山の上に立つ大野城へは、途中から標識にしたがって、最短コースをとって石段を登って行った。
越前大野城 名所・史跡
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越前大野城の建つ亀山の頂上部に登って来た。ここまで登ると大野城が大きく見えてくる。お福池の畔を通って回り込むように進む。
越前大野城 名所・史跡
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イチオシ
南登り口から20分と書かれていたが、私たちは休憩をも入れて、25分かけて頂上に立つ大野城に登ってきたのだった。
越前大野城 名所・史跡
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大野城の石垣は自然石を積み上げた「野面積み」と呼ばれるもの。
越前大野城 名所・史跡
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イチオシ
見えているのが大野城で、このお城、実は1968年(昭和43年)に建てなおされたコンクリートの城だ。
最初、ここ亀山に大野城を築いたのは、織田信長の家来だった金森長近。長近は大野郡の3分の2を領地にもらい、1575年(天正3年)から大野城と城下町を作り始め、1580年(天正8年)完成させたのだった。
長近の作った大野城は安永4年の火事で燃え、一部建て直されたものも明治になって壊され、石垣だけが残されていた所に建てられたのが、今の大野城なのだ。越前大野城 名所・史跡
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私たちは入館料¥200円を払ってと書きたいが、実は「施設入館&まちなか循環バス利用パスポート500円」なるものを買って、それで大野城に入った。 「施設入館&まちなか循環バス利用パスポート500円」は2日使える共通券で、これがあると、9か所の施設に入館できる。どこも入館料は¥200だから、3カ所入ればそれで元が取れる。
越前大野城 名所・史跡
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ここが大野城の入館、拝観受付の所。
大野城の中には歴代の藩主の多くの資料が展示されているので、ゆっくり見ながら階段を登って行く。城内の展示物は撮影禁止なので写真でお見せすることは出来ないが、多くの資料により大野藩のことがよくわかった。越前大野城 名所・史跡
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イチオシ
大野城では、「登城証明書」をいただいた。「登城証明書」は大野市教育委員会発行で、雲海に浮かぶ大野城の写真に、「あなたは〝天空の城〟越前大野城(標高249m)に登城されたことを証明します」と印刷されていた。
ちなみに、雲海に浮かぶ大野城の写真は向かいの山から撮ったもので、このような条件で写真の撮れるときは、1年の内に何度もないと聞いている。越前大野城 名所・史跡
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これは大野城の天守閣から見た大野市街の眺望だ。249mの山上に建つ天空の城からの眺めは絶景だ。城内の展示物は撮影禁止だが、最上階の天守閣から外へ出てならと、写した写真をお見せする。
越前大野城 名所・史跡
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大野城内の拝観を終えて満足、大野城を後に下りに向く。
越前大野城 名所・史跡
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大野城のすぐ前に建つこの像の方は、初代藩主の金森長近公で、大野城や城下町を築いた人だ。
越前大野城 名所・史跡
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私たちは登りと同じ道を通って、下りにも20分かけてゆっくりと車の所へ下山したのだった。
見えているのは幕末の大野藩主「土井利忠公」が祀られている柳廼社の鳥居だ。私たちはこの奥にある「大野市民俗資料館」に行こうとしているのだ。大野市民俗資料館 美術館・博物館
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ここから見上げる大野城はまさに「天空の城」だ。
越前大野城 名所・史跡
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「大野市民族資料館」にやってきた。
大野城で購入した「施設入館&まちなか循環バス利用パスポート500円」は9か所の施設に入館できるが、ここ「大野市民族資料館」もその中に入っている。大野市民俗資料館 美術館・博物館
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ここが「大野市民俗資料館」で、中には大野市で昔使われていた実に様々なものが展示されている。農具、台所用品、電話、扇風機、和菓子の木型、郷土人形などなど。私たちも最近まで使っていたものや、見たことのあるものなど懐かしいものもあり、興味深かった。
大野市民俗資料館 美術館・博物館
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次にやってきたのは、「大野市民俗資料館」から遠くない「武家屋敷旧内山家」だ。ここも大野城で購入した「施設入館&まちなか循環バス利用パスポート500円」で入ることができる。
武家屋敷旧内山家 美術館・博物館
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「武家屋敷旧内山家」とは、幕末に大野藩の再建に尽力した家老の内山七郎右衛門良休と弟の隆左良隆を輩出した内山家の旧宅で、明治15年頃に建てられた屋敷だ。内山家は、大野城下の武家屋敷の旧態をよく残しているということで、解体復元し、保存されているのだ。
武家屋敷旧内山家 美術館・博物館
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「武家屋敷旧内山家」は、撮影OK!だった。座敷に飾られたこの写真の人こそ、幕末期に大野藩の家老を務めた内山七郎右衛門良休その人。
武家屋敷旧内山家 美術館・博物館
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イチオシ
大正期に建てられた「武家屋敷旧内山家」の離れからは、大野城を望むことが出来る。
武家屋敷旧内山家 美術館・博物館
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「武家屋敷旧内山家」の門の脇には、味噌蔵、米蔵、衣装蔵がある。軒先を支えているのは、頬杖と呼ばれるこの地方独特の造り。
武家屋敷旧内山家 美術館・博物館
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「武家屋敷旧内山家」を後にやってきたのは、名水百選の「御清水」。御清水と書いて(おしょうず)という。ここへは地元の人が次々に水を汲みに来ていた。
御清水 名所・史跡
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大野は豊かな水に恵まれ、湧水スポットがいくつもある「水の郷」で、市内の多くの家庭で地下水をくみ上げて利用していると聞く。
御清水 名所・史跡
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これは名水百選の「御清水(おしょうず)」。私も飲んでみましたが、口当たりの優しい美味しい水だった。
御清水 名所・史跡
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大野では毎日の地下水の水位が計測され、表示されている。
御清水 名所・史跡
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続いてやってきたところは七間通り。お城に通じる大手道と言われていた通りで、400年以上続く朝市も開催されており、様々なお店が並んでいるが、今回私たちは車で通り抜けるだけだ。
七間朝市 名所・史跡
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やってきたのは寺町通り。大野の寺町には9つの宗派、16ヶ寺が並んでいるそうだ。
寺町通り 名所・史跡
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ここは「武家屋敷旧田村家」。大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の旧宅だ。ここも大野城で購入した「施設入館&まちなか循環バス利用パスポート500円」で入ることができる。
1827年(文政10年)に建てられた田村家の母屋は、大野藩の武家屋敷の有様を今に伝える貴重な建物だ。武家屋敷旧田村家 名所・史跡
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ここは「武家屋敷旧田村家」の奥座敷。
武家屋敷旧田村家 名所・史跡
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見えているのは「武家屋敷旧田村家」の庭で、築山があるが、そこには大野城の土居跡の一部が残っている。
武家屋敷旧田村家 名所・史跡
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「武家屋敷旧田村家」の蔵だ。ここにも頬杖と呼ばれるこの地方独特の造りが見られた。
私たちは大野城と大野城下を散策、大野の街を離れた。よく整備され、落ち着いた感じの大野は思っていた以上にいい町だった。
武家屋敷旧田村家 名所・史跡
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