2019/05/12 - 2019/05/12
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Huumaさん
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令和元年5月12日(日)兵庫県は但馬南部の地域を歩きます。播但連絡道路の和田山ICで下りて北東方面へ車を走らせ、白井大町藤公園へ。満開です。
続いて史跡生野銀山~口銀谷地区の生野まちづくり工房井筒屋、口銀谷銀山町ミュージアムセンターを訪ねます。
表紙は、白井大町藤公園の見事な白花美短藤(しろかびたんふじ)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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令和元年5月12日(日)前日の地元紙を見て出かけることを即決、同じ方向の昔訪れた史跡生野銀山と口銀谷の街並みをじっくり探索します。
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朝来市和田山町白井の〝白井大町藤公園”
早めに出発したので駐車場はスムーズに入れました。9時を過ぎたばかりですが、最高の見頃を迎えて人の出も早いです。 -
もうこのように賑わっています。
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白井大町藤公園
地元紙の紹介によると〝・・・地区住民が周辺の山から採ったフジの台木を接ぎ木して育て、管理組合を作って1999年に同公園を開園。約7千平方メートルの敷地に薄紫色の「野田藤」やピンク色が映える「口紅藤」など9種類約150本が植わる。・・・” -
白井大町藤公園
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白井大町藤公園
白井大町藤公園 公園・植物園
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珍しい藤の花です。
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白花美短藤
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白花美短藤
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噴水を囲む藤
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噴水を囲む藤
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水車と藤
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藤と鯉のぼり
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藤と鯉のぼり
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藤のトンネル
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白井大町藤公園
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高いところからの白井大町藤公園
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少し風が出てきて舞い始めた鯉
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白井大町藤公園に隣接する池
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記念に一枚頂きます。
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10時44分次に向います、藤公園に入る車が遥か向こうから行列を作っています。
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〝播磨屋生野総本店”に立ち寄ります。
文久2年(1862)創業の〝日本一おかき処”、播但道路をとおるときは必ずといっていいほど寄せて頂きます。播磨屋本店 生野総本店 グルメ・レストラン
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播磨屋生野総本店
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敷地内に咲く〝オオデマリ”
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播磨屋生野総本店
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播磨屋生野総本店
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播磨屋生野総本店
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播磨屋生野総本店
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播磨屋生野総本店
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播磨屋生野総本店
みやげにおかき、煎餅を頂き、休ませて頂いて生野銀山に向かいます。 -
まもなく生野銀山です。
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史跡 生野銀山
大同2年(807)に銀が出たと伝えられ、室町年間に本格的な採掘が始まった鉱山の史跡を巡ります。 -
昭和時代に鉱石輸送のために使われた明神電車
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菊の御門の入った門柱
説明によると〝生野銀山は明治に入ると共に長い幕府の天領時代に終わりを告げ政府の直轄鉱山となり近代化が急速に進められた。
この門柱は明治9年その責任者としてフランスから招かれて来たジャン・フランソア・コアニェ(Jean Francois,Coignet)が当時の工場正門として築造したもので、昭和52年現在位置に移設したものである。” -
享保元年(1716)に「生野代官所」が置かれた。
ここから坑道内コースを案内して頂きます。 -
山神宮分社と見石
〝この旧坑は徳川時代の末期に手掘りで掘られた洞窟で、奥の部分や附近の岩盤に掘られた無数の穴は、穿岩機の試し掘りの跡である。
又、奥の祠は、鉱業守護の神として尊崇する金山彦命を祀った山神宮の分社で、太盛山金香瀬山の黄銅鉱を見石としてお供えしている。” -
生野銀山由来記
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のむらもみじ
カエデ科で春に葉が新しくでたときに赤く、夏に緑に、秋に再度赤になる、紅葉が二度楽しめる。 -
先ず鉱山資料館に入ります、「江戸時代の鉱山模型」です。
〝この江戸時代後期の地下の工場で働く人は210人です。・・・真っ暗な地下で人手が頼りの作業です。照明はサザエの殻に油を入れ一人一人の灯火としました。・・・” -
生野銀山産出銀鉱石
〝この鉱石は、金香瀬坑口より約300m入った「大丸ひ」(鉱脈の名前)より採取した銀鉱石です。・・・銀品位が高く、この鉱石の品位は下記の通りで生野の鉱脈としてはかなり良いところである。
金 (Au) 0.2g/t
銀 (Ag) 672g/t
銅 (Cu) 0.05%
鉛 (Pb) 20.93%
亜鉛 (Zn) 16.21%
分析 銅、鉛、亜鉛 生野製作所
金、銀 直島製錬所 ” -
生野銀山1200年のあゆみ
〝大同2年(807)生野に銀が出たと伝えられる。
承平元年(931)和名類聚抄(辞書)に「生野は銀山、猪野々、奥野、小野、あり」と記される。・・・” -
フランソワ・コワニエ像
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正面の金香瀬坑道入口から案内して頂きます。
坑道内コースは約1km、年間を通じて約13度の気温、約40分の案内です。
未公開坑道まで含めると、総延長350km、地下880mの深さまで達しています。生野鉱物館 名所・史跡
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ふいごで風を送る作業人(江戸時代)
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下財(坑夫) 堀大工
ノミ1本で命がけで鉱脈をさぐり当てて掘り進む(江戸時代) -
手で掘った排水坑と樋引人足(江戸時代)
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狸堀
この穴をはいながら掘り進んだ。 -
坑道奥に進みます。
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スラッシャーという機械(近代)
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1t鉱車と鉱石運搬作業
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生野鉱業所概要図(坑内外断面図)
金香瀬坑口から入って現在ここです。 -
火薬を背負って発破を掛けに行きます。
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装てん・発破
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シュリンケージ採掘法(上向採掘法)
〝発破により破砕した鉱石を作業足場として上向きに採鉱する方法で、常に2m位の作業空間を保つため鉱石は下の漏斗より抜鉱出される。急傾斜な鉱脈採掘に適する安価な採掘法である。” -
シュリンケージ採掘法により採掘した跡
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砕女(かなめ)
〝鉱石を小さく砕いて銀鉛を含んだ鉱石によりわける” -
鉱脈
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坑道内地下水
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ケージ(エレベーター) 立坑へ
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坑夫は出坑するとき、掘り出した量を出方改めが確認記録していた。
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坑道出口
総延長350kmの内、約1km40分の案内を頂きました。全体のほんの一部ですが、作業に関わった多くの人々の想像を超えた厳しい歴史をあらためて知ったものでした。 -
露頭採掘の入口まで行ってみます。
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露頭採掘の入口です。
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金香瀬旧坑露頭群案内図
私たちはここで引き返します。 -
生野銀山は1200年の歴史を超えて令和を迎えました、感慨を覚えます。
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日本遺産の生野鉱山
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朝来市生野町の奥銀谷地区の街並み
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奥銀谷地区の街並み
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奥銀谷地区に流れる市川の鯉のぼり
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生野町、口銀谷地区と奥銀谷地区
〝生野町は兵庫県のほぼ中央、播磨と但馬の境界に位置する町です。周囲を山々に囲まれた、海抜約300mの盆地状の町であり、日本海に注ぐ円山川と瀬戸内海に注ぐ市川との分水嶺の町でもあります。
生野は古くから銀山の町として栄え、・・・日本の近代化に貢献してきましたが、昭和48年(1973)資源の枯渇などによりその歴史に幕を下ろしました。・・・江戸時代には銀山七か町といわれ、七つの町が銀山と密接な関係を保ちながら発展してきましたが、明治時代になって、その中間地点に生野鉱山の近代化工場が建設されたため、現代では口銀谷地区と奥銀谷地区に分かれています。・・・” -
口銀谷地区 生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)
吉川家は、江戸時代には代々山師で、井筒屋を名乗って郷宿を営んでいました。生野まちづくり工房井筒屋 名所・史跡
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生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)
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生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)
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生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)
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生野まちづくり工房井筒屋(旧吉川邸)
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
〝昭和初期の和風建築と大正期のタイル張り洋館が独特の雰囲気を醸し出しています。・・・” -
口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
〝・・・洋館を含む東側の建物は、播但鉄道の祖である浅田家の分家として建てられた。・・・” -
口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)
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口銀谷銀山町ミュージアムセンター(旧浅田邸)と市川との間に敷かれたトロッコ軌道
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郷社 姫宮神社
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姫宮神社への石橋
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口銀谷銀山町の街並み
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JR西日本播但線 生野駅
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地元のコクのあるお酒を土産に。 天空の城 竹田城はあらためて。
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