2019/04/26 - 2019/05/07
60位(同エリア216件中)
子青さん
三国志関連の史跡訪問を主な目的に、四川省&陝西省へ行ってきました。
成都と西安の間は高鉄が通っているので、これを利用しながら、成都から西安方面へ移動しました;移動の都合で訪問順を決めたのですが、たまたま南から北へ向かうことになり、北伐と同じ方向となりました。
<日程>
1日目:移動(成田->重慶->成都)
2日目:成都市内(パンダ基地・洗面橋・武侯祠・金紗博物館・成都駅)
3日目:楽山大仏
4日目:広漢(ラク城・三星堆博物館)・徳陽(点将台・落鳳坡)
5日目:綿陽(西山公園・富楽山公園)
6日目:広元(剣門関)
7日目:広元(昭化古城・石門桟道)
8日目:勉県(武侯祠・馬超墓・古陽平関・武侯墓)・漢中(古虎頭橋・古漢台)
9日目:漢中(明月峡・拝将台)
10日目:岐山(諸葛亮廟)
11日目:西安市内(清真大寺・碑林博物館・興慶宮公園)
12日目:重慶(重慶洪崖洞・人民解放記念碑)・移動(重慶->成田)
本来の予定では、徳陽の旧綿竹城(土将台)へも寄るつもりでしたが、残念ながら行けませんでした。
ただ、蜀の重要な拠点(特に成都の武侯祠、綿陽のフ城、広元の剣門関、勉県の定軍山、岐山の五丈原)へ行けて大満足です。
また、三国志とは別ですが、楽山大仏、三星堆博物館、韓信の拝将台、西安興慶宮公園の阿倍仲麻呂碑も見られて充実した旅となりました。
旅行費用は、12日間で15万円、でした。
何かの参考になるかもしれないので、時刻と費用はなるべく書き込もうと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- スプリングジャパン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:00 起床。明日の石門桟道へ行くバス停(火車駅南広場西公交駅)を部屋の窓から探すと、ホテルの目の前でした。
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8:35 外に出て、バス停の路線図を確認します。102路で、終点陝西理工大学北区の3つ手前の石門景区ですね。明日のバス停を確認したところで、漢中BSへ向かいます。
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8:40 この店で夕べお茶葉(漢中茶)を買いました。10元。
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8:50 BSの交差点に着きました。
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8:57 武候祠までのチケットを買います。13.5元。また5角紙幣が手元に残りました。バスは略陽行きです。途中の諸葛古鎮で降ります。
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後日行く岐山へ向かうバスも有りました。途中 太白も通るようなので、これに乗ると、張良廟のような三国志遺跡に寄れるのかもしれません。
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陽平関へ行くバスもありますが、これは今日行く予定の古陽平関ではなく、現在の陽平関(勉県よりも更に西)でしょうね。
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10:24 諸葛亮廟着。9:12に漢中BSを出発したので、結構時間が掛かりました。
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武侯祠入口。ここはAD263年に建てられた、中国で最初、かつ、蜀漢国公認の武侯祠です。なので、天下第一武侯祠と呼ばれているようです。言ってみれば、武侯祠の本家本元。成都の武侯祠に行っただけで、武侯祠に行った、というなかれ。勉県の武侯祠に行って、初めて武侯祠に行った、と言える訳です。
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訪問時にはちゃんと見なかったのですが、いろいろなアクティビティの時間表ですね。剣門関でも見ましたが、ドラマ風の寸劇が人気のようです。
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武侯祠案内図。
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10:28 価格表。勿論一番高いものを買いました;套票=武侯祠+馬超墓祠+<<出師表>>。268元のところ、優待で158元。日本からわざわざきて、ここでケチる訳にはいきません。ところがこれが失敗でした。出師表は隣りの建物で行われる演劇でした。観ても良いのですが、午後2時と5時の2場、とのことで、観る時間がありません。とにかく武侯祠から見学を始めます。
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10:48 ついにやって参りました、勉県武侯祠。
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舐めるように一通り回っていきました。
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琴楼。
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鐘楼。
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10:50 いよいよ戟門を入っていきます。
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拝殿の手前右側に、西湘房があります。西湘房には、李福から始まって劉巴までの塑像が並んでいます。成都の漢照列廟にも同じように14人の塑像が並んでいますが、違いは、成都は劉備に仕えた文臣廊ですが、勉県の武侯祠では、北伐の時に諸葛亮を支えた10人の文臣、武将が並んでいます。例えば、成都ではホウ統が筆頭に置かれていますが、ここ勉県ではホウ統はいません(北伐前に没)。関羽や張飛もここには居ません。また、勉県の武侯祠では、右側が西です。というのも、入口が敵(魏)のいる北を向いているから。
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西湘房の一番手前にいる李福です。李孫徳、字は福。諸葛亮が危篤になった時、使者として諸葛亮に会い、後継者は将エン、その後は費イが適任だろう、という遺言を聞いた人。
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西湘房の一番奥にいる劉巴です。劉子初、字は巴。清潔高尚で立派な人物だった、と楊儀に称えられています。
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拝殿手前の左手には、東湘房があります。東湘房は、馬岱から始まって趙雲までの10人の塑像が並んでいます。こちらも北伐の時に諸葛亮を支えた文臣、武将達です。成都の漢照列廟では武将廊で、劉備に仕えた14人の武将達が並んでいます。ここ勉県では魏延が居ますが、成都では居ません。諸葛亮没後に謀反を企んで、蜀を裏切ったから、という理由かもしれません。
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東湘房の一番手前にいる馬岱です。馬超の従弟。
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東湘房の一番奥にいる趙雲です。字は子龍。長坂坡の活躍で有名。諡は順平侯。
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そしていよいよ拝殿です。
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諸葛亮。字は孔明、諡は忠武侯。五丈原で病没、享年54歳。背丈は8尺あったと言われています。クールで義に篤い天才、好きです。
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拝殿奥の大殿。
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諸葛氏の家系図が描かれています。
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石刻諸葛亮像と書かれています。
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大殿よりも奥に建っている観江楼です。
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観江楼の上から見た南方向の景色です。隣の敷地がテーマパークになっているのが分かります(人工池には船も並んでいます)。かなりの人出です。
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観江楼を下りて、テーマパーク側に出たところですが、時間になると、10分間の寸劇をやるようです。
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テーマパーク内を歩いていますが、それを見るのが目的ではなく、次の馬超墓へ向かっているだけです。
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通りに出る途中に、出師表、の看板を見つけました。こういうショーが見られる、ということですね。
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11:44 通りを、漢中市街方向へしばらく戻ると、馬超墓がありました。思ったよりも距離がありました。
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馬超墓。章武2年(AD222年)に病没。
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武侯祠に比べ、少し色合いがくすんでいるので、却って味わいがあります。
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馬超渭水敗曹操と書かれています。馬超が曹操を襲撃しようとした場面ですね。馬超の一門200人余りは曹操に誅殺されたので、敵を取ろうとしています。武侯祠の傍に馬超墓があるのは、もしかすると、馬超がアンチ曹操の代表格という位置づけだからかもしれません。
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結構敷地は広いです。
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ちょっと可愛らしい馬超。馬超は勇猛で有名だったんです。馬超が成都に入ったと聞いて、劉ショウは観念して劉備に降伏してしまいました。
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これは息子の馬承かな。
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これは従弟の馬岱かな。何せ一門は曹操に誅されたので、残ったのは従弟の馬岱だけだった。
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この先が墓所になります。
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結構奥まで進みます。先方に見えているのが墓所。
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11:56 馬超墓。
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馬超墓祠。神様の扱いになっているみたいですね。
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墓碑が建物で守られています。
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漢征西将軍馬公超墓。諡は威侯。享年47歳。
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背後に墳墓があります。
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12:13 馬超墓から武侯祠に歩いて戻ってきましたが、タクシーが見当たらないので、そのまま古陽平関まで歩くことにしました。
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12:15 武侯中学という学校がありますが、諸葛亮の像が建っています。さすが。
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12:30 漢江を隔てて南側の山並みです。定軍山は一番左手の山だと思います。
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12:33 武侯農貿市場と書かれています。あまり人出はありません。
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12:35 赤い理髪の看板辺りに、バスが停まったのを見ました。でもバスは滅多に通らない。
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12:37 陝西省糧液酒業公司。
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12:38 分岐点にやってきました。
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12:42 古陽平関小吃店。意外に客が入っています。多分ここくらいしか店がないからでしょうね。
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12:42 赤いトラックの先に騎馬像が見えるぞ。
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馬超像ですね。とにかくここは馬超で押す訳ですね。
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蜀漢征西将軍馬超記念像。
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道路脇の古陽平関川菜館という店は閉まっていました。客が来ないから止めちゃったのかな。
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城壁へは吊り橋を渡っていきます。方向的には南の漢江へ向かっています。
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城壁だけが作られています。それ以外は何もありません。でもいいんです。昔が偲べれば。
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12:51 古陽平関着。
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陽平関遺祉。第一回北伐で、諸葛亮はここ陽平に駐屯しました。
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城壁の上には、勝手にあがれます。
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漢江に向かって左手(東南方向)を見ています。写真に書き込みをするとアップロードできないので、書き込みをした絵を写真で撮りました。次の写真です。
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古陽平関から見た定軍山方面(東南方向)です。①が定軍山と思います。②の方角に勉西駅があるので(貨車が通ったので、だいたいの位置が分かりました)、②の山ではないと思います。百度地図を見ると、古陽平関から直線距離で6kmで、勉西駅のやや右手に、定軍山はあります。標高が800mのようなのですが、ここ(勉県)の標高が約550mあるので、実質の高さは250m程度となり、①の山がそれらしい高さです。
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漢江に向かって右手(西南方面)を見ています。多分 高速道路の橋を建設中だと思います。
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東南方向の山並みで、多分 中央奥の山が定軍山と思います。
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柱と柱の間に機関車(青とグレー)が見えているのが分かるでしょうか。京昆線で、右方向(昆明方面)へ向かう貨車でした。
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城壁の周りは工事をしようとしています。
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工事の完成予定図。庭園のようにするみたいですね。
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近所にある道教のお寺です。左手にある建物には入れますが、中央門内のお寺には入れてくれませんでした(おばさんが見張っている)。
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これは、左手にある建物内の塑像。誰を模しているのかちょっと分かりませんが、浅黒い顔で、道教のお寺なので張飛かもしれません。
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13:10 古陽平関をあとにして、徒歩で武侯祠辺りに戻って、今度は車を拾って漢江の反対側にある武侯墓へ向かうことにします。。
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13:17 途中に標識があります。武侯祠まで、あと2km。武侯祠と馬超墓祠との間の距離は1kmみたいですね。
13:49 武侯祠前に着いた時に、タクシーが停車していたので、乗車して武侯墓まで行ってもらいました。 -
14:08 対岸の武侯墓着。30元。おばさんタクシーで、とても安全運転でしたが、途中で客を拾いながら行くので、時間が掛かりました。距離的にさっきの古陽平関経由で行った方が近いのかと思っていましたが、スマホで検索すると、勉県BS方面から橋を渡るように案内が出るので、それに従う、とのことでした。武侯祠から武侯墓へ行くのにスマホのカーナビ機能を使う、ということは、このおばさんはタクシーを始めたばかりなのだと思います。(仮にここで1年もタクシーを運転すれば、目をつぶっても行けるはず。)まあどうでもよいですが。
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武侯墓は絶対に外せない訪問地だと思っていました。何故ならば、中国広しと言えども、諸葛亮の遺骨が眠っているのはここだけなので。
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入場料は、大人70元のところ半額の35元にしてくれました。謝謝。でも料金表を良く読むと、60歳から65歳は半額、とは書いてないように思います。面倒なので負けてくれたのかも。
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諸葛亮は、章武12年(AD234年)、第5次北伐の折、明後日行く岐山の五丈原にて、病没。遺言でここ定軍山に埋葬しました。
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武侯墓は落ち着きがあります。
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敷地の中には舞台もあります。
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橋を渡っていきます。
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14:25 墓所の入口です。中央に植わっているのは柏の木で、樹齢1700年、と書かれています。
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入口前の照壁。
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武侯墓。人は少ないです。
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武侯墓の入口を入って行きます。
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扁額。
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諸葛亮。クールでも義に篤い諸葛亮、好きです。
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これは子の諸葛瞻でしょうか。
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これは孫の諸葛尚でしょうか。
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墳墓と、その手前にある墓碑。
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漢丞相諸葛忠武侯之墓碑。忠武侯は諡。
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墳墓には柏の木が生えています。
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お馴染みの前出師表が飾られています。
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周りにも柏の木が植わっています。樹齢1700年余の柏が20本ばかりあるようです。
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墳墓は意外に小さいです。ただ良く手入れされているので、気持ちの良い空間です。マイナスイオンも出ていそう。
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14:50 武侯墓を出ました。
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14:52 正面に遠く見える山が定軍山(かな)。
武侯墓前から白タクで勉県BSまで行きました。20元。乗り込んでシートベルトを締めようとしたら、「没関係、没関係」、と言うので、締めるのをやめたら、自分はしっかり締めました。もう、何を言っているんだか。私も勿論締めました。 -
15:06 漢中行きバスに乗車。10元。諸葛古鎮よりも漢中寄りで、行きよりも距離が少し短いので、料金が若干安い、ということですかね(車種も小型なので)。手持ちの5角札を使ってしまいたかったので、ちょっと残念。ところで、車内に貼ってあった料金表を見ると、漢中までは、距離が41km、料金は11元、と書かれていました。窓口で買うと11元で、車内で払うと10元、ということなのだと思います。でも、毎回思いますが、中国のバス料金は謎です。
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16:05 漢中BS着。漢中市内のスポットを見て回ります。先ずは近くの古虎頭橋へ。
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16:16 古虎頭橋着。
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古虎頭橋。諸葛亮が死んだ際には、成都へ退却するよう事前に指示してあったのに、魏延がそれに背いたので、馬岱にここで討ち取られてしまいました。魏延は漢中の太守をしていたこともあるので、勇猛なこともあって慕われていて、ここに記念碑が残っているのかもしれませんね。
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此古漢中城北門外河橋遺祉 蜀漢大将魏延遇難処也、と刻まれています。馬岱が魏延を討ち取った、という表現ではなく、魏延が災難に遭った、という表現になっているところが注目点かも。
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古い石碑なので、字が全く読めません。次は古漢台まで歩きます。
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レンタルサイクルはあまり利用されていないようでした。
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16:49 古漢台。ここは前漢の劉邦が漢中王となった時の宮殿跡で、今は博物館になっています。
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ここは、免費開放、です。
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漢中博物館。
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望江楼。南宋時代に建てられたようです。3階建て。
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いろいろ面白いものが展示されています。これは弥勒仏。
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薬師仏。
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釈迦牟尼。
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釈迦牟尼。ピースをしています。どれも小ぶりな仏像さん達でした。
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褒斜道石門及其摩崖石刻。
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石門十三品陳列館。石門桟道の崖に刻まれた文字を切り出して展示しています(ダムを作る時に水没するので切り出した訳ですね)。
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ここに有名な褒雪があります。(漢字の変換の都合で、便宜的に、褒、という字を使いますが、本当は、保、ではなく、公、です)
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これですね、褒雪。(漢字の変換の都合で、便宜的に、褒、という字を使いますが、本当は、保、ではなく、公、です。)石刻の拓本で、左手に、魏王、と書かれています。
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これが褒雪と刻まれている石刻。左の写真は、褒部分。(漢字の変換の都合で、便宜的に、褒、という字を使いますが、本当は、保、ではなく、公、です。)
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左の写真は、雪部分。
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魏王と書かれています。
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石にも魏王と刻まれています。魏王とは曹操を指します。
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ただ、解説を読むと、これは曹操の書ではないようです。残念。営業的に、曹操の作、ということにしているみたいですね。
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北伐ルート。漢中から五丈原へ、谷に沿って進んだことが分かります。
この後、歩いて拝将台へ行きます。 -
17:31 拝将台着。
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ところが入口が閉まっていました。午後5時半で閉園。残念。韓信の像がある筈なので見たかった。時間も遅くなってきたので、川(漢江)を見て今日はお終いにします。
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17:51 漢江に着きました。漢江は、昼間行った勉県からここに流れています。この先 襄陽を経て武漢まで流れて行き、長江に合流します。勉県、漢中、襄陽、武漢を通っているところが、蜀漢をイメージさせますね。まさに漢江。
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お腹が空いたのでベンチに座って、バナナとデコポンを食べました。川べりを散歩している人も結構いましたが、のんびりとした雰囲気で落ち着く場所です。
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18:54 バスで漢中駅前まで戻ってきました。ここでもレンタルサイクルはあまり利用されていないようです。
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19:15 夕飯を食べます。餃子を注文したら、お店の人が作り始めました。
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これはワンタン10元と、肉夾モ6元。肉夾モは明日の行動食用。
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これは水餃。1斤26元。同じようなものを頼むので、帯起か、と聞かれました。
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結構な量でしたが完食。餃子は美味しいんです。薬味も、日本のように醤油とラー油、というように単純ではないので、味わいがあります。
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ここが夕飯を食べた店です。
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19:52 気分良くホテルに戻ると、トラブル発生。部屋の掃除がされていません。直ぐにフロントへ。
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ベッドメークの女性2人が直ぐに掃除をしてくれました。(ホテルはベッドメーク担当が、夜でも常時待機しているのですね、知りませんでした。)お詫びに、ペットボトル6本を置いていきました。私は、無料で提供されるお茶葉が美味しかったので、5袋程おねだりしました。ある意味好都合だったかも(笑)。
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今晩も花火が打ち上げられていました。いろいろ有りましたが、今日も良い一日でした。辛苦了。
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この旅行記へのコメント (1)
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- volcom.jpさん 2025/02/19 00:50:47
- 最高です!!
- 何と素晴らしい旅をされていらっしゃるのですか。と声を大にしたいです。
先駆者の情報非常に助かります。
実は今週末から子供の頃からの夢だった諸葛亮の墓を訪れようと30年越しの夢にトライしてきます。
事前に情報収集をしないタイプなのですが、中国という事もあり言語の壁もありますし果たしてたどり着けるのか不安になり、ネット検索したところ貴方様の記事を拝見させていただきました。
本当に参考になりました。ありがとうございます。
何か同志を見付けられた気分でとても幸せです。
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