2019/04/23 - 2019/04/23
133位(同エリア631件中)
ベームさん
その1の続きです。
桜の名所飛鳥山公園に来ました。今でこそ都内には幾つも桜の名所がありますが、江戸時代に名所と言えば上野、向島、芝御殿山、浅草と飛鳥山でした。
8代将軍徳川吉宗が整備し桜やカエデを植えて行楽地として庶民に開放したのが始まりです。
文学散歩と銘打っていますがなかなか文学らしきものに出合えない。飛鳥山にきてようやく文学の跡に逢えました。坪内逍遥の日本最初の近代小説「当世書生気質」の冒頭に飛鳥山が登場するのです。大袈裟ですが日本近代文学夜明けの地です。
抄出すると:音無川の畔の料理屋扇屋(今でもあるそうです)からうち連れて飛鳥山にむかう芸者を連れた紳士風の酔客数名。飛鳥山は花時で、飲めや歌えの貧乏書生のどんちゃん騒ぎのあと無理に飲んだ酒で一人酔いつぶれて桜の木のもとに寝込んだ書生。
こんなふうに始まります。後は読んでのお楽しみ。二葉亭四迷も「当世書生気質」に刺激されて「浮雲」を世に出しています。
写真は飛鳥山の桜。ソメイヨシノならぬサトザクラ。
PR
-
その2、3で周った所。音無親水公園と飛鳥山公園近辺です。
-
王子神社から音無親水公園に降りてきました。
-
公園全体図。
左の方が王子駅方向です。 -
音無親水公園。
もと石神井川で、江戸時代から溪谷美、春の桜、秋の紅葉と庶民に親しまれてきた。この川に流れおちる滝も不動の滝、権現の滝など幾つもあって「滝野川」の地名も生まれた。茶店、料理屋などが建ち並んでいたという。 -
昭和30年頃、川の汚染と水害から守るためこの付近では川をトンネルで飛鳥山の下を通す流路変更を行った。取り残された部分を整備し公園としたのが音無親水公園。
古来江戸の桜の名所には水辺が付き物でした。芝御殿山には品川沖の波映、上野の桜には不忍池、向島墨堤には隅田川、そして飛鳥山には音無川。
しかし今音無川に豊かな水を見ることはありません。 -
都内では日比谷公園、上野公園、水元公園などと共に”日本の都市公園100選”に選ばれています。
-
船串橋と水車。
-
音無川の名前の由来:王子神社が熊野大社を勧請したので、神社の下を流れる石神井川もこの付近だけ、熊野大社の傍を流れる音無川の名を付けたそうです。
-
船串橋。
昭和33年の狩野川台風で石神井川が氾濫し壊れた橋を復元。 -
歌川広重の名所江戸百景に描かれた「王子滝の川」。
昔はこんな景観だったのですね。右端の棒のように落ちているのは弁天の滝。今はありません。 -
公園を跨いでアーチ型の橋脚をもつ橋があります。どこかで見たことがあるようだと思ったらお茶の水にある聖橋そっくりです。
-
音無橋です。
-
音無橋を渡って飛鳥山公園の方に行きました。
-
音無橋の交差点。
左が飛鳥山公園。 -
飛鳥山公園のモノレールが降りてきました。
-
あすかパークレール・アスカルゴです。
形がかたつむりのエスカルゴに似て可愛いですね。 -
到着。
-
私もアスカルゴに乗ろうと陸橋を渡りました。
下のレールは都電荒川線です。王子駅があります。 -
陸橋の上から王子駅前。
-
陸橋を降りたところ。飛鳥山の麓。
-
飛鳥山に登る石段。
-
飛鳥山公園案内図がそばにありました。
右端にモノレールがあります。 -
モノレールの駅です。
-
全長48m、標高差17.4m。定員16名。速度は毎分30m、片道約2分です。
平成21年7月(2009年)開業。 -
無人運転ですが管理者が常駐して操作します。
第1木曜日運休。無料です。 -
僅かの高さですが景観が変わります。
-
明治通りを見下ろす。左の木立は音無親水公園、高い建物は北とぴあ。
-
すぐ下りていくアスカルゴ。
-
ピストン運転です。
-
山頂はとっくに桜は終わり草花の季節でした。パンジーでしょう。
-
チューリップとなんでしょうか。
-
石を積み上げたのがあります。
-
飛鳥山山頂、標高25.4m。23区内第2の高峰です。
これでもれっきとした山なのです。武蔵野台地の東端にあり低い山ですが、周りに高い建物もなかった時代筑波、富士山が見える景勝の地でした。
正岡子規が「花の雪 つく波の山にふりかかる」と詠んだ眺望も今は望めません。 -
飛鳥山からの眺望。
歌川広重「名所江戸百景」より。
手前に松と桜の木の下で毛氈を敷いて楽しむ人たち。遠くに筑波山。 -
緑の桜並木。
-
同。
飛鳥山公園は明治6年に制定された5つの公園の一つです。ほかは浅草寺(浅草公園)、寛永寺(上野公園)、増上寺(芝公園)、富岡八幡(深川公園)。 -
桜賦の碑。
1860年、幕末の学者佐久間象山が吉田松陰の密出国に連座して、松代に蟄居しているときに作られた詩。自分の勤王の志を日本の名花桜に託している。
明治14年、かっての門人勝海舟らにより建立。 -
佐久間象山(さくましょうざん、ぞうざん)。1811~1864年。
幕末の兵学者、朱子学者、思想家。松代藩士。
西洋の兵学、蘭学を学び江戸に塾を開き、勝海舟、吉田松陰、坂本竜馬など多くの人材を輩出した。徳川慶喜に公武合体と開国を説き、ついには尊王攘夷論者に京都で暗殺される。 -
明治維新百年植樹記念碑。1968年。
-
桜の時期以外は訪れる人も多くありません。
-
ツツジの季節になってきました。
-
かなり咲いています。
-
低木の赤い新葉も輝いています。
-
水上赤鳥(みずかみせきちょう)の歌碑。1979年。
そのかみの 山をおほひし 花ふぶき まぼろしにして あがる噴水 -
桜が終わって暖かい季節に成りました。
-
聖観世音菩薩像。
赤堀信平作、1976年。 -
園内風景。
花時の混雑(想像ですが)に比べると嘘のようです。静かといいたいが、周りからの都会のどよめきは消せません。 -
飛鳥山の歴史。
拾い読みすると:飛鳥山公園は明治6年に定められた我が国初の公園の一つ。
先土器、縄文時代、弥生時代の人が住んだ跡がある。飛鳥山の名の由来は、山の上に飛鳥明神が祀られていたから。
徳川吉宗が1737年この地を王子権現(王子神社)に寄進し、桜や楓などを植え以来桜の名所となった。ここの花見は歌舞音曲が認められたので花時には大変な賑わいだった。 -
その横に飛鳥山碑もあります。
徳川吉宗が飛鳥山を整備し遊園として庶民に開放したのを記念し、1737年当時王子神社の別当寺だった金輪寺の住職が建立した。東京都指定有形文化財。 -
豊島氏が熊野から王子権現を勧請したこと。王子、飛鳥山、音無川の地名の由来。
吉宗が山に花木を植え王子権現に寄進したこと。
などが書かれています。 -
明治三十七八年戦役紀念碑。明治39年建立。
日露戦争の戦役紀念碑です。戦争の何を紀念するのか分かりません。
戦没者を悼むならそうと書けばよい。戦争の勝利を称えるならもっての外。 -
里桜(だと思います)がほんわかと咲いていました。。
-
ソメイヨシノとは違った風情です。
-
これの方が春らしい温かみが感じられます。
-
公園のほぼ中央、児童エリアです。
-
遊具。
-
都電の車両とデゴイチが展示されてました。
-
都電の車両。
-
同。
-
都電6080。
昭和24年製造の戦後初めての新造車両。昭和53年引退。 -
板張りの車内。
-
これ懐かしいです。子供の頃横浜の市電で運転手がガチャガチャガチャ/カチカチカチと右に左に回すのを後でじっと見ていました。
-
デゴイチ。
-
同。
-
D51853
製造:昭和18年、国鉄鷹取工場。廃車:昭和47年。走行距離194万キロ、地球48.5周。
重さ70トン、長さ12m。
戦争の最中に造られたのですね。 -
何という装置か赤い棒がスムーズに往復して動くのが面白かった記憶。
-
機関室。
-
船津翁碑。
-
明治初期の農業指導者だそうです。
後年近くの西ヶ原の農事試験場に勤務していたのでこの地に建てられたのでしょう。 -
公園内ただ一軒の売店。
-
紙の博物館です。
飛鳥山公園にはここと「北区飛鳥山博物館」、「渋沢資料館」の3つの博物館があります。 -
前身は昭和25年、王子製紙工場の跡地に出来た「製紙記念館」。
平成10年、この地に他の2つの博物館とともにオープン。
紙関連の企業の支援により運営されている財団法人。
紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢資料館3館共通入場券を買いました。720円。 -
館内に入った所。
大きな爆弾みたいなものは、ぼろ蒸煮釜(じょうしゃがま)。
木綿などのぼろを薬品で煮てパルプを作る装置。 -
1トン爆弾の親玉みたいです。
-
聖徳太子御影。
太子と二王子、背景は法隆寺夢殿。 -
聖徳太子の時代610年に製紙法が日本に伝わりました。太子は製紙を奨励したと言われます。
紙は1枚の手すき紙です。 -
エントランスホール。
-
日本で初めての段ボール製造機。
-
ポケットグラインダー。
木材を回転する砥石ですりおろし砕木パルプをつくる装置。 -
展示物。
-
紙の大きさ。
A1の半分がA2,その半分がA3,その半分がA4,その半分が・・・・・。 -
紙関係の会社の新入社員らしき人たちが先輩の説明を聞いていました。
-
展示室。
-
日本で使われる紙の60%は古紙だそうです。
勉強になる博物館です。 -
森のリサイクル。
-
森のリサイクル:植林の8年サイクル。
-
1階を見下ろす。
-
特別展:白石の和紙。
宮城県白石周辺で作られた江戸時代からの特産で、仙台藩主伊達政宗がその生産を奨励しました。白石温麺、白石葛とともに白石三白といわれた。強度と耐久性に優れ、紙布(しふ)や紙衣(かみこ)に加工された。
明治以降は洋紙の普及により昭和初期にはほとんど廃れてしまった。いま一部の人の努力で伝統工芸として復活してきました。 -
1945年9月、戦艦ミズーリ号上で調印された太平洋戦争の降伏文書は白石和紙で作成されたと言われています。
-
パンフレットより。
-
以下白石産の和紙です。
紙衣(かみぎぬ、かみごろも)。
何度もタテ・ヨコに簀をゆすり作られた厚手の和紙をコンニャク糊で張り合わせ、柿渋をぬってさらに丈夫にしたもの。
僧侶の袈裟、武将の陣羽織などに使われた。 -
紙衣紙。江戸時代末期。
下級武士が用いた紙衣の原紙といわれる。
2枚の紙を貼り継いでいるが、模様がずれないように継いであり、継ぎ目が目立たない。 -
白石紙衣。
-
白石の紙衣は柔らかくつやが良いのが特徴でした。
-
現代の紙衣紙。
-
ちゃんちゃんこ。昭和初期。
-
絹紙布紅梅織。
女物長着。江戸時代末期。 -
絹紙布平織。
夏袴。明治時代。 -
絹紙布平織。
肩衣。江戸時代。男性の正装の一種で、「裃」の上半身に着る袖のない上着。 -
絹紙布平織。
産着。お宮参り用として使われたもの。昭和。
紙って意外に強いのですね。以前海外旅行に紙製のパジャマを持っていきましたが、数回の洗濯に堪えました。 -
パピルスに描かれた絵。
エジプト、ルクソールの王妃の谷にあるネフェルタリの墓の壁面に描かれた絵、模写。
パピルスはナイル河畔に茂る草。 -
国定教科書「小学外国地誌」。明治33年。
洋紙に活版印刷。このころより紙は洋紙が主流になってくる。 -
国定教科書「高等小学国語教本」。明治34年。
和紙に活版および木版印刷。 -
地券之證。明治5年。和紙。
土地所有権を保証・証明する証書。今で言う土地権利証か。 -
椿から紙を作る。
椿の皮の売買。
椿の皮を洗い水に漬ける。 -
煮てあくだしし再び洗う。
-
椿の皮を干す。
-
椿の皮を叩く。
-
世界最大の木版画「孔雀明王像」。明治37年(1904年)。
光村印刷の創業者光村利藻が、仁和寺の国宝である中国宋代の仏画を原画として作成、セントルイスの万国博に出品し金賞を受賞したもの。を平成2年に復元したもの。
185×106㎝の椿紙。 -
金唐革紙(きんからかわし)「狩人」。上田 尚 作。平成15年。
金唐革は江戸時代にオランダよりもたらされた。伊勢の紙屋が和紙に油を塗り革に見せた擬革紙/金唐革紙を考案し、煙草入れなどに加工され珍重された。
明治に入り大蔵省印刷局が品質を改良し、鹿鳴館、国会議事堂の壁面装飾に使われたほか、輸出されバッキンガム宮殿の壁面にも使われている。
一時廃絶したが昭和後期に工芸品として復活。 -
記念碑コーナー。
明治の紙商の看板。 -
「紋切り型」。
家紋などの紋形を切り抜くための型。折り紙を折って鋏を入れて広げると思わぬ面白い模様が現れる。江戸時代の婦女子の遊びだった。 -
紙の切り抜き。
-
白子和紙で作られた製品。
-
蛇腹便箋。
-
和紙で出来たマグネット、綺麗なので買いました。一個420円。
紙の誕生から和紙、洋紙の歴史、紙のリサイクル、紙の原料、製造工程、紙製品の諸々等々、身近な紙について(学ぼうと思えば)学べました。
その3に続きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
116