2018/05/22 - 2018/05/22
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frau.himmelさん
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間に花見編を入れましたので、尻切れトンボになっていたウィーン編の続きです。
ベルベデーレ宮殿で名画を鑑賞する前に、ウィーン大学と市庁舎を見学しましたので、そのことを少し。
音楽や芸術、宮廷文化、それに美しい自然と、オーストリアの魅力はたくさんあります。
しかしオーストリアには国が消滅した激動の歴史もあるのです。
ナチスドイツによりオーストリアが併合されたアンシュルスから今年で80年。
美しいだけではないそういうウィーンの苦悩の歴史をも考えながら、街歩きをします。
そして夜はフォルクスオーパーで本場ウィーンのオペレッタ「こうもり」を鑑賞しました。
ドイツ語のセリフはあまり理解できないけれど、よく知っているヨハン・シュトラウスのあの曲この曲・・・。
やはり本場モンは素晴らしかった~~!
ところが3人の中でオペレッタを楽しむどころではない人が一人だけいました。K氏です。
「まだまだそんなに齢だとは思わなかったけど、これほど耄碌していたとは・・・」。
声をかけるのもはばかられるくらい落ち込んでいました。
シニア3人組にも、オペレッタ「こうもり」に負けないくらいのドタバタ劇が待っていました。
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時間を少し戻してベルヴェデーレ宮殿に行く前に、ウィーン大学と市庁舎を見学しましたので、そこから始めます。
さて、ウィーン大学。
ウィーン大学は1365年に創設され、650年以上の歴史を持つドイツ語圏の最古の大学です。
本館は1877年から1884年にルネッサンス様式で建てられました。 -
歴史ある大学の街灯、さすがに立派ですね。
ウィーン大学は古さもさることながら、規模的にもドイツ語圏最大だそうです。 -
歴代教授陣の中には、アントン・ブルックナーや精神学者のジークムント・フロイト、ドップラーの法則のドップラーの名前も見えます。
-
ウィーン大学で学んだ人は、グスタフ・マーラー、メンデルの法則のメンデル、それにオーストリアの政治家カール・ルエーガーやクルト・ワルトハイム、日本人ではあの斉藤茂吉もここで学んでいるのですね。
カール・ルエーガーは、フランツヨ-ゼフ1世の当時ウィーン市長を務めた人物、有能な政治家で市民から人気がありました。
ヴァルトハイムはご存じの方も多いでしょう。
1972年から10年に亘り国連事務総長を務めた人です。
彼はアンシュルス時代、ナチスの将校だった暗い過去がありましたが、オーストリア大統領選に出馬し、当選するのです。
さて、中に入りましょう。 -
入り口近くに古い写真が展示してありました。
この大学から数々のノーベル賞受賞者を輩出してきました。
その方たちの顔写真です。
では、どんな方たちがいらっしゃるのか? -
wikiをそのまま写しました。( )内の受賞年はhimmel追記。
ノーベル賞受賞者
ローベルト・バーラーニ - 医学者(1914)
ルートヴィッヒ・ボルツマン - 物理学者、哲学者
ビクター・フランツ・ヘス - 物理学者(1936)
ユリウス・ヴァーグナー=ヤウレック - 医学者(1927)
エルフリーデ・イェリネク - 作家
ハンス・フィッシャー - 化学者(1930)
カール・ラントシュタイナー - 生物学者(1930)
エルヴィン・シュレーディンガー - 物理学者(1933)
オットー・レーヴィ - 薬理学者(1936)
コンラート・ローレンツ - 動物行動学者(1973)
フリードリヒ・ハイエク - 経済学者(1974) -
ノーベル賞受賞者の写真の横には小部屋があり、その壁にはびっしり文字が刻まれています。
ウィーン大学が1365年に創立した当時からの、歴代学長の名前が刻まれているのです。 -
ところが、1938年から1945年までは空白になっています。
というか無理に消されたあとも見えます。
ウィーン大学もオーストリア・ファシズムの台頭や、アンシュルスによるナチスによる強制政治の波に大きく飲み込まれていくのです。
多くのユダヤ人や、政治的に服従しない教授たちは大学を解雇されたり、追放されました。強制収容所に送られた人も少なくありませんでした。
当時の学長は、もちろんナチの息がかかった人やナチ党党員が任命されました。 -
壁をよく見ると、1938年に消された場所には「Fritz Knoll」の名前が見えます。
1938年から1943年まで学長に就きましたが、彼はナチス党員であり、SS(ナチス親衛隊)の制服を着用して学生の前で講義したそうです。
また1943年には「Eduard Pernkopf」が学長に就きました。
彼は医学者で、ナチス党員でもありました。
ナチスによって処刑された遺体を人体実験に使ったという疑惑ももたれています。 -
この二人はアンシュルスの時代の波に飲み込まれたというより、積極的にナチスにかかわった人物です。
終戦後は大学を追放処分になりました。 -
ウィーン大学を出た私たちは、公園を抜けてウィーン市庁舎の方に向かいます。
公園で見つけた胸像はアドルフ・シェルフ(1890-1965)。
ウィーン大学で学び、終戦後オーストリアが米・英・仏ソの4か国の分割占領時代は副首相を務め、その後永世中立国となった1957年から7年間オーストリア大統領を務めました。 -
Erunst Mach(838-1916)。エルンスト・マッハ。
オーストリアの物理学者、科学史家、哲学者。
ウィーン大学で学んでいます。 -
ここにある像はウィーン大学に関連ある人物カト思いましたが、これは違いました。
Ferdinand Georg Waldmueller(1793-1865)。
私の大好きなビーダーマイヤー時代の画家、ヴァルトミューラーでした。
ベルヴェデーレ宮殿に彼の絵がありました。 -
公園の先にウィン市庁舎が見えてきました。
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ウィーン市庁舎。
1872年~1883年に10年以上の年月をかけて造られたネオゴシック様式の建物。
当時のフランツ・ヨーゼフ1世は、近くにあるヴォティーフ教会より高くすることはまかりならぬ、と言うことで、市庁舎の塔は1メートル低い98mにされたとか。 -
ヨーロッパの教会でよく見かける高いヴォールト天井がずっと先まで続いています。
柱はまず大理石の列柱があり、その先は砂岩(?)でできた円柱が続きます。
豪華です。 -
各室に入る扉は重厚な木製の彫り物、そして各々の部屋の入り口でいかめしい顔像が見張っている。
この人達は何者でしょう?
名前があるので調べようと思ったけど、字が薄くて良く見えないのでパス。 -
そして興味深い幟(のぼり)を見つけました。
1938年・・・。
オーストリアがドイツに併合され、オーストリアって国が消滅した年ですね。
2018年の今年は、あれから80年目の節目にあたります。
それを記念して(?)ラートハウスの図書館で歴史展示会が開かれているようです。 -
第二次世界大戦の終戦後、オーストリアは「ドイツファシズムの犠牲者」として、ドイツと決別して永世中立国として歩むことになりました。
果たして「犠牲者」だったのでしょうか?
1938年3月15日、王宮の英雄広場のバルコニーに立ってヒトラーが演説したとき、もの凄い数の群衆が熱狂してヒトラーを迎えたのは何だったのか?
4月10日にドイツ併合の是非を問う国民投票で、99%の人々が「併合賛成」へ票を入れたのは何だったのか?
オーストリア国民の中には、今でも疑問に思う人が多いということです。
(写真は資料より) -
歴史を感じさせる古いガラス窓。
この中で1938年展示会をやっているのですね。 -
さて、もう少し歴史散策をいたします。
水飲み場を見つけました。
オーストリアの水道水はアルプスの湧水を利用しており、飲料水として利用できます。
早速I女史はペットボトルに水を汲みました。
旅に出て、飲み水の心配をしなくていいのは本当に助かります。 -
市庁舎公園。
一人静かに読書をしている女性。
ウィーン市の中心にありながらこの静けさ。
市民の憩いの場所ですね。 -
かわいいモザイクの家?
この絵、どこかで見たことがあるような気がするけど思い出せない。
ご存じの方教えてください。 -
リンクのちょっと奥まったところにあったカールレンナー博士の頭像。
この人こそが新生オーストリアの再建に尽力し、「祖国の父」と呼ばれたカール・レンナー初代大統領なのです。 -
彼は、ハプスブルク帝国の崩壊の後、第一次共和国首相を務め、また第二次世界大戦後の米・英・仏・ソの4国分割占領時代にも、ソ連に要請され臨時首相(傀儡)になりました。
1945年12月20日、再建されたオーストリア議会は大統領制の復活を正式に決定して、全会一致でレンナーを初代大統領に選出しました。
(写真、2015年撮影) -
国会議事堂は修復工事の真っ最中。
中に入れませんでした。 -
再び市庁舎へバックして・・。
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市庁舎の前のブルク劇場前からトラムに乗って、ベルヴェデーレ宮殿へ向かいました。
ブルク劇場は、ドレスデンのゼンパーオーパーの設計者ゼンパーと、その弟子ハゼナウアーの共同設計で、1874年から88年にかけて造られました。
ヨーロッパの演劇界でも最高レベルの劇場だそう。
なお、ゼンパーとハゼナウアーのコンビでの建築は、美術史美術館、自然史博物館それに新宮殿などがあります。 -
ブルク劇場の壁に飾られている3人の胸像は左から、スペインの劇作家・詩人のカルデロン(私は知りませんでした)、シェークスピア、そしてモリエール。
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☆★☆
ベルベデーレ宮殿から次にやってきたところはコールマルクト。
ここはウィーンの高級ショッピング街。
右側に見えるのは高級スーパーで有名な「ユリウスマインル」。
左側にはカルチェ、フェンディー、アルマーニ、グッチなど世界的に有名な高級ブランド店が並んでいます。 -
プラダも、ルイヴィトンも、シャネルも・・・。
私たちは高級ブランド品には用はありません。
私たちが目指す場所は・・・ -
ここ「ツム・シュヴァルツェン・カメール」。黒ラクダ亭です。
ここは1618年創業の伝統あるレストラン。
ベートーヴェンも常連だったそうです。 -
レストランの方は、要予約で、ドレスコードをしなければ入れないような高級レストランだそうですから、私たちには敷居が高い。
しかし、この店の入り口付近には気軽につまめるカナッペのお店があるのです。ここでしたら半ズボンやスニーカーで入っても大丈夫。 -
ショーケースに、見た目も鮮やかなカナッペが並んでいます。
その中から気に入ったものを指さしてお皿に入れてもらいます。
たしか1つ1.5ユーロから2ユーロだったような・・・。 -
私たちが選んだのは、サーモン、ホウレンソウ、コエビ、ハムの上にホースラディッシュが山盛りの鼻がツーンとくるもの。
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ワインはもちろん、私たちの必需品です。
ワインと共にいただくカナッペ、オシャレだし美味しいです。 -
ショーケースにはおいしそうなケーキも並んでいます。
シシーことエリーザベトもここのケーキはお気に入りだったそうです。 -
きびきびした店員さん。感じがいい。
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まだテラス席も満員ですね。
さて、私たちは腰を上げます。 -
グラーベン通りを通って・・・、
ペスト記念柱。
ヨーロッパに猛威を振るったペストの終息を神に感謝して、時の神聖ローマ皇帝レオポルト1世の命で建てられました。
ハプスブルク帝国の双頭の鷲の紋章。 -
レオポルトの泉
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ここにも水飲み場があります。
ペットボトルの水の補充をして・・・。 -
シュテファン大聖堂。
前回のシニア旅でも訪れたし、今回はちょこっと中を覗くだけね。 -
警官の姿が見えます。ヨーロッパはいろいろ問題を抱えていますからね。
移民・難民問題、テロの脅威。 -
いつ来ても、ここは凄い人です。
ウィーンのシンボルですから。 -
いつ来ても、教会の装飾品に目を奪われます。
-
シュテファン寺院よりいったんホテルに戻ります。
今夜はフォルクス・オーパーで本場ウィーンのオペレッタ「こうもり」のチケットが取ってあるのです。
I女史から、「出発の30分くらい前に私の部屋に集まって。日本茶と和菓子の用意をしておくから」と召集がかかりました。
本当にいつも気が利くI女史です。
少し休んでシャワーを浴びてお着替えをして、I女史の部屋でお茶をご馳走になりました。 -
U2のカールスプラッツからショッテントーア駅に出て、そこからは40番のバスでフォルクスオーパーに出ます。
バス乗り場がちょっと判り辛かったけど、この方法が最も劇場に近いのです。 -
バスを降りたら劇場の前の広場に大きな靴のモニュメント。
何でしょうこの大きな靴は?
私が写真を撮っていると、K氏がなにやら挙動不審。
リュックの中をゴソゴソやっていたと思ったら、「やっぱりない!どこかでカメラを落としたらしい」と。
K氏は一眼レフのいいカメラを持参していました。 -
K氏は、ホテルから絶対に持って出たと言います。
じゃ電車の中かバスの中しかないわね。それだったら出てくる可能性はかなり低いかも。
すっかりしょげかえっているK氏。
しばらくして意を決したかのように、ホテルのロビーで私たちを待っていたから、もしかしてホテルに忘れたのかもしれない。
拾った人が届けているかもしれないし、急いでホテルに戻ってみると。
もうじきオペレッタは始まるけれど、K氏にとってはそれどころではない様子。 -
窓口で、ネットで予約したEメールを見せて、正式なチケットに取り換えます。
その中の1枚をK氏に渡して、I女史と私は先に劇場に入っていることにします。 -
フォルクスオーパー。
名の通りの国民劇場。
国立歌劇場(国立オペラ座)に次いで2番目に大きな劇場です。
着席1,473人、立席102人収容。
緋色で統一された劇場内は豪華そのもの。
まだ開演まで早いから人もまばら。 -
オーケストラビットでは最後の練習に余念のない演奏者もちらほら。
重厚な緞帳には1898年の文字が。
1898年の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の即位50周年を記念して、この劇場は造られたのだそうです。
Kさん、間に合うかしらね?
I女史が心配そうにしています。 -
K氏はとうとうオペレッタが始まるまでに帰ってきませんでした。
幕間にやっと戻ってきたK氏、やっぱりホテルにもなかった、とガックリ肩を落としています。
2幕目のオペレッタが始まっても心ここにあらずのK氏の表情。
こんなK氏を見るのは珍しい。
私は、カメラは2台持ってきているから1台を使ってくださいと提案しましたし、I女史はカメラをなくした場合の保険の手続きなどをレクチャーしたり。
K氏をいろいろ慰めます。 -
K氏が言いました。
カメラは使い古したものだから惜しくない、新しく買えばいいだけの話だから。
まだ2日目だからそんなに大した写真も撮っていなかったしと。
じゃ、なぜ?
まだまだ自分では若いと思っていたのに、どこでカメラをなくしたのか、それさえも気が付かないほど耄碌したのかと思って愕然とした。
その言葉にI女史も私も思い当たることがいろいろあり、同様にシューンとしたのでした。
老いは避けられないのね。
◆フランツ・ヨーゼフ皇帝の名前が入ったプレート。 -
オペレッタが終わって外に出たら、劇場はすっかり夜の闇に包まれていました。
ではホテルに帰りましょう。
41番のバスでショッテントーアで地下鉄に乗り換えるのだったわね。 -
このバス停に来てK氏が発した言葉、
「さっきは一人でバスと電車を乗り継いでホテルに帰り、ホテルからまた一人で劇場まで戻ってきたんだよね。
それを考えると偉いなーと自分で自分を褒めたくなった。まだまだ呆けていないよね。」
K氏の中には、カメラをなくしたのが齢のせいだと信じたくない気持ちが、強がりの中にちらっと見え隠れしていました。
そう言う風にポジティブにとらえるところがK氏の良いところです。 -
ホテルの部屋に戻ってしばらくしてI女史から電話がありました。
「あのね、Kさんのカメラが私の部屋にあったのよ。
さっき出かける前にお茶をしたでしょう?あの時、椅子の下に落ちたのに気が付かなかったみたい。
Kさんにはカメラを渡しておきましたから」って。 -
あ~~良かった。
オペレッタ「こうもり」のドタバタ喜劇では、最後はハッピーエンドで終わりましたが、シニア3人組も負けず劣らずのドタバタ劇でした。
同じくハッピーエンドで終わって良かった良かった。
やっぱり「齢のせい」・・・、ですよね。
(資料から)写真は左「こうもり」、右・モーツアルト「魔笛」
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この旅行記へのコメント (10)
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- utamiumiuさん 2019/05/06 22:59:53
- お三人で歩いた距離、、走行距離がわかるだけに。
- himmelさん
旅記を読みながらその歩行距離と疲れを知らぬタフさに感心するばかりです。
懐かしい景色を見ながら「えーっ!この距離を歩いてさらに夜のフォルクスオーパー!」ともうびっくりです。
最初にご年齢のことを読んでいなければそうでもなかったのかもしれませんが、あれだけ歩いたら私なら夜の観劇は爆睡時間になりそうです。
お三人の年齢でこれだけできるならまだ私にも一人旅できるかも?と勇気をもらいました。
ありがとうございました。
uta
- frau.himmelさん からの返信 2019/05/07 21:31:26
- RE: お三人で歩いた距離、、走行距離がわかるだけに。
- utaさん、こちらにもコメントありがとうございます。
>走行距離がわかるだけに・・・
ウィーンを知りつくしたutaさんならではのご感想。
ところが72時間乗り放題チケットでトラムなどで移動していましたので、意外とそうでもなかったのです。
ホテルもまた便利なところにありましたし、疲れたら足を休めにホテルに帰ったり、
I女史などはトイレにもホテルに戻って使ったり・・・(笑)。
フォルクスオーパーのオペレッタ、なかなか素晴らしいですね。
あの時、ウィーンフィルのコンサートがなくて、オペレッタを選んだのですが、とても楽しめました。
utaさんはご専門でいらっしゃるから何度もいらっしゃったのでしょうね。
これからも何度でもウィーンにいらっしゃいますよ、utaさんなら。
超人のutaさんですが、どうかお身体はお大事になさってください。
himmel
-
- ぶどう畑さん 2019/04/16 17:22:03
- K氏の気持ち、よーくわかります!
- himmelさん
ぶどう畑です。
いったんは失くしたと思ったK氏のカメラ、I女史の部屋にあって、ホント、よかったです!
オペレッタどころではなかったK氏の気持ち、よーくわかります。
コンタンス駅のロッカーのカギがないと分かった後、私もそうでしたから。
キャリーが取り戻せなくても、たいした被害ではない。
でも、それをしでかした自分に、とっても、とってもショックでした。
そういうことが起きるのも、時差ボケのせいかもしれませんよ。
会社で、自分ではしっかりしているつもりでも、疲れている時は後からミスが見つかることが多かった。
時差ボケもしかり。脳にムチ打ってるんですものねぇ。(笑)
- frau.himmelさん からの返信 2019/04/16 23:10:12
- RE: K氏の気持ち、よーくわかります!
- ぶどう畑さん、こんばんは。
あそうだ!失せものと言ったらつわものがいらっしゃいましたね。キャリーごと失くされた方が。
と言うか、在る場所は判っているのに、鍵がないばかりにどうしようもない、悔しさもいかばかりか・・・。
>それをしでかした自分に、とっても、とってもショックでした。
そうそう、K氏も同じ気持ちだったようです。
でも、「一人でホテルへ帰って、また劇場まで一人で戻ってこれたから、偉いでしょう?」なんて強がりでも言わなければその悔しい気持ちが収まらないって気持ちも判りますよね。
幸いカメラはありましたが、ぶどう畑さんのキャリーはとうとう戻ってこなかったのですものね。
さきほどぶどう畑さんのところにお寄りしましたら、いつの間にか旅行記がたくさんできていましたね。
とりあえず一つだけ拝見させていただきましたが、その中でベニスのお話を伺って、ぶどう畑さんの旅行歴、ほんとに長いのだなーと改めて思いました。しかもほとんどが個人旅行。
なのに、そんなぶどう畑さんでも「コンスタンツの乱」に見るように、大きな失敗があるんですもの、私たちも注意しなければと肝に銘じました。
特に最近は、年齢がだんだんと注意力の邪魔をするようになってきましたので、今まで以上に気を付けなければね。
続きの旅行記、また拝見させていただきますね。
himmel
-
- ハッピーねこさん 2019/04/14 23:19:23
- 私も旅先では何度か・・・
- himmelさん、こんばんは。
Kさんのカメラ、無事に見つかって本当によかったですね。
きっとホテルでのティータイムでよほどリラックスされたのでしょう。
オペレッタを心からお楽しみになれなかったのは至極残念ですが、とにかくカメラがあったのが何よりでした。
私も旅先、というか行き帰りに空港で忘れ物をして、機内に乗り込んでそれに気づき、乗務員さんに告げて見つけて預かっていただいたことが2度もありました。
1度は出発前に空港でビールを飲んでいい気分になって、もう1度はパリから帰国して福岡への乗り継ぎ時間が長かったので有料ラウンジで仮眠したらそこに買ってきたばかりのバッグを忘れて・・・。
お酒と寝ぼけには要注意な私。
普段もほかのことに気を取られて買い物をしたものをレジでそのまま忘れそうになり、「お客様?」と店員さんに声をかけられることも・・・。
皆さんより多少は年少の私ですが、もうかなり危ないことになっております。(苦笑)
さて、カメラも無事に発見され、翌日以降も旅をお楽しみになられたことでしょう。
続きを楽しみにさせていただきます。
- frau.himmelさん からの返信 2019/04/15 10:41:21
- Re: 私も旅先では何度か・・・
- ハッピーねこさん、こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。
Kさんのカメラ、まさかI女史の部屋にあったとは、盲点でした。
オペレッタに行く前に3人でお茶をしたのですが、お部屋のソファーが柔らかくて、カメラを落としたのに気が付かなかったようです。固い椅子か何かだったら、大きな音を立てたのでしょうけど。
K氏はきちんとした方で、カメラを落としたのは仕方がない、そのことに全く記憶がなかったことに愕然としたと言っていました。
そうですね。私もよくそんなことがあり、あ~~もう齢だな~ってあきらめの心境です。
ハッピーねこさんも派手に忘れ物なさっていますね。
それに一人旅が多いから忘れものに気が付いてくれる人がいないし.
でも、お人柄ですね、それらが全て戻ってきて、ハッピーエンドでしたね。
私の旅行記、これから延々と続きます。もう1年前のことで何があったか忘れてしまいそう。
ところがそこは3人旅のいいところ、他の二人がしっかり覚えてくれていて、メモを取っていてくれたりするので本当に助かっています。
ハッピーねこさん、そろそろGWのご出発間近ですね。
楽しい旅をなさってください。
himmel
-
- ペコリーノさん 2019/04/14 18:15:19
- 忘れ物なんて、そんなものです
- frau.himmelさん、こんにちは
一緒に旅をする皆さん、本当にお元気で何よりです。歳をとったとかおっしゃってますが、忘れ物なんて、そんなものです。
私もカメラを忘れたことがあったな~と、思い出しました。それも、19年も前に!そして、旅の最終日に!タクシーに乗ってヒースロー空港に向かう途中、高速道路の途中で気がついて!3人でタクシーに乗っていたのですが、しっかり引き返してもらいました。どこで忘れたかは覚えてなかったのですが、最後に写真をとった場所は覚えていたのです。(友達の家だったので助かりました。)忘れ物なんてそんなものです。と、私のような凡人は思うのですが、素晴らしい頭脳の持ち主の方はそうではない様ですね。
あと、3人の旅がとても楽しいので時々忘れ物もしてしまうのではないですか?
懐かしいウィーン、私の旅行記がウィーンにたどり着くのはいつになるのだろうと、それまで覚えていられるかしら?と、私もため息です。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2019/04/15 10:15:25
- Re: 忘れ物なんて、そんなものです
- ペコリーノさん、こんにちは。
その後の旅行記、まだかなーと時々覗いていましたが、第3弾アップされていましたね。
私と違ってペコリーノさんは興に乗ったら次々と発表なさる方ですから、これからスムースにいくのではないですか。
私の方はいつものペースです、これからもたぶん。
ところで忘れ物と言ったら、ペコリーノさんの海外忘れ物で何と言ってもナンバーワンはパスポート。さすがに大物です(笑)。
カメラも絶対に忘れたりなくしたりしたくないものですね。本体はともかく中のメディアは。
失くしてしまうと、せっかくの旅そのものがなかったものになり、本当に怖いです。
日常でも、齢をとるとどこに仕舞ったか、どこで失くしたか、記憶がなくなるのはこれはもう齢のせい。
のちほど旅行記におじゃまします。
himmel
-
- norisaさん 2019/04/14 17:02:39
- 良かった
- frau himmelさん
こんばんわ。
お花見を挟んでの再開ですね!
K氏の落胆と喜び、わかります。
それほど大切でない物でも物を失くしたのにその経緯が思い出せないというのはショックです。
見つかって良かったのですが、この素晴らしい劇場でのステキな公演がうわのそらというのは残念でしたね(苦笑)
さて、お説のとおりにオーストリアという国のちょっと、というか相当汚い面が見えますね。
悪いことはドイツに押し付けてーー。
まー、我が隣国も似たり寄ったりですから非難できませんか(泣)
歴史の複雑さも分かるご旅行記でした。
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2019/04/14 22:36:08
- RE: 良かった
- norisaさん、こんばんは。
やっと昨年のウィーンへ戻ってきました。
海外で失せものをするのは怖いですね。
特にカメラは。本体より記憶したメモリがなくなるのが怖い。
私も一度旅先でカメラを失くした(と思った)ことがありました。荷物の中から見つかった時は、ほんとうに嬉しかった。
その時は夫に馬鹿にされるのが嫌で、見つかるまで黙っていましたけど(笑)。
その夫など、イギリスのホテルにカメラを忘れて、高い運賃を払って日本に送り返してもらったんですよ。
齢をとりますと、どこに仕舞ったかを忘れる、メモを書いてもそのメモが見つからない、もう悲劇を通りこして喜劇です。
ハプスブルク帝国の時代、ヨーロッパのほとんどとつながりを持っていた大国オーストリアも、第一次大戦の後は悲劇でしたね。
隣国ドイツがどうにかしてくれるだろうと、ドイツにくっついたけど、そこがこけると・・・・。
今の世界情勢も似たり寄ったりなのでしょうか。
隣の大国が札束で後進国を手なづけていますが、これから先はどうなるのか・・・。
怖いです。
いつもコメントありがとうございます。
himmel
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