2018/05/22 - 2018/05/22
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frau.himmelさん
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隔年ごとに実施してきたシニア男女3人旅、3度目はどこに行きましょうか。
3人で集まって次の計画を立てるとき、I女史が言いました。
私も80歳を過ぎたし、2年後の次回の旅はもうないと思う。今回が最後の旅になるので少々長くなってもいいから、有終の旅に致しましょう、と。
K氏もそれに賛同して、今回は例年より1週間延ばして3週間の旅をすることになりました。
例のごとく、一番暇人の私はお二人の希望を聞き、それに私の行きたいところを追加してスケジュールを立てました。
そして決まったのは以下のスケジュール。
5月21・22・23日 ウィーン泊
24・25・26日 ブダペスト泊
27・28・29日 プラハ泊
30・31日 ライプティヒ泊
6月1・2・3・4日 ベルリン泊
5日 レーゲンスブルク泊
6日 ミュンヘン泊
7日 リンダウ泊
8・9・10日 ミュンヘン泊
11日 帰国日
こうして22泊23日のシニア男女3人組の旅は始まりました。
ウィーン2日目、今日もシニアにとっては盛りだくさんのスケジュールが待っています。
朝食は有名カフェ・ラントマンで摂り、その後ベルヴェデーレ宮殿へ。
夜はフォルクス・オーパーでオペレッタ「こうもり」の観劇です。
さて、ベルヴェデーレ宮殿は、世紀末の有名な画家、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレの作品が数多く揃っていることで有名ですよね。
私も過去2回行きましたが、ここは写真撮影は厳禁でした。
クリムトの「接吻」や「ユーディット」、それにエゴン・シーレの有名な絵画が目の前にあるのに、ただ指をくわえて眺めるだけ。同じウィーンの美術史美術館は撮影可能なのにどうして?と、なんと恨めしく思ったことか。
ところが今回訪れたら写真撮影が可能になっていたのです。
絵画が大好きなシニア3人は大喜び。
あの名画この名画の前で、たくさんの写真を撮らせていただきました。
齢のせいで、せっかくの名画もその場で見ただけではすぐ忘れてしまいますが、写真で残っていると、それを見るたびに感動が蘇りますものね。
-
リンク通りのトラム1番で、オペラ座前から4つ目のラートハウス前で降りたったシニア達、目指すは有名カフェ「ラントマン」です。
-
ウィーンではホテルの朝食はつけていません。
3日間ウィーンのカフェで朝食食べ歩きをしたいと思っています。
そして、せっかくならば有名なところでいただきたい。
最初の白羽の矢はここ「ラントマン」です。
リンク通りに面するオープンテラスに座りました。
目の前はウィーンの市庁舎やウィーン大学です。 -
メニューを見ても中身はよくわからないので、高くもなく安くもなくの中間18.5ユーロのセットをお願いしました。
コーヒーかティーかホットチョコレートから選ぶようです。
コーヒーも種類が多くて、さすがに老舗カフェですね。 -
コーヒーはメランジェを、カイザーゼンメルと黒パン、ジュース、卯でタマゴ、ハムやチーズ。
これだけ豪華な朝食をいただけばもうお腹いっぱいです。
料金は3人合計で57ユーロ。 -
店内はとても落ち着いた豪華な雰囲気。
やはり皆さんテラス席がいいらしく、中にはお客さんは少ない。 -
ショーケースにはおいしそうなケーキが並んでいます。
-
さあて食事も済んだし、お店を出ましょう。
こちら側もいつの間にやらこんなに大勢のお客さん。
人気カフェですからね。早く来てよかった。 -
横の路地を入ると、奥の方にみえる煉瓦色の壁、実はこれはバスタイ(堡塁)、敵の攻撃を防ぐための壁です。
ヨーロッパにはいろんな地にバスタイがまだ残っていますね。 -
ここは「メルカーバスタイ」と呼ばれています。
第一次オスマントルコのウィーン大包囲網のあとに、リンクの内側にさらに堅固に造られた堡塁です。
第二次ウィーン包囲ではオスマントルコは15万の大軍でウィーンを包囲しましたが、増強された堡塁と、勇敢な市民軍、それに援軍のポーランド王ソビエスキの軍がカーレンベルクの丘から急襲して、オスマントルコ軍を撃退するのです。
フランツ・ヨーゼフの時代に、ウィーン都市大改造が行われ、バスタイは一部とり毀されましたが、こうやって残っているものもあります。 -
そしてその坂道を登ると、見えてきました。
これが私が探していた光景。
第三の男ファンの方でしたらご存じでしょう、ライムことオーソン・ウェールズが隠れていた場所、この上の建物の扉に身を潜ませていたのでした。 -
そちらに行くと、奥にはウィーン大学がみえます。
そしてライムが身を潜ませていたと思われる建物には、ウィーンの史跡の紅白の旗と共に「Dreimaederlhaus(三人の娘の家)」という銘板。
これって一体何?
調べてみました。
1959年のオーストリア映画「未完成交響曲~シューベルトの恋」(原題"Das Dreimaederlhaus")ってあるんですね。
シューベルトとこの家の三人の娘とのロマンス物語のようです。
「未完成交響楽」のユーチューブを探しました。
この家が出てきますよ。
未完成交響曲 https://www.youtube.com/watch?v=niiE8VCemS4 -
実はこの2つ上の写真にも、良~く見ると「meditierran Schubert」(瞑想するシューベルト)という看板が見えたので、これは何?と思ったのです。
その部分の写真を拡大してみました。(赤丸)
ベートベンだけでなく、シューベルトもこの近くに関係あったのでしょうか。 -
グーグル地図でこの付近を表示したら、こんなに明快な案内が出てきました。
①はこれから訪れるベートーベンの住居があるバスクラティーハウスです。
②はシューベルトと三人娘とのロマンスの家「「Dreimaederlhaus」
③は「meditierran Schubert」(瞑想するシューベルト)というレストラン
そして驚いたのは矢印をご覧ください
「The filming location of The Third Man」(第三の男撮影場所」ってちゃんと書いてあるではありませんか。
苦労して調べてここを探し出したのに・・・。
他にも(第三の男撮影場所)と記述してある場所があるか、他の関連の場所をグーグルマップで調べてみました。
ここだけでした。 -
そのお隣はベートーベンが住んでいたパスクラティーハウス。
ベートーベンはパスクラティ男爵の所有のこの館に、1804年から1815年の間すんでいました。 -
中庭からベートーベンの部屋に入れるようです。
しかし張り紙が。
開館時間は火~ 日 10:00~13:00と14:00~18:00 。
まだ開いていません。
しかも4階まで上がらなければならないそう。 -
まだ開いていないのは判っているけど、せっかくここまで来たんだもの、ベートーベンの部屋の様子がちょっとでも見えないかしらね。
でも、4階と言ってもヨーロッパでは5階だしね~~。
ため息をつきながら中庭の下から見上げていると、ちょっと行って来る!ってK氏が階段を登り始めました。
K氏って本当に行動力があるのです。 -
しばらくして降りてきて、部屋の入り口に張り紙があっただけだったと。
お疲れさまでした。
ベートーベンはこの部屋でオペラ「フィデリオ」を創り、また交響曲第5番と第6番の構想もこの家で練られたそうです。
ベートベンの博物館は明日ハイリゲンシュタットで見学しますから、ここでは見れなくてもいいわよね。
早く次へ急ぎましょう。 -
パスクラティーハウスの下の、メルカーバスタイを通ってリンク通りへ降りていきます。
こっちの方が堡塁の様子がはっきりしていますね。 -
正面にはウィーン大学と、黄金のリーベンベルクの記念碑が。
今回は後姿の女神像しか撮っていないので、下の写真は2012年の写真です。 -
リーベンベルク市長は、第二次オスマントルコのウィーン大包囲のさい、市民軍を組織し、団結と勇気を与えました。
記念碑のてっぺんには勝利の女神ヴィクトリアが姿、楯を持った傷ついたライオン像。リーベンベルクの金色のレリーフも見えます。 -
この後、ウィーン大学や市庁舎などを見学。
この項は続編で。
市庁舎前のトラムの停留所より、D線に乗り込み次の目的地へ向かいます。
写真に見える建物はブルク劇場です。 -
トラムD線でベルヴェデーレ宮殿前で降ります。
長い塀がずーっと張りめぐされています。どれだけ広い宮殿なのでしょう。 -
真っ白で目も覚めるような豪華な建築、美しいバロック様式の宮殿です。
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ファサードの屋根の上には、いったい何体の像が立っているのでしょう。
2頭のライオンが抱えている紋章はハプスブルク家のものではないし・・・。
ベルヴェデーレ宮殿は、ハプスブルグ家に仕えた軍人、プリンツ・オイゲン公の夏の離宮でした。 -
オイゲン公はもともとフランス貴族の生まれでしたが、自国で出世の見込みがないことからハプスブルク家に仕官しました。
第二次ウィーン大包囲では、オスマントルコ軍と戦いウィーンを窮地から救いました。
その後も戦いで数々の手柄を立て、将軍に取り立てられます。
彼の活躍は、新王宮前の広場に大きな騎馬像が立てられていることでもわかりますね。 -
ウィーン新王宮前の英雄広場に立つオイゲン公の騎馬像。
2009年の写真です。
ちょっと脱線を。
この巨大なオイゲン公の騎馬像は、馬の2本の後ろ足だけで支えられています。
構造学上そのバランスの絶妙さは高く評価されているのだそうです。 -
美しい宮殿の前であっちでもこっちでも記念撮影をしています。
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街の方を眺めると、目の前に大きな池が。
これを見てしまった!と思いました。
この池越しにみるベルヴェデーレ宮殿が一番の撮影スポットでした。
ベルヴェデーレ宮殿といったら水に浮かぶように見える宮殿がパンフレットなどでもありますよね。 -
この写真は2005年に訪れた時に撮った写真です。
これがいつも写真でみるベルヴェデーレ宮殿です。
私たちは違った入り口から入ったので、この風景は見ることができませんでした。
残念!。 -
美しい繊細な鉄細工の門をくぐって、ベルヴェデーレ宮殿のもう一つの絶景スポット、庭園のほうに行ってみます。
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真っ白なスフィンクスが迎えてくれます。
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スフィンクス
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庭園からウィーンの街が一望できます。
「ベルヴェデーレ」とは「美しい眺め」という意味だそうです。 -
幾何学模様の庭園と水を噴き上げている噴水、その先にはウィーンの旧市街が。シュテファン寺院の尖塔が左側に見えるのが判りますか?(矢印)
奥のオレンジの建物はベルヴェデーレ宮殿下宮。
オイゲン公の住まいに使われていました。
オイゲン公は子を残さずに亡くなったので、彼の死後、宮殿はマリアテレジアに売却されました。 -
スフィンクスの前は観光客の撮影スポット。
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それではチケットを買って、美術館にはいります。
チケット売り場は混んでいませんでしたので、すぐ買えました。 -
チケットはシニア割引で一人12.5ユーロ。
このチケットを見て気が付きました。
フラッシュなしだとカメラ撮影ができるみたい。(赤丸矢印部分)
2017年6月から撮影可能になったそうです。ラッキー!
過去2回ここには訪れていますが、撮影不可でほんとに悔しい思いをしました。
さあこれで心置きなく廻れます。
美術館内は3人別行動です。
3人でそれぞれ写真を撮りましたので、またまた膨大な写真の数になりました。それにせっかく撮ったものなので、できるものならみんな活かしたい。
かなりひどい写真も入っておりますが、ご容赦のほどを。
なお写真の並べ方は全くの順不同です。こちらもご容赦を。 -
クロード・モネ(1840-1926)
「Der Koch (ペール・ポールの肖像)」1882 -
クロード・モネ(1840-1926)
「ジヴェルニーのモネの庭の小路」 -
ゴッホ(1858-1890)
「オーヴェールの平原」1890。
ミュンヘンのノイエピナコテークにも同名の作品がありました。 -
エドゥーアール・マネ(1832-1883)
「毛皮の女性」1880頃 -
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
「ヴィクトル・ユーゴの記念像のための習作」1890。
フランスの大文豪ヴィクトリ・ユゴーの記念碑を、フランス政府から依頼されてロダンが造りました。
これはその習作なのでしょうか。
背景はユゴーが亡命していたガーンジー島の岩場。 -
ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
「nach dem Bade(浴後)」1876
どうしても光が入り込んでしまいます。 -
これは絵ではありません。
窓からは庭園とウィーンの旧市街が一望できます。
ここから見ると、幾何学模様というより唐草模様ですね。
美しいです。 -
ベルヴェデーレ宮殿の一番の人気者はグスタフ・クリムト(1862-1918)。館内にはクリムトの絵画が惜しげもなく展示されていました。
今まで写真撮影不可で指をくわえて眺めるばかりだったのに、撮影ができるなんて夢のようです。例によって数多く撮りました。
有名な絵画「接吻(Der Kuss)」(1908-1909)の前には常に多くの人だかりができていました。 -
クリムト
「接吻(Der Kuss)」(1908-1909)。
クリムトの最も有名な作品です。
クリムトと恋人であったエミーリエ・フレーゲと最も良い関係であった頃の二人をモデルにして描いたものです。
多くの女性と関係を持ったと言われるクリムトですが、エミーリエ・フレーゲはクリムトにとって特別な女性でした。 -
金をふんだんに使った豪華さと、エロスを感じさせる画風がクリムトの特徴です。
-
クリムト
「Judith」1901。
恍惚とした表情のユーディット。
右下隅にちょっと見えますが、ホロフェルネスの生首を下げています。
モデルはアデーレ・ブロッホバウアー -
クリムト
「フリッツァ・リードラーの肖像」。
この絵のモデルのフリッツァ・リードラーは、ドイツ出身でウィーンの高級官僚の妻だそうです。 -
「ソニア・クニックス」1898
クニックスはこの肖像画が描かれた後、大実業家と結婚。
この絵は大邸宅の食堂の壁面を飾っていたそうです。 -
「女性の肖像」1893
-
「1862年のマリー・ケルナーの結婚(Marie Kerner von Marilaun als Braut im Jahr 1862)」(1891-1892年)。
妖艶で官能的な女性を描いているクリムト、この絵の前に立って???と思いました。
あまりにもクリムトが描く女性像とはかけ離れているからです。
それに題名にある1862年と言ったらクリムトが生まれた年ではありませんか。
ますます疑問は深まりました。 -
いろいろ調べていたら謎が解けました。
ウィーン大学のアーカイブにグスタフ・クリムトの手紙が5通保管されているのが発見されました。
ウィーン大学の教授であり偉大な植物学者のアントン・ケルナー(1831-1898)あてのものでした。
アントン・ケルナーはクリムトに、1862年に結婚した妻マリーの肖像画をクルスマスプレゼントとして依頼しました。その遣り取りの手紙だと思います。
クリムトはマリーの花嫁姿の写真をみて肖像画を作成しました。 -
特筆すべきはこの作品はクリムト初期のころの作品ということ。クリムト研究には大変役に立つ絵画だそうです。
ベルベデーレ学芸員は、ウィーン大学の資料を徹底調査して、巷に埋もれていたこの作品を探し出しました。
そして修復されて、2018年の3月からベルヴェデーレ宮殿で展示されていますが、いずれは返却しなければならないもののようです。
あの絵が見れたのも運がよかったのですね。
絵画だけの写真を撮っていましたが、ムシが知らせたのでしょうね、近くにあった手紙や原画の花嫁写真などの資料も写していたのはラッキーでした。 -
クリムトは、妖艶な女性像だけでなく、こういう風景画も描いていたのですね。
「アッター湖畔のカンマー城」1910
クリムトはアッター湖(カンマー湖)の湖畔に別荘を持っていました。約20年間、毎年夏にはエミリー・フレーゲたちと訪れていました。 -
カンマー城の並木道
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「Forsthaus in Weissenbach(ヴァイセンバッハのフォレストハウス)」
クリムトは晩年、この森の家で夏の休暇を過ごしました。 -
「花嫁」 1917-18
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クリムト
「Mutter mit Kindern(母と二人の子)」1909-1910 -
階段の踊り場には繊細な木彫り模様の椅子が飾られています。
どの時代のものでしょうか。
天井のフレスコ画も素晴らしい。
絵だけではなく館内の装飾も見ごたえがあります。忙しい(笑)。 -
ベルヴェデーレ宮殿でクリムトの次に有名なのは、エゴン・シーレでしょう。彼の作品も数多く展示されていました。
グスタフ・クリムトはエゴン・シーレの才能をいち早く認め、28歳という歳の差を越えて親しく交流しました。
表現の仕方は全く異質のものでしたが、二人の作品のテーマが同じ、「死・生・エロス」。
クリムトは、華麗・耽美の中にそのテーマを追求し、装飾的な表現をしました。シーレは逆に装飾的な要素を取り払い、自己をさらけ出すむき出しな表現を追求しました。" -
エゴン・シーレ(1890-1918)
「座っているシーレの妻」1918年
モデルは妻エーディット。
このころのエゴン・シーレはクリムトに認められ、ウィーン分離派展に50点以上の新作を一挙に公開し、一躍注目を集めました。
生活も楽になり、この絵の妻はシーレの絵には珍しく穏やかな顔を見せています。
しかしその後、エーディットはシーレの子供を宿したままスペイン風邪に罹りなくなってしまうのです。シーレもその3日後にスペイン風邪により亡くなりました。 -
エゴン・シーレ(1890-1918)
「死と乙女」。
モデルはシーレの愛人ヴァレリー。
ヴァレリーは4年におよびシーレと一緒に住み、彼に忠実に尽くしていました。
しかし、シーレは1915年に妻エディットと結婚し、絶望したヴァレリーは従軍看護婦に志願し、戦場であっけなく亡くなりました。 -
エゴン・シーレ
「抱擁」(恋人たち)1917 -
エゴン・シーレ
「エドゥアルト・コスマク」 1910 -
エゴン・シーレ
「ライナー家の少年」 1910 -
エゴン・シーレ
「Dr.Hugo Koller」1918 -
エゴン・シーレ
「母と二人の子供」1915-1917 -
エゴン・シーレは、人物画以外にも街の風景画を数多くのこしています。
「家の壁」1914 -
エゴン・シーレ
「4本の樹木」1917 -
クリムト、シーレときたらオスカー・ココシュカも忘れることはできません。作曲家グスタフ・マーラーの未亡人、アルマ・マーラーと恋愛関係にあったことは有名です。
オスカー・ココシュカ(1886-1986)
「Tigerloewe」 1926。タイガー?ライオン?
なぜだかココシュカはこのひどい写真1枚しか撮っていません。
光が入ってあまりにも見にくいので、下はパンフレットよりお借りしました。 -
豪華な吹き抜け、シャンデリア。
絵画も素晴らしいけど、館内の豪華さには目を見張ります。 -
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865)
オーストリア帝国のビーダーマイヤー時代の画家。
彼の描くビーダーマイヤー調の風景画や、日常の生活を切り取った絵画はミュンヘンのノイエピナコテークでもたくさん見ました。
私の好きな画家です。
ヴァルトミューラー
「5月」1864 -
フェルディナント・ゲオルク・ヴァルトミュラー(1793-1865)
「Ein maedchen schmueckt die Mutter Gottes mit einer Rose」1836。
聖母マリアが祀られている村の小さな祠(でいいのでしょうか?)に小さな女の子が、薔薇の花を飾っている絵ですね。
ヴァルトミューラーのビーダーマイヤー調の素敵な絵です。 -
ヴァルトミューラー
「聖体祝日の朝」1857。
日常が描かれた彼の絵は心が洗われるような、ホッとした安らぎを感じます。 -
ヴァルトミューラー
「Familie Kerzmann、Mathias Kerzmannの2番目の妻Majlath伯爵夫人、と娘Maria」1835。 -
ハンス・マカルトもオーストリアの有名な画家の一人です。
19世紀後半のウィーン美術界では「画家の王」と呼ばれ、当時のウィーン社交界の中心人物として君臨しました。
ハンス・マカルト(1840-1884)
「Magdalena plach」 1870
Magdalena Plachはウィーンの画商Georg Plachの妻でした。 -
ハンス・マカルト(1840-1884)
「Moderne Amoretten – Entwurf zur Dekoration einer Wand」1868。
壁絵の装飾のための習作? -
ハンス・マカルト(1840-1884)
「Der Einzug Karls V in Antwerpen(カール5世のアントワープ入城)」1875 -
美しい大理石の壁。
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ヘレン・フンケ(1864-1957)
「夢」1913
ドイツ生まれの女流画家。 -
ロヴィス・コリント(1858-1925)
「金魚鉢の傍の婦人」1911
コリントはドイツ近代絵画史に占める存在は大きく、ミュンヘンとベルリンで分離派運動に参加し、ドイツ的な個性の強い近代絵画を目指しました。 -
Lovis Corinth (1858–1925)
Stillleben mit Chrysanthemen und Amaryllis 「菊とアマリリスのある静物」1922
菊の花って珍しい・・・ -
エルンスト・ルードヴィッヒ・キルヒナー(1880-1938)
「Die Klosterser Berge(クロスター山)」
ドイツ人の画家。
ドイツの美術館では彼の絵はどこでも見ることができます。
しかし私の中ではどうしても、退廃芸術画家としてのキルヒナーの思いが強いです。
「ブリュッケ」集団の仲間で、その作風はナチスドイツに嫌われ、退廃芸術家として迫害を受けました。58歳で自殺します。 -
エミール・ノルデ(1867-1956)
「Josefが彼の夢を語る」1910。
ドイツの画家と思っていましたがデンマーク生まれだったのですね。
キルヒナーの作風に似ているので、いつも間違ってしまいます。
しかしキルヒナーとは反対に、1920年にナチ党員となり、ヨーゼフ・ゲッベルスから彼の水彩の花の絵を好まれていたようです。
しかし彼の強烈な宗教画は「宗教への冒涜」とされ、同じように「退廃芸術」として非難を浴びました。
この絵も現代風に書かれていますが、宗教画とわかりますね。 -
アーノルト・ベックリン(1827-1901)
「Meeresidylle」1883。
目に映る世界をありのままに表現した印象派に対し、目に見えない世界を描こうとしたのが象徴派。
アーノルド・ベックリンは象徴派の画家です。
ドイツの美術館では彼の絵をよく観ます。
海の絵を幻想的に描く画家です。 -
豪華な真っ白な天井と壁、この前でも若い女性が記念撮影していました。
-
Carl Karger (1848-1913)
「Ankunft eines Zuges am Nordwestbahnhof in Wien (ウィーン北西駅に到着した列車)」1875
この絵を見たとき、一瞬モネの「サン・ラザール駅(1877」かと思いました。同じころ描かれた絵ですね。
産業革命当時の好景気に湧く賑やかな駅の様子を描いているのでしょうか。
ところでウィーン北西駅って聞いたことありませんね。
オーストリア・ハンガリー帝政時代、ハンガリーとウィーンを結ぶ重要な鉄道駅だったようです。
現在は貨物駅として使用されておりますが、近々再開発が始まり、街並みががらりと変わるようです。 -
Oskar Laske(1874-1951)
「Narrenschiff(阿呆船)」。
ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群が、一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容です。
15世紀のドイツの風刺小説で、各国語に翻訳されてベストセラーになったそうです。
ニュルンベルクの目抜き通り、ケーニッヒ通りにも同名の訳のわからないモニュメントがあり、その時調べたことがありました。 -
オーギュスト・ロダン(1840-1917)
「グスタフ・マーラーのブロンズ像」1909。
ここにもロダンの作品がありました。
マーラーは皆さんご存じの音楽家グスタフ・マーラー。 -
マックス・クリンガー(1857-1920)
「ベートーベン」1907
ドイツの画家・版画家・彫刻家 -
ジョバンニ・セガンティーニ(1858-1899)
「Die boesen Mutter 1894 Glovanni Segantini(邪悪な母親)」1894。 -
スイスの自然の中の牧歌的な絵を描く画家だと思っていました。
あまりにも、私の想像上のセガンティーニの絵とかけ離れた絵に驚きました。
このような絵も結構描いているのですね。
チューリッヒ美術館にも同じような絵があるようです。 -
フェルディナント・ホドラー(1853-1918)スイスの画家。
「emotion]1900。
数年前、東京でもホドラー展をやっていましたね。この絵と似たような絵が来てませんでしたっけ?
スイスの貧しい家庭の長男に生まれたホドラーは、幼い頃より親・兄弟を次から次に亡くし、不運続きの人生でした。
40歳近くまで作品が世に出なくて貧困にあえいでいました。 -
フェルナン・クノップフ(1858-1921)
「halbfigur einer Nymphe(Vivien)」1896
半身像の妖精(ヴィヴィアン)。
キュスターヴ・モローとラファエル前派の影響を受けたベルギー象徴派の代表的な画家。 -
エドゥーアルト・ムンク(1863-1944)。
「画家Paul Herrmannと医師Paul Contard」1897
ムンクの作品もありました。
ここまで全く、年代・ジャンル、あるいは国など考えないで、自分勝手にバラバラに並べてまいりました。しかも大量の写真を。
帰国して、撮りためた写真を見ながらいろいろ調べる作業。
これってボケ防止には最善の策ではないかと思います。 -
この絵を最後にベルヴェデーレ宮殿を後にします。
Sergius Pauser (1896-1970)
「Staatsvertrag unterzeichnung(国家条約の調印)」1938年
オーストリアはナチスドイツに併合され、その後第二次世界大戦のドイツの敗戦により、1945年より1955年までドイツと同様、連合国(アメリカ、英国、フランス、ソ連)により分割統治されていました。
しかし1955年の5月15日、オーストリアを独立・再建するためのオーストリア国家条約がベルヴェデーレ宮殿の大理石の間で調印されました。
この絵は調印式で4か国の代表とオーストリアの代表が、条約にサインしている歴史的な絵画です。 -
調印はこの大理石の間で行われました。
-
大理石の間の天井と壁。
天井に描かれた見事なフレスコ画と、壁の画はだまし絵技法が使われています。 -
ミュージアムショップ。
-
ベルヴェデーレ宮殿美術館は、美術史美術館に次いで、オーストリアで2番目に大きな美術館です。
有名な絵画をたくさん見て、たくさんの写真を撮って、大変満足をしてベルヴェデーレ宮殿を後にします。
まだまだこれからスケジュールが詰まっているのです。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- ベームさん 2019/04/05 13:05:28
- いつのまに
- himmelさん、
こんにちは。いつのまにかシニア船頭3人組の2回目がアップされていたのですね。それに国内版も。4traの掲載方法がだいぶ前に変ってからどうも見方がよく分かりません。前のように1回1日ごとの方が良かったです。
ベルベデーレ宮殿のクリムトとシーレは凄いですね、それと美術史美術館。私はウイーンには行ったことが無く、もう行くことも叶わないでしょうから心残りですね。
美術館などでの写真撮影、邪道だとの意見もありますが、人の記憶力、とりわけ年取ると減退しますので悪い事ではないと思います。写真を見ると思いだせますし。
浅草の人出には辟易です。私は街歩きで浅草にも行きましたが浅草寺あたりには恐ろしくて近づけませんでした。地下街の西部劇の写真はジョン・ウエインとキャサリン・ヘプバーンではないでしょうか。昭和は遠くなりにけり。
花見もせず花粉の終わりを待っています。今度はどこを歩こうかと思案しながら。
ベーム
- frau.himmelさん からの返信 2019/04/06 12:04:43
- RE: いつのまに
- ベームさん、ご無沙汰しています。
>いつのまに・・・
いえいえ、私も同じです。
たぶんベームさんと私は同じスタンスだと思いますが、フォロー者を登録していませんからいつ新旅行記がアップされたのか連絡がありませんものね。
私もベームさんの旅行記は時々訪問して気が付くか、たまたま旅行記を検索していて気が付くか、くらいですから、旅行記を投稿なさったのに気が付くのが遅くなり、大変失礼しております。それにベームさんは、書き始められたらアップが凄いスピードですから。
ところでベームさんの嫌な季節の到来ですね。
せっかくの桜の季節なのにお花見ができないなんて・・・、
いえ実は夫も同じ状況なものですから、気が引けながら夫をしり目にお花見にあちこち行っています。
ここのところ忙しくてたびたび中央に出る機会があり、せっかく出たからには、と上野や皇居あたりに立ち寄っています。
実は今日もこれからお花見なのです。すみません、ベームさんの前なのに、喜々として・・・。
淺草は雰囲気が変わりましたね。
恐ろしくて近づけないとおっしゃるベームさんのお気持ちよくわかります。
私も同じ年代ですが、久しぶりで楽しかったですよ。
ベルヴェデーレ美術館は充実していましたね。
クリムトとシーレしかないなんて先入観があり、過去2回訪れた時は一体何を見てきたんだろう(笑)。
今回は写真撮影が可能になったから覚えられたのですね。
シニア3人旅の旅行記はまだ始まったばかりです。いつまでかかるのか(たぶん年越し?)わかりませんが、これからもよろしくお願いいたします。
先日浅草に行って、旅行記を書くのにいろいろ調べていたら、ベームさんが回られた下町って、本当にいろんな方が足跡を残していらっしゃるのですね。
次はどちらを取り上げられるのか、これも楽しみです。
himmel
-
- ペコリーノさん 2019/03/22 21:45:22
- 教科書
- frau.himmelさんの旅行記って、本当に素晴らしくて私の教科書の様です。
ベートーベンの家の近くの「3人の娘の家」、私も気になっていました。
私はフレユング広場の近くのホテルだったので、出掛けるときは毎回あの辺りを通っていたのです。そこから、グラーベンの方に行ったり、ショッテントーアからトラムに乗ったり、カフェ・ツェントラムの方に歩いたりしていました。
これで一つ謎が解けました。ありがとうございます。
優雅なカフェ・ラントマンは残念ながら建物の周りを工事していて、中に入ればきっとおしゃれなのでしょうが、テラス席はちょっと興ざめな雰囲気でした。
私の旅と比べながら楽しく拝見しています。
ペコリーノ
- frau.himmelさん からの返信 2019/03/23 10:56:35
- RE: 教科書
- ペコリーノさん、おはようございます。
コメントありがとうございました。
フレユング広場?
どこだろうと地図で探しましたがわかりませんでした。
でも、ショッテントーア、ベートーベンと3人娘のバスタイ、カフェツェントラル、この付近を毎日歩いていらっしゃったなんて素敵。まさに暮らすように旅をする・・ですね。
シューベルトの三人娘の未完成交響曲、ほんとに棚ぼたでした。
もっとも実話ではないらしいですけど。
カフェ・ラントマンは工事中でしたか、それじゃ興ざめですね。
あのテラスから、市庁舎、大学、ブルク公園、それにリンク通りを歩いている人などを眺めながら、ゆっくり優雅に過ごすのがいいのですものね。
でもケーキは美味しそうでした。
旅行記を書きながらまたウィーンに行きたくなりました。
ペコリーノさんのオーストリアだより、楽しみにしています。
himmel
-
- norisaさん 2019/03/22 16:49:12
- ベルヴェデーレ宮殿美術館
- frau himmelさん
こんにちは。
シニア3人旅、隔年ですか。
I女史というお方、二年後はないとおっしゃいますが20泊を超える海外旅行をこなす体力、もう10年くらい大丈夫ですね(笑)
我々は7,8泊で疲れます。
というか時差ボケが慣れたころに帰ってくるのがイケないかもしれません(苦笑)
さて、ウイーンといえば美術史美術館ですが、このベルヴェデーレ宮殿美術館も素晴らしい収蔵品ですね。
印象派の有名な作品が目白押しなうえにクリムトもありですか。
さらに撮影可能なのもポイント高いですね。
そもそも美術史美術館がフラッシュなしならOKでしたからベルヴェデーレ宮殿美術館が禁止するのもおかしな話ですね。
とはいえ、日本の美術館は二流、三流どころでも撮影禁止が普通ですから、それに比べて超良心的です!
次はどちらに行かれるのでしょう?
norisa
- frau.himmelさん からの返信 2019/03/23 10:07:35
- RE: ベルヴェデーレ宮殿美術館
- norisaさん、おはようございます。
いつもありがとうございます。
I女史、お元気ですよ〜。私よりよっぽど元気。
22泊になったのも実は私を思いやってのことだったのです。
前回の旅はお二人が先に帰られて、私一人で残り、1週間ほど一人旅を続けたのですが、I女史から、最後の旅だから3人一緒に帰りましょうと。そのためには少し長くなってもいいと言っていただけたのです。
でもさすがに22泊は長かった、疲れましたね〜。
3人とも確実に齢をとっていました。当たり前ですけど(笑)。
彼女の方からまた行きたいということでしたら喜んで。私が元気だったらですが。
ベルヴェデーレ宮殿、単にクリムト、シーレの美術館だと思っていましたが(過去2回何を見てたんだか・笑)、オーストリアで2番目に大きい美術館だったのですね。
写真撮影ができないと印象も薄らいで、いかにいい加減に鑑賞していたのかと思いました。
そうですよね、美術史美術館、ルーブル美術館、オルセー美術館、ミュンヘンのピナコテーク、みんな撮影OKですから嬉しいですね。
さて、いよいよ桜も開花しましたね。
norisaご夫妻はどちらへお花見&美食にいらっしゃいますか?
旅行記で拝見するのを楽しみにしています。
himmel
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