2018/12/26 - 2019/04/01
59位(同エリア409件中)
アーサーさん
ピースボート(第100回)南周りのコースの参加記・体験記(全3巻)の第3巻目で チリのイースター島から帰国までを記載。航海中に記した私的日記(約32日分)をベースに作成。
写真はアフ・トンガリキのモヤイ像
尚 1巻目「ピースボートで南周りの世界一周(1)・・日本出発から南ア ケープタウンまで」のURLは
https://4travel.jp/travelogue/11394492 です。
2巻目「ピースボートで南周りの世界一周(2)・・南ア ケープタウンからチリ パルパライソまで」のURLは
https://4travel.jp/travelogue/11478190 です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 100万円以上
-
(64日)
2月27日(水)
熟睡して 6時ごろ目覚める。寄港地の翌日で 船内は一日だらけムード。船は太平洋を西に向かい うねりが大きくなる。
台湾人客作成の「台湾の観光地」案内を聞く。英会話出席。「人生解体新書」久保田悟氏をちょっと聞く。氷河の絵やり直し着手。
本日はハノイでトランプ大統領と金委員長の会談が行われてはず。
夕刻船内テレビで 先日 船を訪問のムヒカ元大統領夫人の挨拶のビデオを見る。夫人は朴訥な感じ。南米の諸国の中でせめて ウルグアイ一国でも 現代のモデル国家になって欲しいと願った。
(65日)
2月28日(木)
朝 太極拳の場所を間違えて参加できず。それ以外はスムーズ。波も収まってきた。少し太り気味なので朝食の量を減らす。
「ラバヌイ・モアイの島」テアタヘロ・トゥキさんの話を聞く。遠い南洋の島の地元の人の話。島には蒙古斑がある人もいるそうだ。昼から絵をかいて途中で「メキシコの麻薬戦争①」アドリアン・コディネスさんの話を聞く。本日は第一話で次を期待しよう。今夕は「Dance de Pacific Ocean」で船内は華やか。私も着替えて夕食に参加。
写真は「ラバヌイ・モアイの島」の講演 -
(66日)
3月1日(金)
前夜 目が覚める。だから熟睡感なし。それから「あなたが知らないフランス領ポリネシア『タチヒ』を紹介」ココ・ティアロさんの講演を聞く。その後 氷河の絵に色付け。昼から「私たちが見た南極」の報告を聞く。それは面白いけれど100万円の価値があるかは疑問。本日も時間調整。日本と14時間の時差。
3月に入ってなぜか つまらなさ余計に感じてきた。同じ日の連続だから?
写真は講演で教えてもらった ポリネシアの位置関係。(大平洋の島々の国の位置を 日本も一連の島国なのに 私は知らなかった。) -
(67日)
3月2日(土)
良く寝た。定例の体操、中国語教室と順調。ネットだけ繋がらず。お天気なのに。
本日は「言語デー」とかいううことで「言語と文化について」話を聞く。更に英語中級講座に参加。それから 社交ダンスの講習会の横で絵の続きを描く。少しマシになってきた。時間をかければそれなりによくなるみたい。
夕刻 水彩画教室で段ボールの箱を描く。椅子の絵の写生も 教えてもらい なるほどと思った。
写真は中国語教室。結構続けている人多し。私は日本語との関連で参加していたが。 -
(68日)
3月3日(日)
朝はいつもの通り。それから「ラバヌイ~もやいの島2」テアタヘロ・トゥキさんの話を聞く。ラパヌイ(イースター島)はチリ本土から奴隷のような扱いを受けていたこと。(沖縄と島津藩の関係に似ている。)それから「わくわく寄港地「ラバヌイ(イースター島)編」を聞く。
午後 Sさんと一局碁を打つ。それから絵を完成させる。音楽関係の船内催し物は多くて楽しそうだけれど 私は参加していない。残念。本日はひな祭り。お雛様が飾られ 夕食はひな祭りのごちそう。
写真は 翌朝 イースター島の見える海で法螺貝の音を聞かせてくれたテアタヘロ・トゥキさん。 -
(69日)
3月4日(月)
1)
早朝 イースター島の光が見えるところに船は停泊。 星空も綺麗。(実際は満天の星空だけれども 私の写真機では 三脚もなく 明瞭に撮影できない。) -
2)
朝日が 上り島影が見えてくる。
イースター島は有人島から2200KM離れた 確かに大海の孤島。
私の上陸は明日のグループ。島に1000名の受け入れが不能とか。船に 島の人が来て 土産物店、モヤイ像の作成・指導の店が開設される。
本日は絵を描いて過ごす。 -
3)
夜 島の皆さんが船に来て 踊りを見せてくれる。 -
(70日)
3月5日(火)
1)
8時半ごろ 集合して 写真の小さなテンダーボート(渡し船)で上陸。着いた第1感は八丈島の雰囲気。それから バスに乗って 島の中央部を走り 反対側のアナケナビーチのモヤイ像のエリアに向かう。 -
2)
ヤシの林を抜け モヤイ像と初対面。
想像していたような感動するものはない。前知識が入りすぎか?整備されすぎ? -
3)
むしろ 背後の砂浜が綺麗な海水浴場になっていて 足を浸すと心地よい。
以前にも訪問したことのある 同室の方の話によれば ここで泳いだとのこと。 -
4)
それから バスは 一番の見どころ「アフ・トンガリキ」に向かう。
手前のモヤイ像は大阪万博の時 日本にも行ったことのある像だとか。 -
5)
高さ5mを超える15体のモアイが立ち並んでいる列像と一緒に 同室者のH氏に写してもらう。
この像の再建に日本の「タダノ」が手を貸したとか。四国高松の縁者としては嬉しい。 -
6)
近くには 何故か倒れたままの像もある。 -
7)
それから 少し離れた 丘の上の ラノ・ラクラクにバスで行く。ラノ・ラクラクは昔モヤイ像の製造場所だったところとかで 丘の一面に 色んな像が散在していた。 -
8)
丘を上り下りするのは結構しんどかった。
それで私は最上部に行くのはパス。 -
9)
高台から 先程の「アフ・トンガリキ」のモヤイ像が遠くに見えた。 -
10)
望遠レンズを忘れてしまっていたので 拡大できず。残念。
でも 海を背景にモヤイ像のイメージ通り。 -
11)
フラフラとバスに戻り、オロンゴ岬へ向かおうとした時、道の途中で失くして諦めていた私のウインドブレーカーを白人の男性が届けてくれた。ちゃんとお礼も言えなかったが 大切にしようと思った。 -
12)
島の南側に位置しているオロンゴ岬に着く。かつて鳥人を選ぶ鳥人レースが行われた岩島があり、説明によれば宗教的にも重要な場所だそうだ。確かに下を見ると 断崖絶壁のがけで危険を感じるほど。ここを駆け下りて競ったとか。 -
13)
それから 近くのラノカウ火山のカルデラ湖を 展望所から一望。
巨大で、不気味な感じで 噴火が始まると逃げようがないと恐怖心を抱く。 -
14)
昼過ぎ テンダーボートで船に戻った。
事前に 海が荒れていたら 上陸出来ないこともある、と聞かされていたので ホットする。 -
15)
夕食後 船はイースター島を一周してタチヒに向け、出発した。出発しているはずが緊急医療搬送で島に戻ったとか。ほとんど私は眠っていた。星空観察も忘れて。
写真は 夕食後「アフ・トンガリキ」のモヤイ像列像が見えると 放送があったので写す。(遠すぎて 殆ど判別できず。)さようなら イースター島 モヤイ達。 -
(71日)
3月6日(水)
朝定刻に起きて 通例の体操三部に参加。身体はしんどかったがまぁいいだろう。パタゴニアの絵を完成させる。ちょっと失敗。頭の中で誇張するのは難しい。午後 写真を整理。メキシコの麻薬戦争2を聞く。トビウオが泳いでいたらしいが 私は見れなかった。
食堂で乗船客が話しているのが聞こえたが 「もう残りの寄港地は島が二つで この旅も 実質終わった、」とのこと。そうかもしれない と思った。
甲板で空を眺めていたら 雲の変化が面白い。「雲は天才である。」なるほど、南の国の海ではそう思う。 -
(72日)
3月7日(木)
1)
朝 寝過ごす。ヨガから参加。中国語教室も勘違いして休む。洋上夏祭り“輪笑祭り”(ワッショイ祭り)が始まる。若い人が奮闘中。
「縁日」「お化け屋敷」は体験したが、もう一つ。 -
2)
本格的な盆踊りは20時半からで 老人の私はベッドに入って寝てしまう。
本日は女性の浴衣姿が多くて驚く。 -
(73日)
3月8日(金)
今朝はいつもの通り起きた。ヨガ練習 若い女性ヨガインストラクターは 練習を少しずつ変化をつける。まぁついていけるが。中国語教室、中級英会話教室とこなして、昼からモヤイ像の絵に取り掛かる。本日は「国際女性の日」で 船内は関連の催しが続く。
(74日)
3月9日(土)
体操の前にネット接続。それからはいつもの通り。
9時ごろピトケアン島の横を船は通過。ピトケアン島はまさに大海に突然姿を現した孤島。小さなここに40人ぐらい住んでいるのだって。驚き。確かに人家らしきものが見える。(英国植民地。特異な歴史を持っているようだった。3か月に一度貨物船が来るとか。)
10時から「映画ひろしま」を見る。どうも私は見た記憶がない。1955年頃製作されたものらしい。この映画も一つの事実、原爆の爆発から間近な制作だけに貴重。
夜 8時からフンシャル日系コミュニティ訪問の一か月後の懇親会が8階の「カサブランカ」で開かれ 参加。ブラジル在住で被爆体験者の渡辺さんも参加。 -
(75日)
3月10日(日)
昨夜アルコールが少し入り 寝入りは良いが目が覚めてしまった。本日の絵画教室段ボール4個の積み重ねをスケッチ。なかなか難しい。モヤイ像の絵ほぼ完成。想像で描くのは難しい。明日も連続して時間調整。合計5時間、初体験。2020年のピースボートクルーズの宣伝会があったが わたしは参加せず。2回乗る必要はない。今晩8時から「ポリネシアンナイト」見にも行かず。海はうねりが相変わらず大きい。
(76日)
3月11日(月)
ヨガ先生休み。調子が狂う。モヤイ像の絵 加筆修正。まぁ良しとするか。日本との時差が明日19時間になる。タヒチ観光のことが気になる。(オプショナルツアーには申し込んでいないので。)本日は3・11。私は無視。ちょっとひねくれているか。同室者3名は風邪を引いた。何故か 私のみ大丈夫。
(77日)
3月12日(火)
ヨガ時間変更で増員となり 私は休む。わくわく寄港地「タヒチ偏」を聞く。それから「ドキドキ動物-ガラパゴス編」を聞く。ガラパゴスは夢のような島ではないことが分かった。それから午後GETのプロジェクト発表会に参加してちょっと聞く。語学授業の効果はありそう。
それから「水彩画教室」で色の組み合わせを勉強する。(写真の通り)小さい女の子が参加していて 孫娘を思い出した。夕方「からくり人形」(千田靖子さん)の講演を聞く。
何か本日は受け身の話が多い。午後雨になる。この時期ここは「雨季」らしい。明日はタヒチ。自由行動なので博物館でも行ってこようか。いよいよ残り3週間を切った。
私は更にだらけている。 -
(78日)
3月13日(水)
1)
早朝 船が着いたとき パペーテは眠っていた。まだ灯りが燈っていた。
9時過ぎ上陸。朝食後雨が降り出す。でも出かけるときは小振り。結構 湿気はきつい。
港に正式の旅行情報センターはなかった。私は見つけられなかった。旅行会社のカウンターもどきのみ。 -
2)
街を歩いて 巨大なマーケットに入る。現地の生鮮食品、お土産品、宝石(黒真珠)店、雑貨店が 雑多に続く。
貝で出来た 首飾りが 2000円と言われると迷ってしまう。結局 目移りして何も買わずに 出てしまう。
全体に店の人の感じは良かった。 -
3)
それから 街のシンボル教会に行き、休憩。(多くの乗船客も見かけた。) -
4)
それから 街をブラブラするが地方都市を歩いている気分で寄るとこもなし。
海岸に出て タバコを吸う。海岸の公園は整備されていたが砂浜は黒い。少しうらぶれた風景。 -
5)
公園は南国の風景だが 曇り空で ゴーギャンの絵のイメージから遠い。
仕方がないので 一旦船に戻り、昼飯を食ってから出直す。 -
6)
港の旅行社のカウンターで 目的のタヒチ博物館はメンテナンス工事中と教えてもらう。予定が崩れ その旅行社の 半日ツアーに乗ろうかと 待ったが 予定の午後1時を過ぎても バスが来ないので諦める。
更に街を歩き 地元スーパーもどき等に入るが 買うものなし。
喫茶店に入り、WIFIを繋ぎ家に連絡。店の若い人は親切。
スマフォを見れば 2万歩を超えて歩いていた。
写真は私の注文したスムージーなど 良心的値段 -
7)
それから 街を無目的に 歩く。
子供達が学校の下校時間なのか 沢山歩いていた。白人系が多く、体格も良い。
後ろの赤い建物が 私の立ち寄った喫茶店。
結局 ほっつき歩いたが 何も無しで 船に戻った。 -
8)
本日は結構疲れた。タヒチのパペーテはボルネオのコギタバルと すこし感じが似ていた。フランス文化のの外れではあるけれど。
夕刻 未練がましく 船上から 期待外れのタヒチを眺める。 -
(79日)
3月14日(金)
1)
朝 快晴。日の出を見る。但し写した写真を間違えて放棄してしまった。写真はスマフォで写した 朝焼けの ボラボラ島。
8時半に集合して テンダーボートでボラボラ島へ。30分近く テンダーボートに乗るのを待たされる。本日はオプショナルツアー「ラグーンクルーズとビーチで海水浴(午前中」に参加。
それから 年寄りが多い事情はは分かるが 舟では安全サイドの注意喚起が多すぎる。注意しておけば責任をまぬげられるわけでもなし。自己責任との境いが かえって あいまい。実際は双方の責任と思うが。 -
2)
ヴァィタベ港から 小島のモトゥに行く船から イルカの群れに会う。お互いに動いているので 写真にはうまく撮れず。
写真は 白浪を残し海に潜ってしまう イルカ。 -
3)
船のそばにも寄ってくれるのもいて 嬉しかった。 -
5)
それから ラグーンに向かい 海上のコテージ群が見えてくる。海がきれい。 -
6)
私たちの目標の小島が見えてくる。海の色が青白く変わり 更に綺麗。 -
7)
島が近づいてくる。白砂のプライベートビーチのようだ。 -
8)
ここに船を係留し、スノーケリングを楽しみ、浜辺で南国のフルーツなどの軽食を頂く。
(軽食は付いてない予定だったので 嬉しかった。) -
9)
時間が来て 引き返すところで見かけた小島。人家もあり 標高は1メータほど。地球温暖化で海面上昇すればひとたまりもない。でも ここでも人々の毎日の生活があると思った。 -
10)
それから 別の サメやエイの餌付けしているところに行き シュノーケリング。こちらの海域も綺麗で、海上のコテージ群が見える。 -
11)
船の上から眺めると 確かに 小型のサメらしい一群が泳いでいる。
大丈夫と分かっていても この中に飛び込むのは 一瞬躊躇する。 -
12)
海に入ると 足もつき 安心。突然エイにぶつかられ驚く。表面はぬるぬるしていた。餌付けの餌を狙い 鳥たちも必死なって 急降下してくる。 -
13)
係の人が サメの一群に単独で近づくと 両者を引き離していた。サメはやはり敏捷。
結構 子供に帰って楽しめられた。 -
14)
帰りに コテージ群の側を通ってくれる。
遠目だが 確かに楽しそう。来ることもないが 泊まってみたいと言われていた人の気持ちもわかる。
太陽が輝いていて海の白さが素晴らしい。白い砂浜だから?それで 沖縄の米軍基地埋め立てを思い出した。取り返しのつかない馬鹿なことを私たちはしているのだろう。 -
15)
ヴァイタペへ戻り、バディを組んだ方から 島の散策を誘われたが 堪能していたし、周辺は国際リゾートの雰囲気で ちょっと敷居が高く、居合わせたタグボートで 直ぐに船に帰る。
実際は更に楽しまれた方もいたみたい。(残念) -
16)
帰るとき 曇り空になってきた。午前中を選択して ラッキー。
夕方スコール。
アングラ演劇のIさんと夕食の時 隣り合わせとなり 少し話す。これも縁で新宿のテント劇場を見に行こうか と思った -
(80日)
3月15日(土)
寄港日の翌日で 船内はお休みモード。朝 6時半に飯を食って メールをチェック。相変わらずネット接続は問題あり。本日は写真を再度 整理・見直す。1月のことをもう忘れてしまっている。
絵画教室のビデオで永山裕子さんの水彩画の色の技法など勉強。参考にはなった。それから 英語中級講座に参加。本日夜 日付変更線に伴い 17日に変更。16日は消滅。
船内は 下船前の 各種発表会のスケジュールも決まり 各位がその準備に向けて一斉に動き出した感じ。船内新聞もその準備で占められ、講義関係も新しいことは少ない。 -
(81日)
3月17日(日)
昨晩のどの違和感を覚え うがい薬でうがい。風邪薬を念のため服用。朝起きて大丈夫だった。体操三部をこなし、朝食。避難訓練。絵画教室に顔をを出す。モヤイ像の絵を見てもらう。それから中国語教室。「サモアはどんなところでしょうか。」「ストリーが持つ力」(安谷屋貴子)を聴講。風邪薬の所為か眠い。
何で曜日が日曜日?曜日の感覚が 私の中で完全に消えている。
それから 午後7時ぐらいから更新される船内テレビを 私は ほぼ毎日見ていた。視覚のの情報量は多く、雑学的にも面白かった。参考になった。
ただ 最近は「たなさんぽ」を見て 少し腹が立ってくる。結果の満足を聞きたいわけではない。行動を起こす前に 視聴者はその地の情報を知りたくて見ているはず。(終わったところの 自分たちはこんなに楽しかったの 宣伝話、自慢話の類は聞きたくもない。もう旅の終盤に差し掛かった者の宿命?)
写真は 数日前の船内テレビ -
(82日)
3月18日(月)
1)
風邪の具合は同じ。のど風邪気味。体操三部をこなし 朝食。ネット。中国語講座。海外ロングステイ生活の体験とオススメ(渋谷直恵さん)と わくわく寄港地「アピア編」を聞く。
朝飯の時 臨席に座った女性(Sさん) ブラジルで日系コミュニティ訪問の時 同席の人だった。お話から 大学の後輩のようだった。奇遇。
写真は昼ご飯の後、「座の文明論」(越智信一郎)を聞き それから見た(ちゃんへん)さんのジャクリングショー 結構面白かった。 -
2)
(ちゃんへん)さんは世界的なパフォーマーのようだった。
船の低い階高を ものの見事に 投げ上げる球を器用に扱う。空中に舞う球を6個まで数えれたが それ以上は無理。 -
3)
夕飯の時の隣席の女性は 以前にお会いしたマレーシアの女性だった。これも奇遇。旅の感想を含め英語で話すが 難しいことは私が喋れない。聞き取れない。
(ちゃんへん)さんは 球以外にも 棒のようなものや わっかのようなもので 技を見せてくれた。思いがけず 本物のプロのショー。 -
4)
夕刻 アメリカ領サモアらしき島を見かける。私は不勉強で サモア独立国とは別にアメリカ合衆国の自治領で、準州扱いのところがあることを知らなかった。結構 広い太平洋も「国益」が凌ぎ合っている。 -
(83日)
3月19日(火)
1)
最後の寄港地サモアのアピアに到着。港は雑多な感じ。
本日は7時15分に集合し。「ビーチで海水浴&バーベキュウランチ」のツアーに参加。
ビーチは島の反対側の先端。(ラノヌマビーチ)。バスで向かう。約1時間半の行程。結構疲れる。
途中 キリスト教の教会、学校、橋、道路が整備され アメリカや中国、日本の援助の成果が麗々しく看板表示されていた。 島民の生活は 平屋建てだが 風が通り抜ける構造で 豊かそうに見える。ただ 肥満の人を多く見かける。 -
2)
安物のリゾートビーチが続く先で (ラノヌマビーチ)に着いた。
海岸には殆ど人がいない。 -
3)
準備体操の後 海に入り しばらくして 少し慣れてきたので シュノーケリングで沖に出る。普通に楽しみながら泳いでいて 何かの調子で 海水が喉に入る。吐き出そうと咳き込むと 血液ガ混ざっている。慌てて岸に戻ろうと 引き返す。落ち着かなければと思うが 岸の海水浴客が見え 彼等には私はかなりパニックて泳いでいるだろうと思い ちょっと格好悪いなと思う。足が着いたときホッとした。片足のサンダルが脱げ 隣の客も気づいたが 素知らぬ顔をして回収。実際 事故の一歩手前だった。もう少し沖に出て 起こっていたら 危険だった。 -
4)
それで気分が萎え もう泳ぐ気はしなかった。焼いてくれたバーベキューを 少し食べたが美味しくなかった。(タロイモを含め 味が雑駁)
同行のSさんが注文したビ-ル大瓶一本15ドル。ぶったくり。 -
5)
時間が来て 引き上げるとき もう一度振り返る。
この穏やかに見える海で 「ここに死す。」の私の墓標が立ったのかと思った。
帰りのバスに 濡れたままの海水パンツで乗ったため エアコンが効いて身体が冷える。船に戻って町に出かける元気はなかった。町にも魅力を感じなかった。昔のハワイを真似た感じ。
部屋に戻って、暖かいシャワーを浴び 眠る。シャワーを浴びるのが精いっぱい。夕食を何とか食べて それから12時間眠る。 -
(84日)
3月20日(水)
朝 ゆっくり起きて 本日は飯を食う以外何もせず。下船に向けてのアンケートもザーと見て無視。「うきうきふるさとメキシコ偏」(グティエレス 実氏)を聞く。氏はメキシコ人との混血。
それから船のホテル部門の責任者の方の ノー天気な話を聞く。氏は3か月勤務で3か月休暇だそうだ。 船員たちの生活についても話を聞く。どうすることもできないが白人優位の階級世界と思う。昼頃船内放送で 「アピアに緊急医療搬送で戻る。硫黄島周遊は中止」連絡があった。色々とある。もしかしたらそれは私だったのかと怯える。早く日本に帰り 安心な医療施設の環境に戻りたい。体調の不調をオーバーに考えてしまう。メールは不調。
(85日)
3月21日(木)
朝 3時ごろアピアについて 6時すぎ再出発とか。
眠れなかったので私も体操三部 をやめる。中国語教室から参加。体調すぐれず。すぐ居眠り。ネットも不調。イラつく。妻に愚痴を言いたいのにできない。午後 吐き気もし、発熱も感じる。夕飯時 肉丼を食べてパワーを回復。
(86日)
3月22日日(金)
風邪薬の睡眠効果がてきめんで よく眠る。病的に。朝いつものように起きて 体操三部をこなす。本調子ではない。朝食の時 臨席の人たちがアピアで船を降りた人は3名とか。噂ばかりのピースボート。
確かに 残り10日間の航海は長い。アピアで降りて飛行機で帰るのもありだったか。船の催し物も最後の発表に向けて賑やか その分レクチャー関係でで面白いものが少ない。「おりづるプロジェクトピースガイド発表会」に参加。
写真は 翌23日朝 太陽が出るとき まだ満月の月が輝いている。不思議な経験を写す。 -
(87日)
3月23日日(土)
恒常的な行事で 時間を消化していくしかない。体育三部、中国語、英語をこなし。メキシコの麻薬戦争③を聞き、「国家とは何か?」CC長興芽を聞く。(台湾人の方の反応を聞けて面白かったが 中国本土人の反応は聞けず。)「写真を通じて北京を見ましょう。②」SOUQUN氏。これも中国の型通りの主張がそれなりに聞けて面白い。(船の中の雰囲気は「多様性の容認」なのに。)
夕食の時 隣に座ったピースボートの若い男性が休みのないことを話したので 「それってブラック企業じゃない。」と答え、数日前のホテル部門の責任者の方の話を思い出し 「船会社」「旅行社」にNGOのピースボートの若い人達はうまく利用されていないか と尋ねたが 無反応。
夜 「理学療法士が姿勢について全力で話します。」長井一樹さん。を聞く。聴講者多数。有益だが 中国語訳付きで時間が足りず。もっと聞きたかった
明日 船は再度赤道を通過するみたい。 -
(88日)
3月24日日(日)
昨晩眠れず。うがい薬だけで眠ったため?頭はぼんやりしているが 朝から恒常的な日常生活をこなす。「うきうきふるさとー台湾」前回に引き続き聴講。
「おりづるプロジェクトーブルーシート」(1日目)今回は若い人の何かが伝わってきた。客席との仕切りがない不思議な空間。久しぶりの体験。
赤道を昼頃通過したらしい。放送はなし。曇り空だった。北半球に入った。
朝 マップス・ミーで日本の位置が表示されたときホッとした。マリファナ海域とか知っている名前の表示が出てきてで安心。後一週間でこの旅も終わる。
中国と台湾の若い女性5人が親しそうに ベランダのデッキチェアに寝転んで 中国語で話している。これが不思議でもなんでもない風景。(かっては武力衝突した間柄だったのに。)
写真は「ブルーシート」の一場面 若い人の気持ちが少しわかった。 -
(89日)
3月25日日(月)
1)
昨晩 日記を読み返し、少し疲れて早く眠り、それなりに眠れて 今朝も5時過ぎ目覚めて ネットの確認をするが、不通。後は恒常的日常生活を機械的にこなす。
今日は一日 強い雨が降っている。海も荒れている。日本の梅雨のよう。
昼甲板で色の黒いインド人かと思い話しかけたら マレーシア人だった。ピースボートの料金が安かったので参加したそうだ。
買い物クーポン券の処理に入っている。本日煙草を13箱買って 5000円ぐらい処理。残りは2000円。 -
2)
9時半ごろ 絵画の展示が始まる。胸をときめかして 見に行ったが 私の作品は完全に埋没。そんなものだろう。実際みんなうまく書く技術を持っている。
まぁ 楽しめられたので良しとする。 -
3)
旅散歩「私の見た硫黄島」(遠峰氏)12時15分スタートのはずが 12時5分に会場に行ったら 何故か始まっていた。満席。なかなか写真資料が多くて参考になる。今回行けなかった 悔しさもあるのだろうが、硫黄島 見てみたかった。
(後日 実際は 硫黄島を見れた。) -
4)
それから 「一人報告会~寄港地ほぼ交流ツアーを取って~(むさし)」に入ってみる。若い女性の体験記 ちょっと優等生の報告だが それなりに理解はできる。 それから洗濯物の最終を出す。あとは着実に上陸の用意をすること。あさっての27日で体操などの 講座も終了する予定。そうするとあと2回。 -
5)
夜8時すぎから「LOVE&PEACE~平和を愛するコンサート」を聞きに行く。発表する人の思いこみは激しいが 聞いていていて 感動するものは少ない。難しいものだ。大人の学芸会を義務的に最終まで付き合う。 -
(90日)
3月26日日(火)
「ピースボートスタッフってどんな人?」を初めて聞きに行く。今回が最終会。真剣なお話だった。ただ強制的な告白の雰囲気でなければ良いと思うが。
それから「明日の最終の発表会」のリハーサルに参加。舞台裏を見た感じ。大変な割り切りと努力をしている係の人が当然いた。中国の人は出たがり、積極的 個性的?
昼過ぎ 2時ごろ 意味不明の船内放送(コードブルー)が流れ 女性係員の声が緊張している。その時はそれで終わったが 夕方19時ごろシャワーを浴びて居たら また緊急医療搬送で船はグアムに向かう 旨の放送があった。人命に関することなので 仕方がない。シャワーを浴び終わり、船内情報番組「グルなび」を付けたら ノー天気な番組で「4日後 下船。」を楽しく煽っていた。ピースボートの事務局は 「コールドブルー」放送の事実は知っていたはずだのに 意思決定には参画していないのだろうか?不信の時。
写真は翌日の「THE FINAL」の午前の部の演目、凄く盛沢山。私も 午前の部の最終会で中国の方々と「大海故郷」と「四季の歌」を合唱する予定。 -
(91日)
3月27日日(水)
1)
朝 体操2部参加。それから朝食後 中国語講座の教室に出て、歌の練習に参加。それから着替えて 10時過ぎ「THE FINAL」を見学。そして本番に登場、無事に終わる。
昼過ぎの定例船長放送の後 突如として 「4月1日 神戸港に直接入港する。」旨 案内がある。それで船内は大騒ぎ。グアム出港時間も分からず、神戸入港時間も分からず ネットも繋がらず 手の打ちようがない。傍観するより方法がない。それから中国人用の再説明放送はあったが 日本語はなし。
仕方がないので 「THE FINAL」の続きをみる。確かに 見ごたえはあるが お金を払っても見ようというレベルではない。
夜の「グルなび」放送は は明日の全員ビデオ撮影の話を さも重大なことのように話するが 遅延のことは一切触れない。そんなことは起きていません、との如し。
写真は「THE FINAL」の一場面。皆さん真剣そのもの。音楽は容易に民族の壁を超える。 -
2)
夜 甲板での 祇園太鼓の最終講演会に参加。夜の太平洋に 祇園太鼓が響き渡る。暫し この遠い太平洋の戦場で亡くなった方々を思い、瞑目して鎮魂を祈った。良い演奏会。 -
(92日)
3月28日(木)
1)
夜熟睡はできず。色んな噂話が例によって流れている。なるようになれの気分。朝 5時ごろ起きて ネットを確認。当然のように無反応。マップス・ミーも現在位置の反応が悪い。船がうごいていない?体操2部をして 朝飯。それから全員ビデオ撮影中を無視して ベッドの中でグタグタする。ペーパーの資料関係写真にとり処分。
一応 バスで神戸から横浜に送って貰うことにする。時間はかかるかもしれないが しょせん日本の中。耐えていこう。
日本語クラスの異国の人の卒業式にたまたま出会う。生徒は台湾人が多いみたい。楽しそうな卒業式。。異国の人の歌う「仰げば尊し」のメロディーにも感動する。
4時過ぎ ヘリコプターが来て ホバリングで患者を収納・搬送。本日の一大イベントととして見ている日本人、写真を必死に追いかける日本人 暇なのはわかるが どうかしている。その運ばれているのは私だったかもしれないし、あなただったかもしれないのに。
その後放送があり 4月1日朝8時神戸着予定が伝えられた。
写真は昨日掲示されたらしき ジャパングレイスの文章。「ご理解と協力をお願いします。」と書いているが 何を協力すればよいのか分からない。 -
2)
夕刻 船長名で4月1日8時神戸港入港の案内があった。一日遅れの横浜着だが これでほぼ 私は安心。
8階の通路掲示板に 横浜下船組の人の提案があったが撤去されていた。無回答の撤去はおかしい。今晩のピースボートの「グルなび」は全員ビデオ撮影の話題で勝手に盛り上がり。乗客の疑問・要望をを無視している。 どうかしている。 -
(93日)
3月29日(金)
1)
よく眠った。6時に遅れて、太極拳に参加。偶然 一番前で 海を相手に演ずる。下手のままだけれど気分が良い。満足。朝飯の後 本日は最終回なので ヨガに7時40分から参加。感謝の思いを込めて 舞台裏で参加。これも良かった。
それから 荷物の整理に暇つぶしに入る。写真化できるものはすべて写し、紙一枚から捨ている。多分あとで後悔するだろうが 今は運ぶ手間を考え 捨てることに徹する。神戸の気温が分からず 着て帰るものは決まらないが何とかなりそう。結構「断捨離」も面白い。今夕は船長パーティーテイ それが終われば 余所行きの服もしまうことができる。
昼 船内放送で明日朝 硫黄島付近を通過するそうだ。良かった。うまくいくと日本の無線システムが使える。妻にもに連絡できる。
写真は 前夜張り出されていて撤去されていた 要望のビラが 朝また貼りだされていた。 -
2)
夕飯は「フェアウェルセレモニー&ディナー」ワイン付きのコース料理。
それから 夜は最後のダンスパーティー。楽しそう。 -
(94日)
3月30日(土)
1)
夜眠れず。午後10時ごろ ネットの接続を期待して 試したがダメ
朝。6時前にも試したがダメ。最後のラジオ体操に参加。放送設備が不調だったので小学生のように大声で号令をかけながら実施。結構すっきりする。
朝食を食べ、9時前に甲板へ出て 硫黄島を見学する。
横の女性たちが 丘の上の白い建物をホテルと誤解して話している。さすがに訂正する。でもそんなものかもしれない。ここで眠る戦死者たちも国境警備の自衛隊施設の下で眠るのと 平穏な観光施設の下で眠るのと どちらを選ばれるだろうかと思った。
海鳥が数羽迎えに来てくれた。 -
2)
映像でしか見たことない擂鉢山が実際に見えてくる。 -
3)
山肌は傷つき 塹壕跡らしき 崩壊した部分も見える。無残。 -
4)
逆側から 擂鉢山を写す。
活発な硫黄ガスの噴出も続いているようで、無数に埋まる不発弾への問題もあり 遺骨収集は進んでいないとか。
頭を垂れて 静かにご冥福を祈るのみ。 -
5)
島影が見えるあたりから 日本の電波網に接続しようとして LINEで妻にメールを流し続けた。近くでは家族の方と電話接続に成功した人もいる。色んな方法で試したが 私はダメだった。がっくり。
遠ざかっていく島には 港を建設しようとして 船を沈めた 沈船がいくつも見える。長い年月がたっているはずだのに 朽ち果てず 生々しく思えた。 -
6)
それから船内に戻り、Sさんと会い、話しているとき窓外で 大きな動物の尾ひれが 数度舞い上がるのをみる。慌てて写真を撮る。タイミングが合わず上手くは撮れなかったが この目ではしっかり目撃できた。多分小さいクジラだろう。Sさんは「横浜帰港がダメになって慰めに来てくれた。」趣旨のことを言われたが まぁ見れて良かった。
それから 荷物の整理を続け、スーツケース2つとリュックとヨガマットのくくりで帰れそう。一安心。
もう落ち着いてきているだろうと思い レセプションに行き、1)乗客カードの読み取り不全を言ったら カード管理が悪くて読み取れなくなっている。有料交換か事前レセプションに届け出で。2)留守宅連絡は要請があったところのみ実施。本日と明日は土日で事務所が連絡ができない。3)横浜のバス停の情報は今はない。
係の人も疲れているのだろうけれど 素っ気ない。聞きに行った私が悪かった。 -
(95日)
3月31日(日)
1)
前夜10時頃と 朝5時前に起きてネットの接続を試みるがダメ。仕方がないので6時に起きて 甲板を散歩。ひょいとスマフォのショートメールを見たら、妻からのメール。妻は船会社に連絡して事態をそれなりに把握しているみたい。安心した。気分が半分以上晴れた。(硫黄島からの連絡が有効のようだった。)
朝飯を食べ、マップス・ミーで現在位置を確認し 更に安心する。明日朝の神戸着は間違いなさそう。
荷物のの最終整理を続け、下着の汚れ物も紙パックに入れて捨てる。結論として来た時よりも ボストンバッグ一個分減らせられた。これで明日の移動も何とかなる。スーツケースの荷物をエフをつけ 午後2時ごろ 出す。
日本に近づき だいぶ寒くなってきた。写真のように 波も大きくなってきた。間違いなく日本の領海内。 -
2)
「さよなら。」に浸る情緒よりも、明日のバスの詳細段取りが分からない不安のほうが少し大きい。実際は何の問題もないのだろうが。
それから 「横浜港着をすっ飛ばした件」ビラの騒動は 写真のように広まっている。何故ちゃんとした説明をしないのだろうか?何の問題もないのに。(多分 私の知らないところで 説得活動はされているのだろうが。)
荷物の積み出しで一気に 帰るモードになっていく。船内は挨拶が飛び交う。
最後の晩餐 美術の先生、Sさん T大らしき先生夫妻 台湾と中国の人。結構面白い取り合わせで楽しめれた。
それから タバコのところでも なんとなく挨拶。ここでも お世話になった。
そして 最後のシャワーを浴び満足。眠る。 -
(96日)
4月1日(月)
朝 6時の朝食の前に 妻に電話。繋がる。安心。食べなれた 朝食を美味しくいただく。顔見知りの従業員の方々に お礼のあいさつ。そして最後の煙草を喫煙のところで嗜む。それから 部屋に帰り 個人金庫から取り出すなどの最終処理。ベッドで寝転んでいたら 同室の方からお別れのあいさつ。慌てて 挨拶に加わる。
それから8時半からの パスポート返却の列に並ぶ。相変わらず 該当の階数の呼び出し放送がないのに 無視して並ぶ、中国人、日本人 返却が混乱するだけなのに。それから パスポート等を受け取り、レセプションに行き、9時半過ぎに下船した。ターミナルで入国管理を通り 荷物を受け取り、殆どフリーパスで税関検査を通り 3階のバス乗り場で 少し待たされ 最初の横浜への送迎バスに10時頃乗り込む。予期しない弁当とお茶を有難く頂き、バスは新名神 新東名の日本の機軸を通過して 順調に5時半ごろ 横浜に着く。ちょっと妻との待ち合わせ場所の齟齬があったが 自宅に7時ごろ帰れた。近所の桜は満開だった。
写真は神戸港の「ポートターミナル」駅 -
追記
それで ピースボートの世界一周に参加してどうだった?
1) 船で世界一周は確かに経験したが 予想通り それはそれだけ。
ただ地球のサイズは何となくわかった。それ故に 地球のすべてのものが「有限」であることも。例えば「水」は無限のものと思っていたが 水の量は限られていて 容量・サイズには限定があることを知った。
(2) 世界一周の旅としては 危惧していたように 中身がスカスカ。総日数97日のうち 上陸して 旅らしいものを経験したのは 予定通り21日間。あとの76日間は 移動日・船上生活。
(3) その船上生活はどうでした?過去の参加者が蓄積してくれた ノーハウをいかんなく発揮できていた。特に自己啓発活動は広範囲だった。「音楽活動」「ダンス活動」「絵画活動」「語学教育」「スポーツ活動」「手芸活動」は想像以上だった。私は 高校以来絵を描くことはなかったが、船上で 時間があり 教えてもらい 結構のめりこんだ。楽しかった。語学も簡単な中国語を初歩から教えてもらった。英語は使う機会も多く 勉強になった。流石にスペイン語までは進めなかったが。それ以外に 適宜運動会などの催し物もあり その意味で むしろ抑え気味にしないと 時間が足りなくなってくる。
ピースボートのボランティアの方にはお世話なった。有能で 献身的で次の世代の期待を持たせてくれた。
(4) その共同生活者たちはどうでしたか?
全体に教師出身のような真面目な方が多かったと思う。ただ 1000人もの集団になると 性格的には色んな人が当然参加してくる。相互に確執が発生してくる。幸いなことに私はそういう思いをせずにすんだが 運次第の側面が強いと思った。そうなった時の対処の仕方が残念ながら分からない。多分 自分に閉じ込めれる殻を前もって用意しておくことだろう。例えば 読書、編み物、演奏など。
写真は私の帰りを待っていたように咲いてくれた桜 (4月4日写す。) -
追記
(5)不満と期待
船内では 「フェイクニュース」の類の 色んな話が飛び交う そうなる理由の一つは 正式な発表が無いか、少ないか、遅い ところにある。私は ピースボートの呼びかけに応じて参加した。ピースボートはその責任を逃げないでほしい。情報共有の先頭に立ってほしい。
それから 今回の乗船で思いがけずに 多くの外国人の方と旅をした。私には 外国人が隣人という生活の有益な経験だった。彼らが今回の旅・生活をどう評価しているか 定かには分からないが 私たち日本人の生活感覚は少しは分かってもらえたのではないかと思う。国際理解のささやかな貢献をしたのではないかと思う。
その率先役は 有能で献身的なピースボートのスタッフの皆さんであるけれど 日々の暮らしは 日本人乗客の方々の一つ一つの行動であると思う。多様な考えを容認し 思いやりを忘れず 平和を希求する日本人を 少しは分かってもらえたのではないかと思う。その意味で 今後も潜在的な日本人乗客の果たす役割は大きい。
将来、日本由来の「ピースボート」が 安さだけではなく その内容から選ばれ 世界各地を起点に 航行している日を夢見る。
船で知り合ったIさん紹介の 花園神社境内 まだ桜が残っていた。(4月11日)
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