2018/12/26 - 2019/04/01
18位(同エリア66件中)
アーサーさん
ピースボート(第100回)南周りのコースの参加記(全3巻)の第2巻目で 南ア出発からチリのパルパライソまでを記載。航海中に記した私的日記(約30日分)をベースに作成。
写真はイグアスの滝 (ブラジル側から)
尚 1巻目「ピースボートで南周りの世界一周(1)・・日本出発から南ア ケープタウンまで」のURLは
https://4travel.jp/travelogue/11394492 です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 一人あたり費用
- 100万円以上
-
(34)
1月28日(月)
1)
流石に昨日は疲れたのかぐっすり眠った。(昨日のケープタウンでの歩数 約1万2千歩) 今日は船内も私ものんびりする。「福建土楼」の色鉛筆画を完成させる。
それから 図書室で借りた 柳美里の「命」を読了する。迫力はあるが 私小説の典型だな。
船は大西洋を北上中。波静か。 -
(35)
1月29日(火)
1)
今日から 通常の行動パターンに戻る。朝の体操三セット。中国語講座、英語中級講座。それから写真のロサ・ナミセスさんの「ナミビアの女性と子供」講演に参加。シャアザワールド「私たちが見たケープタウ」報告を聞く。。
朝は曇っていて 気温20℃ぐらいで寒かったが 昼から晴れてきた。それから 海流のせいか 海上でアシカの群れをよく見かける。最初イルカと言っていたがアシカのようだ。
夕方にになり 船内放送でナミビア到着時間を緊急医療搬送の為に早める旨連絡がある。
明日はナミビアの砂漠 期待しよう。 -
(36)
1月30日(水)
1)
朝 思いがけず寒かった。ナミビアのウオルスベイは 結構大きな町。8時半 ツアー参加で船を出発。バスもそれなりに現代のもの。クーラーもよく効く。
港湾のゲートを出て 近代化された道路整備に驚く。 -
2)
最初に海岸線を走り 結構現代化された家。新しい家並み。社会的な投資だとか。 -
3)
私的投資のエリア.随分モダンな家並み。 -
4)
スワコプムンド(ドイツ人のリタイアランドとか)の街を通過。ドイツ風でそれなりに豊かそう。 -
5)
「ムーランドスケープ」を最初に訪問。別に 月世界とは思わなかったが 広大な荒野であることはわかった。
そこで 同じツアー客がドローンを飛ばしていた。小型だけれど性能が良いのに驚く。 -
6)
それから 昔からの小さなオアシスでトイレ休憩。井戸から水が出ていた。
その一帯だけ木が生えている。不思議な光景。 -
7)
それから 近くで生きた化石と言われるウェルウィッチアを観察。生命は700歳とか。周囲を小石でガードが示されていた。 案内者が触ってよいと言ったが 畏敬の念から 私はそれはできなかった。ウェルウィッチアは周辺に点在していた。生き延びて欲しいと祈った。 -
8)
昼過ぎになり スワコプムンドの街に戻り、西欧風のレストランでビュッフェ方式の豊かなランチ。
写真はそのレストランの玄関。 -
9)
食後 近くの露店の土産物店が並ぶところに案内される。結構 アフリカらしい土産物が沢山並び 値段も手ごろだったが 値段交渉の間がうまくいかず 買いそびれてしまった。 -
10)
バスが駐車していた公園で見かけた 七面鳥?の群れ。不思議な光景。 -
11)
近くの 浜辺に出れば 砂浜が赤みがかっている。
ナミブ砂漠が「赤い砂漠」といわれるのと関係しているのかと思った。 -
12)
浜辺には 洒落た 家が並ぶ。多分西欧人のものだろうけれど。日本人としては津波の怖さも思い出した。
スーパーで買い物もした。その際 現地人の若い女性からトイレ代3ドル請求される。教育的観点から 一切払う気はなかったが 付きまとわれ 面倒になり1ドルを払う。敗北。 -
13)
最後に 港近くの砂丘(Dune7)に向かう。途中で列車に遭遇。砂漠を走る列車が珍しく写真にとる。 -
14)
砂丘(Dune7)が見えて来た。観光のスポット風。
簡単に登れそうに見えたが。 -
15)
バスを降り 楽な稜線の正規ルートから登ったが 上がっても 足元が崩れてずり落ちてしまう。息が苦しくて 老人の私は途中で放棄。でも砂丘の登山は経験できた。
砂の中に物を落としても 飲み込まれてしまうのも 何となく分かった。砂は生き物。 -
16)
港まで帰り、港湾エリアで 突如 中国語表記のキャバレーらしき建物を見かける。中国人もバカなことをやっている。これでは尊敬はされないだろうと思った。
夕暮れのウオルスベイ港を見ながら これで アフリカ訪問は終わった。いろいろと見られたが。正直あっけなかった。消化不良。一抹の寂しさ。 -
(37)
1月31日(木)
1)
寄港日の翌日で ゆっくり 6時半過ぎ朝飯に。船は朝日を背にしての方向に進んでいる。大西洋を西に。結構揺れだした。厚い雲でネット不通。次の寄港地リオデジャネイロまで10日の長い航海日。
午前中 絵をかいて時間を過ごす。午後 水先案内人下郷さとみさんの「ブラジル30年史」を聞く。
考えれば ブラジルのことはあまり知らない。良い機会。
夜 図書室で借りてきた 綿矢りささんの「インストール」を読む。若いな。それだけ。 -
(38)
2月1日(金)
1)
朝 久しぶりに体操3部、中国語講座。パソコンの写真整理。午後 講座とクレヨン写生の講座出席。寝ているのに まだ眠い。(完全に弛緩してしまっている。)
大西洋を渡っている実感が何となくする。波は静かになってきた。暖かくもなってきた。今日から2月。 -
(39)
2月2日(土)
1)
大分暖かくなってきた。「ブラジル30年史」続きを聞く。それから「ラテンアメリカ文化紹介」も。私はラテンアメリカのことは知らないな と思う。
大西洋を三分の一ぐらい渡った。図書室で畑山博さんの「罠」を読む。怖い話。今晩も時差調整。グリニッジ標準時間と一緒になるとか。
甲板ではせまいコートで 若い人を中心にボール練習中。試合があるらしい。 -
(40)
2月3日(日)
1)
お定まりの体操3部、朝食、中国語講座。(中国語、覚束ないがちょっと面白くなってきたかな。)高橋和夫氏の「トランプの中東政策」を聞く。
それから参加予定のモンテビデオFコース(イグアスの滝2日間)の説明会があり、参加。約60名の参加予定とか。
午後はブリッジ見学会に参加。自動運転が進んでいるの驚く。電車も遠からずこうなるのだろう と思った。
夕食は節分の料理。気が紛れて嬉しかった。
夜「今夜どんな星が見えますか?」に参加。多くの参加者。説明を聞いてデッキにあがる。新月で星がよくみえる。南十字星も日本人客に教えてもらう。多分それで正しいのだろう。
写真はブリッジ見学の際 船の操舵輪を握り 喜ぶ私。 -
(41)
2月4日(月)
1)
本日は旧正月の大晦日で 船内もそれなりの装飾。赤いシャツを着る人多し。午前中 台湾の旧正月の習慣を聞く。午後下郷さとみさんの「アマゾンの里山―私の出会った先住民族」の話を聞く。我々日本人が輸入大豆を食べている一方でアマゾンの原生林を破壊している。ちょっと考えさせらる。それから ホン・サリーナさんのクレヨンアートに参加。前回と同じ。本日も時間調整。妻からライン連絡。夜ファッションショーまがいなどの催し物が開かれている様子。
(夕飯も 旧正月の大晦日で 特別な料理) -
(42)
2月5日(火)
1)船内では旧正月のゲームなど何かやっているみたい。中国語で正月のあいさつが飛び交っている。図書室で宮部みゆきの「蒲生邸事件」を読みだす。
最近食事の時 相席者としゃべらなくなった。面倒の気持ちが大。
スコールが来て、虹が良く発生。海上の虹見事なものだが写真にはうまく撮れない。本日も星空観察会があるようだが、休む。大西洋を半分以上渡った。 -
(43)
2月6日(水)
1) 太極拳の途中で雨(スコール)、中国語講座も少しレベルを落としてくれた。「わくわく寄港地~リオデジャネイロ偏」の後「おりづるプロジェクト演劇」を見る。よくやっているが素人集団。それから下郷さとみさんの「地球から足下へ、足下から地球へ」を聞く。昨晩 宮部みゆきの「蒲生邸事件」を読み飛ばす。書く力は認めるけれど、タイムマシンと2・26では無理がある。図書室の本も読み飽きてきた。(文庫本は活字が小さくて読めない。)
(44)
2月7日(木)
1)恒例の体操三部、ネット、中国語講座、それから「壁で分断された世界」をちょっと聞いて、「リオデジャネイロMコース準備会」に参加。午後時間潰しに高橋和夫氏の「ボヘミアンラプソディーと宗教」の話を聞く。それから 船内テレビで Mコース準備会で聞いた TVドラマ「ハルとナツの届かなかった手紙」を見る。まぁ無駄ではなかった。外気温度が30℃を超えてきた。夏空。
(45日)
2月8日(金)
1)朝雨だった。いつもの定番コースの後、水彩画教室の今後の予定説明会に参加。加茂幹彦先生 ナミビアで入院中だとか。午後 「ブラジルから来たおじいちゃん」のドキュメンタリー映画を見る。その後討論会に参加。
今日は「二分の一カーニバル」が船内で行われた。手工芸品の展示。楽器演奏、合唱、ダンス、など盛沢山。小倉太鼓もよかった。
明日はリオデジャネイロ。 -
(46日)
2月9日(土)
1)
朝 リオデジャネイロに着いた。地球の裏側もなんかあっけない、感じ。飯食って、寝て、ぼーっとしていたら 着いたという感じ。リオデジャネイロの港は周辺を囲まれ大きな湖のような港だった。
朝 喫煙所で 突然「船長から下船命令を受けた。」男性の一方的な話を聞いた。下船理由は明快ではなかったが そいうこともあるらしい。ピースボートでは 乗客には 伝聞形式の「曖昧」なことが多い。
船から眺める 岸壁沿いの様子。 -
2)
リオデジャネイロでは一日だけの滞在なので オプショナルツアーの「フンシャル入植地」訪問を選択した。入植地はリオデジャネイロから 北東約110キロに位置し 行きは 海上の橋を利用し、帰りは山側を利用。バスで片道約1時間半の行程。
途中 車窓から眺めるブラジルは 完成前に放置した建設物や メンテナンスのされない住居環境が目に付く。「隣近所」に迷惑。格好がつかないの感覚がないのだろうか?と思う。
写真は橋から眺めたリオデジャネイロの街。 -
3)
後日 写真を拡大したら 停泊するピースボートの斜め上にコルコバードのキリスト像が小さく見えた。 -
4)
「フンシャル入植地」付近の景観は何となく日本を思い浮かべる 緑豊かなところ。ここには日本移民の最終時期の1963年頃 48家族が移住したとか。時代を経た集会場に約20名ぐらいの方々が迎えてくれた。 -
5)
小さな集会場の建物を入ったところに 天皇 皇后の写真が掲げけられていた。
皇太子時代の1967年に非公式にここを訪問されたもよう。 -
6)
お会いした方々は わたしより年上の方々で シベリアに抑留された方もいらした。それなりにこの場に参加されていることからも ご苦労はあったであろうが 成功者の方々なのだろうと思った。私が話をお伺いした方からは 次の世代に何を引き継ぐかの意識が随分強い方と思われた。2代3代先を考えて現在を耐えてきた強さを感じた。それは確かに現代の我々は先が見えないからと 逃げている部分かもしれないと思った。反省。(亡き親父に意見された気分。)
楽しく歓談し、手づくりの食事を頂き、盆踊りなどを一緒に楽しみ約4時間の滞在を終えた。行って良かった。得難い経験。 -
7)
同行してくれた ピースボートの女性が踊りを披露して せめてものお礼と出来た。 -
8)
夕刻 帰船しても 再度出かける元気もなく 短時間の私のリオデジャネイロ訪問は終わった。
船から眺める 夜の岸壁沿いの様子。 -
(47日)
2月10日(日)
本日は 寄港地観光の翌日で 船内の催し物も少ない。イグアスの滝などにオーバーランドツアーで行かれた方も多く 船内は何となく静か。船は大西洋を南下している。「わくわく寄港地モンテビデオ編」の説明会に出ていたら ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領がピースボートにまた来てくれるらしい。朗報。今日は暇なので撮影した写真の整理。あと最屋上でジャグジーに入る。独り占め。お湯が熱い。
(48日)
2月11日(月)
朝 10分程寝坊。曇りでWIHIの具合悪い。ネット、に接続できず。「ピースボートカメラマンの地球一周―半周編―」奥平啓太さんの話を聞く。若さが羨ましい。午後、伊藤千尋さんの「太陽の汗・月の涙~南米の魅力」を聞く。それからラテンアメリカ文化紹介で アドリアン・コディネスさんの「ペペ・ムヒカ」の話を聞く。ブラジルでの国連会議の演説のビデオ映像 迫力があった。
夜 「東欧諸国ツアー」を聞く。長興芽、早崎綾両氏の経験談。世界で生きている若い人たちもいる。
(49日)
2月12日(火)
海は荒れていた。寒い。22℃?風邪も流行り、船内では船酔いに苦しむ人達もいる。おかげで私は順調で無関係。午後、暇だったので 色鉛筆画を描いて遊ぶ。夜 イグアスの滝行きの一泊旅行の用意をする。ネットの接続不調。
(50日)
2月13日(水)
1)
朝 写真のウルグアイのラ・プラタ川の河口左岸に位置するモンテビデオ港に到着。ラ・プラタ川の河口は海のように広い。 -
2)
船内ではホセ・ムヒカ元大統領を迎える準備が進んでいた。ちょっと残念だが私はオプショナルツアーFコース イグアスの滝観光2日間209000円に参加。
船を9時過ぎ 56名のバス2台で出発。
空港までの道 モンテビデオが豊かな街であることを知る。道を歩く人たちが健康的。南の海に面していると 豊かそう。バス中でサンドイッチ風の昼食替わりを頂く。 -
3)
モンテビデオの空港で妻ににライン電話。12時頃発 ブラジルのフォス・ド・イグアス空港に14:50ほぼ定刻で到着(チャーター便)。途中広大なアマゾンもどきの原生林も見れて 満足。
ブラジル再入国もスムーズに行けたので 突如ブラジル側の滝見物も追加変更の発表。ラッキー。
機内から原生林もどきを写す。 -
4)
公園の入り口をはいって直ぐに 滝に対面。驚く。 -
5)
規模がつかめないが 膨大なスペース。 -
6)
坂を下りる方向で見物するので楽。ド迫力。「悪魔の喉笛」のところで滝の下から見物。水しぶきで濡れるが 持参したカッパを羽織り満足。 -
7)
位置関係を私は理解できなかったが 滝の水量に圧倒される。 -
8)
それからエレベーターで上にあがり 展望台から見渡して納得。 それから ブラジル側を退出して バスでアルゼンチン側に入国。(スムーズ) -
9)
途中の店で ブラジルコーヒーを記念に飲む。別に特段旨くもなかったが。 -
10)
それから 今晩の宿パノラミック・グランド・ホテル・イグアス(PanoramicGroundHotelIguaz)に投宿。周辺環境はもうひとつだが ホテル自体は申し分なし。バスタブもついていて 久しぶりに足を延ばして入浴できた。 -
11)
夕飯は分厚いアルゼンチンステーキ。私一人だけ完食。(皆さんに驚かれる。)
ホテルに併設されたカジノは日本のパチンコ屋風。
夜 久しぶりの地上での眠りだったが 熟睡は無理だった。 -
(51日)
2月14日(木)
1)
朝食を6時過ぎに食べて 7時15分にホテルをバスで出発。8時15分の始発のトロッコに乗る予定が 私だけタッチの差で乗車できず。約15分遅れで 次のトロッコ列車に乗り、終着駅に到着 係員の方が待っていたので 小走りで「悪魔の喉笛」のところまで行き 皆さんに追いつき見物する。
写真は トロッコ列車の改札口。(まだ改札は開いていない。)ここから 列車まで皆さん駆け出し、私は遅れてしまった。 -
2)
木道?を小走りで急ぐと 川が流れている。 -
3)
皆さんに追いつき この辺りで川に段差が生じてくる。 -
4)
大きな段差が 現れ 上から眺められる。この辺りが「悪魔の喉笛」の始まり?(遅れていたので 説明を聞けず。) -
5)
たしかに 目前で大量の水が流れ落ちる。圧巻。 -
6)
それから10時までに 駅舎に戻れと言われたが なんか気が焦り ゆっくり見物せずに 急ぎ元来た道を急ぐ。途中のベンチで昆虫が何かを食べていたが 座ってゆっくり観察もしないで 歩き出す。 -
7)
帰り道は長く感じ 途中で疲れを感じる。ただ 腰を下ろすところもない。 -
8)
やっと 駅舎前の広場に着き 係の人に トイレの場所を聞き、そちらに向かおうとしたとき 不安定になり、近くの木にすがろうとした時 その木が細過ぎて たわみ 転んでしまった。立ち上がろうとして 足元が不安定で更に転ぶ。かなり格好悪く、急いでトイレを済ます。
トイレを出て 駅舎に向かい 近くに白い花が咲いているのに気付き 写真を撮ろうと緊張した時 気分が悪くなる。慌てて近くのベンチに座ろうとして また転んでしまう。現地係員に「ガイドを呼べ」と言われ、大丈夫と答えたが 「3回転倒した。異常だ。」と強い口調で言われた。日本人ガイドに説明し、ゆっくり進むことにする。自信を失う。
写真はその時写した白い花。ブレてしまったが。 -
9)
それから トロッコ列車に乗り、次の目的地に向かう。 -
10)
大事をとって 次の遊歩道散策は諦め ちょっと先の合流点で待つことにする。
待っていると 小動物が餌をねだりにやって来た。 -
11)
案内図のブルーのルートを私は歩かなかった。私以外に3名の方がそうしたようだ。 -
12)
それから 滝の見える豪華なホテルで ビュッフェ方式のランチを頂く。
ホテルの専用プールの向こうに 滝の白煙が見える。 -
13)
私は気分的に落ち込んで 早く食べ終わり ホテルの庭の水連(日本を思い出す。)のような花に慰められた。 -
14)
それから バスでプエルト・イグアス空港に行き 16時近くに離陸し ブエノスアイレスに向かう。
その飛行機に乗り込むとき「10A」の座席を 間違って「9A」に座ってしまい。その席の乗客にひどく叱責され、周りの客に「ゆっくり」と言われ 更に落ち込む。 -
15)
機上からは イグアスの滝の全貌が それなりに見えた。白煙に見えるところが滝本体? -
16)
ブエノスアイレスに17時40分ごろ到着。アルゼンチンの国内線の扱いで 直ぐに迎えのバスに乗り込み 1時間ほどの車窓観光に出発。 -
17)
ブエノスアイレスは西欧風の建物が残る。でも何か場末の感も残る。
アルゼンチンの国家は何度か経済破綻を繰り返したと記憶しているが よくわからない。どうも我々の常識では測れないものがある感じはする。 -
18)
世界一幅の広いと道路と言われる大通りの 車の渋滞を見ていると どこかが上手く回っていないと感じる。 -
19)
観光の目玉らしい「オベリスク」もそれだけ。 -
20)
新しい開発のエリアには モダンな高層ビルが建設され 更に建設が大規模に進んでいるが 何か町の調和が取れていない。所詮 瞬時の行き連れのものの戯言だけれど。
船に戻り、夕飯のカレーを食べ 片付けて眠る。ホッとする。大きな私の旅のイベントは終わった。ペペ・ムヒカは来なかったみたい。 -
(52日)
2月15日(金)
ゆっくりする。船全体が そんな感じでだらけている。
午前中 荷物などの整理、午後 英語中級講座、「おりずるプロジェクト被爆者証言会」(渡辺」淳子さん)に参加。実体験でなくても 経験者から受け継いでいく大切さを学ぶ。(多くの亡くなっていった人たちの思いを受け継ぐ。)それから 絵を修正して遊ぶ。
(53日)
2月16日(土)
本日から通常の日々に戻ると思ったが 風邪をひいている人が多いためか 朝の体操の参加者も少ない。朝 絵画担当新任の大井先生と会う。色々と教えてもらった。なるほどと納得。
昼から避難訓練。わたしをを含めて老人の 勝手な行動。まさに老人介護施設の避難訓練。夜 張艶さんの「二胡演奏」を聞く。途中で退席。
(54日)
2月17日(日)
めっきり寒くなった。冬衣装に衣替え。
中国語講座で「大海?故郷」の歌を教えてもらう。懐かしそうなメロディー。それから「マブーチェとしてのアイデンティティ」の講座に参加。よく居眠りをした。
それからイグアスの滝の絵にとりかかる。楽しい。
昼船内放送でクジラが泳いでいると連絡があり即 右舷側に行ったが残念ながら見えず。今日は「洋上歌合戦」。面白くない。船内美容室の散髪を予約。
(55日)
2月18日(月)
船内の風邪が大流行らしい。診療所への不平不満が煩い。年寄りだから抵抗力がないのだろう。マルセロ・サパレスさんの講演を聞く。わくわく寄港地 ウシュアイア案内も聞く。
それから 水彩画教室で「手」を書く。面白い。
明日は最果て「ウシュアイア」。
船は南下を続け 日毎に寒くなってくる。 -
(56日)
2月19日日(火)
1)
少し眠れず。朝6時過ぎ小雨模様の甲板へ。船は海峡を通過中。山の頂あたりは夏とはいえ 雪模様、カナダ北部やアイスランドのフィーヨルドで見た寂しい風景に似ている。 -
2)
ウシュアイアの町の光が見えてくる。 -
3)
船は接岸し、上陸開始。私は8時45分集合のバスツアー「歩行少な目パタゴニアの自然ドライブと博物館観光」に参加。
写真はその対岸から「オーシャンドリーム号」を写す。 -
4)
最初に小さな「世界の果て博物館」に入り 説明を聞く。見学者が多すぎて よく聞けず飽きる。 -
5)
ウシュアイアの町の港の大通り。空模様もはっきりせず 何か寂しそうな町だった。 -
6)
それから バスは南部パタゴニアの峻厳な山並みを進む。写真のここで 暫し下車観光。高台から撮影する。赤みがかった「泥炭」の説明があった。 -
7)
ウシュアイアには、パンアメリカンハイウェイの南側の終点であるとして、「アラスカまで17,848km」の標識が立てられている、とのこと。写真はそのハイウェイ。成程 この道は アラスカにまで通じているのかと 妙に感激。
説明してくれた現地ガイドの女性は知的な感じ。 -
8)
それから エスコンディド湖とファニャーノ湖を見て 昼食レストランへ向かう。
「世界の最果て」の風景は やはり寂しさが漂う。 -
9)
湖畔には ススキのような草が風に揺れていた。 -
10)
昼食レストランの入り口。 -
11)
昼飯の料理は 羊の丸焼。ダイナミックだが もう一つ。 -
12)
小高い崖の風が強いところに案内されてバスで行ったが 雨が強くなり あまり見えず。確かに樹木が斜めに育ってはいるのは分かった。 -
13)
それから 街に戻り バスを降りて スーパーなどに行ったが 買い物は 買うものが無くて 何も買わず。
ウシュアイアは 小樽を思い出す坂の町。 -
14)
港には ちょっと特異な形の南極観光の船が停泊していた。 -
(57日)
2月20日日(水)
1)
朝 ウシュアイアを出港を見る。確かにウシュアイアはピースボートお勧めの街だった。周辺に見どころも多く、歩いても手ごろな街で 安全そう。物価は安くなさそうだったが。
さようなら「最果ての街」 -
2)
太平洋と大西洋を結ぶ マゼラン海峡とウシュアイア沖のピーグル水道との区別が私はつかず 分からないまま船は海峡を進む。 -
3)
「世界の果てにある灯台」と言われるエクレルール灯台?を遠くに見る。
完全冬支度の服装。持参したカイロを使い果たすほど 防寒対策をとっているが
それでも寒い。 -
4)
船内放送で案内され 慌てて甲板に出て 写した「イタリア氷河」息を飲むほど 青みがかって美しい。
海に先端の氷が 散らばって流れ出ている。 -
5)
ドイツ氷河は もっと巨大だが 下方が 溶融し 後退している風に見える。(地球の温暖化?) -
6)(58日)
2月21日日(木)
6時前に ケープフロアード(南米最南端)を通過。寒い。あられが降る。ネット不調。船内で絵を描いて時間潰し。この海域は海峡の連続、気候も瞬時に変わる。早くあったかくなってほしい、
南米大陸の最南端フロワード岬を抜けていると 船内放送は伝えているが 寒くて甲板に出れない。一応その辺りの写真をとったが。
先日予約していた 散髪の予約時間が来たので 船内美容室に行き、10分で3688円の散髪をしてもらう。頭が更に寒い。 -
2)
所々で 岬の丘の上に十字架あり、寒風の船上でそれをスケッチする若い人も人もいる。
年寄りの私は気まぐれに写真を撮るだけ。
どうもこの辺りから「パタゴニアフィヨルド遊覧」にはいっているみたい。 -
3)
海峡の連続で 多島美は素晴らしいが 如何せん寒い。 -
4)
圧倒的な 手つかずの自然の連続。 -
5)
でも 正直 贅沢だが 飽きてきた。 -
(59日)
2月22日日(金)
1)
6時頃セノ・アイルフィヨルドに入る。小雨で寒くて暗い。入江の遠くに氷河らしきものも見える。 -
2)
昼過ぎ 突如 船はピオ11世氷河とご対面。
私のカメラでは全幅を捉えるのが困難なほどの大きさ。 -
3)
更に近づいてくれるが 氷河の汚れも目に付く。
海から氷を持ち持ち帰るボートを下ろしているようだったが 私は寒くて船内に戻る。
マップス・ミーの画面を見れば 船は引き返して 太平洋に向かっているようだった。 -
(60)
2月23日日(土)
太平洋に出て船は揺れているが、暖かくはなった。何より青空が良い。体操が復活。中国語講座も「歌」が加わり 面白くなった。ネットはダメ。
午後「SDGユースとインティ・カストロトークショー」に参加。8人の南米大陸から選抜され、ピースボートに短期間乗船の若者たちの話。そして世界に対して彼らが行っている活動とは?優等生スタイルではあるが世界の色んな人と接するのは良いこと。
触発され私も少し考えた。旧正月の伝統を失ったように農耕民族の伝統を 私たち日本人は急速に失っていないか?パタゴニアの景観から 手つかずの自然を対峙してもう一度我々人間がやってきたことを考え直す必要を思った。とかとか -
(61日)
2月24日日(日)
少し暖かくなった。午後青空回復。朝飯の後 軽く下痢をした。漢方胃腸薬を念のため服用。イタリア氷河の絵を一応完成。
(62日)
2月25日(月)
朝 6時すぎに目が覚める。太極拳15分遅刻。ヨガ大分ついていけている。南緯の緯度が上がってきたが気温は上がってこない。南氷洋の所為?朝 ICカード落とす。レセプションに届けられていた。
イタリア氷河の絵を完成させる。通り掛かった船員さんから 「ナイス」と言われる。嬉しかった。
夕方 「水彩画教室」に参加。イタリア氷河の絵を見せ 書き直しのアドバイスを受ける。
「わくわく寄港地パルパライソ編」を聞く。
(63日)
2月26日(火)
1)
朝 起きたらパルパライソだった。久しぶりの都会。
写真は船から見た パルパライソの街 -
2)
本日は「日本が大好きな若者たちと世界遺産の街歩き」のオプショナルツアーに参加。ところが 8時15分の集合時間を8時45分と間違う。何とか追いかけ 近郊電車の駅で追いつく。 -
3)
電車を降り パルパライソの中心部を歩けば 結構歴史のある町。
写真は広場の記念塔のところで。 -
4)
広場でツアーの皆さんと。
真ん中の女性が 案内してくれたチリ人女性。
右端の男性は写真を撮っていたら 突然参加したチリ人。
後方の建物がチリ海軍の艦隊本部だそうです。 -
5)
パルパライソは丘の町。観光名物の有料のケーブルカーもどき(フニクラ-)が運行していて乗車。 -
6)
丘の上から 港町を見下ろす。(対岸は日本?) -
7)
それから
坂を上り 「青空美術館」へ向かう。 -
8)
確かに 壁面にデッサンがされている。 -
9)
ただ 私は長い坂を それ程上手くもないない絵を見続けるのに飽きた。階段に座って皆さんを待つ。 -
10)
民家の庭の紫の花が珍しい。
それから 小さなレストランに行き ランチを頂く。乗船客といっしょになり 食後 タンゴの曲にあわせてダンスを踊る 乗船客の日本人ご夫妻に感心する。幸せそう。 -
11)
更に街の散策をして 途中 アイスクリームを食べて 街の中央へ戻り、電車で船のシャトルバス停車駅に戻った。
案内してくれた女子学生は若い知識欲の強い人だっただが、人が良く おもてなしの心も持ち過ぎて 日本人が好き勝手なことを言っても抑えが効かない。その訓練がなされていない。それで収拾がつかない。何か無駄な動きばかり。(ただ彼女には将来の可能性を感じさせられた。)
写真は丘からの風景 -
12)
シャトルバス停車駅で離脱して 一人で大規模なスーパーに行ったが ワインは荷物になるので諦め 結局買えるものは何もなかった。
ともかく これで終わった気分。パルパライソあえて来るところでもなし。
寄港地訪問の後の夕食はいつもカレーかハヤシライス ちょっと物足りない。我慢して 出港式も見ずに早く眠る。万歩計は2万歩を超えていた。
アメリカ大陸を出発して 太平洋に漕ぎ出すと 日本に向かっている気分がしてくる。
写真は船から眺めるチリ海軍の一群。こんな平和な海だのにと疑問に思う。
(掲載写真も100枚を超え 少し疲れてきたので いったん終了させ 元気を取り戻して「ピースボートで南周りの世界一周(3)で再編集することにする。)
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