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プラハ、2日目。この旅行記では、カレル橋を渡って、プラハ城周辺を中心に。写真は、プラハ城のある丘の上から旧市街の眺め。<br /><br />

プラハ(Praha) 2日目(プラハ城、聖ヴィート大聖堂、ロレッタ教会、ストラホフ修道院)

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2017/03/19 - 2017/03/19

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プラハ、2日目。この旅行記では、カレル橋を渡って、プラハ城周辺を中心に。写真は、プラハ城のある丘の上から旧市街の眺め。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
3.5
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • キュビズムの街灯。<br />と最初からマイナーなものを紹介。<br />雪の聖母教会(Church of Our Lady of the Snows、Kostel Panny Marie Sněžné)前の広場に一本だけひっそりと建っています。<br /><br />

    キュビズムの街灯。
    と最初からマイナーなものを紹介。
    雪の聖母教会(Church of Our Lady of the Snows、Kostel Panny Marie Sněžné)前の広場に一本だけひっそりと建っています。

    キュビズムの街灯 建造物

  • スタヴォフスケー劇場(エステート劇場)<br />Stavovské divadlo<br /><br />これまたマイナー。<br />

    スタヴォフスケー劇場(エステート劇場)
    Stavovské divadlo

    これまたマイナー。

    スタヴォフスケー劇場 (エステート劇場) 劇場・ホール・ショー

  • Church of St. Gallen<br />Svatý Havel<br />聖ハヴェル教会。

    Church of St. Gallen
    Svatý Havel
    聖ハヴェル教会。

    聖ハヴェル教会 寺院・教会

  • ハヴエル市場。<br /><br />市場があるとつい、立ち寄ってしまう。

    ハヴエル市場。

    市場があるとつい、立ち寄ってしまう。

    ハヴェル市場 市場

  • ハヴエル市場。<br /><br />結構店の長く続いている。売っているものは、結構、見ていて飽きず、面白い。(この市場は、ローカル向けで、英語は全く通じません。商品の写真を撮ろうと思ってもコミュニケーションが取れず断念。)

    ハヴエル市場。

    結構店の長く続いている。売っているものは、結構、見ていて飽きず、面白い。(この市場は、ローカル向けで、英語は全く通じません。商品の写真を撮ろうと思ってもコミュニケーションが取れず断念。)

    ハヴェルシュカ マーケット 市場

  • Kostel svatého Jiljí<br />Kostel sv. Jiljí<br />聖ジャイルズ教会

    Kostel svatého Jiljí
    Kostel sv. Jiljí
    聖ジャイルズ教会

    聖ジャイルズ教会 寺院・教会

  • Kostel svatého Jiljí<br />Kostel sv. Jiljí<br />聖ジャイルズ教会

    Kostel svatého Jiljí
    Kostel sv. Jiljí
    聖ジャイルズ教会

    聖ジャイルズ教会 寺院・教会

  • Kostel svatého Jiljí<br />Kostel sv. Jiljí<br />聖ジャイルズ教会<br /><br />今晩の教会で行われるコンサートの案内。こうした形で、よく小さな教会でコンサートが行われます。

    Kostel svatého Jiljí
    Kostel sv. Jiljí
    聖ジャイルズ教会

    今晩の教会で行われるコンサートの案内。こうした形で、よく小さな教会でコンサートが行われます。

    聖ジャイルズ教会 寺院・教会

  • ベツレヘム礼拝堂<br />Betlémská kaple<br /><br />ヤン・フスがチェコの民衆に向かってチェコ語で説教を行った質素な教会。1391年から10年以上かけて造られたゴシック建築だったが、18世紀後半に全壊。現在見られる教会は、資料をもとに1950年から2年かけて昔の姿に忠実に再現したもの。

    ベツレヘム礼拝堂
    Betlémská kaple

    ヤン・フスがチェコの民衆に向かってチェコ語で説教を行った質素な教会。1391年から10年以上かけて造られたゴシック建築だったが、18世紀後半に全壊。現在見られる教会は、資料をもとに1950年から2年かけて昔の姿に忠実に再現したもの。

    ベツレヘム礼拝堂 寺院・教会

  • ようやく、ヴルタヴァ川の岸まで出てきました。カレル橋とその向こうに聖ヴィート大聖堂が見える。<br /><br />

    ようやく、ヴルタヴァ川の岸まで出てきました。カレル橋とその向こうに聖ヴィート大聖堂が見える。

  • スメタナ像。<br /><br />うしろは、スメタナ博物館。<br />Muzeum Bedřicha Smetany

    スメタナ像。

    うしろは、スメタナ博物館。
    Muzeum Bedřicha Smetany

  • カレル橋と聖ヴィート大聖堂。<br /><br />フラッチャニ(Hradčany)と呼ばれる丘の上にあるプラハ城と聖ヴィート大聖堂にカレル橋を渡って歩いていく予定。もうひとつ隣の橋を通ってトラムで上まで行く楽な手もある。<br />

    カレル橋と聖ヴィート大聖堂。

    フラッチャニ(Hradčany)と呼ばれる丘の上にあるプラハ城と聖ヴィート大聖堂にカレル橋を渡って歩いていく予定。もうひとつ隣の橋を通ってトラムで上まで行く楽な手もある。

  • カレル橋と聖ヴィート大聖堂。

    カレル橋と聖ヴィート大聖堂。

  • カレル橋のふもとにある塔。これも黒い。カレル橋同様、ペトル・パルレーシュ作。1400年完成。

    カレル橋のふもとにある塔。これも黒い。カレル橋同様、ペトル・パルレーシュ作。1400年完成。

    旧市街橋塔 建造物

  • カレル橋。<br />14世紀後半から15世紀初頭のカレル4世の時代に建築されたゴシック様式のプラハ最古の石橋。全長約520m、幅約10m。当時27歳の若き天才建築家、ペトル・パルレーシュ作。

    カレル橋。
    14世紀後半から15世紀初頭のカレル4世の時代に建築されたゴシック様式のプラハ最古の石橋。全長約520m、幅約10m。当時27歳の若き天才建築家、ペトル・パルレーシュ作。

  • カレル橋。<br />両側に像が立ち並ぶ。左右各15体、計30体。像は、橋の完成時にあったものではなく、17~19世紀に付け加えられたもの。<br />

    カレル橋。
    両側に像が立ち並ぶ。左右各15体、計30体。像は、橋の完成時にあったものではなく、17~19世紀に付け加えられたもの。

  • カレル橋。<br />聖フランシスコ・ザビエル像。<br />旧市街から見て左側5体目。彼が布教活動した東洋の人が支えている。

    カレル橋。
    聖フランシスコ・ザビエル像。
    旧市街から見て左側5体目。彼が布教活動した東洋の人が支えている。

    カレル橋 建造物

  • カレル橋。

    カレル橋。

  • カレル橋。<br /><br />中にはみなが常に触るものだから、金色が輝くものがある。こうしたものは、触ると幸福があると伝えられているものが多く、とりあえず、触っておこう。<br />このレリーフは、次に説明する聖ヤン・ネポムツキーが橋が橋から落とされて殉教したとされる場所にあるもの。

    カレル橋。

    中にはみなが常に触るものだから、金色が輝くものがある。こうしたものは、触ると幸福があると伝えられているものが多く、とりあえず、触っておこう。
    このレリーフは、次に説明する聖ヤン・ネポムツキーが橋が橋から落とされて殉教したとされる場所にあるもの。

  • カレル橋。<br /><br />最初に建てられた、ボヘミアの守護聖人、聖ヤン・ネポムツキーの像。目印は、唯一のブロンズ像であることと、頭の上の5つの星。旧市街からは右側8番目。ちなみにプラハ城からも、左側8番目。と目印を説明しなくても、ここだけは写真のように団体のガイドが足を止めて説明しているので、すぐに目につく。写真でもわかるように、ここの台座にも光っている部分があるのに気が付くと思う。

    カレル橋。

    最初に建てられた、ボヘミアの守護聖人、聖ヤン・ネポムツキーの像。目印は、唯一のブロンズ像であることと、頭の上の5つの星。旧市街からは右側8番目。ちなみにプラハ城からも、左側8番目。と目印を説明しなくても、ここだけは写真のように団体のガイドが足を止めて説明しているので、すぐに目につく。写真でもわかるように、ここの台座にも光っている部分があるのに気が付くと思う。

  • カレル橋。<br /><br />

    カレル橋。

  • プラハ城側(マラー・ストラナ地区側)の橋塔。塔は2つある。<br />向かって左の低い方は、このカレル橋の前身、ユディタ橋建設の際に作られたもの(橋は洪水で流された)。ロマネスク様式。カレル橋の中では最も古い部分になる。右側は、15世紀に建てられたもので、旧市街側にたつ橋塔をモデルにしている。

    プラハ城側(マラー・ストラナ地区側)の橋塔。塔は2つある。
    向かって左の低い方は、このカレル橋の前身、ユディタ橋建設の際に作られたもの(橋は洪水で流された)。ロマネスク様式。カレル橋の中では最も古い部分になる。右側は、15世紀に建てられたもので、旧市街側にたつ橋塔をモデルにしている。

    小地区側の橋塔 建造物

  • プラハ城側(マラー・ストラナ地区側)の橋塔。<br />振り返って撮ったところ。

    プラハ城側(マラー・ストラナ地区側)の橋塔。
    振り返って撮ったところ。

    小地区側の橋塔 建造物

  • マラー・ストラナ地区<br />このまま、直進し、坂を上っていきます。写真はありませんが、坂の両側には店が並ぶ。帰りに古本屋に立ち寄り、ムハの中古ポスターをゲット。

    マラー・ストラナ地区
    このまま、直進し、坂を上っていきます。写真はありませんが、坂の両側には店が並ぶ。帰りに古本屋に立ち寄り、ムハの中古ポスターをゲット。

  • 上まで登り切ったところ。まず、スターバックス(プラハ城店)。こんな眺めにいいところに店を作るなんて。

    上まで登り切ったところ。まず、スターバックス(プラハ城店)。こんな眺めにいいところに店を作るなんて。

    スターバックス コーヒー (プラハ城店) カフェ

  • プラハ城のある丘から旧市街の眺め。

    プラハ城のある丘から旧市街の眺め。

  • プラハ城のある丘から旧市街の眺め。<br />(写真に見えている坂は登ってきた坂ではない。)<br />

    プラハ城のある丘から旧市街の眺め。
    (写真に見えている坂は登ってきた坂ではない。)

  • プラハ城入り口<br /><br />ここでも衛兵の交代式が行われます。<br />プラハ城入り口はこの左手方向、庭園を通って中にはいるときに、荷物チェックがあります。

    プラハ城入り口

    ここでも衛兵の交代式が行われます。
    プラハ城入り口はこの左手方向、庭園を通って中にはいるときに、荷物チェックがあります。

  • プラハ城の中庭。<br />プラハ城は、チェコ国家の象徴にしてチェコで最も重要な文化遺産・文化施設。<br />プラハ城は880年頃プシェミスル家のボジヴォイ公により創設されました。その敷地は約70,000m? で、ギネスブックには世界最大と記録されています。またユネスコの世界文化遺産にも登録されています。<br />城の敷地内には、10世紀のロマネスク様式を残す建物から、14世紀のゴシック改築を経たもの、そして第一共和国時代に有名なスロベニア人建築家ヨジェ・プレチニックの設計に従って建てられたもの、更に20世紀末に修築されたものに至るまで、様々な建築様式の宮殿、宗教建築物が見られます。<br />(HPから)

    プラハ城の中庭。
    プラハ城は、チェコ国家の象徴にしてチェコで最も重要な文化遺産・文化施設。
    プラハ城は880年頃プシェミスル家のボジヴォイ公により創設されました。その敷地は約70,000m? で、ギネスブックには世界最大と記録されています。またユネスコの世界文化遺産にも登録されています。
    城の敷地内には、10世紀のロマネスク様式を残す建物から、14世紀のゴシック改築を経たもの、そして第一共和国時代に有名なスロベニア人建築家ヨジェ・プレチニックの設計に従って建てられたもの、更に20世紀末に修築されたものに至るまで、様々な建築様式の宮殿、宗教建築物が見られます。
    (HPから)

    コールの噴水 建造物

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />旅行案内所のある建物をくぐると、目の前にいきなり、聖ヴィート大聖堂。<br />その建物からの距離が短く、大聖堂全体を写真に収めるのが難しい。。。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    旅行案内所のある建物をくぐると、目の前にいきなり、聖ヴィート大聖堂。
    その建物からの距離が短く、大聖堂全体を写真に収めるのが難しい。。。

    聖ヴィート大聖堂 寺院・教会

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />横から。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    横から。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />アダムとイヴ。ヘビとりんご。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    アダムとイヴ。ヘビとりんご。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />金属製の扉も細工が細かく、同じものがない凝りよう。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    金属製の扉も細工が細かく、同じものがない凝りよう。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />入り口。中には後で入ります。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    入り口。中には後で入ります。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />後ろから。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    後ろから。

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

    聖イジー教会 寺院・教会

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří<br /><br />プラハ城の内部はいくつかの見どころに分かれていて、このように、ローマ数字で案内版が出ている。Iの旧王宮は写真禁止で写真の掲載はなし。IIのプラハ城の歴史物語と経由して、この聖ヴィート大聖堂の後方にある小さな聖堂にきました。

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

    プラハ城の内部はいくつかの見どころに分かれていて、このように、ローマ数字で案内版が出ている。Iの旧王宮は写真禁止で写真の掲載はなし。IIのプラハ城の歴史物語と経由して、この聖ヴィート大聖堂の後方にある小さな聖堂にきました。

    聖イジー教会 寺院・教会

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří<br /><br />内部。<br /><br />バシリカ式の聖イジー教会は、プラハ城内第二の教会として設立されたものです。920年頃、ヴラチスラフ一世により創設された当時の建築要素のうち現存しているのは、土台部分のみです。教会はその後、973年、付属修道院が創設されたときに、拡張、改築されました。<br />主後陣と二つの塔を持つ、現在のロマネスク式の外観は、1142年、大火災後の修築の結果得られたものです。13世紀前半には、これに聖ルドミラ礼拝堂、そして西側の柱廊式玄関が追加され、また初期バロック時代には、今日の非常に印象的なファサードが完成し、修道院が全体的に改築されました。更に18世紀初頭になると、建築家F.M.カニュカにより、バロック式のヤン・ネポムツキー礼拝堂が加えられました。18世紀末、修道院が兵舎として使用され、すっかり荒廃してしまった後、教会は1887年~1908年に建築家F.マフの設計に基づき、ロマネスク式に修復されます。1969年~75年には修道院も修復、改築され、国立美術館チェコ古美術展示会場に生まれ変わりました。現在修道院の建物は、短期の非常設展示会場として使用されています。<br />聖イジー教会の内部は、ロマネスク式で厳格、そして堂々たる雰囲気を持ちます。身廊には聖ヴァーツラフの父、ヴラチスラフ一世を含むプシェミスル王朝に属する人々の墓が置かれています。(HPより)

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

    内部。

    バシリカ式の聖イジー教会は、プラハ城内第二の教会として設立されたものです。920年頃、ヴラチスラフ一世により創設された当時の建築要素のうち現存しているのは、土台部分のみです。教会はその後、973年、付属修道院が創設されたときに、拡張、改築されました。
    主後陣と二つの塔を持つ、現在のロマネスク式の外観は、1142年、大火災後の修築の結果得られたものです。13世紀前半には、これに聖ルドミラ礼拝堂、そして西側の柱廊式玄関が追加され、また初期バロック時代には、今日の非常に印象的なファサードが完成し、修道院が全体的に改築されました。更に18世紀初頭になると、建築家F.M.カニュカにより、バロック式のヤン・ネポムツキー礼拝堂が加えられました。18世紀末、修道院が兵舎として使用され、すっかり荒廃してしまった後、教会は1887年~1908年に建築家F.マフの設計に基づき、ロマネスク式に修復されます。1969年~75年には修道院も修復、改築され、国立美術館チェコ古美術展示会場に生まれ変わりました。現在修道院の建物は、短期の非常設展示会場として使用されています。
    聖イジー教会の内部は、ロマネスク式で厳格、そして堂々たる雰囲気を持ちます。身廊には聖ヴァーツラフの父、ヴラチスラフ一世を含むプシェミスル王朝に属する人々の墓が置かれています。(HPより)

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří<br /><br />古いフレスコ画が残っている。

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

    古いフレスコ画が残っている。

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří<br /><br />こういう教会に入ったとき、必ず、地下に降りる階段を探すこと。観光客に開放されていないケースもあるが、何年も同じ場所で建て替えるもので、昔の遺構が残っていたり、大体、お墓や大事なものが置かれている。

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

    こういう教会に入ったとき、必ず、地下に降りる階段を探すこと。観光客に開放されていないケースもあるが、何年も同じ場所で建て替えるもので、昔の遺構が残っていたり、大体、お墓や大事なものが置かれている。

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 聖イジー聖堂<br />Bazilika svatého Jiří

    聖イジー聖堂
    Bazilika svatého Jiří

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />聖イジー聖堂の裏側にある黄金の小道へ。<br />ここには、15世紀、城の北側に新しく城壁が建てられた後に出来たものです。このとき城の北側城郭外壁内の空間は、質素な住居建築に利用されましたが、これらの住居は、この種の小さな建物としては、今日プラハ城内で唯一現存しているものとなっています。当時ここには城の警備兵、使用人、あるいは金細工師などが住んでいました。ここには第二次世界大戦まで実際に人が居住していましたが、第一共和国の時代から、家の修築の際に小道の絵に描いたような美しさが損なわれないよう、細心の注意がなされていました。<br />(HPより)

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    聖イジー聖堂の裏側にある黄金の小道へ。
    ここには、15世紀、城の北側に新しく城壁が建てられた後に出来たものです。このとき城の北側城郭外壁内の空間は、質素な住居建築に利用されましたが、これらの住居は、この種の小さな建物としては、今日プラハ城内で唯一現存しているものとなっています。当時ここには城の警備兵、使用人、あるいは金細工師などが住んでいました。ここには第二次世界大戦まで実際に人が居住していましたが、第一共和国の時代から、家の修築の際に小道の絵に描いたような美しさが損なわれないよう、細心の注意がなされていました。
    (HPより)

    黄金小路 散歩・街歩き

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />狭い中に所狭しといろんなものが置かれています。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    狭い中に所狭しといろんなものが置かれています。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />拷問一式。どうやって使う?

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    拷問一式。どうやって使う?

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />拷問椅子。痛そう。。。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    拷問椅子。痛そう。。。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />2階部は繋がり、廊下のようになっており、鎧が展示されていました。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    2階部は繋がり、廊下のようになっており、鎧が展示されていました。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />少し変わったもの。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    少し変わったもの。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />再び、外へ。27番。各家の玄関の扉の上に番号がふってあります。<br />各家の入り口も中も狭いので、ほかの人が家に入っていると待つ必要があります。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    再び、外へ。27番。各家の玄関の扉の上に番号がふってあります。
    各家の入り口も中も狭いので、ほかの人が家に入っていると待つ必要があります。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />22番の家は、フランツ・カフカが、1916年から1917年にかけてこの場所で執筆活動を行っていました。現在この建物は本屋になっています。カフカやプラハにまつわる書籍をはじめ、地図や絵葉書などを販売しています。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    22番の家は、フランツ・カフカが、1916年から1917年にかけてこの場所で執筆活動を行っていました。現在この建物は本屋になっています。カフカやプラハにまつわる書籍をはじめ、地図や絵葉書などを販売しています。

    黄金小路 散歩・街歩き

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />19番。横と比べて、さらに小さい家。色的に絵になるのでインスタ映えするかも。人形や雑貨などを販売しています。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    19番。横と比べて、さらに小さい家。色的に絵になるのでインスタ映えするかも。人形や雑貨などを販売しています。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />18番。<br />

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    18番。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />17番。玄関の扉に飾られたリースの花飾りがかわいい。<br />確か、食器や飾り物などを売っていたと思います。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    17番。玄関の扉に飾られたリースの花飾りがかわいい。
    確か、食器や飾り物などを売っていたと思います。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />17番。玄関の扉に飾られたリースの花飾りがかわいい。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    17番。玄関の扉に飾られたリースの花飾りがかわいい。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />この通りは、16世紀より「金細工の小道」と呼ばれるようになり、それが後に「黄金の小道」に変化しました。「金細工の小道」の名は、ここを金細工師が仕事場としていたことに由来していますが、この事実は15番の家が証明しています。<br />(HPより)

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    この通りは、16世紀より「金細工の小道」と呼ばれるようになり、それが後に「黄金の小道」に変化しました。「金細工の小道」の名は、ここを金細工師が仕事場としていたことに由来していますが、この事実は15番の家が証明しています。
    (HPより)

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />昔の暮らしを再現した中。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    昔の暮らしを再現した中。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />14番の家には、第二次世界大戦前に有名な占い師、予言者のマティルダ・プルーショヴァーが住んでいましたが、彼女のもとには、チェコ国内のみならず海外からも顧客が訪れていたことが、残された書簡から明らかになっています。プルーショヴァーは、ナチスの第三帝国の滅亡を予言したことから、戦争中にゲシュタポに捕えられ、尋問の際に拷問を受けて亡くなりました。(HPより)<br /><br />写真は家の壁にある占い師の絵。<br /><br /><br />

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    14番の家には、第二次世界大戦前に有名な占い師、予言者のマティルダ・プルーショヴァーが住んでいましたが、彼女のもとには、チェコ国内のみならず海外からも顧客が訪れていたことが、残された書簡から明らかになっています。プルーショヴァーは、ナチスの第三帝国の滅亡を予言したことから、戦争中にゲシュタポに捕えられ、尋問の際に拷問を受けて亡くなりました。(HPより)

    写真は家の壁にある占い師の絵。


  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />16世紀の市民の住まいの様子を最も端的に示しているのが、13番の、城の警備兵が住んでいたルネッサンス式住居です。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    16世紀の市民の住まいの様子を最も端的に示しているのが、13番の、城の警備兵が住んでいたルネッサンス式住居です。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />古い写真が飾られています。この黄金の小道には戦後間もない1948年まで人が住んでいました。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    古い写真が飾られています。この黄金の小道には戦後間もない1948年まで人が住んでいました。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />12番は、映画監督、技師が住んでいた?と勘違いしてしまうぐらい、フィルムが高く積まれ、さらに、ポスターが飾られています。アマチュア歴史家、ジョセフ・カスダ(J.Kazda)の家と書いていました。彼は、ナチスの支配にあり、言語統制のあった時代に、密かにチェコの映画フィルムを集め、隠し持っていたことで知られています。<br />

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    12番は、映画監督、技師が住んでいた?と勘違いしてしまうぐらい、フィルムが高く積まれ、さらに、ポスターが飾られています。アマチュア歴史家、ジョセフ・カスダ(J.Kazda)の家と書いていました。彼は、ナチスの支配にあり、言語統制のあった時代に、密かにチェコの映画フィルムを集め、隠し持っていたことで知られています。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />階段に積まれたフィルム。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    階段に積まれたフィルム。

  • 黄金の小路<br />Zlatá Ulička<br />Golden Lane<br /><br />ポスター。

    黄金の小路
    Zlatá Ulička
    Golden Lane

    ポスター。

  • 左がそのジョセフ・カスダ。<br />奥で白黒の映画が小さい場所で上映していました。

    左がそのジョセフ・カスダ。
    奥で白黒の映画が小さい場所で上映していました。

  • 12番の家の右の階段を抜けると、ダリボルカと呼ばれる塔の前のテラスに出ます。この円柱形の砲撃塔は、ヤゲロン王朝時代に建てられた城壁の一部で、その地階は完成当初より牢獄として使用されていました。最初の、また最も有名な囚人となったのが、1498年に投獄された騎士・コゾイェディのダリボルでした。(HPより)

    12番の家の右の階段を抜けると、ダリボルカと呼ばれる塔の前のテラスに出ます。この円柱形の砲撃塔は、ヤゲロン王朝時代に建てられた城壁の一部で、その地階は完成当初より牢獄として使用されていました。最初の、また最も有名な囚人となったのが、1498年に投獄された騎士・コゾイェディのダリボルでした。(HPより)

    ダリボルカ塔 建造物

  • 広場に立つ謎の像。あそこを皆、触るものだから、ピカピカ。

    広場に立つ謎の像。あそこを皆、触るものだから、ピカピカ。

  • ロジュンベルク宮殿<br />Rožmberský palác<br /><br />1545~1574年にロジュンベルク家により、もともとルネッサンス式で建てられたこの宮殿は、1600年に皇帝ルドルフ二世の資産に加えられました。18世紀までその創設当時の姿が維持されていましたが、同世紀半ばには、貴族婦人協会の本部にすべく、大規模な改築がなされました。(HPより)

    ロジュンベルク宮殿
    Rožmberský palác

    1545~1574年にロジュンベルク家により、もともとルネッサンス式で建てられたこの宮殿は、1600年に皇帝ルドルフ二世の資産に加えられました。18世紀までその創設当時の姿が維持されていましたが、同世紀半ばには、貴族婦人協会の本部にすべく、大規模な改築がなされました。(HPより)

  • ロジュンベルク宮殿<br />Rožmberský palác

    ロジュンベルク宮殿
    Rožmberský palác

  • ロジュンベルク宮殿<br />Rožmberský palác

    ロジュンベルク宮殿
    Rožmberský palác

  • ロジュンベルク宮殿<br />Rožmberský palác

    ロジュンベルク宮殿
    Rožmberský palác

  • ロジュンベルク宮殿<br />Rožmberský palác

    ロジュンベルク宮殿
    Rožmberský palác

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂 寺院・教会

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />大聖堂見学者は、第二と第三の中庭の間の通路の正面、西側の入り口から入ります。ブロンズの扉は、聖堂の歴史、そして聖ヴァーツラフと聖ヴォイチェフの伝説をモチーフとしたレリーフで飾られています。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    大聖堂見学者は、第二と第三の中庭の間の通路の正面、西側の入り口から入ります。ブロンズの扉は、聖堂の歴史、そして聖ヴァーツラフと聖ヴォイチェフの伝説をモチーフとしたレリーフで飾られています。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />聖ヴィート大聖堂は、プラハで最も大きく、最も重要な教会です。ここでは礼拝のほか、チェコ王、女王の戴冠式も行われていました。ここはまた、国の守護聖人、君主、貴族、そして大司教の埋葬の場でもありました。(HPより)

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂は、プラハで最も大きく、最も重要な教会です。ここでは礼拝のほか、チェコ王、女王の戴冠式も行われていました。ここはまた、国の守護聖人、君主、貴族、そして大司教の埋葬の場でもありました。(HPより)

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />主祭壇のある講堂の両サイド、重厚な柱に囲まれた回廊には、壮大で美しいステンドグラスが幾つも並んでいます。写真は入って左側1番目。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    主祭壇のある講堂の両サイド、重厚な柱に囲まれた回廊には、壮大で美しいステンドグラスが幾つも並んでいます。写真は入って左側1番目。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />左側2番目。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    左側2番目。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />これが見たくて来たと言っても過言ではない、中でも特に注目の、左側、3つ目のステンドグラスで、アールヌーヴォーの画家Alfons Mucha(アルフォンス・ムハ1860-1939)の作品で、祖国への恩恵が込められたもの。その優れた色彩感覚で描かれた鮮やかな色使いと構図は大変美しく、見る者を魅了します。<br />この作品はボヘミアにおけるキリスト教の象徴が描かれており、このステンドグラスに描かれているのは沢山の聖人たち。左右に、この地にキリスト教を広めたとされるギリシャ出身の兄弟(聖キリルと聖メトディウス)の他、チェコの守護聖人とも言われた聖ヴァーツラフも、この作品の中に描かれています。<br />ちなみに一番下にはスポンサーの銀行の名前。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    これが見たくて来たと言っても過言ではない、中でも特に注目の、左側、3つ目のステンドグラスで、アールヌーヴォーの画家Alfons Mucha(アルフォンス・ムハ1860-1939)の作品で、祖国への恩恵が込められたもの。その優れた色彩感覚で描かれた鮮やかな色使いと構図は大変美しく、見る者を魅了します。
    この作品はボヘミアにおけるキリスト教の象徴が描かれており、このステンドグラスに描かれているのは沢山の聖人たち。左右に、この地にキリスト教を広めたとされるギリシャ出身の兄弟(聖キリルと聖メトディウス)の他、チェコの守護聖人とも言われた聖ヴァーツラフも、この作品の中に描かれています。
    ちなみに一番下にはスポンサーの銀行の名前。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />ムハのステンドグラス。特に女性の表情に惹きつけられる。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    ムハのステンドグラス。特に女性の表情に惹きつけられる。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />右側3番目。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    右側3番目。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />右側2番目。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    右側2番目。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />右側1番目。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    右側1番目。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />右側1番目。と左右のステンドグラスだけ見て、入り口に戻ってきてしまいました。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    右側1番目。と左右のステンドグラスだけ見て、入り口に戻ってきてしまいました。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />前に進みます。以下、HPより抜粋。<br /><br />現在立っている聖堂は、この場所に建てられた同名の教会としては三代目のものです。最初の教会は925年頃、ヴァーツラフ公により創設されたロマネスク式のロトゥンダで、これに1060年、双塔を有する三身廊のバシリカが取って代わりました。この教会の意義は、特にプラハ司教区の制定(973年)、および聖堂参事会 - 後に重要な文化・管理組織となる聖ヴィート聖堂参事会の創設後に急激に増大しました。<br />1344年、カレル四世の命を受けてゴシック式大聖堂の建設が開始されます。最初に建築を担当した建築家アラスのマティアーシュ、そして二番目に担当したペトル・パルレーシュは、礼拝堂に囲まれた内陣、聖ヴァーツラフ礼拝堂、黄金の門、大南塔の下層部分を完成させました。大南塔は、ペトル・パルレーシュが建て始めたものですが、完成には至りませんでした。最初に意図された高さには、16世紀のルネッサンス式回廊および兜型の屋根が追加されてやっと到達しましたが、屋根は18世紀に現在の丸屋根に変えられています。<br />大聖堂の建設は1419年、フス戦争により中断され、結局その後何百年もの間完成されることはありませんでした。しかしながら、君主の中には建設再開を試みた者もあり、この期間例えば聖歌隊席が追加されました。但し大聖堂のファサードは、一時的に閉鎖されていました。<br />やっと大聖堂の完成工事が開始されたのは、19世紀も後半に入ってからのことでした。工事に乗り出したのは聖ヴィート大聖堂完成組合で、古い部分の修築とネオゴシック式の大聖堂の完成作業が進められていきました。こうして1929年、大聖堂は遂に聖別式を迎えます。但しその後も聖堂内部が何度か修築されています。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    前に進みます。以下、HPより抜粋。

    現在立っている聖堂は、この場所に建てられた同名の教会としては三代目のものです。最初の教会は925年頃、ヴァーツラフ公により創設されたロマネスク式のロトゥンダで、これに1060年、双塔を有する三身廊のバシリカが取って代わりました。この教会の意義は、特にプラハ司教区の制定(973年)、および聖堂参事会 - 後に重要な文化・管理組織となる聖ヴィート聖堂参事会の創設後に急激に増大しました。
    1344年、カレル四世の命を受けてゴシック式大聖堂の建設が開始されます。最初に建築を担当した建築家アラスのマティアーシュ、そして二番目に担当したペトル・パルレーシュは、礼拝堂に囲まれた内陣、聖ヴァーツラフ礼拝堂、黄金の門、大南塔の下層部分を完成させました。大南塔は、ペトル・パルレーシュが建て始めたものですが、完成には至りませんでした。最初に意図された高さには、16世紀のルネッサンス式回廊および兜型の屋根が追加されてやっと到達しましたが、屋根は18世紀に現在の丸屋根に変えられています。
    大聖堂の建設は1419年、フス戦争により中断され、結局その後何百年もの間完成されることはありませんでした。しかしながら、君主の中には建設再開を試みた者もあり、この期間例えば聖歌隊席が追加されました。但し大聖堂のファサードは、一時的に閉鎖されていました。
    やっと大聖堂の完成工事が開始されたのは、19世紀も後半に入ってからのことでした。工事に乗り出したのは聖ヴィート大聖堂完成組合で、古い部分の修築とネオゴシック式の大聖堂の完成作業が進められていきました。こうして1929年、大聖堂は遂に聖別式を迎えます。但しその後も聖堂内部が何度か修築されています。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />主祭壇の上にも素敵なステンドグラスがあります。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    主祭壇の上にも素敵なステンドグラスがあります。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />主祭壇の上のステンドグラス。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    主祭壇の上のステンドグラス。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />プラハの町がデザインされている。真ん中に見えるのが、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    プラハの町がデザインされている。真ん中に見えるのが、ヴルタヴァ川にかかるカレル橋。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />天蓋つきの銀で造られた聖ヤン・ネポムツキーの墓碑。祭壇の近く。<br /><br />

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    天蓋つきの銀で造られた聖ヤン・ネポムツキーの墓碑。祭壇の近く。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />レンガ壁に直接かかれたフレスコ画。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    レンガ壁に直接かかれたフレスコ画。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta<br /><br />レンガ壁に直接かかれたフレスコ画。

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

    レンガ壁に直接かかれたフレスコ画。

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 聖ヴィート大聖堂<br />Katedrála Sv. Víta

    聖ヴィート大聖堂
    Katedrála Sv. Víta

  • 中庭を経由して、出口へ。<br />大聖堂の頭だけ見える。

    中庭を経由して、出口へ。
    大聖堂の頭だけ見える。

    コールの噴水 建造物

  • 出口へつづく門。

    出口へつづく門。

  • Matthias Gate<br />Matyášova brána<br /><br />この門から城からでることになるのだが、そのときに、何やら、交代式が始めるみたいで、門をでて待っていました。

    Matthias Gate
    Matyášova brána

    この門から城からでることになるのだが、そのときに、何やら、交代式が始めるみたいで、門をでて待っていました。

  • Matthias Gate<br />Matyášova brána

    Matthias Gate
    Matyášova brána

  • Matthias Gate<br />Matyášova brána<br /><br />このときは、一番、ベーシックな交代式で、本当に交代するだけでした。。。

    Matthias Gate
    Matyášova brána

    このときは、一番、ベーシックな交代式で、本当に交代するだけでした。。。

  • フラチャニ広場<br />Hradčanské náměstí<br />にあるランプ。<br />Lampa plynová

    フラチャニ広場
    Hradčanské náměstí
    にあるランプ。
    Lampa plynová

  • フラチャニ広場<br />Hradčanské náměstí<br /><br />プラハ城を振り返ったところ。

    フラチャニ広場
    Hradčanské náměstí

    プラハ城を振り返ったところ。

  • ロレッタ教会<br />Loreta Praha<br /><br />ロレッタ教会はプラハ城の500メートルほど西側にあるバロック様式の代表的教会のひとつ。位置的に図書館が有名な修道院とプラハ城の間にありますが、ほとんどの観光客が素通りする。

    ロレッタ教会
    Loreta Praha

    ロレッタ教会はプラハ城の500メートルほど西側にあるバロック様式の代表的教会のひとつ。位置的に図書館が有名な修道院とプラハ城の間にありますが、ほとんどの観光客が素通りする。

    サンタ カーサ 建造物

  • 2階建ての回廊の中庭にサンタ・カーサ(聖なる家)。<br /><br />サンタ・カーサ伝説<br />ナザレ(現在のイスラエルの都市)で聖母マリアが受胎告知を受けた場所が聖なる家(サンタ・カーサ)です。サンタ・カーサは異教徒による破壊を避けるため、13世紀末に天使によってダルマチアへ、さらにイタリアのロレッタ村へ移されたという伝説があります。その後、ロレッタにできた大聖堂を多くの人が巡礼する一方で、ヨーロッパ各地にこれを模した教会が次々と建てられます。プラハのロレッタ教会もそのひとつです。

    2階建ての回廊の中庭にサンタ・カーサ(聖なる家)。

    サンタ・カーサ伝説
    ナザレ(現在のイスラエルの都市)で聖母マリアが受胎告知を受けた場所が聖なる家(サンタ・カーサ)です。サンタ・カーサは異教徒による破壊を避けるため、13世紀末に天使によってダルマチアへ、さらにイタリアのロレッタ村へ移されたという伝説があります。その後、ロレッタにできた大聖堂を多くの人が巡礼する一方で、ヨーロッパ各地にこれを模した教会が次々と建てられます。プラハのロレッタ教会もそのひとつです。

  • 白山(ビーラー・ホラ)の戦い<br />1620年。ボヘミア(現在のチェコ共和国)の首都プラハ近郊の山、白山(チェコ語名ビーラー・ホラ Bílá hora)でのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との間で勃発した戦闘。ハプスブルグ家のカトリックが勝利。宗教改革の反対勢力として、反宗教改革を推し進めるためにバロック芸術を積極的に利用します。バロック様式の教会も多くつくられ、ロレッタ教会もそのひとつです。反宗教改革は聖母マリア崇拝を盛んに利用しましたが、ロレッタ教会も聖母マリアと結びついた教会です。

    白山(ビーラー・ホラ)の戦い
    1620年。ボヘミア(現在のチェコ共和国)の首都プラハ近郊の山、白山(チェコ語名ビーラー・ホラ Bílá hora)でのハプスブルク軍勢力とボヘミアのプロテスタント貴族との間で勃発した戦闘。ハプスブルグ家のカトリックが勝利。宗教改革の反対勢力として、反宗教改革を推し進めるためにバロック芸術を積極的に利用します。バロック様式の教会も多くつくられ、ロレッタ教会もそのひとつです。反宗教改革は聖母マリア崇拝を盛んに利用しましたが、ロレッタ教会も聖母マリアと結びついた教会です。

  • 中庭にある像。

    中庭にある像。

  • サンタ・カーサ(聖なる家)<br />1626 年に建てられたこの教会にある聖母マリアの家、サンタ カーサの複製は必見です。

    サンタ・カーサ(聖なる家)
    1626 年に建てられたこの教会にある聖母マリアの家、サンタ カーサの複製は必見です。

  • このような美しい回廊がサンタ・カーサ(聖なる家)を取り囲んでいます。 <br />修道院であり伝統的な巡礼地だったロレッタ教会。きらびやかに装飾された教会で、美しい壁画が描かれ、礼拝堂がいくつもあります。

    このような美しい回廊がサンタ・カーサ(聖なる家)を取り囲んでいます。
    修道院であり伝統的な巡礼地だったロレッタ教会。きらびやかに装飾された教会で、美しい壁画が描かれ、礼拝堂がいくつもあります。

  • 回廊部に描かれた壁画。

    回廊部に描かれた壁画。

  • きらびやかに装飾されたキリスト降誕教会。<br /><br />ハプスブルグ家のカトリックが戦争に勝利し、金にものを言わし、煌びやかな装飾。を施し、権力を誇示。文字が読めない民衆に視覚で訴える作戦。

    きらびやかに装飾されたキリスト降誕教会。

    ハプスブルグ家のカトリックが戦争に勝利し、金にものを言わし、煌びやかな装飾。を施し、権力を誇示。文字が読めない民衆に視覚で訴える作戦。

  • キリスト降誕教会

    キリスト降誕教会

  • キリスト降誕教会

    キリスト降誕教会

  • キリスト降誕教会

    キリスト降誕教会

  • キリスト降誕教会

    キリスト降誕教会

  • キリスト降誕教会

    キリスト降誕教会

  • サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。<br /><br />※写真撮影は別途有料。

    サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。

    ※写真撮影は別途有料。

  • サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。<br />

    サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。

  • サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。<br /><br />内壁のところどころにフレスコ画が残されています。ほぼ内壁全体にフレスコ画があったのでしょう。今は、剥がれ落ちて、下地とさらに、レンガが見えます。

    サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。

    内壁のところどころにフレスコ画が残されています。ほぼ内壁全体にフレスコ画があったのでしょう。今は、剥がれ落ちて、下地とさらに、レンガが見えます。

  • サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。<br />

    サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。

  • サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。<br />

    サンタ・カーサ(聖なる家) 内部。

  • ロレッタ教会の 1 階(日本式2階)にある宝物庫も、大きな見どころの 1 つ。宗教儀式に使用する非常に貴重な道具が数多く展示されていて、宝物庫が長い間泥棒に悩まされてきたのもうなずけます。 <br />

    ロレッタ教会の 1 階(日本式2階)にある宝物庫も、大きな見どころの 1 つ。宗教儀式に使用する非常に貴重な道具が数多く展示されていて、宝物庫が長い間泥棒に悩まされてきたのもうなずけます。

  • 宝物庫の展示室。

    宝物庫の展示室。

  • 宝物庫の展示室。

    宝物庫の展示室。

  • 回廊部2階からの眺め。

    回廊部2階からの眺め。

  • 正時にロレッタ教会にいると、鐘楼の 30 個の鐘が奏でる音が聞こえてきます。鐘は連なっていて、正時になると順番に音を鳴らし、数あるレパートリーの中から 1 つのメロディーを奏でます。この装置で、レパートリーをすべて聴くこともできます。

    正時にロレッタ教会にいると、鐘楼の 30 個の鐘が奏でる音が聞こえてきます。鐘は連なっていて、正時になると順番に音を鳴らし、数あるレパートリーの中から 1 つのメロディーを奏でます。この装置で、レパートリーをすべて聴くこともできます。

  • Annunciation of the Virgin Mary<br />1730s<br /><br />1990年に屋根裏から発見された非常に品質のいい絵(飾られていなかったから逆に保管状態が良かったのかな)。

    Annunciation of the Virgin Mary
    1730s

    1990年に屋根裏から発見された非常に品質のいい絵(飾られていなかったから逆に保管状態が良かったのかな)。

  • ストラホフ修道院。<br />目的は“世界一美しい図書館”とも称される、図書館。中に入った後から、写真撮影が有料と知る。<br />「哲学の間」と「神学の間」の2つの部屋があり、中に入れず、廊下に面した部屋の入り口から中を覗く感じ。修道院が持っている図書館としては規模は大きいかもしれないが、ザンクトガレンの修道院で同じものを見たので、あまり、興味は沸かなかった。しかも、この後、ウィーン王宮で図書館プルンクザールを見ることになる。そちらの方が図書館としての規模が大きく、ハプスブルク家の栄華を感じることができる。<br />13万冊を保管。

    ストラホフ修道院。
    目的は“世界一美しい図書館”とも称される、図書館。中に入った後から、写真撮影が有料と知る。
    「哲学の間」と「神学の間」の2つの部屋があり、中に入れず、廊下に面した部屋の入り口から中を覗く感じ。修道院が持っている図書館としては規模は大きいかもしれないが、ザンクトガレンの修道院で同じものを見たので、あまり、興味は沸かなかった。しかも、この後、ウィーン王宮で図書館プルンクザールを見ることになる。そちらの方が図書館としての規模が大きく、ハプスブルク家の栄華を感じることができる。
    13万冊を保管。

    ストラホフ修道院 (ピクチャーギャラリー / 図書館) 寺院・教会

  • 修道院のある丘から旧市街を見下ろす眺め。

    修道院のある丘から旧市街を見下ろす眺め。

  • ストラホフ修道院。<br />振り返ったところ。ちなみに修道院でビール作っています。

    ストラホフ修道院。
    振り返ったところ。ちなみに修道院でビール作っています。

  • カレル橋。<br /><br />土産物買い物とバーでビールを飲んで休憩した後、再び、カレル橋を渡り、旧市街側へ。すっかり、暗くなりました。

    カレル橋。

    土産物買い物とバーでビールを飲んで休憩した後、再び、カレル橋を渡り、旧市街側へ。すっかり、暗くなりました。

    聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑

  • カレル橋。

    カレル橋。

  • カレル橋。<br />プラハ城を背景にボヘミアの守護聖人、聖ヤン・ネポムツキー像。<br />

    カレル橋。
    プラハ城を背景にボヘミアの守護聖人、聖ヤン・ネポムツキー像。

    聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑

  • カレル橋の聖ヤン・ネポムツキー像。<br /><br />カレル橋にある聖ヤン・ネポムツキー像の下にある、皆が触るプレート。金色に光っている場所に注目。後景は、橋から落とされるところを描いたもので、逆さになっている。<br />ちなみにチェコでは、この件も含めて、歴史上、要人が落とされる事件がいくつかある。

    カレル橋の聖ヤン・ネポムツキー像。

    カレル橋にある聖ヤン・ネポムツキー像の下にある、皆が触るプレート。金色に光っている場所に注目。後景は、橋から落とされるところを描いたもので、逆さになっている。
    ちなみにチェコでは、この件も含めて、歴史上、要人が落とされる事件がいくつかある。

    聖ヤン ネポムツキー像 モニュメント・記念碑

  • カレル橋からのプラハ城

    カレル橋からのプラハ城

  • カレル橋からのプラハ城

    カレル橋からのプラハ城

  • 天文時計の下に何やら、怪しげな人が立っていた。

    天文時計の下に何やら、怪しげな人が立っていた。

    天文時計 建造物

  • これで見納め。<br />明日はチェスキー クルムロフ(Český Krumlov)に行きます。

    これで見納め。
    明日はチェスキー クルムロフ(Český Krumlov)に行きます。

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