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太田市の「明王院」に行ってきました。サクラはほぼ満開で、正に見頃でした。<br /><br />「明王院」は「呑嶺山明王院安養寺(どんれいさんみょうおういんあんようじ)」という真言宗豊山派の寺院です。<br />「不動堂」には、二体の不動明王が納められており、新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して越後方面の新田一族に一夜にして挙兵を触れ回ったと伝えられ、「新田触不動尊」として知られています。<br />また、本堂東側には延享4年(1747)に建立された「千体不動塔」があります。千体の不動明王像を刻んだ高さ6mのピラミッド状構造物です。<br /><br />旅行記作成に際しては、現地の説明板、太田市および太田市観光協会のホームページ、および関連するネット記事を参考にしました。

「明王院」のサクラ_2019_ほぼ満開、見頃です。(群馬県・太田市)

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2019/04/05 - 2019/04/05

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minaMicaze

minaMicazeさん

太田市の「明王院」に行ってきました。サクラはほぼ満開で、正に見頃でした。

「明王院」は「呑嶺山明王院安養寺(どんれいさんみょうおういんあんようじ)」という真言宗豊山派の寺院です。
「不動堂」には、二体の不動明王が納められており、新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して越後方面の新田一族に一夜にして挙兵を触れ回ったと伝えられ、「新田触不動尊」として知られています。
また、本堂東側には延享4年(1747)に建立された「千体不動塔」があります。千体の不動明王像を刻んだ高さ6mのピラミッド状構造物です。

旅行記作成に際しては、現地の説明板、太田市および太田市観光協会のホームページ、および関連するネット記事を参考にしました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
  • 太田市の「明王院(みょうおういん)」にやってきました。太田市の、ほぼ南西端、県道142号線と国道17号線が交わる安養寺交差点の東側です。写真は、道路と境内との間の駐車場ですが、この時は1台も駐っていませんでした。

    太田市の「明王院(みょうおういん)」にやってきました。太田市の、ほぼ南西端、県道142号線と国道17号線が交わる安養寺交差点の東側です。写真は、道路と境内との間の駐車場ですが、この時は1台も駐っていませんでした。

  • 太田市のホームページによると、正式名称は「呑嶺山明王院安養寺(どんれいさんみょうおういんあんようじ)」という、真言宗豊山派の寺院です。

    太田市のホームページによると、正式名称は「呑嶺山明王院安養寺(どんれいさんみょうおういんあんようじ)」という、真言宗豊山派の寺院です。

  • 駐車場と境内の間のサクラは、まだ満開ではなさそうに見えます。

    駐車場と境内の間のサクラは、まだ満開ではなさそうに見えます。

  • でも、近寄ってみると、蕾があまり残っていないので、この木としては満開かもしれません。

    でも、近寄ってみると、蕾があまり残っていないので、この木としては満開かもしれません。

  • では、山門から境内に入ります。

    では、山門から境内に入ります。

  • 太田市観光協会のホームページによると、創建は康平四年(1061)で、その後新田義重が中興したとされています。

    太田市観光協会のホームページによると、創建は康平四年(1061)で、その後新田義重が中興したとされています。

  • 鎌倉時代の総領家(そうりょうけ)クラスの安養寺館跡に建てられたお寺で、2町(200m)四方の規模でした。

    鎌倉時代の総領家(そうりょうけ)クラスの安養寺館跡に建てられたお寺で、2町(200m)四方の規模でした。

  • ここが本堂だと思いますが、不動尊が祀られている不動堂は奥にあります

    ここが本堂だと思いますが、不動尊が祀られている不動堂は奥にあります

  • 本堂の前には、小僧さんが寝転んでいます。

    本堂の前には、小僧さんが寝転んでいます。

  • 境内のしだれ桜は、すでに散り始めています。

    境内のしだれ桜は、すでに散り始めています。

  • 東側の参道の入り口には「新田触不動尊(にったふれふどうそん)」と刻まれた石柱が立っています。ネット情報によれば「新田触不動尊」は「呑嶺山明王院安養寺」の別称ですが、太田市の「西慶寺」にも同様の伝承があって「新田触不動尊」と呼ばれているそうです。

    東側の参道の入り口には「新田触不動尊(にったふれふどうそん)」と刻まれた石柱が立っています。ネット情報によれば「新田触不動尊」は「呑嶺山明王院安養寺」の別称ですが、太田市の「西慶寺」にも同様の伝承があって「新田触不動尊」と呼ばれているそうです。

  • 参道にもサクラが咲いています。

    参道にもサクラが咲いています。

  • 参道のサクラは満開です。

    参道のサクラは満開です。

  • 不動堂への参道の途中にある山門(中門)です。木造二天像(太田市重要文化財)が安置されています。ネット情報によれば、持国天と増長天です。

    不動堂への参道の途中にある山門(中門)です。木造二天像(太田市重要文化財)が安置されています。ネット情報によれば、持国天と増長天です。

  • 山門の奥に不動堂があります。

    山門の奥に不動堂があります。

  • この参道のサクラも満開です。

    この参道のサクラも満開です。

  • 「不動堂」には二体の不動明王がまつられています。一体(一寸八分の白金製)は新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して、越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れて回った、ということで「新田触(にったふれ)不動尊」と呼ばれています。

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    「不動堂」には二体の不動明王がまつられています。一体(一寸八分の白金製)は新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して、越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れて回った、ということで「新田触(にったふれ)不動尊」と呼ばれています。

  • もう一体(二尺五寸の木像)は、新田義重の姿を刻ませたものでしたが、一夜にして不動明王像に変じたとされ「御影不動明王」と呼ばれています。

    もう一体(二尺五寸の木像)は、新田義重の姿を刻ませたものでしたが、一夜にして不動明王像に変じたとされ「御影不動明王」と呼ばれています。

  • 不動堂の厨子に納められている二体の不動明王に、明王院の本尊である「絹本彩色の倶利加羅不動明王画像」を加えた三不動明王が、新田氏相伝の守本尊と言い伝えられています。

    不動堂の厨子に納められている二体の不動明王に、明王院の本尊である「絹本彩色の倶利加羅不動明王画像」を加えた三不動明王が、新田氏相伝の守本尊と言い伝えられています。

  • 不動堂の左(西)に、太師堂があります。

    不動堂の左(西)に、太師堂があります。

  • 太師堂に関する情報は、太田市や太田市観光協会のホームページにも見つかりません。

    太師堂に関する情報は、太田市や太田市観光協会のホームページにも見つかりません。

  • 太子堂側から見た不動堂です。

    太子堂側から見た不動堂です。

  • 不動堂の右(東)を見ると、ピラミッド状の構造物があります。

    イチオシ

    不動堂の右(東)を見ると、ピラミッド状の構造物があります。

  • 太田市の重要文化財「千体不動尊供養塔(千体不動塔)」です。

    太田市の重要文化財「千体不動尊供養塔(千体不動塔)」です。

  • 底辺は、一辺が7.2mの正方形、高さは6mです。

    底辺は、一辺が7.2mの正方形、高さは6mです。

  • 2段の基礎の上に、不動尊像浮き彫りにした伊豆小松石を15段積み上げ、その上に塔が乗っています。塔身には「金剛界四仏」の梵字(「ウーン」:阿閦如来、「ダラーク」:宝生如来、「キリーク」:阿弥陀如来、「アク」:不空成就如来)が刻印されています。

    2段の基礎の上に、不動尊像浮き彫りにした伊豆小松石を15段積み上げ、その上に塔が乗っています。塔身には「金剛界四仏」の梵字(「ウーン」:阿閦如来、「ダラーク」:宝生如来、「キリーク」:阿弥陀如来、「アク」:不空成就如来)が刻印されています。

  • この不動尊像には、不動尊像につきものの火炎の光背がありません。これは不動堂内に秘蔵されていると伝えられる「御影不動明王」の木像(新田氏の祖、源義重が楯の上にすわり、剣をにぎって軍勢の指揮をとる姿を模したとされています。)の光背に火炎がないことに因んだと思われます。

    この不動尊像には、不動尊像につきものの火炎の光背がありません。これは不動堂内に秘蔵されていると伝えられる「御影不動明王」の木像(新田氏の祖、源義重が楯の上にすわり、剣をにぎって軍勢の指揮をとる姿を模したとされています。)の光背に火炎がないことに因んだと思われます。

  • 不動尊像は、東側270体、西側254体、南側238体、北側238体の合計1000体です。<br />写真は南側です。

    不動尊像は、東側270体、西側254体、南側238体、北側238体の合計1000体です。
    写真は南側です。

  • 南東側には説明板が立っています。この「千体不動塔」が造られたのは延享4年(1747)で、昭和32年(1957)に修復されているそうです。

    南東側には説明板が立っています。この「千体不動塔」が造られたのは延享4年(1747)で、昭和32年(1957)に修復されているそうです。

  • 「千体不動塔」は、「不動堂」の真東にあります。左奥は「太子堂」です。

    「千体不動塔」は、「不動堂」の真東にあります。左奥は「太子堂」です。

  • 北東側から見た「千体不動塔」です。

    イチオシ

    北東側から見た「千体不動塔」です。

  • 何となく、中米のピラミッドを思い出します。

    何となく、中米のピラミッドを思い出します。

  • 北東側から見た「不動堂」です。

    北東側から見た「不動堂」です。

  • 「不動堂」の後ろ(北)の社に安置されている石仏です。説明板によると、太田市の重要文化財に指定されている「薬師如来」です。14世紀頃のもので、角閃石安山岩の一石で作られているそうです。

    「不動堂」の後ろ(北)の社に安置されている石仏です。説明板によると、太田市の重要文化財に指定されている「薬師如来」です。14世紀頃のもので、角閃石安山岩の一石で作られているそうです。

  • 石仏の後ろ下に置かれている像です。特に説明がなく、太田市や太田市観光協会のホームページ、その他関連のネット記事にも情報は見つけられませんでした。

    石仏の後ろ下に置かれている像です。特に説明がなく、太田市や太田市観光協会のホームページ、その他関連のネット記事にも情報は見つけられませんでした。

  • さらに、その後ろ(北)には、石塔などが安置されています。

    さらに、その後ろ(北)には、石塔などが安置されています。

  • 「不動堂」の前から見た、参道のサクラです。

    「不動堂」の前から見た、参道のサクラです。

  • 「不動堂」の前から見た「大師堂」です。

    「不動堂」の前から見た「大師堂」です。

  • 「不動堂」から、参道を歩いて戻ります。

    「不動堂」から、参道を歩いて戻ります。

  • 満開のサクラを北側からも撮っておきます。

    満開のサクラを北側からも撮っておきます。

  • 参道の東側の手水舎です。

    参道の東側の手水舎です。

  • 参道から振り返って見た「千体不動堂」です。

    イチオシ

    参道から振り返って見た「千体不動堂」です。

  • 境内の東にも、満開のサクラがあります。

    境内の東にも、満開のサクラがあります。

  • そのサクラの下から見た「不動堂」です。

    そのサクラの下から見た「不動堂」です。

  • もう少し低い位置から見ると「千体不動塔」も見えます。

    もう少し低い位置から見ると「千体不動塔」も見えます。

  • 西方向を見ると、山門(二天門)、手水舎、大師堂が見えます。

    西方向を見ると、山門(二天門)、手水舎、大師堂が見えます。

  • サクラの隙間から見た「千体不動塔」です。

    イチオシ

    サクラの隙間から見た「千体不動塔」です。

  • 山門(二天門)の東側から見た、参道のサクラです。

    山門(二天門)の東側から見た、参道のサクラです。

  • 南東側から見た山門(二天門)です。

    南東側から見た山門(二天門)です。

  • 山門の東側のサクラです。

    山門の東側のサクラです。

  • 期待していた以上に見応えのある「明王院」でした。この後「縁切り寺」へ行ってみます。<br /><br />( つづく )

    期待していた以上に見応えのある「明王院」でした。この後「縁切り寺」へ行ってみます。

    ( つづく )

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