
2019/03/17 - 2019/03/17
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スカイバードトラベル(旧:日通ペリカントラベルネット エジプト店)さん
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カイロからこんにちは!
今回は、カイロの「死者の町」をご紹介します。
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「死者の町」って、なんかすごい響きですが、要は墓地です。
大通りに架かる歩道橋から撮った「死者の町」の様子。
ちなみに、「死者の町」とは外国人旅行者の間での通称で、エジプト人に「死者の町」と言っても通じません。
わざわざ墓地に行ったのは、この中に、世界遺産にも登録されている中世のスルタン(統治者)の墓や、中世の建物が残っている為。 -
まず最初に行ったのがこちら、スルタン・カイトベイの墓とモスク。
スルタン・カイトベイは、古代エジプトのファラオ・ラムセス2世には及ばずとも、非常に多くの建築物を残したスルタンです。 -
恐らく一番有名なのは、こちら、アレキサンドリアにある、カイトベイ要塞。
スルタン・カイトベイは、1416年頃、現在のコーカサス地方で生まれました。
奴隷商人に買われてカイロへ来た後、みるみる頭角を現し、時のスルタン・バルスバイによって買われ、宮殿警備の任に着きます。 -
スルタン・バルスバイといえばこちら、ハーン・ハリーリにある、スルタン・バルスバイのマドラサ。
ハーン・ハリーリの喧騒が嘘のような平穏な場所でスキ。 -
その後、カイトベイはマムルーク全軍の元帥を経て、最終的に最高統治者であるスルタンまで登りつめます。
肝心の死者の町にあるスルタン・カイトベイの墓ですが、
中に入れませんでした・・・ガーン
建物の横のカフェもどきで茶を飲んでいたおじさん達に聞いたのですが、礼拝時間しか開かないそうです。
次の礼拝時間まで、まだ2時間以上あったので、あきらめることに・・・ -
礼拝時間しか開かないということは、今は、モスクの部分しか入れないということですね。
事前に調べた限りでは、墓の見学ができるようだったのですが・・・。
写真撮りませんでしたが、裏にまわると、修復作業をしていました。
近いうちに、また見学できるようになるといいなー!
ちなみに、スルタン・カイトベイ本人が、存命中に造らせた墓で、非常に美しいそうです。 -
スルタン・カイトベイの墓に入れなくて、ちょっとガッカリしましたが、気を取り直して、次の目的地へ。
一本路地を入ったところの光景。
ドーム屋根の建物はみんなお墓です。 -
このエリアには、イスラームの歴史上、名のある人のお墓がいくつかあるのですが、何も書かれていないので、どれがどれだか・・・
内部は美しいのかもしれませんが、もちろん、中に入ることはできません。 -
ちなみに、この死者の町には、特別な人だけでなく、一般の人のお墓もあります。
というか、今では、一般の人のお墓の中に、ところどころ、こういう大きなお墓があるという感じです。
さらに、日本でイメージするような墓地ではなく、人が住んでいます。
住み込みで墓の管理をしていたり、他に住むところがなく、結果的に住み着いてしまったり、貧しくて普通に暮らすことができなくなり、自分の先祖の墓に住むことになってしまったりと、色々なようです。
といっても、今では本当に「町」の様相を呈していて、普通に商店やカフェなどもあり、学校もありました。 -
日本のお墓をイメージすると、
墓に住む・・・・ はい~???
となりますが、こちらのお墓はこの写真のように、広い!
下手したら、日本の小さな一軒家より広い敷地だと思います。(私が住んでたワンルームマンションよりは間違いなく広い)
屋根がなくても、ほとんど雨が降らないので問題ないです。
(もちろん、普通の家はちゃんと屋根ありますよ!) -
次の目的地であった、スルタン・バルスバイのハーンカー(スーフィーの修道場)も、中に入れず・泣
雰囲気から、やはり礼拝時間にモスクの部分だけ開く気がします。 -
スルタン・バルスバイのハーンカーの先にも、大きなお墓がありますが、例によって、誰のかはわからず。。。
建物の内部に入ることができず、たくさんのお墓も誰のだかちっともわからない為、若干傷心しながらも、とりあえず、先に進みます。 -
次にやってきたのは、こちら、スルタン・バルクークのハーンカー。
ハーンカーとは、スーフィー(スーフィーが何かを説明すると長期連載シリーズになってしまうので割愛)の修道場ですが、実際には、ハーンカーだけでなく、バルクークや家族のお墓、サビール・クッターブ(共同井戸&寺子屋)、マドラサ(イスラームの学校)などの、コンプレックス(複合施設)です。
スルタン・バルクークは、スルタン・カイトベイと同じく、奴隷からスルタンになった人物です。
中世のイスラーム朝では、世襲でもなく出自も関係なく最高統治者になることができたんですね。
そして、そのイスラーム朝が最も栄えていた時代の中心地がカイロだったんです。
カイロには本当にきりがないほど中世のイスラーム建築があり、その多くがまとめてひとつの世界遺産として登録されています。 -
スルタン・バルクークのハーンカーコンプレックスは、彼の遺志を継いで、息子が建てたものです。
西暦1400年頃に着工し、11年後の1411年に完成。
そして、遂に中に入ることができました!! -
通路を抜けると、広い中庭になっています。
古いモスクの中庭に、木が生えていることがあるのですが、これは植えたのでしょうか?
それとも、木が生えてるところにモスクを建てたのか、モスクを建てた後、木が生長したのか?
マリダーニーのモスクを思い出しました。(ラピュタみたいだった)
https://4travel.jp/travelogue/11185511 -
うろうろと写真を撮っていると、おじさんが来て、案内を始めます。
言われるままについて行くと、鍵を開けてお墓に案内してくれました。
前の前の写真で、右奥にドーム屋根が写っていますが、その内部です。
すっごい美しい内装!!! -
ここには、バルクークの奥さんと、2人の娘さんのお墓があります。
-
以前からこういうお墓を見て、
ご遺体を入れるにしては小さいな・・・
と思っていたのですが、 -
この床が地下への入り口になっていて、ご遺体は地下に埋葬されているそうです。
そういう造りになってたんですね。 -
この部屋の入り口が素敵だったので写真を撮ったのですが、案内してくれてたおっちゃんが、
「僕を撮ったの?君、今、僕を撮ったでしょ!」と大喜びしてたので、
「ドアが素敵なので、ドアを撮りました」と冷静にお伝えしました(ああ、鬱陶しい・・・) -
反対側にも同じような入り口があり、そちらも鍵を開けてもらって中に入ります。
ちょっとわかりづらいですが、一番奥のが、バルクークのお墓、他の2つは、彼の息子のお墓です。 -
奥さん達の部屋は電気ではなく、自然光で明るかったのですが、こっちの部屋は、陽が差さない時間のようで、薄暗かったです。
こちらもドームの天井がありますが(中庭の写真で中央に写っているドーム屋根)、女性陣のお墓のドームよりも、装飾がシンプルですね。 -
こちらも、木のドアが素敵です。
さらに、上にステンドグラスもありました。 -
バルクークの墓の横には、クルアーン(コーラン)の節と、バルクークの名前が刻まれた柱が建っていました。
あまりこういうのは見ないですね。 -
2つのお墓の見学をして、おじさんの案内は終了。
頼んでないのに、勝手にガイドしてきた・・・、けど、おじさんがいないとお墓を見れなかったので、こういう時は、気持ちよくチップをお渡ししましょう。 -
場所的にも、周辺に住んでる人以外はほとんど誰も来ないかと思いますが、一部の小部屋は、何かの事務所のようになっていました。
一体、何に使われているのでしょうか。 -
サビール・クッターブとか、ミナレットに登るとか、お墓以外にも見学できればよいのですけどね。
-
スルタン・バルクークのハーンカーを出たところ。
道の先の方にも、ドーム型の大きなお墓がいくつか見えます。
ちなみに、左側に見えるのは、現代のアパート。 -
最後の目的地を目指して、さらにてくてくと歩き続けます。
古いお墓、そして、カイロらしい砂&ホコリだらけの現代のお墓が並ぶ中、場違いにきれいな建物が出てきます。
エジプトで場違いに立派ORきれいな建物がある場合、大体、軍関係・・・。 -
軍関係のものは写真撮影NGだし、もちろん、見学できるなんて思ってもみなかったのですが、なんと、入り口にいる警備の人が、入っていいと言います!
恐る恐る中へ入ると、とてもよく整備されていて、さながら公園のよう。 -
この墓地についての情報が全くないので、何も説明ができないのですが、
軍人の戦死者墓地であることは確かです。 -
カイロの街中ならどこでもいる野良犬まで、なんだか、しゃんとして見えます・笑
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一番奥に3つお墓が並んでいます。(お墓の真ん前では写真撮っちゃダメと言われたので、遠くからの写真のみ)
なんと、エジプト共和国の初代大統領 ムハンマド・ナギーブの墓でした!
他の2つの墓は、国軍最高司令官のお墓。
その後、(アラビア語オンリーなので)訳わからぬまま案内されたお墓は、なんと中国人のもの。
私達が中国人だと思って案内してくれたのかもしれません。
しかし、国軍の戦死者墓地に葬られている外国人とは、どういった立場の人だったのでしょうね。 -
入り口を、内側からみた写真。
本当によく手入れされています。
こんなにきちんと手入れしているのに、訪れる人なんてほとんどいないだろうから、案外、見学者大歓迎!なのかもしれません。 -
思いがけず見学できた軍の墓地を後にし、さらにてくてくと歩きます。
お目当てはこちら、アミール・クルクマースのコンプレックス(複合施設)です。
アミールというのは称号。
コンプレックスはスルタンにより建てられたものが多いですが、
クルクマースはスルタンではなく、アミール=軍の最高司令官といったところでしょうか。 -
写真では伝わらないと思いますが、とにかく巨大なんです!
クルクマースのお墓、マドラサ(イスラーム学校)、サビール・クッターブ(共同井戸と寺子屋)、モスクがあるのは、他のコンプレックスと同じですが、ハーンカー(スーフィーの修道場)、さらには、居住エリア(宮殿)まであったんだそうです。 -
さらにさらに、クルクマースのコンプレックスに繋がって、奥にあるのは、スルタン・イナースのお墓。
こちらの方が古く、1450年頃のもの。
クルクマースのお墓は、1507年築です。
日本でいうと室町時代ですね。
残念ながら今は中に入ることができず、柵があって、近寄ることもできません。
ネットで検索すると、内部の写真もちらほらみつかります。
ぜひぜひ内部を見学できるようにしてほしーーー!!! -
これにて、死者の町の見学終了。
まだまだ向こうにもドーム屋根の大きなお墓があるようですが、もうきりがないですね。 -
たくさん歩いた後に向かったのは、中華料理レストラン!
ここは安くておいしいんです!
しかし!!!とにかく量が多い!
私が頼んだこの中華麺は、間違いなく、麺300グラム はある、絶対!
とりあえず、貴重なキクラゲは全て食べ(エジプトで初キクラゲかも)、お腹がはちきれるくらい食べたけど、多分、半分残した・・・
(汁麺をお持ち帰りすることもできず、本当に残念・・・今食べたい・泣) -
同僚が頼んだのは、私も以前頼んでとってもおいしかった牛肉麺。
これも、麺150グラムはある、絶対。
というわけで、死者の町のご紹介でした。
もっと内部見学できるようになることを、切に願う!
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