2019/03/28 - 2019/03/28
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noelさん
この旅行記のスケジュール
2019/03/28
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飛行機での移動
羽田空港(7時55分発)→小松空港(9時00分着)JAL183便
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バスでの移動
小松空港(9時15分発)→金沢駅西口(10時00分着)リムジンバス
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バスでの移動
金沢駅東口(10時10分発)→兼六園下。金沢城(10時28分着)シャトルバス
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徒歩での移動
バス停(10時30分)→兼六園(10時05分着)徒歩
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桂坂→噴水→蓮池門→瓢池→時雨亭前→梅林(徒歩)
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成巽閣→花見橋→根上松→霞ヶ池→徽軫 灯籠→栄螺山(徒歩)
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石川門→三の丸北園地→河北門→橋爪橋→橋爪門続櫓・五十間長屋(徒歩)
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三十間長屋→色紙短冊積石垣→玉泉院丸庭園→菱櫓・五十間長屋(徒歩)
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鶴丸倉庫→石川門→白鳥路(徒歩)
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この旅行記スケジュールを元に
以前から行きたかった金沢。新幹線も開通して本当に身近になりました。
ただ旅の御伴の夫は、全然金沢に興味がありません。
これは金沢だけではないのですが・・・。以前車で京都を通過した時のことですが、京都に1泊はしたものの、素泊まり状態でどこの寺社にも行きませんでした。そんな殺生な・・・・(-_-;)
そんなわけで今回は一人でこっそり出かけてきました。
しかも日帰りです。
とんぼ返りなんて勿体ない、と思われるかもしれませんが、行けないよりはましです。
しかも新幹線の方が効率良さそうですが、JALのマイルの期限が近づいているので切れる前に。
普通は年度末で大忙しの時期ですが、幸い私の場合はさにあらず。
有給休暇を消化するためにもこの時期にしました。
北陸の桜を待つという選択肢もありますが、一番都合のいいこの時期を逃したくはありません。
そんな弾丸一人旅でした。
【旅程】
7時55分:羽田空港→9時00分:小松空港(JAL183便)
9時15分:小松空港→10時00分:金沢駅西口
10時10分:金沢駅東口(6番乗り場)→10時28分:兼六園下・金沢城
(シャトルバス)
徒歩にて
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兼六園
↓
金沢城
↓
ランチ
↓
金沢公園
↓
黒門前緑地
↓
泉鏡花博物館
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ひがし茶屋街
↓
寿経寺
↓
菅原神社
↓
宇多須神社
↓
宝泉寺
↓
(JRバス)
↓
金沢駅前
↓
16時10分:金沢駅西口→16時50分:小松空港
17時55分:小松空港→19時00分:羽田空港(JAL190便)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ
PR
-
金沢駅からシャトルバスでやってきました。
さっそく日本三大名園の1つ、兼六園へ向かいます。 -
左側には土産物屋が並んでいます。
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一瞬、ギョッとしますが、金沢名物のソフトクリームです。
金銀箔ソフト、1000円です。
ちなみに有名なのは箔一の金箔ソフトクリームです。
いずれにしても、この日は曇り空でヒンヤリしていたのでスルーしました。 -
お花見用の提灯でしょうか。
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雨は止んだようですが、どんよりした空色です。
土産物屋の前にも傘が並んでいます。 -
坂を上ると右手に金沢城が見えます。
まずは左側にある兼六園に行きます。 -
兼六園への入口
こちらは「石川門口」です。 -
入口手前に案内があります。
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右側の方には「蓮池(れんち)門」があります。
まずは目の前でチケットを購入します。
入場料は310円ですが、私は他の施設1つ分の入園料も兼ねたチケットを500円で購入しました。
現金で購入しましたが、クレジットやICカードも利用できるようでした。 -
緩やかな坂道になっていますが、「桂坂」です。
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「桂坂」の由来はかつて桂の大木があって、それに因んで名づけられました。
今は親木の原形からその姿が偲ばれます。
一応若木に受け継がれているようです。 -
小さな滝が流れています。
これは右方向の小道の先にあります。 -
これは日本最古の噴水だそうです。
19世紀中頃に作られました。ちょっと吃驚です。
日本庭園で噴水を見られるなんて。
園内の霞ケ池が水源です。
3.5mまで吹き上がります。 -
左が黄門橋方向
右が蓮池門口です。
どちらに行こうか悩んで、右方向にしました。 -
蓮池門です。
後ろに石垣が見えます。
そしてうっすらと桜色になっているようです。開花が楽しみです。 -
瓢(ひさご)池です。
そういえば瓢箪のような形をしているような気がします。 -
イチオシ
池の向こう側にうっすらと花が見えます。
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滝があります。
この滝は翠(みどり)滝というそうです。
紅葉の頃はまた格別な魅力がありそうです。
安永3年(1774年)に作られました。 -
夕顔亭です。
ひょっとして藤棚でしょうか・・。
茶室の壁に夕顔(瓢箪)の透彫りがあるので、名前がつけられました。 -
海石塔です。
これは海中からとった虫食い石から、この名前がつけられたようです。 -
時雨亭です。
小松空港に向かう際に読んだJALの機内誌にも掲載されていました。 -
立ち寄りたかったのですが、時間がちょっと中途半端だったので残念ながらやめておきました。
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左方向は梅林と随身坂口です。
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この松の傷は1945年(昭和20年)6月、太平洋戦争が終わった後の6月頃、政府からの命令で松脂(まつやに)を採取した跡です。
これは軍用の航空機の燃料にされました。
なんだか痛々しいです。 -
ちらほら梅が咲いています。
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こちらは梅林です。
明治100年記念として造られました。 -
流石に金沢に桜が咲くのは、まだ早いです。
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梅が見ごろでした。
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雛人形、雛道具の特別展です。
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こちらは国指定の重要文化財になっています。
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成巽閣(せいそんかく)
1863年(文久3年)、前田斉泰(加賀藩の第13代藩主)によって建てられました。母の真龍院のための隠居所として建てられました。 -
花見橋です。
擬宝樹の欄干がある木橋です。
橋から見る花の眺めが素晴らしいことから名前がつけられました。
今の季節はちょっと寂しいです。 -
こんな所にひっそりと松尾芭蕉の句碑がありました。
「あかあかと 日は難面(つれなく)も秋の風」
元禄2年(1689年) -
金沢市内を見渡すことができます。
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木の枝がだいぶ撓ってます。
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日本武尊の像です。
明治10年(1877年)に西南の役で戦死された郷土出身の将兵を祀っている記念碑とのことです。 -
銅像は5.5mあります。
台石の高さは6.5mです。 -
兼六園菊桜
4月中旬から5月中旬頃に開花するようです。
1つの桜に花弁が300枚を超えて、菊の花のように咲いて、花柄ごと落ちるのだそうです。
花の色は濃い紅から薄紅で、落下する頃になると、ほとんど城に近い色に変わります。
昭和3年に天然記念物に指定されたのですが、その初代の桜は昭和45年入場しました。枯死してしまいました。 -
根上松
13代藩主の前田斉泰(なりやす)(1822-1866年)が、高い盛り土に植えて、徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられています。
本当にご立派に根が上げられています。 -
霞ヶ池
天保8年(1837年)に掘り広げられた池で、広さは5800㎡あります。
池の中の島は蓬莱島といいます。
不老長寿を表していて、亀の甲の形になっています。
そのため亀甲島とも言います。 -
ちょっと曇っていて残念です。
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上に登れるようです。
せっかくなので、登ってみます。 -
石垣がちょっと気になります。
後ほど金沢城で色々と拝見しました。 -
栄螺山(さざえやま)
これは霞ヶ池を掘り広げた際に、土で盛り上げたものです。
登り路が螺旋状に作ってあり、それがさざえに似ているために名前がつけられました。 -
避雨亭(ひうてい)
からかさ型になっているので、この山を「からかさ山」ともいいます。
雨が降ってきた折に、ここでしばし雨宿りされたのでしょうか。 -
三重の石塔
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霞ヶ池の眺め
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虎石
虎の形をした石です。
兼六園には虎石、獅子巖、龍石の三名石があります。
これらは兼六園を守る魔よけの石です。 -
徽軫灯籠(ことじとうろう)と虹橋
兼六園を代表する景色です。
残念ながら小雨が降りだしました。
虹橋のことは琴橋とも言います。 -
イチオシ
徽軫灯籠とは、脚の部分が二又になっていて、琴柱(琴の弦を支えるためのものです)に似ているために名づけられました。
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さて、こちらから金沢城公園です。
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百間堀
ここはかつて百間堀(ひゃくけんぼり)と呼ばれました。 -
道の上に橋が架かっていて、兼六園と金沢城公園を結んでいます。
下の通りは百万石通りです。 -
金沢城
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金沢城の石川門
搦手門(からめてもん)(裏門)として重要な位置にあります。
そして河北門、橋爪門とともに金沢城の「三御門」と呼ばれました。
二重櫓、渡櫓、長屋からなる重厚な桝形門に造られています。
宝暦の大火(1759年)の後に、天明8年(1788年)に再建されました。
国の重要文化財にされています。(昭和25年(1950年)) -
石川門の石垣
御覧のように右側と左側で石の積み方が違います。
右は「切石積み」
左は「粗化工石積み」となっています。 -
これは左側の粗化工石積みです。
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こちらは切石積みになっています。
同じ石垣でも全然違います。 -
金沢大学の誕生の地です。
昭和24年(1949年)5月31日に設置されました。
「学は以て巳むべからず」・・・荀子の言葉が刻まれています。 -
河北門の二の門入口付近です。
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河北門
実質的な正門です。三の丸の正門が河北門です。
三御門の一つです。(石川門・橋爪門・河北門)
御殿に至る要所を固めていました。
安永元年(1772年)に再建されました。 -
櫓部分(2階)内部から撮りました。
中の壁や床などには檜の一種で、能登ヒバが使われてます。
出窓があって石落としなどもありました。 -
河北門の石垣です。
切石積みの石垣になっています。
城門や御殿向き、庭園などの特別な場所に、この技法は用いられているようです。 -
金沢城三の丸跡の付近です。
広々としていてのんびりできます。
お天気だったら気持ちよかったでしょう。 -
石川門
三の丸の東端に位置しています。
石川郡に向いているために、石川門と呼ばれました。
石川櫓は門の出入りと小立野方向を見渡す櫓でもありました。
屋根は鉛瓦を葺いています。
(国指定重要文化財) -
内堀の石垣です。(鶴の丸付近)
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この内堀は、12年にかけて菱櫓や五十間長屋などとともに、復元されました。
寛永8年(1631年)の大火の後に、二の丸を守る堀として造られました。 -
橋爪一の門と橋爪門続櫓
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五十間長屋と菱櫓
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橋爪門
寛永8年(1631年)の大火の後に整備されました。
二の丸の正門です。
高麗形形式の「一の門」
石垣と二重塀で囲われた「枡形」
櫓門形式の「二の門」からなる枡形は城内でも最大です。
二の丸御殿への最後の門として、通行に際して最も厳しかったそうです。
文化5年(1808年)の二の丸の火災で焼失してしまい、文化6年に再建された姿を復元しています。 -
橋から石垣を撮りました。
城内でも最も格式の高い門だそうです。 -
枡形
二の門の内側には、番所と石垣台で仕切られた広場が設けられて、2つの枡形を連結したような構成となっています。
江戸時代には枡形内に存在しなかった園路を設けています。 -
扉です。
黄色が目立ちます。 -
敷石
寛永8年(1631年)の大火を契機として、本丸にあった御殿は二の丸に移りました。そして二の丸御殿が藩政の中心となりました。
四半敷きで戸室石が使われており、格式の高い門であったことを示しているのだそうです。
* 四半敷きとは、正方形の石を縁に対し45度になるよう斜めに敷いたものです。 -
雁木坂(がんきざか)付近
橋爪門続櫓に接する雁木坂と呼ばれる石段がありました。 -
戌亥櫓(いぬいやぐら)石垣
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そのまま積み重ねたようなっています。
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三十間長屋(国指定重要文化財)
本丸附段にあります。
2層2階の多聞櫓です。安政5年(1858)に建設されました。
現在の長さは26.5間(約48.2m)幅は3間(約5.3m)です。
かつて33間の長さだったのでこのように呼ばれました。
金沢城では倉庫と防壁を兼ねた建物を長屋と呼んでます。 -
漆喰壁の腰には海鼠瓦が貼り付けられています。
南面は入母屋造りです。
北面は土台の石組よりも外壁がさがっていて切妻造りです。 -
本丸付段(つけだん)~薪ノ丸
下るという事は、もしかしたら、また登らなければならないかも・・・。汗
この通路は、高さ約10mの急斜面を何度も折れ曲がりながら、本丸付段と薪ノ丸とを結ぶ石段の通路でした。
今は本丸付段には三十間長屋しか残っていません。
江戸時代の前半までは、通路の降り口の脇に櫓が建っていたそうです。 -
薪の丸東側の石垣
この石段は鯉喉(こいこう)櫓台や二の丸北面と同じく形をそろえた石材を整然と積み上げた「粗化工石積み」の生垣で、寛文6年(1666年)、加賀藩の穴生(あのう)後藤権兵衛によって改修されました。 -
苔むしていて、いい感じです。
ところで江戸時代にはこの地には前田家に伝わった刀剣・書籍などの宝物をおさめる薪が置かれていました。
「薪の丸」の名前は薪を置いていたため、この名前がついたようです。 -
坂道を下ってきたら、庭園になっているようです。
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玉泉院丸庭園です。
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散策に丁度いいです。
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唐傘
天保3年(1832年)
13代藩主の前田斉泰が「カラカサ」亭の設置を命じました。
実は明治期の庭園の廃絶とともに兼六園瓢家に移設されたと言われています。
これは再現したものです。 -
段落ちの滝
発掘調査によって斜面を階段状に流れ落ちる落差約7mの4段の滝の跡が発見されました。
江戸時代には、二の丸を通ってきた辰巳用水の水が、色紙短冊積石垣下部全面の滝壺から地中の水路を経て、この滝の水源になっていたようです。 -
色紙短冊積石垣
色紙(方形)や短冊状の石やV字形の石樋が組み込まれた金沢城内で最も意匠的な石垣です。
石垣の下部を約2m埋め戻したためm今は見ることができません。 -
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓
それでは中に入ってみましょう。
先ほど買ったチケットで入場できました。 -
写りが悪くてすみません。
これは出窓(出し(だし))の石落としです。
この建物には大小7か所の石落としがあります。 -
外が覗けます。
鉄砲狭間として用いられました。 -
登ってみます。
結構急な階段です。 -
菱櫓
菱櫓構造にしたのには色々な説があります。
1つは金沢城の大手門(尾坂門)と搦め手門の石川門の両方を同時に広い視野で監視するためでした。 -
下りはもっと吃驚です。
かなり急でした。
落ちないように手すりにつかまって下りました。 -
ジオラマのようなものがあります。
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江戸時代の二の丸御殿です。
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軸組の模型です。1/10だそうです。
よくできています。 -
木組(柱脚部仕口)
仕口(しぐち)や継手(つぎて)は部材を繋ぐ木造の独特の方法です。
柱脚聞は柱の周りに縦横の足固めを緊結し、接合部で地震が基礎に伝わるように工夫されています。 -
石鉢・石臼など
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燻瓦など
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鍬始式の祭壇
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くさび、かすがい、陶磁器など
五十間長屋の下層遺構の出土品 -
刀剣や柄鏡のようです。
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また三十間長屋にやってきました。
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鶴丸倉庫(重要文化財)
城郭内に残っているものとしては国内最大級の土蔵です。
嘉永元年(1848年)に建てられた武具の土蔵です。
腰の石貼りや窓回りなど意匠的にも優れた遺構として平成20年に国の重要文化財に指定されました。 -
鶴の丸土塀
土塀の3つの丸側の腰部は海鼠壁で覆われています。
鉄砲狭間は隠し狭間で、通常は海鼠塀の板瓦でふさがれています。 -
自然石積み
この石垣は3つの積み方の中で最も古いものです。
自然の石や粗割しただけの石を用いて積む技法です。
城内では東の丸北面石垣などに見られます。
(東ノ丸北面石垣) -
粗化工石積み
割石を加工し、形や大きさをそろえた石材(粗化工石)を用いて積む技法です。
櫓や長屋などの外周の石垣に見ることができます。
二ノ丸の北面石垣が、その代表例です。 -
切石積み
城内各所の石垣は、それぞれ表面だけしか見られませんが、ここは石垣の積み方や、その内部も御覧になれます。
丁寧に加工した切石を隙間なく積む技法で、本丸への入口など城の重要な部分の石垣に見ることができます。
数寄屋敷石垣 -
本当は行きたい所がありましたが、弾丸旅のため時間があまりないので、こちらでお昼をいただくことにしました。
本当は治部煮をいただきたかったのですが・・・・。 -
眺めは最高です。
お店からの眺めです。 -
ご覧のように御膳です。
でも、外の景色を見られるようにベンチに腰掛けていただけます。
正座しなくても大丈夫です。 -
豆皿茶屋さん
これは姫皿御前
鮭と鯛の笹寿司とお吸い物と佃煮と甘味6品と加賀棒茶
飲み物は珈琲にもできます。
器が素敵です。 -
笹寿司です。
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金沢城公園 鶴の丸休憩館です。
この中に豆皿茶屋がありました。 -
井戸の枠
八枚の石を組み合わせて作られています。 -
井戸の枠
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東ノ丸北面石垣
自然石や粗割りしただけの石を緩い購買で積み上げた「自然石随み」になってます。 -
では、あまり時間もないので次に行きます。
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門からの眺め
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来た道を戻ります。
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兼六園に入園する際に、通ってきた坂道です。
紺屋坂という名称だったようです。 -
紺屋坂
加賀藩の初期に御用染商館の紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名前がつけられました。 -
切支丹寺跡地です。
キリスト教会のことを、南蛮寺ともいいます。
江戸時代の絵図に「切支丹屋敷」との記載が見られ、元は切支丹寺がありました。
先ほどの紺屋坂に隣接する場所だったようです。 -
前田利家公の像です。
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ズームしました。
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室生犀星
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泉鏡花
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徳田秋聲
金沢の三文豪たちです。 -
静かな小径です。
あまり人もいないので、のんびり歩けます。 -
「ホタルの一生」とあります。
-
蛍がいるようです。
水が綺麗なのでしょう。 -
白鳥路です。
-
お堀の外を歩いてます。
大手堀の石垣です。
これは金沢城初期の石垣です。 -
先の方には花が咲いているように見えます。
これで兼六園、金沢城を後にします。
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