2018/10/26 - 2018/10/26
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エムさん
2017年10月出発のイタリア旅行を計画していましたが、母が体調を崩して8月に入院・・・旅行は中止、そして母は11月に旅立ちました。
一年後の2018年10月、姉を誘って母を偲ぶ追悼旅行を計画しました。
ローマ4泊・フィレンツェ2泊・ヴェネツィア2泊・ミラノ2泊の予定です。
2018年10月25日に姉とホテルで合流し、二日目は予約しておいたヴァチカン美術館を見学します。
ヴァチカン市国は15年振りで、写真のピエタ像には特別な思い出があります。
- 旅行の満足度
- 4.5
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2日目 10/26 ヴァチカン美術館の予約に合わせて午前中はヴァチカンへ。
予約受付は8時45分、地下鉄A線に乗り、オッタヴィアーノ駅で下車、googleマップを見ながらヴァチカンへ。
バウチャーを見せると係りの人が誘導してくれ、並ばずに入場できた。
写真はピーニャの中庭
ピーニャとは松ぼっくりのことで、この巨大な松ぽっくりは1~2世紀に造られたローマ時代の噴水だった。8世紀の末から旧サン・ピエトロ大聖堂の前庭に置かれた。1608年に中庭に移され、名前に由来する。 -
ピオ・ クレメンティーノ美術館から見学します。
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ピオ・ クレメンティーノ美術館【チグリス川】
八角形の中庭に置かれたもので、ヘレニズム彫刻ハドリアヌス帝時代摸刻。
発見された時は頭部がなく、右腕と左手も欠けていた。ミケランジェロにより現在の状態に修復された。 -
イチオシ
【ラオコーン像】古代ギリシャの彫刻はミケランジェロに影響を与えた作品。
ギリシア神話のトロイの木馬を怪しみ、これを城内に引き入れることを反対しため女神アテナの怒りに触れ、神官ラオコーンと2人の息子が大蛇に絞め殺される情景を彫刻にした作品。
ラオコーンは1506年1月14日、ティトゥス帝の宮殿跡から発掘され、ヴァチカンに運ばれた6月1日にはローマ中の鐘が乱打された。 -
【ヘルメス】
サン・タンジェロ付近で発見され、1543年パウルス3世の命により運ばれた。
非常に称賛された作品で、何世紀もの間、人体の理想的プロポーションの手本となった。 -
【ベルヴェデーレのトルソ】
クレメンス7世によりベルヴェデーレに運ばれたもので、ルネサンス時代に発見された。
ミケランジェロが熱心に研究し、システイーナ礼拝堂のフレスコ画の参考にしたといわれている。
紀元前1世紀アテネの彫刻家アポロニウスのサインがある。 -
【円形の間】
シモネッティの設計で、古代彫刻を展示するためにパンテオンからインスピレーションを得て空間を造った。
部屋の中央に希少な赤大理石の巨大杯があり、これが一枚岩で出来ているというからビックリ!部屋の周囲は彫刻が並び、床はギリシャ時代のモザイクになっている。 -
【ギリシャ十字の間】
部屋の形が十字になっているのが特徴で、中央にギリシャ神話に登場する女神アテナのモザイク画が描かれている。
女神アテナは知恵・芸術・工芸・戦略を司る神。 -
ピーニャの中庭
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【玉座のキリストとペテロとパウロの殉教】
64年7月に起きたローマ大火でローマ皇帝ネロが放火をしたと疑われた。
当時拡大していたキリスト教徒に責任を押し付け、彼らを火刑に処すなど大弾圧を行った。ローマ帝国における最初のキリスト教徒への迫害でペテロ、パウロは殉教したと伝えられている。
ペテロ(左)はイエスと同様の十字架刑に相当しないと言い、自らの要望で頭部が下になる逆さ十字架にかけられたとされている。
「暴君ネロ」、キリスト教徒に罪を着せていたとは・・・。 -
イチオシ
【キリストの変容】ラファエロ(1516年~1520年)
フランスのナルボンヌ大聖堂のための祭壇画として依頼され、ラファエロが1520年に亡くなるまで手掛け、彼の手で完成した最後の作品であり、絵画による遺書とも考えられた。 -
【聖母の載冠】ラファエロ(1502~1504年)
二部構成からなる絵は上が天国、下が地上を描かれた。
上はイエスによって聖母マリアが冠を受けている場面で、下は聖母マリアの墓を取り囲んでイエスの使徒たちが集まっている場面。 -
【聖母の載冠】ジュリオ・ロマーノ(1525年)
こちらはラファエロの弟子、ジュリオ・ロマーノの作品。
ラファエロと共にヴァチカンの壁画を描き、ラファエロが急死した後に壁画を完成させた。
戴冠の場面をジュリオ・ロマーノ描き、下は依頼主のギジー家の画家が描いた。 -
【フォリーニョの聖母】ラファエロ(1511年頃)
落雷に見舞われたフォリーニョの家を救った聖母への感謝の気持ちから依頼された。
聖母子の下に 動物の皮に身を包んだ洗礼者ヨハネ(左)が描かれ、膝まずいているのは聖フランシスコ。赤いマントの人はシジスモンド・デ・コンティ -
【聖ヒエロニムス】レオナルド・ダ・ヴィンチ(1480年代初期)
苦行に耐えるヒエロニムスと、彼を見守るライオンが描かれた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは未完成のまま放棄する癖があり、この作品も未完成のままです。 -
【キリストの十字架降下】カラヴァッジョ
キリストの亡骸を十字架から降ろし、墓に埋葬しようとする場面。
カラヴァッジョがローマに滞在していた1602年から4年の間に描かれた。 -
並べられた石膏モデルは、ベルニーニがサン・ピエトロ大聖堂の「栄光の司教座」で天使を制作するために使用された。
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地図のギャラリーはグレゴリウス13世がイタリア各地と教会領地の地図40点を描かせた。豪華な天井装飾が美しい。
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【インマコラータの間】無原罪のマリアの間
聖母マリアが母アンナの胎内に宿った時から原罪を免れていたという。
原罪とは、エデンの園でアダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪、マリアを除く人間は生まれながらに負っている罪らしい。 -
【ボルセーナのミサ】ヘリオドロスの間(ラファエロ)
この壁画は1263年ボルセーナで起こった奇跡が描かれている。
聖変化の教義に疑念を持っていたボヘミアの僧侶が、ボルセーナでミサを行っていた時、清められた聖体から血が流れているのを目撃した。1264年教皇ウルバヌス4世こより、この出来事が聖体の祝日になった。 -
イチオシ
【アテナの学堂】ラファエロ(1509年~1510年)
古代及び当時の思想家が集まり描かれた。 -
登場人物
1.ピタゴラス 2.ラファエロの愛人マルゲリータ 3.ソクラテス 4.ヘラクレイトス(ミケランジェロ) 5.プラトン( レオナルド・ダ・ヴィンチ) 6.アリストテレス 7.ディオゲネス 8.アルキメデス 9.プトレマイオス 10.ラファエロ(黒いベレー帽をかぶっている) -
システィーナ礼拝堂
【最後の審判】ミケランジェロの最高傑作(1536~1541年)
撮影禁止なので、写真はヴァチカン市国の分厚い本よりコピーしたもの。
死者を天国と地獄に分ける裁きを行っている場面が描かれ、キリストの右側が善人の天国へ昇る人、左側は悪人が地獄に落ちる。
ヴァチカン市国の本は15年前に母が買ったもの。今、役立って感謝! -
最後の審判の洗浄は一刻の猶予もならない状態で、1980年に開始された。
修復前との違いが歴然として色鮮やかです。
キリストの周りに聖人が描かれ、画面右側の白髭の老人は手に鍵を持った聖ペテロ、その後ろが聖パウロ。 -
最後の審判
聖バルトロマイがキリストに見せている殉教者の剥がされた生皮の顔にミケランジェロの自画像が描かれた。ミケランジェロは教皇の命令で壁画制作を始めたものの苦しみ嘆き、抜け殻となった自分の顔を描いた。 -
最後の審判
地獄の光景はダンテの「神曲」からインスピレーションを得たもの。
地獄の渡し守カロンと罪人の魂を裁くミノスの神話の人物が描かれ、ミノスの体には大蛇が巻き付いている。ミノスの顔は儀典長のビアージョの肖像と推測される。ビアージョは「裸体が多すぎて教皇の礼拝堂に適さない、居酒屋向きの作品だ」と辛らつに批判した。陰部をヘビに咬まれた姿を見たビアージョは、教皇パウロ3世になんとかしてほしいと直訴するも「地獄のことは私の手に負えない」とあしらわれたというエピソードが残っている。どうやらミケランジェロの報復らしく、なかなか面白い。 -
サン・ピエトロ大聖堂【聖なる扉】
通常は閉じている扉が、およそ25年ごとの聖年の年だけ開けられる。
カトリック教徒がこの門をくぐると罪を許されるらしい。プロテスタントには聖年という概念はないそうだ。
システィーナ礼拝堂の後方右の扉を出ると大聖堂のファサードに出ます。 -
サン・ピエトロ大聖堂はカトリックの総本山
使徒ペテロの墓所の上に、コンスタンティヌス帝が教会堂を建て、キリスト教信者の聖地となった。
1506年教皇ユリウス2世が大改築を始め、ブラマンテが設計にあたった。
ラファエロ、ミケランジェロなど、ルネサンス時代の芸術家がその設計や建設、壁画の制作などに加わり、1626年に完成した。 -
1535年頃のサン・ピエトロ大聖堂
ブラマンテ死去(1514年)のため進展はなく、左側は取り壊される前の旧身廊の前方部分。
64年のローマ大火の罪を皇帝ネロに着せられ、キリスト教徒を見世物を兼ねた数々の残虐な刑に処した場所で、ペテロが逆さ十字に架けられた丘であった。 -
イチオシ
【ピエタ像】
ヴァチカン市国の本によると、
この像はフランスのローマ大使だった枢機卿ジャン・ド・ヴィリエ・ド・ラ・グロレが依頼。当時23歳だったミケランジェロは1498年から2年以上かけて完成させた。
聖母の肩にかかる皮帯にはミケランジェロのサインがあり「フィレンツェの人」と名乗っている。
悲しみに堪え、静かで落ち着いた表情のマリア様が美しい。
ガラスに反射して撮りにくいったらない。 -
【大天蓋バルダッキーノ】ベルニーニ作 1633年完成
ペテロの記念碑の上には3つの祭壇が置かれた。
錬金ブロンズ製の天蓋は十字架の先端までの高さが29mある。
この天蓋の下にペテロのお墓がある。
「聖エレナの像」(右下) 十字架を持つ女性像はコンスタンティヌス帝の母で、ヘレナがエルサレムの地から十字架を掘り出して持ち帰った。
「聖ヴェロニカ」左下の女性像は、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かう途中、キリストの顔の汗を亜麻布で拭ったところ、その布にキリストの顔が写し取られたという伝説の女性。 -
天蓋の上にはミケランジェロ設計のクーポラがある。
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【ペテロのブロンズ像】イエス・キリストの十二使徒の第一人者
ガリラヤの漁師だったシモンがイエスの弟子となり、ペテロと呼ばれ、天国の鍵を渡された。
ペテロの足を触りたかったのに、ロープが張られて近寄れず残念!
写真は遠くからズームで写したもの。 -
展望台から見たクーポラ
サン・ピエトロ大聖堂のクーポラに行きたい、と意気込んだものの・・・
エレベーターは屋上テラスまで、320段の階段を上るのは絶対無理!
階段は狭く、一方通行なので途中で引き返せない。 -
高さが3m超す140体の聖人像はベルニーニの弟子たちの作品。
「聖人像の後ろ姿を見ただけでも満足!」と自分に言い聞かせて納得した。展望台からは、どう頑張ってもヴァチカンの景色を眺めることは出来ません。
健脚な方は頑張って頂上を目指して下さい。 -
クーポラ内部に金網が張られ、そこから写した大聖堂。
クーポラの周囲は、「あなたはペテロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」とラテン語の銘文がモザイクで書かれている。 -
ミケランジェロ設計のドーム天井
下から見上げた時より、間近に見えて迫力があり、美しい! -
柵の内側を歩きながら側面のモザイク画を写す。
階段を上らないなら15分もいれば十分、潔くエレベータで降りました。 -
ヴァチカンを警護するスイス衛兵
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サン・ピエトロ大聖堂ファサード
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ローマの守護聖人、聖ペテロの像
キリストから授けられたという「天国の鍵」を右手に持っている。 -
広場を囲むように回廊が半円形に設置され、4列に284本の円柱が並び、その上に140体の聖人像が立っている。
地上から見上げるとホントに小さい。 -
サン・ピエトロ広場
石畳に埋め込まれたベルニーニポイントに立つと4列の柱が1列に重なって見える。ベルニーニポイントは2ヶ所あります。 -
サン・ピエトロ広場
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サン・タンジェロ城
テヴェレ川右岸にある城塞、イタリア語で聖なる天使の城という意味らしい。
屋上には大天使ミカエルの大きな像がそびえ立つ。
「ローマの休日」のテヴェレ川で船上パーティーの撮影に使われている。 -
テヴェレ川に架かるサン・タンジェロ橋
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足が棒で、疲れたのでランチ休憩をして、コロッセオを目指します。
サンピエトロ広場の近くにテルミニ行きのバス停を見つけて、20分以上待ったけどバスは来ない。
絶対歩きたくなかったのに、足を引きずって地下鉄駅まで歩いた。
40番バスライン
http://viaggiacon.atac.roma.it/?service=trovalinea&linea=40&percorso=40R#
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