2019/01/18 - 2019/01/18
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アルプ・グリュムさん
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二ヵ領用水は徳川家康の家臣である小泉次太夫に命じて1611年(慶長16年)に完成させました。
本来は農業用水として造られましたが、今では工業用水、生活用水と変わり近隣住民の憩いの場としても親しまれていてます。
取水口がある宿河原から溝の口までを散策しました。
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散策は取水口である宿河原取水口(多摩区宿河原)から始めます。
取水口は上流の上河原取水口(多摩区布田)にもありますがこちらはいずれ訪れる予定です。 -
宿河原取水口の河原にある舟島稲荷神社(沓稲荷)
多摩川の土手からの写真ですが神社は河原側にあるのです。 -
舟島稲荷神社(沓稲荷)
わら沓に願いをかけて、これを奉納したことから「くつ稲荷」「くつかけ稲荷」とよばれています。 -
二ヶ領せせらぎ館
NPO法人多摩川エコミュージアムが管理運営している施設で、可動堰を管理している国交省の建物の一部です。 -
二ヶ領せせらぎ館
二ヵ領用水だけではなく多摩川の歴史、魚、鳥類等も学べます。 -
二ヶ領せせらぎ館
各種資料も豊富に用意してあり、NPO法人独特の手作り感がいっぱいです。 -
二ヶ領せせらぎ館横には二ヶ領宿河原蹟に関する案内板が設置されています。
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特記しているのは1974年8(昭和49年)9月の台風16号によって狛江市側の堤防が決壊して民家19軒が流されるという大きな災害が発生しました。
決壊した部分の生々しい航空写真もあります。 -
堰は川崎市側へ農業用水を得るたの堤防だったのです。
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堰は可動堰となったので同じような災害は無くなると思いますが!
川崎側の堰の都合で狛江市側が被害を受けた訳です。 -
これが狛江市側の河原に設置してある多摩川決壊の碑です。
(Wikより無断でコピーしました)
台風16号で狛江市側の堤防が決壊した様子は何度も映しだされ、後にはテレビドラマ『岸辺のアルバム』のタイトルで八千草薫が演じていたのはまだ記憶に残っています。 -
宿河原取水口部分は写真を撮るのを忘れましたがこの部分が取り入れ口です。
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市民の憩いの場に相応しい光景が続きます。
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桜の花見には最高だと思います。
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桜だけではありません、シラサギもいます。
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南武線の下を二ヵ領用水が流れています。
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線路の下は腰を屈めて通ります。
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二ヵ領用水沿いは道路とは別に歩道があります。
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二ヵ領用水の碑を発見
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かなり読みにくくなっていますが二ヵ領用水の歴史が書かれています。
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長尾の里めぐり宿河原駅から津田山駅間の名所を周るものです。
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宿河原の桜並木
400本の桜が保存会の人々により守られています。 -
記念碑 桜 宿川原堤桜保存会
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二ヵ領用水竣工400年記念植樹 ”しだれ桜 さと錦”
宿川原堤桜保存会と稲田多摩川観光協会 -
二ヵ領用水竣工400年記念に設置した案内板
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八幡下圦樋記念碑
宿河原取水口からの水量を調整し、下流の洪水を防ぐための排水路として明治43(1910)年に設置され、昭和63(1988)年に撤去された圦樋の記念碑があります。 -
「ふるさとの命を育んだ二ヵ領用水」
2011年に設置された川崎市長名の碑 -
二ヵ領用水は続きます。
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五ヶ村堀と八幡下の堰
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五ヶ村堀と八幡下の堰
二ヵ領用水と立体交差しています。 -
二ヵ領用水と立体交差しています。
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緑化センターの案内図
図には水車小屋も見られましたが先の震災で壊れたそうです。 -
緑化センター
昭和54(1979)年に市緑化センターとして市民に開放され、栽培展示、生産者指導や季節の移り変わりが楽しめるような展示会が行われています。 -
緑化センターの前には歴史がありそうな仏像があります。
盗難避けだと思いますが鉄格子で守られています。 -
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新明国上教会
まだ新しい信仰宗教団体の寺院の様です。 -
稲荷神社
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中宿地蔵尊
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中宿地蔵尊
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東名高速の真下には徒然草第百十五段石碑
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徒然草第百十五段石碑
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、外より入り来たるぼろぼろの、「もしこの御中に、いろをし房と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、ここに候ふ。かくのたまふは、誰そ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。己れが師、なにがしと申しし人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。いろをし、「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事侍りき。こゝにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。前の河原へ参りあはん。あなかしこ、わきざしたち、いづ方をもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行くばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。 -
この石碑に刻まれている物語は、我が国古典の代表的な随筆作品といわれる『徒然草』の第百十五段である。「宿河原といふ所にて…」という書き出しではじまるこの物語では、ぼろぼろと称される遁世者が、自分の師の敵討ちをする話である。さて冒頭の「宿河原」の地名であるが、一説では川崎市多摩区宿河原の地とされる。中世において「宿」は河川の渡河地点など交通の要衝地に発生し、市が開かれ人々が集住するなど都市的な景観を呈していた。さらに「宿」は宗教者たちが道場や寺院を建て、教線を拡大する拠点でもあった。この話の中でも、ぼろぼろが集まって極楽往生のために念仏を唱えている様子が語られている。
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久地の合流点
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南武線久地駅
二ヵ領用水も線路の下を通ります。 -
久地駅には円筒分水の案内が矢印方向にあります。
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久地の横土手
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久地の横土手
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二ヵ領用水「久地分量樋」跡
グーグルの地図を見ているとこんな碑も見つけることができます。 -
二ヵ領用水「久地分量樋」跡
久地の円筒分水が完成すると役目を終えました。 -
平瀬川トンネル手前の堰
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平瀬川トンネル
溝口の街を流れていた平瀬川を多摩川へ直接放流するため、隧道として築造されました。 -
久地の円筒分水
平瀬川の下を潜った用水がサイホンの原理で溢れでて、四つの用水掘に分水されています。 -
円筒分水
柵で囲まれてあるので鳥たちが安心して休んでいます。 -
円筒分水
円筒分水は、内筒が直径8m、外筒が直径16mの二重の円筒構造になっています。 -
円筒分水
ここには多くの案内板が見られます。 -
円筒分水
川崎市歴史ガイドによる案内板で明治43年に完成した時の写真が掲示されています。 -
二ヵ領用水久地円筒分水掲示板
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円筒分水
こちらは解説図で構造を分かりやすく説明しています。 -
円筒分水は登録有形文化財にも指定されています。
川崎市の登録有形文化財は民家園の家屋が多く選定されています。 -
円筒分水
「土木学会推奨土木遺産」に2012年に選定されました。 -
平瀬川との分岐部
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円筒分水
川崎堀、六ヶ村堀、久地堀、根方堀に区切って均等に農業用水を分けていたのです。 -
円筒分水の下流側の様子
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溝の口駅からの案内
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国道246線を歩道橋で越えます。
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国道246線は大山街道でした。
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二ヵ領を美しく
落書きが残念です。 -
高津のさんぽみちと円筒分水
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高津のさんぽみち
大山街道を中心に見所があるようです。 -
濱田橋と碑
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濱田橋
幼少の頃にニヶ領用水で泳いだ濱田庄司。橋の改修に際して「濱田橋」と名付けられました。 -
濱田橋は二ヵ領用水の文字が大きく書かれた橋です。
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二ヵ領用水の名が書かれている橋
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この辺りは川幅も狭く桜の木も見られません。
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大石橋
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大石橋
江戸時代は文字どおり大きな石橋があり、脇街道の「溝の口・二子宿」として繁栄していました。 -
大山街道の旧道で大山詣でで賑わった通りです。
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田園都市線を越えていきます。
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石橋供養塔といくつかの碑
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石橋供養塔
江戸時代、村人が用水を渡って二子方面へ行く唯一の橋が坂戸橋です。供養塔には安全祈願がこめられています。 -
石橋供養塔
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石橋供養塔
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石橋供養塔
二ヵ領用水沿いの散策はここまでです。
二ヵ領用水は鹿島田駅あたりまでは見られますが先は暗渠となって川の姿を見ることができませんが東京湾まであったのです。
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