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  何十年前かのある日、私は東京お茶の水にある東京医科歯科大学病院に入院中の知人を見舞うためにエレベーターに乗っていた。そこに後から一人のご婦人が乗ってきた、その人は私と目が合うと、控えめな笑顔で会釈をしてくれたのだった。<br />一目でその人があの有名な旅番組の草分け、「兼高かおる 世界の旅」の兼高かおるさんだと分かった。一年中世界中を駆け巡っているだけあって小麦色に日焼けした健康そうな婦人だった。<br /><br />今年に入って間もなく、兼高かおるさんが亡くなったとニュースは伝えていた。若い方はご存じないと思うが、当時1ドル360円の時代、海外に旅行する人なんて稀有の存在だった。そんな中、どんな国にでも出かけてしまうスーパーヒロインだった。<br /><br />旅客機の映像とともに「八十日間世界一周」のテーマ曲が流れ、未知の国が次々と映し出された。憧れのヨーロッパ、未開のアフリカの奥地、ケネディ大統領やサルバドールダリなどVIPとの会見、なんでもひとりでこなした強い大和撫子だった。<br /><br />最近図書館で「わたしが旅から学んだこと」と言う本を見つけた。その冒頭の一文を紹介します。<br /><br />世界を巡る旅は、まるでエンドレスの映画を観ているよう。<br />時代のうねりの中で、国も人も絶え間なく変わっていき、スピードの差こそあれ、その変化はとどまることを知らない。<br />だから、旅は飽きることがなく、その終わることのない映画をわたくしは見続けたいと思う。(中略)<br /><br />80余年の人生は変化に富み、さまざまな出来事がありましたが、振り返ってみると、やはり「兼高かおる 世界の旅」の存在の大きさを感じます。このテレビ番組は1959年(昭和34年)から1990年(平成2年)まで、実に31年間続きました。<br />現地でも取材、コーディネート、プロデューサー兼ディレクターと、ひとり何役も務めていたわたくしは、1年の半分を海外で過ごし、生活の99%の時間をこの番組についやしていました。「世界の旅」で生き方や仕事について学び、取材をする目や世界を視る目を養いました。まさに人生の学校でした。<br />番組が始まったのは31歳のとき。終わったのは62歳のときです。(中略)<br /><br />「世界の旅」では、自由に外国に行き、好きなように仕事をさせていただきました。その移動距離は地球の180周分。取材した国は150.これほどの経験をさせていただいたのですから、番組終了後は、ただ「楽しかった」で終わらせるのではなく、世の中や、日本のお役に立てればと、執筆をしたり、お話をしてきました。(以上一分を紹介しました。)<br /><br />日本女性の優雅な立ち振る舞い、お茶の飲み方までもが、世界中の人に称賛されたと聞く。誰もが海外に行ける時代になって、改めて旅の先駆者の生き方を知ってもいいのではないかと・・・。現代の松尾芭蕉、兼高かおる(ちょっと違うかな?)のご冥福をお祈りいたします。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

兼高かおる 「世界の旅」

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2019/01/05 - 2019/01/05

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pedaru

pedaruさん

  何十年前かのある日、私は東京お茶の水にある東京医科歯科大学病院に入院中の知人を見舞うためにエレベーターに乗っていた。そこに後から一人のご婦人が乗ってきた、その人は私と目が合うと、控えめな笑顔で会釈をしてくれたのだった。
一目でその人があの有名な旅番組の草分け、「兼高かおる 世界の旅」の兼高かおるさんだと分かった。一年中世界中を駆け巡っているだけあって小麦色に日焼けした健康そうな婦人だった。

今年に入って間もなく、兼高かおるさんが亡くなったとニュースは伝えていた。若い方はご存じないと思うが、当時1ドル360円の時代、海外に旅行する人なんて稀有の存在だった。そんな中、どんな国にでも出かけてしまうスーパーヒロインだった。

旅客機の映像とともに「八十日間世界一周」のテーマ曲が流れ、未知の国が次々と映し出された。憧れのヨーロッパ、未開のアフリカの奥地、ケネディ大統領やサルバドールダリなどVIPとの会見、なんでもひとりでこなした強い大和撫子だった。

最近図書館で「わたしが旅から学んだこと」と言う本を見つけた。その冒頭の一文を紹介します。

世界を巡る旅は、まるでエンドレスの映画を観ているよう。
時代のうねりの中で、国も人も絶え間なく変わっていき、スピードの差こそあれ、その変化はとどまることを知らない。
だから、旅は飽きることがなく、その終わることのない映画をわたくしは見続けたいと思う。(中略)

80余年の人生は変化に富み、さまざまな出来事がありましたが、振り返ってみると、やはり「兼高かおる 世界の旅」の存在の大きさを感じます。このテレビ番組は1959年(昭和34年)から1990年(平成2年)まで、実に31年間続きました。
現地でも取材、コーディネート、プロデューサー兼ディレクターと、ひとり何役も務めていたわたくしは、1年の半分を海外で過ごし、生活の99%の時間をこの番組についやしていました。「世界の旅」で生き方や仕事について学び、取材をする目や世界を視る目を養いました。まさに人生の学校でした。
番組が始まったのは31歳のとき。終わったのは62歳のときです。(中略)

「世界の旅」では、自由に外国に行き、好きなように仕事をさせていただきました。その移動距離は地球の180周分。取材した国は150.これほどの経験をさせていただいたのですから、番組終了後は、ただ「楽しかった」で終わらせるのではなく、世の中や、日本のお役に立てればと、執筆をしたり、お話をしてきました。(以上一分を紹介しました。)

日本女性の優雅な立ち振る舞い、お茶の飲み方までもが、世界中の人に称賛されたと聞く。誰もが海外に行ける時代になって、改めて旅の先駆者の生き方を知ってもいいのではないかと・・・。現代の松尾芭蕉、兼高かおる(ちょっと違うかな?)のご冥福をお祈りいたします。






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この旅行記へのコメント (10)

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  • ニコニコさん 2019/05/20 11:58:09
    憧れの方
    pedaruさん こんにちは!

    兼高かおるさんにお会いになっていらしたんですね。
    不思議なご縁がおありだったなんて、驚きました。

    私たちにとって、あのTV番組は憧れの番組。
    未だヴィザを取らなければどこにも行かれなかった海外に
    あんな綺麗な若い女性が堂々と何も臆することなく世界の人々、
    時にはVIPとも握手をされていて。

    コマーシャルのパンアメリカンにもどんなにか憧れたでしょう!
    主人はあのブルーと白のバッグを持っていましたよ^^
    国内で買ったそうですが。

    30年ほど前にNYのパンナムビルを見たとき、興奮した覚えがあります。
    当時は違う持ち主になっていましたが。

    あの番組を見ながら、いつか世界に!と思っていた私。
    こうして今、あちらこちらに行かれる幸せをかみしめています。
    そして、
    「日本女性の優雅な立ち振る舞い、お茶の飲み方までもが、世界中の人に称賛されたと聞く。」
    と書かれれたpedaruさんのお言葉を忘れないように心に刻み込みました。

    ニコニコ

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2019/05/23 06:29:48
    RE: 憧れの方
    ニコニコさん おはようございます。

    世界を駆け巡った兼高かおるさん、そのあとを追うように世界53もの国に訪問するミニ兼高のニコニコさん、しかも一度の旅に38日間も滞在、驚きの日本女性です。
    その立ち振る舞いは優雅で、いつもニコニコ、世界の人々が注目します。

    当時は旅行をする外国人はアメリカ人の青年くらいだと思っていましたが、今では私たちも旅行に行ける世の中になりました。でもまだ海外旅行なんて夢だよ、という国の青年もいることを忘れないで、その幸せを噛みしめています(部分入れ歯ですが)。

    書き込みありがとうございました。   pedaru
  • ふわっくまさん 2019/02/27 07:49:49
    偉大な方だと・・・
    pedaruさん、おはようございます。
    兼高かおるさんはお名前は存じていましたが、改めてとても真似ができない偉大な方だったのだとお陰様で知る事が出来ました。

    pedaruさんは何十年か前に、病院のエレベーターで偶然ご本人に会われたそうで・・
    控えめな笑顔で会釈されたとは、素晴らしいですね。
    世界中の人から立ち振る舞いなど賞賛されたとは、ほんの1ミリでも見習っていきたいと思いました。
                   ふわっくま

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2019/03/02 07:28:26
    RE: 偉大な方だと・・・
    ふわっくまさん おはようございます。

    兼高かおるさんは、あの時代女性の先端を行く人でした。単身アメリカに留学したことですら当時としては驚きの行為です。

    何事にも臆することなく、日本人女性初ということを次々とやって抜けましたね。
    旅を愛する4トラベルの女子の鏡のような女性でしたから、親しみを感じます。

    あのような旅番組が放送されることを願っています。

    pedaru
  • dankeさん 2019/02/12 02:53:01
    兼高さん
    Pedaruさん、

    大変興味深く読ませて頂きました。兼高さんのことを初めて知ったのは、数年前、このフォートラベルの「旅するうさぎさん」が彼女のことを記されていたときです。

    今からは予想もできないほどだったとは思います。今でも大変な偉業ですが。このような方たちがいらしたからこそ、後世の女性たちが日本外を一人で旅したり住んだりしやすくなったと、感じております。

    一度彼女に遭遇されたことは、pedaruさんの記憶にずっと残っていたのですね。本当に上品な方はいつでもどこでもどんな方にでもそうである、鏡のような方だったのですね。そして彼女は旅を本当に愛してらしたのですね。

    わたしもぜひ彼女の本を手にしてみたいです。

    pedaruさんの色々な想いが伝わってきました。

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2019/02/14 06:13:17
    RE: 兼高さん

    dankeさん おはようございます。

    思いつくまま即席で書いてみました。我々旅好きには教祖のような方ですね。

    彼女も述べているように、日本女性の優雅な振る舞いは、世界中の人々を魅了したといいます。今やどこにでも出かける日本女性、兼高さんを見習ってほしいものですね。

    dankeさんも度々ヨーロッパを旅行されて、向こうの方に大和なでしこの魅力を知らしめているかと思われます。たんなる観光だけではなく、交流を深めるのも大切なことですね。

    書き込みをありがとうございました。

    pedaru
  • kummingさん 2019/02/10 20:40:05
    懐かしく…
    あの、兼高かおる、と言えば通じる世代^ ^
    更に、1ドル350円を知る世代。
    兼高かおるの訃報に接した時は、本当に驚きました。
    数日~数週間前に、アノ徹子の部屋に出演された時の映像を見ていたからです。
    もしかしたら、番組は訃報の後だった?としたら、捏造してますが(-。-;
    とにかく、何かの媒体で兼高さんの情報に接した直後だった、という事です。
    兼高さんと黒柳さんの間にあったであろう、特別な関係性を窺い見る思いでした。

    記憶は朧げですが、子供の頃、毎日曜日の朝、パンナムのlogoの入った飛行機に乗り込み、颯爽と降りる、兼高さんの姿に幼いながら羨望と感嘆の思いで見入っていました。
    まだ庶民には世界旅行が庶民には手の届かない、夢の世界だった頃、日本人の先駆け的に世界中を旅し、その素晴らしさを、お茶の間に届けて下さった。
    ○○ですのよ~、と上品ぶって、ではない、生まれと育ちの良さを感じさせる話し方、物怖じしない、けど押し付けがましくない態度、素敵な女性でした。
    ありがとうございました!
    最後に、兼高さんを偲ぶ場、を設けてくれた師匠、さすがです!^ ^
    エレベーターでの遭遇とはまた、すごいチャンスでしたね?サインとかセルフィー、メルアドの交換とか?

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2019/02/14 05:53:12
    RE: 懐かしく…

    kummingさん おはようございます。

    独特の語りで印象深い兼高かおるですが、一時代を気づいた人が逝くのを知るのは寂しいものですね。
    当時海外旅行などは全く縁のない別世界のものだと思っていました。幸いにもに日本は経済発展をして誰でも行くことが出来るようになりました。

    kummingさんが兼高かおるをご存じだとは意外でした、若い人にでもしれわたっているのですね。

    > エレベーターでの遭遇とはまた、すごいチャンスでしたね?サインとかセルフィー、メルアドの交換とか?

    笑わせてもらいました。当時はポケベルもない時代、できるのはせいぜい、付け文、相手の袂にそっと忍ばせる、とか直訴、細い竹のさきを割って書状をはさみ、お畏れながらと片膝をついて差し出す、くらいなもの、それも前もって用意してからです。私もよくやったものです。無い、無い、それはない!

    兼高さんが微笑んでくれたのは、すでに外国人の感覚が身についていたからでしょうね。

    書き込みありがとうございました。


    pedaru


  • 横浜臨海公園さん 2019/02/10 12:06:07
    兼高かおる 世界の旅
    pedaruさま、こんにちは。

    兼高かおるさんがお亡くなりになり、小生も悲しんでいる1人です。
    小生がこの番組を見ていたのは昭和38年(1963年)から昭和40年(1965年)だけでしたが、その時の印象が極めて強く、後に大学入学と同時に、ツアーコンダクターに憧れ、その為に旧一般旅行業取扱主任者資格を取り、交通公社で海外旅行専門のツアーコンダクターのアルバイトで70カ国弱を廻りました。
    当時は、海外で日本人の姿を見かけることは少なく、見るも聞くもはじめての世界であり、今の自分にとって教訓となった経験をさせて戴きました。

    あの様な人は、もう今後出ないでしょうね。



    横浜臨海公園

    pedaru

    pedaruさん からの返信 2019/02/14 05:24:06
    RE: 兼高かおる 世界の旅
    横浜臨海公園さん おはようございます。

    かねてより精力的に執筆をされていて、作品は孤高の感がありますが、それのみならず、ツアーコンダクターとして世界を駆け巡り、70か国も訪問されたとは、初耳ですし、驚きです。
    兼高かおるの業績は言わずもがなですが、臨海公園さんも彼女に近い仕事をなさっていたのですね。改めて尊敬の念を強くしました。

    書き込みをありがとうございました。

    pedaru

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