2019/02/05 - 2019/02/05
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minaMicazeさん
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地方新聞のWebサイトに「足利学校の寒紅梅が開花した」との記事があったので、見に行きました。確かに門の両側に梅の木があり、右側の寒紅梅はたくさん咲いていました。左側は白梅で、やっと咲き始め、です。この他に「足利学校」敷地内には数本の梅の木があり、開花が進んでいました。ただ、梅を目的に行くほどの、木の数や花の量ではないと感じました。
隣の「鑁阿寺」にも数本の梅の木があり、こちらは開花がだいぶ進んでいて、綺麗でした。
旅行記作成に際しては、パンフレット「足利学校」、現地の説明板、足利市と足利市観光協会のホームページ、その他関連するネット記事を参考にしました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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「鑁阿寺」を通って「足利学校」へ行きます。写真は、「鑁阿寺」の日本庭園の西にある「鐘楼」です。
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「鐘楼」は、建久7年(1196)に開基足利義兼公が建立したものです。
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「鑁阿寺」を通り抜けて、南側の「山門」から出てきました。
「山門」は、開基足利義兼公が建久7年(1196)に創建したが、室町時代に兵火にあい、足利幕府13代将軍足利義輝が永禄7年(1564)に再建したものです。
右に見える「反橋(太鼓橋)」は、江戸時代安政年間に再修されたものです。 -
「山門」から南へ歩くと、参道沿いに、歴史を感じさせる建物があります。
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振り返って参道を見ると、右奥に「山門」が見えます。
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相田みつを氏にゆかりがある、との説明板があります。
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「鑁阿寺」の参道の途中から東へ歩くと、「足利学校」があります。
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観光客が出入りするのは「入徳門」です。「足利学校」に入る最初の門です。
「入徳」とは、「徳に入る」「道徳心を習得する所に入る」すなわち「学校に入る」という意味です。
扁額「入徳」は、紀伊徳川家11代藩主徳川斉順(なりゆき)の書で、天保11年(1840)に掲げられました。 -
「入徳門」を入ると、奥に2つ目の門が見えます。その門までの途中、右に参観券売所があります。
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参観料は420円です。現金以外では、交通系電子マネー(スイカなど)だけが使えます。
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券売所の横に建てられている「史跡足利学校復原の碑」です。明治初期に小学校として使われ始め校舎も建てられていましたが、昭和57年に小学校が移転し、「足利学校」の復原が始まりました。
でもね、奈良文化財研究所によると、「復元」は遺跡で発掘される建物の痕跡(遺構)から上部構造を考え、建物を新築すること、「復原」は、文化財建造物の修理の際に用いる言葉で、建物の改造の痕跡をもとに、改造前の姿に戻すことを意味します。
と言っているので、「足利学校」の場合は「復元」に近そうにも思います。 -
2つ目の門へ行く手前の左側に「孔子像」と「稲荷社」があります。
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参道横の「孔子像」です。「足利学校」には、孔子を祀る「孔子廟」があり、中には「孔子座像」がまつられています。
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その隣には「稲荷社」があります。「足利学校」の鎮守である稲荷大明神を八幡台菩薩と合祀した、と天文23年(1554)の棟札に書かれているので、それよりも古い時代に創建されたと考えられています。
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社殿は創建当時のものと思われており、明和9年(1772)に、梅や竜などの彫刻を取り付けたそうです。
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イチオシ
ということで「足利学校」に入る2つ目の門です。門の右には寒紅梅、左には白梅の木があります。
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左の白梅は、ほんの数輪が開き始めたところです。
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ほとんどが、まだ蕾です。
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せっかくなので、開いている花を撮っておきます。
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右側が、メディアで開花が報じられた寒紅梅です。樹齢は44年だそうです。さほど大きな樹でもなく、花いっぱいという訳でもありませんが、「足利学校」の門の横にあるということがニュース、ということなのでしょうか。
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イチオシ
この門は「学校門」と呼ばれています。日本で唯一の「学校」の額がかけられた門です。寛文8年(1668)に建てられたものです。
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こちらも、せっかくなので、撮っておきます。
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開花から時間が経っているためか、傷んでいない花が、あまりありません。
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しかも1輪だけで綺麗に咲いてる花は、結構見つけ難いと思います。
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内側から見た「学校門」です。
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「学校門」を入ってすぐ左にある建物は「遺蹟図書館」です。足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903)に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915)にこの建物が完成し開館しました。足利市重要文化財です。
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「遺蹟図書館」の北側に「収蔵庫」があります。国宝などの典籍を保管するために昭和42年(1967)に建てられました。
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中央付近に「字降松(かなふりまつ)」があります。
足利学校の学生が、読めない字や意味の解らない言葉などを、紙に書いてこの松の枝に結んでおくと、翌日にはふり仮名や注釈がついていたことから、「かなふり松」と呼ばれるようになった、という伝説があります。この木は、その伝説に基づいて植栽されたものだと思います。 -
その北側には「孔子廟」があります。孔子を祀っている「大成殿」は工事中です。
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「孔子廟」の門は「杏壇門」です。寛文8年(1668)の創建ですが、明治25年(1892)に学校西方の火災により屋根と門扉が焼け、明治33年(1900)に再建されました。
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「孔子廟」の東には「方丈」と「庫裡」があります。どちらも平成2年(1990)に建てられたものです。
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「方丈」の南側、「南庭園」には白梅があります。
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開花が進んでいますが、まだまだ蕾の方が沢山あります。
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咲き始めなので、花のほとんどが傷んではいません。
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「南庭園」の南側から見た「方丈」です。
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この白梅も開花が進んでいます。
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「南庭園」の紅梅(寒紅梅?)です。
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まだ開花していない蕾が見られますが、花数は少なめです。
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「入徳門」から出てきました。当初建てられた門は天保2年(1831)の鑁阿寺安養院の火災で類焼し、天保11年(1849)に修築されました。しかし、それも腐朽したため、明治42年(1909)に裏門を移築した、と伝えられているそうです。
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「入徳門」から出て東へ歩くと「裏門」があります。一般の人や学生が出入りをしていた往時の通用門です。復元された建物です。
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「裏門」の前(南側)に、ロウバイが咲いていました。満開です。
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「足利学校」から「鑁阿寺」へ戻ってきました。
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木木の花がほとんど落ちているので、多宝塔がよく見えます。
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参道の右側に白梅が咲いています。
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御地蔵様の後ろ側です。
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足利学校の白梅よりも、開花が進んでいます。
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ふっくらとした綺麗な白梅です。
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白梅の横には紅梅が咲いています。
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紅梅の向こう側(東側)に鐘楼があります。
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境内の北側、鑁阿寺本坊の横にも紅梅が咲いています。
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ほぼ満開です。
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満開になると、傷んだ花が増えてきます。
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綺麗な花を見つけるのは難しいですね。
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Webサイトの記事をきっかけにして梅を見に来ましたが、途中から曇ってきたこともあって、期待したほどではありませんでした。梅は、数が多くないと(植栽エリアが広くないと)難しそうですね。今日はこれで終わります。
( おしまい )
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