2018/12/29 - 2019/01/02
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satoshiさん
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2019年のお正月休みの時の旅行記です。当初、お正月休みが12月30日から1月3日の予定だったため、31日から2日までの間、世界遺産の宗像大社中心に廻る予定を立てていたのですが、直前になって29日も休めることとなり、以前から行って見たかった琴平、吉備を急遽付け加えました。今回、いろいろ準備不足(情報収集が十分できたかった)為、現地での予定変更が多くバタバタな感じとなってしまいました。
旅程
12月29日、6:20発新幹線にて名古屋発。岡山にて特急南風に乗り替え10:00頃琴平着
琴平観光
15:45頃特急南風にて岡山移動。岡山泊
12月30日 9:00岡山駅前のトヨタレンタカーでレンタカーを借りる。
吉備津彦神社、吉備津神社、鬼ノ城、国分寺、造山古墳、備中高松城跡を見学
レンタカーを返却後、15:30頃の新幹線で小倉に移動。小倉泊
12月31日 小から JR鹿児島本線で東郷に移動。東郷駅でレンタサイクルを借り宗像大社、新原・奴山古墳群を見学。夕方
博多移動。博多泊
1月1日 博多から始発で東郷駅移動。東郷駅から神湊渡船ターミナル移動後、フェリーで大島に渡る
大島観光。その後来た道を東郷駅まで戻る
博多までの帰りに吉塚で下車。筥崎宮で参拝。博多泊
1月2日 7:00頃の新幹線で小倉へ移動。小倉でレンタカーを借りて宇佐まで移動
宇佐神宮参拝、富貴寺見学後小倉に戻りレンタカー返却。その後小倉城を見学後名古屋まで新幹線で戻りました。
年末年始だと神社やお寺以外の観光地はほとんど休みで結局神社巡りの旅となりました。
こちらは2日目の吉備編となります。
当初、国宝建築物である旧閑谷学校と吉備津神社を電車で巡ろうかと考えていたのですが、旧閑谷学校が年末年始休館と前日の夜、スマホで旅程を確認中に気が付き急遽予定変更。そもそも琴平、岡山自体が急に決めたため計画の詰めの甘さが出ました。ならば吉備津神社を中心に貸自転車で桃太郎伝説関連個所を廻ろうと付近の名所を調べると鬼ノ城が気になりだす。でもここに行くには自動車が必要みたい。自転車では無理だろう。スマホからトヨタレンタカーの予約をしました。スマホで観光名所を調べつつ廻ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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岡山駅西口のトヨタレンタカーでレンタカーを借ります。お店は8:00オープンですが、レンタカーが前日夜の予約の為9:00からの予約となりました。ダメもとで早めの8:30頃尋ねてみたら問題なく借りることが出来ました。お店に着いてから気が付いたのですが、鳥取に旅行した時もこのお店で車借りました。8:50頃に吉備津彦神社到着。吉備津神社と紛らわしいですが別の神社です。
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駐車場に車を止めて参拝。寒波の所為か大変寒い。吉備の国は古代大変勢力があり、大和朝廷が支配下に置いた後も持統天皇の時代に備前、備中、備後、美作と4分割されて勢力をそがれたそうです。で、この吉備津彦神社の後ろの中山が備前、備中の境界線となりました。境界線の反対にある吉備津神社がそれまでの吉備の国の総鎮守で中山を御神体としていたのですが、分国の為備前側にも分霊して吉備津彦神社が誕生。そのほかにも備後の吉備津神社も分霊されたそうです。中山を挟んで吉備津神社、吉備津彦神社どちらも中山を御神体とした備前、備中の一宮となっています。吉備津彦との関係から桃太郎伝説の発祥の地ともされてますね。
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拝殿、本殿を横から。年の瀬の朝早いせいか人が少ない。ちょっと肌寒い感じがして直ぐに吉備津神社へ移動しました。
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9:10頃吉備津神社到着。吉備津神社は吉備津彦ゆかりの神社で吉備津彦は第7代孝霊天王の第3子で四道将軍の一人として山陽道に派遣されたそうです。この中山に霊廟があり、この地での鬼退治の伝承が桃太郎伝説と関連付けられています。
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鬼退治の伝説を少々。吉備の外から来た温羅という鬼が鬼ノ城に居城し吉備の国に製鉄技術を伝えこの地を支配していました。大和朝廷から来た吉備津彦が温羅と戦うためにこの吉備津神社を本陣として吉備津彦、温羅双方矢を打ちかけたが空中で衝突した。次は2本同時に打ちかけると1本が裏の左目に当たりました。その後温羅は雉に化けて逃げると吉備津彦は鷹に化けて追い、次に鯉に化けたら吉備津彦は鵜に化けて捕らえ打ち取ったそうです。写真は吉備津彦が矢を置いた矢置岩。
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鬼退治の伝説の続き。温羅の首はさらし首となったがそれでも時折うなり声をあげるので吉備津彦は犬に首を食べさせて骨だけにしたがそれでも静まらす土中に埋めたのですがそれでも鳴りやまず。やがて吉備津彦の夢に裏の妻の阿曽媛に釜を焚かせ吉凶占いをせよと告げた。それが現在の鳴釜となったそうです。現地やnetで拾った情報を纏めるとこんなところですが、少々の内容は違うかもしれません。写真は吉備津神社の北随身門。室町時代。国重文。
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南随身門を潜った先に授与所越に拝殿が見えてきます。
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拝殿、本殿を斜め前から撮影。日差しがまだ朝方で弱いので、残りの本殿の写真は後ろの方、日が出てからの写真をアップします。本殿は比翼入母屋造りと言われる形状で平入の入母屋の本殿を2連繋げた形の本殿で吉備津造というそうです。それに妻入り切妻屋根の拝殿が接合された形となっています。大きさも出雲大社や八坂神社に匹敵するほどの大きなものだそうです。本殿および拝殿として国宝指定。
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名所の一つ回廊です。これが長い。
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回廊を一回奥まで進み戻ってみる。途中、御釜殿によることに。
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御釜殿でその場に見えた巫女さんに鳴釜神事を受けれるか伺ってみる。と、受付で御祈祷を受けてそこで鳴釜神事を受ける様希望すると事。そうゆうわけで一旦受付まで戻ることに。受付で御祈祷代3000円奉納して住所、名前を申請。鳴釜神事希望と伝え、受付前の御祈祷書にて御祈祷を受けます。御祈祷は30分置き位で行うようで、待合で待っている間、モニターで温羅伝説の番組を見ていると引き込まれていって、なんか桃から生まれた太郎の話なんてどうでもよくて興味が吉備津彦と温羅の話だけになってしまった。写真は御釜殿。国重文。
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御祈祷は私以外にもう一組ありましたが鳴釜神事を希望したのは私だけだったようです。この後お札を受け取り、再び御釜殿に戻り巫女さんにその旨伝えると、それまで中で見学していた人を神事が始まりますのでと言って外に出してしう。私一人の為に申し訳ない。巫女さん(阿曽女と言うそう。以下阿曽女)の方から説明を受ける。釜の上にせいろがありその中に玄米を入れるとボーって言う汽笛のような音が聞こえる。聞こえたら吉。聞こえなかったら狂。又、聞こえ方によってお告げを自分自身で判断してくださいとの事。神官の方が見え祝詞が始まる。聞こえなかったらどうしようを不安になっていると阿曽女さんが玄米を振る。ボーと大音響で聞こえる・・・コレ、聞こえない人いるの?写真は御釜殿遠景。
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鳴釜神事が無事音が聞こえたので気を良くし、日が差してきたし再び本殿に戻ることに。回廊を行かず駐車場経由で戻ると226事件で凶弾に倒れた犬養毅元首相の像がありました。後で調べたら犬養元首相は岡山県出身で吉備津神社も関連があったようです。
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11:00頃。本殿横からのお馴染みの角度から。建物が画角に入りきらない・・・
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斜め後ろの階段上からの本殿の眺め。眺めていて不思議に思ったのですが、寺院建築に見られる組み物が軒に見える。組み物他の神社でも見えるので不思議でもないのですが・・・多少違和感を感じて後で調べたら挿肘木等、大仏様式を取り入れた唯一の神社だそうな。11:10頃吉備津神社出発。
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11:50頃鬼ノ城駐車場着。40分かかりました。登り道も多く、道幅は狭いが、自転車ではとても来れませんでしたね。近くに鬼ノ城ビジターセンターというものがあるらしいが年末年始は休業との事。
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学習広場という不思議な名前の展望台から復元された西門の眺め。道中ガイドマップがあったので見てみると1週コースが1時間から2時間とある。なんでもねちっこく見るタイプですが、ここに2時間は割けない。また急な計画による詰めの甘さが出てしまった。そんなに大きいんだ。この山城。仕方なく第二水門までの往復とすることに。
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西門のアップ。まずあそこに行きます。
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西門到着。鬼ノ城は発掘調査で7世紀後半(600年代後半)築城と分かったそうです。恐らく天智天皇の時代、白村江の戦いの敗北後、唐の上陸に備えての防衛陣地だったのではとの説もあります。先程の温羅伝説によると温羅が居城にしていたこととは時代が合いませんね。
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西門を内側から眺めました。
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更に進んで第2水門。ここらで引き返します。
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再び西門。12:30頃。鬼ノ城を出発。
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13:00、備中国分寺到着。国分寺は聖武天皇勅命の官製のお寺ですね。もちろん今では官ではないですが由緒あるお寺であります。
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国分寺の遠景
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五重の塔。吉備路のシンボルになっているそうです。江戸後期。国重文。
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造山古墳に移動。全国4位の大きさだそうです。被葬者は不明との事。古墳に登ってみる事に。
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後円部の頂上から備中高松城跡方向の眺め。戦国時代、豊臣秀吉の備中高松城水攻めの時に敵対側の毛利勢がこの古墳の後円部を削り取り陣地にしていたという歴史があるそうです。14:00頃造山古墳を後にして戦国繋がりで備前高松城へ。
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14:15頃備前高松城到着。温羅から始まって古墳経由で戦国時代。歴史が好きとは言え時間軸の飛ばし具合に我ながら頭がくらくらする。写真は二の丸付近(だったはず)
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本丸跡。意外と三の丸、二の丸、本丸の敷地が狭い。ここに3千人近くの兵が1か月近く籠城したかと考えると確かに絶望しか感じないかもしれませんね。想像すると恐ろしいです。
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本丸にある城主、清水宗治の首塚です。清水宗治は自分の切腹と引き換えに高松城の降伏をした城主で、高松城の降伏を見てから豊臣秀吉の中国大返しが始まりましたね。歴史の転換点になった場所だと思います。14:30頃高松城を後にして吉備津神社に行ったときに気になっていた中山にある大吉備津彦命墓に行ってみる事に。
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14:30吉備津神社駐車場に戻り、神社裏の登山道から大吉備津彦命墓を目指します。
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お墓までの最後の長い階段。前日は金毘羅さんで長い階段を登ったけどこの日はそんなに階段上がることないだろうと高を括っていたが甘かった。
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15:05頃大吉備津彦命墓到着。
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大吉備津彦命墓前にある備前と備中国境石。今となってはあまり意味もないけどでも気分が出て感じが良い。
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帰りに吉備津神社にチラッと寄ります。午前中撮影し忘れた回廊の途中にある南随身門。室町時代。国重文。
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回廊の長さが実感できるショット。他の人が撮影していたのを見て真似しましたらいい写真が撮れました。帰り際おみくじを引いたら小吉だったかな。大吉連続記録途切れる。この後レンタカーを返却し新幹線に乗る為岡山駅に向かう。
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夕食に岡山駅駅ビルにある旬すけというお店で天ざる蕎麦を頂きました
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17:28発の新幹線で岡山から小倉へ移動。
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19:00頃小倉駅到着。駅の北口に出るとアニメ「銀河鉄道999」の哲郎とメーテルが出迎えてくれます。ここに訪れて知ったのですが原作者の松本零士さんって久留米出身だったのですね。
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横を見たらキャプテンハーロックもお馴染みの立ち姿でお見えになりました。私の若いころはアニメや漫画って当時の大人たちに子供の物といった扱いで、駅前広場に銅像なんてありえなかったのですが、最近は銅像やラッピング電車等、経済効果もあるのでしょうが文化として根着いてきてよかった気がします。この後この日のお宿東横イン小倉駅新幹線口にチェックインします。
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ホテルに荷物を置いて食事をとりに小倉駅の駅ビルをぶらぶら。999の車掌さん発見。こちらはカラーバージョン。
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駅ビルのレストラン街でリンガーハットに入りました。小倉まで来てリンガーハットもないだろうと思いつつ、皿うどんの誘惑に負けました。そーゆー訳で皿うどん。美味しく頂きました。この日は予定を変更しまくった所為かバタバタでどうも中途半端な感じがしました。テーマを温羅伝説に絞るか備前高松城攻めに絞るか、どちらかに絞った方がよかったかも。どちらのテーマもまだ見れてない見どころがありますし。この後宗像編に続きます。
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