2003/08/03 - 2003/08/10
694位(同エリア1266件中)
スタリモストさん
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国立民族博物館で「曼陀羅展」を見たのが、カトマンズ行きのきっかけとなった。今までヒマラヤの国としてしか認識がなかったネパールだが、この国がつくり出した仏画や仏像の緻密さと美しさに目を奪われた。
建造物にほどこされたレリーフに独自の様式があることも知った。購入した展覧会のカタログを参考に、自分なりに「タンカ」(仏画)を何点か描いているうち、これはもう現地で見てくるしかないと思い立った。
※2015年4月25日に発生したネパール大地震によって、貴重な歴史的建造物が多数倒壊した。
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■1日目(8/3日)
関空のチェックインカウンターには10:30着いた。フライト予定の2時間前だから、理想的な到着だったのだけれど、飛行機未着で、2時間遅れとなり迷惑料500円を受け取った。
搭乗したロイヤルネパール航空RA412便(往復95430円)は、カトマンズまでの唯一のダイレクト便だが、アームレストは壊れていたし、窓にはガムテープが貼られていので、ちょっとこれ大丈夫?・・と一抹の不安を抱いた。
上海に給油ための立ち寄った。タラップに立つと上海は燃え立つように暑い。あとで知ったが、40°近くまで気温が上がりそのために死者も出ていた。一旦待合室に入るが、ここはガンガンに空調が効き寒いくらい。フライトスケジュールを見るとカトマンズを「加徳満都」と表記していた。・・徳が加わり、満ちて都となる・・これはいい。彼地への期待を膨らませてくれた。
20時頃ドリヴァン空港に着陸。満席の機内から拍手がおこった。機体も古かったし、気流が安定せず離着陸が難しい(と聞いていた)飛行場なので、内心ホッとした。今回はビザをとって行かなかったので、Noビザのイミグレに並ぶ。
30$と申請用紙と出入国カードと顔写真をパスポートに挟んで渡したら、3人の係官が手際よく処理して無事通過した。何も聞かれず、何の問題もない。
しかし「ビザ発給」というのは、入国にたる安心できる人物であることを審査する必要があると思うのだが、これはなんと安直なことか。
外に出る。実に多くの客引き・・・これはすごい。日本から予約を入れておいた「フジゲストハウス」のジーバン氏を見つける。カトマンズに来て、伊豆・箱根にある旅館のような所に泊まることになったのは何故か。たまたまインターネットでタメル地区にあるこのゲストハウスがヒットし、一泊12$(シングル・スタンダード/ホットシャワー・トイレ付き)に目がとまったのだ。※ホットシャワー・トイレ共同タイプだと4$。親日家のオーナーなので「フジ」とネーミングしたという。
ジーバン氏に促され、同宿する若者達とともにタクシーに乗り込む。日本だったらほとんど廃車にするだろう代物。それだけでなく運転の荒いこと。間断なくクラクションをならし、追い抜き不能な狭い道路でもあわよくば先に出ようとした。
「フジゲストハウス」は、4階角部屋の小綺麗で快適なツインルームをあてがってくれた。 -
■2日(8/4月)
朝、ゲストハウスの屋上にあがった。曇天の空。西にスワヤンブナートも見える。建築中の隣のビルの屋上では、一人の女性が朝の祈りを捧げている。
木々が生い茂る一帯から、白い帯を喉にうっすらと浮かべたカラスが、けたたましい声を発しながらが飛び立っていく。
この1週間いろんな発見がある楽しい旅となることを願う。
ゲストハウスでオムレツとパン・コーヒーの食事をとり、出かけた。
※タメル地区界隈 -
今日はダルバールスクエアとスワヤンブナートの観光をメインにすえた。
近くのyak money exchangeで1万円を両替する。6040ルピーがもどってくる。再両替が必要な場合にそなえて、パスポートの写しをみせてレシートを書いてもらうことにした。
ルピー(rs)に1.6をかけると円になるが、実際に使ってみると、日本の20分の1程度のお金で暮らせるのではないか。
フジゲストハウスのあるタメル地区は、世界各地から来るツーリストが大集結する場所だ。無国籍なレストランや土産物屋、旅行業者、ゲストハウスが林立していた。ここから南に歩けば30分程度で、旧王宮・ダルバールスクエアに行き着くはずだ。
※タメル地区界隈 -
タヒティーチョーク(チョーク=交差点)が近づくにつれ、カトマンズの朝のにぎわいを体感することとなった。狭い幅の路地や車がやっとすれ違える道路が縦横に走っている。小さな間口の店が軒をならべ、そこかしこにありとあらゆる露天商がひしめき合う。昨夜の雨で道はぬかるみ、歩きにくいことこの上ない。
ネパリたちは所かまわず唾をはく。ゴミをどんどん路上に捨てていく。インドと同じくカーストが今尚この国には存在していて、最下層のカーストが捨てられたゴミを回収していく。
※アサン・チョーク -
タヒティーチョークからアサンチョークとインドラチョークに道が別れる。「どちらを行ってもいいや」と気楽に歩いていたが、写真を撮って行きつ戻りつしているうちに、位置がわからなくなった。こうした体験は、ここを歩くたびに何回も繰り返すことになる。方向感覚は良いほうだと思っていたが、これは何としたことか。目をつむり、何回か回って目をあけたら、違う場所に自分がいた・・・。そんな異界の迷路に分け入ったような幻惑感を覚えた。
※ダルバール広場近く -
土産物店の店先にて
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箪笥が歩く・・
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ダルバール・スクエア(宮廷広場)にたどりついた。迷ったために、バサンタプール広場側からの入場となった。これといったゲートがあるわけではないが、詰め所から「Excuse me Sir」の声がかかり呼び止められる。入域料200Rsをはらう。外国人のみに課せられた入域料は随所で設定されている。
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スクエア中央に位置しているシヴァ寺院の階段を登り、壇上からスクエアを見渡す。かの有名なクマリの館が右手前、右手後ろに1本の巨木から建造されたカスタ・マンダプ寺院。左手前にナラヤン寺院、正面にハヌマンドガ(旧王宮)、その後ろに王室専属のタレジュ寺院がみえる。
これらの建築物には、マッラ王朝時代の建築様式が色濃く残る。レンガの壁に、精密な木彫の窓枠がはめ込まれている。神々を彫刻した方杖(ほおづえ)で軒を支えている。この方杖彫刻は様々なヴァリーションがあり見ていてあきない。こうした建造には、ネパールの語源にもなったネワール人の職人たちが携わってきたのだ。
腰をおろし、柱に背中を預け足をのばす。実に心地よい風が吹く。じっとしている。眼下に行き交う人々を眺める。
物売りたちが、ククリ(剣)やペンダント、仏像を持って上がってくる。「Sorry no thank you」をくりすえす。
「ガイドはいらないかないか」と、何人も現れては消えていく。ガイドを頼んで詳しい説明を聞いても、ノートをとらない限り抜けていく。それよりも五感が感じることを大切にしようと思った。1人のガイドは、「・・3年前、ネパール王宮で皇太子が発砲し、国王を含め沢山の皇族を撃ち殺し、自らも自殺した事件が発生したり、最近ではSARS。そうした事もあって、観光客が随分減り、ガイドになかなか客が付かない・・」、とこぼしていた。 -
カスタ・マンダラ寺院
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シヴァ・パールバティー寺院
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ジャガナート寺院は、縁日で、参拝する人達で一杯だった。手向ける花売りの屋台が並び、何人もの占い師が手招きする。沢山の物乞いも手をのばしてくる。
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ハヌマン・ドガ
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タレジュ寺院
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クマリの館正面
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クマリの館の中庭に入る。一歩中に足を踏み入れると、外とは比べようもなく静謐。朝の光線が差し込み、建物壁面にうがたれたネワール彫刻も最高に浮かび上がっている。生き神のクマリが住む館である故に神秘性も増す。クマリは4~5歳のバンフラ又はサキアのカーストの女の子から選ばれるというが、初潮を迎えると、その任を解かれ次のクマリが選ばれる。2階の窓から顔を出すこともあるとガイドブックに書いてあったので、待ち続けたが現れなかった。
この場所はとても心地よい場所だった。その後も幾度かこの中庭に佇んだ。 -
時計を見れば12時を回っていた。喉も渇く。インドラチョーク近くの壁に「Restaurant Annapurna」の小さな看板が見えた。ゲートをくぐってもそれらしいものがなかったが、中にいた子供が指をさす方を見ると机と椅子が並んでいる。天井も低く頭がつかえる程。客は一人もいないし、店員もハイティーンばかりの模擬店風。大丈夫かなあと思いつつ座ったら、英語メニューが置いてあった。エッグカレーと「モモ」(ネパール餃子)とビールを注文した。サンミゲルは旨かった。汗をかいていたこともあり喉にしみた。客がずっと1人だったので、店員みんなの視線がこちらに集まる。落ち着かないが開きなおる。野菜モモとカレーには、ご飯が付いていなかったので、「Rice please」と注文したが通じない。仕方がないので、厨房が見える所に行くと、丁度そこで若い女の子がご飯(ネパールの常食ダルバード)を食べていたので、指さして、「それそれ」で通じた。
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しばらく休んで外に出た。強烈な陽射しだった。帽子をかぶりサングラスをかける。
高台にある「スワヤンブナート寺院」に歩いて行こうと思ったが、この陽射しでは無理だろうと思ってリキシャを拾った。
三輪自転車の後ろに人が腰掛けられるシートがあり、屋根がついている。男の汗まみれのシャツの背中を見ながら乗るわけだが、道中はチェーンが外れる程の悪路で、尻に激烈な振動が伝わった。 -
スワヤンブナート寺院近くの学校
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スワヤンブナート寺院のゲート
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スワヤンブナート寺院に至る急勾配の石階段は、とてもきつかった。・・暑いのと先ほど飲んだビールで酔いが加わったせいだろう。
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汗をぶるぶるかいて寺院に至った。そこから見渡せたカトマンズ盆地の眺望と吹く風は大変気持ち良かった。余り広くない境内は、沢山の参拝客や外国人観光客で一杯だった。
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中央の巨大なストゥーパには大きな目が描かれている。猿たちが供物に手をのばす。
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マニ車を回す信者がたえない。
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ストゥーパの横にあるチベット仏教カギュ派のゴンバ(僧院)から、読経が流れてきた。
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「中に入っていいか」と僧に聞くと気持ちよく良いと言ってくれた。靴を脱ぎ座り堂内の壁にもたれた。1m前には大きな僧の背中がある。祭壇の左右に高座がもうけられ、15人程の僧が座っている。
読経の合間に、子供の修行僧がチュエ・ガ(太鼓)をたたく。トュンチェン(長管ラッパ)が地鳴りをあげる。ブクチェル(鉢シンバル)がうち鳴らされ、ギャリンがオーボエのような音色を発する。チベット仏教音楽の「マハカラ・ブジャ」を、ここで聞けるとは思わなかった。読経の声も低い音が重なって一種のうねりを作り出す。全てが停止したと思えば、また、導師の一言で蝉時雨のように読経が始まる。それは1時間以上も続いた。まさに「音曼陀羅」の世界だった。
堂内の祭壇には、タンカ(仏画)とともに、最高位のリンポチェ(活仏)であるダライ・ラマの肖像写真も掲げられていた。
いつからか雨になっていたのだろう、窓から小雨が吹きこんでいる。汗がひき、心静かになっていった。 -
「マハカラ・ブジャ」が心も体のリフレッシュしたし、雨上がりなので涼しい。歩いてもどることにした。階段を下りた所の参道入り口交差点では市が立っていた。バスの発着場でもあるのでにぎやかだ。リンゴの甘酸っぱい匂いが鼻をくすぐり足がとまった。ピラミッド状に積み上げられたそれを2つ秤にかけてもらった。
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チェトラパティからタメルチョークに向かう途中に「味シル」という日本語表記のレストランの看板が出ていた。「味のシルクロード」の略だ。2階にある店内に入る。
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メニューも日本語。カツ丼と卵焼きを注文・・。カトマンズ初日のディナーが、何故カツ丼になってしまったのかと、自分に笑いながら食べ始めた。しかしカツ丼は微妙に甘く微妙に肉の臭みが抜けていないし、量たるや特盛り状態。ほとんど残してしまった。しかし付け合わせのダイコンおろしは美味しかった。胃腸の調子も少しおかしいのだろう。
タメルチョークにもどり、インターネット屋の一軒に入り自宅へメールを送った。日本語入力が可能でなかったので、ローマ字表記になってしまったが・・。
写真屋「Digital image world」にフィルムを預けた。店内はクーラーがかかっていて、奥の部屋の機械で焼き付け作業をしている。いかにも信頼ができそうなので、写真はすべてここに持ち込むことにした。 -
■3日目(8/5火)
今日は、「ボダナート」「バシュバティナート」「パタン」へ回る予定だ。
まず、タクシーでチベット仏教徒の巡礼地であるボダナートに行った。この界隈には、中国による弾圧で亡命したチベタンが多く住んでいると聞く。 -
巨大なストゥーパのまわりを、たくさんの巡礼者がマニ車を回しながら、時計回りに歩いている。これを取り囲むように、仏具屋、土産物屋、ゴンバが軒を並べる。
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ゴンバの中には巨大なマニ車もあった。
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ストゥーパへは、階段が付けられていて上がることが出来た。
大きな目の下に座って、巡礼の人たちを見続けた。 -
歩いてパシュバティナート寺院に向かった。見知らぬ田舎道を、こうして1人歩くことがとても気持ち良い。何回か道を尋ねる必要があったが、ネパリは親切に対応してくれた。
パシュバティナートは、インド亜大陸に存在する四大シヴァ寺院の一つだ。
このヒンドゥー寺院にも、多くの参拝者が詰めかけていた。ヒンドゥー教徒以外の入場は禁止されているので、アルエガード(火葬場)の方に回る。 -
外国人はここでも入場料が徴収される。Rs75とガイドブックには表記されていたが、Rs250に値上げされていた。お金を払って火葬場に入るのもおかしなものだ。
まだ10時頃だったが、バクマティ川横につくられた三つのガードから黒煙があがっていた。太い薪が井桁に組まれ、その上に死体が横たえられている。その上に藁がかぶせられ、もうもうと黒煙を上げているが、体の輪郭は明確だ。手が藁の間から突き出ているのも見える。インドのバナラシのガードでは写真撮影は厳しく禁止されていると聞いていたが、ここは全くとがめられることもなく、どこか潔さのような空気があった。
橋を渡り、ガートの対岸に座って、荼毘にふされていくその有り様を見続けた。竹棒を持った男が、足や手を折り曲げ重ねていく。黒煙の中で骨の白さが浮き立ってくる。黒煙は風向きによってはこちらにもたなびく。藁と木の匂いとともに、人間の肉の焼ける匂いが漂う。だんだん躯(むくろ)は小さくなっていく。そしてやがて粉々になっていった。男は、焼け残った薪も含めて、骨と灰になった躯をバクマティ川に流した。
その後、ガートは箒ではかれ、川から水をバケツでくみ、流し、一切が終わる。遺族の人達は一連の作業をガードの後ろにある控え所から、ただひたすら見続けている。
白い布につつまれた遺骸がまた、運ばれてきた。同じことが繰り返される。川下では、子供が素っ裸で泳いでいる。女性が洗濯をしている。強い陽射しが照りつける。手が焼け汗がにじみ出る。頭の中が白くなる。
※母子が見つめる対岸がガート・・日常生活にガートがある。 -
バクマティ川対岸から見たパシュバティナート寺院
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ガードの横にも小さなヒンドゥー寺院があった。そこにたむろしていた男たちが、ニヤニヤ笑いながら、寺の一画を指さして、「見てみろ」と促す。目を向けると、そこの柱には、男女の性交のあからさまな姿が、色んなバリエーションで刻まれていた。これを見せたかったのだ。そして私の反応を見たかったのだろう。
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滑稽なまでのその姿から、溢れるばかりの性と生の讃歌を感じた。・・・・しかし、その横のガードでは姿態が焼かれていく。ここは死と生が仲良く同居している場所なんだ。
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近くにはマザーテレサが建てた文字通り「死に行く人の家」と言うべき病院があった。
中に入り、中庭を歩いた。老人が、溢れるばかりの笑顔で「ナマステ」と挨拶をくれた。
その老人もやがて、ガードに横たわる。
自分の宗教観について思いをはせた。臨済宗の檀家ではあるものの、深い信仰心はなく、葬儀の際に世話になる程度だ。それに比べて、この地の人たちの、祈りを捧げていている安らかな顔、真剣なまなざし・・。・・私にその時が来て、信仰を持たないまま、かの地にジャンプ出来るものかどうか、自信がない。
森に続く階段を登った。足が縮まった男が地べたから手を伸ばし喜捨を請う。家族づれが猿をバックに子供の写真を撮っている。若い男と女が身体を寄せ合って語らっている。偽サドゥーが、「ヘイ、ジャパニ、フォト・・1ダラー、プリーズ」と声をかけてくる。
レンガを積み上げる工事をしていた。中学生くらいの子供が三角に編まれたカゴに目一杯赤レンガを入れ、それを背中にまわし、カゴの上部に結わえられたひもを額にまわしてぶらさげ運搬している。きつい運搬を一日続けるのだろう。頭上から強烈な陽射しが降り注いでいた。
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タクシーで、カトマンズ盆地の二つ目の大きな街、「パタン」に行く。
昼も回っていたので、入域チケット売場の横にあった、ダルバールスクエアを見下ろせるレストラン「Layeke Kitchen」の2階に座った。オーダーしたグリーンサラダを頬張りながら、見下ろしていると、リキシャに乗ったインド人夫婦が目にとまった。夫人の美しいこと。男が降りてダルバールの方へカメラを持って歩いていった。夫人は一人リキシャに座り待ち続けているのだが、映画のワンカットのようだった。 -
このパタンの地で、子供たちに絵を教えるボランティア活動をしていた佐野由美さんという若い日本人女性のことが頭にあった。民放のTVでその活動ぶりが紹介されたのだが、エンディングは悲劇的な結末だった。カトマンズに向かう途中、不慮の交通事故死を遂げたのだ。「パタンの空より」という手記も出ているのだが、彼女の前向きなボランティア活動が反響を呼び、そのドキュメンタリーの自主上映会が今でも開催され続けている。彼女のことも胸に置いて、パタンを歩いた。
カトマンズのダルバールスクエアと同じように王宮を中心にして、寺院が建ち並ぶ。17世紀にマッラ王朝の王たちが建立したものだ。クリュシュナ寺院は形もユニークだが、各階ごとに、ヒドゥーの神シヴァやクリシャナ、そしてブッタも祀られている。 -
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パタンの街角にて・・
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王宮の一部が博物館になっていて、そこにも立ち寄った。ここにもネワールの技術の高さを物語る鋳造・鋳金の仏たちが並ぶ。作品配置も洗練されていて見応えがあった。
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2階の窓横に腰がかけられるスペースがあり、マットも敷いてあった。見事なネワール・レリーフの窓が観音開きになっている。そこに座り行き交う人々や、水飲み場で泳ぎまくる子供たちを時間を忘れて見続けた。
博物館の中は静かだった。恋人たちのデートスポットにもなっているらしく、何組かの若い男女が腰を下ろしていた。カメラでツーショットを撮ってほしいと頼まれもした。
異国の地で、こうしてぼんやりしていることがウレシイ。 -
ゴールデンテンプルは縁日のようだった。
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名の通り寺院は真鍮で黄金色に輝いていた。
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2階のフロアでは30人ほどの人達が、光明を灯し読経を唱和している。同じように腰をおろし目を閉じた。
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その後、パタンの街をぶらぶらと歩き、色彩が美しいマチェンドラナート寺院に立ち寄った。境内では子供達がサッカーをし、年老いた夫婦がバトミントンに興じていた。静かな夕暮れの時間が流れていた。
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インド・シカラ様式のマハボーダ寺院も訪れた。
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夕方、ゲストハウスに荷物を置き、財布一つで街を歩く。路地で揚げていたたこ焼き状のものを10rp分新聞に包んでもらい、熱々のそれを頬張りながらレストランをさがした。
「Yakレストラン」に入った。「チベタンホットビール(Tugba)」というのがあったので注文してみた。大ジョッキーぐらいの大きさの木製の器に、挽いたあとのコーヒーの粉のような色と形状のつぶつぶしたものが入っており、これに湯をそそぎ撹拌し竹のストローで飲んだ。ビール味は全くなく、穀物の風味があった。昨晩、味シルで飲んだ地酒の「ロキシー」とも少し似ていた。 穀物を挽いてこがし、発酵させたものだろうと思うけど、何とも不思議なビールだった。 -
■4日目(8/6水)
朝カトマンズ盆地第3の街、「バクタプル」に向かう。ここにも旧王宮「ダルバール広場」ある。入域料の10$はとても高いがしかたがない。もう一度来たくなった時の事を考えて、チケットの後ろに名前・パスポートナンバー・日付を記入してもらった。こうしておくと1週間有効となる。 -
赤煉瓦が街のあらゆる所に敷きつめられ、独特の落ち着いた雰囲気を醸している。トマンディー広場・タチュパル広場にも、それぞれに堂々たる寺院が建つ。
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朝から強い陽射しが照りつける。ここで写したほとんどの写真は、ハーフトーンがとんでいた。腕も赤く焼けてきた。
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ガイドブック片手にカトマンズ盆地の名所旧跡を尋ね歩いてきたのだが、バクタプルは町並の景観そのものが、絵のように美しく味わいがあった。路地からは、鋳金の仏像に研磨の機械をかける音が聞こえてくる。木彫の鑿を振り下ろす音も混じる。工芸職人が沢山住む街だ。
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街歩きが楽しい。
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ダッタトラヤ寺院の横の木彫美術館の壁面には、ネワール彫刻の最高傑作とされるクジャクのレリーフが刻まれている。本当にこれはため息が出る程見事だった。
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小さな門をくぐって石階段をおりると、休憩や語らい、作業の場として使われる10畳程度の柱組だけの屋根付き台があった。少し先には、小さな寺院も建っている。ここに小学3年生ぐらいまでの子供が10人程遊んでいた。台に腰を下ろし柱に背中を預けて休んだ。まだ1歳ぐらいの子を抱っこしている女の子もいた。この子を抱かしてもらい「高い高い」をした。笑みがこぼれた。脇腹をくすぐると声を上げて笑った。そうこうしている内に、遊びを放棄して子供たちが近寄ってくる。カメラにさわったり、袋の中をのぞいたりする。実はショルダーバツクの中に星形の飴と、折り紙を忍ばせていた。この飴を出し、一人一人に等分に握らせようと思ったら、手からその袋をもぎ取ろうとする。近くで糸車をまわしていたおばあちゃんがも仲裁してた。一度は取りもどしたが、一番でかいガキ代将が多くの飴を占有してしまった。結局不平等な結果となってしまい、気まずい空気が少し流れが、時間がたつにつれ子供たちは自分の遊びに戻っていった。
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糸車を回すばあちゃんをしみじみ見ると、構図がいい。許可を求めてカメラを構えると、子供達が視界を遮らないよう、自分から子供達を遠ざけようとする。おそらく、これは・・・と思いつつシャッターを切ったら、案の定「プリーズ10ルピー」と手が伸びてきた。一瞬ひくものがあったが、ここは嫌な顔はせず、ばあちゃんの手をにぎってさすり、「ナマステ」を連呼して10ルピーを渡した。・・・こうしたことから子供達も写真は金になるということを学ぶのだろうな。結局、千羽鶴折り遊びが実現できないままその場を離れた。
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ダルバール広場にもどり博物館に入った。カメラはロッカーに入れなくてはならない。タンカの収蔵が多く、古い時代のものも見られたが、最近の作品の方が数倍も完成度が高くなってきているとように思われる。収蔵ケースも含めて展示方法のお粗末さは改善すべきだろう。
近くのベンチで、持参していたクラッカーとゆで卵を食べた。到着したその日から、膨満感があり、胃が重くあまり食べられない。 -
3時頃バクタプルを出る。タクシーの値段交渉が成立したあと、その若いドライバーが友達2人を同乗させていいかと言う。「そんなのありかよ」とは思うが、これも笑顔で許可をする。カトマンズ行きの客を今か今かと待っていたのだろう。客1人、その他3人というのは、おかしなことだ。帰りの道中、横から出てきた車の前輪に車が接触しそれが大破する現場を目の前で見た。とにかくカトマンズのタクシーは怖い。
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カトマンズのダルバール広場にもどり、入場料を払ってハヌマン・ドカ(旧王宮)内に入場した。マヘンドラ国王とドリブヴァン国王にまつわる品が収納されていた博物館内をまわり、パサンタブ・ダルバールの最上階にも上がった。9階の高見に吹き込む風が大変気持ち良かった。スクエアに行き交う人々が小さく見えた。ハヌマン・ドカ内の立ち入り禁止区域では兵士が訓練を受けていた。
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圧巻は中庭に施されたゲートを縁取る木彫レリーフの精緻さとユニークさだ。広角レンズを近づけ嘗めるようにシャッターを切った。
ゆっくり散策してフジゲストハウスにもどった。初めに夕食を取った「アンナプルナ」をさがしたが、見つからなかった。
一度、ゲストハウスでくつろぎ、その後昨晩と同じ店で、チキンカレーとスプリングロールとビールを注文。・・半分以上残す。お腹がはって食べられない。
新しく見つけた日本語入力可能なネット屋に入り、座ってまもなく脂汗がにじみ出てきた。胃がはり、食べたものが腸の方に降りない感じだ。
ゲストハウウスにもどって、まもなく、全てを嘔吐した。 -
■5日目(8/7木)
朝ゆっくり起きた。下痢と発熱が始まったらどうしようかと不安だった。2年前にミャンマーに行った時の下痢が凄まじかったものだから戦々恐々。あの時は出ているのが前からなのか後からなのか分からないほど水様の状態だった。しかし今日は、体温も便も正常。
油濃いものや、道ばたの揚げ物やホットビールのような「食の冒険」はさけよう。
午前中は、散歩がてら、インドラチョーク近くのセトマチェンドラナート寺院に行く。ここでも、タブラーやハルモニウムにあわせせてバジャンが歌われている。鳩が飛び交う。独特の装束に身を固めた僧たちが祈りをささげている。お供えを持って参拝者がひっきりなしに入ってくる。物乞いが手を出してくる。
どこか懐かしい気持ちが溢れてくる。京都をぶらぶら歩いて、あるお寺の縁日に分け入ったことがある。その時に感じたことと同質の感興が満ちてくる。心が和む。
レストランに入ってランチを食べるのが億劫だったので、パンをタメルのパンパニケルベーカリーで買って、ゲストハウスに戻る。 -
昼から、また、スヤワンブナートに出かけた。
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以下は、その日の夜、ネット屋から自分あてにメールしたもの・・・
『・・今日も、スワヤブナート寺院に行った。
ストゥーパの後ろにある僧坊のような建物の1階の、壁にうがたれた仏像の前で、老若男女10人ほどの集団が、静かに踊り歌っていた。
導師役の男性が、実に良い顔をしてみんなを引っぱる。「ボンボンチャクレ」という言葉が最後に付く。
この人たちは、おそらく親戚縁者なのだろう。ついさっきまで、仲むつまじくその場で持参した食事をとっていたから・・。
踊りは1人の女性から始まった。彼女は壁際にいた女性の手をとって、一緒に踊ろうよと、優しく誘った。
手を取られた女性は、はにかみながら足を前に出すが、感謝に満ちた表情がにじみ出ている。しかし、動きはぎこちない。足が上げずらそうだし、手もだらっと下がる。脳内出血などによる脳障害の後遺症をかかえているようだ。
リードした女性は、仏像の横に彼女をいざない壁際に座らせ、手や足を撫でながら休ませた。
この集まりは、彼女の病気が直ることを祈願する集まりのようだ。
一同が踊りと歌の合間に、手をたたくこともあったのだけれど、ずっと見続けていた私も、それにあわせて、自然に手をたたいていた。
慈愛に満ちた一人一人の顔を見ていると、どうした訳か涙がこぼれた。
近くのチベット仏教僧院から、マハカラ・ブジャの荘厳の読経が聞こえてきた。・・・』
帰り際、彼女の平癒を願いマニ車を回し、手を合わせた。
夕食は(体調がすぐれず)抜いた。夜、雨が降り続いた。 -
■6日目(8/8金)
早朝、けたたましく張り上げる声で目が覚めた。
ベランダに出て見下ろすと、降り続いた雨のせいで、水が足首のあたりまで上がっているではないか。民家の中に水が入り込み、これをポンプで道路に戻しているのだ。下水道事情が悪いせいだろうか。やがて水は引いていったが驚いた。
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カトマンズ盆地の西南に位置する丘の上の町、キルティプルに行ってみた。町並が山際にへばりつくように並んでいる景観が美しく、タクシーを止めて、カメラに納める。ここにもネワールの伝統が色濃く残っている。
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丘の上のバグ・バイラヴ寺院に着く。誰一人観光客はいない。
決まった曜日に生け贄を捧げるらしく、羊の頭が、柱に打ち付けられていた。
どこからともなく、老人が哀愁を帯びたサーランギ(弓奏弦楽器)を弾きながら、 近寄ってくる。この楽器売りを生業としているのだが、かたわらでネパールの音楽を休みなく弾いてくれる。
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境内の端が盆地を見下ろす見晴台になっている。そこまで歩を進めると、なんと盆地の彼方に雪をかぶったヒマラヤ山系が見えるではないか。サーランギをBGMになんと幸せなことか。夏、カトマンズ盆地からは、なかなかヒマラヤは望めないと聞いていたので、大変ラッキーだった。
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ヒマラヤの山並みを、スワヤンブナードからも見たいと思いたちタクシーを走らせた。 なんと、スワヤンブナードからも見えるではないか。雲間に隠れるまで、ストゥーパ横の祠の石段に腰かけてずっと見続けた。
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境内は、今日も沢山の参拝者でにぎわっていた。
若い黒光りした体躯のネパリの青年が、短パン一つの格好で、ストゥーパに向かい五体倒地を繰り返している。何回かの後、腰の後ろに回したポシェットからノートを取りだし、何やらメモをしている。・・・回数でも記録しているのであろうか。
団体見学できた高校生が写真を撮っている。ズボンをずらしてシャツを出している高校生がネパールにもいた。
猿たちが供え物をさらっていく。 掃除を生業としている女たちが、シラミを取り合っている。その子ども達が、ゴミ箱を押して遊んでいる。
午後2時、昨日のパン屋でエッグサンドを買い、持ち帰ってフジで食べる。堅めのフランスパンが旨かった。少しお腹が持ち直してきたか。
ゆっくり休んだ後、タメルを散策。土産物屋をのぞいたり、写真を取りに行く。
一軒の土産屋に入った。115Rp分買い物をした。500Rp札を渡した。つりがないと奥に入っていった後、400Rpを手渡してくれた。こちらから申し出ないのに、15Rpのデスカゥントをしてくれたのだ。値段交渉に疲れ気味の身には、その行為は実に気持ちの良いものだった。その主の優しい顔立ちが今も記憶にある。
夕食は日本料理屋の「ふる里」で、ゆで野菜を食べる。 -
■7日目(8/9土)
カトマンズ最後の日の朝。国立博物館に出かけた。
石彫・木彫・鋳造・彫金でつくられた大小のヒンドゥーの神々が陳列されていた。タンカで見たことのある図柄が、そのまま精巧な彫金で仕上げられている大きなレリーフもあり、たまげた。見学に訪れた子供の一人が、陽気な顔をして神々の一つ一つに「ナマステ」の声をかけて通り過ぎて行った。見事にそそり立つ神の男根に目をやり、それにさわり、ニヤリとほほえんだ子供もいた。
日本が提供した新しい陳列台コーナーもあったが、既存のものと比べるとその立派さに違和感を感じた。
偶然、同じゲストハウスに 泊まっているKさんと出会った。彼は、明日から釈迦の生誕の地であるルンビニに行く予定で、その前に、ここに収蔵されている釈迦伝説にかかわる石彫を撮しにきたのだという。
中庭で話しをした。年齢は55歳ということだったが、大柄な体躯ではあるが、風貌に老いが見られ60を回っているように感じた。
歩き方がぎこちないので、ひょっとしたらと思ったが、やはり脳梗塞で倒れられたのだという。その時が49歳。県警の要職にあったが、人事課からの遺留や勧められた公務災害申請も蹴って退職された。
家庭を省みず仕事一筋、寝食わすれて働いてきたが、病に倒れた時には、同僚たちに笑われたのだという。・・・「そら見てみろ。あんなに無理をして働いたのだから、こうなった」と。・・・同僚たちの反面教師にされてしまった格好になった。後遺症を引きずっりながら昇進を争う警察機構にとどまることに愛想がつき、退職を決意したのだという。「年収は激減しましたが何とでもなるものです。がむしゃらに働いていた時には見えなかったものが見えてきたし、こうして好きな事が出来るようになったのも嬉しい。何よりも家族のことを顧みることが出来るようになったので、女房が一番喜んでいるかもしれません。」と話された。
私も50歳。今からとりあえず、60歳までの10年間の現職生活をどう過ごすか、考えさせられる話だった。
その後、また、心地よい風が吹くあのスワヤンブナードに歩いて登った。
昨日の青年が、今日も場所を変えて五体倒地を繰り返している。
2時頃、チベット仏教カギュ派のゴンバ(僧院)から、読経が流れてきた。
いそいで、堂内に入り座り目を閉じた。今日で3回目になる。
読経が波のようにうち寄せては、引いていく。チュエ・ガ(太鼓)がたたかれ、トュンチェン(長管ラッパ)がうなり、ブクチェル(鉢シンバル)が震える。「マハカラ・ブジャ」を聞きながら、この1週間を振り返った。・・・カトマンズから里に出ず、あちらこちらにタクシーで出かけ、美しい建造物やタンカや彫刻を心ゆくまで味わえた。このスワヤンブナートで見た、家族の踊りと歌も心に染みた。ヒマラヤ山系を拝めたこともうれしかった。・・・ あれやこれやと考えながら、1時間半マハカラ・ブジャに身を任せた。
夜、9時、空港に着く。
念入りな身体検査と、カバンの中身検査には辟易したが、何とかRA411便に搭乗し、深夜0時頃テイクオフした。
さよならカトマンズ。
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