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人口約10万人のコルフ島はイタリアに近いイオニア海北東部の細長い島です。アドリア湾の要衝として地中海交易で繁栄しました。<br /><br />旧市街はかつての統治国イギリスとベネチアの影響で独特の文化を形成している魅力的な街と言われています。<br /><br />郊外にあるアヒレオン宮殿はオーストリアのエリザベートが保養地として建て愛した宮殿です。<br />

東地中海クルーズ アテネ~ローマへ (5)-1 コルフ島・アヒレオン宮殿

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2018/10/19 - 2018/10/29

2位(同エリア17件中)

2

37

orange

orangeさん

この旅行記のスケジュール

2018/10/23

  • コルフ島上陸、アヒレオン宮殿へ

  • 展望台へ

この旅行記スケジュールを元に

人口約10万人のコルフ島はイタリアに近いイオニア海北東部の細長い島です。アドリア湾の要衝として地中海交易で繁栄しました。

旧市街はかつての統治国イギリスとベネチアの影響で独特の文化を形成している魅力的な街と言われています。

郊外にあるアヒレオン宮殿はオーストリアのエリザベートが保養地として建て愛した宮殿です。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 早朝 船を出発しイオニア海に浮かぶ島へと向かいました。

    早朝 船を出発しイオニア海に浮かぶ島へと向かいました。

  • エリザベートはオーストリア・ハンガリーの二重皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の后ですが姑の太公妃と折り合いが悪く精神を病みウィーンから逃避行する療養生活の中で晩年を過ごしたところだそうです。

    エリザベートはオーストリア・ハンガリーの二重皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の后ですが姑の太公妃と折り合いが悪く精神を病みウィーンから逃避行する療養生活の中で晩年を過ごしたところだそうです。

  • ケルキラから南に10kmほどのところにあるネオ・クラシック様式の宮殿。オーストリア皇妃エリザベートによって1891年に建てられました。<br />白亜の瀟洒な建物はギリシャ神話のアキレスの名を取って「アヒレオン」と呼ばれました。<br /><br /><br /><br /><br />

    ケルキラから南に10kmほどのところにあるネオ・クラシック様式の宮殿。オーストリア皇妃エリザベートによって1891年に建てられました。
    白亜の瀟洒な建物はギリシャ神話のアキレスの名を取って「アヒレオン」と呼ばれました。




  • ダイエットと運動を欠かさぬ日々を過ごしだだけあって、<br />スラリとした容姿を維持し「シシイ」の愛称で親しまれていたそうです。<br />(身長170cm、体重50Kg、ウエスト50cm)<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    ダイエットと運動を欠かさぬ日々を過ごしだだけあって、
    スラリとした容姿を維持し「シシイ」の愛称で親しまれていたそうです。
    (身長170cm、体重50Kg、ウエスト50cm)





  • 館内に入るとシシイの好みが随所に見られる装飾、調度に目を奪われます。

    館内に入るとシシイの好みが随所に見られる装飾、調度に目を奪われます。

  • 白とエンジがしっくりと調和しています。

    白とエンジがしっくりと調和しています。

  • ヨーゼフ1世とのお見合いに行く姉に随伴したシシイが見染められて皇妃になったという曰く付きの美しい姿。<br />ハンガリー国民を鎮めるには有効だったそうですね。

    ヨーゼフ1世とのお見合いに行く姉に随伴したシシイが見染められて皇妃になったという曰く付きの美しい姿。
    ハンガリー国民を鎮めるには有効だったそうですね。

  • シシイは祭壇で何を祈っていたのでしょうか?   <br />身内が続いて亡くなるという不幸の中で敬虔な祈りを捧げたでしょうし<br />窮屈な宮廷生活を疎み愛する実家の父親に教わった乗馬が得意で野を駆け巡っていた昔を懐かしんでいたかもしれません。<br />

    シシイは祭壇で何を祈っていたのでしょうか?
    身内が続いて亡くなるという不幸の中で敬虔な祈りを捧げたでしょうし
    窮屈な宮廷生活を疎み愛する実家の父親に教わった乗馬が得意で野を駆け巡っていた昔を懐かしんでいたかもしれません。

  • シックな壁飾りと静謐な空間

    シックな壁飾りと静謐な空間

  • 身の回りの愛用品<br />バイエルン王国での屈託のない少女時代から、思いがけないオーストリア皇帝との婚約、そして1898年にジュネーブで暗殺されるまで、伝説的なエリザベート皇妃の波瀾に富む生涯を思います。

    身の回りの愛用品
    バイエルン王国での屈託のない少女時代から、思いがけないオーストリア皇帝との婚約、そして1898年にジュネーブで暗殺されるまで、伝説的なエリザベート皇妃の波瀾に富む生涯を思います。

  • 花瓶、燭台、など愛らしいものが多いですね。

    花瓶、燭台、など愛らしいものが多いですね。

  • 清楚な立ち姿からは彼女の苦悩は窺い知れませんが……<br />3人の子を設けながら皇后として不適格とされ 姑に奪われた形で自ら養育できず宮廷生活にも馴染めずに各地を転々とし療養生活を送ったそうです。<br />一時は取り戻した長女を旅先でなくしたことも決定的な不運でした。<br />

    清楚な立ち姿からは彼女の苦悩は窺い知れませんが……
    3人の子を設けながら皇后として不適格とされ 姑に奪われた形で自ら養育できず宮廷生活にも馴染めずに各地を転々とし療養生活を送ったそうです。
    一時は取り戻した長女を旅先でなくしたことも決定的な不運でした。

  • まさか姑の皇太后に奪われた形でヨーゼフの後継者として厳しく育てられた彼女の息子ルドルフ?      <br />違うかもしません。が兎に角シシイは愛息の死後黒い服しか着なかったとか。<br /> 我が手で育てることを許されず意思の疎通を欠いた息子のルドルフが愛人とピストル自殺した後は殊に寂しい日々であったと思われます。

    まさか姑の皇太后に奪われた形でヨーゼフの後継者として厳しく育てられた彼女の息子ルドルフ?
    違うかもしません。が兎に角シシイは愛息の死後黒い服しか着なかったとか。
    我が手で育てることを許されず意思の疎通を欠いた息子のルドルフが愛人とピストル自殺した後は殊に寂しい日々であったと思われます。

  • 手元の資料と比べると頭頂部が特徴的ではありますが………<br />父親とは相容れない思想の統治者としての苦悩、母親への想いなどから精神を病んだとか。<br />かくして オーストラリア・ハンガリー2重帝国 は瓦解し ハフプスブルグ帝国の終焉へと至るのでした。

    手元の資料と比べると頭頂部が特徴的ではありますが………
    父親とは相容れない思想の統治者としての苦悩、母親への想いなどから精神を病んだとか。
    かくして オーストラリア・ハンガリー2重帝国 は瓦解し ハフプスブルグ帝国の終焉へと至るのでした。

  • 何か歴史的な記録写真と思われます。<br />旅先のスイスで無政府主義者に襲われて命を絶った悲劇のヒロインは世界各国でオペラにもなりました。

    何か歴史的な記録写真と思われます。
    旅先のスイスで無政府主義者に襲われて命を絶った悲劇のヒロインは世界各国でオペラにもなりました。

  • 双頭の鷲ではないのでハプスブルグ家の紋章ではなさそうですが鷲には違いなく。

    双頭の鷲ではないのでハプスブルグ家の紋章ではなさそうですが鷲には違いなく。

  • こんな船に乗ってスペイン、イタリア、ギリシャと各地を転々と療養の旅をしていたのでしょうか?

    こんな船に乗ってスペイン、イタリア、ギリシャと各地を転々と療養の旅をしていたのでしょうか?

  • ここにも赤と白の配合がノーブルな雰囲気です。

    ここにも赤と白の配合がノーブルな雰囲気です。

  • 日に1時間しか子供にあわせてもらえなかったシシイが眺めていたエンジェル達

    日に1時間しか子供にあわせてもらえなかったシシイが眺めていたエンジェル達

  • 庭の彫刻の一部でしょうか?<br />

    庭の彫刻の一部でしょうか?

  • 客間には2頭の馬が曳く戦車と御者の迫力に満ちた場面はまるでスパルタカス。

    客間には2頭の馬が曳く戦車と御者の迫力に満ちた場面はまるでスパルタカス。

  • 品のいい小部屋はシシイの執務室だったのでしょう。<br />夫であるオーストリア皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世は1830年(日本では江戸時代の文政十三年)の8月18日に誕生しました。両親が不仲だったため、彼は主に母親であるゾフィーから教育を受けて育ちました。<br />

    品のいい小部屋はシシイの執務室だったのでしょう。
    夫であるオーストリア皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世は1830年(日本では江戸時代の文政十三年)の8月18日に誕生しました。両親が不仲だったため、彼は主に母親であるゾフィーから教育を受けて育ちました。

  • 飾り棚の上の写真は愛しつつも会うこともままならなかった夫ヨーゼフ1世。<br />当時 中欧の趨勢が北イタリア ハンガリーを始め 支配下での独立運動、ビスマルクの脅威、など難題山積の中にあって生真面目な性格もあって仕事一途の日々でした。<br />ハンガリーには内部政権を認めて二重帝国とし イタリア統一戦争と普墺戦争には負けてしまい、領地と影響力を大幅に失った上にボスニアとヘルツェゴビナは半ば無理やり支配下に置いて禍根を残しました。国内では城郭を撤去し道路整備など善政をしきつつも息子の死後 後継に立てた甥はサラエボ事件で皇帝より先に斃れてしまい第一次世界大戦の遠因となるなど全くついていませんでした。

    飾り棚の上の写真は愛しつつも会うこともままならなかった夫ヨーゼフ1世。
    当時 中欧の趨勢が北イタリア ハンガリーを始め 支配下での独立運動、ビスマルクの脅威、など難題山積の中にあって生真面目な性格もあって仕事一途の日々でした。
    ハンガリーには内部政権を認めて二重帝国とし イタリア統一戦争と普墺戦争には負けてしまい、領地と影響力を大幅に失った上にボスニアとヘルツェゴビナは半ば無理やり支配下に置いて禍根を残しました。国内では城郭を撤去し道路整備など善政をしきつつも息子の死後 後継に立てた甥はサラエボ事件で皇帝より先に斃れてしまい第一次世界大戦の遠因となるなど全くついていませんでした。

  • シシイの姉との婚約の場で彼女の溌剌とした愛らしさに惹かれて后とし 生涯愛し続けた皇帝は多忙な国政の合間を縫ってせっせと手紙を送り、保養先にも訪れていたそうですが 母親の皇太后には逆らえなかったようでした。

    シシイの姉との婚約の場で彼女の溌剌とした愛らしさに惹かれて后とし 生涯愛し続けた皇帝は多忙な国政の合間を縫ってせっせと手紙を送り、保養先にも訪れていたそうですが 母親の皇太后には逆らえなかったようでした。

  • 皇帝は暴漢に襲撃され大怪我から蘇り 長い在位中を不屈の精神で国政に当たり苦闘した人だったのです。

    皇帝は暴漢に襲撃され大怪我から蘇り 長い在位中を不屈の精神で国政に当たり苦闘した人だったのです。

  • シシイは背が高かった割には可愛らしいベッドです。<br />当時は体を曲げて眠る風潮だったのかもしれません。<br />この隅で寂しく独り寝の年月を送ったかと思うと気の毒でなりません。

    シシイは背が高かった割には可愛らしいベッドです。
    当時は体を曲げて眠る風潮だったのかもしれません。
    この隅で寂しく独り寝の年月を送ったかと思うと気の毒でなりません。

  • 美と健康に生き甲斐を求めていたシシイは年令を重ねてからは人前に出ることを避けて傘で顔を隠していたと言います。

    美と健康に生き甲斐を求めていたシシイは年令を重ねてからは人前に出ることを避けて傘で顔を隠していたと言います。

  • 庭に出てみるとうっすら青いイオニア海が望めます。<br />フウッーと深呼吸しました。

    庭に出てみるとうっすら青いイオニア海が望めます。
    フウッーと深呼吸しました。

  • 対岸はイタリア。<br />海がどれだけシシイの慰めとなったことでしょう。

    対岸はイタリア。
    海がどれだけシシイの慰めとなったことでしょう。

  • 戦士の像<br />シシイはギリシャが好きで神話の英雄や哲学地者、詩人の銅像に<br />囲まれて暮らしていたようです。<br /><br />

    戦士の像
    シシイはギリシャが好きで神話の英雄や哲学地者、詩人の銅像に
    囲まれて暮らしていたようです。

  • 台座の文字は「アヒレオン」?

    台座の文字は「アヒレオン」?

  • アキレス腱を押さえているみたいです

    アキレス腱を押さえているみたいです

  • この館の名にちなむギリシャの英雄「アキレス」の像<br />随分と大きいので驚きました。

    この館の名にちなむギリシャの英雄「アキレス」の像
    随分と大きいので驚きました。

  • 柱の前に優美な銅像がずらりと並び壮観です。

    柱の前に優美な銅像がずらりと並び壮観です。

  • 反対側から見たところですが、品がいいですね。

    反対側から見たところですが、品がいいですね。

  • 玄関の建物の脇にも多数の像が置かれています。<br />

    玄関の建物の脇にも多数の像が置かれています。

  • バイエルン王国での屈託のない少女時代から、思いがけないオーストリア皇帝との婚約、そして1898年にジュネーブで暗殺されるまで、伝説的なエリザベート皇妃の波瀾に富む生涯をたどりました。<br />嘗ては欧州を席巻した名家の栄華の陰に秘められた過酷さと哀しみの深さを感じて  <br />庶民でよかった……とつくづく思いました。

    バイエルン王国での屈託のない少女時代から、思いがけないオーストリア皇帝との婚約、そして1898年にジュネーブで暗殺されるまで、伝説的なエリザベート皇妃の波瀾に富む生涯をたどりました。
    嘗ては欧州を席巻した名家の栄華の陰に秘められた過酷さと哀しみの深さを感じて
    庶民でよかった……とつくづく思いました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • senseさん 2019/02/24 14:06:06
    はじめまして、senseと申します
    エリザベートを辿る軌跡、まさか、晩年ギリシャで過ごされていたなんて、、波瀾の人生をorangeさんの旅日記で教えていただき 感謝です、
    エリザベート、、少しは知っていたとは思っていたものの、知らない事があまりに多く
    やはり、実際に旅されると違いますね
    興味深く。orangeさんの旅日記をどんどん読み進めました、ありがとうございます、
    これからも又伺いたいです、
    フォローさせて頂きお邪魔します、

    orange

    orangeさん からの返信 2019/02/24 19:06:08
    RE: はじめまして、senseと申します
    今晩は sense さん!
    「コルフ島のエリザベート離宮 」ブログをご覧いただき有難うございます。
    ちょっと気合を入れて書いてみたこともあってとても嬉しいです。
    私自身も嘗てイタリアやオーストリア、ハンガリーを旅した時には経緯を
    よく分かってなかったとびっくりでしたから。
    senseさんのパワフルで楽しい 横須賀旅記を訪問させていただき
    百恵ちゃんの歌を思い出したりしていました。
    私もフォローさせてくださいね。
    もう直ぐ3月ですしどんどんおでかけいたしましょう!!
    orange


    ^エリザベートを辿る軌跡、まさか、晩年ギリシャで過ごされていたなんて、、波瀾の人生をorangeさんの旅日記で教えていただき 感謝です、
    > エリザベート、、少しは知っていたとは思っていたものの、知らない事があまりに多く
    > やはり、実際に旅されると違いますね
    > 興味深く。orangeさんの旅日記をどんどん読み進めました、ありがとうございます、
    > これからも又伺いたいです、
    > フォローさせて頂きお邪魔します、
    >
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