2018/12/14 - 2018/12/17
547位(同エリア1051件中)
junさん
今回、瀋陽に宿泊して、初めて撫順の平頂山へ行きました。
その後、高鉄で大連へ。
近郊の金州にも行きました。
大連に2泊して、上海経由で羽田へ戻ってきました。
大連から東京への直行便より、上海経由の方が安いです。
今回は、撫順では、平頂山事件の虐殺現場(平頂山記念館)を訪問調査しました。生存者の娘婿さんのヒアリングも行いました。
以前から、満州国・関東軍については、研究してきましたが、現地で調査を行うと、さらにインパクトがありました。
大連へ移動した後は、金州へ2度目の訪問を行いました。
南山古戦場や龍王廟万人抗遺跡などを訪ねました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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撫順の平頂山記念館です。
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写真を撮ると言って村人が集められ、日本兵の機関銃により、ほとんどの村民が銃殺されました。
「平頂山事件」裁判(wikipedia)
事件当時4-9歳だった生存者の中国人男女3名が日本政府に各2000万円の国家賠償を求めた訴訟。一審(東京地裁)・二審(東京高裁)判決とも虐殺の事実を認定したが、賠償請求については棄却した。2006年5月16日、最高裁が国家無答責の原則により、原告側の上告を棄却する決定を出し、結審した。 -
反満抗日ゲリラによる撫順炭鉱襲撃事件に対して、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊が報復を検討している会議です。
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右下が「骨の河」を覆っている建物です。
ここで見学、黙祷しました。 -
生存者の方々の証言の石碑です。漢字なので、おおよその意味がわかります。
生々しい日本鬼子などの記載もありました。 -
日本人の追悼石碑も、多くあります。
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瀋陽から高鉄により大連に向かいます。
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大連駅では、高鉄と寝台列車がならんでいました。
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満鉄の図書館に入ることができました。
書庫まで見学させてもらいました。 -
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日露戦争時の南山古戦場は2度目の訪問です。
前回は、乃木将軍の石碑跡のみ見学しましたが、今回はロシア(ソ連)兵墓地も見ることができました。 -
珍しい、日露戦争後に旧日本軍が建立したロシア兵士の墓碑です。
白い銘板以外は当時のままのようです。 -
日本の植民地時代の金州民政署です。
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金州博物館。
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「金州副都統衛署」と言う清時代の軍事施設です。
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庭に、正岡子規の石碑があります。
日清戦争の従軍記者であった正岡子規が、当時日本軍が占拠していたこの地で、近衛師団副官久松定謨中尉に、酒をご馳走になった時の事のようです。
この前後に、子規は、第2軍兵站部軍医部長だった森鴎外にも金州で会っています。
この句碑は、1998年に発掘されたとのことです。
金州城にて 子規
「行く春の 酒をたまはる 陣屋かな」 -
龍王廟万人抗遺跡
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「関東軍第693部隊軍病院の建設工事が、1942年5月から開始され、労工たちは、劣悪な環境の下で過酷な労働を強制され、過労と飢えによる衰弱、劣悪な生活環境と非人間的処遇による病気やケガ、頻発する事故、残虐な体罰などの虐待により次々に死亡した。」とのことです。
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最後に、日本人家屋を見学しました。
当時、日本の鉄道技師が住んでいたようです。
現在も使われています。 -
金州でのランチです。
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大連の宿泊ホテル、中山大酒店。
日本人専用フロアがありますが、大連で多いロシア人フロアが無いなど、ちょっと違和感があります。 -
大連空港から上海へ向かいます。
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国内線の機内食。飲み物は水のみでした。
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上海から羽田への国際線の機内食です。
これで、今回の中国の旅は無事終了です。
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