2010/06/06 - 2010/06/06
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tzpapa10さん
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大連出張時に旅順エリアに行く機会を得ました。大連市の方から旅順への日本人観光は訪問する少し前には行くことができなかったと聞いた。このため、旅順の案内の方から観光地では日本語でべらべら話をしないように注意を受けました。一緒に行ったのは、旅順観光案内の方と、大連市で我々の顧客であった中国人数名と、北京から来ていた中国人数名と、日本からの出張者私を含めた3名でした。行く前に、この話を聞きかなりビビってましたが、いざ行くと、日本人が何名も観光に来ており、また観光地ではお土産を販売している人が日本語で話しかけてきたので、少し気が楽にはなりました。
日露戦争の激戦地として知られているので興味深く観光しました。併せて遼東半島最南端の地も訪問し非常に有意義な観光でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- その他
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白玉山塔:日露戦争後、東郷平八郎と乃木希典が発案し、1909年に戦没者追悼のために忠魂塔として白玉山頂部に建立。11月の落成式に乃木が夫人とともに参列。当時は「表忠塔」と命名。中華人民共和国となってから「白玉山塔」と改名。高さ66.8m。
白玉山景区 広場・公園
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中国国家級風景名勝区「旅順口」の石碑。
風景区は★マークがあると思っているが、ここは何級か★で明記されていませんでした。 -
旅順口から白玉山塔へ向かって歩いてきた道を振り返って撮影。
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白玉山塔の石碑。大連市人民政府が1985年7月11日に市級文物保護単位として設立。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から南南東部の眺望。
軍港遊園あたりになる。1890年に清朝が築き、ロシア、日本と建造してきた海岸の一部を1987年に整備した5,000m2の公園。旅順口閉塞作戦の戦場を間近で見ることができる。左手に黄金山、右手は老鉄山が迫り出して、旅順口へ蓋をするように老虎尾半島がしっぽのように伸びています。頭に軍港と名前がつく場所ですが、外国人の入場もできるそうです。白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から南方向。西湾エリアで西港は商港です。写真右は老虎尾半島。
左部が軍港遊園エリアへの入口になります。白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から南西方向。正面が老虎尾半島。手前右下部には西港。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から北方向。北側には旅順海軍兵器館などがある。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部より西南西方面。中央部には大連市旅順口区老年人活動中心が海岸沿いにあり、グランドなどが整備。その右手には旅順博物館、旅順蛇博物館、旅順鰐魚園などがある。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から南西方向に見える半島先端部の老虎尾、旅順口部分。写真下部に見えるのは西港。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から南西方向を望む。眼下には西港がある。船が停泊しているのが分かります。西港は商港で東港が軍港だそうです。
白玉山景区 広場・公園
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白玉山頂部から北東方面。啓新公園や東鶏冠山景区がこちらにあります。
白玉山景区 広場・公園
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東鶏冠山景区入口の案内看板
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東鶏冠山北堡塁:帝政ロシアが日本軍の防御の為に建設した堡塁であり、日露戦争の激戦地。1898年に旅順を租借し、旅順の東側の半永久的な防御線として1900年に中国人労働者を使役して堡塁を建設。堡塁は周囲496m、面積9,900m2の不規則な五角形。案内看板写真でもその五角形が分かる。
内部の構造は複雑で、司令部、兵舎、弾薬庫、治療室、台所などの周りに胸墻、側防窖室(カポニエール)が配置されています。堡塁の特徴は、この側防があることです。内部に侵入してきた敵を側防窖室の小窓から攻撃できる。
1904年8月21日の第1回旅順総攻撃の際に日本軍第11師団(四国兵団)により堡塁の攻略を開始。第11師団が鉄条網の突破に成功して内堀に入ったが、土砂に覆われた側防窖室からの近接攻撃により大損害を受けた。その後、数度に渡って坑道を掘り、堡塁の爆破を試み、12月15日には日本軍が発射した28cm榴弾砲弾が命中し、守備隊の指揮官コンドラチェンコ少将が戦死。その後、12月18日に堡塁の正面で2.3tのダイナマイトを爆破させ、これに乗じて占領。日本軍は、この堡塁を突破するために約8,000人の死者を出したそうです。 -
側防暗塁01:所々に空いている穴は爆破跡
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側防暗塁02:側防暗塁の標識
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側防暗塁03
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側防暗塁04:日本軍の爆破跡。
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側防暗塁05
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側防暗塁06:中央右穴が日軍爆破口
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日軍爆破口の標識
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日軍爆破口を正面から。暗塁部には「語音導游服務No.0008?」とあります。
観光客に音声で説明案内サービスをしていたようです。利用できることは知りませんでした。 -
ロシア軍機関銃陣地:ロシア軍は機関銃を2丁しか使用しなかったという話もあるそうです。
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ロシア軍機関銃陣地の標識
俄は中国語でロシアを示します。 -
東鶏冠山北堡塁石塔。正面より。
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東鶏冠山北堡塁石塔の背面より
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東鶏冠山北堡塁の紹介:石碑は日本の「満州戦績保存会」が1916年に建てたそうです。石碑の高さは6mで、石碑の名前は日本の鮫島重雄による。
鮫島重雄は1900年4月25日に由良要塞司令官に就任、1902年5月5日東京湾要塞司令官に移り、1904年9月5日に陸軍中将として大本営附を命ぜられて同10月日露戦争に出征。戦中の12月1日第11師団長を拝命し旅順総攻撃に。1906年4月1日勲一等旭日大綬章を受章。同7月6日第14師団長に移る。1907年9月21日、日清・日露戦役の軍功により男爵を授爵。 -
北堡塁の標識
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北堡塁:当初攻撃の重点が置かれたのが旅順の東北方向で、二龍山堡塁と東鶏冠山北堡塁の間。正面突破をはかるということでこちらに重点が置かれました。しかしながら海軍との調整で後に二〇三高地攻略に重点が置かれました。二〇三高地奪取の後は、当初の二龍山~東鶏冠山間の攻略にかかり1904年末までにこれを完了。
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ロシア人士兵宿舎跡
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東鶏冠山北堡塁の大門
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堡塁大門の標識
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ロシアのコントラチェンコ少将戦士の場所紹介の看板
1904年12月5日に二〇三高地が陥落し、日本軍による砲撃によって旅順艦隊が全滅。
1904年12月15日の午後8時頃、ロシア陸軍防衛司令官であったコントラチェンコ少将が堡塁の指揮部に来て軍事会議を行うという情報を察知した日本軍が堡塁を重砲(280㎜榴弾砲)で砲撃し、コントラチェンコ少将が戦死。
その後、1905年1月1日旅順要塞司令官ステッセリ中将が旅順開城・降伏を申し出た。 -
「コントラチェンコ少将の戦士の場所」の石碑
この石碑は日本軍が寛大な度合いと顕著な戦績を誇示するために建立。 -
コントラチェンコ戦士碑附近の状況
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省級文物保護単位 「旅順口日露戦争遺跡 -東鶏冠山北堡塁-」の石碑
1988年12月20に遼寧省人民政府公布とあります。 -
東鶏冠山景区を後にして二〇三景区へ向かうときに市内より見える白玉山塔
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二〇三景区入口
203高地 文化・芸術・歴史
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二〇三景区入口門
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日露戦争遺跡---二〇三高地の案内板、二〇三高地示意図
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市級文物保護単位「二〇三高地」の石碑。
1985年7月11日に大連市人民政府建立 -
日露戦争戦死者の忠魂碑で乃木希典が建立。当時日本軍が使用していた三十年式実包を象っています。
乃木希典は自作の漢詩で203高地を二〇三(に・れい・さん)の当て字で爾霊山(にれいさん、汝の霊をまつる山)と詠んだそうです。この忠魂碑には爾霊山と刻印されています。 -
二〇三高地の紹介看板:日露戦争の主戦場。ロシア軍は死傷者5,000人、日本軍は死傷者10,000人とあります。日本第三軍司令官であった乃木希典が戦争で命を落とした兵士たちを記念するために、砲弾の残片で高さ10.3mの砲弾状の慰霊塔(1つ前の忠魂碑のこと)を建立。
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忠魂碑近くから望む旅順風景01
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忠魂碑近くから望む旅順風景02
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ロシア軍150㎜キャノン砲01
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ロシア軍150㎜キャノン砲02
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ロシア式150㎜キャノン砲の案内板
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ロシア軍150㎜キャノン砲03
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ロシア軍150㎜キャノン砲04 砲口側より。
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ロシア式150㎜キャノン砲の標識
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「爾霊山塔」の標識
Er ling Shan Towerとあります。
二〇三(にれいさん)から漢詩から乃木希典が高地を爾霊山(にれいさん)と呼びましたが、中国語でも二〇三はEr Ling Sanで。爾霊山のEr Ling Shanに近い発音です。 -
省級文物保護単位「旅順ロ日俄戦争遺跡」とあります。
俄は中国語でロシアを意味しています。口は漢字なので旅順口で、ロシアのロではないですね。
1988年12月20日に大連市人民政府が建立。 -
日本軍280mm榴弾砲の案内板
日本軍は口径の異なる60台余りの砲台を二〇三高地争奪戦で使用し、高地に対して無差別攻撃を加え11,000発以上の砲弾を撃ったとある。そのうち2254発が280㎜榴弾砲。射程は7,800m。 -
日本軍280mm榴弾砲の標識
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日本軍280mm榴弾砲。ロシアの150㎜より当然ですが大きい。
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日本軍280mm榴弾砲
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重砲観測所の標識
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乃木保典戦死の所への案内標識。乃木保典は1904年11月30日に第3回総攻撃に参加して命を落とした乃木希典の次男。約6か月前には長男の勝典が戦死。乃木希典の息子は二人とも戦死している。
乃木希典は、日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことで国際的にも著名。最終階級は陸軍大将。乃木希典が率いる第3軍は、第2軍に属していた第1師団および第11師団を基幹とする軍であり、その編成目的は旅順要塞の攻略だった。 -
「乃木保典戦死之所」の標識
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乃木保典戦死の碑とその周辺
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「乃木保典君戦死之所」と慰霊碑には彫られています
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乃木保典戦死のところには、標識向こうの石段を下りていきますが、慰霊碑は斜面に寂しく佇んでいるという感じです。
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二〇三景区を後にして、老鉄山景区へ。老鉄山景区の案内看板
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老鉄山灯塔入口門。上には1998とありますので1998年に建立されたのでしょう。結構新しいです。
遼東半島の先端の岬に老鉄山灯塔があり、そこはその日によって黄色の海と青い海の境がよく見える「黄渤海分界線」にもなっています。 -
奥に見える白いのが老鉄山灯塔です。手前の赤白の浮きのようなものはGPSです。
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世界歴史文物灯塔。入口門の近くにありました。
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中国海事局の建物。海上交通の安全管理を担当するところです。
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老鉄山灯塔:大連市旅順口の南端にある灯台で、1893年に建設。清朝税関で最初の水銀浮き回転鏡を使用した灯台で、高さ14.8m、外径6mの円筒形です。灯台前面の南北方向の海は、黄海と渤海の分界線と一致しているそうです。 当初の航海灯は石油ランプでしたが、解放後は電灯へに変更され、直径190cmのレンズを通してフラッシュし、30秒のフラッシュサイクル、射程は25海里の範囲に。近年は水銀灯と高度な集光装置などで、世界的にも著名な灯台の1つ。
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黄渤海分界線旅遊風景区より分界線を撮影しているが、光の加減なのかよく分からない。なんとなく、中央に波線のような分界線があるように見えます。
烟台や威海の方角になる写真左が黄海で、天津や秦皇島の方角になる写真右が渤海。
黄海の東側は濃い青色、渤海の西側はやや黄色く濁って見える、と中国の旅行指南には記載されています。 -
黄渤海分界線旅遊風景区より分界線を撮影。左が黄海。右が渤海。
人が多数いるところには2つの砲台があります。 -
黄渤海分界線旅遊風景区より分界線を撮影。左が黄海。右が渤海。
ネットで画像を探すとかなり明確に分界線は分かるようです。 -
黄渤海分流域展望台。正面と右側に石碑があります。
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正面石碑には「一山担双海」とあり。意味は「二つの海を運ぶ一つの山」で1つの山が老鉄山、2つの海が黄海と渤海を示します。
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展望台より老鉄山灯塔を望む。手前にある石碑は「一山担双海」石碑の右側にある石碑。右側の石碑の文字は読めず。
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遼東半島最南端の看板。老鉄山灯塔付近が最南端にあたり、崖に最南端の表示がある。
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ここが最南端の部分になります。最南端表示のある崖の階段を下りていきます。
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最南端からの黄海の景色
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最南端エリアにある「黄渤海自然分界線」の石碑
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最南端の部分から見る「遼東半島最南端」の表示
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黄渤海分界線を望むためにある足跡
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「世紀姻絶壁」の石碑
黄海と渤海の自然分界線があるため縁結びのいわれがあるのでしょうか? -
「張建入水点」の碑。2000年8月8日午前7:55に北京体育大学教師の張建氏がここから入水し渤海海峡を世界で初めて横断。ここから50時間22分かけて山東省蓬莱東沙灘まで123.58㎞を渡ったとあります。
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遼寧半島最南端から記念撮影
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大連市内で有名な海鮮レストランの「天天漁港」。祝い事や仕事の節目などによく利用しました。
天天漁港 (人民路店) 地元の料理
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中には海鮮が並んでいて、注文時に好きな魚介類を選び、料理方法を伝えます。
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水槽内には活魚もいるので新鮮です。
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手前だけでなく奥にも水槽がかなりあります。大連は海鮮が非常に美味です。
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渤海大海老。この海老はニンニク蒸し、塩焼き、塩水煮から料理法が選択できます。天天漁港ではよく生の海老を酢醤油やわさび醤油で食べました。この海老ではなくもっと小さい海老でした。
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大連市内にある「大清花餃子」
大清花餃子 (五五路店) 中華
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夜の「大清花餃子」
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羽根付きの焼き餃子が有名だということで出かけました。
羽根は日本のイメージのようなパリパリ感はなかったですね。
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