2018/11/17 - 2018/11/17
32位(同エリア112件中)
みーみさん
大阪の守口市に大阪府下で唯一の江戸時代の武家屋敷が残っていると聞いて行ってきました。
近くには古事記や日本書紀にも記述が見える茨田堤(まんだのつつみ)があり、それも見学してきました。
大阪市のベッドタウンとして開発された地域に残った歴史の一片を感じた
町歩きでした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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旧中西家住宅。
中西家の者が徳川家康の側室となり(お亀の方)、尾張徳川藩祖の徳川義直を生んだことから、尾張藩に召抱えられ、大阪の尾張藩蔵屋敷奉行を務めた名家。
家康の側室とか、尾張徳川の藩祖の母親だとかいわゆる玉の輿ですね。
その権勢ぶりが広大な屋敷から偲ばれます。 -
東側に立派な長屋門(大門)があります。
物見格子のある堅牢な長屋門はいかにも武家屋敷という感じです。 -
元は16世紀ごろにこちらに住みついた土豪で、屋敷も濠に囲まれ、中世土豪の雰囲気を残していたそうですが、現在ある濠は新しく整備されたものでしょうか。
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長屋門を裏からみたところ。門の両側に部屋と馬小屋があります。
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現在は「もりぐち歴史館」旧中西家住宅として公開されています。
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南側の門から入ります。
右が受付、左は新しく建てられた資料庫で、展示品を見学することができます。 -
門を入ると、正面に見えるのが主屋。
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主屋の左手にある門をくぐると、
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イチオシ
式台付きの大玄関があります。
いかにも武家屋敷という感じですね。身分の高い人が使います。
右奥にあるのは内玄関で、主人とそれに準ずる人が利用できます。 -
内玄関。
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式台玄関を上がった所にある中の間。
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中の間の横に続くのが次の間で、立派な床の間があります。
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次の間の床の間に使われている木と細工。
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そしてこちらが座敷になります。
大きな床の間と付け書院が格式を感じさせます。 -
イチオシ
障子を放てば、座敷からは庭を眺めることできるようになっています。
近代和風建築なら、外まわりにガラス戸を入れるところですね。 -
家相図というのが残っているらしく、それを元に茶室を復元。一方大正時代に建て増しされた二階は撤去されたようです。
寄贈され改修する際に、元々あったものは復元し、あとから造られたものは撤去し
たみたいです。 -
棟札によれば、最初にここに主屋が建てられたのは1555年で、現在の建物は1793年に再建されたもの、大門(長屋門)はそれより少し前1776年の建造なので、江戸後期の建築物ということになります。
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庭の一部は高くなっていますが、昔は敷地はさらに広く、土手が築かれ、蔵も並んでいたそうです。その部分は現在なくなっています。
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以上が家屋の南半分にあるパブリックなスペースです。
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イチオシ
今度は北側にあるプライベート空間です。こちらは武家というより、豪農のような雰囲気がします。
太い梁と柱が目を引きます。 -
土間にはかまど。
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プライベート空間の居間・仏間(手前二部屋)から、中の間・大玄関を見渡したところ。
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仏間の仏壇。
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旧中西家は20年まえほどに守口市に寄贈されたそうですが、固定資産税や相続・相続税など都市近郊で、大きな家を維持していくのは大変なことだと思います。
それがこのように残ったのは、所有者の意志と維持していくだけの経済力、そして様々な運が重なってのこのとかなあと思います。 -
主屋から廊下で離れたところにある湯殿。
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湯殿は復元されたもののようで、風呂桶とかはありません。
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湯殿の横には女中部屋。
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プライベート空間の庭。
正面に見える白い壁部分は厠です。 -
さて、こちらは旧中西家から歩いて20~30分のところにある伝茨田堤という大阪府指定の史跡です。
現在の住所から言うと守口市の隣の門真市に位置しています。 -
茨田堤というのは古事記や日本書紀の仁徳天皇に関しての記述に出てくる堤のことで、その当時はこの付近は湾に土砂が流れてきて今の大阪平野ができる途中。湿地帯で、しょっしゅう氾濫が起きていたそうです。そのため仁徳天皇が堤を造らせたそうです。
ちなみに湿地帯だったために、門真のあたりはレンコンの名産地でした。 -
実際に発掘などの調査も行われ堤のあとも確認されていますが、堤は時代時代に
修繕されたので、堤防跡であることは間違いなくても、当初のものかどうかはわからないようです。 -
実際に、周辺より明らかに高い土地が縦長に数百メートル続いています
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イチオシ
堤跡には樹齢500年と言われる楠が根を張っています。
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堤根神社。
現在は神社の境内と史跡として指定されている茨田堤は金網で区切られて別のものになっていますが、元々茨田堤の鎮守として茨田堤の上に建てられた神社です。
神社の境内だったから堤としての役目を終えても、堤跡がそのまま残ったのかもしれませんね。 -
昭和のころまでは堤はもっと長く残っていたそうですが、宅地開発で除々に削られ、それを憂えた神社の宮司さんが奔走し、「伝茨田堤」として大阪府史跡に指定されたそうです。
その顕彰碑が神社の境内に建立されています。 -
さて、茨田堤のすぐ近くにある金網に囲まれたこの石、看板も何もありませんが、
下に水路が流れていました。 -
伝茨田堤の説明板の古地図を見るとこのあたりには水路が走っていたみたいなので、その水門かなにかでしょうか?
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