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T3高速のオーチョリオス(Ocho Rios)出口のラウンドアバウトから北沿岸ハイウェイ(Northern Coastal Highway)を東へ約17㎞。車だと高速出口から20分余りにあるのがリオ・ヌエボ古戦場(Rio Nuevo Battle Site)。ハーモニーホール(Harmony Hall)からだと車で5分も掛からない。ここは1658年にイングランドとスペインが戦いを繰り広げた場所。<br /><br />改めての話になるが、1494年にコロンブス(Christopher Columbus)がジャマイカ島に上陸した時、島にはタイノ族(Taino)が住んでいた。1509年には最初のスペイン人入植者が到着し、現在のセントアンズベイ(St. Ann&#39;s Bay)の近くにセビリヤラヌエバ(Sevilla la Nueva=新しいセビリヤ)と云う町を築いた。タイノ族は自分たちを守るために戦ったが、武器の差は大きく、多くが殺された。また、ヨーロッパ大陸から来た病原菌に耐性がなく、多くが病に倒れた。さらに過酷な労働を強いられ、それも死につながり、自決したものも多かった。スペイン人は労働力として足りなくなったタイノ族の代わりにアフリカから奴隷を連れて来るようになった。<br /><br />1655年、イングランド(のちにイギリスとなる)の最初の入植が始まった。ウィリアム・ペン提督(Admiral William Penn)とロバート・ベナブルス将軍(General Robert Venables)の指揮の下、イングランド軍はヴィラデラベガ(Villa de la Vega=現在のスパニッシュタウン(Spanish Town))をスペインから簡単に奪い、島の南部を支配した。そしてスペインとイングランドのジャマイカ島の主導権を掛けた戦いが始まった。一部のスペイン人は他のスペイン支配下の島に逃げ出したが、残ったものはのちにマルーン(Maroons)となったシマロン(Cimarrons=黒人逃亡奴隷)の助けも得て容易に駆逐されなかった。しかし、イングランドはジャマイカ島の戦略的な位置の重要性を認識していたため、戦いに注力していく。他に沢山の価値のある植民地を持っているスペインにとってジャマイカはさほど重要でないこともイングランドに有利に働いた。それでも1657年にスペインはキューバ(Cuba)やイスパニア(Hispaniola=現在のハイチとドミニカ共和国)、プエルトリコ(Puerto Rico)から援軍を送るが、一連の失敗に誤算も加わり、いとも簡単にラス・コレラス(Las Chorreras)の戦いで退けられる。<br /><br />スペインはさらにメキシコからも援軍を送る。1658年5月20日、ジャマイカ前総督クリストバル・アーナルド・イサシ(Cristobal Arnaldo Isasi)はメキシコ連隊(Tercios Mexicano)を加え、大尉31名、少尉31名、軍曹28名と467名の兵隊で構成される部隊をジャマイカに送り込んだ。部隊はヌエボ川(Rio Nuevo)河口に停泊。3隻のイングランド沿岸警備艇が遭遇するが砲火で追い払われる。しかし、情報はイングランド総督のエドワード・ドイロイ(Edward D&#39;Oyley)に伝えられ、ドイロイは全軍を招集した。その間、スペイン軍はキャンプを強化し、ゲリラも50人ほど加わった。そして6月25日、ジャマイカ史上最大の戦いとなった、最終決戦、リオ・ヌエボ(Rio Nuevo)の戦いが始まった。<br /><br />諸説あるようだが、一説だと、イングランド軍の700名の兵士を乗せた10隻の船が出撃。彼らはヌエボ川の近くで船を降りる。イングランド軍はスペイン軍の移動部隊を捕え、逃げ道を封鎖。スペイン軍はこれを見て、守りを固めた要塞の背後で迎え撃つことに。しかし、イングランド軍はその手に乗らず、2日間大砲での攻撃を続けた。彼らの優れた武器は十分な効果を上げ、スペイン軍は脱出しようとするが多くが殺されるか捕えられ、わずかな者だけがジャングルに逃げ込んだ。結局スペイン軍は300人以上が死傷し、150人が捕虜となり、ほとんどの武器と弾薬を失った。イングランド軍は約60名が犠牲となった。両軍の負傷者のほとんどは熱帯病のために命を落とした。イングランド軍はこの戦いで奪った大砲を自分たちの砦に移送し設置した。スペイン軍のイサシはこの後も戦いを続けたが、1660年にキューバに逃げ出した。イングランド軍はさらなる奪回を防ぐためにコロンビア(Colombia)のサンタマリア(Santa Marta)やトル(Tolu)のスペインの港を攻撃し、スペイン軍は防戦に追われることとなった。最終的には1670年、マドリード条約(Treaty of Madrid)が締結され、ジャマイカはイングランドのものとなった。<br /><br />1950年代にこの辺りはリオ・ヌエボ古戦場に指定され、この辺りの土地の所有者であったベックフォード家(Beckford family)は1エーカーの土地を寄付した。1970年に記念碑が建てられる。しかし、それ以上の整備は進まず、荒れるがままとなり、周りはリゾートと住宅開発に売却された。04年に整備計画が立案され、09年に公園と博物館がオープンした。<br />ハーモニーホールでちょっと手間取って、1時半頃に出て、本当なら5分も掛からないところなのだが、入口が非常に分かりづらく、かなり行き過ぎて引き返し、また行き過ぎを繰り返す。この公園、A3国道からは見えず、門で遮断された住宅エリアの一画にある。ので、まずは門を開けてもらってその敷地の中に入る必要がある。通してくれたが、セキュリティはこの公園や博物館のことはほとんど知らない様子で、いかにどれだけ人が来ないかを物語っている。この門を抜けると突き当り100mくらいに公園があり、右手前が駐車場になっているのだが、通用門は開いているが、誰もいない。看板に土曜は2時まで開いているとなっており、手間取ったが、それでも10分前。少々早く終わることにしたでも、まだ人はいる時間だが、博物館も完全に閉まってるし、人影がない。で、公園の中は出入り自由。でも、もしかしたらこれは庭手入れの人がいたので開いていたのかも知れない。まあ、結果的には博物館は全く入れなかったが、公園自体は見ることが出来たので、良しとする。ただ、博物館に入れないと、記念碑はあるが、ある意味普通の公園。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2437768266293183&amp;type=1&amp;l=273c8b2db0<br /><br /><br />ファイアーフライに続く。

セントメアリー リオ・ヌエボ古戦場 (Rio Nuevo Battle Site, St. Mary)

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2018/10/27 - 2018/10/27

44位(同エリア59件中)

ちふゆ

ちふゆさん

T3高速のオーチョリオス(Ocho Rios)出口のラウンドアバウトから北沿岸ハイウェイ(Northern Coastal Highway)を東へ約17㎞。車だと高速出口から20分余りにあるのがリオ・ヌエボ古戦場(Rio Nuevo Battle Site)。ハーモニーホール(Harmony Hall)からだと車で5分も掛からない。ここは1658年にイングランドとスペインが戦いを繰り広げた場所。

改めての話になるが、1494年にコロンブス(Christopher Columbus)がジャマイカ島に上陸した時、島にはタイノ族(Taino)が住んでいた。1509年には最初のスペイン人入植者が到着し、現在のセントアンズベイ(St. Ann's Bay)の近くにセビリヤラヌエバ(Sevilla la Nueva=新しいセビリヤ)と云う町を築いた。タイノ族は自分たちを守るために戦ったが、武器の差は大きく、多くが殺された。また、ヨーロッパ大陸から来た病原菌に耐性がなく、多くが病に倒れた。さらに過酷な労働を強いられ、それも死につながり、自決したものも多かった。スペイン人は労働力として足りなくなったタイノ族の代わりにアフリカから奴隷を連れて来るようになった。

1655年、イングランド(のちにイギリスとなる)の最初の入植が始まった。ウィリアム・ペン提督(Admiral William Penn)とロバート・ベナブルス将軍(General Robert Venables)の指揮の下、イングランド軍はヴィラデラベガ(Villa de la Vega=現在のスパニッシュタウン(Spanish Town))をスペインから簡単に奪い、島の南部を支配した。そしてスペインとイングランドのジャマイカ島の主導権を掛けた戦いが始まった。一部のスペイン人は他のスペイン支配下の島に逃げ出したが、残ったものはのちにマルーン(Maroons)となったシマロン(Cimarrons=黒人逃亡奴隷)の助けも得て容易に駆逐されなかった。しかし、イングランドはジャマイカ島の戦略的な位置の重要性を認識していたため、戦いに注力していく。他に沢山の価値のある植民地を持っているスペインにとってジャマイカはさほど重要でないこともイングランドに有利に働いた。それでも1657年にスペインはキューバ(Cuba)やイスパニア(Hispaniola=現在のハイチとドミニカ共和国)、プエルトリコ(Puerto Rico)から援軍を送るが、一連の失敗に誤算も加わり、いとも簡単にラス・コレラス(Las Chorreras)の戦いで退けられる。

スペインはさらにメキシコからも援軍を送る。1658年5月20日、ジャマイカ前総督クリストバル・アーナルド・イサシ(Cristobal Arnaldo Isasi)はメキシコ連隊(Tercios Mexicano)を加え、大尉31名、少尉31名、軍曹28名と467名の兵隊で構成される部隊をジャマイカに送り込んだ。部隊はヌエボ川(Rio Nuevo)河口に停泊。3隻のイングランド沿岸警備艇が遭遇するが砲火で追い払われる。しかし、情報はイングランド総督のエドワード・ドイロイ(Edward D'Oyley)に伝えられ、ドイロイは全軍を招集した。その間、スペイン軍はキャンプを強化し、ゲリラも50人ほど加わった。そして6月25日、ジャマイカ史上最大の戦いとなった、最終決戦、リオ・ヌエボ(Rio Nuevo)の戦いが始まった。

諸説あるようだが、一説だと、イングランド軍の700名の兵士を乗せた10隻の船が出撃。彼らはヌエボ川の近くで船を降りる。イングランド軍はスペイン軍の移動部隊を捕え、逃げ道を封鎖。スペイン軍はこれを見て、守りを固めた要塞の背後で迎え撃つことに。しかし、イングランド軍はその手に乗らず、2日間大砲での攻撃を続けた。彼らの優れた武器は十分な効果を上げ、スペイン軍は脱出しようとするが多くが殺されるか捕えられ、わずかな者だけがジャングルに逃げ込んだ。結局スペイン軍は300人以上が死傷し、150人が捕虜となり、ほとんどの武器と弾薬を失った。イングランド軍は約60名が犠牲となった。両軍の負傷者のほとんどは熱帯病のために命を落とした。イングランド軍はこの戦いで奪った大砲を自分たちの砦に移送し設置した。スペイン軍のイサシはこの後も戦いを続けたが、1660年にキューバに逃げ出した。イングランド軍はさらなる奪回を防ぐためにコロンビア(Colombia)のサンタマリア(Santa Marta)やトル(Tolu)のスペインの港を攻撃し、スペイン軍は防戦に追われることとなった。最終的には1670年、マドリード条約(Treaty of Madrid)が締結され、ジャマイカはイングランドのものとなった。

1950年代にこの辺りはリオ・ヌエボ古戦場に指定され、この辺りの土地の所有者であったベックフォード家(Beckford family)は1エーカーの土地を寄付した。1970年に記念碑が建てられる。しかし、それ以上の整備は進まず、荒れるがままとなり、周りはリゾートと住宅開発に売却された。04年に整備計画が立案され、09年に公園と博物館がオープンした。
ハーモニーホールでちょっと手間取って、1時半頃に出て、本当なら5分も掛からないところなのだが、入口が非常に分かりづらく、かなり行き過ぎて引き返し、また行き過ぎを繰り返す。この公園、A3国道からは見えず、門で遮断された住宅エリアの一画にある。ので、まずは門を開けてもらってその敷地の中に入る必要がある。通してくれたが、セキュリティはこの公園や博物館のことはほとんど知らない様子で、いかにどれだけ人が来ないかを物語っている。この門を抜けると突き当り100mくらいに公園があり、右手前が駐車場になっているのだが、通用門は開いているが、誰もいない。看板に土曜は2時まで開いているとなっており、手間取ったが、それでも10分前。少々早く終わることにしたでも、まだ人はいる時間だが、博物館も完全に閉まってるし、人影がない。で、公園の中は出入り自由。でも、もしかしたらこれは庭手入れの人がいたので開いていたのかも知れない。まあ、結果的には博物館は全く入れなかったが、公園自体は見ることが出来たので、良しとする。ただ、博物館に入れないと、記念碑はあるが、ある意味普通の公園。
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ファイアーフライに続く。

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